日本人が学ぶべきたったひとつの兵法

2011-05-31 06:49

ほら。題名を読んだだけではてなブックマークをつけたい、という衝動がむらむら沸き起こってきませんか?(うざい)

というわけで「孫子・三十六計」という本をぱらぱら、と読んだ。
三十六計は、ことわざ的に何度も聞いたことがあるが、その本物を読んだのは初めてである。著者はわかっておらず、俗書として扱われていたが20世紀にはいってから評価されるようになったのだそうな。

中国兵法のエッセンスをまとめたもの、ということだが最後の三十六計が興味深い。

第三十六計 走為上 以上の計略でも勝算がたたないときは、逃げるのが上策。 兵力を消耗することなく敵を避ける。勝利は得られないとしても、撤退して宿営し、大敗北に至ることがなく咎がないというのは、戦争の常道を失っていないからである。

これは近代日本人のメンタリティに欠けているところではなかろうか。伊藤正徳の「帝国陸軍の最後」を読むと、中国軍が実に逃げ足速かったことがかかれれている。「追い払う」ことは可能だが「撃滅」は全く無理だった。なぜならいきなり何百キロも逃げてしまうから。

この計が最後にある理由は「逃げるにしても、三十五計を尽くしてから」ということなのだろうが、どこの国でも「人智を尽くさないうちに」最終手段に行ってしまうのが凡将というもの。中国軍は逃げるし、日本軍はやたらと全滅する。終戦間際になると、それこそ全滅が戦争目的になっていたのではないかと疑いたくもなる。

しかし幸いなことに最近はこういう言葉を聞くことができる。

俺は薬はやばいと思ったから、明らかな原因である仕事を辞めたら治った
精神を薬で何とかできると簡単に思うなよ

不安を煽るわけではないが、
薬を飲めば治まると脳が覚えれば
脳は原因を直そうとはしなくなるし、そのうち耐性が付くぞ
医者をどんなに頼ろうとあいつらは商売でお前を見てるだけだ
好きになれない仕事なんて辞めちまえ

via: わかっていない

もちろんひとつの仕事をずっと続けることで得られるものもあるとは思う。しかし三十五計を尽くして、なお劣勢が挽回できなければとっと逃げてもいいのではなかろうか。


Twitter上での集合知

2011-05-30 07:05

長年はてなブックマークを愛用していたが、「はてなボトル」に切れて以来とんとごぶさたである。

最近はみなTwitterではないか、ということでTwitter上で話題になっている情報を紹介するサービスなどをしばらく使ってみた。

それと前後して大震災があったのだが、最近はTwitter上の情報は自分がフォローしているひ人が発信したものだけに限っている。

なぜかと言えば概ねこの記事に同意するからだ。

Twitter上で反原発を積極的に行っている中に


人たちが中心になっているクラスタが存在することがわかる。


これは、企業にとって大きなリスクとなる。


全く関係の無いことで風評被害を受ける可能性があり、その人達の中に被害者の名誉を考慮しよという人が少ない。


すると、被害者自信が手間暇をかけて名誉回復をしなければいけなくなる。


via: 残念ながら、Twitterで反原発をしている方を干すのは妥当である。 - 情報の海の漂流者

「情報を発信する気軽さ」から来たものだと思うが、自分が何を言っているかろくに考えもせず脊髄反射的に書かれたTweetは実に多い。またそれにフォローする人間の数にも驚く。例えば

混乱する情報を流さないように。ただちにツイートを削除し、謝罪して下さい。 【速報】水道水からDHMOが検出

via: Twitter / @秋元貴之 Takayuki Akimot: 混乱する情報を流さないように。ただちにツイートを削除 ...

とかだ。「代替医療のトリック」でもDHMOは取り上げられていたが、普通こうした記述にひっかかれば、頭をかいて少しは自分がやっていることについて考えると思うのだがそうした姿勢もないどころか「あなたの姿勢を支持します!」という賞賛のTweetが集まっている。

Twitterはアホをあぶりだすためにあるようなもんだな
ネットなんてもっと気楽にやれよ

via: ヌレイヌ : 水道水からDHMOが検出された問題、東大准教授激怒。徹底的に糾弾の構えか

この意見と同じように、一旦はそうしたTweetをブログで取り上げようとも思ったのだが、あまりの数にやめてしまった。もっと生産的なことに時間を使おうと思い直した。

このTwitterというのは衆愚生産システムの最たるものになっているのではなないかと思う。誰かが感情にまかせた言葉をつぶやくと、「おかしいおかしいと思っていたのは私だけじゃないんだ!拡散希望!」とその情報が広がる。そうしたコミュニティの中では

「みんなそう言っているよ」

と自分の意見-ひいては姿勢に対するフィードバックがかかり、さらに衆愚化が進む。

そう思うとTwitterのクラスター分析というのは、実に興味深い結果を生むかもしれん。


坂の上の雲

2011-05-27 07:29

坂の上の雲を読み、それが「事実」であるかのように語る人間は知らん。あれは小説だ。

などと言っていたのだが実は今まで読んだことがなかったのである。会社から借りて読んでみた。

読む進むうち、頭に?マークがたくさん浮かぶ。例えばこんな記述がある。

ここで便宜上、太平洋戦争時代のそれにふれておく。その当時の日本海軍が、91式徹甲弾という独創的構造をそなえる砲弾をもっていたことはすでにふれた。 ほかに「タ弾」という略号で呼ばれていた徹甲弾があったが、これは海軍も用い、陸軍も対戦車用に用意していた。

あれ、と思い調べてみたがタ弾は海軍で艦船の砲弾としては用いていない。じゃあなんでここで(日露の海戦に関する記述に付随して上記の文章がいきなり挿入されている)タ弾について述べ始めたのかよくわからない。単に「俺は知ってるんだ」と言いたかったのだろうか。

別の例をあげよう。

バルチック艦隊司令長官のロジェストヴェンスキーは自分一人でウラジオストクに行くつもりだった。その傍証もたくさんある、といいながら、傍証はひとつしか(戦闘計画について部下と協議しなかったこと)出てこない。その後ロジェストヴェンスキーについていろいろ「おかしか行動」を書いているのだが、それが司馬氏の「仮定」をどう補強するのかもわからない。非常にいきあたりばったりに言葉を連ねている印象がある。


文章の面白さ、調子、という点において伊藤正徳に及ばず、事実に基づく冷静な筆致という点で児島 襄に及ばない。根拠のない思い込みを整合性なく書き連ねるという点では松本清張に最も近い。

