広告から感じる世の中の変化

2012-12-28 07:16

私は民放TVを見ない人なので、CMというものに触れるのは電車の中だけである。扉の上にあるディスプレイとか、壁にはってある広告とか。

一時そうした広告にやたらと「ソーシャルゲーム」がでていたころがあった。最近さすがに少なくなったようだ。とはいってもこの文章を書いているのは久しぶりにそうした広告を観たからだが。

相変わらず下品で幼稚なキャラクターがたくさん並んでいる。あの広告を出している人間はおそらく自分でこうした絵を見たいとは思っていないだろう。しかしそうした絵を見る人間から金を取ることが彼らの仕事なのだ。

先日こういう文章を(改めて)読んだ。

つくり手が自分を王様だと思っちゃうんです。
王様としてつくったものを、
本来は王様であるはずのお客さんが奴隷側の立場で
きゃーきゃー言って受け取るだけだと、
つくり手はなにも進化しない。
つくり手が進化しなければ、
お客さんはすぐに「飽きた」って言って
おしまいになっちゃうんです。
その悪い循環に陥っているものが
世の中に増えてるんじゃないかって
最近、とみに感じますね。

via: HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com

このコメントを岩田社長がしたのは、2007年。つまりソーシャルゲームが今のように隆盛を極めるずっと前の話だ。

しかし

作り手が王様で全く進化せず、お客様が奴隷というのはソーシャルゲームにぴったり当てはまる図式だ。そしてDeNAとGREEの株価を見る限り、彼らの商売はまだ「好調」のよう。

スマートフォンによる「破壊的イノベーション」そしてソーシャルゲームによる搾取にも動揺することなく、たんたんと自分たちが考える「あるべきゲーム機の姿」を追求し形にするのが任天堂という会社の強みだ。もっと言えば、そういうことができる人間を社長に抜擢できるところが他の会社に真似できないことだ。

Wii Uは商業的に成功するだろうか?前述のインタビューがあったのはWiiが発売された直後。岩田氏は

「いい出足ですけど、まだです」

といっている。米国ではXbox360の売上がWii Uの売上を上回っているのだそうな。そのニュースの読み方には注意が必要だが、それはそれ。うちの娘はWii Uの「新しい使い方の提案」に興味津々のようだ。

GREEやDeNAが存在していることを恥と思うのと同じ程度に任天堂が存在していることを喜びたい。来年はどちらに何がふれるのだろう。


カンファレンスタイマー構想その1

2012-12-27 07:36

というわけで標題の構想について考えているのだが、なかなか一筋縄ではいかない、ということがわかってきた。

・大規模なカンファレンスであれば、しかるべきサーバーにおいて誰もがアクセスできなくてはならない。
・とはいっても小規模なカンファレンスでは、そもそもLANがない場合があっても動かなくてはならない。プレゼンターに見せるタイマー画面はいiPadで動かすにしても、ノートPCスタンドアロンでも動く必要がある。
・会議主催者が変更できる項目、座長が変更できる項目はわけなくてはならない。
・座長が入力できするのは、基本的に「これがスタート」だけ。ただしその場で項目のキャンセル、順番入れ替えなどが起こりうる。
・入力は簡単にしたい。マウスとキーボードを使い分けるのはもういやだ。
・HTMLでがんばるしかないんだろうなあ。汎用性を考えると。

例えば、こういう大規模なカンファレンスのSchedulerが使いにくいと文句をいうことは私でもできる。じゃあどうする、と解決案を考えるのは大変だ。

さてさて。


で、お前はどう思うんだ?

2012-12-26 07:34

人は人の感情に共感したり、反発したりする。「感情」を表した記号ではなくて。

何を書いているかわからないと思うが、最近結局これが一番重要なのではないかと思い始めている。

例によって任天堂のWii Uに関する対談から。



ただ、共感をしてもらうようにつくるには

やっぱり、自分がよく考えるとか、

自分が実際に感じてることを通して

ものをつくらないとダメですよね。


via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

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インタラクティブなシステムに関する研究発表を聞いていて「おわ、これはすごい」と思う時と自分でも説明ができないいらだちを感じる時がある。

「いらだち」を感じる発表というのにもいくつかのパターンがあるようだが、そのうちの一つに

「取り上げている問題、解決方法が"理屈"で考えており、"思想、感情"に接地していない」

というものがある。具体例で言えば

「で、お前はどう思うんだ?これが本当にいいと思っているのか?」

と聞きたくなるやつだ。そうした質問を発したとして、一番いらつく返答は

「こうした先行研究があり、このようなロジックを用いていますので」

と説明が始まる場合である。

12月に出席したWISS2012, WI2研究会を思い返しても、心に残っている研究というのはそれを行なっている人の考え、気持ち、「未来はこうあるべきだ」という意志に共感したものが多い。
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もう一箇所引用。

違う例でいうと、最近のハリウッドの映画とか見てると、
その多くは、つくり手の実感ではなくて、
流行ったものを寄せ集めて詰め込んでるので、
まったく共感できないわけですよ(笑)。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

これを読んで思い出したのは、スターウォーズ4/5/6と1/2/3の差異である。

ジョージルーカスはどこかで「こんなすごい物語を語りたい。古典的かもしれないが、俺は之が一番いいと思っている」という気持ちを失ったのだと思う。

4/5/6に世界中が熱狂したのは、それが世界の人たちの心に触れる物語-単純で古典的であっても-だったからだ。そして1/2/3は「流行ったものの寄せ集め」でしかない。

あるいはロバート・ゼメキスもその「暗黒面」に落ちたのかもしれない。(最新作で少し復活したようだが)3DCGで人の顔を作ることに熱狂していた頃の作品は、フォレスト・ガンプと同じ人間が作ったとはとても思えない。

すっごい雑にいうと、いまは、
すべて世の中「共感」やっていうのが、
ぼくの結論みたいなもので。

そう、共感。
つくり手に共感することもあれば、
シチュエーションに共感することもあって、
いろんな共感があると思うんですけど、
それがあるからこそ、入っていけるんですよね。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

この言葉の重みはもっと広く、深く伝えられるべきだと思う。


Wii Uとは何なのか

2012-12-25 07:09

というわけでWiii Uである。これが何なのか(というか少なくとも「何を目指して作られたのか」)は以下の言葉をみれば明白である。

今回、任天堂が目指したのは、
リビング全体の娯楽をつくることだったんです。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

TVが信じられなほど価格が下がり、「一つの部品」として扱えるようになった。その時リビングはどのような姿であるべきか。楽しいリビングとは何なのかを考えた結果がWii Uだと言っている。

であるから(これはWiiの時から明白だったが)Specでしか物を語ることができないゲーマーとか評論家の言葉は全て「的外れ」ということになる。そもそも目指しているものが違うのだから。

先日参加したWISSで一瞬「機能を削るのが簡単かどうか」という議論があった。私は

「機能を削るの大変ですよ。。」

と発言したのだが、それには否定的な意見が多かった。

だからこそ、やっぱり、
よそにない新しいことが重要なんですよね。
それがないと、古いものを外せないので。
ハードの技術を直線的に積み上げているだけだと、
こわくて、ぜんぶ、盛っていくしかないんですよ。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

WISS参加者がなんと言おうと、私は宮本氏の意見に賛成である。競合製品を意識している限り、「こわくて外せない」という状態から脱却することはできない。

この対談で思いしろいと思うのが、「競合製品」の名前が全くでてこないことだ。Xboxの次期型はどうなる、PS4はどんな製品になるだろう、といった議論が影も見せない。

もちろん内部ではゲーム機としてどのような機能を実現すべきか、という議論は行われているのだろうが、少なくとも岩田氏と宮本氏がこの場所で議論すべきことではない、ということなのだろう。つまり最大の関心事ではないわけだ。

いや、正確にいうと一回だけ「競合機」の名前がでてくる。

じゃ、これはもう、ぼくしか訊けないような
ふざけた質問になってしまいますけど‥‥
Wii Uは、iPadと比べて、どうなんですか?

