まだここに存在しないものがただ欲しいだけなんだ。

2009-04-30 07:18

そもそも自分が何を欲しているのか本当に分かっている人は多くない、と勝手に考えている。

もちろん採用面接とかに行けば、それなりに筋が通ったことを話すわけだが、人間というのはそんなに簡単に説明できるものではない。

ではどうやってそれを知ろうか。

いろんなもの、いろんな言葉、いろんな人に触れそれへの自分の反応を見るしかない。とはいえ、過去にはそれで失敗したこともある。製図の課題で、Ba349(これはなんだ?と思ったらGoogle先生にお伺いをたてよう!)を書き

"やっぱり俺は飛行機を作るしかない"

と直感し、あれこれの末私が考える"飛行機を作る"ということと、日本の防衛産業に従事するということは異なることだと悟りをえるまで10年以上かかった。

いい歳になった今でも自分が本当に何をしたいのかはよくわからないままだ。いや、前に比べればましになってきたと思うのだが、時々ぼんやりする。

そうした中こうした文章を見つける。

ジョナサン・アイブさんはMacBookのボディになる前のアルミの固まりを持ち上げて、デザイナー達がいかにデザインする物に取り憑かれたように魅了され、神経をとぎすまし(そしてすり減らし)、ボーダーラインぎりぎりにいるか、と話します。アイブさんはどこでどんな物を見る時でも、誰が、何のために、どういうふうにデザインしたんだろうと考えずにはいられないそうです。生きていく上でつきあっていく病気みたいなものだそうです、

また、物をデザインするとはただ完全なる欲望だと話す人もいます。

via: 映画Objectified「物」を考える : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ

それは基本的に欲望であり病であるのだと思う。ただここに存在しないものがただい欲しいだけ。もっといいもの、もっとエレガントなもの、単純にして今までになかったもの。

そうしたものは存在するに違いなく、かつ自分にそれを作ることができる、という根拠のない思いこみこそが人間、というか私を創造に駆り立てるのだと。


そういう意味でいえば、最近私は脳死状態にある。過去の作品を引用するばかりで何も新しいものを作っていないからだ。

のーしのーし。

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話は突然かわる。空はなぜ青いのか。海はなぜ青いのか。夜空はなぜ暗いのか。この三つの疑問を子供に投げつけられた。

それでは、とインターネットで検索してみる。そしていかに

"間違った解釈"

"肝心なところをぼかした説明"

が多いかに驚いた。というかそんなのしかでてこないのだ。

最初の質問は、"カッコーはコンピュータに卵を産む"でPh.Dの口頭試問に使われたものだ。つまりちゃんと答えようと思えば、天文関係のPh.D.が四苦八苦するような質問なのだ。

というわけで、今はこの3問に関して"ある程度まともな"回答文書を書く、という願望に少しだけ取りつかれている。


アフィリエイトをブログ本文の上に貼ってる奴って何なの?馬鹿なの?死ぬの?

2009-04-27 07:16

すいませんすいません。一度この表現使ってみたかったんです。この標題子供に見られたら

"お父さん。馬鹿って言ったらいけないんだよー"

と怒られてしまう。すいません。ついカッとなってやった、今は反省している。


でも標題にあるようなブログを見るたび"イラッ"とするのは本当のこと。

ここでは昨日出くわしたというだけで、livedoorディレクターBlogを例に出す。普通にトップページにアクセスすればまだいいのだが、個別の記事に飛ぶとこんな様子だ。

liveDoor.JPG

"読む側"にとって一番価値ある場所は画面の左上である。(と私は思い込んでいる)そこならスクロールせずに一番自然に目がいくからだ。(実は嘘かもしれません)

そう考えてこのページを見る。まずページのまわりにたっぷり余白があり、次に巨大なページのバナーがある。その下に前後記事へのリンクがあるのはいいとして、次にでてくるのはGoogle経由の広告だ。私が使っているPCでは記事の標題がかろうじてページの最下部にでてくる。本文を読もうと思えばスクロールしなければならない。

最近こういうページが増えたように思う。肝心な情報をスクロールしないと見えない位置に置き、自分が収益を得るための広告を価値の高い場所に置く、という神経は私にとって到底許容できるものではない。

というかこういうページを見るたび、作り手の声が聞こえるように思うのだ。

"皆さん、広告を見てください。ついでにクリックしてくれれば私がもうかります。
そういえば、記事を読みに来たんですよね。記事を読むためにはマウスを動かして適当な位置までスクロールしやがれ"


自分の利益が第一。読み手の関心は二の次。アフィリエイト収入がサイト維持に必要な場合もあるだろう。どんなサイトを作ろうが個人の自由だが、自分のサイトはそうはしたくない。

さて、そう思って"ごんざれふ"の最初のデザインを見るとちょっと気になるところがある。

gonxa.jpg

普通のデザインと思うのだが、画面最上部のバナーが気になる。ブログ名に一番貴重な不動産を消費させてしまっていいのだろうか?そもそもここに表示される情報はめったに変更されないから表示しておく意味もないし。

などと考えて、IDEOのサイトを見る。同じような考えに基づくものかどうかわからないが、ちゃんとそうした疑問をクリアしていることに気が付く。

ideo.jpg

一番左上にあるのは、更新頻度が高いNews/Top Topicsであり、企業ロゴはその下に控え目に存在している。これはIDEOならではの自信の表れとも取れるし、あるいはロゴを控え目にすることにより逆に自らのアイデンティティを主張していると考えることもできる。

