映画評:ワールド・オブ・ライズ

2008-12-29 10:01

冬休みにはいって頭がボケつつある今日この頃ですが、皆様いかがおすごしでしょうか。本家から転載です。

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中東で暗躍するCIAのエージェントがディカプリオ。後方から指示をだしている良きパパ兼上役がラッセル・クロウである。でもってテロリストの親分を捕まえるべくあれこれする訳だ。

脚 本が悪いのか、演技が悪いのかわからないが、ディカプリオ役が話の要でありながらなんともならないキャラクターに見える。自分で仕掛けた”わな”を、意味 もなく途中で放り出そうとする。(結局この”わな”はなんだったのだろう)現地で会った女の子に突然入れ込み、敵に格好の弱点を作り出す。もし彼の行動に 何か深い考えがあるとしても、それはディカプリオの演技からは伝わってこない。いいかげんこの男の

”難しい顔をするときには眉間にしわをよせる”

という演技も見飽きた。
対してラッセル・クロウは好演。子供のサッカーにつきあいながら携帯電話で血なまぐさい指示を出す男を見事に演じている。しかしこの上役も口が偉そうな割には、行動が間抜けである。

でもって結局場をさらったのは、ヨルダンの秘密なんちゃらの親玉なのだが、彼がもっと存在感を持っていたらなあ。渋い二枚目なのだが、この映画を救ってくれ、というのは望み過ぎか。

と、ストーリーは今ひとつなのだがダレル場面もないし最後まで飽きずに観る事ができたのも確か。リドリースコットの腕によるものだろうか。というわけでこの値段にするわけだ。

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現実に今何が起こっているかは、いつの日か明らかになるのだろうか。冷戦下で行われた”スパイ”達の活動がようやく明らかになりつうあるように。


映画評:ティンカーベル それとある映画評について

2008-12-26 07:13

本家より転載

悪い映画ではなかったと思うのだが、完全な子供向けだし、特に印象にも残らなかったのでこの値段にするわけだ。

ピーターパンにでてくる妖精ティンカーベル。彼女が誕生し、ロンドンに行くまでの姿が描かれる。出だしでちょっと意表をつかれるのが

”ティンカーベルは実は工学部産業機械工学科卒業でした”

という設定。もちろん彼女は作業服をきて引っぱり強度の試験をしたい、などとは思っていない。てんとう虫に色を塗ったり、夕焼けの光を捕まえたいのだ。

というわけであれこれあるのだが、ティンカーベルの活躍により話は丸く収まる、と内容はそれだけである。これが日本製であれば

”昨今の理系離れを反映したものか”

と言うところだが、そういうわけでもなかろう。というわけで映画の内容を離れ勝手な妄想が膨らむ訳だ。以下ネタばれ含む。

ティンカーベルが巻き起こした”産業革命”により、それまで数ヶ月を要していた春の準備はたった一晩で可能になる。映画の範疇では”めでたしめでたし”なのだが来年からはどうするのか。それまでせっせこと働いてた妖精達は

”一日でできるんでしょ?”

といい、昼間から酒を飲んだり、遊び回ったりするようになったのだった。町には失業者があふれ、とりあえず騒ぎを起こしたいマスメディアは”これは現政権の失政によるものである”とかき立てる。ところで失政ってなんですか。

このように様々な弊害が起こるのだが、いつしか妖精達はその環境に順応する。そして歴史の試験で”産業革命を起こした人の名前を書きなさい”という問題に取り組むことになるのだった。

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さてこの映画を激賞しているのが前田氏である。

いったい映画『ティンカー・ベル』に仕掛けられた隠しメッセージとは何なのか。

詳しくは皆さん自身で確かめてほしいが、アメリカ発の金融恐慌の原因に深く関わる事ということだけは書いておく。さらにヒントを出すなら、モノづくりの職業を放棄して、空とぶ華やかな仕事にジョブチェンジした妖精ティンカー・ベルとは、現在のアメリカ合衆国そのもの、ということだ。

この映画は、自信を失ってしまった覇権国家アメリカの労働者を励まし、汗水流す地道な労働を賛美する、まれにみる社会派ムービーである。

超映画批評『ティンカー・ベル』100点(100点満点中)より引用】

端的に言うがこの”感想”は映画の内容とは何も関係がない。

・空を飛んでいる妖精たちもちゃんと働いている。
・メインランドにあこがれるティカーベルは地道に機械を直したり、作りだしたりするが、最後はメインランドに飛んでいく。

数字だけをいじくりまわしていい暮らしをしている妖精でもでてくれば、前田氏の意見に賛同するが。

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前田氏の映画評を読みだしたとき

”をを、この人はつまらない映画はつまらないと言っている”

と好感をもった。しばらく読んでいたが、そのうちどうにも不愉快な感じを持つことが多くなり読まなくなった。

その不愉快さがどこから来るのか疑問だったが、最近ようやく明らかになった。

彼にとって映画評とは

”自分の知識(と思っているもの)をひけらかす場所”