なぜこんな本が有名になっているのか理解に苦しむ。

ちなみに最近少しずつ読んでいるツシマ


は当事者が書いた本ということもあるが、その戦闘描写は日本人が書いた本では見られないような生々しさに満ちている。ペリリュー・沖縄戦記もそうだが



日本人にはこうした記述ができぬのだろうか。それが日本人に碌な「戦争映画」を作ることができぬ理由だろうか。


成功者の言葉

2011-05-26 06:49

というわけでザッポスである。

印象に残る点が多い本だが特に驚いたのは以下の記述である。ザッポスにおいては企業文化が重要である、との認識の元に「ザッポスブック」をつくろうという話になった。その作り方だが

社員、顧客、ビジネス・パートナーがあなたの会社の企業文化について語ったことをすべてそのまま本にしても構いませんか。もしできないなら、本をつくるために何が必要でしょうか。

ザッポス伝説 p233

誤字、脱字のほかは無編集で載せたとのこと。

これには本当に驚いた。私は前働いた会社で、社内報に「入社1年目の社員たちの声」を載せたことがあった。

「学生の頃は、プログラミングで徹夜も楽しかったけど、この会社じゃそんなことは意味ないな(外注管理ばかりしているから)」

とかそうした「生の声」が掲載され大騒ぎになった。
(ちなみに、次号にのった「幹部の反響」は「甘いことを言っているんじゃねえ」だったが。まあ「10年泥のように働け」世代の人だからねえ)

これはあの会社で私が遭遇した唯一の「いいなあ」と思った出来事であった。しかし普通の会社ではまずそういうことは起こらない。企業文化を重視している、と称する会社はたくさんあるが、社員の声を無編集で書籍化する度胸のある経営者はそうそういないと思う。

成功者(あるいは自分で「成功した」と思っている人)の言葉というのは通常極度に退屈である。ぺらぺらと自分の「成功の秘訣」を語ったところで、聞いていて楽しいは自分だけ、ということが多い。しかしこの「ザッポス伝説」は実に面白かった。こうした本をCEO自身が執筆する、ということは何よりもザッポスという企業の宣伝になると思う。

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少し話がそれるが、少し前にMITの石井教授の元に、糸井重里氏が訪問したときの様子が公開されていた。

最初の2回は実に退屈だった。石井教授が一方的にしゃべっているだけだから。糸井氏がおもしろいツッコミをいれて、話が発展するかなと思えば「次にいっていいですか」と一方的に話を打ち切る。

糸井氏が社長と対談したシリーズというのが別に公開されている。読んでみると、任天堂の岩田社長だけが面白く、あとは実につまらない。いや、もちろんどの社長も私などが及びも付かぬ立派な人であることは間違いないのだが。対談になっておらず、社長がしゃべり続けるだけなのだ。

石井教授もそのパターンか、と思ったが後半は面白くなった。石井氏の講演はUstreamとかで見ることができるが、そうした講演では聞けない話がいくつもでてきたからである。

アメリカに来てやっていくことはインフェリオリティー・コンプレックスばかりです。劣等感の塊です。

via: ほぼ日刊イトイ新聞 - 石井裕先生の研究室。

「成功者のくだらない演説」で終わらないところが、糸石、石井教授の凄さかもしれん、と考えた。


ユーザ体験あれこれ

2011-05-25 07:12

最近会社のLibraryで借りたこの本を読んでいる。


素晴らしいカスタマーサービスを提供することで成功してきたザッポスという会社の本だ。CEOが自ら執筆しており、ゴーストライターが書いたありきたりな「成功者の自慢物語」になっていないところがすばらしい。この本を読んだだけで私のような単純な人間は「ザッポスで買い物をしたい」と思うほどである。

さて、このCEOが行った講演のスライドがネット上に公開されていた。そこにこんな言葉がある。

他人は、あなたが何をしたか、何を言ったか正確には覚えていない。 しかしあなたがどんな風に感じさせたかはいつも覚えている。

年をとるごとに痛感することだが、人間は感情の動物である。「正しい」など感情の嫌悪の前には軽く吹っ飛ぶ。

ユーザーエクスペリエンスがどうのというが、平たくいえば「ユーザが何を感じるか」である。このことについてはやたら本など読んだが、先日珍しくそれを体験する出来事があった。

ゴールデンウィークに中禅寺湖に行った。ホテルで夕食を取る。最初の日は子ども二人に一つずつ子供セットを頼んだ。しかし下の子はほとんど食べなかった。

それを見たお父さんは「明日は他の人のを分ければよい」と宣言した。

翌日、テーブルについてくれた人に「子供向けの安い単品はありませんか?」と聞くがセットで安くしているので、単品にするとより高くなると言う。じゃあ取り分けにしましょう。

しばらくたって男性がまたきて「相談して、スパゲティならできるとのことですが」といってくれる。しかしうちの子供はスパゲティをあまり食べたことがないのであった。申し訳ないと思いながら断る。

では、ということで取り分けて食べている。すると「これ他のテーブルで余ったものです」といってスープを持ってきてくれた。感謝感激である。下の子どもはスープを飲み、パンと他のかおず(大人が分けたものだ)をたべご機嫌。そして

「いい子にしてたら、シャーベットもってきてあげるよ」

といった男性は本当に持ってきてくれた。

こうしたサービスに、いくら費用がかかったか私にはわからないが、もしまた日光に行くことがあれば、このホテル(日光レークサイドホテル)にいこう、と素直に思える。

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さて、下界に降りてくれば、全然違った「ユーザエクスペリエンス」が待っている。お金がないからお昼はすき家にしよう。弁当を売っているところにいけば

「生姜焼き弁当 580円」

と看板がでている。これにしよう。注文すると相手は「豚汁でよろしいですか?」と答える。

ぼんやり「はい」などと答えるとお金を払うときに「640円です」と言われ愕然とする。あとで気がついたのだが、すき家とかは、単品の値段を下げているから、あれこれ付けることで利益を確保する作戦なのだな。私はそれにまんまとはまったわけだ。

ええい、すき家にもう行くものか、と思っても250円でお腹いっぱいになる方法がほかにあるだろうか。こちらが騙されなければいいだけだ。というわけで今週もすき家に向かうのであった。

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もう一つ違う例をあげよう。今日読んだaritcleだが

非言語の重要性を調べるため著者が仕組んだ実験が笑えた。立派な風貌をして、権威ある話し方のできる役者を雇って、矛盾する内容と無意味な参考文献を挙げるデタラメな講演をさせたところ、多くの聴衆が高い評価を与えたというもの。