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

TVに接続されたWiiU本体+Wii Uゲームパッド、とApple TVとiPadの比較、というのは興味深い点。岩田社長の返答は

だから、どっちがいいかというよりも、
もともと得意なことが違うんです。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

である。まさかAppleがiTVでWii Uと同じようなことをしてくるとは、、、どうだろう。
まあいつでるかわからないApple TV(かiTV)がどんなものになるか、というかAppleが

「リビングに置かれている巨大ディスプレイ」

を部品として何を提案しているかを楽しみにしているか。

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ちなみにこのブログで何度か書いている「10フィートインタフェースという虚像」についてだが

うまくいってない大きな理由のひとつは、
手元に画面がないからだと私は思うんですね。
というのは、文字を読むことと、ものを選ぶことは、
「手元でやる」のが圧倒的にいいんです。
それはみなさん、スマートフォンやタブレットで
当たり前にやってらっしゃる。
でも、人といっしょになにかを見るときは、
少し離れた場所にある大きな画面のほうが
明らかにいいんですよ。

via: ゲーム機の電源を入れてもらうために。 - ほぼ日刊イトイ新聞

私は岩田氏の意見に賛成だ。そう考えると今のApple TVは実に中途半端な製品だと思う。

「iTVのコントローラーをiPhone/iPadにすることで売上増を狙おう!」

といった日本の家電メーカー的な考えではなく、iTVが

「そうあるべきだから」

という考えで、iPad/iPhoneをコントローラーにするべきと思うのだがどうだろうね。iTVが依然として今の

「釣竿の先で遠い画面をつっつく」

てきな操作を提案してきたら、Apple原理主義者の私でも

「ああ、昔のAppleに戻ってしまった」

と涙を流すことであろう。ああ、iTVという提案が楽しみだ。


ジャーナリズムの矜持とDocomoの5年後計画

2012-12-21 07:24

いや、まさか本当だとは。

発端は

「週刊朝日」が日本肝胆膵(かんたんすい)外科学会(宮崎勝理事長)の名前を無断使用し、病院施設に多額の広告料を要求していたことが判明したとして、同学会が週刊朝日側に抗議文を送付していたことが20日、分かった。

 学会によると、週刊朝日は平成25年2月発売予定の「手術数でわかるいい病院2013」に掲載する広告企画で、「取材協力」として学会と理事長名を無断で表記。多くの病院に広告料として100万円以上を要求していたとされる。

via: 「無断で病院に多額の広告料要求」 日本肝胆膵外科学会が週刊朝日に抗議  - MSN産経ニュース

である。でもって最初にこのニュースがでた時点では

「誰かが週刊朝日の名前をかたっているのではないか」

という意見もあった。確かにそうだ。ところが産経の取材によると

同社は産経新聞の取材に、「広告会社によると、宮崎先生は取材に応じていただいたとのこと。『一切関わりをもっていない』とされていることには、いささか当惑している」と回答、「直接会って説明する」としている。

via: 「無断で病院に多額の広告料要求」 日本肝胆膵外科学会が週刊朝日に抗議  - MSN産経ニュース

ここらへんから雰囲気が怪しくなっていき、とうとう

12月17日に「緊急のお知らせ」を本学会ホームページに公開させていただきましたが、週刊朝日ムック「手術でわかるいい病院2013」の広告募集の案内書において、本学会理事長の承諾を得ずに【取材協力:日本肝胆膵外科学会 理事長 宮崎 勝】と記載した件について、株式会社 朝日新聞出版より正式な謝罪がありましたので、ご報告いたします。

via: 日本肝胆膵外科学会 | ご報告

とのこと。

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3年前、民主党政権が誕生した時の週刊朝日のはしゃぎようはよく覚えている。震災の後

「まだ日本は大丈夫だ」

と週刊朝日が載せたときには、本当に日本は駄目なのではないかと不安になったほどだ。

だから私にとってはこういう詐欺まがいの事件も特に驚きではない。ベンチャーをやっていると「記事掲載料」関連の怪しげな発行物は後を絶たないというし。そもそも週刊朝日はその程度の雑誌だし。

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話は突然変わる。先日Docomoの「5年後の見極め」について書いた。でもってどうやらDocomoは5年後にAmazonになるらしい。

スマホで簡単に決済できる強みを生かし、通販事業に本格進出する考えで、加藤社長は「段階を踏んで米アマゾンのようになっていく」と述べた。

via: スマホ通販強化 ドコモ「アマゾンになる」 来年度から野菜、健康機器など販売 - MSN産経ニュース

なるほど。これならばiPhoneがどうだとかWindowsがどうだとかに左右されず、端末がどうであろうと流通業としてやっていくわけだな。さて、市井の声を聞こう。

59: ボルネオヤマネコ(関西・東海):2012/12/19(水) 20:39:15.62 ID:BzlVCC2vO

Amazonは300円の商品でも無料で送ってくる。スゴすぎ。





60: サイベリアン(大阪府):2012/12/19(水) 20:40:48.25 ID:VlIU2W1a0



>対応機種はAndroid 2.2以上を搭載したドコモスマートフォン・タブレット。



解散










63: エジプシャン・マウ(山梨県):2012/12/19(水) 20:47:01.47 ID:kdTEXsJP0



おとなしくamazonのアプリ入れた方がいいと思う









(中略)

72: クロアシネコ(東京都):2012/12/19(水) 20:52:46.40 ID:qRVram8w0



フルオープンにしてdocomoユーザーは送料完全無料、一般は¥1,500以上送料無料とかに出来ないのがdocomoの限界だなw


via: ドコモ「dショッピング」を開始、有機野菜や水・洗剤等の日用品を販売 加藤社長「我々はAmazonになる」│あんどろいど速報

ここらへん、世界のDocomoの社長が言っていることより2chにうごめく市井の声のほうがよっぽど正しいと思うのだが、大企業においてどのように意思決定がなされるのか、という点について考える必要がある。必要なことは「現実」を見据えることではなく、強い信念を持つことでもない。

「企業文化に合致している」

ことなのである。

つまりいかにこの構想が現実離れしていても、この構想が描くところは

「Docomoが流通の王者として君臨する未来」

であり、それはDocomoの企業文化にとってピッタリなのだ。その輝かしさの前では、誰がわざわざDocomoのスマホやタブレット上で野菜を買うのか、などは些細な問題である。

それならそれで、いっそAmazonのようにAndroidをベースにした独自OSを作るくらいの心意気を見せてくれれば面白いと思うのだけどね。先日のなんとかモデル発表会で

「ワンピースのキャラクター商品」

をぎこちなく手にとっていた社長の姿が痛々しく思い出される。あんなことやらせるくらいなら

「これからDocomo端末は全てこのD-roid OSを搭載します!」

くらい言わせてあげたらどうかな。


積極性効果

2012-12-20 06:56

先日WI2研究会に出席して「積極性効果」というものを学んだ。

それにしても でも でも積極性効果(高齢者がポジティブな記憶の想起や刺激への反応が容易な傾向があること)の話題が出たり,感覚統合関連っぽい研究が で同時に出たりと結構同じネタがシンクロしますな.

via: Twitter / svslab: それにしても #jcss2012 ...