でしかないのだ。であるから上記に引用したような映画の筋とはかけ離れた激賞をしてみたり、わけのわからないけなし方をしてみたりする。

その知識が感心するようなものならともかくそこが浅いものだから読んでいて不愉快になるわけだ。電車の中で友人(あるいはそのポジションにいる不幸な男)に対して、やたら大きな声でくだらないことをしゃべり続けている酔っ払いに遭遇したことがないだろうか。前田氏の映画評を読む時の不快感はそれに似ている。

しかし

最近気がついたのだが、こうした

”どうしようもない映画評論家”

のいかに多いことか。結局まともな映画評を読もうと思えば、個人でやっているサイトをめぐるしかない、というのが最近得た結論である。とはいえ、敬愛するm@stervisionもまた更新停止してるしなあ。。


"ウチはちょっと違いますよ"と言いたい団体のサイト

2008-12-25 06:52

プロ

アマチュア(甘ちゃんとも言う)

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アマチュアのサイトについては、そのOBからも非難の声が上がっているようだ。

外部の一観察者としては、その団体の性格をよく表していると思う。プライドと口は立派だが、中身はそれほどでもない、という意味において。


UsabilityとEmotional Designの間にあるもの

2008-12-24 08:09

Usabilityという言葉がある。きっと難しい定義があるのだろうが、"Usabilityを改善する”を私なりに要約すると

”使いにくい点を直す”

となる。

さて、もうひとつ取り上げたい言葉はEmotional Designである。これがほしい、これが使いたいと思わせるもの。

さて、

この"Usabilityの改善”とEmotional Designにどのような関係があるかといえば、実はあまりないのではないかと考えている。

Usabilityが悪い製品は、”多くの場合”使っていて楽しくない。不愉快な思いをする、ということは確かだ。

しかし”Usabilityを改善すればEmotional Designにつながる”かといえばこれは間違っている。

ひとつ極端な例をあげよう。ある高級旅館に泊まったときのことである。夕食後に”明日の朝食にオレンジジュースか、おいしいヨーグルトかどちらになさいますか?”と聞かれた。

そのあと”おいしいヨーグルトがいかにすばらしいものか”という話を聞いた。迷わず”ヨーグルト”と答える。

さて次の朝である。でてきたのはオレンジジュースだった。

あれ?ヨーグルトたのまなかったっけ?と思いながらオレンジジューズを飲んだ。まあこちらもおいしい。

その15分後”申し訳ありません”という言葉とともにヨーグルトが運ばれてきた。

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行動の正確性ということから考えれば、この接客の精度は0である。

しかし後で話してわかったことだが、この時泊まった3人のうち誰一人として、このエピソードを不愉快なものとは受け取っていなかった。それどころか多いに楽しいエピソードとしてとらえていたのである。(もちろんタダで両方飲むことができた、というのもあるのだが)

かくの通り人間のEmotionというのは一筋縄ではいかない。それは未だに”Emotionを揺さぶる専門家である”芸術家と科学者が接近できていないことからも明らかである。

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最近仕事でケータイを使うことが多い。ちなみに私はこの年までケータイを持たずに過ごしている。今使っているのは会社支給のiPhoneだ。

ケータイを使っていると、”Usability改善”の限界を思い知らされるのだ。各社(私からすれば)ものすごい労力をそれぞれの機種のUsability改善につぎ込んでいるのだろう。そしてスペックを調べれば、画面解像度とか、カメラの性能とかものすごいことがわかる。

しかしそれらを使った後に、iPhoneを使うとその差異に愕然とする。それは初代Macintoshを見たときの衝撃に似ている。

仕事でケータイの話がでるたび”iPhoneはたいしたことない”という意見を耳にする。しかしたいてい”iPhoneよりいいものを作りたい”と続くのは興味深い。

ケータイのUsabilityをいくら改善したところで、iPhoneを作ることはできない。

”Usability改善”と"Emotional Design"はまったく別のゲームである、と最近は考えている。


映画評:地球が静止する日

2008-12-22 07:12

というわけで本家から改変しつつ転載

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Los Angelsが舞台、出演者は白人ばかりだが、実は韓国製の映画が公開されたと聞いた。

観ている間ある疑問が頭をよぎる。実はこの映画も日本製ではないか?過去の名作に今の”スター”を出演させ、ちょっと最近風のテーマ(地球に優しく)を取り入れればヒットするに違いない、というのは最近の日本の十八番ではないか。

ジェニファー・コネリー演じる科学者は

”訳は後で。車にのって”

とどこかに連れて行かれる。なんでも隕石が地球に衝突するのだそうな。78分後に。いや、そんなこと一時間前に言われても。

彼女と同じように集められた科学者達はヘリコプターに乗りこむ。さあ衝突だ。ところがいつまでも地球はふっとばない。どうしたんだろう、と外を見てみる。ってなんでわざわざ衝突地点の近くを飛んでる訳?変な玉だったからよかったようなものの、隕石だったらせっかく集めた科学者が、何もしないうちに一瞬で全滅じゃない。この瞬間