そんなことを考えてながら設定をあれこれいじって到達したのが今のデザイン。余計なヘッダーは外し、ブログ名は画面右上に控え目に表示した。そもそもこのサイト名には何の意味もないのだ。

しかしこの設定にしたら、なぜかトップページのフォントが小さくなってしまったには困った。老眼の自分に優しいサイトを目指したのに。。。


映画評:ミルク

2009-04-24 07:14

金曜日は恒例の本家から転載してお茶をにごそうのコーナー。

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映画の冒頭からショーン・ペンの見事な演技が炸裂する。いや、この人は本当にどんな役でも演じる。すごいなー、と思っていたら映画が終わった。

彼が演じたミルクが殺されたのは1978年だから私が高校に入った年。つまり(私にとっては)そう昔ではないわけだ。ゲイというだけで問答無用で解雇される危険性もあった時代。そうした中にありながら自らゲイである事を公言し、公職につくべく選挙に挑む。

あるいはまじめに丁寧に、映画的なフィクションを交えずにミルクの後半生-8年だが-を描いたということなのかもしれない。40歳にして"何もしていない"とつぶやき、San Fransiscoにパートナーと移り住む。何度落選してもめげずに戦い続けるその 姿。当選しても、全国規模でゲイの教師を追放しようという法案との戦いが待っている。その勝利の瞬間に、、観ているほうがあまり感動しないのはなぜだ?

この映画で描かれる恋愛関係は、"相手と同意できれば手当たり次第"といった趣だ。お互い同意しているのだから第3者がどうのこうのいうべきではないが、最後まで距離感が残る。同じく男性同士の愛情を描いたブ ロークバックマウンテンでは最初感じた違和感が消え、最後には"これは人間の物語だ"と思えた。この映画ではそれがない。

殺 された原因も、結局ゲイの権利云々とは関係ないではないか。殺人犯もなんだか普通の人で、特に追いつめられているようにもみえないし。。というわけでこれ 以上の値段をつける気にならないのであった。単に私が映画的な味付けに慣れてしまい、自然食を食べても味を感じないということかもしれないが。

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40にして何もしていないと思い、西海岸に移り住む。そこから8年、彼は公職につきそして暗殺される。

40にして立つ、というのはカエサルも同じだ。寿命が延びたことを考えれば40すぎてだいぶたってから立ってもいいはずだ。

などと考えるネタは山もりのはずなのだけどね。。結局印象に残ったのはショーン・ペンの見事な演技だけだった。


なぜ私はこうも頻繁にブログを移動するのかについての説明

2009-04-23 06:50

ブログというものを書き始めてから3度目の移転である。なぜこうもあちこち動き回るのか。そもそもから書く。


2005年11月:サーバーをレンタルしているさくらインターネットで無料のブログサービスを始めたらしい。ひとつやってみるか。

某年某月:どうもさくらのブログじゃ機能がたりない(今となっては具体的に何に不満を感じたのかわかりませんが)ひとつ"はてな"を使ってみるか。をを、欲しかった機能がだいたいある。でもこの"はてな記法"ってよくわからないなあ。

2008年12月:なんじゃこの"はてなボトル"というSPAMトラップは。もう"はてな"はやめだ。というわけでfc2とかlivedoorとかあたってみたけどどれもいまいち。ここは一つ原点復帰。跡地になっていたさくらに戻ろう。をを、そんなに悪くないじゃない。

2009年4月:どうもさくらのブログって機能がたりない。写真をどうやって挿入すればいいかわからないし、自動的にバックアップもしてくれないし。

もうこうなったら自分で設置するか。"さくらインターネットでWord Press"っていう記事みつけたし。でもそのためにはMy SQLが必要らしい。さくらのレンタルサーバーでMy SQL使えるようにすると今よりワンランク上のコースに変更しなくちゃいけないし。。お金ないし。。(一回無意味な飲み会に行けばそれくらい金は簡単に飛ぶのだが、そうは考えない)

やっぱりLivedoorとか。。でも無料ブログ最近広告がでかいっていうしなあ。。

やっぱり自前で、でもさくらのコース変更が、、(この3行を数回繰り返す)


であれこれ調べてみると、MovableTypeというものがあり、それなら一番安い"さくらのレンタルサーバーライト"でも設置できるらしい。というか公式のFAQに設置方法ちゃんと書いてあるし。

というわけでやおら設置を始める。書かれているとおりにやったらあっというまに動きだした。オホホホホ。

試行錯誤でカスタマイズとかあれこれする。そのうちどうやら満足行って使い始める。もうこれを機会に役に立たないアフィリエイトだのなんだの全部外そう。でも"合わせて読みたい"だけはなんとか設置しないと。ごそごそ。
字の大きさももう少し大きくしたい。最近老眼になったから小さい字はつらいし。。これでいいかな。

しかしまだ話は終わらない。画面を眺めるたびあることが気になる。いったん気になる出すともう止まらない。なんとか解消すべくあれこれ始めるのであった。

(たぶん来週に続く)


駄目なGoogle Similar Images使い方講座

2009-04-22 06:42

お久しぶりですね皆さん。ダメですかー!(誰もいない教室に講師の声だけが響く)

