映画評:アリス・イン・ワンダーランド

2010-04-26 08:41

今週は一日短い!仕事全然終わってない!こういう日は本家から転載

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とっても期待していたのだ。ティム・バートンがアリスを映画化する。しかもいつものバートン組、ジョニー・デップにヘレナ・ボナム・ カーターもでている。それにこの奇妙な予告編はどうしたことだ。

わくわくしながらその時をまつ。すると見慣れた"シンデレラ城"の映像が。しまったこれはディズニー映画だったか。

というわけでヤケになった私は以下にあらすじを書いてしまう。見たくない人はここでお帰りください。

うさぎを追って穴に落ちたアリスには不可思議な出来事がふりかかる。わかったわ。

"カラスと机が似ているのはなぜ?"

の答えは

"勇気を奮って敵に立ち向かえ"

なの よ!(注:映画でにここまでは言ってません)私が戦わないとこの世界が滅茶苦茶になってしまう!

使命に目覚めたアリスは剣をとり怪物をやっつけ、Wonderlandに平和をもたらす。そして

"自立しな くちゃ。女もこれからはビジネスよ。"

と中国に麻薬を売りつけるのであった。

原作は何度か読んだことがある。そこに正面から取り組まず、"13年後のアリス"に設定を移したこと自体は悪くないと思うのだ。しかしながら。

原作の良さは"なんだかわからないけど、面白い"処にあったと思う。ところがディズニーの手にかかると"勇気をもって自立する女の物語"という わかりやすいプロットにされてしまうのであった。

半分居眠りしながら考える。"なんだかわからないけど、面白い"といえば当代宮崎某の右にでる物はいない。彼がやる気になればなあ。。 そんなことは起こらなそうだが。

敵の最強キャラがさっぱり強そうじゃないし、そもそも途中ででてきた鳥とはまた別とか。まあ細かいことはいいよ。560円かなあ。

とか思っているうち、ディズニー節は最高潮に達する。ジョニーデップがくだらないダンスを。そこで私の中で何かがぶちっと切れる。いい加減にしろ。

どんな原作でも"ディズニー"にしてしまうその強引さはなんと評すべきか。いや、それで商売がうまく行っているのならいいのだけどね。


うんこをもらすことについて

2010-04-16 07:50

先程私はTwitterにこう書いた。


うんこをもらすことは誰にでもできるが、この文章を書ける人は暁の星のごとく稀。 http://www.nakamurahiroki.com/2010/04/31.html

この文書を読んで考えたことはいくつもある。

その昔シニア向けのパソコン教室をしていたときに実感したことだが、教える、という観点からすると女性のほうがはるかに好ましい。

なぜかというと、シニアの男性はかなりの確率で虚勢を張るからだ。

こうですよ、というとそれはもうわかっていると答える。つらつら説明してわかったような顔をしているからじゃあやってみてください、というと全然わかっていない。

いや、それはお前の教え方が悪いのだ、という説もあろうがここでは無視する。

それでもって

人間だれしも自尊心というものがある。私の考えでは始終自分の自慢話(と本人だけは思っている者)をしている人が多いが、そうした人は自尊心の危機にひんしているのではないかと思う。友達が前に勤めていた会社の社長がそういう人だったと聞いた。何を話していても3分後には自分の過去の自慢話になっているのだそうな。

さて

それを頭においてこの文章を読んでみよう。

正直に書いてしまうが、私は2カ月ほど前、スーツ姿でうんこをもらした。こう書いていてもキーボードを打つてに汗がにじむ。つまり自分がうんこをもらしたことを告白することはそれほど恥ずかしいことなのである。

この人はそれを実名のブログで行っている。しかも、その現場で客先に

"うんこもらしちゃいました"

と連絡している。

いや、後から冷静に考えれば"そう言われて怒る人はいない"