”時間と金を無駄にしたか”

と後悔の念が走る。

万事この調子でお話が進む。現れては無駄に消える脇役がやたらとでてくる。一番悲惨かつ無意味な最後を遂げたのは、科学者を集める責任者のような人。国防長官は予告編で顔だけ観ていたが、ただのおばさんにしか見えない。どうしたベイツ。無人機で攻撃をかける米軍の指揮官を観て”復活の日”の偉い軍人を思い出した。

いやまあそれだけだったら”ただのつまらない映画”ですんだのだろうけど、ジェニファー・コネリーの子供(正確に言えば彼女は継母だが)を観ていると実にイライラする。二言めにはお父さんなら異星人と戦う、と繰り返す。かと思うといきなり態度を180度変え異星人ことキアヌに頼りだす。こうやって文字にすると子供らしい行動とも言えるのだが、画面からはそうした

”子供故の浅はかさ、不安定さ、かわいさ”

が微塵も感じられない。調べればウィル・スミスの子供だとか。親の自信過剰なところだけを受け継いだか。”役者の子供”を重要な役で出すな。”役者”を使えよ。

このように”素人”をやたらと使いたがるのも日本的ではないか。やっぱり裏には日本人スタッフが。。ああ、もうどうでもいいけど終わってくれないかなと思ったあたりで映画は平和な結末を迎える。エンドロールが始まるとともにほとんどの人が席を立ちだしたのには驚いた。

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いや、ものすごい映画であった。しかし宣伝をうまくすれば結構な人がはいるのだろうな。

何度も疑問に思うことだが、興行収入と映画のできにはどのような関係があるのだろうか。口コミで悪い噂が広まる前に、人を劇場に集めてしまえば勝ちではないか。そもそもよっぽどひどい映画でない限り、映画に興味を持っている人以外に口コミの噂が届くこともないだろうし。

しかし数10年前に比べれば事態は好転しているともいえる。当時はマスメディアの記事がすべてで、民はお互いにしゃべる手だてを持たなかったのだ。どんなひどい映画であっても、メディアに手を回し、絶賛記事を書かせれば、人々は映画館に向かったのだ。


速報 映画評-地球が静止する日

2008-12-20 13:22

このブログを読んでくださる数十人の皆様。

臨時ニュースです。

”地球が静止する日”を観るのは、時間と金の無駄。私にとって2008年最大の外れ作品です。

キアヌ・リーブス or ジェニファー・コネリーが出演している映画はすべて見る、と心に決めている方以外にはお勧めしません。

もう少し長い映画評は後日書きます。

臨時ニュースを終わります。


ダークナイトと少林少女

2008-12-19 08:23

昨日あるサイトで知ったのだが、ダークナイトの日本における興行収入と、少林少女の興行収入がほぼいっしょなのだそうな。(おそらく前者が17億円、後者が15億円)

少林少女が以下に幼稚な映画であるかはこちらを見ていただきたい(いや、本当のことをいえば私自身みてないんだけどね)

それとダークナイトが同じくらいの興行収入。。。


たしかに邦画の公開本数は多い。しかし内容は。。

私の意見では、それらは”作り手側の都合”だけで製作され、見た人がどう思うかをロクに考えていないように思うのだ。

しかし最も気がめいる事実は、人々がそれを見ている、ということだ。

結局私のような意見は”異端”なもので、多くの人は、邦画を楽しんでいるのかもしれない。少林少女を見に映画館で行き、感動して帰ってくるのかもしれない。

結局この国で製作される映画のほとんどは

”素人・幼稚・内輪受け”

から出ることはないのだろうか。製作者と観客双方がそれを望んでいるとするならば。


映画評:ウォーリー- WALL・E

2008-12-18 08:18

例によってネタのない日は本家から改変して転載。

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地球に「一台」だけ残されたロボットが、ひたすら地球上のゴミを片付け続ける。そんなある日、空から宇宙船が降りてくる。そして一台のロボットを残し飛び去っていくのだった。

”ロボット”の造形、そして演出がすばらしい。定型化している日本のそれと異なり、最初観たときは「なんだこれは」と思う。しかしその姿が、ストーリー進行とともに感情を持った”登場人物”と見えてくるのに驚く。しかも今回は「二人」ともほとんど言葉を発しないのだ。そして映画が終わる頃には、この映画の主題の一つが「二人」の愛であることに何の疑問も抱かなくなっている。そのすぐ前のシーンで、”主人公”が様々な部品の寄せ集めにすぎない事が示されているのに。
そして(これまたいつものことながら)Pixarの広大な背景の表現
にも驚かされる。実写もどきでも”アニメ”でもなく遠く広がる香料とした地球の風景。

しかし私にとってはどうしてもある点がひっかかる。以下ネタバレ含む。

何故地球に誰もいないかといえば、ある会社が「汚れた地球を飛び出し宇宙でバカンスを楽しんでください。その間に掃除しておきます」と請け負ったからだ。しかしその約束は果たされず、人類は700年以上にわたり宇宙をさまよっている。