多分ちゃんと理解していないが、かまわず書いてしまう。人間はどこかの時点で「残り」を数えるようになる。私の場合は「体力、気力の微分係数が負の値になった」ことを実感したところでそれが始まった。

でもって「残り」を数えるようになった人は、ネガティブな情報より、ポジティブな情報に目がむきやすいのだそうな。そう聞いて思い返せば私も

「足をとめて愚痴り続けるのは若者の特権だ」

とか書いたような気がする。

でもって、「振り込め詐欺の被害者が高齢女性に集中しているのは、積極性効果も一因ではないか」という研究もあるのだろうな。

参照

↑の論文はとにかく難しい文章が多いのだが、積極的な高齢女性は詐欺に要注意というのが結論の一つらしい。まあそうだわな。

それはそれとして。

残りが少ない身としては、論文は論文として、残りの使い方を考えなくてはならない。今のままだとどこかで野垂れ死んでしまうわけだが、まあちょっと前まではそんなこと日常茶飯事だったのだろう。

いやいや、そう考えてはいけない。

希望的未来展望が高いと詐欺犯罪被害傾向 が一貫して低いという相関構造は、未来展望が高 いと将来に備えて認知的な意思決定が働くとする 社会情動的選択性理論の妥当性を支持する実証的 な証拠であると考えられる。

という難しい文章が解くところは、まあ未来に対して明るい展望を抱いていいれば、物事きちんと考えるようになって詐欺にも遭いにくいでしょ、ということなのだろう。「ええじゃないか」とかやっている場合ではないのである。

といったところで本日は唐突に終わる。


5年後を保証できる人

2012-12-19 06:50

先日こんな記事を読んだ。

足下の顧客流出ではかなりの苦戦が続いています。iPhoneを扱えば流出を止められるのでは?

 今日明日の競争を考えるのなら非常に有力な端末だが、自分たちが考える次のモデルのときにはどうか。仮に「iPhone 10」まで出たとして、競争力は今のように続いているでしょうか。米マイクロソフトがウィンドウズ8でどう挑むか?グーグルはどうするか?

 (中略)

 繰り返しますが今扱えば一時的な効果があるのはわかっています。その期間が長く続くのか、意外に短いのか、5年後ぐらいにどうなっているかを見極めて判断するのが(NTT持ち株会社社長としての)私の立場です。

via: iPhone、5年後を見極める:日経ビジネスオンライン

実のところNTTの持株であれば、いつの日かAppleが没落するその日までじっと腕を組んで待っていることができる。そして

「ほら。俺の行った通りになったろう」

と言い放つことができる。予想を外さない唯一の方法は、何もしないことだ。そうすれば外れることはない。

問題は「どうなるか」ではなく「どうしたいか」なのだが、NTTにそんなことを言うのは野暮というものだろう。

などとくだくだしく書く必要はない。いつもながら、2chという場のこういうコメントに対するツッコミには感心させられる。

5年後にNOTTVが残ってると思いますか?そういうのも見極めないと

via: NTT社長「5年後にiPhone10が出たとして、まだ人気があると思いますか?そういうのを見極めないと」 : ズコログニュース(・ω・)

しかしNTT Docomoの人も気の毒と言えば気の毒だ。自分たちの判断で経営をすることはできないのだ。NTT Docomoの社長が何か考えたところで、今度はNTT持株の「承認」を得る必要がある。そして

「5年後にどうなっているか、君保証できるかね?」

と言われる。その傍らで誰が見ても無茶苦茶なNOTTVの企画はすらすら通るのだ。

室内ではどうしてもワンセグやNOTTVの放送波が受信しにくく、映像が途切れがちに。窓際に持っていけばちゃんと見られるが、机で作業しているときやゴロ寝しているときに手元でテレビが見たいのであって、こちらが移動するのでは解決にならない。ワンセグならともかく、NOTTV3 件は個別に課金されるため、好きな場所で満足に見られないのはちょっと困る。

via: 受信感度がイマイチなら:NOTTV(モバキャス)用のアンテナケーブルを使ってみた - ITmedia Mobile

この違いは何か。彼らにとって「正しい事」とは「自分たちの企業文化に適合しているか否か」なのだと思う。その文化を共有しない人間にとってどれだけ非合理であろうとも、文化に適合していればするする通る。逆もしかりだ。

「5年後にまだiPhoneが競争力を保っていれば、俺の退職金とこれから先受け取る給与を全額返還する」

くらいの事を言ってくれば「そこまでの覚悟があるのか」とも思うが、絶対そんなことはしないだろうし、これから先NTTがどうなろうと持株の社長までやった人間であれば絶対安泰な老後が待っているだろうしね。であれば何もしない、何も判断しないのが一番。


短い断片集

2012-12-18 07:05

というわけで今日は短い断片をいろいろと。

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Screen Shot 2012-12-13 at 12-13-3.47.14 PM


This view shows how Windows revenues per PC have held steady for the last three years and Office have moved up slightly. In the latest quarter Windows "captured" $52 per PC shipment and Office "captured" $67.


via: Below the Surface | asymco

WindowsとOfficeはMicrosoftに払う税金だ、という表現を使ったことがあるように思う。その数字は初めて観た。PC一台売るごとにWindowsとして$52, Office代として$67 Microsoftに納税しなくてはならんのだそうな。つまり一台あたり合計約$120

PCが比較的高価だったころは、この程度の税金は許容されていただろう。問題はこれが「そもそも$200-$600」のTabletにはどうやっても適用できないところにある。かくしてMicrosoftは自分でH/Wを作って儲けるべくSurfaceに取り組んだ、、というストーリーだ。

しかしここでMicrosoftはジレンマに直面している。OEMメーカーを皆殺しにする覚悟がなければ、Surfaceの値段を下げることができない。結果としてWindows8タブレットは、ローエンドではiPad及びAndroidタブレットに、ハイエンドとしてはMac Book Airに対して価格で対抗できない中途半端な製品になってしまった。一番の売りは「Officeが使えます!」ということなのだが。それだと税金モデルへの回帰だし。

というわけで今後数年Microsotがどっちにいくかについては注目である。

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話はいきなり変わる。昨日こういう文章を見つけた。

The basic idea is that we need to stop looking at work as a thing you do for a company. If you view your career like that, your success will always be linked to the success of the company, as well as your ability to survive within that particular culture. You will be at the mercy of people who are concerned about their own careers, not yours.

via: How to do what you love, the right way

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仕事を「会社のためにすること」と考えるのを止めなくてはならない。もしキャリアをそういう風に考えると、成功は常に会社の成功、そしてその会社の文化の中で生き残る技術の問題になる。あなたの成功は、「あなたの」キャリアじゃなくて、「自分自身」のキャリアにしか関心がない人のお情け次第というとになるわけだ。
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この「会社の文化の中で生き残る技術」という事には思い当たるフシが多い。今まで勤めた会社を思い出すと、そうした術に非常に長けている人がおり、そして実際に要職についている。能力とか人望には一切関連なしにね。

この文章の後半では、そうではなく仕事をプラットフォームとして考え、仕事は自分が乗っているプラットフォームを発展させるためにするのだ、、という考えが述べられているように思う。語尾が曖昧なのは私が「そうではなく」の部分をまだきちんと理解していないからだ。

ちなみにこのBlogは非常にデザインの感じがよろしい。当方のサイトとは大違いだ。

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そして最後は恒例の「日本の電気メーカーがっかりストーリー」です。

この冬商戦ではさまざまなスマートフォンが発売されたが、中でも好調なのが、ドコモから発売された、ソニーモバイルコミュニケーションズ製の「Xperia AX SO-01E」だ。販売ランキングでは発売週に1位を獲得するなど売れている。

via: 開発陣に聞く「Xperia AX SO-01E」:"妥協なき商品"を目指してarcのサイズとacroの機能を両立――「Xperia AX SO-01E」 (1/2) - ITmedia Mobile

でもってその後に誇らしげなストーリーが数ページに渡って語られる。

でもって同じく昨日みたニュース。

ドコモによると、Xperia AXと読み取り機器との間に相性問題が発生するとされており、エラーになった際には以下の3つを何度か試すと読み取れるようになるとのことです。

駅の改札機に設置されている読み取り面は斜めになっていますが、2番の方法を実践するには斜め下から突き上げるようなポーズを何度も取る必要がありそうです。また、3番の「上から素早くかざす」場合は懐かしの「へぇ」ボタンを連打してるような感じになってしまいます。周囲の視線がとても気になりますが、耐えるしかなさそうです。

「お取扱いには十分ご注意ください」などとアナウンスするならば交換・回収(リコール)を行うべきだと思うのですが、どうやらユーザー側に奇怪な読み取り方を "お願い" するようです。

via: これはひどい...ドコモ、Xperia AXの「おサイフケータイ」不具合対策を発表 | ガジェット速報

こういうのってインタビューなのかPRなのかはっきりさせたほうがいいように思うのだけど。素直に「PR記事です!」ってやったほうが読んでいる方も安心できると思うのだけどね。