今日も誰もいないようです。これでこそ駄目講義。さて今日は先日公開されたばかりのGoogle Similar Imagesの駄目な使い方についてです。

Google Similar Imagesすごいですねえ。画像を選べば(そして運よくGoogleそれについてSimilar Imagesを解析していれば)似たような画像がたくさん出てきます。

まずはキーワードNebulaを打ち込んでみましょう。はい、そこいきなり知らんぷりしない。ネビュラといえばスペクトルマンです。何?最近の若い者はなってませんね。あの歌を知らないなんて。

nebula_org.jpg

するときれいな星雲の写真がたくさん表示されます。そこからsimilar imagesというリンクをたどればその写真の類似画像がたくさん表示されるわけです。ほら、見事なくらい同じ写真が並びました。

ここで

"Google先生すごい!"

と叫ぶ人もいるかと思いますが、先生はそんな反応は認めません。ここは駄目な使い方講座なのです。駄目な道を目指す人間がそこで感動してどうする。少しページを送ってみましょう。

nebular-good.jpg

nebula-good2.jpg

ほら、すごいですね。色が少し違っていても、あるいは同一の写真ではなくても、似たような画像を探し出してきます。

とはいえここで感心するのは間違っています。というか今先生がやってみせた閲覧方法自体が間違っている。駄目な使い方を学ぼうとする者は、まず一番後ろの検索結果から閲覧するものなのです。 ほらでてきました。


nebula-0.jpg

おそらくは右手に映っている人物に反応したものでしょうか。しかし見事に元の星雲の形を識別しています。この調子で検索結果20ページ近辺を探してみましょう。

nebula2.jpg

これも味わい深い。おそらくは右手の人物に反応したものでしょう。そう思ってみれば彼の顔に星雲が見えてくる。さて最後は最高難度の写真です。

nebulra-3.jpg

もはや茶色くてふわふわならどうでもいいという感さえあります。さすがのGoogle先生も20ページ目になるとこのような結果を出してくれる。これでこそ駄目講義を開いたかいがあるというものです。拍手!

(空っぽの教室に拍手の音がこだまする)

つけくわえておきますが、すべての星雲でこのような駄目な結果が得られるわけではありません。この場合茶色がキーポイントのようです。仕事中に何やってるんでしょうね、私は。やっぱり駄目ですか。

それでは今日の講義はここまで。次回は駄目なGoogle Time Lineの使い方です。


誰が正解を知っているのか

2009-04-21 07:19

前職では研究のような仕事をしていた。大企業の子会社だから、上部は全員親会社からの出向者。だいたい大企業から片道飛行で出向してくる人間というのは、、というのは今日書きたいことではない。

彼らは研究分野について何も知らないし学ぼうとも思わない。そもそも研究なるものに手を染めたこともないし、そのマネージメントについて学ぼうとも思わない。何も知らないが、権力(会社内での)はあるし、わけのわからない演説は大好きだ。

サラリーマンであれば、そうした状況はまあ当たり前なので、それをうまくかわし、あやす方法を身につけなければならない。しかし時々

"こいつらに何がわかる?なぜこれが悪いといえるのか?"

と考えることもあった。

振り返って"正解がない"仕事というのも多々存在する。もちろん法務的にだめだとか、企業としてそれだけは許せないというものは論外だがそうでなければどうやって正解を求めるのか。どっかの企業群のように大会社の社長が一言いえば、それが全グループで正解として共有される、なんてのはジョークとしては面白いが、私にはそうした類のユーモアのセンスが欠けているようだ。

というわけで先日見つけた記事。

C-teamはクラウドソーシングでバナーをたくさん作ってもらいます。クラウドソーシングとは、一般のユーザーにネット経由で仕事を手伝って貰う、というイメージのものです。

ここでだいたい200個くらい作ってもらいます。

そして審査を通ったものを、まず、ひたすら出稿先に表示してみます。

その中で、クリック率が高いものを、独自の最適化技術で表示回数をあげていく、というものです。単にクリック率が良いものを表示するだけではなくて、いろいろ入れ替えたりして最終的に効果が最適になるような仕組みになっています。

via: C-teamで作るバナー広告の効果がスゴすぎてひいた話 : ロケスタ社長日記

(中略)

何がスゴイかっていうと、この「よくクリックされるバナー」が何でそれがクリックされるかというのは、結果を見るまでわからない、ということです。

ディレクターやデザイナーが「これはいい」と思ったものでも悪い時はありますし、「ダメだ」と思ってもスゴいクリックされたりします。

広告代理店の人や、クリエーターの人や、Webディレクターの人や、ユーザービリティの専門家など、いろいろな人に聞いてみていますが、「これが一番クリックされる」と当たる人はほとんどいませんでした。(むしろはずすパターンのほうが多かった)

via: C-teamで作るバナー広告の効果がスゴすぎてひいた話 : ロケスタ社長日記

これは実に興味深い結果だ。"何も知らないえらい人"どころか"その道の専門家"として飯を食っている人の言うこともあたらない、というのだ。

もちろん"正解率に有意な差があるか検定していないため、評価ができない"という意見もあろうが、まあそう難しいことは言わない。つまり

"あたるか否か判断できるのは実際のユーザだけ"