宇宙船の中ではすべての世話をロボットがしてくれる。人間は自由に移動できる寝椅子に座り、目の前にあるディスプレイに向かって会話している。すぐそばに豪華なプールがあってもその存在にすら気がつかない。老若男女、すべて穏やかな笑顔を浮かべた肥満体だ。しかし(これは後で知った事だが)活動的な寿命は百数十年を超え、健康的な長寿社会でもある。(ちなみに、あの温和な顔をした肥満体の人間達はどうやって子供作るのだろう。そんな「動物的」な気力はいっさい残ってないように思えるのだが)

肥満して、目の前のディスプレイだけに向き合っている人間の姿。それは、いつでもどこでも携帯電話の画面だけに向き合っている今-2008年-の人間の劇画化された姿のように思えるのだ。健康を増進しましょう。ビットの泥沼につかりましょう。それを押し進めたのがこの宇宙船の乗客の姿ではないのか。

ぞっとするその「未来人」達は、地球に植物が戻った事を知り地球に帰ろうとする。そして荒廃した地球に降り立つのだが。

果たしてあの「人類」は本当に地球に戻るのだろうか?

それとも宇宙船内で「ディスプレイだけに向き合っている生活」を続けようとするのではないか?

どうしてもそこが気にかかる。私の見方がわるいのかもしれないが、その点については描かれていなかったように思うのだ。まだ観ぬ故郷に憧れる、という描写はあったけどね。”最初の一歩”を踏み出せば、あとは人類の遺伝子に組み込まれた情報によりすべては自動的に進んだということなのか。あるいはエンドクレジットで流れる「地球人復活のプロセス」の影にはそうした物語が無数に含まれている、ということなのだろうか。でもなあ、筋金入りの怠け者の私としては、人類がまたあのベッドに寝そべり始めるような気がしてしょうがないのだ。

などとあれこれ悩んでいるとどうしてもワンランク下げたくなる訳だ。ディズニー調ではない、もっとブラックな-そして人間の現実の姿に即した-エンディングもあり得たのではなかろうかとも思える。あるいはそれは見た人が頭の中で補ってください、ということなのか。

ちなみに小さなお友達達が結構見に来ていて、短編映画からウォーリー本編の最後まで時々笑い声やら歓声が劇場内に響いていた。子供は歓声をあげ、大人は何かを考える。これも見事な芸だよなあ。


栄枯盛衰

2008-12-17 08:06

トヨタの業績が急速に悪化しているのだそうな。

少し前まで

「自動車業界はしばらく大丈夫でしょう」

というセリフを何度か聞いた。それを聞くたび私はあることを思い出していた。


もう20年以上前になるが、私は大学を卒業しある会社に勤めだした。上司は他事業所から転勤してきた人だった。

最初に務めた会社は、いろんな事業を手掛けていたから、どこかが不況になっても首をきらず「配置転換」をしたわけだ。

その上司が以前従事していたのは造船業。私がまだ物心つくかつかないかのころ、造船業は日本の花形産業だったのだ。しかしそれから10数年で状況は変わった。当時は造船という名前だけで学生もこないわ、会社のイメージは悪いわで大変だった。

ある時その上司がぽつりと言った。

「少し前まで造船業には仕事が”無限”にあると思っていた」

その言葉は今でも私の頭に焼き付いている。それから20年余り。いろいろな産業が「花形」「今後10年は大丈夫」ともてはやされた。そう。あたかもその産業には「無限の可能性」があるように思われたのだ。

遠く知らない土地に転勤してきて、全く初めての仕事に四苦八苦してた上司の姿を新入社員ながらに覚えている。

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もうひとつ考えることだが、こうした「産業の栄枯盛衰」というのはたちの悪い椅子取りゲームのようなものだ。

衰弱の引き金を引いた人たちは、多くの場合「勝ち組」のままで「上がり」を迎えることになる。貧乏くじを引く人というのは、たまたま衰弱が始まったときにその椅子に座っていた人達。

世の中がフェアにできていると言った人間はいないが、あの上司を思い出すたびその感を強くする。


ネットの地平を広げるために

2008-12-16 07:11

インターネットの普及によって、個人が手にすることのできる情報量はこの10年で相当増えたと聞く(正確な数字は忘れた)

問題は

検索エンジンにせよ、なんにせよ”インターネットの地平”を広げることにはあまり役に立たないという点だ。手に入れることのできる情報は確かに増えた。しかしその範囲は広がったのだろうか?

つまり

”をを、世の中にはこんな面白いことがあったのか”という驚き。それにより自分の知識の幅が広がる。こういうことが興味深い体験ではないかと思うのだ。

そのためにはどうすればいいか?

