2023-09-12 11:37
少し前に実家の車を買い替えた。それまで乗っていたサニーがさすがにあやしくなってきたからだ。といってもあのサニー何年乗っていたのやら。
というわけで中古車をあれこれ探す。いくつか目星をつけ見に行ったが期待外れに終わる。近くに大きな中古車屋があったので寄ってみた。
そこででてきたのは若い女性だった。彼女はさっそくあれこれ聴きながら車を勧めてくれた。やたらAquaという車を勧めてくるが、それはこちらの予算を無視したものだった。
難しそうな顔をしていると、他の車も勧めてくる。いずれも予算オーバー。いい加減見切りどきかと思う。彼女は何度か席を外しおそらくは上席と相談していたらしい。しばらくたってようやく私が想定していたレンジの中古車がでてきた。その前に彼女がぼそっと
「表示している値段よりだいたい20万円くらいかかります」
と言ったのが気になったが。
彼女が席を外している隙に、中古車屋の名前で評判を調べる。とにかくしつこく「なんとかコーティング」を勧めると書いてある。まあそれはこちらが全部断ればいい話だから、と思っているとそこから延々とオプションの話が続く。まず見積もりを持ってきたのだが、それは表示されていた価格より40万くらい高いものだった。一つ一つ説明がはいる。その度に「これは要りません」と蹴っていく。コーティグを蹴り、保険を蹴り。とはいっても押し切られてしまったものもいくつかあった。
そうした接客を通じ、彼女から感じたのは「ノルマ達成」の文字。とにかく中古車屋の都合のいいパターンに嵌め込みたい。そういう強い意欲が伺えた。交渉の要所で彼女は席を外す。おそらく上席の許可を得ているのだろう。価格は最終的に表示価格+20万くらいになったと思う。
足元で残っているのが「支払総額」の問題だ。店頭では、安価な車両価格を表示しておいて商談時に「保証」や「整備」の金額が乗るなど、表示価格で購入できないことが問題だった。これは10月から業界団体の規約で「支払総額」に変わる。
条件が固まり、引渡日の話になった。私は遠隔地に住んでいるのでそうそう来るわけにはいかない。しかし相手はこちらの都合を無視してあたかも私が実家に住んでいるかのように日程を押し付けてくる。それに抵抗してようやく日程が決まりその日はお開きとなった。
しかしそこでも話はまとまらない。数日後直接電話があり、所有者が住んでいる場所の駐車場でないとまずい、と言い出す。実家に駐車場があるからそこでいいでしょう、という話をしており、かつ「所有者は運転免許所有者でないと困ります」といわれたので私を所有者にしていたのだ。
ところが私は実家に住んでいない。そんな話は散々していたのに、今更それかよ。そう思いながら聴いていると「そちら(私が住んでいる場所)で駐車場を契約してもらえませんか」と言い出す。私は検討しますといって一旦電話を切る。
それからネットであれこれ調べる。そもそも車の所有者が運転免許を持っていないといけない、なんて法律があるのか?調べてみると「運転手つきの車を持っている人は所有者であり、かつ免許は必要ないわけです」とでてくる。確かにそうだ。再度電話すると「なぜ実家の母が所有者でいけないのか」と怒鳴り続ける。
しばらくすると折り返し電話がある「本当は望ましくないんですけど」とのお言葉付きで母を所有者にすることになる。その「望ましくない」が誰にとってなのか。なぜなのかは多分彼女は理解していないのだろうか。とりあえず上席の言葉に従っただけで。
数日後はれて車を引き取りにいった。私がトイレに行っている間に母に店長だか誰だかが挨拶に来たらしい。そんなことをして何の意味があるのか。新しい車に乗るとその店を後にする。もうこの会社にはかかわりたくない。
――社長を辞任されました。理由を教えてください。
(ビッグモーターのような)車検不正や自動車保険の水増し請求は調査した限りない。一方、過去に不適切な事案が起こっているのは事実だ。これまでは(取り扱い台数に比べても)率は少ないし、同業他社よりも少ないから良いと考えていたが、それではダメだと考えを改めた。
