他人の目を気にしない、ということ

2012-09-28 06:45

そうか、他人の目をきにしなくていいのなら、電車内で化粧をしてもいいのだな、とかそういう話ではない。

先日この記事が話題になっていた。

アイデアを出すのが恥ずかしいとか、自分のデザインを見せるのが恥ずかしいとか、
自分の夢を語ることが億劫だとか、何かにつけて自分という存在の見られ方を強く意識してる子が多い。
だから、僕は最初にこういう「誰も君のことなんか見てない。」
君が失敗しようが、へまをここうが、チャックが開いていようが、誰も君のことなんか見てないし、覚えてない。
自分の言葉や表現を素直に出すことは別に怖く何かない。どうせ失敗しても忘れられるし、そもそも見てないから。

忘却と無視の繰り返しだ。だったら何したって怖くはない。
ただ自分の素直な表現や言葉を出せたとき、必ずそれを評価してくれる人がいる。通じる人がいる。

via: 誰も君のことなんか見てない。 - CNTR

可能なときは、自分が作った「変なソフトウェア」を論文にしたてて人前で発表する。発表の前にいつも後悔する。なんでこんな馬鹿なを事を言い出したのか。罵倒され、嘲笑されるに決まっているじゃないか。俺はなぜこんなことをしているのか。何もせずに昼寝していればよかったのに、と。

思うにほとんどの人は山月記に書かれたこのジレンマに直面していると思う。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨せっさたくまに努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間にすることもいさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為せいである。おのれたまあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦してみがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々ろくろくとしてかわらに伍することも出来なかった。おれは次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶ふんもん慙恚ざんいとによって益々ますますおのれの内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。

via: 中島敦 山月記

最初に引用した「誰も君の事を見ていない」という言葉は真実であるとともに、この「虎」が幻影である事を教えるものでもある。尊大な羞恥心というが、そもそも誰も私のことなんか見ていない。だから羞恥心を持つ必要はないのだ。

提示したものが酷評されてボツにされる。プレゼンの最中に聴衆が寝てしまう。なんだかわからんと言われる。これは全て私が実際に経験したことだが、だからなんだというのだ。これらによって影響を受けるのは私の尊大な羞恥心だけで、俯瞰してみれば世の中には何の変化も起こってはいない。誰もそんなことを気にしてはいないのだ。

だからといって

ただ自分の素直な表現や言葉を出せたとき、必ずそれを評価してくれる人がいる。通じる人がいる。

と思えるほど私は楽観的ではない。しかし「率直な表現や言葉を出す」以外のことはできないし、成功する可能性はないのだ。いや、成功する可能性云々の問題ではない。頭の中に浮かぶidea、こうあるべき、という姿を形にしないわけにはいかないのだ。

アーティストとは、他の人間にとってはまったく意味をもたない大義、けれども自分にとってはそれがすべてという大義を追求するために、自分自身の安寧や命さえ捧げることもめずらしくない人種のことをいう。

別の言い方をすると、アーティストは富や名声、安楽を得るためではなく、真に自分自身のために何かに夢中になる。

via: ジョン・マエダの考える「デザインを超えるもの」 « WIRED.jp

そう考えると、私の頭の中にはどこかジョン・マエダ氏が言うところの「アーティスト」的な部分があるのだと思う。自分にとっての大義ではなく、組織として、仕事としての大義が仕事に占める割合が大きくなる時、私は窒息しかける。今までの自分の職歴と、その時自分がどのように感じていたかを思い返すとそうとしか思えない。職場の環境がすばらしく、給与的に恵まれていても、「こんなもの何の役にたつんだ」というシステム構築を請け負うSI屋では長く生きられない。頭の中のアーティストが窒息するからだ。

とはいっても

お金がないとホームレスになるし、子供の教育もきちんとできない。というわけで目下最大の難問は

「頭の中のアーティストと現実の折り合いをどうやってつけるか」

でございます。


iOS6の地図が駄目な件に関して

2012-09-27 06:38

今まで観た中で一番説得力があるのはこの記事だ。

まず、Appleは、インクリメントPから提供された地図データの仕様を正しく理解できていない。都市部でのニーズが高い街区ベースの地図(1/2,500系)の存在がするっと抜け落ちている。そればかりか、測地系の間違いか何かはわからないが、地物(POI)の位置がずれているし、カテゴリの当てはめがデタラメである。

 次に、チェックが全くなされていない。地図作成に素人であっても、Googleマップとの比較は簡単にできる。もし、日本の主要都市を数カ所ずつサンプリングして比較を、ただの一度でもしていたのであれば、iOS6の地図が、とんでもない低レベルであることは「一目瞭然」である。つまり、そうした基本的な作業を怠っている。あり得ないエンジニアリングプロセスだ。

 ともあれ、お粗末さも極まれり・・というところだ。Appleも平気でこのような失態を演じるものなのだ・・

via: iOS6地図は元データや文化の差異ではなく、ずさんなエンジニアリングが原因 - 横浜スローライフ -- My slow life in Yokohama

地図って読むぶんには楽しいけど、作るの大変なんですよ。これが。どんな優秀な人をアサインしても、データ構造を理解するだけでものすごい時間がかかる。

そして今回の地図に関しては、信じられないような「基本的作業の手抜き」があったということについても間違いない。昔からのApple原理主義者にとっては「立派になったように見えても、AppleはAppleだなあ」と涙目で笑顔を浮かべられるが、普通の人はそうではあるまい。昨日通勤途中にふと気が付けば、私と同じベンチに座っている3人が全員iPhoneを触っていた。20年前なら考えられないことだ。

Jobsなら担当の役員を一瞬で解雇するところだが、Cookはどうするんだろうね。駄目だ駄目だと言われ続けたMobileMeがまあまともになるまで随分時間がかかったことを考えると、地図が使えるレベルになるまで不愉快なほど長い時間がかかるかもしれん。

というわけで、Softbankさん。ここはあれですよ。忠誠心を示すためにYahoo地図のデータ+エンジニアを大量無料派遣、というのはどうでしょうか。ってか自動車会社を頂点とする階層社会だと本当にそういうことが行われる、、かもしれないのだけど。