ということ。私が愛する表現を用いれば

"最良のユーザモデルはユーザ自身だ"

ということになる。

とはいえこの方法は所詮GA的な最適解探索をやっているにすぎない、ということは注意しておく必要がある。数十名のクリエイターが考え付く範囲内で解探索をやっているので、


今まで、クリック率は見ても、それがベストだったかどうかはあまり判断されなかったと思います。それがC-teamを使うと、一気にベストなものが出てくるのです。


via: C-teamで作るバナー広告の効果がスゴすぎてひいた話 : ロケスタ社長日記

ここで使われている"ベスト"というのはあくまでも"試したもののうちでベスト"ということであり、本当に最適解かどうかはわからない。

また時としてiPhoneのようなNuclear Bombにふっとばされる可能性についても考慮しておく必要がある。


考えているだけじゃだめ

2009-04-20 07:30

先週の金曜日こんな記事を見つけた

いずれも一見したところ当時の様子を示す絵があるだけですが、絵の前には背面にカメラを付けたiMacが置かれています。そのiMacを回転させるとカメラが絵の一部をディスプレイに映し出し、さらに細かな情報を自動的にポップアップ表示するというものです。

via: 動画:iMacを窓にしたARシステムMovableScreen

誰かがやるだろうと思っていたが、やはり誰かがやった。たぶん私の他にも何人もが気が付いていたと思うのだが。
コンピューターのディスプレイをAugmented Realityの入口にするアイディアだ。たとえば
普通のデジカメだが、ディスプレイの後ろに持っていくと、コップのように見える。
コップを上から覗き込むような位置に持ってくると、デジカメの中に保存されている写真が飛び出て見える。
下にPCを置き、コップ(デジカメ)を傾けると、中にはいっている写真がPCに注ぎ込まれるように見える。
Goromiを作る前にはこのアイディアを作ろうかと思っていた。イメージはできるが、実際に作ろうと思うとあれこれ大変なのでおいておいた。ひまわりiMacを使えば、うまくできるのでは、とかなんとか考えたが。
などと考えているだけではだめなんだよね。作って見せないと。

またもや移転したくなった今日この頃

2009-04-17 09:26

いやね。さくらのブログって使い方がよくわかんないんですよ。
写真いれようと思ってあちこちいじりまわしていたら書きかけの記事消したりとかね。これは私が間抜けなだけですか。

というわけで、ちょっと試運転中。

映画評:フロスト×ニクソン

2009-04-17 07:06

アトラッシュ。僕はもう疲れたよ。。本家から転載するけどいいよね。。

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観ている最中に考える。この面白さはFootball(日本でいうところのアメリカンフットボール)のそれだと。

プロのFootballリーグNFLは観客にとっての面白さを追求しつつ発展してきた組織である。その神髄は私が考えるに

”ルールをきちんと設定した上での容赦のない戦い”

に ある。ルールは公明正大。”大人の事情”が入る余地を徹底して排除した上で、勝者と敗者に強烈な陰影をつける。勝つ事だけがすべて。The winner takes all. それこそが観客にとって尤もExciting、というのがエンターテイメント大国アメリカが出した結論。こ の映画で取り上げられるインタビューはまさにFootballだ。

インタビューアはトークショーのホストがお似合いの男。 しかし彼は彼なりの理由から、Nixonにインタビューすることを試みる。実現のために私財をなげうち、友達から金を借りすべてを賭ける。インタビューを” 売れる映像”にできれば勝ち。負ければ無一文で無職。

一方のニクソン。辞任はしたが自分の力量への自負は十分。カムバックの機会を狙っている。しかし懐具合は厳しい。そこに軽そうな男からのインタビューの依頼。金額も悪くない。かくしてインタビューは成立するのだが、勝負はこれから。勝者は一人だけ。

契約で取り上げるトピックが決まり、双 方準備の上で、カメラを前にした戦いが始まる。序盤はニクソンが圧倒的に有利。彼は何度も打ちのめされながら米国の大統領に2度当選した。 しかもベトナム、ウォーターゲートで容赦ない追求を受けながら決して自分の非を認めなかった男なのだ。フロストの参謀役が

”あいつは犯罪者だ。誰があんな男と握手をするか”

という。しかし本人に手を差し出されると思わず握手してしまう。それだけの力がニクソンにはあるのだ。容赦ない質問を浴びせたつもりでも、余裕をもってかわされそして逆襲される。はたして転換点はあるのか。

ここで映画では架空の会話を持ち出す。それはフィクションとしていい演出だと思う。しかしここから最後のクライマックスへの流れが今ひとつわかり難かった。ニクソンは何故”告白”をしようとしたのか。新たな証拠をつきつけられて、ということなのか。

主 演のフロストはとらえどころのないキャラクター。軽いだけの男にみせ、合衆国大統領相手に打ちのめされながらも引きはしない。ニクソン役も容貌は異なるの だが、したたかな策士とはこうしたものか、と何度も思わせてくれる。誰もが結果を知っているストーリーではあるが、”面白い試合を見た”とご機嫌にスタジ アムを後にするような気持ちになった。

最後に一つ私信を書いておく。

ある日とてもチャーミングな大学生に会った。将来はジャーナリストになりたい、と言う。なるほどそれはいいことだ。日本にはまともなジャーナリストが必要だ(ジャーナリスト宣言を出している某新聞社のような輩ではなく)

彼女は続ける。目標は安藤優子だと。

それを聞いてがくっとする。彼女がジャーナリストだって?あなたの望みって結局日本のTVにでることなの?そりゃ彼女は”日本のジャーナリストとして唯一”湾岸戦争を現地取材したかもしれないよ。でもジャーナリストは”世界”中からたくさん来て取材してたんだよ。

この映画を見てご覧。合衆国大統領に”インタビュー”というリングで一対一の勝負を挑む。ジャーナリストを目指すのであれば、目標は他にいくらでもあるのではないか?

