ソフトウェア ジャパン2008

2008-01-30 00:00



にいってきたよ。


最初の招待講演が「仮想世界にあるリアリティ」ということでこの期におよんで「セカンドライフすごい!」の宣伝だった。


講演者の信念はよしとするが今どき現実から目を背けてそうやって煽りだけする、というのはいかがなものか。特に同じ日にこんなニュースが流れているというのに


リンデン・ラボ社は2008年1月22日、「セカンドライフ」内の「リンデンドル」を扱うATMなどの銀行業務を全面中止する措置を取った。 この前の2008年1月8日、同社公式ブログは、仮想銀行が「リンデンドル」について年率20~40%の高金利を約束しながら、その契約が履行されていないという非難が同社に寄せられたことを受けての措置だ、と説明している。これにより、金融機関として「現実世界」に存在する政府の証明がない企業などが運営する仮想銀行は、業務が禁止されることになった。

J-CASTニュース : 「セカンドライフ」で取り付け騒ぎ 仮想銀行閉鎖で換金不能J-CASTニュース : 「セカンドライフ」で取り付け騒ぎ 仮想銀行閉鎖で換金不能


講演の最後は意訳すればこんな調子だった。



「セカンドライフについて批判する人もいますが、批判するのではなく、楽しみ方を見つけるべきではないでしょうか!そうやって楽しみを見つける人が実世界でも楽しい人生をおくれるのではないでしょうか!」



前向きな姿勢万歳!


こんな招待講演を最初に持ってくるとは情報処理学会大丈夫だろうか、と真面目に心配になった。しかしそうした印象とは180度反対の内容に出会う事もできた。


エスノグラフィーのセッションである。仮説検証ではなく、仮説立案。定量ではなく、定性。マジョリティの観察ではなくExtreme Userの観察。会場には部屋に入りきれないほどの人があふれ、熱気が感じられた。


その日は帰って寝たが、翌朝こんなことを思いついた



新しい携帯のサービスを立案する際、既存ユーザにアンケートをとって不満点を聞いたり、あるいはターゲットに置いたマジョリティユーザの行動を観察し、そこから改善点を抽出するのが既存のやり方。


エスノグラフィでは、「業務などの条件から当然携帯をもっていなければならないはずなのに、持たないで済ませている」Extreme Userを探し出し、そこから仮説を発見する。何故そのようなやり方が成り立つのか。そこまで携帯を嫌う人でもどうしても必要な機能はなにか、もしそれが成り立つとすれば今の携帯からは削れる機能があるのではないか、など。


実際カーナビでも携帯でも、問題点列挙→仮説検証型の機能追加は行き詰まりを見せている。本セッションに対する関心が高いのもそうした閉塞状況打破する意欲の表れか。



しかしこうして生まれた仮説は、現実世界にでるまでにいくつもの関門をくぐらなくてはならない。そしてそこには「定量評価」という壁が立ちはだかっているのだった。


今世の中にないサービスや製品の定量評価なんかできるわけがない、という理屈が通じない相手は会社の中に層を成している。そして発見された仮説は没となり、企業はイノベーションのジレンマにはまり衰退していくのだった。。


実際会場でも周りで聞こえた声は


「ここにくると元気がでる」


「愚痴を共有したい」


というものだった。これは講演者が述べた話だが



定性的評価は、従来のマスを重視した定量的な評価を重んじる人たちにはなかなか受け入れられない。EPIC(産業界におけるエスノグラフィーの実践に関する国際カンファレンス)でもインハウスのエスノグラファーよりも、コンサルティング会社の人間のほうが元気だった。コンサルティング会社は、トップが問題を認識した上で依頼してくるので、インハウスのエスノグラファーのように社内に新しい方法論を説くとこから始める必要がない。



つまるところはトップがこうした新しい方法論を理解し支持しないかぎりなかなか現実の製品に生かされない、ということなのだと思う。(いくらIDEOがどうだとかAppleはフォーカスグループなんかつかわないよ、といったところで無駄な話)


書いていて思ったのだが、定量評価でマスばかり重視する人って、結局のところ自分の決断にともなう責任を回避しているだけなのではなかろうか。これだけのユーザからこれだけの声が上がっているからこれは正しいんです、ってあんたは本当にそう思ってんの?