駄目な研究にみる記号接地問題

2012-09-26 07:15

ここ一年でいろいろな学会の全国大会に行った。

この全国大会というやつはほとんどの場合レビューなしで発表ができる。それ故良い表現を使えば玉石混淆。悪い表現を使えば、面白い研究の比率は極端に少ない。しかし「をを。こんな面白い視点があったか」というものに出会えるととてもうれしい。とにかく言いたいこと、やっていることを発表できるので、実際に世の中でどんな「研究」が行われているかを知ることができる。

それで気がついたのだが、私が行った学会-データベース学会、感性工学会、ファジイなんとか学会、ヒューマンインタフェース学会とかなんとかで、やっていることはとても共通しているのだな。データベース学会というからには、効率的なインデックスと配置についてとか鬼のようにやっているか、と思ったのだが一番多いのはWebサービスとかアプリだ。結局どこに行ってもWebサービスとかアプリに出会うことになる。

とはいえ、やはり学会のカラーというものがある。先日行ったファジイ学会は「やたらと難しいロジック」を含めるのが特徴だった。子供の行動をシミュレートするのに「階層型モジュラー強化学習」を出されても聞いている方は困ってしまう。それで、その計算結果が本当に子供の行動を表しているかの検証はほったらかしだ。

また別の研究では音楽にユーザが指定した形容詞をアレンジしてくれる、というものだった。これも感性情報とか、ニューラルネット(あれ?GAだったかな?)とか難しい言葉はてんこ盛りだったが

「"明るく"とか入力してそれがイメージと合わない場合どうすればいいんですか?」

という基本的な質問にも碌な答えが帰って来なかった。思いつく限りの形容詞を試行錯誤するしかないのかな。そんなシステム作って誰が使うんだろう。

しかしいずれの場合も、共通していたのは「発表者の自信満々たる態度」である。

先日こんな本に出会った。

ナブ・アヘ・エリバは、ある書物きょうの老人を知っている。その老人は、博学なナブ・アヘ・エリバよりも更に博学である。彼は、スメリヤ語やアラメヤ語ばかりでなく、紙草パピルスや羊皮紙に誌された埃及文字まですらすらと読む。およそ文字になった古代のことで、彼の知らぬことはない。彼はツクルチ・ニニブ一世王の治世第何年目の何月何日の天候まで知っている。しかし、今日きょうの天気は晴かくもりか気が付かない。彼は、少女サビツがギルガメシュをなぐさめた言葉をもそらんじている。しかし、息子むすこをなくした隣人りんじんを何と言って慰めてよいか、知らない。彼は、アダッド・ニラリ王のきさき、サンムラマットがどんな衣装いしょうを好んだかも知っている。しかし、彼自身が今どんな衣服を着ているか、まるで気が付いていない。

via: 中島敦 文字禍

これを読んで気がつく。現実と遊離し、幸せそうに難しいアルゴリズムと戯れている研究。あれは記号接地問題なのだ、と。美しい記号が作り上げた世界に住んでいる人たちはとても幸せそうだ。

しかし、彼は、おそらく自分が傴僂であることを知らないであろう。傴僂という字なら、彼は、五つの異った国の字で書くことが出来るのだが。ナブ・アヘ・エリバ博士は、この男を、文字の精霊の犠牲者ぎせいしゃの第一に数えた。ただ、こうした外観のみじめさにもかかわらず、この老人は、実に――全くうらやましいほど――いつも幸福そうに見える。

via: 中島敦 文字禍

今から数十年前、エキスパートシステムの研究に打ち込んでいた人たちもとても幸せだったのだと思う。このように接地しない記号が幸福感をもたらす理由については面白い考察ができるのかもしれん。。今はわからないが。

さて、そうした研究をしている本人は幸せそうなのだが、理由は知らねど私はこのように「接地していない記号」を見るとわめきだすようだ。

少し話はかわる。先日こんな記事を読んだ。

しかしながら、その後、この日本人数学者は先行研究から離れ、今日では世界でごくわずかの科学者だけが理解できる数学的装置を発展させた。望月教授の技術は、新しい「オブジェクト」、つまり、例えば集合、順列、行列に似た、抽象的な数学的概念を用いている。「ここに至ると、完全に理解できるのはおそらく世界で彼ひとりだ」とゴールドフェルドは続けている。

スターンフォード大学のブライアン・コンラッドによると、「科学コミュニティが望月教授の新しい見解を消化できるまでには多くの時間が必要だろう。このように長く精巧な証明を理解するために数学者たちが時間を費やすことができるかは、望月の経歴にもよるが......」。

via: 21世紀数学史上最大の偉業!?:「ABC予想」を日本の数学者が証明 « WIRED.jp

証明が500Pに及び、そもそもそれを理解出来る人は執筆者のみ。こう書くと「疑似科学」のよう。それが査読の価値をもつものかどうかは執筆者の経歴を見るしか無い、とはとてもおもしろい現象だ。

このように現代の数学というものは、専門化し、細分化され、極度に抽象化されているようだ。この例では「オブジェクト」を理解出来る人は一人しかいないと言っている。

ここで私は「こんな現実から遊離した学問はけしからん」と喚きだすべきなのだが全くの素人としてだが、この「現実から遊離した数学」がひょんなところで現実と関わりを持つのは面白いと思っている。非ユークリッド幾何学は単なる思考の遊びにしか思えないが、驚くことに現実の宇宙は非ユークリッド幾何学で扱うべきなのだ、とかなんとか。

もう一つは

数学そのものは、現実から遊離しているように思えるがそれを生業としているのは紛れもなく現実世界の人間だということだ。



子供が中学生になったら読ませたい本リストのトップに位置している(私の中で)この本にでてくる数学者達の人生は実に色鮮やか。これが現実世界に接地していない、と誰がいえよう。このABC問題もいつの日か誰かが本にしてくれんだろうか。


UICollectionViewにみる彼我の実力差

2012-09-25 07:02

今日の内容は、iOSでプログラムする人以外には何のことかさっぱり、という点を予めお詫びしておきます。

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何かと話題のiOS6がリリースされた。私にとっては、それにより6月のWWDCでは発表されていたものの、秘密保持契約の関係上知ることができなかったiOS6の機能を知ることができた、という点でインパクトがあった。

