「哲学的な自分が大好き!」

2011-08-31 06:37

いきなり何を言い出したかといえば、映画ツリー・オブ・ライフである。
私が書いた映画評は本家を見ていただくとして、2chなんかみているとこうした映画が公開された際にいつも起こる「言い合い」が始まっているようだ。つまり

「この映画の哲学的な意味がわからないなんて、映画評書く資格がないんじゃない?」

というやつ。(この監督の前作品の映画評に対して、そういうお手紙をもらったことがある)

この映画は二つの要素からなりたっている。ありきたりな

「反発しながらも最後は一定の理解に達する父と息子」

「スーパーお星様ターイム」

だ。このお星様ターイムでは、馬頭星雲から首長竜から隕石の衝突まで色々出てくる。普通はここで寝てしまう。

でもってこのお星様ターイムのところに「哲学的意味」を見出す人が存在するわけだな。

この映画が「哲学的な深い意味をもった作品」だったのが「監督だけが楽しい自己満足&支離滅裂な作品」だったのかは既に結論がでている。

正直言うと、僕自身この映画の中で何をしていたのか、僕が内容に加えるべきだったものは何なのか、今もわからないんだ。その上、テリー(マリック監督)本人もそれをはっきり説明できなかったんだからね」と胸のうちを告白。

via: ショーン・ペン、『ツリー・オブ・ライフ』でのテレンス・マリック監督の演出は困惑だらけ - goo 映画

少なくとも出演者に対し自分の意図を説明し、納得させられないのであればそれは自己満足以外の何者でもない。それができた上で観客が難解だ、というのであれば話は別だが。

そもそもこの映画を「哲学的」といっている人間は哲学がなんたるかがわかっていない、と本職の人(と自称する人)が書いている。

この映画を高評価している方は実際に哲学とは何かということを知っているのでしょうか?
哲学とは基本的に物事の根本や原理を検討してそれを極める学問です、つまり、「必ず」自分の意見や思考を他人がわかるように、なぜ自分はこう思うか、ということを理論的に、説得できなければいけないのです。 それが難しいために過去から今現在に引き続き、大勢の学者がそれぞれの分野で検討し続けています。
この映画は 哲学的要素は、あるとすれば全体の10%位でしょう。しかも、他人を納得させられないこじつけた自分本位のそれらしい理屈をドキュメンタリー映像やクラシック音楽で虚飾しているだけだと思います。
自分たちは哲学を専攻し、それを職としています。が、本日 仕事仲間とこの映画を観て、
これは 哲学的要素があるように錯覚させられる映画だと実感いたしました。
哲学ではなく、監督の自己満足の作品だと思います。
ちなみに 有名な哲学者のサルトルは 一切を創造する神の存在を否定しています。/socrates_sartreさん

via: ツリー・オブ・ライフ/宇宙、人生、すべての答え | 映画感想 * FRAGILE

他人に説明できない「思想」をこねくりまわしているだけの状態は「哲学」ではない、ということだ。

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しかしこうした「わけのわからない作品」というのは時代を超え常に一定の人々を引きつけるようだ。そこに「哲学的意味(それが何かは説明できないけどね)」を見出す人というのは基本的に

「哲学的な自分が大好き!」

なのだと思う。


ガラスマ(笑)

2011-08-30 07:05

昨日こんな文章を読んだ。

作る側のマインドが貧しいと、消費者に合わせるあらゆるものを揃えたと言って、迎合するようになる。携帯電話が象徴的で、いまはインタラクションの意味を履き違えて、壁紙を豊富に揃えるなどして本質を見失い、サブカルチャーの部分だけが発展している状況にある。これは日本の文化の偏った部分であり、コマーシャルとしてのデザイン活用に過ぎない。デザインとして機能していないに等しい。


ソーシャル・イノベーション・デザイン p238 深澤直人氏の項

その直後に、世界のPanasonicが作ったガラスマのサイトを見る。

壁紙デコイメージ
フィットキーイメージ

via: P-07C デザイン | スマートフォン | Panasonic

いや、わかるよ。

「消費者のニーズに答えることで、他社携帯との差別化を!」

とかなんとか企画書に書いてこれ作ったんだよね。きっと。そしてこれを見て「カワイー!」と嬌声を上げて欲しいんだよね。実際そうして買う人もいるだろうね。

消費者のニーズもちゃんと調査してるよね。ここらへんみると。

でもさ。

こういうもんつくって恥ずかしくないの?仕事だと割り切れるの?プロだねえ。

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いや、日本メーカーの発想力はすごい。以前から日本のケータイサイトを見て

「ケータイユーザはこんな下品なサイトを見ていて頭がおかしくならないのだろうか」

と思っていたが、日本メーカーがAndroidを採用した途端これだ。

やるならやるで、小悪魔アゲハくらい突き抜けて徹底してほしい、、、というのは初老男子の戯言だな。


星の王子様に学ぶ「うるさい顧客を黙らせるたった一つの方法」

2011-08-29 07:05

ほら題名を読んでいるうち「ブックマークしたい」という願望がむらむら湧いてきませんか?(うざい)

いや「たった一つの方法」とかいたものの、まだ「方法」にまで煮詰まっていないのだ。しかし何が学ぶことができると思う。

様々な事情により最近「星の王子さま」についてあれこれ調べている。おはなしの冒頭王子様はこのように言う。

じつは、あさ日がのぼるころ、ぼくは、ふしぎなかわいいこえでおこされたんだ。
「ごめんください......ヒツジの絵をかいて!」
「えっ?」
「ぼくにヒツジの絵をかいて......」

via: あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ  Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳

顧客からのリクエストがきた訳だ。それに対して主人公は3匹のひつじを書く。

なので、ぼくはかいた。

 それで、その子は絵をじっとみつめた。
「ちがう! これもう、びょうきじゃないの。もういっかい。」
 ぼくはかいてみた。
 ぼうやは、しょうがないなあというふうにわらった。
「見てよ......これ、ヒツジじゃない。オヒツジだ。ツノがあるもん......」
 ぼくはまた絵をかきなおした。
 だけど、まえのとおなじで、だめだといわれた。
「これ、よぼよぼだよ。ほしいのは長生きするヒツジ。」

via: あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ  Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳

この反応から、王子様は自分がほしい物をイメージできず、他人の提案に文句をつけることで満足する顧客であることがわかる。

現実世界でこうした顧客もしくは上司に出くわすことは多い。私が社会人になってから二人目の上司はこういう人だった。

「適当に指示を出す」

「提出された提案に"ちょっとイメージと違うな"」と怒鳴りつける。

「再提出された提案に"まだイメージと違うな"」と怒鳴りつける

時間切れになったところで「しょうがないからこれで出すか」とハンコを押す。

さて、主人公はこの「顧客」に対してどのように対処したか?