などと考えていくと、東大の竹内氏が言っている


「大の大人のITリテラシー」


という問題に行き当たる気がする。日本には世界に誇るべき技術と職人がいるのに、もうけを全部海外に持っていかれるのは経営層の無知故ではなかろうか。ジューコフの言葉をここにあげる事はしないが。




情報機器が持ちうる高級感について

2008-01-28 00:00



ゼウスコンピューターがセレブ、ニューリッチ向けに 8,000万円 のプラチナパソコンと6,000万円のゴールドパソコンを販売しています。

これが格差社会か 8,000万円のセレブ向けパソコン登場 | negitaku.orgこれが格差社会か 8,000万円のセレブ向けパソコン登場 | negitaku.org


まあさすがにこれはネタだとしてだ。


問題は何千万払おうが、画面の中身が5万もしないPCと同じWindowsだということだ。


カーナビについてもいえることだが、いくら外装に金をかけたところで、画面の中身が貧弱すぎる。私に何千万もする衣装を着せたところで高級な人間に見えないのと同様、情報機器に関して言えば、画面の中身。静的なデザインだけではなく、どのようなインタラクションをするかが、高級感を決めるのではなかろうか。


レクサスに搭載されているナビゲーションのチープさには涙がでるよ。画面部品のデザインなんか変えたって、どうしようもないインタラクションはカローラのナビと同じなんだから。


そう考えれば、iPhoneは実に高そうに見える。いや、テンキー押してがちゃがちゃと指ですいっ、すいーと比べてみればその差は明らか。


そこより一段先をいくものを作ろうとしていたのだが、、(以下略)




Mac Book Airが2ch等で不評である事は

2008-01-21 00:00



あるいは狙った通りなのかもしれぬ、という記事。


いろいろ不満をいっている連中は、フェラーリには十分なトランクスペースがないと文句をいう連中と同じだ。アップルは MacBook Air をゴマンと売ろうとしているわけじゃない。初年度は数百万台売れればいいのだ。何故かって? MacBook Air は、未開拓だが儲けが大きく、かつマーケットシェアも拡大できるニッチェマーケット[market niche]に狙いを定めているからだ。それは、ファッションデザイナーや高級ホスピタリティ[luxury hospitality]業界なのだ。

MacBook Air にはピッタリのマーケットがある « maclalalaMacBook Air にはピッタリのマーケットがある « maclalala


ファッション、車、鞄その他。これらは元々は機能性を目指して作られたものだったのだろうが、今や感情Valueに訴えかける「高級ブランド」がものすごい利益をむさぼっている製品だ。


PCがそのようになって悪いと誰が決めたのか?もちろんどっかのソニーが一時作っていたようなクオなんとかなんてのは論外だ。そして確かにこういう事を言える人は世の中に一定数存在するはずなのだ。


値段が高い →「高いって? 私のスーツより安いもんだよ。」

MacBook Air にはピッタリのマーケットがある « maclalalaMacBook Air にはピッタリのマーケットがある « maclalala


私のように「服とは安くて機能を満足していればよいもの」という人間とは全く違う人間がこのコンピュータを持ち運ぶのかもしれない。


この仮説が正しいか。あるいは正しかったとして、製品を継続できるだけの数量が販売できるのか私にはわからない。しかしそうあって欲しいと願っているのは確かだ。ユニクロもあればアルマーニもある。PCもそうであっていいではないか。今までアルマーニを自称したPCはいくつもあった。しかしMac Book Airはそれを実現する最初のPCになるかもしれないのだ。




Mac Book Airと初代iMac

2008-01-17 00:00



の類似点と相違点について。


類似点:


・デザインがすばらしい。


・I/Oを(それまでの常識からすれば)極端すぎるくらい削っている


この二つ目の点について、私は予想を外した。初代iMacは(まだUSBメモリとかオンラインストレージとかCD-Rとかない時代に)フロッピーもそれまでMac用の標準LANだったLocal Talkも外してきたのだ。私はこれはやり過ぎだと思った。そもそもバックアックもとれないではないか。