だから、

1 信頼度は主催者に依存している
2 外見は大切です
3 熱意が大切です

とのこと。

via: パブリックスピーカーの告白 ―効果的な講演、プレゼンテーション、講義への心構えと話し方 - 情報考学 Passion For The Future

プレゼンの種類にもよるが、ここにも「感情>>理屈」の図式が見えないだろうか。内容がデタラメでも、講演者の外観が印象的で、熱意を込めて語れば聴衆の好印象を得ることができるのだ。


中国バブルが破裂するとき

2011-05-24 06:58

以前書いたが、中国の無人の都市(投機目的だけに建築され、誰一人人が住んでいない)を見れば、中国の不動産市場が異常な状態にあることがわかる。

ゴビ砂漠の中にある内モンゴル自治区のエレンホト市に建築された新住宅地。ここは半数が空で、残りの半数は未完成だ。つまり、人はいない。そもそも人が住めるような場所ではない。

5-el.jpg

via: In Deep: 衛星写真に写し出される中国各地の広大な「無人都市」

問題はそれがいつ崩壊するか、ということだ。バブルが破裂したチャートを見ると誰もが考える。

「ああ、ここで株をかって、破裂する直前に売っていればなあ」

しかし一番確実な未来を予測する方法「明日も今日と概ね同じ」はこの場合には適用できない。3/11は3/10と同じではなかったのだ。

さて、私は全くの素人だが、このような記事を読むと「そろそろかな」と思う。

旺盛なインフラ投資を原動力に内需を拡大してきた中国だが、財政による景気刺激策はインフレ圧力となって跳ね返る。実際、消費者物価指数は3月、4月とも前年同月比で5%超の極めて高い伸びになった。金融当局は数度にわたり利上げを敢行、預金準備率もたびたび引き上げて金融引き締めを図っているが、インフレ抑制には至らない。

via: コマツ、中国減速を警戒:日経ビジネスオンライン

インフレが制御不能になりつつあるのかな。。それを敏感に察知し警戒感を強めているのがコマツである。

コマツが予測した10%という数字にはもう1つ、裏づけがある。野路社長自身の感触だ。

 実は、野路社長は4月にたびたび中国へ出張していた。そこで感じたのは公共投資の変調だった。

via: コマツ、中国減速を警戒:日経ビジネスオンライン

これとは対照的に「明日も今日と概ね同じ」と考えているのが日立建機である。

一方で「中国市場が高い成長を続ける」と予測する日立建機。「前年度は50%の伸びだった。今年も20%は堅いと見ている」と三原新一専務は話す。

販売した建機に取りつけた情報端末から収集した稼働率のデータを見ても建機の稼働時間に異変は見られない。沿岸部では油圧ショベル、東北地方や華北地方では鉱山で使う大型建機の販売が好調で、4月に入っても受注に目立った落ち込みは見られなかった。
 「最近2年間の市場成長が急激だった反動はあるかもしれないが、今期も高い伸びが見込まれる」(同社)として、現地での生産能力の増強や営業体制の強化を急ぐ方針だ。

市場のあまりに急速な成長に、昨年から建機業界で「中国バブル」の言葉がささやかれているのは事実だが、今のところ、建機各社は現実に販売を伸ばし続けている。今回、コマツが予測のベースとした4月の実績も、最需要期が終わった反動からたまたま落ち込んだだけという可能性もある。

この2社の物の見方の違いは興味深い。考えるべきは

・理屈はどこにでもつく

ということだ。バブルが破裂するという説にも、いや、まだまだ大丈夫という説にもどちらにも説得力のある理屈は付けられるし、グラフだって書ける。

だからこうした場面では「知恵」を働かせねばならない。日立建機にも優秀な頭脳はたくさんあるのだろうが、ゴビ砂漠の真ん中に無人の巨大都市を作るようなことがいつまでも続くと思っているのか?


イラン系アメリカ人

2011-05-23 06:46

週末も何度か見返してしまった。

TEDで行われたスピーチ、というかコメディ。実に重いテーマをこのように笑い飛ばせるのは素晴らしい。

我が国の漫才も面白いが、こういう「真面目で重いテーマを笑い飛ばす」という文化には素直にうらやましいと思う。一例をあげよう。

ハリウッドの監督が、私がイラン系だと知ると。

「それはすごい。"アラーの名のもとにお前を殺す!"と言ってくれ」

「それもいいけど、"私は医者だ"じゃだめ?」

「いいよ。その後に"この病院を乗っ取った!"と言ってね」

うろ覚え+和訳だからぜひ引用した動画を見てね。

自分に繰り返し言っていることだが、「相手」を「全体」として見るのは間違っている。米国のラジオ放送で聞いたセリフだが、Generalization is always wrong.なのだ。イラン系、イスラム教徒、9.11以降それをまとめて危険物扱いするが、その前にもいろいろな「分類」が存在していた。全ては間違っている。

もっと言えば、個人の中でも私にとって尊敬出来る部分と許容できない部分はいりまじっているし、今日のその人は、昨日のその人とも違うかもしれない。この物の見方が正しいかどうか私にはわからないが、気が軽くなることは事実である。



なぜ映画の中のハッカーはキーボードを叩くのか

2011-05-20 06:58

昨日こんな記事を見つけた。

何故いつまで経ってもハッキング描写は変わらないのか

結論を書きますと、「誰が見てもそれが一番わかりやすいから」だと思います。終わり。

via: 何故フィクションの中のハッカーは物凄い速さでキーボードを叩くのか - 戯れ言

間違っている。とっても間違っている。馬鹿馬鹿しいくらい間違っている。

ものすごく長々しく書いているが、多分この人は自分がマウを使ってコンピュータを操作している姿を見たことがないのだと思う。

理由は簡単で、「そのほうがかっこいい」からだ。もっと言えば「マウスを使ってコンピュータを使っている姿は美しくない」からだ。

ではなぜそうなるのか?