一番驚いたのは、UICollectionViewだ。なんだそれは?と問われれば

「画面上に縦横に写真とかを並べるのが簡単になる仕掛け」

と答えよう。ネットで見ることができるUICollectionView紹介ビデオを見ながらいろんなことを考える。

今、リスト表示に使われているUITableViewの拡張、という形になってはいるが違う要素がいくつか含まれている。簡潔でデフォルトのままでも十分な機能があるが、拡張するのも容易。

果たしてこのような「設計」ができるエンジニアが何人いるのだろうか。もちろん日本で「組み込みUI」に携わっているエンジニアは何千人(あるいは何百人か?)と存在するだろう。しかしその現場では

「とにかく期日前に動かせ」

とその場凌ぎの対応をし続けている。それでなんとか日常は回るのだが、積み重ねというものがない。これを書くのは何度目かだが、カーナビメーカー各社が注ぎ込んだ「人月」の工数はAppleがiOSを開発するのに費やしたものと遜色ないと思う。

しかしその出来は「旧石器時代と21世紀文明」くらいの差がある。何が違うか?積み重ねがないのだ。いくら工数を費やしても進歩がない。いくら費用を注ぎ込んでも旧石器から進歩しない。UICollectionViewを生み出すことはありえないのだ。賽の河原で石を積んでいるに等しい。

日本のカーナビメーカーには優秀な学生がたくさん就職する。そして何をするかと言えば、自動車メーカー主催の会議に出席し、議事録をとっている。プログラムを設計する(動くかどうかは別として、フローチャートを書く)のはその子会社のエンジニア。実際に実機上でコードと向かい合っているのは、さらにその子会社のエンジニアだ。

Appleのエンジニアが、説明の後に

「来年、この場所で皆さんがUICollectionViewを使ってどんなすごいUIを作るか楽しみでしかたがない」

と何度も言う。その言葉には心がこもっている。

こうした現実を目の当たりにして、溜息を付くのは若者の特権だと思う。年寄りにため息はこたえるので、何か前に進む方法を考えなくてはならない。



ガラスマ=新潟県民だけのために新規開発した軽自動車

2012-09-24 07:33

今朝通勤途中に思いついたネタ。

2011年10-12月に世界で販売されたスマートフォンの台数は1億4900万台(ネタ元

同じ時期に日本で出荷されたスマートフォンの台数は295万9000台(ネタ元


2010年10月1日時点での日本の総人口は128,057,352人 (ネタ元

比例計算をすると、、

ガラスマというのは、日本国内で、254万2000人だけを相手に商売をしているようなもの。

つまり

新潟県(人口237万4000人)とか京都府(人口263万6000人)とか大阪市(人口266万6000人)限定で軽自動車の新型車を開発、製造して販売しているようなもの。
(「新潟県特別仕様」じゃないよ。0から新しく開発して新潟県だけで販売だよ)

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そりゃこうもなるわな。

iPhone5素晴らしい。
REGZA Phoneは2度と見たくないが、
よい事もあった。林さんにならって最後に比較してみた。
無題

via: OL男子の4コマ書評 : REGZA PhoneとiPhone5を比較してみた



Apple原理主義者の試練

2012-09-21 06:45

iOS6へのアップデートをためらうのは、ニワカのApple信者だ
iOS6へアップデートし、ため息をつくのは、よく鍛えられたApple信者だ
ホント Apple信者は地獄だぜ! フゥハハハーハァー

(元ネタ)

このブログを読んでくれる慈悲深くも忍耐強い皆様ならご存知のことと思うが、私はApple原理主義者である。

AppleがGoogle依存を低めようとすることは理解できる。そしてiPhotoの地図が変わった、と聞いたあたりまではまだ他人ごとだった。そしてiOS6の地図がひどい、という話は前から聞こえていた。

しかしこれほどまでとは思わなかった。

しかし私はApple原理主義者だ。OSをアップデートする以外に何ができるだろう?

そして驚愕した。自分の家の周りが理解できないのだ。

私は少しため息をつく。WebでのGoogle Mapもためしてみたが、所詮はWebアプリ。変なところで変なモードにはいってしまい回復できない。

いやね、私はMap Fanが震災直後に無料になったとき入手しているし、どちらにしても回線が細いから(100kbpsなのだ)外でMapは使わないんだけどね。

しかしアプリ内で、iOSの地図機能を使っているアプリ製作者は阿鼻叫喚の地獄だろうなあ。。

しかーし。

私は鍛えられたApple原理主義者だ。AppleがIIvx,IIviなどだしていた時にもApple製品を使っていた古参の原理主義者だ。Appleがカスのようなデジカメを出していた時にも見捨てなかった生え抜きの原理主義(以下3万文字省略)

地図くらいなんだというのだ。(涙目)

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しかしあれだね。今頃Apple社内は上を下への大騒ぎになっているに違いない。ミクロン単位にまでこだわり磨き挙げたハードウェアの中に、ゴミのような地図が入っているのだ。

ユーザはハードウェアもソフトウェアも区別しない。それは一つの製品なのだ。

次期かその次のCEOとの呼び声高い「チビッコSteve Jobs」たるScott Forstallはこの問題の中にいるのか外にいるのか。もちろん彼は外にいようとするのだろうけど。


2012年 日本の敗北

2012-09-20 06:44

隣国があれば国境問題がある。尖閣諸島が上陸で満洲事変が柳条湖でもって中国全土でデモが行われ、日本企業とか、関係ない企業とか略奪して暴動のニュースが連日流れている。

あなたは暴動を起こす中国人を見て

「ふっ。我が国ではこんな野蛮な行為はしない。」

と優越感に浸っていないだろうか?

領土問題はあれだけど、我が国の国民は暴力に訴えることはしない。これこそ文明国家、法治国家だとどこか中国を見下していないだろうか?

否。否。否。千遍否。あなたは間違っている。(引用元

あなたは何も知らないのだ。このデモの様子を見ても優越感に浸っていられるだろうか?