という事実にも気がつくのだが、その場でそれができるとは。

あしたは某Twitter使いのバンド様と、某カード会社様にプレゼンがある。
両方ともTwitterを絡めた提案だ。もう100%この話になることはまちがいない。
「Twitterは、使いようによっては、ものすごいバイラル効果を生むんですよ」
「ほう、たとえば何かあなたに成功事例があるんですか」
「あ...と。あるにはあるんですが...。言えません」
......。

via: Censorable log

この人の文章は、完全に虚勢、虚栄を脱ぎ捨てたところに存在している。

"テクニカルディレクターと称して、インターネットで面白いバナーやWebサイトを作ったりした"

という仕事をしているそうなのだが、同じように自称、かつ勘違いしている人は星の数ほどいることだろう。

しかし

彼はこれから"うんこをもらしたテクニカルディレクター"として語り継がれると思うのだが、それは間違いなく彼の仕事にとってプラスとなるだろう。

こういう人は強い。現実世界で出会ったときはよっぽど心しておかなくてはならない。それは力を入れる、というわけではなく、お前も虚栄を捨てろということだ。

現実世界で人と会うのも面白いが、インターネットの世界も楽しいなあ。。

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ここからは少し真面目な話。ラマーズ法を試みながらたどりついた個室がすべて満杯、という状況には不快なほどよく遭遇する。

この場合、もっとも被害を少なくする方法はなんなのか?小のほうにお尻を向けても許されるものなのか?

先日一つの成案を得た。実行するチャンス(不幸)があった場合にはここで報告しよう。


iPhone4.0のマルチタスクに関するぼんやりした疑問

2010-04-14 10:33

おそらくよくある意見だと思う。たまたま目に着いたので引用させていただく。

マルチタスクはすごく便利

マルチタスクは本当に便利です。ホームボタンを押してもアプリが終了しないので、別のアプリを起動してから元に戻っても続きの操作ができます。iPhoneはこれができません。パソコンでは当たり前にできることをXperiaというかAndroidでは実現できています。

地味な機能ですが、端末の性能を底上げする重要な機能です。ちなみに、iPhoneも次のOSでマルチタスクに対応するようですね。やっとAndroidに追いついたという感想です。

via: アンチiPhone派に捧げるXperiaを買ってもいい理由 #Xperia: ネット雑記 ~3年後のネットが見えるかも~

この意見には全く賛成できない。Andoridで可能なのは、PCのようなマルチタスクだ。これが手放しで便利か、といわれると首をかしげる。いや、使いかけのところに戻ってこられるのはうれしいよ。

理由は簡単。携帯電話のリソースはPCのそれより制限されているからだ。最近は"メモリが不足するのでアプリを開けません"という表示を見ることもなくなったし、裏で何かが動いていて不愉快なほど遅い、ということもあまり経験しない。

しかしAndroid携帯ではそうはいかない。(少なくともHT-03Aでは)あれこれアプリを立ち上げていると何か動きがおかしくなってくる。あれ、今何が動いているんだっけ、何を殺していいのだろうか、とあれこれ操作することになる。

そもそもiPhoneが通常型のマルチタスクを最初から導入しなかったのはこのためだ。マルチタスクを実現することは簡単。しかしそれを携帯電話で問題なく実行する解決方法を提示するのにこれだけ時間がかかったのだ、、と理解している。

したがって今私が理解してるところによれば、

・特定のタスクのみバックグラウンドで実行できる
・アプリそのものはスリープのような状態になる(だから他のアプリに移動した後途中から実行できる)

のがiPhone4.0が提供するマルチタスクだ。これは"Androidにようやくおいついた"などというものではない。

さて私の疑問は

ちなみに、どうやってアプリを終了させるの? という質問ヘの回答は「終了させる必要はない」(スコット)「ユーザがそんなことを考える必要はないはずだ」(ジョブズ)。マルチタスク以外の目玉はまとめ記事へどうぞ。

via: iPhone OS 4はマルチタスク対応、バックグラウンドでSkypeも動作

これは素晴らしいことなのだが、そうすると例のホームダブルクリックで表示されるドックがアプリだらけにならんのかなあ。結局画面にあるアイコンが全部横一列に並ぶことになったりして、、