WI2研究会にでたよ&WISS2012に行ったよPart5

2012-12-17 07:32

というわけで先週の金曜日からWI2研究会に行ってきた。

というわけで例によってずれた感想を書いてみたい。

プレゼンテーションと連動したモバイル型レスポンスシステムの開発

これには驚いた。何が驚いたといって、WISSで数年前から実用化されているチャットシステムとか聴衆の反応を得るシステムそのものを「これから作ります」といっていたから。

WISSの面白いところは、論文とか研究にはなりにくくても「必要なシステム」がどんどん提案され実際に使われるところだと改めて認識した。

しかしじゃあWISSがカバーしてる範囲に抜けがないかと言えばそういうわけではない。

WI2の講演中何度も

「これ何時までですか?」

と講演者が聞く場面があった。つまりそもそも自分の持ち時間が何分か、どれくらいオーバーしているかとか全く認識していないのである。

それ自体かなり驚くべきことだが、それはここでいいたことの主眼ではない。こういう研究会というものは日本に限っても数限りなく運用されているにもかかわらず

「時間管理を行うシステム」

が座長タイマーと呼ばれる「予め設定した時間に音をだす」アプリで長年停止していることが驚きだと言いたいのだ。

これは「そうした研究会で議論されている内容」と考え合わせると実に皮肉な印象を受けざるをえない。ユーザビリティがどうの、情報可視化がどうの、情報共有がどうのとか声高に議論しているわりには、自分たちの研究発表の時間管理すら旧態依然としたシステムで行なっているのだ。

ということをTwitterで書いたら、さっそくWI2の委員長から返答があり

ありがとうございます!ぜひ,そういうシステムを作って,持ち込んでください!!

via: Twitter / hijip: @grgr56 ありがとうございます!ぜひ,そういう ...

というわけでいつものことながら「何かを指さしている時には、残りの3本指が指しているものに注意」というやつである。

日曜日に頭の中であれこれ考えたのだが、これって結構面白い課題だなと思う。

・聴衆・発表者・座長(場を仕切る人)にそもそものスケジュールと現在何時か、残りはどれくらいかを知らせることができなくてはならない。外部からも見られると、「途中から参加する」人が「今行けば何が聞けるか」を知ることができて便利。

・ということは多分Webアプリ+iPadアプリとかそんなのになるんだろうなあ。HTML5でがんばるとか

・時間がオーバーした場合に、全体をスライドさせるのか、あるいは途中を短くするか、あるいは全体を短くするかなど設定できなくてはならない。

・主催者からのアナウンスを貼り付けられる用にするととてもいいのではなかろうか。

ということを考え始めると、これは「実用」であって「研究」にはならんか、と思う。委員長のコメントを読もう。

そういうシステム作るのは簡単だと思うんだけど,技術的に乗り越える壁や,共有に社会的特徴とかがあると良いんですけどね

via: Twitter / hijip: @grgr56 実は,座長タイマー動かしていませんで ...

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研究成果の実用化、事業化という点についてはWISSでも時間をとってセッションがあった。

しかしそう大上段に構えなくても、こういうところからもその問題につて考えることはできると思う。つまりこういうシステムがあれば、誰もが喜ぶことはわかっている。しかし

事業という観点からは
・ビジネスモデルはどうするんだ?収益の予想は?

という難癖をつけられ

研究という観点からは
・新規性は?有効性の評価は?

という関門がつきつけられる。結局誰も手をださず「座長タイマー」が使い続けられる、、というのは一歩引いた観点からみると実に奇妙だ。

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来年の事を言うと鬼が笑うと言う。今の自分の状況を省みみれば、来年のWISSを語ると鬼が笑い死ぬことになるだろう。

さてどうしたものかね。


Connecticut school shooting

2012-12-15 20:27

日本では選挙前だし、「対岸の火事」ということもありほとんどの人が聞き流していると思う。

米国コネチカット州の小学校で銃を乱射した男がおり5歳から10歳までの子供20人がなくなり、6人の大人も殺された。

オバマ大統領の声明を聞こう。英語が聞き取れなくても是非見てほしい。彼がどのように感じているか解ると思う。

大統領は何度も言葉につまり、目尻を拭う。彼はこう言っている。こうした悲劇のニュースを聞いた時、大統領としてではなく、子供を持つ親として受け止めると。

日常生活を送っていると、様々な不満や不平がでてくる。そして他人や得体のしれない世界や、自分の境遇を恨んだりする。

しかしこうしたニュースを聞いたとき、目の前に、うるさく、言う事を聞かず、気が向いたときだけ自分に甘える子供がいることに気がつく。そして「些細な事」で不満を感じていた自分を少し恥じる。

日本人だから子供を抱きしめるのは少し恥ずかしい。しかしこういう時は少し頭をなでようかと思う。

コネチカットにはそれができない両親達がいることを思いながら。


WISS2012にいってきたよ(その4)

2012-12-13 07:30

というわけで今日がきっと最終回になることでしょう...本当かな?

産総研が開発し、公開しているSongriumというシステムがある。

Songrium: 関係性に基づいて音楽星図を渡り歩く音楽視聴支援サービス
濱崎 雅弘,後藤 真孝(産総研)
本研究では,楽曲やミュージックビデオ等の音楽コンテンツ間の多様な関係性を意識しながら,Web上で新たな音楽コンテンツに出会うことができる音楽視聴支援サービスSongrium (ソングリウム,http://songrium.jp)について述べる.Songriumでは,音楽コンテンツ間の明示的あるいは暗黙的な関係に名前を付ける「矢印タグ」という枠組みにより,音楽コンテンツ間のつながりの共有と利用を可能にする.

via: プログラム - WISS2012

これに関して、私は先日こう書いた。

ここで私は「ガクッ」となり床に手をつく。何が書いてあるかわからないからだ。年をとって細かい文字が読めないからかもしれぬ。若い人ならこの重なった小さな文字が読めるのだろうか、とも考えるのだが。

via: ごんざれふ

つまりは脳天気な批判をしたわけだ。いや、仮にこの文章を後藤さんたちが読んだにしても、心が広いというか余裕がある方たちだからきっと笑って読み流してくれるだろう、と半ば期待しながら。

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初日に後藤さんに挨拶したとき「Songriumのご指摘ありがとうございます」といわれ大変恐縮する。それからあれこれあった最終日。わーい。自分の発表終わったし、あとは発表聞いて帰るだけだーと思っていたら後藤さんに声をかけられる。

「あれを直すとすればどうしますか?」

と問いかけられたのだ。その後First Authorの濱崎にも声をかけていただいた。恐縮至極である。

何事もそうだが無責任な批判というのは大変楽しくかつ楽なものだが、提案は大変だ。それからの会話全てを再現はしないが、わかったことは

・私が偉そうに指摘していたModelとViewの分離はちゃんと考えている
・具体的にはニコニコ動画であれば、派生動画との関連も非常に重要だが、それをあえて衛星のような形に抽象化し、表示量を削っている。(つまりViewを分離して考えている)
・表示が込み入っているという問題も理解はしているが、音楽情報の解析結果に意味があり、かつユーザからポジティブなフィードバックがあるため、それを削るわけにはいかない。具体的には、各楽曲の配置に特徴があり、その位置関係を崩したくない。


なるほど。。と私は深い沈黙に陥る。最近Goromi-Tubeをタブレットに移植しており、その操作感、どこにでも音楽を持ち運べる便利さに目覚めているのだが、後藤さん達としてはあくまでもWebインタフェースに拘りたいとのこと。であればフリックでわっさわっさと表示を切り替えて行くのは無理だ。

さて、問題です。どうすればいいでしょうか?