【理性的な愛国人生とは】

本日の面白横断幕。

f:id:ujc:20120918161649j:image:w640

「秘蔵のお宝を全部捨て、中国のアニメだけ観よう」

「独身でいい、日本人の女は要らない」

「日本の小型車には乗らず、自転車にだけ乗ろう」

「アニメ観るのは喜羊羊だけ、コスプレするのは灰太狼のみ」

via: The Useless Journal of CHINA

正直に言おう。このデモは素晴らしい。

私はこの写真を見、そのスローガンを読む度、敗北感で一杯になるのだ。

「日本人の女は要らない」の後に「美しくて可愛い中国人と付きあおう」だったらただの偏狭な愛国主義だ。しかし

「独身でいい」

「日本車」に乗らない代わり、「自転車」この開き直り。この諦観。我が国でも反原発のデモが盛んに行われたと言う。(最近どうなったんだろうね)

しかし我が国は、この駄目なスローガンに匹敵する何物も生み出せなかった。これは認めなくてはならない。

いや、そんなことはない。我が国にも何か誇れるものはないか。すがるようにGoogle先生にお伺いをたてる私に、一筋の光が見えた。

だが、デモが開始してまもなく、大使館3階の窓が開くと、「本日7時30分、TBSにてAKB48シングル選抜じゃんけん大会生中継」「あと10分で始まるよ」などと書かれた垂れ幕が掲示。垂れ幕を見た参加者からは「生放送忘れてた」「今日だったか」など、動揺のざわめきが起き、始まったばかりのデモはまもなく中断した。

 その後、デモ参加者はじゃんけん大会を見るため、続々と帰宅準備を開始。桜田代表の「今帰る奴は売国奴」「AKBも売国奴」「お前ら中国人を見習え」という引き止めの叫びも空しく、参加者のほとんどが撤収。19時25分、なし崩し的にデモは解散となった。

 その場に一人取り残された桜田会長は、取材に対し「中国の奸計(かんけい)が一枚上手だった」と話すとともに、今後はデモを妨げる原因となったアイドルグループ「AKB48」を解散させるべく、逆恨みとも言える反AKBの市民運動を盛り上げていきたいとしている。

via: 「じゃんけん大会見たい」 中国大使館前のデモ、5分で解散

「お前ら中国人を見習え」いやすばらしい。どうだ我が国にも、、と自分を騙そうと試みたが、駄目だ。敗北感は隠せない。

これが実際に行われた行為であれば私も胸をはって誇ることができただろう。しかし実態は一片のHTMLファイル、所詮「虚構新聞」にすぎない。

かくして私はうなだれる。認めよう。「駄目の道」において日本は敗北した。今更中国4000年の歴史に思いを馳せるのはどうかと思うが、しかし歴史と広大な国土、それに中国オタクの力の前に敗北したのだ。
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そんな私にこんなCMの映像が届く。

ああ、駄目の道は果てしない。上には上が。下には下がいる。いや、下を見ていては向上はない。いつの日か我が国にも誇りにできる駄目なスローガンが生まれることを。


伝統を守ろう

2012-09-19 08:00

といわけで、米国でスマートフォン、タブレットの新製品発表が続いている。いくつか様子を引用しよう。

Amazon Kindle

Motorola Droid

Nokia Lumia

これらに共通しているのは、製品発表のスタイルがみんなApple的になっているということだ。スクリーンを背後に発表者が立ち、製品をアピールする。スクリーンに映しだされているのは大きな写真とキーワードのみ。

アメリカでの製品発表が以前からこうだったわけではない。よく引き合いに出されることだが、Bill GatesがMicrosoftのCEOだったころはこんな発表をしていた。

Bill Gates explains the big picture (but can he explain that picture behind him?).

     Complexity_bill

via: Presentation Zen: Bill Gates and visual complexity

つまりここから随分と変化したわけだ。

さて、時期を同じくした我が国の「新製品発表」をみてみよう。



ブラザーPrivio



富士通スマホ夏モデル

いや、なんというかさ。

この「様式美」が完成したのがいつかはよくわからない。誰か調べて論文にでもしてもらえないだろうか。

こうしたイベントには恐ろしいほどの金がかかっていると思う。そうした金の使い方について日本の企業が無神経なことには驚きと諦めの感を禁じ得ない。

経営者が自ら

「これこそ我々が欲しがっていた新製品だ」

と心から語る姿はいつ見られるのだろう。それに比べこうしたセリフのなんと「サラリーマン的」なことか。

質疑応答で同日発売されたGALAXY S IIIとの争いについて質問された同社執行役員常務の大谷信雄氏は、「(同社の端末は)日本メーカーが日本人のために開発していくというのが大きな部分。去年は遅れを取ったが、ヒューマンセントリックエンジンを搭載して、非常に使い勝手がいい。フィーチャーフォンで培ったモノを本格的にスマートフォンに搭載していく。(日本メーカーの方が)使い勝手のいい端末をリリースすることで対抗できる」と自信を見せた。

via: ASCII.jp:色々あった冬モデルとは違う? 富士通が夏スマホ発表会

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どうも今年はWISSに通りそうもないので、こうした「誰も読まない"スライド"」が横行し続けることに関しては、そのうちブログでころころ書くかもしれない。


It is an absolute jewel.

2012-09-18 07:13

事前告知:これから書くことは、Apple原理主義者のうわ言ですから適当に読み流してください。

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iPhoneというのは「異常な」製品である。Appleが9月12日に新製品を発表されると見られていた時期の携帯電話売上げランキングを見よう。


キャリア総合ランキング TOP10

9月3日~9月9日
順位前回順位キャリアモデル
1位1NTTドコモGALAXY S III SC-06D
2位2ソフトバンクモバイルiPhone 4S(16Gバイト)
3位10NTTドコモXperia GX SO-04D
4位3NTTドコモARROWS X F-10D
5位7ソフトバンクモバイルみまもりケータイ2 101Z
6位5auiPhone 4S(16Gバイト)
7位8NTTドコモSH-11C
8位6NTTドコモXperia SX SO-05D
9位9NTTドコモN-03D
10位13NTTドコモAQUOS PHONE ZETA SH-09D

この記事は、マーケティング会社GfK Japan調べによる全国の家電量販店のPOSデータを集計し、モデル別のランキングで紹介しています。

via: 携帯販売ランキング(9月3日~9月9日):「Xperia GX SO-04D」再びトップ3に (1/4) - ITmedia Mobile

モデルチェンジ直前のiPhone4sが2位と6位にはいっている。モデルチェンジなどどこ吹く風、といった様子だ。

それ故こうした議論もある。

アイフォーンのデザインが変わるのは2年ぶりのことだ。これまでの累積需要と、巨大な中国市場における販路拡大という可能性を考えると、新モデルはまたしても記録を更新するのかもしれない。しかし、進化のスピードが遅くなればそれは大きなリスクになるというわけだ。

via: 「iPhone」はリスクの高い超大型商品 もはや失敗が許されない状況に

iPhoneは今やAppleの利益の多く(大半、ではない)を稼ぎ出している。しかも実質的に2年に渡り一機種しか出さない。それ故失敗は許されない。保守的になるのが普通である。