まさかそんなことはないと思うが、、、いや、、試そうとしてもiPhone3Gはちゃんと対応しないようだし、、(しくしく)

とかいていたらこんな記事をみつけた

アプリのクローズ:
マルチタスキング中のアプリが並ぶトレイから、アプリを閉じられます。アイコンを押して、赤い「-」(マイナス)が表示されるまでホールドするだけです。

via: iPhone OS 4、かゆいところに手が届く進化31! : ギズモード・ジャパン

これは"タスクマネージャー的な何か"でアプリを殺すのとはわけが違う。アイコンが多くなりすぎることを除けばいくつ"たちあげて"も動作には影響がないはずだ。

というわけで、6-7月を心静かに待つことにしよう。iPhone 3Gがでてから早2年。。


アメリカのティーンエージャーはこれを熱狂的にほしがる!

2010-04-13 07:13

と思ったのだろうな

若者たちの証言から、この層にとって携帯電話はライフラインそのもの。友人やコミュニティーとのつながり。

そこでXbox LIVEがゲーマー間のコミュニケーションをサポートするように、ソーシャル要素を中心にした携帯端末を目指した。2月に発表したWindows Phone 7とおなじ基盤を使いつつ、若年層の「ソーシャル」志向に答える端末。名称は「KIN」。(家族や血縁といった意味の言葉)。

via: 速報:マイクロソフト "Time To Share" イベント

この製品の作り方はいかにもMicrosoft的だ。ユーザーを徹底的に調査し、"彼らが"がほしがっているであるものを作り上げる。

この製品が普及した場面を想像してみよう。みんな下をむいてひたすらかちゃかちゃ指を動かしている。誰も眼の前のこと、周りにいる人に気を使ったりしない。とにかくネットでつながってなくちゃ!ひたすら指を動かす。

昭和生まれのおじさんにはこれは悪夢のような光景に思える。しかしMicrosoft流のモノづくりとしてこれは正しい。そして実際そのようにしてXbox360は"成功"した。Xbox360にむかってひたすらアメリカンテイストのゲームをやり続ける若者たちの姿もあまり見たくはないけどね。

この

"ネットを介したべたべたな人間関係を促進するデバイス"

にうんざりするのは、一つはそれが実現するである醜悪な光景であり、もう一つは

"素晴らしい製品はこうあるべき"

ではなく

"売れる製品はこうあるべき"

という志の持ち方に起因している。



崩壊の雰囲気

2010-04-12 07:54

年をとると何かと不自由なことが増えるが、いいこともある。威勢のよい掛け声のうち

"ああ、これは前にも聞いたな"

と思えるものが増えるのだ。バブルの日本の不動産バブル、米国のITバブル、住宅バブルと傍観者ながら経験させてもらった。

その経験からするとバブルが崩壊する前兆というのは

"とにかく、○○を買っておけばもうかるんだ"

という言葉がそこかしこから聞こえて来た時である。米国の住宅バブルの時も"とにかく買っておけばもうかるんだ"と米国人が言ったのだそうな。私のいとこは"それは日本のバブルの時に散々聞いたセリフだ"と言ったが相手は聞く耳もたなかったそう。

さて、先日あるTVニュースを見た(どこで見たか忘れてしまったが)中国のある都市に関するレポートである。壮麗な住宅がつらなったきれいな町並みである。しかし人が誰もいないのだ。

解説によれば、その都市は"純粋な投機対象"としてのみ存在しているとのこと。つまり住宅は存在しているが、購入の理由は住むためではなく投機という。でもって実際に買った人は近くの普通の町に住んでいるのだそうな。