私が考えているのはこんな”探索エンジン”だ。たとえばその人がブログを書いているとする。

そこには分野を示す単語が含まれているだろう。それとは全く分野の異なる単語が含まれているものを探す。

それだけでは”今日餃子食べた。すっごくおいしかったー(ハート)”というブログが山のようにヒットするだけだ。

そこでもうひと工夫。分野は異なっていても物事に対するスタンスが共通しているブログ。そうしたものを抽出できればそれは

”探索エンジン”

と呼ぶにふさわしいのではないかと思うのだ。

ここでは自然言語処理を前提に書いたが、ブックマークなどの情報と結びつければ、そうした形で抽出することもできるのではないかと思う。

という構想を出したのが2年前。。そこから停滞しているなあ。。


行列に並ぶこと

2008-12-15 08:03

土曜日は子供の幼稚園での発表会であった。こういう場合、お父さんはひとりで場所取りのため早くから並ばされるのである。

さてここで問題です。どうやって時間をつぶしましょう。

何人かは新聞を持ってきている。私はそれを横目で見ながらふふん、と思う。やおらポケットからiPhoneを取り出すと産経新聞を読みだすのだ。

何度かこのブログで書いているが、iPhoneのタッチパネルの反応のよさ、拡大縮小、移動のスムーズさは発表から2年を経過しようとしている今日でも群を抜いている。小さな画面で、大きな紙面を軽快に読むという夢が実現しているのだ。

あわせて産経新聞の英断にも敬意を表したい。彼らはこれでどのようなモデルを作っているのだろう。広告の露出が増えるからいい、ということなのだろうか。

しばし新聞を読んだあとふと眼をあげる。列は以前より伸びている。そして待っているお父さんの何人かは本を読んでいる。

ううむ。

最近”ビットの泥沼”という言葉をかかげている私としては、彼らと比較して自分が閲覧している情報自体が、泥沼の一部であることに気が付く(その時読んでいたのは2chだった)

となるとやっぱりiPhoneで本読めるようにしないと。。物理的な本を購入すると、iPhoneで閲覧できる電子データも付いてくるとかそんなサービスはないだろうか。いや、やっぱり物理的な本ほしいしさ。電子データだけではやはりどこか心もとない。

あるいはこれは”過渡期に生きた人の戯言”なのかもしれないが。


昨日のできごと

2008-12-12 07:12

諸事情あって、今の私は

"早寝早起きだけが特徴の、中年サラリーマンA"

である。
昨日以前欠かさず参加していた研究会の宴会に出席した。(宴会にしか出席できないのが、中年サラリーマンのつらいところだ)

いろんな人といろんな話をした。私が転職したことをしり、挨拶してくれた人も何人かいた。

私はその場では、"中年サラリーマンA"ではなく、名前をもった人間だったのだ。

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そこで再確認したのだが、私は新しい考え。How-toではなくWhat toを考え続けていないと窒息するのだな。現実を観察し、唱えられているお経と現実の間にある差異を見つけ、そこに何があるか考え、形や言葉に結実させる。

そうしたことをしていないと窒息するのだ。

自分がそうしたことを初めてしたとき-Goromiを作ってデモ発表したとき-自分がどのように感じたのかを思い出した。

というわけで窒息するのはいやなので、生活改善に取り組みたいと思います。具体的にはこれから考えます。

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いろんな場面でいろんな人たちの行動をみていて痛感することだが、人によって”何が楽しいか”というのは本当に様々だ。そしてその”楽しいこと”と仕事が一致している人は本当に幸運だと思う。

たとえ表面上仕事の愚痴をこぼしていても、決してそこから離れようとしない人は、その仕事を、立場を、環境を愛しているのだと思う。


ニコニコ動画のプレミア会員に復帰することについて

2008-12-11 07:01

このようなアピールが掲載されていることを知った。

その金はプレミアム会員が握っているも同然だ。運営に注文をつけて、世界を面白くしようではないか。

ニコニコ動画プレミアム推進ユーザーアピールより引用】

今メディアに関して大きな変動が起きようとしている。TVや新聞はあ赤字に陥り、では誰が儲けているかといえばよくわからない。

うんざりするような”著作権”に関する議論からも学べる点はある。おそらく今強固に出来上がってしまた仕組みからは何も生まれないだろう、とことだ。

ではその回答がニコニコ動画なのか、と問われても"Yes"と言い切ることはできない。

しかし現実に今私がニコニコ動画を見る時間の方が、(時報がわりの朝のニュースと、子供につきあわされるポケモンサンデーを除けば)TVより長いことも間違いない。

この”場”-名無しの”野良神”達が響き合い、新しい作品が生まれる場所-がもっと発展していくことに月500円払うことはそんなに無謀なことではなかろう。月一回カレーをハルサメヌードルに換えれば済むことだ。

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”みくみくにしてやんよ”のJASRAC登録時に巻き起こった議論でのあまりに幼稚な”ドワンゴ”(子会社がどうだこうだの議論はしらんよ)のコメントに切れて解約したプレミア会員だが、また復帰しようかと考えている。

はれて、復帰したらこう言ってやろうではないか。

”銅像にかける金を他にまわせ”

と。


もっとこういうインタフェースが見たい

2008-12-10 07:11

軽くて素早く検索できる電子辞書が、紙の辞書に劣る点とは何でしょうか?