9月12日、iPhone5が発表された。「部品単位でのリークをかき集める」という情報収集手法により、事前にその特徴はほぼ明らかになっていた。

それ故「サプライズがない」「ジョブスがいなくなったからダメになった」などの議論は山ほど聞いた。代表的なものを一つ引用する。

しかし、優れた製品ではあるものの、残念なことにイノベーティブな製品ではない。アップルとiPhoneが、今後もイノベーティブな存在であり続けるかどうか。製品の善し悪し以上に、来年以降のアップルが"どのような会社であろうとするのか"。その動向に注目をしていきたい。

via: iPhone 5に足りないモノ by 本田雅一

思うにこうした「評論家」は日本の家電メーカーをダメにした一因となっているのではないかと思える。その理由を以下に述べる。

こうした議論に対する最も筋の通った反論を引用する。

しかしアップルは、簡単に「次」に移動する企業ではない。リリースすること自体を目的に、新製品を気軽に発表することはなく、製品ラインを集中させ、細心の注意を払って年ごとに改善を重ね、少しずつ良い製品を作っていくのだ。

via: iPhone 5が「退屈」な理由 « WIRED.jp

しかしiPhoneは退屈だ。そしてそれは、近い将来ずっと、退屈であり続けるだろう。それは悪いことではない。革命(revolution)は進化(evolution)になったのだ。ユーザーのポケットやショーウィンドウにあるスマートフォンは、単なる生活のひとこまになった。ユーザーが利用し、依存するツールであり、使ったあとはその存在すら忘れてしまうようなものになった。もちろんそのこと自体が、驚くべきことではあるのだが。

via: iPhone 5が「退屈」な理由 « WIRED.jp

今にして、4年前江島氏がこう書いた理由がようやく(私にも)理解できた。

ではiPhoneの本当のスゴさとは何か。それは、「ネットに常時接続されているモバイル端末はどうあるべきか?という長年の問いに、いきなり究極解を出してしまった」ということです。

via: iPhoneという奇跡:Kenn's Clairvoyance - CNET Japan

初代iPhoneには確かにいくつかの明白な欠点があった。しかし欠点は直せばよい。そしてそれが「究極解」であったことは今や明白である。

では5年前に究極解を出してしまったAppleはどうしたか?各部を徹底的に磨き上げてきたのだ。

スイス製高級時計のようでありながら、大量に生産され、私のような貧乏人でも手にすることができる値段で売られる製品。これはおどろくべきことだ。その背後にある考え方はApple社のサイトにあるこの文章に要約されている。

そこそこのものを、もっと合理的に、もっと簡単に作る、という道もありえました。でも、それは私たちのやり方ではありません。必要なテクノロジーが存在しなければ、自分たちで発明します。部品をもっと小さくしなくてはならないのなら、自分たちで一から作り直します。いつものやり方が邪魔になるのなら、それを過去のものにします。そして生まれたのがiPhone 5。これまでで最も薄く、最も軽く、最も速いiPhoneです。

via: アップル - iPhone 5 - iPhone 5を生み出した方法をご紹介します。

もちろん、こうしたこだわりが「ユーザの知覚を超えた過剰品質」になる危険性は常に存在している。Steve Jobsが「基板上のパターンの美しさ」にこだわったように。

ジョブスは美的な理由から初代Macのマザーボードのデザインをやり直したいと考えたことがある(中略)もちろんエンジニアたちは「マザーボードを覗くものなどだれもいない」と抵抗した。さらに重要なことだが、配置を変えたら電子的に機能しなくなると彼らは予測した。それでもジョブスはがんばった。「偉大な大工はたとえ見えなくてもキャビネットの後ろにちゃちな木材を使ったりしない」ハードウェアエンジニアはしぶしぶ新しいデザインを仕上げた。美しい基板をつくるために数千ドルの投資である。だが、予想通りに新しいマザーボードは機能せず、ジョブスは主張を取り下げざるをえなかったのである。

スティーブジョブスの流儀 p108

iPhone5がこうした失敗に終わるのか、あるいは「競合製品をどうしようもない安物に見せる」成功に終わるのか。それは今の時点ではわからない。しかし私はiPhone5の説明ビデオを何度も見返し、早く実物に触れたい、と思っていることは確かである。

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さて、ここで先ほどの「型にはまった評論家が日本の家電メーカーをダメにした」について説明しておく。

先ほど引用した文章の原文には、日本語に訳されていない部分がある。そこを引用しよう。

日本文:リリースすること自体を目的に、新製品を気軽に発表することはなく
原文: It doesn't Sony-up and release new products for the sake of releasing them

つまり「リリースすること自体を目的に新製品を発表する」というのは、原文では「Sony-Up」と書かれている。「新製品のリリースサイクル」という型を勝手に作り上げ、それを守るために、評論家を喜ばせるためだけの「新機能」を付け加える。そうした日本の家電メーカーはクズのような製品ばかり作るようになった。

日本でPC、あるいはそれに類する記事を書いている人間は美しさ、持っている人間の充実感、そうした項目について語る言葉を持たない。結局彼らが文字にできるのは

「世界初の新機能」

だけなのだ。彼らに宝石についての記事を書かせれば「ダイヤモンドの質量従来製品20%アップ」「リング部分にレーザ加工による微細な彫刻」としか書かないだろう。

とはいえ「じゃあ家電製品のレビューを書く人間がもっとましだったら、日本の家電はこうはなっていなかったのか」とも思わないのだけど。

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などと顔を真赤にしてわめきたてるより、このように笑いのネタにするのが正しい態度なのだと思う。

[サムスン製ノートブックのユーザーがマックユーザーへ]

iPhone 5 なんてガッカリだな!

The iPhone 5 is such a disappointment!

いままでの古いヤツを引き伸ばしただけじゃないか!