 ぼくはいってやった。
「ハコ、ね。きみのほしいヒツジはこのなか。」

via: あのときの王子くん LE PETIT PRINCE アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ  Antoine de Saint-Exupery 大久保ゆう訳

顧客は自分がほしいもののイメージを持っていない。であれば具体的な何かを提示して却下されるのではなく、

「ここにあなたのほしいものが入っていますよ」

という箱だけを出す、という方法で対処したわけだ。
言い換えれば顧客が要求していたのは

「具体的な解決策」

ではなく、

「自分がほしいものが手に入ること」

だった、、、と書いてはみるのだが、じゃあこれを実際どのように応用すればいいのかよくわからない。

いきなり「手配師」になって「消費者にアンケートをとりましょう!」と提案するのか
「社内に広くアイディアコンテストを呼びかけましょう!」とするのか。いや、これは解決策ではないような気がする。

その方法自体も箱の中にある、、とか書いたところでオチはつかんな。


島田某の引退

2011-08-26 07:27

いまどき民放の地上波をだらだら見ている人間は、、と考えている私です。つつがムシにかまれていませんでしょうか。

島田某という人が突然引退を表明したのだそうな。記者会見で何かしゃべったらしいが、まあその言葉には現首相と同じくらいの重みしかない。だからこういう書き込みを見て笑うことにしよう。

「紳助引退は何かを隠蔽しているに違いない」という論をちょくちょく見るが、少なくとも中日スポーツでは昨日の中日敗戦が隠蔽されていた。

via: Twitter / @til_til_mitil: 「紳助引退は何かを隠蔽しているに違いない」という論を ...

ネットを飛びかっている断片的な情報を見ているうち島田某が有力暴力団の偉い人とつきあいがあったことが伺えてきた。その情報を見て、ふとこの写真を思い出す。

ここからはそうした人たちの事情を知らない勝手な思い込みでかく。

この写真から伺えるのは「チンピラ」である。チンピラにとって日本有数の暴力団幹部と付き合える、というのはどんなに名誉なことだっただろうか。他人がなんといおうと、そうした価値観の中で生きている人たちにとってはそれはとても光栄なことだったのではなかろうか。

こうした

「●●と付き合えて光栄」

というのは、あくまでもその価値観を共有できる人たちの間だけでのみ意味を持つ。何を当たり前のことを言っているのかと問われるかもしれないが、長年サラリーマンをやっていると思わず微笑ましい場面に出会うこともある。

某自動車会社の関連会社である某自動車部品メーカーの部長さんが一席ぶったときのこと。自動車会社の役員から、自分たちが開発したものに対してお褒めの言葉をいただいた、と彼が述べたとき、心なしか顔が恥らいと喜びで赤らんだようにみえた。いい年をした部長さんがみせたその表情は未だに心にのこっている。ああ、この会社の人にとっては自動車会社の役員様からお褒めの言葉をいただくことが、なにより貴重なことなのだな、と。

ーーーー
その価値観の中で「えらい」とみなされる人との出会いに喜びを感じること自体は何も悪くない。その価値観を共有しない人にとっては、そうした「喜び」は「滑稽」と映るかもしれない、ということさえ認識していれば。自分の姿が滑稽と見えるかもしれない、と認識し、それを笑い飛ばすことができるというのは、G.M.ワインバーグがとくところの大人の条件であるが、これが条件として明記されているのは、それが出来る人が少ないからでもある。


ios v.s. Android

2011-08-25 08:05

というわけで性懲りも無く「Androidというプラットフォームは存在していない(少なくとも今は)」論である。

完全に雑談です。急激にスマートフォンへの乗り換えが進んでいる現在、こういったことも実際に起きているようです。「アプリって何?」というユーザーがどれほどいるのでしょうか......。

via: スマートフォン初心者の心理を知る - 開発の現場から--- Android Developer Lounge:ITpro

昨日こんな記事を見つけた。



Facebookが、次世代ウェブの表示言語として注目を集めるHTML5をベースにしたウェブアプリ(見た目は専用アプリと変わらないが、データはすべてネット上にあるブラウザーベースのサービス一種)やゲームのプラットフォームの開発計画を進めているという情報が飛び交っている。「プロジェクトスパルタン」と呼ばれる開発計画で、どうやらiPhoneのブラウザー「モバイルSafari」を使ってFacebookのサイトにアクセスすれば、その上でHTML5ベースのウェブアプリやゲームが利用できるようになるもようだ。


via: Appleを脅かすFacebookの「プロジェクト・スパルタン」とは【湯川】 : TechWave

これで、iOS上のApp Storeが大打撃、かと思ったらそうではない、という意見も。

さてプロジェクト・スパルタンが実現すると本当にAppleに打撃を与えるのだろうか。HTML5のソーシャルゲームのフレームワークを提供する米MoblYng社のStewart Putney氏がReadWriteMobileに語ったところによると、先に打撃を受けるのはGoogleのAndroidマーケットのほうだという。OSはGoogle、ハードウエアはメーカ各社が設計するためにハードとソフトの連携がiPhoneやiOSのようにうまくいかず、ダウンロード型アプリであっても質的にウェブアプリとそう変わらない状況。なのでFacebookのアプリ市場がAndroidマーケットをすぐに追い抜くだろうとしている。

via: Appleを脅かすFacebookの「プロジェクト・スパルタン」とは【湯川】 : TechWave

こうした話は初めて聞いた。純粋に開発環境として見たときのiOSとAndroidの比較論はあるが、それが現実のハードの上でどう動いているのか、という情報はなかなか出てこない。先日引用した

また、iPhoneに比べてAndroidアプリが「セールスで苦戦している」(岩崎氏)のも課題だ。注文比率は現状でiPhoneの10分の1程度で、「伸びてはいるが、iPhoneのように突き抜けてくような快感がない」という。

via: 「本当に来ちゃった」――売上5億のピザ注文アプリ、ヒットの裏に「ワオ体験」 - ITmedia プロフェッショナル モバイル

であるが、関連しそうな記事を見つけた。

Forrester Researchでは、ほとんどの西側マーケットでAppleがリードしている主な理由としてソフトウェアベースのエコシステムを挙げた。AndroidとほかのOSは開発者により多くのインセンティブを提供しなければならず、よりきれいにコンテンツを調整しなければならない。HoneycombベースのタブレットでAndroidマーケットを確認すると、アプリケーションのほとんどはAndroid 2系向けに調整されていることが分かるだろう。AndroidマーケットではHoneycombベースのデバイス向けに最適化されたか、もしくは作成されたアプリを探すためのオプションすら存在しない。特にタブレットを念頭に置いてデザインされたコンテンツを見つけるのも非常に難しい。一方、Appleのシステムは携帯電話およびタブレット向けアプリケーションを完全に区別している。

 最高のゲーム会社がAndroidでゲームを発表しない理由の1つは、タブレットの画面サイズがさまざまだからだ。iPadあるいはiPad 2向けにゲームをデザインすれば1つの画面サイズを扱うことになり、そしてAppleのタブレットのほとんどの機能は同じだ。反対にAndroidタブレットの画面サイズは5型から11型で、すべてのゲームあるいはアプリはそれぞれで正しく表示されるようにカスタマイズされなければならない。大企業であれば、どのタブレット向けに開発するだろうか。1つの画面サイズ向けか、あるいは多くの画面サイズ向けだろうか?

via: Androidベースのタブレット、iPadとの競争で欧州とアジアに目を向ける - 電子書籍情報が満載! eBook USER

「Androidはオープンだから勝つんだよ!」と無邪気に言い切ることが出来る人はうらやましいが、現実はそれより複雑な気がする。

そもそもGoogleは何の企業であり、彼らが儲けるのはどうやってなのか、をよく考える必要がある。Googleは自分たちのWebサービスを使ってもらい、トラフィックを集めることに関心があり、そこで儲けてもいる。そのための手段としてAndroid Applicationはあまり重要とは考えていないのではないか。Androidマーケットの放置具合がそれを示しているように思う。

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再度主張したい。Androidは便利は無料OSとして使われているのであり、プラットフォームとして普及しているのではない。その証拠はAndroid Tabletに誰も関心を持たないことだ。