ゼロを目指していくには会社が変わる必要がある。そのためには私が社長を代わるべきだと考えた。
ネクステージの近くにはビッグモーターもあった。今から考えればどちらに行っても同じような結果になっていたかもしれない。後日ネクステージから「満足度調査」の電話があった。相手は質問項目を順番に並べ、私はそれに「はい」(こちらの意向は無視していたけど)と考えながら返答していた。最後に「他に何かございますでしょうか」と問われ、それから15分くらい怒鳴っていたと思う。
ネクステージの社長は「ノルマはない」と言う。しかし私が感じたのは、とにかく顧客から一円でも多くむしり取りたい。金を払わせたい、という会社の意図である。ノルマはないがKPIはあります。ものは言いようだが、社長が何も言わず突然辞任する会社と聴いて、ようやく私が受けた印象が「思い込みではない」と思えるようになった。
2023-07-08 07:40
AIによって人類の危機がどうのこうの、という人については先日書いた。しかしAIは実際に社会に生活にインパクトを与えている。先日こんな記事を見つけた。
貧困地区として知られた永和県にAI訓練センターが設置されたことにより、町の経済が変わった。出稼ぎに行く必要がなくなり、地元で子どもと一緒に暮らすことができ、都市よりも高い給料がもらえるからだと暸望智庫が報じた。
産業があまりなく、人件費の安い地域にコールセンターを設置するのは、普通に行われていることである。これはそのAI版と考えればよかろう。
コールセンターとは違った形ではあるが、AIは確かに仕事を生み出している。本当に皮肉な話だ。コンピューターは人間のような創造性を持たないから、単純作業を奪っていくと多くの人が予測した。生成AIが実際に人間の仕事をどれくらい奪っているかは議論の余地があるところだが、「あたりまえの文章を量産する」のが目下のところ一番の用途。つまり創造性をある程度有する仕事を奪っている。そして「データをひたすら分類する」という一見単純作業とも思える仕事(実はそうではないのだが)を人間にたいして生み出している。
これを持って「AIが高度な判断をして、人間には単純作業しか残されない」と考えるのは的はずれである。つまり今のAIは人間の膨大な作業なしには動けない。自分で勝手に学習し、作り手の意図を超える成果を挙げるAIはごく限られた領域でしか存在していない。先ほどの命題「自分で勝手に学習し」はまだまだ誰もやり方すらわからない。
こうやって「現れては消え多くの働き口を作り出す」仕事は過去にいくつも存在していた。その昔オフィスには「ワープロ係」の派遣社員がいた。この仕事もそうした仕事の系譜に連なるものなのだが、「脅威論」が横行するAIを支えるそれ、というのが面白いところだ。
2023-06-16 10:10
歳をとるといろいろ体が壊れていく。頭も同様だが、頭が機能を停止するまでの少しの間時々楽しいことが起こる。「こんな状況は今までになかった!」という言葉を何度も聞く。すると「はいはい、元気でいいですね」と心穏やかに眺められるのだ。
汎用人工知能(AGI)は我々が思っているよりも実現に近付いているとAIの専門家はInsiderに語っている。
ただし、注目はされているが、AGIという言葉の定義はまだ不透明だ。
AGIは人類に危険をもたらす可能性があるため、規制する必要があると専門家は述べている。
人口知能ブームが起きる度に「汎用人工知能」について騒ぎ立てる人間がでてくる。今は3.5の人工知能ブームなのでやはりこういうことをいう人間がでてくる。
今のAIはどんなに「賢そう」に見えても入力に対して出力を返しているだけである。chatGPTに何を入力しても、システムとして実装されていない音楽や画像を返してくることはない。システムが動く枠組みは変わらないのだ。
しかし
定義の決まっていない「汎用人工知能」はなんだか知らないが、人間と同じように「言われてもいないことを」を自動的にやりだすらしい。そんなものができたら人間は支配されてしまう!怖い!