そのうちのひとつは、ページをめくりながらことばを探す楽しさを味わえないことかもしれません。

かつてない操作感でことばを探せる国語辞典『大辞林』 - 今日のアプリ第305回 - iPhone・iPod touch ラボより引用】

こうした”目的のもの以外にでくわす楽しみ”の欠落については、かねてよりあちこちで指摘されてきた。今回リリースされたiPhone上の大辞林はこの問題にちゃんと取り組んでおり、結果も見事だ。

私が作ったGoromi-Webもこうした”目的以外のものに出くわす”楽しみを目指した(というか結果的にそうなった)ものだが

この大辞林は、ちゃんと実用のアプリで、そうした機能を持たせたところが素晴らしい。

2500円もするが、ひとつ購入してみるかと真面目に考えている。世の中使う価値のある金というのはそうたくさんあるものではない。

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最近BB2Cを使っていて思うのだが、用途とインタフェースによっては(大画面、充実した入力インタフェースを持つ)PC上で閲覧するより、iPhoneで閲覧したほうが楽な場合があるような気がする。

それが何に由来するのかは、もう少し考えてみないとわからない。”手元”にあるということが重要な気もするし、タッチ操作によるものかもしれない。


はてなのサービス依存をやめようと思ったところ

2008-12-09 08:13

最後に書いたエントリーがものすごいブックマーク数を集めることとなった。

(少なくともサービス開始直後は)サービス停止をできない、と思ったのが私だけではなかった事を知り少し安心する。

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ここから話はちょっとそれる。

「ちょっとかわった人でもいいと思っています

と人を採用する企業がままある。ここには落とし穴が二つある。

1。企業で採用する以上、最低限のコミュニケーション能力、状況を理解する力は備えている必要がある。ところがこれを欠いた”変わった人”を採用することが多い。ひどい場合には、これらを欠いている事を”変わった人である証拠”として採用することもある。

2。”かわっている”ということと”変わっているが面白い物を作る”とは同義語ではない。しかしなぜかここを等価だと勘違いする人は多い。

この派生形として”かわっているが時々いい事を言う”と”変わっているが面白い物を作る”も同義語ではないし、相関性もほとんどない。

全くの想像だが、今回のはてなの件は、このボーダーラインを踏んだのではないかな。


あるべき姿からスタートするということ

2008-12-08 07:26

iPhoneの2chビューアーアプリケーションは私が知る限り二つある。2tchBB2Cだ。

BB2Cの方が後発であることを差し引いても、両者のできには大きな差がある。(ちなみに私は閲覧機能しか使っていない。であるから書きこみとかの操作性、安定性についてはわからない)

2tchは作者がコメントしているとおり

iPod touchの操作感のまんまに作ってみました.

という感じだ。iPhoneで提供されている部品を使って作るとだいたいこうなる、という気がする。何度かフィードバックを繰り返し、改善もなされている。

しかしiPhoneアプリを素直に作った際に生じる問題もそのままだ。一言でいえば階層が深くなりすぎるのだ。リストを選ぶと横にスクロールして階層を下る。それを何度も繰り返すことになる。

既存の部品をもとに、ボトムアップで"良いもの”を作ろうとしたアプローチをとったように思える。


対するにBB2CはiPhone標準インタフェースからは外れた部分が見える。板のカテゴリを選択しても、横にスクロールはしない。同じ画面で項目が展開される。

また2tchの作者もコメントしているが

ものすごいスクロールスピード. これについては完敗.スレッドのビューは,ドコモの絵文字とかもレンダリングされているっぽいので独自のビューのようだ.

このアプリケーションは”あるべき姿”をまず構想し、そこから必要なものを使ったり作っていったように思える。

見た目以上にそうした”物を作る際のスタンス”に大きな差があるように思うのだ。

両者ともちゃんと動くアプリケーションだから、優劣は個人の主観に依存するだろう。私は迷わずBB2Cを選ぶ。”あるべき姿”をきちんと構想し、それに必要な技術力を持って作り上げる、というのはiPhone自身の開発スタイルでもある(と思う)結果の差は明白だ。

唯一アイコンだけは2tchが勝っていると思うが、こればかりは我慢するしかない。


クリントンがオバマ政権の国務長官になるのだそうな

2008-12-07 07:43

少し前そうしたニュースを聞いた。

Shame on you とか言っていた相手を政権の閣僚に加えるというのはなかなか興味深いことのように思える。

少し前にも書いたが、ディベートであれこれ言い争っていても、それが終われば家族ぐるみで握手握手とどこか似たような雰囲気を感じる。

仕事の上やなにやで諍いも起こるが、それが「そいつが嫌い」とは結びつかない余裕を持ちたいと思う。それが回り回って自分のためであると最近気がついた。


移転します

2008-12-07 00:00


というわけで、以前つかっていた場所に戻る事にしました。


例によってまた気がわかるかもしれませんが、今後ここは更新しないつもりです。


しかし今回移転先を探していて、無料ブログを探す難しさが身にしみました。。



とういわけでまたここに戻ってきました。

2008-12-06 19:53

”はてなボトル”で愛想をつかして、またこちらに戻ってきました。

はてなダイアリーからExportして、こちらにImportしたら日付ががたがたになってしまった。まあしょうがない。

はてなダイアリーのほうはしばらく残しておきますが、更新はしません。これを機会にはてな依存をなくし、少しネットべったりの生活を改善しようと思う。そしてあれこれ学んだり、考えたりするのだ。