当初の想定では、各社が多様なタブレット端末を投入し、競争が激化するはずだった。その先例とみなされたスマートフォン「iPhone」の場合、アップルを追って多数のメーカーが参入し、市場の一角をものにしている。

しかし別の筋書きもあり得る。タブレット市場は結局のところ存在せず、現在もこれからもiPad単独の市場に終わるという筋書きだ。

via: CNN.co.jp:iPad以外のタブレット端末は市場で生き残れるのか? - (1/2)

垂直統合が水平統合でオープンななんちゃら、とかいう聞きあきた議論が正しいとすれば今頃AndoridタブレットはiPadよりはるかに安く、多様性を持ち市場シェアを伸ばしていなければならない。

とかなんとか一チンピラが言っている間にもっと早く動いているのがこの業界というものらしい。その速さ、周りにかける迷惑を顧みない割り切り、というのは伝統的な日本企業とは全然別のところにあるのがおもしろい。


正しい問いをたてること

2011-08-24 06:32

先日こんな文章を見つけた。

「おもしろい!」と思わせる研究計画書

・先行研究が丁寧にレビューしてあること
・先行研究の問題点を端的に指摘できていること
・問題を解決するための「新しい」アイデアが述べられていること
・「新しい」アイデアに応用可能性や広がりがあること

「できるかも.」と納得させる研究計画書

・研究の方法が詳しく書かれていること
・スケジュールがきちんと立てられているこ

(以下省略)

via: ylab 山内研究室::Blog

これを読んで何かがたりない、と思った。つれつれとめくっていくうちに以前読んだこの文章につきあたる。

「プレゼンのカギは、解決法でなく問題点を語れ。

「たっだそれだけ、それが全てだ。初めは問題点を教えろ、解決法はいらない。最初に解決法を並べたら、私はそれが何を解決するのか分からないだろう?だが、君らが僕を感情的にその問題点に引きつけることができたなら、あるいは、幸運なことに僕や知人が同じような問題を抱えていたなら、君たちはようやく自分たちの解決方法を話すチャンスを得たことになる。」

via: 俺の興味をひきつけられるのはお前の解決案じゃない! | Startup Weekend Tokyo

この文章を比較するとよくわかる。最初に引用した文章には

「問題の定義」

がまるで欠けている。あたかも問題点は既に存在していることは前提として与えられているようだ。スタート時点は「定義として与えら得た問題に対しての先行研究のレビュー」から始まっている。

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などとつらつら考えていると、このTwittter上での発言を思い出す。

ロボコンがアイディア対決と称すも「問題解決能力」を求めている限り,それが研究になることは難しいよね.自ら問題を設定する能力が重要

via: Twitter / @drinami: @Yuta_Sugiura ロボコンがアイディア対決 ...

という指摘を読み、私があの「青少年たちが競う姿」に感じていた違和感の正体がわかったようなきがした。「問題」はあらかじめ主催者から定義として与えられている。参加者が取り組むのは「それをどうやって実現するか」という「問題解決」なのだ。

企業が「真に」求めているのはそういう人材だ、ということはあまり大きな声では言えないが真実である。「そもそもこんな問題に何の意味があるのか」などと問う人間は大企業では長く生きられない。

この「問題定義」の重要性というのは、なかなか認識してもらえないようである。最近呼んでいる「ブルー・オーシャン戦略」なんてのは、まさに

「問題を再定義することで、新たな市場を切り開く」

事だと思うのだが、それよりも残業たくさんしてRed Oceanで勝者のない消耗戦をするほうが企業じゃあ評価されるからねえ。

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とうわけで本日はここで投げ出す。「問題定義の重要性」についてはまた書くことがあるかもしれない。(もし書くにたる何かを思いつけば)


閉じた価値観に生きる人は、内側にめっぽう強い

2011-08-23 07:09

いきなり何を言い出したかといえば

戦没者というと、敵軍の攻撃によって死んだ人というイメージがあるだろう。しかし第二次世界大戦において、日本の戦没者の半分は餓死や病死だったというのは意外と知られてない様だが、もっと知られてもいいのではないか。当然、そんな戦争は歴史的に珍しい。

※補足。病死が多い戦争は多いという指摘はあったが、餓死者が多い戦争は珍しい

via: 第二次世界大戦の日本の戦没者の半分は餓死や病死だった - ARTIFACT@ハテナ系

つまり帝国陸軍は鬼畜米英を「退治」するよりも自軍兵士を「やっつける」ほうが得意だったというわけだ。

某文書であれこれ書いたことだが、これは閉じた価値観の世界に住む人の特質でもある。現実から遊離しているから、文化を共有しない集団に対してはめっぽう弱い。しかし文化を共有する相手には無茶苦茶強い。その結果がこの「戦没者の死因の比率」なのだろう。

なーんとなくだけど、先日書いた「良い研究=良い論文掲載者」と言い切るメンタリティもこれと同じ線上にあるような気がする。そう言い切る人も、アカデミックな階層の中(日本だったら省庁の出費の元で生きること)ではめっぽう強く、他の部分ではそれほどでもなかったりするのかな、とか。いや実際にそういう人に会ったことはないから想像なのだけどね。


負の連鎖の恐怖

2011-08-22 06:39

こうした問題についてはかなり慎重に考えるべきであると思う。したがって現時点では気になった二つの文章を引用しておくことにする。

ベストセラーとなった Freakonomics(日本語訳『ヤバい経済学』)において、経済学者のスティーヴン・レヴィットと共著者スティーヴン(ステファン)・ダブナーは、ニューヨークの犯罪が減少したのはすべて割れ窓理論のおかげである、とする考えに疑問を投げかけ、その根拠として、

事をあげている。 代わりに彼は、1990年代に入る数年前に、中絶が合法化されたことに注意をうながした。子供を育てる能力が最も低い女性達(貧困層、麻薬中毒患者、生活不安定な)は中絶を選べるようになり、それによって崩壊家庭で生まれる子供の数が減少しつづけた。ニューヨークで起きる犯罪のほとんどは16歳から24歳の男性によって行われている。したがって、この若年人口の減少によって、犯罪発生率の減少が結果として起きたのである。

via: 割れ窓理論 - Wikipedia

結果、親子3代、殆ど働きもせずカウンシルフラットに住み続けている、という話は、もはやイギリスでは珍しいものではなくなっている。このような状況で子供未来希望を見いだせないのは当然のことだ。少なくとも彼らには、サッカーの才能に恵まれてプレミアリーグに行くくらいしか、この生活を抜け出る手段がないように見えるのではないか。これでは、リオデジャネイロの山肌に広がるスラム子供サッカー以外の未来がないのと大して変わらない(実際には、カウンシルフラット生まれでも頑張って勉強して、奨学金博士号まで取る人もいる。そのための制度組織もある。ブラジルスラムに比べれば、カウンシルフラット子供達は圧倒的に恵まれているという点は強調しておきたい)。このような状況で鬱屈しないでいられるのは、よほど心の強い人間だけだろう。

今回暴動ワイン1本を盗んで歓声をあげ、昨日裁判所で有罪を宣告された子供達は、多くがこういう鬱屈と共に生きているのだと思う。

via: イギリス暴動の裏にある鬱屈と絶望について

この二つの文章から伝わってくるのは、世代をついで受け継がれる負の連鎖がもたらす影響だ。

これが妥当な意見なのかそうでないのかはもう少し調べてみないとわからない。


垂直統合から水平統合への移行(笑)