It's just a stretched-out version of the same old phone Apple's been making for years!

via: ツマラナイ、ツマラナイ・・・けど « maclalala2

軍人から学ぶこと

2012-09-11 07:13

というわけで最近ドラッカーの本を読んでいる。


とてもおもしろい。というか初めてなぜドラッカーがそれほど語られているのか分かった気がする。以前一冊買ったのだが、それはあまりおもしろくなかったのだよね。

その「おもしろさ」の一部は、第2時大戦中の軍人、あるいは政治家等のエピソードにあらわれている。例えばこんな一節がある。

この軍の歴史上最高とも言うべき教育上の偉業は、マーシャルという、モンゴメリーやドゴールやマッカーサー流の(人間的磁力や自信という指導者特有の)属性をすべて欠く人間によって、成し遂げられた。彼がもっていたものは、原則だった。彼は常に「この男は何ができるか」を問題とした。そしてその何かができれば、何ができないかは二義的とした。 例えばマーシャルは、何度もジョージ・パットンをかばった。パットンという野心的で自信満々の有能な戦時用の将軍が、平時用の幕僚の資質を欠くことによって不利をこうむらないようにした。しかしマーシャル自身は、パットンのような派手な軍人スタイルを嫌っていた。

経営者の条件 p121

あるいは、自分と意見が一致するか否かより、「その人に何ができるか」だけに着目した人事を行ったロバート・リーのエピソードとか。

そのエピソードが語っていること自体も面白いのだが、読んでいて不思議に思うのは

「なぜ我が国の軍人、政治家はこうしたケーススタディで取り上げられないのか」

という点である。

アメリカ人が書いた本には、南北戦争が、当然の教養として取り上げられていることが多い。


すなわち、階層組織の構成員はやがて有効に仕事ができる最高の地位まで達し、その後さらに昇進すると無能になる。


via: ピーターの法則 - Wikipedia

というピーターの法則を体現したと言われるフッド将軍とか、「最もアメリカ人らしい容貌」と称されたシャーマンとか。

それは、その物語の登場人物が様々な性格をもった「人間」であり、そこから我々が学ぶことができるためでもある。

ところが

不思議な事に我が国の軍人はこうしたスタンスで取り上げられることがない。多くの場合取り上げられるのは、江戸から戦国時代の人間であり、それとても偶像化、形式化された姿で、南北戦争の将軍たちのような現実的な色鮮やかさに欠ける。

これはどういうことだろうか。東条英機と永田鉄山の比較などから私達が学べることはないのだろうか。

と今日は投げっぱなしでおしまいにする。この問題はずっと頭の隅にひっかかっているので自分なりの答えが出た時にはまた何か書くと思う。


弱い者はますます弱く-ソニーでもシャープでもないよ Part2

2012-09-10 07:17

Nokiaが発表した新型Lumiaは、NokiaとMicrosoftにとって最後のチャンスとかまあ好き勝手なことを言われている。そして現にCEOはトップ営業に忙しい。

米国時間5日に、自社の命運を賭けた待望の新製品であるWindow Phone 8スマートフォン「Lumia」の新機種を発表したノキア(Nokia)。同社CEOを務めるスティーブン・イーロップ(Stephen Elop)氏は、この発表の前後に滞在中のニューヨークでWSJ、Bloomberg、The Vergeなど複数の媒体とのインタビューを精力的にこなしていたようだ。

こられのインタビューをみると、Lumia新機種の最大の売り物としてカメラ(ピクチャー、ビデオ)、地図&ナビゲーションなどが打ち出していることがわかる。

via: 【動画】「トップ営業」に精を出すノキアのイーロップCEO - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

なのに、うまくいっていない会社というのはそれにふさわしいドジを踏んでしまう。先日書いたように、この新しいカメラ-Pureviewを用いたつもりの動画が実は偽物だったことが暴露されていたが、静止画でも同じ事をやったようだ。

Youssef_24244030617714_raw-560

via: Nokia's PureView still photos also include fakes (update: Nokia confirms) | The Verge

これがあたかもLumia920で撮影したかのように扱われているが、実際はこんなふうだったとのこと。

Nokia PureView Helsinki photo set copyright joha

via: Nokia's PureView still photos also include fakes (update: Nokia confirms) | The Verge

どうみても、強力なライトを使った本格的な撮影です。本当にありがとうございました。

この話のオチは、実はLumia920のカメラは「本当にいいカメラ」だということだ。この比較写真を見よう。

Composite1-verge-1020

via: Exclusive photos: We put Nokia's controversial Lumia 920 PureView camera to the test | The Verge

素直に宣伝すればいいのに。。どっかのウォークマンみたいにどうしようもない製品を持ち上げるのとはわけが違うんだから。

しかし物事がうまくいっていない時というのはこういうことが起こる。「泣きっ面に蜂」とかこういう事象を表すことわざもちゃんと存在しているくらいだ。

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(追記)
こんな見方もあるようだ。

That's because, if you look into why the marketing department had to fake its video, what becomes clear is that the video-stabilizing technique that Nokia talked up on stage doesn't actually exist

via: The Royal Nokia Screw-Up That Shouldn't Have Been | PandoDaily

つまり、Lumia920をはなばなしく発表したものの、実はまだちゃんと動いていないのではないか、という疑問。これは尤もだ。結局NokiaはLumia920を11月に販売するとのこと。これから2ヶ月後だが、、、できるのか?


原理主義者との戦い

2012-09-07 06:45

というわけで、最近原理主義者に戦いを挑む文章を書いている。これがどのような形で人の目に触れるのかはわからん。今のところ一番可能性が高いのが個人サイトにひっそり掲載されることだが。

自分がApple原理主義者であるからして、この戦いは単なる近親憎悪なのかもしれぬ。しかし戦いは戦いだ。私が戦っているのは

・ユーザビリティ原理主義者
・アルゴリズム原理主義者
・デバイス開発原理主義者
・NUI原理主義者
・エージェント指向原理主義者
・コンセプトビデオ原理主義者

などだが、今朝あちこちを読んでいて古い戦いがあったことに気がついた。SF原理主義者との戦いである。

だから今こそ、日経新聞を捨ててSF小説を読んでほしい。

未来を切り開いていた時代の作家たちの感性に触れてほしい。豊かな想像力に圧倒されてほしい。司馬遼太郎を通じて、過去に想いを馳せるのもいいだろう。しかし過去から学んだものを未来へと活かす方法は、SF小説に書かれているのだ

via: 日本の「えらい人」は日経新聞を捨ててSF小説を読んでください - デマこいてんじゃねえ!