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というわけで空いた時間にあれこれ考える毎日である。まずはトップ画面

top.png

ここで特徴的なのは「サイハテ」が一人ぽつんと離れたところに位置していること。とてもよい曲なのだが、特徴量を解析するとこうなるらしい。(私も2曲ほど歌っておりますが)

しかしこの画面が読めないという問題は厳然として存在するわけだ。これをどう解決しよう?一つの方法は

「重なっているものを順番に点滅させること」

ではないかと思う。つまり他のノードと重なっているものを一度に表示するのではなく、アルファを変化させながらチラチラさせるのだ。その方法をとるとある程度の時間眺めていないと全体がわからないのだが、今の画面はどう眺めても理解できないのだから、少しはマシなはず、、、と言い切れるかどうか。これは実際に作ってみないとわからない。

では、私が前にとりあげた記事で書いた「一曲から伸びる矢印が重なって読めない」という問題はどうか?

ちらちらさせる、というのは一つの解決案。もう一つ時間方向に定常な案としては「マインドマップ的」な矢印の変形というのがあり得る。つまり矢印は目的に向かって直線である必要ななく、重ならないように変形させてもいいはずだ。これをやれば重なりは回避できる。問題は図がどうしようもなくダサくなることだ。

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Songriumのインタフェースについて話しを聞くと、それが非常に考えた末の結果であることがわかる。それと同時に

Functional, but no elegant, not beautiful

という思いも湧いてくる。ここらへんは何を優先し、何を諦めるかというプロジェクトの指針にも関わることであるが。

いやいや、そう簡単にあきらめては行けない。任天堂宮本氏の名言を思い出そう。

宮本さんによれば、
「アイデアというのは
 複数の問題を一気に解決するものである」

via: HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN - 1101.com

そう考えれば私に足りないのはideaということになる。もう少し考えよう。


WISS2012に行ってきたよ(その3)

2012-12-12 07:12

とうわけで、まだまだこの話題である。いや、北朝鮮のミサイル発射準備とか、日本の選挙とか語るべきことは多いのだ。しかしまあ、なんだ。とにかく二日目、三日目に聞いた話から。

.....

と書きたいのだが、二日目は自分の発表があったため緊張とあれこれでほとんど頭に残っておあらず、三日目は「わーい。発表おわーったー」と喜びのあまりあまり聞いちゃいない。というわけで、内容がカスカスだけと許してね。

冠動脈シェーマに基づいた心臓カテーテル検査所見入力のための電子カルテ・インタフェース
五十嵐 悠紀(筑波大/JSPS),五十嵐 健夫(東大/JST ERATO),原口 亮,中沢 一雄(国循)
手書きスケッチに基づくモデリング技術を用いて,心臓カテーテル検査のための効率的所見入力を可能にする電子カルテ・インタフェースの開発を行った.本システムでは,冠動脈シェーマのテンプレートに対して狭窄の部位や程度を簡便に入力することができる.効率的でわかりやすい所見入力ということだけでなく,患者への病態や治療計画などの効果的な説明ツールとしての応用が考えられる.

via: プログラム - WISS2012

いつもきっちりとした視点で、かっちりとした成果をあげる五十嵐さん(現在筑波大学、来年から明治大学)の発表。興味ぶかかったのはチャットで

「こんなことが気になるよねー」

という話題がであると、そのあと必ずそうした点に触れた説明がでること。翌日少しお話を聞いたら、自分であれこれ想定問答を考えて、説明内容を工夫しているとのこと。

当然人が気になるところにきちん、と気が付きそれに回答をする。当たり前のようだがなかなかできることではない。

医療現場というところは、非常に保守的である、、と今年一年で何度か聞いた気がする。このシステムのインタフェースについて「ラジオボタンを使うのはいかがなものか」という意見もあったが、直後に「医療の現場では一瞬を争うので、スライダーよりラジオボタン」という話がでる。聴衆納得である。それでもまだ実用化がなされていないとのこと。その壁はどこにあるのか。乗り越えるにはどうすればいいのか。

学習の敷居の低さとシステムからの離脱の容易さを両立した学習支援システムの実現に向けて
竹川 佳成(はこだて未来大),寺田 努(神戸大/JST さきがけ),塚本 昌彦(神戸大)
難度の高い技能の習得には時間と労力がかかるため,挫折する学習者は多い.これに対し,システムが学習者を補助することで,習得したい技能の難度を下げ学習意欲を維持できる学習支援システムが提案されてきた.しかし,システム補助に依存してばかりでは,システム補助がない状態で技能を表現できない.そこで本研究では,学習の敷居の低さとシステムからの離脱の容易さを両立した学習支援システムの構築をめざす.

via: プログラム - WISS2012

正直いえば、自分の発表直後で手がぶるぶる震えている状態だったので内容については詳しく覚えていない。覚えているのはチャットでいろいろな会話がなされていたのことだ。

プレゼンの冒頭、自転車の乗り方を教える方法の最終段階は「お父さんの嘘」という言葉が述べられ、笑いが起こる。「大丈夫だよ。ささえてるよ」というやつだ。それに対して、「最近はストライダーというのがはやっている」と子供を持つ人の間で会話が盛り上がる。すいません。

そもそもこうした「高度の技能を要求するユーザビリティ的にいかがまものかという機器」はなぜ存在するのか。それへの補助と離脱はどうあるべきか、など考えるべき点を多く指摘していた発表だと思う。

注視していないことを利用したマウスカーソル高速化手法
山中 祥太(明治大),栗原 一貴(産総研),宮下 芳明(明治大)
高精度な視線計測器を用いても,ユーザが注視したいオブジェクトの特定は困難である.一方で,注視していない領域は容易に判定可能であり,この領域を適切に利用することで新たなインタラクションが可能になると考えた.本稿では,注視していない領域においてカーソルの移動を高速化する手法を提案する.評価実験により,長距離の移動時には操作時間が短縮されることを確認した.

via: プログラム - WISS2012

視線を計測し、ユーザが注視しているところを検出できれば役に立つだろう、と思う人は多い。しかし現実は優しくない。簡単にいえば「それはわからない」のだ。

というわけで、注視していないところではカーソルの移動を早くし、注視している(かもしれない)領域ではゆっくりにする、という試み。話としては面白い。実際に数ヶ月自分で使っているというのも好印象なのだがその結果が

「長い間使っても特に不具合は認められなかった」

というのがつらいところだ。いや、この間久しぶりに普通のシステム使ったらいらいらする、とかさ。もちろん使って違和感を感じないのは偉大なことなのだけど、使わなくても違和感感じなければ意味ないし。

説明で、本題にはいるまではがとっても長かった。きっちり物事を進める人なのではないかなと想像する。

お風呂ディスプレイ:浴槽型没入映像体験システム:的場やすし(電通大),高橋陽一(電通大),徳井太郎(電通大),小池英樹(電通大)

via: デモ - WISS2012

これはすごい。しかけとしては比較的単純で、水面から指をだすと、それをKinectで認識し、あれこれ入力として用いるというもの。

何がすごいといって、ちゃんと面白いアプリとセットで提案されているところだ。水面からつきだした指からどどど、と何かが発射され、目標にあたると文字通り「水しぶき」があがる。いや、すばらしい。

これ是非子供向けのプールとかで実用化してもらいたい。近くのショッピングモールでは床面に映像を投影するしょぼいシステムで子供が大はしゃぎしている。あんなのであれだけ受けるんだから、これがプールにはいったら反響すごいと思うのだけど。

叩くコミュニケーションを用いたインタラクションロボット:足立麻衣子(奈良先端大),杉山治(ATR),神原誠之(奈良先端大),萩田紀博(ATR/奈良先端大)

via: デモ - WISS2012

議論をよんだ内容だが、視点の興味深さでは群を抜いていたと思う研究。一言で言えば「かわいいぬいぐるみを叩くと、スッキリと罪悪感を同時に感じる」というもの。

人間には他人を傷つけたい、そして自分がすっきりしたい、という衝動が潜んでいる。もちろん道義的に云々ということでこうした願望が表にでること許されないのだが、存在することは事実だ。