誰がどうみても異常な状況だ。しかしかの国では"とにかく住宅を買っておけばもうかるんだ"ということになっているのだろう。

「中国不動産バブル崩壊スケジュール」が発表されて以来、他のネットユーザーから1万回を上回るコメントがあった。あるユーザーは、「2011年に不動産バブルが崩壊するか否かはさておき、この文章がこれだけ広く反響を呼んでいるということは、やはり多くの国民が、価格が極めて高くなっている不動産市場に強い不満を持っているということだろう」とコメントした。

via: 中国不動産バブル、2011年に崩壊?日本を基準の予測、中国で大反響 - (大紀元)

例によってバブルがいつ崩壊するのかを予測することはできない。しかし近い将来それが崩壊するのは間違いないことのように思える。


あなたのためを思って

2010-04-08 08:03

というわけでこの記事である。

「ああ、そちらはすごく怒っているのだ。苦しいでしょうね。手も震えているようだ。簡単に怒る性格みたいです。これからもいろいろたいへんなことに出会うでしょうね。それで大丈夫ですか?心配ですよ」

via: 「怒らないこと」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

この文章だけ読んでどのような感想を持つだろうか。私には最後の"心配ですよ"を額面通り受け取ることはできない。これは

"あなたのため、と"善"を装いながら相手を非難している"

態度に見えるからだ。

以前サイトに書いている文章に感想を貰ったことがあった。それには

"このような表現はあなたの品位を傷つけます。残念に思います"

と書いてあった。私は

"見ず知らずの私の品位を心配していただけるとは恐縮の至り"

とかなんとか返したように思う。さきほど引用した文章にも同じような感じを受けるのだ。
こう思うのは私だけではないようで、こんな文章もある。

「あなたのためだから」という思い込みでオレサマ判断を押し付けているかもしれない。

via: 「怒らないこと」はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

面白いのはこの文章を書いた人間が同一人物である、ということだ。つまりなんだ。私はこうした類の

"あなたのためを思って言っているんです"

を毛嫌いしているが、同じことを自分でやっている可能性が高いということか。

このように自分の怒り、不快の感情を"俺様が正しい、あんたが間違っている"という観点と分離してとらえることは難しい。私が読んだ唯一の実例はG.M.ワインバーグの本にあった想像上の会話である。自分が腹を立てていることを認めたうえで、その原因が分からない。この原因を探るために私たちができることはなんだろうか、と相手に問いかけるものである。

などと読んでいてふと気がつく。

小学校のころ、私は短気だと自認していた。とっても理不尽な理由で怒りを爆発させた記憶はいくつも残っているし、記憶に残っていないものはもっとたくさんあったのだろう。

それから月日は流れ、今やサラリーマン生活25年、結婚して子供もいる。最近怒ることが少なくなったと思う。それに代わり諦め、悲しみ、徒労感などを感じることが増えた。これが年をとるということか。


Fighter

2010-04-07 07:29

先日このような文章を見つけた。

 裕福なジェントリの家庭に育ったナイチンゲールは看護師を志し、のちに婦人病院長となった。
 しかし、クリミア戦争が勃発すると、翌1854年、自ら志願して38名の看護師を率い従軍した。
 ここまではご存知の通り。
 
 しかし従軍看護団の結成と指揮を任されて現地スクタリに赴いたナイチンゲールを待っていたのは、戦争よりもたちの悪い衛生環境と官僚たちであった。

 兵舎病院は極めて不衛生であり、官僚的な縦割り行政の弊害から必要な物資が供給されていなかった。
 さらに現地のホール軍医長官らは、縦割り行政を楯に看護師団の従軍を拒否した。
 ナいチンゲールたちは、病院の中に一歩でも立ち入ることができなかった。

via: 問:史上最も有名で、最も戦闘的だった統計学者は誰か? 答え:ナイチンゲール 読書猿Classic: between / beyond readers

生きている間に何度も実感してきたことだが、私はこうした場面にぶつかると

"これは、こうだからできないだ"