これについてはまだ考えている途中なのだが、書いてみよう。

GUIというのは、コンピュータが提示する部品に対して、人間がそこをポインティングしなければならない。つまりマウスを動かしている間、主体はディスプレイ上に表示された画面であり、人間はそれに一生懸命追従しているわけだ。

であれば、その時の人間の姿が美しいわけがない。ご主人様に付き従っている従者のようなものだ。

逆に

CUIでコマンドを叩き込んでいる姿というのは、椅子にふんぞり返って命令を下しまくる上役のようなものだ。コマンドに習熟していれば、

「意のままにコンピュータを操る」

ことができる。主体は人間様のほうにある。つまり姿がかっこよくなるわけだ。

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最近vimなるエディタ(正確に言えばEclipseでのプラグインであるが)を使っている。未だに自分が入力したテキストがコマンドとして実行されると慌てる。モードを持たせてはいけない、というのは正しいと思う。

しかしこのviという「ゴミのようなインターフェース」が21世紀にはいって10年もたつ未だに生き残っているという事実には感銘を受けざるを得ない。ユーザインタフェースの教科書に書いてあるありとあらゆる「悪いインタフェース」の要素を備えながらも、未だに反映しているのだ。

であれば

間違っている(控えめに言うと「改善の余地がある」)のはユーザインタフェースの教科書のほうではなかろうか。

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画面に表示された部品を一生懸命クリックしようとマウスを動かす人と、頭の中で組み立てられたコマンド群をばしばし叩き込む人の姿では傍からみてかっこ良さは段違いだ。

かっこよさだけではなく、これには

「主記憶と補助記憶」

の区別も関係しているのではないか、と考えている。

viを使おうと思えば、頭の中で自分がやりたいことをコマンド列に変換する必要がある。つまり主記憶-脳の中である程度の作業が必要なわけだ。

逆にGUIを使う場合、選択可能な操作は画面上にでている。これは外部に存在しているわけだ。ユーザはそこを「間接的に」選択に行く。

知識が外部に存在しているだけ、人間の脳は楽ができる。しかし外部とのI/Oにかかる時間だけ、効率は落ちる、、とかなんとかこんな理屈がなりたたないかな、と時々考える。


バスに乗り遅れるな

2011-05-19 06:47

「バスに乗り遅れるな」


当時、欧米諸国、とりわけソビエト連邦イタリアドイツで一党独裁による挙国一致体制が進められていた。世界恐慌から通ずる情勢不安において、これらの国々が経済成長(不況脱却)をしているかのように見受けられたことから、全体主義こそが今後の世界の指針になりうると考えられた。


日本の知識人、特に時の首相、近衛文麿はこれを世界的潮流と認識し、やがて世界は「ソ連」、「ドイツ・イタリア」、「アメリカ」、「大日本帝国」の四大勢力による分割支配されるだろうと予想した。そのため日本では、時流に取り残されることを恐れ、また新体制に諸問題の解決を期待する運動が高まり、「バスに乗り遅れるな」というスローガンが広く使われるようになった。


via: 新体制運動 - Wikipedia

私にとっては常に「頭の中でアラートがなる」言葉である。検索してみると最近では中国への投資を呼びかける言語としても使われたようだ。

みんなが乗っているバスに乗り遅れまい、というのは理解出来ないことではない。問題はそのバスがどこに行くかだ。慌てて飛び乗った電車が反対方向だった、というのは私だけの経験ではないと信じたい。

さて、なぜこの言葉がアラートを鳴らすか。昨日それを説明してくれる(かもしれない)記事につきあたった。

スイスのチューリッヒ工科大学の数学者Jan Lorenz氏と、同社会学者のHeiko Rahut氏はこのほど、集合知に関する最新研究を行ない、被験者に、他の被験者が考えている推測を教えたところ、集合知が低下するという結果になったと発表した。

『Proceedings of the National Academy of Sciences』に5月16日付けで掲載された論文によると、「集団は最初のうちは『賢い』が、他者の推測を知らされると、意見の多様性が狭まり、それによって(集合知が)低下する」という。「穏やかな社会的影響であっても、集合知効果に悪影響が及ぶ」

Surowiecki氏が述べているように、集合知が発揮されるためには、一定の条件がそろわなければならない。つまり、集団の各構成員は多様な意見をもち、また、それらの意見にはめいめい自力で到達する必要があるという。

via: 意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果 | WIRED VISION

自分で考えることをやめ、「みんなそう言っているから」という理由で間違った考えをもち、「みんなそう言っているから」という理由でそれに確信をいだく。この「みんながそう言っている」は株バブルの崩壊を引き起こすことが知られれていると言う。

Bar-Yam氏の研究チームは、相転移モデルを使って、株式市場の変動パターンを分析した。2000年代初めの市場は、連動性が弱かった。つねに株式の約半分は値上がりし、半分は値下がりしていた。それが2008年の株価暴落の直前のころには、連動性の傾向が顕著に現われるようになった。投資家たちはもはや各自で判断せず、他者と同じ行動をとる状態に陥っていた。

via: 株価暴落の初期サインは「連動性」 | WIRED VISION

この説明の恐ろしいところは、

「インターネットの普及が社会の衆愚化を促進する」

ことを示唆しているように思えるからだ。

インターネット普及前にはマスメディアがあった。そしてマスメディアはこうした基準で番組を作る。

私がNHKに勤務していたころ教わったのは、「典型的な視聴者は、50歳の専業主婦で高卒だと思え」ということだった

via: 古舘伊知郎氏が「格差社会」を語る気味悪さ - 池田信夫 blog(旧館)

これに気が付きTVを見るのを止めるのは少数派なのだろう。大多数は

「ああ、おもしろい。ほらTVでもこう言っているよ」

と安心感を得、そして自らの"考え"に確信を持つ。私にとってはTVをつけっぱなしにするのは醜悪の極みなのだが、そうした行為に安心感を覚える人は多いようだ。

次にネット世論なるものが来た。これはもっとやっかいでもともと「気の合う仲間」だけで情報が閉じる傾向がある(Twitterのフォロー、Facebookのリンク)そこから得られた情報を「ああ、そうなのね」と納得し自分の考えにすり替える。そして「皆が言っているから」と確信を深める。こうして事実とは異なった「確信」があちこちに生まれる。みなバスに乗り遅れまいとしている。バスは勝手な方向に走り去っていく。

「世論調査やマスメディアは、情報のフィードバックを大きく促進し、そのことが、事実に対するわれわれの判断を狭い範囲に絞り込む」と研究チームは記している。集団知は有益なものだが、使い方を誤ると、「間違っている可能性がある考えに対する過信」を引き起こすという。

via: 意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果 | WIRED VISION

この気持ち悪く危険な「フィードバック」をどのように断ち切ればよいのか。


携帯のデザインとは

2011-05-18 07:37

携帯の「ガワ」ではなくて、面積の多くを占めている「画面内のデザイン」のことである、と主張してはや何年。ようやく、それらしいiidaブランドのスマートフォンが発表された。

auから発表された携帯電話をみて、触ってみたい、と思ったのはそれこそ10年ぶりである。どことなくWindows Mobile 7のUIに似ているようだが、それでもいいじゃないか。少なくとも何も考えずにAndroid標準のUIを載せるよりはるかにマシである。