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私が知る限り、NFLではかつて有名選手だった、というだけの理由でヘッドコーチに就任することなどありえない。

だから星野や長嶋が日本代表の監督になるような某競技にはどうしてもなじめない。

ただ勝つこと。それだけがすべてだから実にわかりやすい。

このインタビューの裏話が映画のパンフレットに記載されているのだそうだ。しかし私はそれをそのまま信じようとは思わない。映画のサイトに書いてあるが

”当事者それぞれによって言うことが異なる”

というのが本当のことだろう。真実はどこにもない。であればこそ現実に敬意を払った上でこうした映画を作ることができるのだ。

ところで日本にジャーナリストっているんでしょうか。いや、もちろんたくさんいると思うのだけど、鳥越とか筑紫とか田原とか私でも名前を知っているのがみな”いかがなものか”という方々ばかりなのはどうしてだろう。

あるいはそういう方でないと有名になれないのかな。

話は少しずれる。

最近ときどき拝見する阿比留瑠比という記者がいる。

この名前には聞き覚えがある。というか中学のとき同じ学年に阿比留という男がいた。

同じクラスになったことはないからよくは覚えていない。しかし先生が”阿比留”と呼んでいたことだけは明確に覚えている。

彼はあの阿比留なのだろうか。あるいは同じ名前の赤の他人なのだろうか。


記憶というものに関して

2009-04-16 06:56

前の会社にいるときはいろいろ勉強する余地があった。(精神的な意味でね)そこで記憶というものについてあれこれ本を読んだ。

わかったことは記憶について人間は何も知らない、ということだった。なんとか記憶、なんとか記憶とあたかも確立されたかのように書いている文章を読むと読み飛ばすようになった。

昨日こんな文章を見つけた。

刺激や暗示によって正しい記憶を呼び覚まそうとする試みは、すべて徒労に終わった。あとから塗り重ねられた記憶を取り払うことに成功した例は一つもなかった。最初の調査の回答を見せられると、被験者は全員、「そんなことを私が言ったとおっしゃるんですか」とあっけにとられたという。なかには、「それでも、私の記憶に間違いはありません」と言い張る人もいた。自分の記憶に対する被験者の自信度は、記憶の正しさとは何の関係もなかった。

http://clip.livedoor.com/page/http://kaoriha.org/nikki/archives/000619.html

確か欧米の例で、自分が幼少のころ両親から虐待を受けた、と訴えたがそれが偽りの記憶だった例があったように思う。

”この人痴漢です”

と自信満々に一貫して証言すれば誰の一生でも破滅させることができる。しかしその一貫性、自信満々の態度はこの研究結果からすればまったく意味がないことになる。

今では人間が記録をあちこちに残しているから、少なくとも”その記録がなされた”ことだけは確かめることができる。しかしその背後に何があったかは誰にもわからない。

であれば

とりあえずいいことを考えよう。要するに過去の体験、とか記憶とかは思い込みの産物なのだから、あれこれくよくよするより

”バラ色の過去”

とすりかえてしまったほうが人間幸せではないかと思うのだ。”バラ色”の過去ってなんだか暑苦しそうだが。


頭で考えたものづくり

2009-04-15 06:56

日本で「最高峰ウォークマン」と呼ばれるiPod touchもどきが発表された。

できるできないは別として"半年でiPodを追い抜く”といっていたころのソニーがなつかしい。

とうとう大口もたたけなくなってしまったようだ。

http://av.watch.impress.co.jp/docs/news/20090414_125314.html

記事を読むたび

”これは「かつてのソニー製品」の亜流品のようではないか”

と思う。ここがiPod touchよりすぐれています。ここが差別化要因です。そんな社内向けの説明項目を列挙してどうする。

先ほどのページに掲載された

”文字ばかり”

のプレゼン資料がその経過をものがたっているようだ。

日立や東芝がこれを出してもなんとも思わないが。。。


ビットの泥沼よりもう少しましな表現

2009-04-14 07:34

何かの名前をつけるのが得意だ、と思ったことは一度もない。

その昔空手部に相手をけがさせるほど強力なやつがいた。私はそいつを

”デストロイヤー橋本”

と呼んだが、ある男は

”クラッシャー橋本”

と呼んだ。後者のほうがいいに決まっている。

さて、私が嫌悪してやまない”ビットの泥沼”であるが、同じことを意味しているかどうかは別として、”スナックカルチャー”という言葉が生まれているようだ。

米国のGoogleなどの検索エンジンで「Snack Culture」を調べてみると、このような短い動画だけではなく、iPodなどで楽しむ音楽や、E-Mailで来るエンターティンメント情報など、あらゆるネットで得られる「細切れになった情報」のことを、総じて「Snack Culture」と呼んでいる、ということがわかるが、やはりその雄といえば「YouTube動画」であることは論を待たないだろう。 http://news.ohmylife.jp/news/20070802/13700