でもってこの研究である。子供にやらせたところ、ものすごーくひっぱたいていたのだそうな。実際子供はとても残酷だ。「少年兵」という近代最悪の発明の一つはこの特性を利用しているのではないかと思う。日本の陸軍に指導に来たメッケルは若者を徴兵する意義を「若者は残酷になるのが得意だ」とかなんとか言ったとかどこかで読んだ気がする。

吉田戦車の漫画に「いじめてくん」というのが出てくる。

いじめてくんは、小型の地雷であり、生き物のように動き回る。外見は人間の頭部に細い手足が生えているような姿をしている。常に何かに怯えているようなオドオドした表情で気弱な雰囲気を放っているため、周囲の者の嗜虐心を異常にあおる。周囲の人間(時に動物も含む)がその嗜虐心に負けていじめてくんに暴力を振るうと苦悶の表情と共に爆発する。

via: いじめてくん - Wikipedia

漫画の登場人物は、「いじめれば爆発する」とわかっていながら彼をいじめずにはいられない。しかし可愛いぬいぐるみを叩くと罪悪感を感ずる。何故だろう。

という着眼点が面白い研究。うまくまとめてなんらかの成果につなげて欲しいが。



WISS2012に行ってきたよ(その2)

2012-12-11 06:48

というわけで、WISS2012で見聞きした研究について。

VocaRefiner: 歌を歌って歌い直して統合できる新しい歌声生成インタフェース
中野倫靖,後藤真孝(産総研)
音楽制作における歌声パートの生成において、気に入らない箇所を何度も歌い直して統合できるインタラクティブシステムVocaRefiner(ボーカリファイナー)を提案する。VocaRefinerでは、複数回の歌唱それぞれについて、音素の時刻と音の三要素(音高・音量・音色)を推定し、音素と三要素単位で一つの歌声へ統合できる。さらに、それらの要素を時間軸上で伸縮したり、個別に補正したりするインタラクションも可能とする。

via: プログラム - WISS2012

いや、これはものすごい。自分で歌を歌っていて、音程は正しかったが歌詞を間違えた、あるいはその逆でも、個別に編集できるのだ。「歌ってみた」を作る人にとっては、必携のツールである。

後藤さん達がこのように素晴らしい成果を発表できるには、やはり明確な「将来像」というビジョンがあり、それに向けて一歩一歩積み重ねを行なっているからだと思う。そうした「理念」を説く人は多いが、実際にやってみせることができる人は滅多にいない。

産総研からのもう一件発表Songriumについては別途項を改めて書きます。

TimeFiller:生活を無理なくコンテンツで満たすメディアプラットフォーム
渡邊 恵太(JST ERATO),石川 直樹(農工大),栗原 一貴(産総研),稲見昌彦(慶大/JST ERATO),五十嵐健夫(東大/JST ERATO)
録画装置や映像配信によっていつでも好みの映像を見られる環境が実現した。 一方で視聴時間の確保が難しい。今日「何を見るか」より「いつ見るか」が課題である。ユーザはコンテンツへのアクセスが比較的自由になった一方で日常生活の時間制約からは自由になれていない。本研究ではユーザの時間の制約を解消しながら見たいコンテンツとの接点を無理なく拡大する環境 TimeFiller を提案する。

via: プログラム - WISS2012

私が認識している範囲で(このもって回った言い方の説明はあとでします)最もチャットで議論が沸騰した研究。プレゼンを観た限り

「スケジュール帳で、開いているところに全部TVの番組を埋める」

というシステムに見えた。そうまでしてTVを見たいのだろうか?考える時間はどうする、とかなんとかチャットは大騒ぎである。

彼が届けたかったメインメッセージは

「コンテンツではなく、空き時間に応じた情報推薦を」

ということでありそれは同意できるのだが、だからといってスケジュール帳の開いているところに全部TVを突っ込まれても困る。しかし最近の渡邊氏の研究を見ていると、あえてそうした議論を呼ぶ方向を狙っているようにも思える。

Lighty: ロボティック照明のためのペインティングインタフェース
橋本 直(JST ERATO),盧 承鐸,山中 太記(東大/JST ERATO),神山 洋一(JST ERATO),稲見 昌彦(慶大/JST ERATO),五十嵐 健夫(東大/JST ERATO)
室内の輝度分布をペインティングによって自在にデザインできる「Lighty」というシステムを提案する.Lightyは明るさと方向を制御可能なロボティック照明群とタブレットデバイスを用いたペインティングインタフェースから構成される.ユーザは所望の輝度分布を天井カメラのライブ映像上でペイントすることによって指定できる.システムの概要について説明し,プロトタイプ上で行った被験者実験の結果について報告する.

via: プログラム - WISS2012

この研究は、その内容もさることながら用途についてあれこれ議論が巻き起こった。例えばこうだ。私の部屋の天井照明はLEDでもってあれこれ調節ができるのだが、気が付けば基本的なON/OFFしか使っていない。それはなぜだろう。このように調節ができるとどんな場所で使えるのだろう、とかなんとか。

個人的には、こうした照明はそれこそ「自然なジェスチャー」で入力できたり制御できたりせんか、と思う。ここで「自然なジェスチャー」というのはKinectとかではないよ。それこそジェスチャー認識のブレークスルーが必要なところだ。

この「室内の照明の制御インタフェース」というのは古くて新しい話題だ。つまり既存の「スイッチを四角に並べた」インタフェースがゴミだというのは誰もが考えている。しかしいつまでたっても改善されない。まだまだ議論とideaが出そうな分野だと思う。

Squama: プログラマブルな建築のための構成要素
暦本 純一(東大/ソニーCSL)
建築空間がその物理的な特性を動的に変化させるようになるというビジョン「プログラマブル建築」を提案し,その構成要素として部分的に透明度を制御できるプログラマブルな壁面あるいは窓システムについて報告する。眺望をたもちながらも見たくない/見せたくないものだけを居住者の視点に基づいて選択的にマスクする「実世界モザイク」や、居住空間の採光を影の指定によって定義する「プログラマブルな影」などの応用が可能になる。

via: プログラム - WISS2012

ガラス面が、全体的にすりガラスになったり透明になったりというのは既に実用化されている。ここで提唱されているのは、それが部分的に行えるもの。

「プログラマブル建築」というビジョンを明確な姿として提案したのが興味深い発表だった。論文賞も納得。私が一番いいな、とおもったのは

「ホテルのカフェなどで、人がいるところに影を作る」

という用途だが。

もう一つ印象的だったのが「最近TVの価格が下落し、高級ガラスより安くなっている」という言葉。つまり壁面全体がTVのような液晶であっても構わないわけだ。

Panasonicから参加されていた人は、この意見に不満のようだったが、チンピラサラリーマンからすれば「どうせTV作っても儲からないんだから、いっそ建材にしては」とも思う。

KikuNavi: 集合知に基づいた歩行者用リアルタイムナビゲーションシステム
長坂 瑛(電通大),岡部 誠(電通大/JST PRESTO),尾内 理紀夫(電通大)
SNSによって築かれた友人関係の集合知を利用することで、より広範囲な問題を解決できるリアルタイムな歩行者ナビゲーションを提案する。本研究において、我々は次の2点について議論を希望する。・事業化という観点から提案システムを実運用するための課題は何か。・SNSの普及によって人の繋がり方が空間的、心理的にどう変化したか。

via: プログラム - WISS2012

ものすごく単純に言えば「行き方がわからなければ、SNSで知り合いに聞けばいいじゃん」というものである。これはその内容よりチャットの盛り上がりが興味ぶかかった。

「友達いないし」

このあとも何度か繰り返されることになるのだが、「僕は友達が少ない」人にとってSNSでどうとか言われても困る。もちろん私の数少ない有人は助けてくれようとするだろうが、絶対数が少ないのでリアルタイムに助けが来る可能性は限りなく低い。

というわけでWISS2012では「僕は友達が少ない」ネタは鉄板となったのであった。今にして思うのだが、一時お茶大から発信されていた「遠距離恋愛支援システム」など発表されていたらチャットはどうなっていたんだろうか。というかそれが発表された時私参加していたのだがチャットの様子を覚えていない。もはや