何度か書いていることだが、私はiPhone原理主義者である。であるから一山いくら、のAndroidケータイにはなんの興味も持っていなかったのだが、このINFOBARは違う。

Androidの宿命として、凝ったカスタムUIをのせるとAndroidのバージョンアップ時に苦労する、と聞いたことがある。この携帯がどのような運命をたどるかわからないが、一度は触ってみようと思う。

「元気がないと言われているauだが、iidaでもう一度活力を感じてもらえた。うれしく思っている」――KDDIの高橋誠 コンシューマ商品統括本部長は、9月9日に都内で開いた「iida」新製品発表会見で、iidaスタートから半年間をこう振り返った

via: 「元気がないau」、iidaブランドで再生へ - ITmedia News

この記事が書かれたのは約2年前。iidaブランド第一弾のG9はひどかったんだよ。外見はそりゃ凝ってるけど、スイッチをonした途端に旧態依然のガラケー。ここらへんを見ると暗澹としたものだが。

「iida」シリーズの端末。箱型の置き台がセットになった突起だらけの端末「ドッツ・オブセッション、水玉で幸福いっぱい」と、犬のオブジェに端末を収納する「私の犬のリンリン」は100万円で、それぞれ100台限定。

photo 「ドッツ・オブセッション、水玉で幸福いっぱい」
photo 「私の犬のリンリン」

via: auが100万円ケータイ 芸術家とコラボした「iida」モデルで - ITmedia News

AppleとMicrosoftそれぞれの戦い

2011-05-17 06:46

Appleが「Jobs後」に備えて、Apple Universityを設立し、何がAppleをAppleたらしめているのかについて分析し、教育を行なっている、と報じられている。

Jobs氏は、2度目の病気療養に入る前の2008年、イェール経営大学院の院長であるJoel Podolny氏を迎えて、社内の教育プロジェクトであるApple Universityを開始した(日本語版記事)。Podolny氏は、経営学の教授たちによるチームを結成し、Apple社の近年の最重要決定に関する社内向けのケーススタディー・シリーズを執筆させた。

その目的は、Jobs氏が去ったあとでも、Apple社がApple社であり続けるためだ。投資家や業界関係者たちは、会社を第一日目から作ってきた、ビジョンを持つリーダーを失ったあとでも、Apple社が成功し続けるかについて何年も議論してきた。その答えはわからないが、Apple Universityの目的とは、マジシャンを失ったあとでもショーが続くように準備することのように見える。

via: Apple社員が明かす「Jobsマジック」の秘密 | WIRED VISION

正直に書くが、初代iMacをみて私は「これはインタフェースを削りすぎだ」と思った。またmac互換機を廃止したことについても、
「これでかっこいいMacを使うのぞみはなくなった」(当時AppleからはろくなMacが発売されていなかったのだ)
と思いJobsを罵倒していた。

しかし「ああ、あの時Apple株を買っておけば」と私に後悔させたのは一にJobsであることとを認めないわけにはいかない。彼が去った後、ショーはどうなるのか?

元記事には面白いAppleのPrinciplesが列挙されている。日本語で書かれた別の記事から引用するが

・コントロールされなくても説明責任を負うこと
・トップマネジメントはまず収益をあげるべきこと
・ベターなことでもイエスといわないこと
・明確でないマーケットに対しても製品を出すこと
・ヒエラルヒーないしは分割的組織ではなく機能中心の組織
・うわべだけのコンセンサスは無視すること

- Accountability without control
- Lack of "P&L responsibility" for top management
- Saying no to "better things"
- Building products before markets are identified
- Functional vs. hierarchical or divisional organzation
- A disregard for polite consensus

via: ジョブズ的なものを形にする「アップル大学」 « maclalala2

私が意味をとることができない物を除くと、

Saying no to "better things"

A disregard for polite consensus

が印象に残る。会社において大抵のconsensusはpoliteだ。腹の奥で何を考えていようと、とりあえず上辺だけは同意する。また"better thing"ができれば、前との差分だけを考え"yes"と言ってしまう。

この文化がJobs後も続くのだろうか。まだまだAppleという会社に対する興味はつきない。

さて

親愛なるMicrosoftである。今朝こんなニュースを読んだ。

Microsoft and Nokia will enter talks next week to discuss the potential for the American software giant to purchase the Finnish company's mobile arm, meaning the part that makes all those delectable smartphones.

via: Eldar Murtazin: Microsoft will enter negotiations to buy Nokia's mobile division next week -- Engadget

このニュースソースが正しいかどうかは別として、こうした動きはNokiaが全面的にWindows Mobileを採用,で止まってしまうよりずっと理にかなったものに思える。中島氏の予想を引用すると

ノキア本体側の経営陣としては(1)事業部のアジアメーカーへの売却、(2)ソニエリなどとの合併、(3)スマートデバイス事業部のスピンアウトとそこへのMicrosoftからの資金注入、などのシナリオを考えていると予想できる。

via: Life is beautiful: Nokia+Microsoftパートナーシップは、「3強3OS時代」の幕開けか

これは(3)の発展形の噂と考えることができる。
今やAppleに売上、利益、時価総額でも抜かれたMicrosoftだが、ぼんやりしていることなどありえない。どこまでも戦い続けようとする姿勢は野次馬として実に興味深い。

さて、

そのMicrosoftのCEO BallmerだがUniversity of Spoiled ChildrenことUSCの卒業式でスピーチをしたようだ。

大学の卒業式でのスピーチといえば、Steve jobsのそれが思い出されるが、このスピーチはまさにBallmerのものだ。少し引用。

I was afraid I might not be able to be here. I thought I might have to Skype in. (Laughter.) I'm glad to be here today. By the way, to all the families and graduates, post-graduation please Skype on. (Cheers.)

via: Full text: Microsoft CEO Steve Ballmer's advice to USC grads - GeekWire
実は今日来ることができないのではないかと心配しておりました。いざとなったらSkypeで参加かな、と(笑い)くることができてうれしく思っています。ところで家族の方、卒業生、既卒生のみなさん、Skpeにログインしてください。


いや、楽しい。


ここんとこ書いたブログの追記

2011-05-13 07:04

というわけで過去数日書いたネタの追記です。

その1)数日前こう書いた。

先ほど引用した部分の導入として書かれているのは以下のような仮想のストーリー。

親戚の家で、すばらしいディナーをごちそうになった。堪能したところでおもむろに 「今日の代金をいくらお支払いすればいいでしょうか?」

家に来てくれた親戚に、ディナーをふるまうのは社会規範。サービスに対価を払うのは市場規範というわけだ。ちなみに後半で引用されているのは

僕は君とのデートにもう何万円も費やしているんだ。いつになったら◯◯させてくれるんだ!