そうはいうものの
それが何なのかは誰も知らない。なのに「実現は近く」「規制する必要がある」とのこと。何かわからないものを規制するというのはとても楽しい話だ。
この事象も別に今に始まったことではない。人工知能という言葉が生まれてこのかた何度も繰り返されて(しかも一向実現する気配がない)いるし、人工知能に限った話でもない。
というわけで「奇妙な論理」から該当箇所を引用しようとしたが、みつからない。まあいつもある話だと思ってください。
2023-06-13 14:00
ジャニーズ事務所の社長だかなんだかが同性愛者で、自分が気に入った男のをつれてきてタレントにしている、と聞いたのは私が中学か高校の頃だったか。フォーリーブスの誰かが告発したのも多分それからあまり後のことではない。つまり私のように芸能に興味がない人間でも知っているほど「公知の事実」だったわけだ。しかしそのことを誰も非難できない。なぜならば「声をあげたメディアにはジャニーズが出演しなくなる」からだそうな。
なんだそのへんな「事務所」というものの存在は、と思った。
そして
それは「そういうもの」として誰もが見てみぬふりをしていた。その社長だか誰だかが死去してようやくことが表沙汰になった。
SMAPという人たちが事務所に反旗を翻したとか何かにともない異様な光景が繰り広げられたことは記憶に新しい。「事務所」というものはそんなに強力な権力を持っているものなのか。
芸能界はヤクザのフロントエンド、なんて言葉はせいぜい揶揄程度にしか言われておらず、大半の人も「まあそうなんだろうけど」ぐらいだった思うが、今回のスマスマ謝罪会見で「あ、芸能界はヤクザなんだ」と痛烈に知れ渡り、それを取り巻く芸能報道もヤクザの太鼓持ちなんだと子供でも分かる状況に。
その異様な光景に正面から声をあげたメディアはなかった。そしてその性暴力が正面から語られるには、海外のメディアの力を借りなければならなかった。それに対するTV曲のコメントがこれである。
■櫻井翔と有働由美子アナの発言全文櫻井翔「先週もお伝えしました通り、このようなことが二度と起こらない態勢を整えないといけないと思います。そのために、どこがどう問題でどう解決すればいいのか、きっちり検証することが、まずは大事だと思います」
有働由美子「そして、その検証の先に、ジャニーズ事務所がどう実行していくのか、私達『zero』もしっかりお伝えしたいと思います」
なんといってもすごいのはシレっと共犯者から「検証者」に身をかわして見せるTV局。ジャニーズ事務所に逆らって自分たちの利益が減ることが恐ろしく、何も報道してこなかったことはあっさり忘れて見せるところがさすがTV局。有働氏もこういうセリフを人前で吐くことができるプロ根性を褒めればよいのか、それとも何も感じないほど頭がマスコミなのか。
ふと考える
じゃあ誰にまで責任が及ぶのか?そういう事務所だと知って金をつぎ込み続けたファンに責任はあるのか?私のように何の興味もないが、何もしなかった人間に責任はあるのか?
などと考えていくと、
ナチスドイツによるユダヤ人虐殺に、「普通のドイツ人」はどこまで責任があったのか、という議論を思い起こしたりする。
ユダヤ人が逆説されていることに薄々気がついていたドイツ人もおおかろう。自分の命を危険にさらしてまでヒトラーの暗殺を企てた人もいる。しかし大多数の国民は「みなかったこと」にしていたのではなかろうか。そして彼らには果たして責任があると言えるのだろうか。
などと考えながら
どうせこの件もそのうちうやむやになるんだろうな、と思う。暴いたところで誰も幸せにならない。今の通りの事務所というヤクザが仕切る世界でいいじゃないか、となるのだろうな。
かくして我が国の「エンタテイメント社会主義」は存続する。視聴者が喜ぶものではなく、供給側である事務所が決めたものを消費させられ続ける。いや、私はもうみないから別にいいんだけどね。
2023-06-05 07:03
先日親戚の集まりがあった。そこで「五郎ちゃん本書いてるんだって?」と聞かれた。誰かがamazonで私の名前を検索したのだろうか。
私は「左様です。いや、今はとにかく書けば誰でもタダで電子出版できるんですよ」と言った。相手は大して興味を示さなかったようだが。
「何冊くらい書いてるの?」と問われ咄嗟に返答ができず「5冊ですか」と答えた。あとでちゃんと数えたら7冊あった。いつの間に。
「最新刊」は「最悪バーガーの食べ方」です、とまでは言わなかった。