Youtube,にこにこを見ていると確かに短い動画があっているなと思う。goromi-tvを使っていても同じように感じる。”スナック”という言葉は言いえて妙だ。

しかしスナックだけでは健康を損なうように、そうした軽い情報ばかりに浸ることは精神へのダメージを引き起こす。

昨日のよる”お父さんのくせは?”と5歳の息子に言われた。なんだろうねえ、と答えると

”お父さんのくせはパソコン。いつもさわってる”

と言われた。ビットの泥沼は胸まで来ているようだ。

とはいえ最近iPhoneに触る時間は意識的に減らしている。本を読むのだ。(会社のアカウント宛てに来ているメールを見ると精神衛生上よくない、というものあるのだが)

ビットの泥沼にはまらないためにはどうすればよいか。そのためにあれこれ試行錯誤が続く。


iidaに感じる違和感について

2009-04-13 07:37

KDDIが携帯電話の新ブランドiidaを発表した。

ちなみに私は初代Infobarの愛用者であった。というかあの時他の携帯電話は全く視野に入っていなかった。持つならこれ。

それから月日は流れいく星霜。今度のiidaには何かしら違和感を感じていた。

たとえばiPhoneと比較してみよう。今度のiidaは基本的に外側のデザインだけを対象としている。しかしiPhone発表以来、ようやく画面の中のデザインこそがメインである、と認識されたと期待したいたのだが。

またiidaではやたらとデザイナーの経歴やら顔やらが表にでてきている。iPhoneではiveしかでてこない。とにかく、主役であるべき携帯電話以外のノイズが多すぎる。

そんな言葉を並べていたが、どうもすっきりしない。しかし先日読んだ二つのブログがヒントを与えてくれた。


先日、若いデザイナーが、もう携帯のデザインはいいという。本当に欲する人のために、じっくりと時間をかけたものづくりをしたいのだそうだ。純増数が低迷している某キャリアのデザインブランド戦略も何か物悲しい。

http://isoamu.exblog.jp/10780017/

この文章では、auと言っていないが、当方は勝手にそう解釈しておく。

新自由主義経済って明らかに間違いだったけど、でもだからってバラ撒き行政のぬるま湯国家に戻ればいいってわけじゃないだろ、って最近打ち出される経済政策を見ていて思う。 麻生政権の経済政策はバラ撒きじゃない、って反論もあるし、それも正論だ。 (中略) でもな、手段があっても生きる目的がなければ、なんにもならないのよ。

http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090410/p1

この二つの文章から私が何を考えたか。


こう断言しよう。


”iidaはKDDIのビジョンなきバラ撒き政策だ”


iidaがどこに向かおうとしているのか、何を目指しているのか、それが全く伝わってこない。示されるのは”とにかくがんばりました”というバラ撒き金額の大きさだけだ。

それが端的に表れているのは、この記事だと思う。

「私はiidaのケイタイ電話を心から愛している」――世界のクサマが紡いだ“iida Art Editions” KDDIはauケータイの新ブランド「iida」誕生を祝うパーティーを開催した。会場には多数の芸能人らが招待されたほか、「Art Editions YAYOI KUSAMA」を手がけた前衛芸術家の草間彌生氏も出席した。 http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0904/10/news097.html

芸能人あり、ドリンク、料理あり、ステージイベントあり。それで何が言いたいのかさっぱりわからない。何が目的なのか?どこへ行こうとしているのか?

しかしこういうパーティーやって何とも思わないのかな。


映画評:ザ・バンク 堕ちた巨像

2009-04-10 08:03

というわけで恒例の金曜ムービーレビュー!本家から転載だー!

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世界をまたにかける巨大銀行。彼らがやることは、金の流れをコントロールし利益をあげること。そのためだったら過激派の支援から人殺しまでなんでもやります。

まじめに作っているなあという印象を持つ。主役は

”難しい顔して難局を乗り切る”

役をやらせれば昨今No1のクライブ・オーゥエン。はまり役と思うが、私にとってはシューテム・アップの印象が強く、できればニンジンもって大暴れしてくれないかと思う。裏を返せばこの映画を見ていても、手に汗握ったりわくわくはしないということでもある。相手役はナオミ・ワッツ。ちょっと老けたがなかなかチャーミング。

といった面子でまじめにまじめに話が進んでいく。しかしそれも途中まで。グッゲンハイム美術館で銃撃戦なんか始めては台無しである。

こういう”実態の見えない巨大非合法組織”の映画を観るたび思うのだが、”実態の見えない組織”であるならば人がたくさんいるところで派手な銃撃戦などやってはいけないのではなかろうか。せめて

”をを、現実に起こったあの事件の裏はこうだったか”

と思わせてくれなくては。

エンディングは”悪の親玉が死んだら世の中がよくなりました”ではなく、その点は好ましい。法の網の目をくぐり抜ける人間は後を絶たないが、それでもなぜ司法組織というものが存在するのか考えさせてくれる。

かくのとおり良いところ、悪いところいりまじった作品なのでこの値段にするわけだ。

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ナオミ・ワッツはどこか日本人受けする容貌ざますね。
ナオミという名前は日本人の名前としても通るわけです。彼女はきっと日本にいたころ自然に”なおみ!”と呼ばれていたに違いない。