と言ってしまった男の物語である。

via: ごんざれふ

昨日ふと塩野七生氏が書いたこんな文章を思い出した。(記憶で書くので多分間違ってます)

(カエサルがなぜモテたのか?という問に対して) カエサルは女に喜んでもらいたい一心でプレゼントをしたのだと思う。女は喜んでもらいたい一心でのプレゼントと、見返りを求めているプレゼントの違いを敏感に読み取るものである。

ローマ人の物語からうろ覚えで引用

これを堅苦しい言葉で言えば「社会規範」と「市場規範」になるのではないかと思い当たった。
世界のあちこちで普遍的に行われている「デートにかかった費用を男性が負担する」という習慣にどのように対応するかは、その人がどの程度成熟しているかを測る面白い尺度になるのではないかと思う。私は未だにこの習慣に納得できないし、「男女平等」という言葉と考え合わせるとその理不尽さには怒りを覚えるほどだ。

しかし

ごくまれにではあるが、女性と食事をする機会があれば、何も言わず全額払う。相手が

「いや、それは」

といっても「10年に一度のことですから」(実際そうなのだ)といって全部払う。

この世の中は理不尽なものだ。それに反抗するのも結構だが、理不尽な世の中で生きていくためにはその理不尽さとつきあうことが必要。40をだいぶ超えた年になって、時々はそうしたことに思い当たるようになった。

しかしなんだね。もしこうした場面で相手が「硬くなに」払うことを主張したとすれば、それは「お前は社会規範ではなく、市場規範を意識して私におごろうとしている」とみられたから、かもしれぬ。


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以上、完全に印象だけで話を進めてきたので何の自信もないが、日本のベンチャー界にはエリートとヤンキーとオタクという3種類の企業があると言える。


3つのうちで一番数が多いのがヤンキーなわけだが、これは考えてみれば当然のことだ。我が国では、エリートコースという言葉の意味するところがそれ即ち大企業での出世であるから、ベンチャー企業に集まる人材は必然的に非エリートが中心となる。「ヤンキー的なもの」は非エリートが自らをアイデンティファイするための最適な価値観なのだ。


via: 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

私が「いかがなものか」と思う理由はこれであった。要するにヤンキーばかりなのだ。ハートは熱い。金は儲ける。しかしそこで働きたいとは思わない。

via: ごんざれふ

昨日こんなことを書いた。ああ、私が思っていた疑問を解消してくれたこの文章と出会えてありがとう、などと思いながら。

しかしevernoteに残っていた記録を漁っていたらこんな文章を見つけた。

技術という意味では、これは僕の造語なのですが、「深い技術」と「早い技術」というのがあると思っています。今のウェブの世界は「早い技術」--サービスを開発したら、いろんなものを組み合わせて、さらにそれをいち早くサービスとして立ち上げて、ユーザーをどんどん集めて改良していくんですね。「早い技術」というのが正しい言葉かどうか分からないけど、僕はそう定義しているんです。

 「深い技術」というのは、やはり1つのテーマで、例えばGoogleはページランクというアルゴリズムがベースにあって、そのページランクというアルゴリズムで全世界のウェブサイトをランクづけして、といったものです。その検索の結果をとにかく常に改良していくといったものは、そう簡単にできる技術じゃなくて「深い技術」ですよ。アルゴリズムも相当深いです。そこに数学者やらPhDやら集めてきて何かやるというのはさらに上を行っているわけです。

 そういう「深い技術」と「早い技術」がネットの世界にあって、この「深い技術」を極めようという気が、今の日本のネット産業の中に全くないのだろうなということですよね。

via: ネット企業は技術志向の経営を--梅田望夫氏が語るウェブの進化 - CNET Japan

この記事の日付は2006/2。つまり今から5年前である。5年前から状況は変わっていない、というのはひとつ。もうひとつは、

「せっかくブックマークしながら、それをすっかり忘れて、類似情報にであって喜んでいた私のおめでたさ」

に絶望した。

かくのとおり、Evernoteになんでも放りこむのは結構だが、それで満足してしまっていいのだろうか?そもそも私はなんでEvernoteの内容など掘り返していたのか、という点に関しては以下次号。(というかそもそも公になることがあるのか)


成功したベンチャー日米比較

2011-05-11 06:53

というわけで昨日の続き。

以上、完全に印象だけで話を進めてきたので何の自信もないが、日本のベンチャー界にはエリートとヤンキーとオタクという3種類の企業があると言える。

3つのうちで一番数が多いのがヤンキーなわけだが、これは考えてみれば当然のことだ。我が国では、エリートコースという言葉の意味するところがそれ即ち大企業での出世であるから、ベンチャー企業に集まる人材は必然的に非エリートが中心となる。「ヤンキー的なもの」は非エリートが自らをアイデンティファイするための最適な価値観なのだ。

via: 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

私が「いかがなものか」と思う理由はこれであった。要するにヤンキーばかりなのだ。ハートは熱い。金は儲ける。しかしそこで働きたいとは思わない。

読者の皆様におかれましては、もしベンチャー企業への投資を考えるようなことがあれば、大部分を占めるヤンキー系企業(手先としてのオタクを含む)は捨て置いて、極マレに混じっているエリートタイプか天才型の純オタクタイプを探すと良いだろう。

via: 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

引用した記事では、DeNA、楽天がエリート、mixi,ライブドアがオタクとなっている。エリートはいいとして、堀江氏がオタクであるとは私には思えないのだがまあいいや。

いずれにせよこれらの企業は「真面目にやって稼いじゃいるが」だから何?という点で共通している。もちろんDeNAには「下流食いの天才」という称号を与えるべきなのだが、それとて別にパチンコやサラ金がさんざんやっていたことで、目新しいことではない。

プリファードインフラストラクチャーみたいな会社が、どーんとブレークすると楽しいことになると思うのだけどいかがなものかね。


社会規範と市場規範

2011-05-10 07:16

というわけで昨日書いたことと少しつながるのだが

何年も前にマーガレット・クラーク、ジャドシン・ミルズ、アラン・フィクスが指摘したように、それはわたしたちがふたつの異なる世界、-社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則をつくる世界-に同時に生きているからだ。

(中略)

社会規範と市場規範を混同してはいけない。-とくにこの場合、混同すれば女性を売春婦呼ばわりしていることになる-ことを男は知っておくべきだった。

予想通りに不合理-p106

読んでいるのはこの本。


先ほど引用した部分の導入として書かれているのは以下のような仮想のストーリー。

親戚の家で、すばらしいディナーをごちそうになった。堪能したところでおもむろに 「今日の代金をいくらお支払いすればいいでしょうか?」

家に来てくれた親戚に、ディナーをふるまうのは社会規範。サービスに対価を払うのは市場規範というわけだ。ちなみに後半で引用されているのは

僕は君とのデートにもう何万円も費やしているんだ。いつになったら◯◯させてくれるんだ!