この本を出したのは5月の3日。さて誰か読んでくれるだろうか、とamazonの画面を見つめる。他の本はぽつぽつ読んでくれる人がいるのだが、待てど暮らせど誰も「最悪バーガーの食べ方」は読んでくれない。
そうだよね。やっぱり宣伝しないといけないよね、というわけでTwitterでつぶやき、noteでエントリーを書く。Twitterのつぶやきに知り合いから「いいね」はついたが相変わらず誰も読んでくれない。
こういうことは今に始まった話ではない。日本語で書かれた書籍が1日に何冊amazon kindleで発表されているかしれないが、有名作家ならいざ知らずどこの誰かわからない人間の本は誰の目にも触れない。
じゃあ今それなりに読んでもらっている本がなぜ目に止まるのかは、、よくわからない。まあ「そういうものだ」ということなのだろう。
しかしなあ、あの本ずいぶんあれこれ調べ、あれこれ考えて書いたのになあ。本の中で書いた画期的な「人間はなぜいやな感情を反芻するのか」「なぜマインドフルネスには効果があるのか」に関する説明(凡庸な妄想です)も誰の目にも触れないまま消えていくのか。
などと考えていたのだが
ある日その日の売り上げが変な値になっていることに気が付く。ほとんどの場合本が売れても1日一冊だからその日の売り上げをみれば「ああ、この本がうれたな」と推察することができる。ところがその日の売り上げは今までみたことがない数値だった。
はて?と思い詳細をみると誰かが「最悪バーガーの食べ方」を買ってくれたことを知る。しかも(比較的)高価なペーパーバック版だ。
やれうれしや。これで誰の目にも触れないまま消えることはなくなった。とはいえ何かの勢いで本を買っただけで中身を2−3ページ読み捨てられるかもしれないなあ。
などと思っていたら
その数日後、誰かがページ数から判断するにほぼ全部読んでくれたことを知る。少なくともあの本を読み通すくらい面白いと思ってくれた人が一人はいたのか。
私は貧乏だから、もちろんバンバン売れた方がいいのだが、それでも書いたことを誰かに読んでもらえたというのはうれしい。思えばいい時代になった。20年前だったらこんなことは不可能だった。どんなに力作を書いたところで誰にも聞いてもらえないか、知り合いに配るくらいが望みうる最大の成果だった。
それが一円も払わず(私の時間はどうせ大量に無駄に消費されているのだ)誰かに読んでもらえるとは。
ちなみに
そこから数日たったがそれ以降の売り上げは0である。つまり誰も読まない。しかし私としては誰かに読んでもらえただけで満足。さて、次の本を考えよう。
2023-04-07 06:20
第3次人工知能ブームが第2次と違うのは、「人工知能」かどうかは別として、ちゃんと役にたつ成果がでていることにある。とはいえ「何ができるかをちゃんと調べ、使う人」と「何も勉強せずに騒ぐ人」が混在しているのはいつのブームでも変わらない。
イーロン・マスク氏(51)が、人工知能の発達は歯止めのきかない深刻なリスクを人類社会へ及ぼすと、警鐘を鳴らした。
この文章を引用し「こんな脅威が!」と誇らしげに(そう、「誇らしげに」)書いている人がいた。私は「イーロン・マスクは人工知能に関してはアレですからねえ」と書いた。
ほんの少しでも情報を漁った人なら、マスクが人工知能に関して過大評価をしていることを知っている。例をあげようか?マスクが「Teslaはあと数ヶ月で自動運転を実現する」と何度宣言したかわからない。そしていまだにTeslaは自動運転とは程遠い状況にある。
というわけで、「とにかく騒ぎたい」人には何を言っても無駄なので、「?」と思っている人に向けて。最近chatGPTなる「まるで人間のように何を聞いても返してくれる」システムが話題である。若者は新規提案というと「chatGPT=どらえもん」のような提案をしてくる。chatGPTはそんなにすごいのか?
プロンプトエンジニアリング
入力(プロンプト)を工夫して性能をあげようというアプローチ。
機械学習系で精度アップといえば、追加学習させたりモデルを拡張するのですが、LLMではモデルが大き過ぎてコストが洒落になりません。
そのような事情からプロンプト側を工夫することで、回答に直接影響を与えるという手法が発達しています。
少し考えてほしいのだが、本当にchatGPTがドラえもんのような「人工知能」ならば、なぜ「プロンプトエンジニアリング」なる怪しげな言葉が存在しているのか?平たくいえば「聞き方を工夫しないとまともな答えが返ってこない」という話。「人口知能」ってそういうものだっけ?