「僕には彼女がいない」

と言う気力もなく沈黙していたのかもしれん。


以下デモ発表。

家事を楽しくするための家電装着型ロボット:大野敬子(お茶大),塚田浩二 (JST),椎尾一郎(お茶大)

via: デモ - WISS2012

マグネットで小さなロボットを家電に装着する。でもってロボットがその家電の特性にあった動きをしてくれる。そうすれば家事が楽しくなるだろう、というもの。

他のお茶大の発表にも共通して言えることだが、機構の実装に力点が置かれすぎている印象がある。何が言いたいかというと

「家事を楽しくするロボットはどんな動きをするべきか」

というところにフォーカスしたほうがいいと思うのだ。人間は決まりきった動きをするロボットにすぐ飽きてしまう。人を飽きずに楽しませる。フォーカスしたほうがユニークな研究になると思うのだけどね。実装勝負ではそれこそ高専には勝てん。

見せてくれた例では、ダイソンの掃除に人形をつけると、進む方向に応じて「ひゅーん」と体を傾けてくれる、というのは楽しかった。しかしそれが持続する楽しさかどうかについては考える必要がある。

表現を和らげてネガティブ感情伝染を防止するブラウザ:大家眸美(明治大),宮下芳明(明治大)

via: デモ - WISS2012

例えば誰かが「死にたい」などとTwitterに書き込むと、そうしたネガティブな気分が伝染する。これはいけない。というわけでこのようなネガティブな表現を自動的に

「まだ生きてる!」

とかに書き換えてしまおう、というシステム。知識の獲得を集合知で集めるのが今風だ。

これについてはあれこれ考えさせられた。確かに誰かが「死にたい」などと書くと周りの気分が悪くなる。しかし書いた本人はどうなのか?なぜそんなことを書くかといえば「かまってほしい」という気持ちの屈折した表現である場合もある、ように思う。

リグレトというサイトがある。負の感情をぶつけるとそれに人があれこれ書いてくれるというものだ。何度か会社の愚痴とか書いたが

「ドンマイ!」「まだ大丈夫!」

とか見知らぬ人に言われると無性に腹がたつことに気がついた。そう考えるとネガティブな表現を自動的に書き換えることにより、書いた本人の鬱屈した気持ちがどこに行くのかが心配だ。書いた本人はそうした書き換えをされて楽しいのだろうか?

かまってほしい、でも周りにネガティブな気分をばらまきたくない、というのであれば書き換えではなく伏字でどうか、と提案した。つまり「●にたい」というやつである。直接読まないが周りは伏字になっていることから、何かまずい心理状態である事をしる、とかなんとか。

いかん。だいぶ削ったのにまだ一日目ではないか。とはいっても二日目以降はとっても簡略化される予定。何故かというと自分の発表の緊張感でよれよれになっていて人の話しを聞いてなかったからである。


WISS2012に行ってきたよ(その1)

2012-12-10 07:21

というわけで、青森県三沢市から返って参りました。毎度のことであるが、たった2泊3日なのに、そのあと日常生活に感覚が戻るまでが大変である。

というくらいにあれこれ刺激を受けるイベントなのだが、今日はまずその「運営」について書きたい。(研究については後日書きます)

想像だが今年は「無駄な時間を徹底的に省く」というのがコンセプトとしてあったようだ。例年最初の一時間は「開催中使うシステム」とか「ホテルの中の案内」とかに費やされる。今年は事前に「旅のしおり」が配布されそうした説明はばっさりカット。一気に10分である。すばらしい。


いや、それ以前に「受付」の改善がすごかった。例年WISSでは受付に長蛇の列ができていた。その場でお金を受け取るから、お釣りがどうとか大変だし、領収書の発行も何かと面倒だし。その列で「あら、こんにちは」とか挨拶がなされるのも恒例行事だったのだが。

今年はほとんど歩くのと同じスピードで受付である。基本的に参加料は事前振込だし、領収書は参加者個人に振られたID順に整然と並んでいる。考えてみれば、自分の名前をずらっとならんだ紙のなかから探すのは、本人が一番早くできる。受付の人が、リストをあれこれ見ているのだが、自分のほうが早く見つけることが多い。
であれば、本人に探してもらったほうがいいではないか。というわけで領収書を受け取り、山とつまれた予稿集を受け取れば受付完了である。

もう一つ感心したのは、デモの一分間発表だった。私が参加する学会ではデモ発表がなされることが多い。でもって大抵事前に「一分間発表」というのがある。これがなかなか大変だ。デモを行う側は本来の展示とは別の説明を考えねばならぬし、その準備のためにながーい列に並ばなくてはならない。そしてだいたい「3B-8で発表をやっています」とかいうのだが、そんな数字誰が覚えられるというのだろう。

というわけで改革である。カメラが2台実際のデモを行う場所を周り、担当者に一分しゃべってもらう。実にテンポよく画面が切り替わるので、見ている側は楽しいし、実際にデモを行う実物を見ることができるからイメージもわく。(登壇するタイプでは、大規模はデモ装置を見せることができない)いやすばらしい。

後から知ったことだが


素人がやる学会中継としては最大規模だったと思う。特にデモ中継は質問者x2、カメラマンx2、ケーブルさばきx2、+アルファ(スイッチャ、中継者とか)で運用した。まあ、やりゃあできると言われればそうだけど、問題はこれをどうやって持続可能な形にするかだと思う。


via: Twitter / DaisukeSakamoto: 素人がやる学会中継としては最大規模だったと思う。特に ...

というすさまじいことをやっていたようだ。感嘆と賞賛の他はない。

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ちなみにおじさんはこの中継をみて変なところで感心していた。私が子供の頃、NHK教育にでてきたどこかの先生がものすごく硬い表情で

「私はいま大変緊張をしていますが..」

と述べた事を覚えている。何の話だったかは全く覚えていないが、その表情だけは覚えている。

つまり今より一世代、二世代前の日本人にとって

「カメラに向かって話す」

というのはそれほど非日常的で心理的な圧迫を与えるものだったのだ。

しかしまさしく「時代は変わった」のだ。デモの一分間発表を行う人達の流暢なこと。(いや、もちろん緊張はしているのだろうけど)

カメラと一緒にデモを回っている二人のレポーターというかなんというかの上手さは言うまでもない。産総研の塚田氏が「茶番」を入れるたびに、会場のチャットでは「安定の茶番」という言葉が飛び交う。ああ、最近の若者は素晴らしいなあ。

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と書いているうちに思い出した。もう一点の改革。

超消極的な人でも安心して使える学会での交流促進システム
西田 健志(神戸大),濱崎 雅弘,栗原 一貴(産総研)
「積極的に交流した方がいいよ」とは言うけれど、それができないから苦労しているのです。「それなら誰と交流したいのか教えてよ、紹介するからさ」とは言うけれど、もしうまく話せなかったらどうします?私となんか交流したくなかったらどうします?それでも心に秘めたこの想い...。そんな奥ゆかしいあなたをこそ私たちは応援したい。

via: プログラム - WISS2012

これである。学会の時の食事の席ぎめというのはいつも私を悩ませてくれる。いや、私そもそも友達少ないし。仮に同じ所属から来ている人がいても、わざわざ外部の集まりまできて一緒に座るってのも変だし。それに日本には上座とかあるじゃない。えーっと床の間があっちだから、ここらへんは上座なのかな?でもってそもそも誰と喋ればいいのか。

というわけでこの交流促進システムである。自分の希望。他人が書いてくれた自分を含む希望、あるいは単に「交流したけど交流怖い」でもいいのである。とにかく何か書いておけば、席が割り振られる。いや、素晴らしい。お陰様で一日目、二日目とも楽しく夕食時に会話させていただきました。思わず

「どんな希望書いたの?」

と聞きたくなるような席ぎめもあるのだが、それはご法度とのこと。「セキハラ」とでも言うべき事象のようだ。この「セキハラ」ってのは今思いついた言葉だがなかなかよろしい。これから忘年会シーズンなので、上司が男女問わず席を割り振ったり、あるいは席決めについてあれこれ言ったり、詮索したりすることをこれから「セキハラ」と呼ぶことを提唱したい。