2011-08-16 07:20

NokiaとMicrosoftがくっついたあたりから(実質的にはそういうことだ)疑問符が付き始めた標題の「命題」だが、いよいよ怪しくなってきた。

GoogleがMotorolaのMobile部門を買収したのだ。

もちろんこの動きを「目的はMotorolaが保有する特許のみ」と考えることもできる。たとえば2chのこの書き込みのように。

直接端末製造に乗り出すんじゃなくて、大量の特許侵害でおなじみの
AndroidのメーカーがMSなりAppleなりに訴えられたときに、反訴用の
特許を貸し出すだけの目的だと思う

その場合、もちろん特許以外のものは全て売却、従業員は全部解雇

via: Googleがモトローラを約125億ドルで買収

しかしまあそれじゃおもしろくないから、別のシナリオを考えてみよう。

言葉遣いはいろいろあるが、Androidに関しては以下に引用する意見が大多数だったと思う。

水平分業のAndroid搭載デバイス、進化と競争が持ち味

水平分業モデルは市場の成長と技術の進化を促す。Android搭載デバイスは、多様性を増しつつある。複数のメーカー、ソフトウエア・ベンダー、通信事業者が、それぞれ得意分野にフォーカスして付加価値を生み出そうとしている。Androidのエコシステムには、あちこちに大きな隙間が空いている。どのようにしてAndroidエコシステムに「食い込むか」が各社の課題だ。

GoogleはAndroidのエコシステムで大きな影響力を持ってはいるが、その支配力は限定的である。具体的には、以下のようになる。

via: 垂直統合のiOSと、水平分業のAndroid──エコシステムの「隙間」の違いを考える - Publickey

「多様性=競争=良いこと」という単純な図式を信奉していた人は多かろう。しかし現実を見ればその図式に疑問符が付き始めていたのも確かだ。

私はAndroidはプラットフォームではなく、OSだと主張している。実際AndroidはOSとして普及しているが、その上のエコシステムは存在しない。(ゴミアプリの山をエコシステムというのは自由だが)あまりにも分断化が進んでいるからだ。アプリをインストールしたとして、それが自分の機種、OSで動くかどうかは神のみぞ知るところである。

最初に挙げたシナリオを捨てた場合、この買収は現状のAndroidビジネスが期待ほどうまくいっていないことに業を煮やしたGoogleが決断した

「Androidプラットフォームを構築するため、携帯ハードウェアビジネスを焦土化する動き」

と見るのが適当だと思う。

それにしても、はしごを外された形になったのはAndroidを採用した他のスマートフォン・メーカー。全く異なるビジネスモデルを持つGoogleは、これで文字通り「破壊的な価格」で携帯電話を販売することが十分に可能になったわけで、これでAndroidスマートフォン・ビジネスは「デバイス単体では利益が出せないビジネス」になることはほぼ確実である。

via: Life is beautiful

Googleのコアビジネスは、あくまでもGoogleのサービスを利用させることにある。ハードウェアは利益を出さなくてもいいのだ。そして今やGoogleはその手段を手に入れた。Motorolaを使い、利益0で携帯電話のハードウェアを配れば良い。Android OSを使い、ハードウェアを作ることで利益をだそうとしていた他のメーカーは全て破綻である。

Googleにしてみれば、これでようやくAndroidの分断化という問題を解決することができる。正しいのはMotorola製の端末。これさえ買えばAndroidアプリはちゃんと動きます。他の機種でどうなろうと知ったことじゃありません。

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さて、次の疑問は

「はたしてGoogla(Google+Motorola)は消費者にとって魅力ある製品をつくることができるか?」

である。

いつも未来は予想を裏切る。だから将来に対して確たることを言うのははばかられる。しかし今までの両社の歴史を見れば

「そんなことは起こりそうにない」

という結論が簡単に導かれる。MotorolaもGoogleも他の部門はともかく、消費者の目から見た時にはゴミの山しかつくることができないのだ。製品としての魅力は別として、Appleに匹敵するほど安くハードウェアを作ることができるか?これにも疑問符がつく。

もうひとつの懸念は、Googleの没落だ。

Additionally, Google just added 19,000 new employees. 19,000! Google itself only has 29,000. Google just increased the size of itself by 60%--in a company in which culture is crucial. Does Google really have the management in place to manage that?

via: THE TRUTH ABOUT THE GOOGLE-MOTOROLA DEAL: It Could End Up Being A Disaster

Motorolaはその「素晴らしい企業文化」でも有名である。その文化をもった社員を19,000人も雇用することになる。対してGoogleの社員数は29,000。Googlaの社員のうち40%はMotorola文化を持った人間ということになる。はたして

「混ぜ物で薄まったGoogle」

はこれまでと同じようにGoogle文化を守り、発展していくことはできるだろうか?

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という考察を経て「明るい将来像」を描いてみよう。

iPhoneはSteve Jobsの引退(どんな形にせよ)をのり超え、携帯電話のBMWとしての地位を確固たるものとする。しかしもちろん市場を100%支配することなどありえない。低価格帯にはGoogla製造のAndroid端末が存在していて、台数のシェアでいけばそちらの方が高い。

誰ひとりとしてGoogla端末がほしいとは思っていない。しかしそれしか買えない人のほうが多いのだ。

いや、もっと低価格帯には、Feature Phoneのメーカーがひしめき合っている。AppleとGooglaを除いた全てのメーカーは今やここで血みどろの競争(というより足のひっぱりあい)をしている。一時は、Android採用でスマートフォンビジネスが花開く夢をみることができたのに、担当者はぼそぼそとつぶやく。

いや、忘れちゃいけないのがWIndows Mobile.Microsoftは鐘や太鼓で宣伝を続ける。Bingが使えます!Xboxと連動です!今やMicrosoftの一部分になったNokiaは大量に端末を売ろうとするが、Windowsマークのついたハードゥエアに誰も見向きもしない。。
(最後は個人的感情がはいってます)
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というわけで、私の意見はこの記事と同じだ。

Bottom line, a bold move by Google. But one that raises a lot more questions and challenges than answers. And one that could end up being a major disaster.

via: THE TRUTH ABOUT THE GOOGLE-MOTOROLA DEAL: It Could End Up Being A Disaster

私は携帯電話持ってないから、全部「他人ごと」なんだけどね。


アカデミックな世界の人の階層構造

2011-08-15 07:00

研究ということに関わるようになってから、アカデミックな世界で生きている人と話をすることが増えた。

大学の先生のTweetとかなにやらを見ていると、その激務ぶりに驚くことが多い。考えて見れば「試験」というのは、学生にとっては何時間か座って回答を書くだけのものだったけど、そのためには、試験問題を作り、採点をし、文句をいう学生に対応する、という仕事が必要なのだよね。

世の中にはいろいろな世界があり、その世界の中では「価値あるもの」が独自に設定されている。でもって皆それを多少なりとも意識して努力するわけである。会社だったら上司のご機嫌とか営業成績とかそういうもの。アカデミックな世界では「国際会議に論文を通すこと」と「科研費をとること」が大きな「価値あるもの」に含まれるようだ。それでもってその「価値があるものの判断」は誰がするのか、といえば同業の大御所なのだそうな。

アカデミックな人たちの努力と成果に敬意を払いつつも、私はここに「とじた価値観の世界」を見ざるを得ない。結局のところ同じ業界で生きる人達が、大御所と新人にわかれ、前者か後者を評価しているだけなのだ。もちろんこのシステムで何十年も何百年もやってきたということなのだろうが。先日こんな文章を見つけた。