こういう「SF小説には未来が描かれている」論を読むとげんなりする。なんだそれは、などというと「これだからSF小説読んでいない人は。。」と滔々と語られるかもしれない。しかしそれにはこの一文を提示するだけで十分だ。

そりゃそうだ、SFですら、よってたかって「バーチャルアイドル」を想定しても、

初音ミクを想像的なかったんだから。


過去のSFが想像できたのは、シャロン・アップルであり、伊達杏子であり、江口愛実であって

初音ミクではなかった。


政府機関、芸能プロダクション、なにか巨大な組織が大衆を操るためにトップダウンするものであり、

ボトムアップで「女神」を生み出すバーチャルアイドルを、過去のSFは想像できなかった。


凄いことなんだぞこれ。

人類の過去の想像力をはるかに超えた存在を、日本は生み出したんだ。

via: 「初音ミクは神そのもの」 21世紀から新しい宗教が生まれるとすれば、それは初音ミクのようなものだろう。:【2ch】ニュー速VIPブログ(`・ω・´)

こういう意見が読めるから2chって大好き。おまえがSFを読んだことがあるのか、と問われれば、「あったようななかったような」と答える。しかしそれがどうした?私は確信している。現実とは、SF作家の脳が想像するより、はるかにデタラメで予測不能で馬鹿げている、ということを。

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それはそうと、今年こそ紅白に初音ミクを出場させてくれませんかねえ。紅白の予算があったら、ものすごい演出ができると思うのだ。そりゃもう小林幸子が「紅白から引退してよかった」と思うほどの。

K-POPとか小林幸子とか、いなくなった人のぶんだけ枠余ってるでしょ?出すべきです。いや、出してください。お願い。ここ数年紅白は見てないけど、ミクがでるなら見ます。

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というわけで、ここ数日連続しているMotorola DroidやらKindleやらNokia Lumiaに関してはまた今度。しかしなんだね。Sony はTablet早めに発表しておいてよかったね。この「発表順序」というのもいろいろおもしろい。一番後ろには毎度破壊的なAppleが待っている。それより数日以上早く発表しなくては。。だから自信がないところほど先に来る。


弱い者はますます弱く-ソニーでもシャープでもないよ

2012-09-06 07:09

というわけで、Nokiaが新しいWindows Phoneを発表した。事前にFacebookである人が「何を売りにするのだろう?」と問題を提起していた。Lumia900はもう之以上値段を下げられないくらい安売りしているし。Windows Phone OSとしての機能はもう発表されているし。

というわけで、売りはこのようなことらしい。
・大きく明るいディスプレイ
・明るく、揺れにつよいカメラ:PureView
・置いただけで充電

問題はこの「明るく、揺れに強いカメラ」だ。その威力を示すために次のようなビデオをリリースしたのだそうな。自転車にのったカップル走っている。男が運転しながら彼女のビデオを取る。普通のカメラだとこんなにブレブレ。しかしPureView Cameraを使えばほら、揺れがありません。

しかし不幸な事に誰かが気がついてしまった。この映像はLumia 920を使って撮影されたものではないことを。

女性の後ろに止まっていた車の窓ガラスに、「本当に」映像を撮影しているVanと巨大なカメラがうつりこんでしまっていたのだ。

CEO自ら「重要な特徴だ」と言っている機能なのにねえ。

So I take it that the camera's capabilities are going to be a key feature you use in marketing?

Absolutely. Because when you talk to consumers, they say they're taking blurry images with their phones all the time. Now you can hold the phone up in that concert and get a beautiful image, or of the kids at a soccer game.

via: Eight Questions for Nokia CEO Stephen Elop - Arik Hesseldahl - News - AllThingsD

さしずめSonyがやりそうなことである。というかこのカメラ作っているメーカーどこなんだろう。私は勝手にSonyイメージコーポレーションだと思っているのだけど。

というかこのLumia920のアピールの仕方を見ていると、部品単位での機能を強調している。今こそ日本の家電「部品」メーカー復活の時だ!小さくてすごい機能の液晶画面、カメラ、それに無線充電部品を売りまくるんだ!(もう完成品は諦めてます)


オープン原理主義

2012-09-05 07:27

コンピュータの世界では「オープンさ」への原理主義のようなものが存在する。Androidが登場したばかりのころ、こういう言説をあちこちで見かけた。

多分、AndroidiPhoneの牙城を打ち壊す。

僕はiPhoneユーザーだが、僕もそう思う。Androidはよりオープンだから。それが理由。それに尽きる。


開発者から見た開発環境にしてもオープンだし、端末を提供する側から見てもAndroidオープンだ。



いつの時代もオープン、自由、開放は世の中に歓迎されて受け入れられてきた。大袈裟な事を言えば、昔は王様が全ての権限を持っていたのだって、自由へ流れてきた。日本の歴史だってそうだし、大きな権限を持つ力はいつも嫌われていた。コンピュータの世界だって、自由なソフトウェアが強い力を持っている。


via: iPhoneとAndroidについて思う事 - ichiroc subset

「オープンだから勝つ」この単純な図式に疑問を持たざるをえない事実が増えているように思うのだ。

いろいろなハードウェアメーカーが製品を出せば消費者に選択肢が増え、そして価格も下がるはずだった。しかし未だにiPhoneは圧倒的な価格競争力を持っている(販売価格ではなく、Appleの利益を見るとそうとしか言いようがない)

そしてMicrosoftは今まで頼りにしてきたOEMと正面衝突するコースをとっている。彼らも「オープンさへの絶対信仰」を捨てたのだと思う。

オープンなシステムのほうが開発者もより集まりやすく、かついいものができる。この図式は単純に過ぎると思う。

ぼくたちの失敗

下位互換性や Linux ディストリビューション間の互換性は、セクシーな問題ではない。解決するのが面白い問題ですらない。そんな仕事をやろうとは誰も思わないし、誰もが革新を起こして Linux の次の目玉機能に関わりたいのだ。

かくして Linux は、サポートや下位互換性といった退屈で些細なことを心配する必要なく実現しうる最高のシステムをデザインしたい理想主義者に押し付けられた。

via: 何がLinuxデスクトップを殺したか(What Killed the Linux Desktop 日本語訳)