昨日初めて「”はてな”はダメだ」と思った

2008-12-05 00:00


何かと賛否両論巻き起こす「はてな」である。誰から何度指摘されようと、「はてな記法」のヘルプを改善しないこととか、まあいろいろあるわけだ。


しかしその企業としての存在にとても興味を感じるし、はてなダイアリー安定して動くし、、とか考えていた。



しかし昨日初めて「”はてな”はダメだ」と思った。




はてなボトルは、疑問や悩みなどのメッセージを書いて送信すると、ほかの誰かに届けられ、返信が受け取れるサービス。30分以内に返信がないと、メッセージは別のユーザーに転送される。「悩みが入った“ボトル”が海をさまよい、誰かのもとに届く」イメージで、メッセージは24時間以内に返信がつかないと「海の藻屑」となって消えてしまう。利用にはメンバー登録が必要。


http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0812/04/news112.html

はてなブックマークに「はてなボトル」があったのでさっそく試してみた。なんだか悩みを流すとそれに答えがでるような。。けばけばしく下品な表紙デザインもなんのその、まず登録してみる。


するとそのうちやたらとメールが「流れてくる」ことに気が付く。こんな仕組みだったのか。はてなボトルのトップページを見てもらえばわかるが、どのようなサービスかはどこにも書かれていない。なのに登録する方が間違っているという意見もあろう。そう、私は間違っていた。わたしは「はてな」を過大評価していた。


こんなメールを何度も送られてはたまらない。サービスを停止しようと自分の「メンバー情報編集」ページにアクセスする。しかしサービス停止方法がわからない。どこにもそれらしきメニューがないのだ。


しかたがない。「カテゴリー」を全部外そう、とやってみる。すると「最低一つはカテゴリーを選んでください」とでてきて変更できない。一つだけにしてみるが、相変わらず「SAPMメール」が届く。私はここでSPAMメールという言葉を「自分の意図に反して送りつけられるメール」という意味で使っている。はてなボトルはまさしくSPAMトラップだ。


しかたがないからメーラのフィルタで、はてなボトルのメールはすべてゴミ箱に直行とした。


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これは「実験的なサービス」ではない。ただの幼稚な悪ふざけだ。


こんなものを公開する「はてな」という企業に心底失望した。というわけでいつかこのブログも移転するかもしれません。



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12/8追記


登録解除機能が「追加」されたようですね。公開当初のスクリーンショットをとっておけばよかったと思います。



ブログとネットの普及によって失われたもの

2008-12-04 00:00


最初に「ブログ」という言葉を聞いた時なんだそれは?と思った。しくみをきいて


「簡単にサイトを更新できるのか、、でそれが何?」


と思った。


月日は流れ今や私もこうしてブログを書いている。しかし本家もちゃんと更新している。私の考えではブログというのは深く考え、推敲を重ねて書くものではない。その時考えたことを書き散らすのが本領なのではないかと思う。


対するに本家の方は、何度も書き直したり、あれこれ調べて付け加えたりする。「海上砲撃の進歩に見る組織の保守性について」といった内容は本家の方では公開できるが、ブログには不向きだと思うのだ。


さて


こうした「情報の即時性」はネットの大きな特質だと思う。それは基本的に興味深い現象だが、最近そのディメリットに気が付き始めている。


ネット上にあふれている情報の多くは、多種多様であるが、やはりよく考え、練られた書物にある情報に比べ浅くて軽い。もちろんそれは多くの場合「特長」と呼べるものだろう。


問題をややこしくしているのは


iPhoneなどの普及により、いつでもどこでもそれらの情報にアクセスできるようになったことだ。ふと気がつくと、ネットの上のなんとはない情報をふらふらと読んでいる。それらは確かに面白い。面白いから読むのだが、じゃあそれだけでいいのかと思う。


練られて考えられた情報に触れることも必要なのだが、その時間が「いつでもどこでも」によって浸食され始めているように思うのだ。


たとえていえば


ネット上の情報の多くは「ぬるま湯」のようなものだ。まあそことなくここちよい。だから漬かっている。


しかし四六時中ぬるま湯につかれるようになり、いつまで浸かっているとやはり問題がでてくる。



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話は少しずれる。今や私もiPhoneで会社のメールを4-6時中読むことができるように「なってしまった」