  • プロの研究者として、一流の研究をしたら出口として一流の論文を出版しない努力しないのはあり得ない。@peinture: 研究のモチベーションについて.一流雑誌に載るくらい良い研究をする≠一流雑誌に載せる.@ProfMatsuoka 先生のツイートを見ているとこれらを混同されている
    (中略)
    なので、一流の研究をする事と、それが一流雑誌や会議でいつか出版される事は基本的には同値。というか、研究職は良い職業だし、人類の進歩にとって大変重要だけど、そのような職業は幾らでも他にある。特に研究職が高貴な訳ではない。プロ野球と何ら変わらない。その中で評価システムがある。
  • via: Togetter - 「良い研究者≠良い論文掲載者?」

    一流の研究=一流の雑誌や会議で出版されること、と言い切る清々しさには憧れの念を抱く。こう言い切れるのは、アカデミックな世界の価値観が、その内部で閉じているからだと思う。一流の研究が何かを定義する人と、一流の雑誌に何を出版するか決める人は同一人物なのだ。

    こうした閉じた価値観を持つ世界というのは大変強固である。その中で暮らしている限りその価値観からは逃れようがない。しかし欠点もある。全てが自己完結しているため、周囲の環境から隔絶していく危険性があることだ。もちろん自己完結した組織だから組織の内部では何の問題もおこらない。周囲との隔絶がある程度以上大きくなった時点で急激に崩壊するまでは。

    さて、先程の引用先を見るとこんな言葉もでてくる。

    無論「結果」は論文数だけではない。プロ野球で幾つも記録があるのと一緒だ。前にもつぶやいたように、むしろ論文参照数のほうが大事だ。投手の記録として勝利数より防御率が重視されるのに似ている。もっとも時間がかかるのが玉にきずだが。その点一流雑誌掲載は参照数向上に役立つ。

    via: Togetter - 「良い研究者≠良い論文掲載者?」

    ただ一流会議に論文を通すのではさすがに強引だと思ったのか今度は「論文参照数」を出してきた。この論文参照数というやつも、私からみれば、所詮は論文を書くことで生業を立てている「閉じた価値観を持った世界」の中での出来事にすぎない。別の文章を引用する。

    学術的研究はその学問上の波及性によって評価され,尺度として論文の被引用回数が用いられる.ISI社の"Web of Science"データベース(学術誌インパクトファクターの元データ)によれば,上記の論文のうち国際誌論文の被引用回数は計75件である.これは日本人によるロボット関連論文の中でもかなり上位に属する.また,このことからもわかるように日本をはじめ米国,イタリア,韓国等から多くの後発研究者が出現している.研究課題としてもさらに広範なunderactuated system,非ホロノミック系の研究として発展し,新たな研究分野の成立を導いた.

     中略 

     一方で実用的技術としては,研究開始後10年以上経過するにも関わらず,後発研究・派生研究を含めて未だに実用化実績が皆無であり,実用上の価値はゼロと考えてよいだろう.根本的な失敗原因は,前提となる技術の目的がそもそもフィクションだったことにあると思われる.

    via: 学術的ロボット研究の問題点について

    アカデミックな「閉じた世界」では大成功だったら論文は、実用的技術としては何の役にもたたなかったという例である。最初に引用したTweetの作者から見れば、この研究は疑いもなく「一流の研究」ということになるだろう。その実用的価値が0だったとしても。

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    と長がな書いてきてお前は何を言いたいんだ。アカデミックな世界で生きている人に喧嘩を売りたいのか?と問わればもちろんNoと答える。アカデミックな世界にいきている人だろうが、営利企業に生きている人だろうが、立派な人は立派だし、そうでない人はそうでない人だ。というか営利企業にもこうした「閉じた価値観」はそこかしこに存在する。そして「閉じた価値観」を外から見るとどこか滑稽だというのも共通することだ。立派な人はその「外からみた滑稽さ」を自覚しつつその世界でちゃんと外からも理解できる成果を上げていく。「そうでない人」は閉じた価値観の中だけでご機嫌に生きていく。

    言いたいのはそんなことじゃなくて、昨日見つけたこの画像

    sci.jpg

    学部学生・院生・ポスドク・講師/教授・技官から見た学部学生・院生・ポスドク・講師/教授・技官のイメージというやつだ。これを見ていって自分が一番共感を覚えたのは技官だった。自分の認識イメージはこんなハンサムじゃないけどね。


    Facebook@Japanはキャズムを超えた(私の中では)

    2011-08-12 06:55

    ここひと月の間に、2回興味深い出会いがあった。Facebook上で旧友とコンタクトできたのだ。一人は中学3年の同級生。おそらくそれ以来会っていない。もう一人はおそらく20年ほど前出会った人だ。

    実名制とか匿名性とかあれこれ議論はあるが、こういう出会があるとき、実名はいいなあと思う。女性は旧姓も(ある場合には)書いておいてくれると検索にひっかかりやすいかもしれん。ふたりともIT業界とは縁遠いところに住んでいる人だ。そういう人がFacebookを使うようになったのだあとしばし感慨にふける。

    最近Google+も始めた。こちらはまだ2人しか知り合いがいない。考えて見ればFacebookも最初はこんなだった。今後どうなるかは神のみぞ知る処である。自分の中でどう使い分けるかもよくわかっていないし。少なくともGoogle+は奥様に見つかっていないし、見つかったとしてもサークル機能があるので家庭の愚痴はそちらに書くだろうけど。

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    もうひとつのメジャーSNS Twitterであるが、こちらはROMモードに移行中。学会の時にはチャットシステムとして使うが情報の発信には使わないし、フォローする相手もどんどん減らしている。

    2chでは「バカ発見器」と称されるメディアだが、実際そのとおりだ。自分の飲酒運転を平気で公言する人間の多さにも呆れるが、脊髄反射的な底の浅い言葉を聞いていると気が滅入ってくる。

    先日「Twitterでやたらと人の行動をつぶやくことについて」疑問(というより抗議)を呈した人がいた。それに対して

    むしろ、デジタルネイティブを相手にしているのであればツイーととかで自分の居所、行動が筒抜けになるというのが前提で行動すべきでは?

    via: はてなブックマーク - ソーシャルメディアでつぶやく前に注意したいこと・・・ | IDEA*IDEA

    と答えた人がおり、それなりに多くの賛同者を集めているようだ。
    年寄りになると分かることだが、後で振り返ると恥ずかしいバズワードでレッテル貼りをし、それを自分の愚かさの言い訳に使う人はいつの世の中にも存在する。10年ちょっと前は「ニューエコノミー(笑)」だったし、その前にも気恥ずかしい言葉はいくつもあったのだろう。白黒映画をみるとよくでてくる。

    同じくコメントしてあげられている

    口が軽いやつは嫌われるね。

    via: はてなブックマーク - ソーシャルメディアでつぶやく前に注意したいこと・・・ | IDEA*IDEA

    というのは人間社会で普遍的な真理だ。「デジタルネイティブ(笑)」だろうがなんだろうが同じこと。


    直感と経験

    2011-08-11 06:35

    というわけでやおらこんなことを言い出す。

    7月14日付けの『Science』誌」に掲載された論文によると、新しく学んだ事実をコンピューターに記録した場合、その事実を思い出す確率が下がるという。つまり、オンラインでいつでも便利に入手できると思えば、それについて学んで記憶する意欲が下がるのだ。