今日も短く

2009-04-09 13:16

昨日こんな記事を見つけた

「大事なのは万人に受け入れてもらうことではない。みんながいいたいことを言ってて、そのいいなりになると、たいした音楽ができない。本当に大切なのは、たった一人の権力を持った人に認めてもらうこと」 http://d.hatena.ne.jp/hiroyukikojima/20090407/1239087292

至言。

本当にそうだ。結局金を動かせる人間に認めてもらうこと。それは一人でもいい。それが道を開く上で有効な手段だ。

せちがらいかもしれないが、それは本当のことだ。独裁者が権力を握ったとき、その独裁者のお気に入りというだけの理由でどんな凡庸な人間でも出世ができる。

かつての日本(今もか?)のように”誰が権力を持っているかわからない”状態においてはいわゆる

”空気読む”

技量が求められる。誰が権力者かわからないけど、それと思しき人たちの空気をうまく読むこと。これができれば、部下とか同僚とかはどうでもいい、というのが現実観察から得られる結論だ。

道が開けないと嘆く前に、どちらにどんな道が開いてほしいのか。そしてそれをちゃんと求めているのか自問自答してみるのも悪くないと思う。


元ミサイルエンジニアとしてだけの感想

2009-04-08 07:26

どうやら北朝鮮の”飛翔体”は2段目の切り離しに失敗したようだ。

それでも前回の発射とは異なり、一段目はそれなりに飛行した。それゆえ打ち上げの映像も公開できるわけだ。

今回の件に関して、私が言いたいことはいかのURLにある記事と全く同一だ。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090331/142712/

こうした基本的な知識すらなしに、わけのわからない言葉を並べたてる人の多さには驚く。

そして↑の記事で最後に書かれていることにも、私は共感するのだ。

北朝鮮のロケット開発関係者はかなり追いつめられた状況にあるのではないだろうか。開発を急かされ、成功を要求され、その一方で開発に必要な資金、人員、設備などのリソースは十分ではないのではないか。 (中略) 2006年のテポドン2号は、打ち上げ直後に爆発し、破片となって日本海に落下した。  トラブルが続いているにも関わらず、北朝鮮はトラブルシューティングを行って同型機の再打ち上げに挑むのではなく、より大型のロケットである、今回の「銀河2号」の開発へと進んでいる。

テポドン2号が完全に失敗したにも関わらず、それより大型のロケットを打ち上げる。これは気が狂っているのでなければ、気の毒としかいいようのない状態だ。

おそらく

”失敗の原因は特定できている。その対策も完璧だ。今回の成果を生かし次のロケットはより長射程化を図る”

などという政治的な弁舌が北朝鮮内部で通ってしまったのだろうな。

飛翔体発射の際には本当にいろいろなことが起こる。もちろん地上において様々な試験を行うのだが、それでも予期しないことが起こる。

それゆえどの国も最初は失敗の連続となる。数十年前であればそうした失敗を秘匿しながら開発を続けることもできただろうが、今ではなんでも丸裸だ。公開されているものよりはるかに高画素の衛星写真もたくさん撮影されていることだろう。(映画にでてくるほどとは思わないけどね)

”世界注目”の中で無茶苦茶な政治的弁舌を実体化するために働かされているエンジニア達の心情を考えることもある。


元飛昇体技術部で働いていた俺が通りますよ

2009-04-07 07:40

こんな記事を見つけた。

ところでミサイルや人工衛星だと「飛行体」「飛行物体」といった方が自然な気がしますが、「飛翔体」と報道されているのはなぜなのでしょうか。 http://b.hatena.ne.jp/articles/200904/94

私が大学を卒業して働き始めてからはや24年。配属先は飛昇体技術部だった。平たくいえば”ミサイル技術部”なのだが、なぜか飛昇体という言葉を使っていた。

なぜかといえば、覚えていない。先輩や上司に聞いた気もするがきかなかった気もする。そんなことはどうでもいいことだからだ。

今回もおそらく政府は”ミサイル”と言いたかったのだろうが、それだと何かと角が立つ。とはいえ人工衛星ともいえず、結局のところ一般の人にはなじみがない”飛翔体”でごまかすことにしたのではなかろうか。ちなみに”飛翔体技術部”は川崎重工に存在する。どういった経緯で両社が違う漢字を用いるようになったのかは知らない。昇のほうが画数が少なく書きやすいとは言えるわな。

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社員の立場からすれば、部の名前なんかどうでもいいことだ。数年後、他の部と合併して飛昇体技術部という名前は消えた。かといって仕事の内容が変わったわけでも、やり方が変わったわけでもない。部長の数は半分に減ったがそれもどうでもいいことだ。今はなんと呼ばれているか知る由もない。


聞くより語る

2009-04-06 07:17

北朝鮮がミサイルを発射した。彼の国の技術者の一部と日本にとって幸運なことに、一段目はおおよそちゃんと飛翔したようだ。そのあとどうなったかはわからない。ロシアはいつも”衛星が軌道にのった”というし、米国はその反対を言う。だから結局自前でセンサーをもつしかないわけだね。