と言ってしまった男の物語である。

DeNAとかGREEは市場規範において実にすばらしい成果を上げている。私の中でひっかかるのは社会規範のほうだ。

「そんなことして金儲けして恥ずかしくないですか?」

と問えば、DeNAの社長は胸をはって

「なんらやましいところはありません」

と答えるだろう。さすがは元コンサルタント。

携帯の無料ゲームサイトとしては後発のグリーに一旦は捲られるも、地道に客単価を吊り上げ、こっそり抜き返したかと思うと、いつの間にか収益的には倍近い差を付けるなど、やることにいちいちソツがない。以前に自社のプラットフォームにゲームを提供する開発会社に対して、優越的な立場を利用し、他プラットフォームへのゲーム提供をやめるように圧力をかけた問題が報じられた時も、南場女史は「あら、国内にライバルなんていたかしら(証拠はあって?)」という風情でシラを切っており、実に嫌味なエリートという感じであった。

via: 日本のベンチャー企業に見られる3つの類型 - よそ行きの妄想

南場氏の言葉を見ていると、実に巧みに市場規範と社会規範を混同させている、という印象をうける。頭のいい人は違うねえ。

市場規範と社会規範は一致するのだ、という楽観的な意見もたまに目にするが、パチンコ産業や、DeNA,GREEが隆盛を極めている現状を見る限りそうとも思えない。

そもそも日本において大成功しているベンチャーというのが、楽天、GREE,DeNAというのがどうも釈然としない。FaceBook,Google,Amazonと比べたときのこの差異はなんなのか、というところで次回に続く(いままでこう書いて本当に続いたことあるのか)


DeNAとかGREEに関して思うこと

2011-05-09 07:04

パチンコの面白さは自分には分らない。借金してまでパチンコ屋さんにお金を貢ぐ人達は、 だから自分なんかから見ると、「金払いのいい阿呆」に見える。

理解は出来ないけれど、30兆円産業なんて言われるあの業界を回しているのは間違いなくあの人達だし、 すばらしい理念と技術をぶち上げたIT 企業が軒並み失速していく一方で、 技術であったり、顧客の規模なんかでははるかに劣る「出会い系サイト」は、 そうした「金払いのいい阿呆」の支持を得て、確実に業績を伸ばしてる。

via: 「下向き」の想像力について - レジデント初期研修用資料

この記事が書かれたのは3年前。まだGREEやDeNAの成功がそれほど目立っていない時だ。今だったら間違いなく「下向きの想像力を生かした成功例」として取り上げられるだろう。

サラリーマンとして日常をしのいでいるわけだが、「自分がそもそも何をしているのか」と自問することは時に難しい。その昔私はミサイルをつくっていた。ひゅるるると飛んでいって「敵」をやっつけるミサイルだ。心理的な抵抗は存在していたが、いつか先輩がいったこの言葉も真実だと思う。

「うちのミサイルは未だかつて一人も殺していない。トヨタの車が何人殺したと思う?」

現実として、「下向きの想像力」が生み出す金の大きさには驚かされる。DeNAもビッダーズでオークションやっていたころはその理念に共鳴もしたが、今は何を言ってもそらぞらしく聞こえる。いっそGREEのように開き直ればいいと思うのだが、それができないのだろうな。資本主義社会における企業としてとても成功していることは疑いようがないが。

これも前に書いたことだが、「TVでCMをバンバン流している業種」というのは高い確率でこの「下向きの想像力で成功した」業種なのだろう。最近民放TVはみないから、何をCMでやっているのか知らないのだが。

今「◯◯重工でミサイルを作る仕事をするか、あるいはDeNAでモバゲーを作る仕事をするか」と問われれば、多分他の選択肢を探るべく努力するだろうな。なんども転職してそこだけは少し柔軟になったかもしれない。


しばらくiOSでプログラムを書いて気がついたこと

2011-05-06 17:18

というわけでいきなり引用。

Web開発は常にトレードオフの中にある。「沢山のユーザを獲得」しつつ、彼らを「満足させる品質」を作り上げなきゃいけない。Webは着実に良くなってはきているけど、そのスピードはあまりに遅すぎる。

Gmailが2004年にリリースされたとき、その当時私が使っていたメーラから一歩進んで十歩戻ったような有様だった。しかし今でも、Gmailの機能はここ数年のデスクトップメーラで作られてきたものの後を追っているだけだ。

いま、Webは重要な転換期の中にいると私は思う。Webはデスクトップアプリケーションと同等になるのに10年以上かかってるし、しかもイマイチだ。そしてネイティブアプリが加速していく中でWebは絶滅の危機に瀕している。

via: PosterousのCEO「Webはクソ。ブラウザはマジなんとかしろ」 - 床のトルストイ、ゲイとするとのこと

今年の一月までGUIのミドルウェアを扱う会社にいた。それはいわば

「GUIのアセンブラ」

ともいうべき仕様で、GUI表現に必要な最小構成要素を見切って実装していた。それ故仕様が小さく様々なプラットフォームに迅速にポーティングすることが可能だった。ミドルウェアの上で動くバイナリは共通だから、あるプラットフォームで動かしたアプリケーションを他のプラットフォームにもっていくことも簡単に(細かいところはあれこれ調整するとして)できた。

最近はiOSであれこれプログラムを書いている。iOSについて学びつつある段階で、以前やっていたこととiOSを比べると

・前やっていたこと:ナイフを一本もって、どこに行ってもそれで道具を作り、、、とやっていた。できることは貧弱だが、どこに行っても大丈夫だよ!