    中略

    「われわれは実生活で、ほかの人たちの記憶を利用しているが、この現象はそれに似ている。インターネットは、実際には、たくさんの他者へのインターフェースなのだ」とスパロウ氏は言う。

    via: 「Google」は人の記憶能力を低下させるか « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

    というわけで、何でもGoogle先生にお伺いを立てれば宣託が得られる、と思うようになっているのだそうな。この話を聴くたび私はこんな光景を頭に思い浮かべる。山の中にある小さな村。そこで何を聞いても

    「あーそのことなら村の長老に聞いてくれ。長老は何でも知ってる」

    と答える素朴な村人たち。我々の姿はそれに近い、、のかもしれない。

    さて、「Googleを使えば記憶などする必要がない。その分を別のことに使おう」という主張も時々見かける。「別のこと」が何なのか、記憶することに労力を使うと他の何が犠牲になるかなど、関連する研究ネタは多いような気はするが、気にしない。

    私が最近考えているのは

    「知識や思考が外在化している状態と内在化している状態の差異」

    である。つまり「何でも必要なときに検索すればいい」と頭の中に知識が存在している状態は果たして等価なのか、そうでないとすれば何が違うのか、ということである。

    先日こんな文章を読んだ。

    直感とは、自分の中に潜在する様々な要素が何らかの拍子にぶつかりあって瞬間的に誕生する化学変化のようなものだと思う。交差するものがない空っぽの空間では化学変化は起こりえない。「あっ、そうだ!」と膝をぽんと打つこともないだろう。少なくとも二つのものを包含して初めて接触があり、もっと多くのものを持っていれば、その頻度は高くなる。 ただ直感というのは、図書館などで学習して得られるものとは趣を異にしている。活字だけで得たものでは、なかなか膝をうてない。そう考えれば、この世の中に、しなくてもいい、とるに足らない経験などというものはほとんどないのではなかろうか。その時どんなにつまらなく思われる経験でも、あるいは批判精神であってもあとになってそれが一瞬のひらめきを生み出す大切なキッカケになるかもしれないのだから。もちろん、心弾むような有意義な経験なら言うにおよばずである。 そしてひらめきや直感は、えてして本人も気づかぬような哲学を内包することがあるようだ。経験の引き出しや批判精神を数多く持っているほど、直感はより正しく、より素晴らしいものとなる。そうなると後付はやさしい。自分の引き出しを探って、直感が生まれでたプロセスや背景をスローモーションのように素直にたどればよいのだから。

    p58-59
    松永真 デザインの話

    こうした「直感」がひらめく瞬間、というのは外部に情報をおいておくだけでは現れない、、のではないかと思う。そもそもこの「直感」というのはなかなか科学的方法論に乗りづらいものではなかろうか。

    以前書いたような気もするのだが、例えば

    「人類の1%に一生に1回だけ未来を予知する能力が発生する」

    という事象が本当に存在したとしよう。しかしそれを検証することは現実問題として不可能だと思う。定常宇宙論が

    「なんにもないとこから物質が生まれるわけないだろう」

    という方向から否定されなかったのも同じような理由ではなかろうか、と勝手に想像している。

    であるから、科学的な検証にはあまり期待できないのだが、松永氏が述べているように、多くの経験、知識と直感のひらめきには相関関係がある、と主張してみよう。付け加えるとすればそれに加えて

    「対象となる問題に、没頭した後"ちょっと浮かす"」

    ことが必要だと思うのだ。「もう駄目だ。帰ろう」とPCの電源を落とした瞬間とか、駐車場で車の扉を開けた瞬間に

    「あ、バグの原因わかった」」

    という経験を持つ人は多かろう。欧米流に言うと

    「シャワーを浴びているときにアイディアがひらめくことが多い」

    ということになるのだろうか。


    MacでWISS2011に投稿する論文を書く一つの方法

    2011-08-10 07:07

    Texという便利なものがあるのを知ったのは、WISSに投稿するようになってからである。確か昔はWordのフォーマットがあったやに記憶しているが、どこかの時点でTexが必須になった。

    さて、これまでは会社のWindowsマシンであれこれやっていたのだが、様々な理由により今年からMac上で論文を書く必要がある。MacでTexってどうやるの。もちろんGoogle先生にお伺いを立てれば情報はたくさんでてくるのだが、たくさんありすぎてわからん、という私のような人もいるかもしれん。というわけで「私が使っている方法及びアプリケーション」を以下に列挙する。

    基本的にはMacで簡単TeX導入 - TeXShopの内容に従う。しかしそのまま論文募集ページにあるフォーマットをコンパイルしようとしてもエラーになる。


    問題はwiss.orgにあるフォーマットの文字コードがShift-JISになっていることにある。とうわけで、TexShopの設定をShift-JISに変更。さあこれで出来たぞ、と思うと参考文献がエラーになる。どうもBibtexがひっかかっているようだ。日本語の文献を消すとエラーが消える。

    というわけで、sample.texとsample.bibを両方共エディタなどで開き、文字コードをUTF-8に変換する。その後TexShopの設定をUTF-8にしてコンパイルすると、あら不思議。ちゃんとPDFが作成されました。

    もちろんShift-JISでちゃんとコンパイルする方法もあるのだろうけどとにかくこの方法でやれば、論文を作成することができる。さあみんなでWISSに投稿しましょう。採択されれば(今年は去年より厳しくなりそうな予感がするが)発表できるだけでなく、おそらく参加者の議論の対象になり、記憶に残り、と他の学会とは異なる価値ある経験ができるはず。

    運悪く採択されなかったとしても、まあそれはそれ。WISSの査読方針は、きちんと示されているのでそれと合致しなかった、とそれだけのこと。世の中に発表の機会というのはいくつもあります。きっと不採択論文と波長が合う場所もどこかに存在しているはずです(このように心の準備をしておけば、何事にも耐えられるに違いない、、と思うわけです)

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    しかしなんだね。このTexというのは、WYSIWYGとは全くかけ離れたところに存在しているが、それでもきちんと使われ続けている。

    この「ソースをコンパイルしてアウトプットにする」という方法は、プレゼン資料に対しても正しいやり方だと思うのだが、なぜか普及しない。どうしてでしょう。例えばプレゼン資料での「用語不統一」なんてのは、そもそも用語を変数にしておいて定義するようにすれば絶対発生しないと思うのだけど。


    イノベーションのジレンマ(笑)の続き

    2011-08-09 06:50

    というわけで、我流「イノベーションのジレンマ(笑)=イノベーションを提案しろと言いながら、提案を無視する」の続き。(本家「イノベーションのジレンマ」と区別するため、後ろに(笑)をつけることにした)先日こんな文章を見つけた。

    この提案は従来のものとあまりにかけ離れたものであるため、同意を得るのに時間を要した。 「前例がない」ということに組織はいつでも弱腰である。しかし、一方では差別化を要求する。これは大いなる矛盾ではないか。我々にとって何ら説得力のない反論が続いた。もちろん、私はひかなかった。最後には「片手でもてない」という苦しい意見も飛び出したが、こちらも感情的になって「両手で大切に持てばよいではないか」と一蹴した。 お店で目立てば確かに一度は買ってもらえるかもしれないが、それは致命的な一度になる。そのパッケージが気に食わないとなれば、消費者は二度と買ってくれないのだ。なぜそこに思いがいかないのだろうか。

    p297
    松永真 デザインの話

    この話で笑うところは「片手でもてない」である。
    既存のルールを順守することを生命線としている人たちにとって、そのルールを脅かすものは常に脅威である。しかしそのルールの意味を問うことのない人達だから、なぜそれが脅威か、なぜ既存のルールを遵守しなくてはならないのか説明ができない。