と説明しておしまいにすることが多すぎる。

政治的、としか称することができない理由によって変化が阻まれることは多々ある。大きな集団になればなるほど、変化に抵抗する傾向は強くなる。

ナイチンゲールはそれに統計という客観データで立ち向かった、というのが話の半分。官僚的な縦割が支配しているのであれば、その縦割が及ばないところを探した、というのが話のもう半分。

こういう話は人生のどの段階で聞くのがいいのだろうか。社会人経験のない時に聞いても本当の意味はわかるまい。聞いたとしてもそれを生かすチャンスがなくなってからでは遅すぎる。いや、そんなことはないのかな。


デバイスを透明にするために

2010-04-06 07:08

最近読んだ記事から引用。

さらにiPadのスクリーンは、私がこれまで実際に手にしたタッチスクリーン・ディスプレーの中で、最も反応が速い。指をページに載せたまま下方向にスライドさせたりぐるぐる回したりすると、ページが指の動きを正確かつ即座に追って動くのだ。

この2つの点――インターフェースが「無い」ことと、反応が素早いこと――によって、ユーザーが何を見ていようとも、その表示しているものに、心理的な「具体性」が生じる。つまり、単にブラウザーで「Wired.com」を見ているのではなく、Wired.comを手に取って見ているように感じるのだ。

via: iPadの本質は「透明なデバイス」(動画) | WIRED VISION

デバイスを透明にする、などというと日本のメーカーは鼻息荒く

"世界最小"

とか

"世界最薄"

とか

"透明度世界No1"(これはあまり聞かないか)

とやりだす(かもしれない)しかしiPadの"透明性"はこの記事に書かれているようなものなのだろう。

最近Twitterでみかけたのだが、こんな研究があるそうな(うろ覚え)

マウスがスムーズに反応している限りにおいて、人間はマウスが体の一部であるかの様に認識している。しかしたとえばディレイがあったり、つっかかりがあるとその一体感が崩れ、"操作すべき対象"になってしまう。

これは日常でも感じるkとだ。iPhoneとHT-03aを使っているとどうしたってHT-03Aのほうに

"タッチで操作している"

という感じが残る。iPhoneは"情報を触っている"という気がするけどね。

この"一体感を醸し出す要素、阻害してしまう要素"についてまじめに研究する、というのは結構おもしろくかつ意義あることではなかろうか。


社会に貢献しよう

2010-04-06 06:58

昨日こんな文章を目にした。

それは某運輸会社に行った時のことだった。父のいつもの言い方で、「日本の企業は社会貢献をちっともしていない。欧米諸国では、寄付という形でそれをするのがある種の社会常識にもなっているのに、なぜ日本の企業ではそれができないのか。日本の企業も、金儲けばかりに走らないで、寄付をすることで社会貢献されてはいかがでしょうか?」といったような趣旨の提案をしたらしいのだ。

ところが、そこで返ってきた答が、非常に印象的だったのだという。細かい文言までは覚えていないそうなのだが、その某運輸会社の担当者は、社会貢献を説く父に向かって、こう言ったのだという。

「我々は、お客様を安全に目的地にお運びすることで、すでに社会貢献を果たしている」

via: ボランティア団体の代表だった父から聞いた某運輸会社に寄付を募りにいった時に聞いた企業としての素晴らしい考え方と回答 - ハックルベリーに会いに行く

米国に住んでいたのももう10年前になった。しかしこの文章を読んでいて当時のことが思い出された。

たまたま運が悪かっただけかもしれないし、あるいは日本でも同じような目にあうぞ、という人もいるかおもしれない。しかし日本だけに住んでいると

"宅急便"もしくはその類

のありがたさはわからないと思う。米国の

"いつ着くかわかりません。壊れるかもしれません"