というわけで明日からは(もち覚えていれば)いろいろ見聞きした研究のことについて。


ダライラマの教え

2012-12-05 07:20

少し前の記事になるが、大学のセンセイとダライラマの対話の話しを読んだ。何箇所が引用。

精霊が天から降りてくるなんていってはいけない。〔精霊がもたらすものは、せいぜい感覚の幸せだ。〕感覚の幸せは永続する幸せではない。本当の幸せは心の修練を通じて得られる。努力をしてはじめて得られるものだ。トランスで得られるものではない。苦しみを押さえ、環境に振り回されない心を作ってはじめて多幸感は得られる。

via: 白雪姫と七人の小坊主達 ダライラマ法王と科学者との対話 

この言葉は非常に深い意味を持っている。麻薬とは幸せの前借り、とかいう表現を読んだことがある。使っている間はハッピーだが、それは結局後の幸せを前借りしているにすぎない、と。うちの子供がこの言葉を理解できるかどうかわからないが、学校の勉強もこの「環境に振り回されない心」を作るための一つの方法ではないかと思っている。

今まで科学は外にある物質を研究対象としてきた。これからは心を含めて研究対象にせねばならない。欧米とインドではすでにその試みははじまっている。

via: 白雪姫と七人の小坊主達 ダライラマ法王と科学者との対話 

この記事の中で、ダライラマは似たようなことを何度か主張している。インタラクション研究の評価についていつも議論がおこるのも、結局こういう問題につきあたっているからではないかなあ、と思いだした。

Human Computer interactionというからには、システムの中に人が入っている。おまけに行動とか受容度とかは基本的に人間の感情によるものだ。

でもって人は人間の感情をうまく科学の俎上に載せることができていない。というか科学がどうつきあえばよいのかわかっていない。(心理学?ああ、そんなものもありましたね)

というわけで様々な評価方法が生まれ、定量化がなされるがいつまでたっても議論が続くばかりで結論がでない。いや、前向きに考えよう。インタラクション研究は「科学と心の融合をはかる試みの最前線」で苦闘している、と。

というわけで、明日からWISS2012に参加しますです。今年もいろいろ新しい試みが目白押しで楽しみだ。


NPS = No Problem Syndorome

2012-12-04 06:51

今日の内容は昨日の続き。というわけで、読んでない人は昨日の記事から読んでね。

「自分が(使い手として)使いたいものを作る」と「自分が(作り手として)使いたいものをつくる)」の差異について書いた。今朝電車を待っているときにふと気がついた。

前者は「問題」にフォーカスしており、後者は「手段」にフォーカスしている。つまりどうしようもない製品を嬉々として作るエンジニアは、それが何の問題を解決するかという点には興味がなく、「どう解決するか」だけに着目し、満足していると。

でもってこれはスーパーエンジニアへの道に書いてあった「問題ない症候群=No Problem Syndorome」であると。



(問題ない症候群の見分け方)


じゅにがも 「(難しい問題を相談して)で、お知恵を拝借したいんです」


問題ないマン「問題ないですね


じゅにがも 「では、私の問題がどういうものか、教えてください」←ここまで共通


問題ないマン「こういうメソッドで解決できます。問題ないですよ」


via: あなたは「問題ない」ですべてを片づけていないか:スーパーエンジニアへの道 - じゅにがも読書日誌

つまり「問題」は何か説明してください、という問にたいして「手段」を語ったとすれば、それはNPSの証拠である、と。「手段」に熱中してゴミ製品を作り出すエンジニアというか企画屋というかそういう人種は古今東西普遍的に存在しているということであるな。

スーパーエンジニアへの道によれば、このNPSは治療不可能で、年をとって耄碌すると症状が緩和されるという。だからこういう人にであったらにっこり笑って部屋をでていけ、とかなんとか書いてあったように思う。それが簡単にできない場合にはどうすればいいのか。やっぱり部屋をでるしかないか。


Iveとイーストウッドが得た悟り

2012-12-03 06:51

先日人生の特等席、という映画をみた。久しぶりのクリント・イーストウッドである。
感想は本家を見ていただくとして、見ている間ずっと疑問に思っていたのが

「イーストウッドはなぜこの映画に出たのだろう」

ということ。それを知るべくあれこれ検索すれば

Q:ロバート・ロレンツ監督はいかがでしたか?

とんでもなかった......冗談だよ! とても楽しかったよ。過去18年間、彼は製作サイドで僕と一緒に仕事をしてきたんだ。数年前に、いつか監督をやってみたいと言われ、それ以降いつもそういった機会があれば、と思っていたんだ。

via: 『人生の特等席』クリント・イーストウッド 単独インタビュー - Yahoo!映画

ということなのだな。つまり弟子というか仲間の映画に出演した、と。

でもって同じインタビュー記事からの引用。

こんなに長い間映画業界にいると、知れば知るほど、何も知らないということがわかる。観客を予想することはできない。僕は脚本にアプローチするとき、ヒットするかどうかは考えない。脚本を読んだときに感じたものを、観客にも感じてほしいと願っているけどね。観客がそれを感じなかったら、どうすることもできない。運命論者かもしれないね。でも、自分自身が気に入っていないといけない。そこがポイントだよ。「オッケー、僕は、自分でできる限りベストなものを作った」と言えないといけないんだ。

via: 『人生の特等席』クリント・イーストウッド 単独インタビュー - Yahoo!映画

周囲の期待とか、今の傾向がどうだとかそんなことは「何も知らない」「ヒットするかどうかはわからない」

ポイントは「自分のベストなものを作った」ということと「自分が感じたことを観客にも感じて欲しい」というところ。

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さてApple社のジョナサン・アイブである。

他社の大部分は、何か「他と違う」ことをしようとしていたり、新しいと思わせたりしたがっていますが、完全にゴールを間違えていると思います。製品を作るなら、それは本当の意味で「より良い」ものでなくてはいけません。それには厳しさが必要で、だからこそ僕らはそれをしたいと思うんです。より良い何かをやりとげようという、誠実で真摯な意欲を持てるんです。
普通の会社の上層部は、価格とかスケジュール、違って見えるための奇抜なマーケティングゴールなんかを気にしますが、そんなことは重要ではありません。そういうのは、製品のユーザーに対する認識の乏しい、会社都合のゴールです。

via: アップルのデザインの進め方、責任者ジョナサン・アイヴが語る : ギズモード・ジャパン

この二人の言葉に共通するのは

「自分たちが考えるベストの物を作り上げる」「競合との比較、競争などは些細なこと」

という点だ。

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おそらく多くの人にとって二人の言葉はあまりに抽象的過ぎて何のことかわからないと思う。日本の大企業の人には「マーケティング戦略がどうの」とか「ターゲットユーザ層がどうの」ということになるのかもしれない。

しかしそれは所詮「組織内の言い訳のため」のロジックだと思う。そんなことを積み重ねて良い製品、うれる製品が作れるならば、今頃ソニーは世界を制している。

もう一つこういう考え方が大企業の人に受けないのは、この方法論だと「良い製品」を作るのが完全に属人的な技術になってしまうことだ。みんな自分たちがベストの物を作ったと思ってるんだ、などという人間は何もわかってはいない。

例えばこんな言葉がある。

技術者が自分の開発している製品に愛情を注ぐことは必要なんだが、それがユーザそっちのけで自分たちだけが楽しんでいる状況になると、製品は売れなくなる。

via: 製品大好き技術者が事業を傾ける: 無指向な嗜好

これは実に正しい。「自分がユーザとしてどう思うか」ではなく「自分が作り手としてだけからどう思うか」を追い求めると「自分にとってのベスト」がゴミ製品になる。

この区別は微妙なものであり、おそらく教育で作り出すことはできない。良い製品を作る技術は属人的なもの。この事実を認めない限りどこにも行けない、、と思うのだけどね。