しかし初代iMacはバカ売れした。そもそもバックアップなどという概念をもっていないうちの奥様は「あれは欲しいと思った」と言う。


私は今回のMac Book Airはデザインのためとはいえ、I/Oを削りすぎた、と思っている。特に有線LANがないのがイタイ。しかし昨日掲示板に


「ホテルにはAirMac Expressをもっていけばよい」と書いてあるのをみて、確かにそうだな、と思い出した。ホテルの狭い机にしばられてノートPCを使うのは確かに楽しくない。


ほかにもあれがない、これがない、という声は多いが、これまた某掲示板から引用すれば


「HDが4台つめないなんて、miniはMac Proの代わりにならないじゃないか、というたぐいの意見が多い」


と思う。


もう一つ感心したのは、無線LANに重きをおき、光学ドライブを外付け&有料にした代わりに、HD搭載の無線ハブ、他のPCのドライブを借用、という解決案をちゃんとセットで提示してくる点だ。私は真面目に自宅にTime Capsuleを導入する事を考えている。何もしないで自動でバックアップ、というのは長年にわたる(そして痛い目にあった)PC Userの夢ではないか。


では次に相違点を


・Mac Book Airは高い。


いや、確かにその昔のDuoとかの時代に比べればとっても安くなったと思うのだよ。しかし衝動買いを思いとどまらせるのに十分なほど高い。


この値段付けがどのような根拠でなされたのかは知る由もない。しかし最近iPhoneの値付けを改訂せざるをえなかったように、Appleはちょっと自社のデザインの価値を過大に見積もっているのではないかと思える節がある。


ーーー


とかなんとかあれこれ考えて、私はHD容量が120GBになるまで待つ事にした。いやね、それだけ必要なんですよ。私の使い方でも。


iTunes,iPhoteのフルデータはどっかにとっておいて、一部だけ持ち出すような簡単なソフトをAppleが提供してくれればいいのだけど。




iPhone開発のスピードについて

2008-01-11 00:00



The Untold Story: How the iPhone Blew Up the Wireless Industryを読むとあの華麗な製品の開発においてどのような苦難があったのかをかいま見る事ができる。Product Managerが(おそらくは怒りのあまり)ドアを強烈に閉めた結果、ドアノブが壊れManagerが閉じ込められた、などというのは聞いて面白い一つのエピソードにすぎないのだろう。


この記事の主眼はiPhoneが携帯電話事業の構造自体を信じられないような方向に変えたことのように思う。そのことについては私見を前に述べた。ここではこの記事からiPhone開発に関する時系列データだけを抜き出してみる。(間違いがあると思うのでご指摘いただければ幸いです)





2002年:iPod発表直後:Jobsは携帯電話の開発を考え始める。




2004年夏:JobsがAppleは携帯電話を作らない、と明言。Motorolaと協議開始。




2005年2月:Apple-Cingular間でMotorola抜きのパートナーシップについて協議開始。Jobsが述べたポイントは3っつ。


・Appleは真に革新的な製品を作ることができる。


・キャリアとの独占契約を考量している。


・しかしながらApple自体が回線を借りてキャリアになることも考慮している。




2005年9月:Motorola ROKRを発表。




2005年11月:Motorola ROKRに関しWired に"YOU CALLTHIS THE PHONE OF THE FUTURE"という記事が掲載される。(つまり酷評ということ)




2005年11月末:Jobsがフルスピードで開発を行うよう指示。OSとして何を使うかから検討が始まる。Mac OS Xを使う場合には約1/10のサイズにする必要がある。エンジニアはLinuxを検討したが、Jobs が拒否。iPodを改造した携帯電話を作成。Click Wheelで電話をかける事ができるが、インターネットのブラウズはできない。(これがPurple 1 ?現iPhoneはP2(=Purple2)と呼ばれていた)




2006年初頭:iPhone向けOS X開発開始。




2006年7月?:Apple-Cingular間で契約締結




2006年秋のある朝:iPhoneのプロトタイプは悲惨な状況だった。Steve Jobsは静かに(いつもの癇癪ではなく)"We don't have a product yet"といい、その場にいたものの背筋を凍り付かせた。