・iOS:必要なものは何でもそろっているショッピングモールを歩いている。

くらいの差があることに気がつく。
世の中の趨勢を見ると、iOSやAndroidのほうが例外的である、ということは認識している。しかしできることとそれに必要な労力の差は馬鹿馬鹿しいくらい大きい。

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インターネットを前提としたアプリを開発する、といったときそれを構成する要素は

・ネットで接続されたサーバー
・クライアント上で動くアプリケーション

からなるわけだ。サーバーのほうはいいとして、クライアントで動くアプリケーションをHTMLで書くのは実にバカげている、と最近思い始めている。昨日昔の情報を漁っていてこんな文章を見つけた。

HTMLの仕様は、紙の発想を根強く持っている。ネットワーク上での機能は、紙からの脱却を目指すべきだが、HTMLはそうなりきれていない。

via: 紙の発想をいまだに引きずっているHTMLの仕様

標準化がなされているのは知っている。しかしその表現力は未だに15年前から少しも進歩していない。

いや、HTML5が、、という人は一度HTML5+Javascript+CSS3でアプリケーションを書いてみるとよい。今までの「紙ベース」に少し色をつけることはできるが、それ以上のことをやろうとすると途端に難しくなることに気がつくだろう。今のところデモプログラム以外で「をを、HTML5になるとこんなことが」という例を見たことがない。

参考にしよう、とiOS上のアプリをいろいろ触ってみる。すると実に様々なUIが実現されていることに気がつく。HTMLという貧弱な仕様に拘束された世界とは隔絶している。

ここでもいろいろな端末でアクセスできること、と表現する機能のトレードオフがあるわけだが、サーバーサイドは、今までWebで積み重ねられてきた技術を使うとして、クライアントは、考え直すべきなんじゃないかな、と真面目に考えている。


政治家の言葉の重さ

2011-05-06 07:18

同じような感想を抱いた人は多いと思う。

ビンラディンを制裁して喜ぶアメリカ国民には、戦慄を感じました。そもそも裁判もせずに他国で人を殺した上に、大統領が勝利宣言まがいの演説をするというのは、異常なことではないでしょうか。

via: Twitter / @真山仁: ビンラディンを制裁して喜ぶアメリカ国民には、戦慄を感 ...

Pattonのオープニングにもある通り、アメリカ人は戦争が大好きだ。自分たちが不当にしかけられた(とアメリカ人が思っている)戦争は、あくまでも完遂する。

最近さすがに聞かなくなってきたが、Remember Perl Harborの言葉は1990年代にもちょこちょこ聞こえてきた。なんでそんなに昔のことを、と思ったが今回のビンラディンに関する一部の米国人の反応を見て、ようやくその一端が理解できたような気がした。

というのは前振り。私が書きたいのはそのことではない。

ビンラディン殺害に関するオバマの演説を聞いた。指示を出したのは「私」と明確に力強く言い切っていた。彼は、ホワイトハウスの前で星条旗をふりまわし、歓声を上げるような人間ではない。自分が何を決断し、それに対して、世界がどのように反応するかある程度理解しているはずだ。

その理解の上での言い切り方、言葉のもつ重みに驚いた。

さて太平洋をはさんだこちら側では、一国の首相がこんなことを言っていた。

首相は8月中旬のお盆までに仮設住宅に希望者全員が仮入居できるようにするとした自らの発言の積算根拠について「5月末までに3万戸(が供給可能)なので、6~7月があれば7万2000戸の希望(戸数)は私が強く指示すれば実現できるという見通しで申し上げた」と説明した。

 自民党の林芳正氏の質問に対する答弁。大畠章宏国土交通相らとの調整や仮設住宅の建設に必要な資材調達、用地確保などの確たる目算がなかった事実が浮き彫りとなった。林氏は「びっくりした。首相が無理なことを言って、後になってできないということではいけない」と実現の可能性に懸念を示した。

via: 首相「仮設8月入居」 資材調達など目算なく  :日本経済新聞

就任以来

「一国の首相がころころ変わるのはいかがなものか」

以外の理由で支持されたのを聞いたことがない首相だが、いまだその席にしがみついている。視察の様子がTVで流れる。もちろん言葉は聞こえないのだが、その頷き方を見るだけで

「ああ、この人は全然聞いていないな」

というのがわかる。その顔ははっきり言って醜い。カイワレ食べていた頃は、なかなか2枚目と思ったものだが。

ココ・シャネルという人は私にとって印象深い言葉を残しているが、そのひとつにこんなのがある。

20歳の顔は、自然の贈り物。50歳の顔は、あなたの功績。

菅の顔を見ていると、この言葉は本当かもしれん、と思えてくる。50歳まであと少し。あまりみたくない自分の顔だが、時々見返して自分が何をしてきたのか、何をすればいいのか考えることにしよう。


みんな大好きRoyal Wedding

2011-05-02 07:14

天皇誕生日(えっ?違うの?)に英国では王子が結婚したのだそうな。

奥様がTVをつけていたので、脇でちらちら見ていた。民放が作っている番組にもかかわらず、かなり真面目にやっているのに驚いた。

さて、こういうイベントでもないとよその国の王室のことなどわからないわけだが、先日このような文章を見つけた。

科学的根拠が全く逆の方向を指し示しているというのに、チャールズ皇太子がガーソン療法でガンが治せるかのように公に発言したのは、良くて間違い、悪くすれば無責任だ。また、本書に示されたように、鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法にはほとんど効き目がない以上、彼が今後も代替医療全般を擁護するのは無謀ではないだろうか。

ロンドン大学ユニバーシティカレッジのガン専門家マイケル・バウム教授は次のようにのべた。
「私の発言の重みは、40年に及ぶ研究と、25年に及ぶガン研究への積極的な関与の上に築かれた知識の裏付けによるものだ。あなたの権力と威信は、たまたまどんな家に生まれたかにかかっている」

代替医療のトリック P313

この言葉が載っている「代替医療のトリック」という本は



チャールズ皇太子にも捧げられている。どうもかの国の皇太子は、「代替医療」に関して日本の前首相と同じような態度をとっているようだ。

「たまたま」王室に生まれた人間が、有害な発言をすることについて地道に努力してきた専門家が怒る気持ちはどれほどのものだろう。このような「偉い人」に対する人間の認知バイアスについてはきっと研究成果があると思う。

この本には「代替医療を支持する困ったセレブ」の名前がいくつも挙がっている。日本にも何人かはいるようだが、いずれも「小者」である点は喜べばいいのか、悲しむべきなのか判断に迷う。鳩山くんがもう少し長く首相を続けていれば「大物」になったかもしれないけど。