    そういう人たちは「頭がいい」ことが多いので即興で独創的な理由を作り出す。

    「片手でもてない」

    に類する笑える「理由」を何度も聞いたことがある。以前にも引用したことだが

    実験のビデオで本当に明白になったことは、被験者たちは理由を言うということです。ある理由が成り立たなくなると、別の理由を持ち出します。新たに出した理由が成り立たなくなると、また別の理由を持ち出します。そして、ポケットの中を探しても持ち出せる理由がなくなったら、"倫理ダムファウンディング"の状態になります。被験者たちは理由が見つかると思っていたのですが、理由が見つからないことに驚くのです。そしでビデオの幾つかでは、被験者は笑っています。それはおかしくて笑っているのではありません。当惑・困惑の笑いです。そして、「倫理的に悪いとわかっていること」について、悪いことを証明する理由がないという認知状態になります。それで、被験者たちは何が悪いかについての考え方を変えるのではなく、「わかりません。説明できません。でも、それは悪いことです」と言うのです。こういう状態があるということは、被験者が信条を信条として持っていて、それを支持・正当化する理由を持つ必要がないことを示唆しています。言い換えるなら、「何かが悪いと知っていること」と「その理由」は全く別のプロセスなのです。

    via: 忘却からの帰還: 善悪判断とその理由付けは全く別

    会社で出世した人たちは「既存のルールを変更することは、悪いことである」ことをよく知っている。しかしその理由について問われると、

    「片手でもてないから」

    のような思いつきを並べるしかないのだ。

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    最初に引用した「画期的なデザイン」は笑えるような手段でその目的を達成することになる。しかしその話はそこで終わらず、かなり苦い結末が付いている。

    しかしそれは松永氏のようなデザインの大御所であるから成し遂げられたことだ、という思いも残る。仮にAGFの社内デザイナーが同じものを提案したとしても

    「片手でもてない」

    と簡単に却下されたに違いないのだ。
    となるとイノベーションを起こすのに必要なものはなんなのだろうか。日本で飛行機械をつくろうとした二宮忠八は、

    「飛行機を独力で作る資金、それに話を聞いてもらえる地位を得よう」

    としたとかなんとか飛行神社で読んだ気がするが。


    なぜ「イノベーションを出せ」といい、イノベーションを無視するのか

    2011-08-08 07:00

    さて、お役所的な集団において上司が

    「新しいアイディアをどんどんだしてくれ」

    とかそれに類する言葉を言ったとしよう。かつての私のような人間が

    「じゃあ」

    ということでたくさん新しいアイディアをだす。するとあーだこーだと理由をつけてすべてボツとなる。

    その現象自体は何度も観察してきたのだが、その背後にある理由がよくわからなかった。昨日、、、を使っていてだいぶ前にこんな文章を読んでいたことに気がついた。

    そもそも、競争というのはなんらかのルールに従って勝敗を競うこと。

    コレに対してイノベーションは既存のルールを超えるところから始まります競争の外部や、外部に向かう動きの中から生まれるのです。

    via: 2007-07-28 - 赤の女王とお茶を

    お役所、ないしはお役所的企業というのは、既存のルールを守ることを生命線にしている集団である。そのルールが意味するところとか、作られた経緯はとにかくルールを順守することが第一。

    でもって

    イノベーションというのは、定義によって「ルールを超える」ところにあるものだ、というわけだ。であればどんな「イノベーションの提案」をだしたところで却下されるのは当たり前というわけだ。そもそもの定義が相容れないのだから。そういった組織で許容されるのは「競争」であり「イノベーション」は断固排除すべきもの、というわけだ。

    であるからしてそうした団体で

    「イノベーションを起こせ」

    などというのは、まあ定期的に起こる発作のようなもので、静かに経過を観察していればそのうち収まる、、と今頃そうした悟りを開いても遅いのだが。


    幻の「ひみつ工業」

    2011-08-05 06:31

    というわけで元三菱重工社員としては関心をもたずにはいられないニュースが流れた。

    日立製作所三菱重工業は経営統合へ向け協議を始めることで基本合意した。2013年春に新会社を設立、両社の主力である社会インフラ事業などを統合する。原子力などの発電プラントから鉄道システム、産業機械、IT(情報技術)までを網羅する世界最大規模の総合インフラ企業が誕生する。両社の売上高は単純合計で12兆円を上回る。

    via: 日立・三菱重工 統合へ 13年に新会社、世界受注狙う  :日本経済新聞

    これがでたのは8/4 3:00 早朝である。そのあと午前6時に日立の社長は家からでるとき

    「それは夕方発表しますから」

    と報道陣に答えた。(引用先のページに動画がある)
    最初は「日経だから」とタカをくくっていたが、そのうちNHKなどでも報道され始めた。そりゃ日立の社長のコメントを聞けばそう報道するだろう。

    しかし早くも午前中には両社からコメントがでた。

    三菱重工業株式会社


    本日の一部報道について




    本日、当社と株式会社日立製作所との統合に関して、一部報道がありましたが、これは当社の発表に基づくものではありません。また、報道された統合について、当社が決定した事実もありませんし、合意する予定もありません。


    via: 三菱重工|本日の一部報道について

    本日付の一部報道にて、当社と三菱重工業株式会社の事業統合に関する記事が掲載されました が、そのような事実はありません

    日立製作所

    この文面の微妙な違いに気がついただろうか?MHIからは「合意する予定もありません」とより強い否定がでている。

    そもそも話の最初からして「ひみつ工業」が誕生するわけはないのだ。両社は単なる株式会社ではない。独自の文化、言語をもった国のほうがイメージに近い。それが無くなるのは何らかの攻撃に耐え切れなくなったとき。何もないのに「統合」など起こりうるわけがない。

    おそらく次に引用した記事あたりが本当のところなのだろう。

    だが、交渉に対しては両社に温度差がある。ハードディスク事業やテレビの自社生産からの撤退など、大胆な収益構造の改革を進める日立は、中核の事業統合を足がかりにして将来は経営統合に結びつけたい意向が見える。しかし三菱重工は、あくまで事業統合にとどめる方針で、「経営統合」報道が先行したことに対しては「有力OBを中心に強い抵抗がある」(三菱グループ幹部)

    via: 日立製作所・三菱重工業:将来像にズレ 「経営統合も」「事業に限定」 - 毎日jp(毎日新聞)

    倒産したわけでもないのに「祖国」がなくなるのをOBが黙ってみているわけもない。MHIが再度出した以下の声明は興味深い。

    当社と日立製作所との統合に関する報道が引き続きなされておりますが、既に当社からお知らせしておりますように、これは当社の発表に基づくものではなく、また、報道された統合について合意する予定もありません。 にもかかわらず、統合について合意する予定があるかのような誤った報道がなされることは、当社及び関係者にとって極めて遺憾であります。 当社としては、これら一連の報道が当社の発表に基づく正確なものではないことをあらためてお知らせいたしますと共に、このような報道については、断固抗議してまいります。

    via: 三菱重工|当社に関する一連の報道について

    現に日立の社長は「はい。夕方発表します」と発言しているわけだから、この非難は日立に向けられたものと考えるべきだ。

    裏でどのような交渉があったかしらないが、これで話は数年あるいは10年以上にわたって棚上げになるだろう。日立社長の軽率さには呆れるばかりだが、結局破局になる縁なら、早く崩壊したほうが両社にとってよかったのではなかろうか。