それからの3ヶ月間は恐ろしい状況だった。




2006年12月半ば:iPhoneをCingularの経営陣に見せる。




2006年1月:Mac World ExpoでiPhone発表




2007年6月29日:iPhone発売



OSに何が使うかの検討がはじまってから1年ちょっとでMac World Expoでデモ。その間にOS Xをスリム化し、Core Foundation以外の部分を全て作り直している。またGUI部品もタッチパネルを用いた携帯電話向けに全て作り直し(ここでの作り直し、というのは「製造」ではなくて「デザイン」からのそれである)その半年後に商品として消費者の手に届けている。


もし日本で携帯電話、あるいはカーナビなどの組み込みソフトを開発している人が読んでいたとしたら、是非考えてほしい。この開発スピードは一体なんなのだ。AppleはiPhone開発に150億円費やしたと推定されている。しかしここで問題になるのはその金額ではない。つぎ込んだ金と開発のスピード&質の間にどのような関係があるか、経験者であればわかっているはずだ(仕事が遅れている言い訳には便利だが)なぜこんなことができるのだ。


と驚嘆しているところにこんなニュースを読む。


今冬のハイエンドモデルから採用され新プラットフォームとなるはずの「KCP+」の開発遅れは相当深刻のようだ。 そもそも、2007年中の発売だったはずが、いまだに発売時期は見えていない。12月中旬、あるau納入メーカー関係者は「KCP+はいまだにバグもあり、評価項目も山積み。春前までに出せるかも危うい」と話していた。

au、12月2位でも去らない苦境・端末開発遅れの誤算 モバイル-最新ニュース:IT-PLUSau、12月2位でも去らない苦境・端末開発遅れの誤算 モバイル-最新ニュース:IT-PLUS


この実力差はどうしたことか。まるで原爆と竹槍の対決再現ではないか。




なぜ米国の大統領選挙は面白いのか

2008-01-10 00:00



いくつか理由を考えてみた


・好むと好まざるとに関わらず米国の大統領に誰がなるかは、我々の生活に何らかの影響を与えずにはいられない、、、気がする。だからちょっと他人事ではない。


・しかし選挙権がないので、真剣に考える気も起きない。純粋に野次馬的立場をとれる。


・報道がたくさんなされるため、その気になれば自分でかなりの情報を集めることができる。


・候補者が「普通の人」に向かって、米国人に理解できる言葉でしゃべっているので、文化、背景を理解できない我々にもその内容が理解しやすい。(ハイ・コンテキスト社会の日本の政治家が何を言っているかわからないのはご承知の通り)


・日本的感覚から言えば「真っ向のガチ勝負」なので、見ていて楽しい。密室の談合で「じゃあ共和党が2期続きましたから、次は民主で」なんてことはない。ガチ勝負ははたから見ていて面白い。


ーーー


アイオワ予備選勝利の後のオバマの演説は見事だった。出だしで言った「誰もが不可能と行っていた事を成し遂げた」という台詞は(もし「沈黙の艦隊」の米国人観に従うとすれば)多くの米国人の心に訴えかけたのではなかろうか。いつかどこかで聞いた言葉だが、Americanの最後4文字はI canなのだ。米国人は「おまえらにそんなことできっこない」と言われれば何でもやってのける、というのは海江田の台詞だったか。


という流れで連勝かと思えばヒラリーがニューハンプシャーを制した。笑ったのは勝利演説の背景だ。オバマが若者にアピールしている、と言われている点を考慮したのか、ヒラリーの後ろに映っているのは若者ばかりだった。きっと誰がどこにたつとか念入りに計算してセットアップしているのであろうな。


というわけで民主党はヒラリーとオバマの一騎打ち。ヒラリーの楽勝だと秋口まで退屈になってしまうところだったが、これで民主党の情勢が判明するまで野次馬として楽しませてもらえる。共和党はさっぱり情勢がわからない。こちらも興味深いが「役者がわかりやすい」という点で民主党の候補選びの方が楽しいかな。