現在の答えはYesである。堂々とかつ雄弁に嘘をつくchatGPTは、同類の人間を大量に惹きつける。それゆえ、今私が給料をもらっている会社ではchatGPTは高く評価されている。
そう考えれば、chatGPTは人間の識別に使えるのではなかろうか。chatGPTとしばらく「対話」させるとその人間の中身が知れる、と。
2023-03-23 06:34
遠い昔トヨタがTeslaに出資していたころ、トヨタグループの人から「Tesla?ああそうだね..」というやや侮蔑したような言葉を聞いた。確かにその時のTeslaはトヨタ様から見れば「全くなっちゃいない」会社だったかもしれない。
なのだが、Teslaはまだ生き残っている。あとから電気自動車に参入したベンチャーが次々コケても生き残っている。そこにこの記事を読んだ。
まったく新しい車体組み立てプロセス、希土類を使わない高性能モーター、SiCの使用量を1/4に減らしたパワー素子、そしてドライ電極を使った電池……。どれも技術的難易度は高く、実現は容易ではない。実際、エンジニアなら、どの課題であっても「やれ」と言われたら尻込みしてしまいそうな課題ばかりだろう。この記事の冒頭で「テスラで働くって大変だなあ」という感想を抱いたと書いたのはそういう思いからだ。それでもテスラが発表したということは、すべて実現のめどが立っているということだろう。実際、実現困難とみられていたドライ電極については既に量産が始まっている。なぜテスラはできるのか。テスラはエンジニアをどうマネジメントしているのか。いま、筆者の頭の中はクエスチョンマークだらけである。
引用元:テスラの次世代EVが採用する驚きのテクノロジー(2ページ目) | 日経クロステック(xTECH)
正直言って私にはここに書かれていることの妥当性が評価できない。なのでとりあえず「書かれていることは正しい」と想定して話を進める。
今の会社に来てから「デザイン思考」なる怪しげなフレームワークを使わされている。そしてその場で思いついたことをペタペタ付箋に貼ればすごいアイディアができます、という信仰を強制されている。
しかし
本にも書いたがそれは大嘘である。引用した文章にあるような「技術的なブレークスルー」が付箋ペタペタでできるのか?できないとすれば何が必要なのか?日本の自動車会社のエンジニアにはテスラのような革新が達成できているのか?(私は彼らと彼女たちが「できている」と答えることについて確信を持っているが、彼らと彼女たちが嘘つきであることにも確信を持っている)
これがかつて「ものづくり大国」などと自称していた国の現状だ。
というかなぜ日本からはまともなハードウェアのベンチャーがでてこないんだろうね?成功失敗を問わなくても、「これぞベンチャー」という試みがあるべきだと思うのだが。
2023-03-14 10:02
3/12に東北大学の生協が行う新入生サポートの対面相談(多分正式名称は他にあると思うが)に行った。そこでどのようなサポートを受けたかについて記録しておく。おそらくこの後同様のサポートを受ける人の役にたつと思うからだ。
予約していたのは9:30だが、おそらく9:10にはついたと思う。
まず生協にはいると、受付がある。申込のような紙を書いた記憶がある。そのこに「生協加入に同意します」というチェックボックスがある。どちらにしても大学生活をおくるには生協に加入する必要があるので、チェックをする。
そのあと少し待つと、息子の携帯電話に連絡がはいる。生協の入り口で待てとのこと。なので入り口に向かうと若者が迎えてくれた。今日1日案内しましといって挨拶してくれる。
まずはアパートを探そうとのことで、壁に物件情報が貼ってあるエリアに行く。事前に情報を得たり調査していたので、指定のエリアでまず一軒よさそうなところを探す。別のエリアでもう1件探しましょう、という。これも聞いていた別のエリアで一軒指定する。ではさっそく内見に行きましょうと言うことになる。
生協の裏にタクシーが二十台以上止まっている。そしてその一台に乗り込む。この費用は一体どこからでているのか?その疑問に答えがでるのは内見の後である。
タクシーで2軒内見し、希望のアパートを決定する。するとたくさん座っている宅建を持った人が重要事項を説明してくれる。一点気になる点があったが、まあ許容範囲内と思いOKを出す。すると今度は学生さんのアルバイトがきて契約の説明をしてくれる。