    賢者の愚行(笑)

    2011-08-04 06:28

    昨日こんな記事を見つけた。

    日本経済新聞社の報道によると、インターネット回線に接続したテレビを用いることで、1台のテレビで通常の放送番組とネット配信される過去の関連番組をリモコン操作で選択して見られる新たなインターネットテレビを、来春にも実用化する動きがあるとのこと。

    テレビのリモコンのボタンを操作すると、各放送局が作製した動画選択画面へ切り替わり、放送中の番組、あるいはこれから放送する予定の番組に関係がある動画が並べて表示されます。つまり、YouTubeやニコニコ動画の関連動画に似たシステムで、類似コンテンツを表示するというもののようです。

    via: 民放5社が新たなインターネットテレビを来春に実用化、専用テレビも同時発売 - GIGAZINE

    引用元には、関連するTweetを表示する機能があり、さっそく楽しいコメントがながれている。

    地デジ開始に間に合わせなかったところが戦略としてクズすぎる。あといつになったら「PPVは無理」と知るんだろうか・・・マジバカなの?

    「電通と民放でこんなの決めたんだぜ!」って言いたいだけなのかなぁ? @calonal: 新たな? これ、BML phase2の流用だよね。phase2は電通+民放じゃなくて、NHK+メーカーで決めてる。同時発売されるのはそっち。 ...

    1時間番組が1本300円って、レンタルDVDより高!しかも既存のテレビでは見られない。アクトビラの二の轍を踏む予感しかしないなあ。

    via: Ceron.jp - 民放5社が新たなインターネットテレビを来春に実用化、専用テレビも同時発売 - GIGAZINE

    あっ、みなさん「アクトビラ」って知ってます?BMLって聞いたことあります?実は今でもネットに接続さえすればオンデマンドでビデオを見られるTVたくさん存在してるんですよ!地デジには先進のBMLが搭載されていて、データ放送でとっても有益な情報を得られるようになってるんですよ!あ、僕が言わなくてもみんな知ってますよね!

    さて

    このニュースに関する感想はほぼ上記に引用したコメントで尽きているが、これは

    「作り手側にとってはまさしく完璧な提案」

    であることを指摘しておきたい。その理由を列挙してみよう。

    これは推測だが、世界に冠たる大手家電メーカーではこれと大して変わらない内容の稟議書が飛び交い、大真面目に誤字など指摘されているのではなかろうか。
    またこれも推測だが、この構想を聞いて

    「をを、これはぜひ使ってみたい」

    と思う人は稟議書作成する人、ハンコを押す人の中に一人もいないんじゃなかろうか。

    しかし組織とは大なり小なりそうした狂気の面を持っている。すなわち誰一人ほしがらない、成功するとも思っていない企画でも組織の建前と合致していれば通ってしまうのだ。ここらへんは、中国高速鉄道の事故処理と似たところがあるかもね。

    まあなんだ。私のようなチンピラがここに何を書いても大手家電メーカーの人は読まないと思うけど、万が一読んでたらせめてインタフェースをこれにしない?


    Goromi-Tube

    あ、BMLじゃ無理か。
    何度失敗しても誰も学ばないようだけど、ユーザはTVに対して

    以上のことは絶対にやらないんだよ。まあ気にすることはないよ。世界のGoogleも同じ間違いをしているんだから。

    米Logitechは同社4-6月期の決算発表で、GoogleTV機能を搭載したセット・トップ・ボックス「Logitech Revue」の返品台数が販売台数を上回ったことを明らかにした。同社は販売を促進するためLogitech Revueのメーカー希望小売価格を249ドルから99ドルに値下げした。また同社CEOのGerald P. Quindlen氏の退任も発表した。

     発表によると、「非常に控えめな売り上げ台数を返品台数が上回ったためLogitech Revueの同四半期における売上高は、わずかにマイナスになった」、という。

    via: 米LogitechのGoogleTV、販売台数を返品台数が上回る【湯川】 : TechWave

    ピクサーの落日

    2011-08-03 06:27

    先日Cars2という映画を見た。一足先に公開された米国での評判が芳しくないことは知っていただのが。

    それについて書いた映画評はこちらを参照してもらうとして、私がとても不思議に思っているのは

    「なぜあのPixarがこんな作品を公開してしまったのか」

    という点にある。

    何事にも好不調の波はある、という意見もあろう。たとえば大フーガを最初に聞いた人は

    「ベートーベンもとうとう完全に。。」

    と思ったことだろうし(映画ではそうなっていた)、ヴァージナルの前に座る女を見た人は

    「フェルメールもとうとう。。」

    と思ったに違いない。

    しかしそれらはまあ難聴の進行とか、加齢とか、新しい方向の模索とか推測できる理由があるわけだ。このPixarの作品はどうしたことだろう?脚本を真面目に練り上げたとはとても思えない。一例を挙げよう。どっかの会社が代替燃料を開発する。でもってその燃料を使ったレースを主催するわけだ。
    しかしレースの途中エンジンが火を噴く車が続出する。レースの主催者(代替燃料開発会社の社長)は「もうこの燃料の使用はやめよう」という。

    そこでマックイーンが

    「いや、私は代替燃料を使う。なぜならこれ以上友達を傷つけたくないからだ」

    とかなんとかかっこいいセリフを言う。ちょっとまて。いつのまにマックイーンと代替燃料開発会社の社長ってそんな親友になったんだ?

    こんな「ちょっとまて」がいくつも出てくる。新しい勇気ある試みをした結果の失敗なら理解できるが、これは単に脚本が粗雑なだけだ。

    そう思ってちょっと調べるとこんな記事がでてきた。

    2012年に予定されていたピクサー作品「カーズ2」(ブラッド・ルイス監督)の全米公開が、1年前倒しされることが明らかになった。

    9月24日、米ロサンゼルスのコダックシアターで行われたウォルト・ディズニー・スタジオのラインアップ発表会において、ジョン・ラセター(チーフクリエイティブオフィサー)が明らかにしたもので、「カーズ2」を2011年夏に全米公開するという。

    主人公ライトニング・マックイーンと親友メーターが世界をめぐる旅に出る、というストーリーで、公開日に間に合わせるべく、現在アニメーターたちが急ピッチで作業を進めているとのこと。

    ちなみに、2011年6月には「Newt」(ゲイリー・リンドストロム監督)、12月には「The Bear and the Bow」(ブレンダ・チャップマン監督)という2つのピクサー作品の公開が予定されていたが、「カーズ2」が前倒しされた影響で、いずれかの作品が公開延期されるものと思われる。

    映画.com
    2008年9月26日 12:00

    ちなみに今予定されているPixarの次回作は

    メリダとおそろしの森 Brave(2012年6月22日全米公開予定) モンスターズ・ユニバーシティ Monsters University(2013年6月21日公開予定)

    wikipediaより

    である。Braveは"The Bear and the Bow"の題名が変更されたものだが、Newtが陰も形もない。計画されていた作品がキャンセルされることはよくあることだが、Newtが消滅したため、Cars2の脚本が未熟なまま1年前倒しされ、、とかそんな事情があったのかな。

    いずれにせよ次のBraveを楽しみにしよう。これが同じようにBad Movieなら、おそらくPixarには何か深刻な問題が生じている、ということになる。