「自由でオープンな環境」にあっては、開発者は自分の興味の赴くところで開発を行う。しかしユーザ体験の多くは「退屈で些細なこと」に依存している。そしてそれを欠いたシステムがどうなるかは神のみぞ知るところだ。

というわけで、このニュースもこうした背景を元に受け止める必要があると思う。

Twitterが8月に発表したAPI利用ガイドラインの厳格化に関連し、国内でも関連サービスの終了が相次いでいる。

via: Twitter関連サービスの終了相次ぐ API利用制限など「Twitterの変化」影響 - ITmedia ニュース

これに先立ち、Twitterは、いくつかのクライアントアプリを買収していた。おそらく彼らは「自分たちで、ユーザ体験にまで責任を持つ」という決断をしたのだと思う。オープン原理主義者にとっては噴飯ものの判断だが、その結果はまだ分からない。


ネットから離れること

2012-09-04 07:21

2000年頃「インターネットへの常時接続ができたらどんなサービスができるだろう」などと考えていた。英語で使われる言い回しだが、何を望むかについては慎重であるべきだ。なぜなら本当にそれが実現したりするから。

というわけで、今やネットへの接続がどこでも当たり前になった。そして日常生活は悪夢のようになった。どこにいても仕事のメールを「見れて」しまう。その昔「車の中でネット接続して仕事ができます」とかどっかのメーカーが展示していたが、ああいうのは仕事中毒の人には楽しいのだろうな。

先日若いお医者さんと話しをしていた。私はあれこれ話題を振ろうとしたが、明らかに私は彼女を退屈させていた。そして彼女は私が話しかけている途中に携帯電話をチェックしだした。私はこういう行為を批難するつもりはない。その昔だったら、単に反応がなくなっただろう。やっていることが変わっただけで、メッセージは同じである。すなわちGet Lost.


しかし家庭でもしょっちゅうPCに向かってFacebookやらTwitterをチェックし、人の話しを聞かない奥さんの姿を見ていると、こういうニュースに目を止めたりする。

このレストランでは今年7月から"食事中に携帯電話をお店に預けてくれたお客さんには、一律飲食代を5%引きにする"というディスカウントプログラムを実施しました。

 同店は「家族向きのアットホームなお店」であることを主眼に運営していることから、食事中もメールやSNSのチェックに余念のない現代人に向けて、「(リアルの場での)人と人との結びつきを取り戻してほしい」という願いで当プログラムを企画。メニューにこの方針を記載して以来、お客さんの5割近くが携帯電話をお店に預けているそうです。

via: 「携帯電話を預けてくれたお客さんは一律割引に!!」米レストランが仕掛けたディスカウントPR (1/1):MarkeZine(マーケジン)

映画「おとなのけんか」でもしょっちゅう携帯電話に出ることで、話しを中断する弁護士がコミカルに描かれていた。(ちなみに彼の携帯電話は水没するのだが、その時の演技は見事)時代が変われば道具立てが代わり、物語も少しずつ変化するがその奥にある人間の行動というのはそう変わっているわけではない。

であれば、多少の余裕と笑いをもってそれらを眺めたい、と思ったりする。


koboとSurface

2012-09-03 07:26

というわけで約束の8月末を迎えたKoboについてあれこれ書こうかと思っていたのだが、私が調べるよりもずっとまともな記事がでているし、あの三木谷氏の狂ったポーズを思い出すと

「こんな製品について何かかくのは馬鹿馬鹿しい」

と思う。というわけで、Surfaceについて。

MicrosoftのWindows8に関する「戦略」というのは徹底しているところと混乱しているところが混ざっている。すべてのユーザにMetroインタフェースの使用を強制するという方針のようだ。

簡単な例がネットワークの接続設定で、Modern UIで操作を始めてもデスクトップGUIで操作を始めても、最終的には必ずModern UIで操作することになる。

via: 【井上繁樹の最新通信機器事情】 Windows 8で変わったネットワークの設定と機能を見る ~Modern UIとの融合やホームグループによるファイル共有

しかしタブレット用に最適化された(と私は思う)UIを、より大きなディスプレイで使用されるPC向けにも使わせる、というのはどういうことなのだろう?あるいはこうでもしないと誰もPCでModern UIを使わないと思っているのだろうか。しかしその想定自体が、Microsoftの戦略が機能していないことを物語っているように思える。

ちなみに我が家では母だけがWindowsを使っているのだが、母のPCをWindows 8にアップデートすることはおそらくないだろう。70過ぎた母にまた新しい操作系を覚えろとはとても言えない。そんなことをさせるくらいなら、Macに乗り換えさせる。

この「Modern UIと従来のDesktop両方使ってね」戦略はどこまでうまくいくんだろうね。

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そしてWindows RTとWindows 8に関しても「とにかく両方出す」という戦略とっているようでもあり、Windows RTはMicrosoft専用にしたい、という意図も見えるようだ。

このように、正直に言って、Windows RTへの期待は、ここへ来て以前よりも急速にしぼんでいる。あるOEMメーカーの関係者によれば、その理由は2つあるという。1つはOS+Officeというライセンス価格が予想よりも高かったことだという。ある関係者によれば、Microsoftから提示された価格は199ドルだったという

via: 【笠原一輝のユビキタス情報局】 IFAで明らかになったWindows RTの失速

もちろんリストプライスだから、この値段では売らないのだろうが、AppleがiPad miniを$249で出そうと噂されているところで、この値段はないと思う。

世界で一社だけこの「OS+Officeのライセンス料」の呪縛を逃れられるメーカーがあり、それはMicrosoftである。というわけで他の会社にしてみれば

「冗談じゃない」

と思うだろう。この反応はそもそもMicrosoftが計算したものなのか、あるいは単に気が狂っているのかは、もう少したたないとわからない。前者ならば、Microsoftはタブレットに関しては単独でAppleと戦う意思を固めた、ということになる。

実際OEMを一切認めないAppleがあれだけの成功を収めているところを見れば「なぜ同じことができないのか」と思うのも当然だろう。Microsoftにとって最悪のシナリオは、こうやってOEMメーカーを切り捨てた挙句、Surfaceがものにならない、というものだ。こればかりはどうなるかわからない。Microsoft Surfaceは、発表時以来一切続報が無いからだ。Seatleの夏はどうなっているんだろうね。