確かに仕事には便利。しかし心の休まる時は減ったように思う。


ネットの常時接続は、時間を「ぬるま湯」のようなだらだらしたものに変えてしまった。


最近はここから足を洗うことをかなり真面目に考えている。



NHKオンデマンド

2008-12-03 00:00


NHKの番組をネット経由で見ることができるのだそうな。


PC上で見ようと思えば、Windows Media Player必須。Macの人やLinuxの人は一昨日きやがれ、とのこと。



一方先日聞いたベルリンフィルも、ネットで映像を配信とのこと。こちらはYoutubeのようなフラッシュプレーヤーがあればよい。パンフレットに載っているブラウザの写真はSafari on Mac OS Xである。



この違い。


思うにベルリンフィルは、自分たちの「コンサートにおけるライブ」の価値に自信があるのだろう。であるからして「権利保護がどうのこうの」をガチガチにすることなく、フラッシュプレーヤーを選んだ。


逆に親愛なる我が国のTV局のスタンスは「コンテンツ保護が第一」。そのためには金庫に鍵を30くらいかけ、誰にも触らせないようにしなければならない。


BBCなんか、一週間は無料でダウンロードできるというのに。




BBCは、テレビ番組をネット配信するサービス、iPlayerのサービスを開始した。これは過去1週間に放送された番組の大部分をウェブサイトにデータベース化し、オンデマンドで無料ダウンロードできるものだ。


http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/78e30886c15667e57ff67d747ff39ee7

この違い



映画評:デスレース -Death Race

2008-12-02 00:00


例によってネタのない日は本家から改変しつつ転載


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B級映画だろうと思って見に行った。そしてそのすがすがしいまでのB級っぷりにご機嫌になって映画館を後にした。


この映画の設定では米国の経済が崩壊するのは2012年なのだそうな(現実はそれより厳しいかもしれないが)いずれにせよ刑務所は民間企業の経営となり、受刑者が競う「デスレース」のペイ・パー・ビューを売る事で収益を上げるわけだ。


たくさんの人に買ってもらうためにはスターが必要。というわけで元優れたドライバーである主人公は、死んだスターになりすましレースに出場させられる。いや、ちょっとまて。誰が主人公に殺人の濡れ衣をかぶせたのだ、、といった事情が判明しようと主人公は走るしかない。建前としては「5回優勝すれば晴れて出所」なのだが、視聴率のためにスターを必要としている刑務所側がそう簡単に釈放してくれるわけもない。さてどうしましょう。


Yahoo映画でこの映画のキャストを観ると、写真が載っていない人ばかり。私が唯一認識できたのは、ジェイソン・ボーンシリーズで切れる女の人をやっていたジョーン・アレンだけ。(この映画ではとーっても悪い所長を好演している)しかし別に有名スターを出演させる必要もなかろう。ドライバーの隣に座るナビゲーターは(視聴者へアピールする都合上)みんな長い髪の毛を振り回す-そしてさして特徴のない-美人ばかり。銃弾が景気よく飛び交い、どっかんどっかん爆発がおこり車がひっくり返る。


もちろんお話にちょっと無理はあるのだが、B級と覚悟していけば許せる範囲でもある。登場人物達にそれなりの筋が通っているのが良い。誰も地球を救おうとか、米国をもとの輝かしい姿に、とかそんな身の丈に合わないことは言い出さない。一番印象に残ったのは、主人公が娘の写真を見ながら「母親似だ」というシーンか。確かにあの表情を観れば、この男が妻殺しだとは(観客の)誰も思うまい。


かくして映画は1時間45分でテンポよくフィナーレを迎える。陳腐なハッピーエンドと言えば言えるのだが、今の私にとって少し元気づけられるエンディングであった事も確かだ。


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心やすからに安眠することが最近の課題。これができないと長続きしません。



「孤独」という本を読んでいる

2008-12-01 00:00


近年とにかく「コラボレーション」とか「コミュニケーション」の必要性が叫ばれることが多い。


しかしこの本には「孤独」が創造性あるいは感情面でどのような役割を果たすかが書かれている。


何度か書いたことだが、「常に携帯端末でネット接続」というのはいかがなものかと考え始めている。興味深い情報を得られることは確かだ。しかしその分


・現実の環境から引き離される


・「少しだけ面白い情報」ばかり見ることになる


という問題があるように思うのだ。


であるから、私は「孤独」であることを追及したいと思う。新しいアイディアは議論のなかから生まれるとは限らない。きっかけは議論であっても、それを育てるためには個人の中での思考が必要になると思うのだ。そして「常時接続」はその思考時間を奪う危険性を持っている。


マルクス・アウレリウスの夢は書斎に引きこもり思想をめぐらすことにあった。ローマ皇帝の夢がだ。自省録を読むと彼の心の声が聞こえるようだ。彼が彼なりの幸せ-書斎に引きこもること-を得なかったことは彼の不幸であったかもしれないが、それゆえ残された言葉には多くの人が影響を受けることになった。もっとも彼の言葉によれば死後の名声など何の役にもたたないのだが。