荷物配送システムは実に不愉快だ。

仮にそうした米国の配送会社が多額の寄付をしていたとしても、どちらが"社会に貢献しているか"と問われれば私の答えは明白である。仕事をちゃんとやってくれる会社が望ましい。

たとえばアフリカの一部とかあるいは北斗の拳でもいいのだが、秩序が崩壊してしまった社会と今私が住んでいる社会の差異について考えることがある。日々安寧に(退屈かもしれないけど)暮らせるというのはなんとありがたいことであろうか。それが何にささえられているかといえば、それぞれの機能を着実にまじめにこなしてくれる多くの企業あってのことなのだ。

そういった意味では、20年前のソニーという会社も、寄付なんかしなくても多くの笑顔に貢献しているすばらしい企業だったのだが。。。そうか。。20年か。。


民主集中制こそが望ましい

2010-04-02 07:55

先日Wikipediaのスターリニズムの項を読んでこんなくだりを見つけた。

これをスターリンは、レーニン死後、「党は実践集団であって、討論クラブではない」という命題によって、「一枚岩の民主集中制の絶対原則」として分派形成を禁止する。この「原則」が、「指導部批判=敵対者」と規定される土壌を作り出すことになる。

via: スターリニズム - Wikipedia

これの実例を21世紀の日本で見ることができるとは思わなかった。

"批判は許さない。排除する"

とは私の友達が、当時働いていた会社の社長から投げつけられた言葉である。もっとも友達は何が"批判"なのかさっぱり心当たりがなかったらしい。

大企業から定年間際で子会社に落ちてきた社長が、前述のようなセリフを言ったとすれば、まあ

"世の中そういうものだ"

ということなのだが、政権与党の幹事長(もしくはそれの取り巻き)が同じようなことをやるのは、、、まあこれが民主主義だからしょうがない。

空想的社会主義者を表にたたせ、実態は金権+独裁政治の権化。そのような政権を選んでしまった責任はだれが取るのだろうか。もうあれだ。この前の選挙で民主党に投票した人は、責任とって沖縄に

"東アジア民主共和国"

でも建国してそこで仲良くやっていただく、というのはどうだろうか。


中小企業は資金繰りが苦しいから

2010-04-02 07:40

480万円もだせばほいほい"優秀な人"を採用するだろう、とでも思ったか。

博士号取得後に任期付きの不安定な立場で研究を続ける研究者(ポスドク)を雇用する企業に、1人当たり480万円の資金を提供する文部科学省の事業が、目標の採用数に届かず苦戦している。

 伸び悩むポスドク雇用を、「持参金」付きで後押しする狙いだったが、ポスドクの就職が難しい現実を改めて浮き彫りにした。

via: 持参金480万円付きでも...ポスドク就職支援苦戦(読売新聞) - Yahoo!ニュース

初めて入った会社は、極め付きの日本的大企業。今いるところは小企業だ。

でもって

大企業の方とお仕事する機会も多い。かつての自分の立場を外から眺めているようで複雑な気分になることもある。

いや、今日書きたいのはそのことではない。


いいたいことは次のようなことだ。小企業であればあるほど採用には気を使う。大企業で一人変な人を採用しても1/10000だ。しかし今の会社なら10%が変な人になってしまうのだよ。

480万円という金は確かに巨額だ。(このセリフにピンとこない人は、私に480万円寄付してください)しかし変な人をやとってしまえば、そのダメージは480万円どころの話ではない。

ポスドクという立場は、20代後半。社会人経験無。(ここにはいろいろ議論もあろうが、そう書かせていただく)その人間を

"中小企業で役にたつよう、厳しく鍛え上げてから外に出す"

というのならわかるが、

"ほーれほれ、480万ほしいでしょ!"

などと言われたとしても誰が釣られるか。まあばらまきが大好きな現政権にはぴったりの方針だが(この事業が始まったのは今の政権になってからではないと思う)