このプロセスで、生協は仲介手数料を手に入れたことになる。ここで最初は弁当でも買って昼食をとりその後に説明とのことだった。しかし学生さんが来て「この後連続で説明してもいいですか」という。私は了解する。
そこから始まったのはさまざまな用品の売り込みだった。まず自転車はどうですか?と言われる。家にあるから要りませんと答える。次には防災グッズ。仙台は災害が多いですからと進められる。買うにしてももっと考えてから決めたい。断る。次には家具一式セット。家具はもっと考えてから決めますとのことで断る。
そこから椅子にすわって1時間ほどさまざまな売り込みがある。こんな保険がありますはいりませんか?生協の食事代を前払いするシステムがあります。27万円ほどですがはいりませんか?パソコン一式というのでお値段を見る。売る側にとって気持ちのいい値段が書いてある。そりゃサポートがどうのっていわれても結局Apple製品の場合何もできないんだから。プリンタを買いませんか?iPadを買いませんか?電子辞書を買いませんか?全てにNoといってその場を後にした。
ここからは私が考えたことである。
なるほど。生協でタクシーまで手配してくれる理由がわかった気がする。最初に恩をうっておけば確かに後の売り込みは断りづらい。パソコンにしても「今まではご両親が面倒見ていたと思いますが、これからは一人なので」と言われれば子供を心配する親は購入してしまうかもしれない。
売り込みがあったものにメリットがないとは言わない。しかしその場で決める必要はないとは明言できる。情報はありがたく頂戴し、そのあと検討してから決めても遅くはない。
だから、これから東北大学に限らず新入生の手配をする親御さんに言いたい。その場で決めず、比較して考えて欲しい。不安な気持ちに負けずに冷静に判断してほしいし、それで大丈夫だよ、と。
2023-02-24 21:03
というわけで、ハート思考のページを公開しました。
❤️思考
先日某ビザスクで講演をしたのですが、❤️思考の紹介ページを作っていなかったことに気がつきました。いや、会社で作成したページはあるんですけどね。
というわけで次のTo DoはAmazonで売っている本の題名を❤️思考にして、内容をアップデートすること。
2023-01-08 06:40
父の書棚にあったものを勝手に読み出したのは高校生の時だったか。それからこの本は折に触れ読み返している。
不自由な人生を不自由と認めた上で自由を求める。この姿勢は仏陀の考えにも近しいところがある。この世の区別、そこから生じる様々な感情に振り回されることなく、生を良しとし死を良しとする。じゃあお前はいきなりアウシュビッツに放り込まれ、ドイツ人将校の指一本でガス室送りになることに「良し」と言えるのかと問われれば自信はない。しかし突然襲ってくるかもしれない死がそれよりマシなのかひどいのかについてはよくわからない。
フランクルが説いた「決して奪われない自由」が人間には残り、それが荘子の考えたことと通じるところはあるのか、などといろいろ考えることはある。
正月から何を書いているかというと、2月に某所で講演をする。その原稿を考えていたから。会社にいると「不自由」な思いをすることは多い。講演に関連した話でいうと「同考えても無駄な作業に、”これが君の仕事だ”と言われひたすら従事させられる」だろうか。そういえば二十年前NTTソフトにいたときはそれの連続だったな。
私はサラリーマン人生をほとんど下っ端としてすごしたので、よくわかる。プロの下っ端なのだ。下っ端は「上」が決めたゴールを達成することをひたすら求められる。ゴールが間違っていようが意味がなかろうが関係ない。ゴールを決めるのは下っ端の仕事ではないのだ。経験からわかることだが、私にはこれが最も精神的によろしくない。
ではその「下っ端」にとっての自由とはなにか。居酒屋で後輩を捕まえわけのわからない説教をしてウサをはらすことか?昭和ならそれでもよかったかもしれないが、令和では難しくなりましたね。
冒頭挙げた本では、荘子は現実から離れることなく、そこに立脚して考えを深めた旨が何度も述べられる。それが私が何度も読み返す理由ではなかろうか。ビジネス書に書いてあるようなかっこいい理論やら「べき論」はどうでもいい。そうやって先生方がご高説を垂れている間にも、意味のないゴールに向かって意見をいうこともできない私たちがいる。
などと考えているのだが、流石に「この時下っぱには何ができるでしょう。私は荘子と仏陀の言葉から学びました」とかは講演では言わないよ。それくらいの分別は持っている。