さて

こういうことがあるたび、周りでも時々話題にでる。私がそうした話にかかわっていたのは遠い昔の話だし、もちろんその時知り得たことを話そうとは思わない。

しかし公になっている情報だけをつなぎ合わせても、いくつか語れることはある。そして周りの人間も私が昔そうした仕事をしていたことは知っている。

しかし

いつも思うのだ。人は事実に近いことを聞くより、自分の頭の中にある間違いを話すことを好む、ということを。私に質問する人間がいたとしても、それは私の話が聞きたいのではない。

単に自分が喋り始める枕ことばとしての”問いかけ”なのだ。かくして私はいろいろな人から事実と異なる演説をただ聞かされることになる。

かくして私が何を知っていたとしても、”情報を漏らす”なんてことはあり得ない。そもそもたいていの場合人は相手の話なんぞ聞いていないのだ。ただにこにこ笑って、失礼にならない程度に相槌をうっていればそれで会話は進む。私はただ笑っている。


映画評:ウォッチメン

2009-04-03 06:52

疲れがたまった金曜日は本家から改変しつつ転載。

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か つてMinute menというヒーロー集団がいた。アメコミのヒーローだから、基本的にはマスクをかぶった人間である。その次の世代がWatch men。しかし彼らの活躍は条例によって禁止され、今は引退状態。最初の音楽が終わる間にそうしたことが断片的なショットで示される。最初

”これはアメリカ人にとっては常識の物語かもしれないが、私にはそうした予備知識がない”

という恐怖に襲われる。しかしそれらの”わからないこと”は物語のなかでちゃんと説明されるので安心しよう。

さて映画の冒頭、誰かがその引退したヒーローの一人を捜し出し、殺害する。これはどういうことか。Watch menの元仲間に戦慄が走る。誰かがヒーロー狩りをしているのではないか。

そこからのストーリはよく考えられている。上演時間は2時間43分だがそれより長く感じられた。退屈したという意味ではない。いろいろな筋立てがぎっちり詰まっているのだ。途中で話がどう決着するのか全く見えなくなる。

映画の中のアメリカでは、ニクソンが3選されている。なぜか。ベトナムで完璧に勝利したからだ。これは(私が知っている)アメリカのヒーローが避け てきた話題でもある。アメリカンウェイを守るヒーローならば、当然ベトナム、イラクにいかなければならないのだ。そりゃそう
でしょう。アメリカの若者が死んでいるんだもん。救わなくちゃ。”敵”を殺さなくちゃ。

と いうわけで”ヴェトナムでの勝利”をもたらしたのは、不幸な事故に巻き込まれた結果、神に近い力を手に入れた男。この男はほとんど神がかっているのだが、か といって無敵でないのがもう一つよく考えられていると思うところ。ひとり不幸な生い立ちのヒーローがいるのだが、この男は不気味でありかつチャーミングだ。

ソ連はまだ健在であり、そして米ソ両大国は核兵器を手に余るほど持ちながらにらみ合っている。ニクソンが決断を迫られるSituation Room はDr. Strange Loveのパロディであるか。そんな状況だが、筋の通った元ヒーロー達の行動(あえて活躍とはかかない)の結果、世界は”平和”を手に入れたかのように思える。しか し最後にちゃんと(見方によっては)凶悪な落ちがついている。平和は偽りの姿で、人は殺し合いいがみ合うのが真実の姿であるということか。いや、すばらしい。

R- 15となっているが確かにエログロシーンは強烈である。しかしダークかつシリアスな全体のトーンとちゃんと釣り合っている。ヒーロー物のお約束にちゃんと 向き合った上で一つの映画としてまとめたのは見事だと思う。それゆえ強烈に感動した訳ではないが1800円をつけようと思うのだ。

一つ文句をつけたいのは、ヒロインの女の子があまりかわいくない、というか私好みでないこと。妙に顔が四角い。あとクライマックスのシーンで流れるモーツァルトのレクイエムは少し浮いていたかな。


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こういう”スーパーヒーローたちの矛盾”に正面から向き合い、そして人の心を動かす作品って我が国に存在してるんだろうか?


もう俳優はいらないのか(かなり真面目に)

2009-04-02 07:37

昨日みてとても驚いたのは以下のムービー

ベンジャミン・バトンでブラピはどうやって全ての役柄を演じていたのか、多少不思議に思っていたがここまでやっているとは思わなかった。

平たくいえば

・撮影時には、全く別人が青い布だけ頭につけて演技する
・それにCGで作成した顔を当て込む。
・CGの表情だけをブラピの顔の動きに合わせて変化させる

これを知って私は驚いた。人間以外のものならなんでも作れるとは思っていたが、人間たる俳優ですらCGでちゃんと作り上げられるのだ。

ということはだよ。

(金さえあれば)という大きな前提つきだが、俳優は要らない、ということだ。

CGの製作者の想像を超えた表情をする、とかいうことが必要なければCG技術者と演出家だけで俳優の表情まで作り上げることができる。

たとえば今回の映画でも本当に表情を演じたのがブラピだと誰が証明できる?Making Videoに必要な部分だけブラピが演じたかもしれないじゃないか。

そのうち"Nobody”と呼ばれる俳優が生まれるのではないか。顔はCG.体は誰か。表情は時に応じていろんな人に演じてもらう。それでも十分スクリーンの中では一人の人間として存在しうるのだ。しかしそれが誰かと問われればだれでもない、としか答えようがない。