SoftbankのiPhoneに対する本気度合

2008-10-31 00:00


昨日の発表にはいささか驚いた。


ソフトバンクモバイルの孫正義社長いわく、アップルのスマートフォン「iPhone 3G」には「3つの問題点がある」。同社は10月30日に開催された2009年秋冬モデルの発表会にあわせ、この3つの問題点の解決を図った。同時に、iPhoneユーザー向けに公衆無線LANサービスを無料で利用できるようにする。

電池、ワンセグ、絵文字、iPhoneの3つの問題点を解決――孫正義社長 | 携帯 | マイコミジャーナル


せいぜいiPhone向けアプリの発表(絵文字含む)だろうと思っていたが、ハードを発表してくるとは予想だにしなかった。


さらに驚いたのは、公衆無線LANの無料サービスだ。


やたらとネットワークを酷使するiPhoneのトラフィック対策ということもあるのだろう。しかしユーザにとってこれはありがたい。携帯電話を真面目に使ったのはあ初めてだけど、Softbankの電波が届かないところって結構あるもんね。


いまちょろっと探したのだが


FOMAに契約していれば、いつもの電話料金に800円(税込840円)追加するだけで駅やカフェでブログやYouTube、音楽の視聴が出来ます。

iPod® touchで公衆無線LANを楽しむ | サービス・機能 | NTTドコモ


Docomoだとこれだもんね。もちろんこれはなんにでも使えるWifiサービスだから、iPhone 限定ということではないのだけど。


ーーー


この発表の前日にはソフトバンクの経営状況に関する発表もあったに聞く。前にも書いたが、素人である私の耳にも届くくらいソフトバンクの経営に関しては危ぶむ声が多い。


しかしこういうことをやってくれるとなると、やはりもうちょっとがんばってほしい、と思わずにはいられない。仮にDocomoがiPhone発売したとしても、よもやこんな製品やらサービスは提供しまい。



日本経済の先行きについて

2008-10-30 00:00


あるブログのコメント欄でみつけた、おそらくは2chの書き込み


558 名前:名刺は切らしておりまして[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 19:57:11


ID:tTszH4cL 円高⇒ 輸出企業壊滅で、日本経済はおしまいです。


円安⇒ ドル建てGDP減少で、日本経済はおしまいです。


株価下落⇒ 日本経済はおしまいです。


株価上昇⇒ バブルの上、世界各国の上昇率に比べると、下落しているのも同じです。 日本経済はおしまいです。

切込隊長BLOG(ブログ) Lead‐off man


このコメントはいろんなパターンについて延々と続くのだが、結論はすべて同一。「日本経済はおしまいです」だ。


実際経済関係のコメントというか「アナリシス」というのはこういうものが多い。つまるところは



「経済の先行きを正確に読むことができる人間がいたとすれば、そいつは世間に向かって予言を明らかにしたりせず、こっそりと金儲けをしているはずだ」



というところに落ち着く。「アナリシス」やら「予想」をしている人間というのは、その正しさではなく、「アナリシスなり予言を言ったり書いたりする」ことで金を稼いでいるわけだ。この差は大きい。


経済の先行きとかに関しては、「非常に明白なもの」を除いて大体意見が一致しない。どれも(素人目には)もっともらしく聞こえるが、お互いに言わせると「全く間違っている」「完璧に論破されたのにそのことに気が付いていない」のだそうな。



ということは



経済について「何か言ったり書いたりする」ことで収入を得ようと思ったら、また特殊な才能が必要なのだろうなあ。どちらかといえば、芸能的な。



Tic-tac-toe

2008-10-29 00:00


子供がiPhoneにゲームをいれろとうるさい。


お父さんは貧乏なので、無料ゲームしかダウンロードしない。先日はTic-tac-toeを入れた。


まだゲームのルールが理解できていないようで、コンピュータが二つ並んでいるとき



「さあ、気をつけておかないと、負けちゃうよ」



と警告してやっても、あさっての方向にしるしをつける。結果負けてしまう。


すると頭を自分で「ペチン」とたたき、しょんぼりする。


なぜ負けたかを解説してやるが、それでも同じことを繰り返す。



彼の行動を見ているうち、私の行動もはたから見ればこんなものかもしれない、と思った。誰もが「間違い」と思っていることをやり、自分の頭をたたきしょんぼりする。


確かにこれは自分がやっていることだ。



米国の大統領選挙

2008-10-28 00:00


あと数日となった。おそらくオバマが勝つだろう。


(外れる可能性を意識しながら書くが)マケインの敗因の一つに、副大統領候補の選定ミスがあると思う。


別のマケイン氏の消息筋は、ペイリン氏の関心がマケイン氏陣営よりも自分自身にあるようだと指摘。「(ペイリン氏は)誰の助言にも耳を傾けない。わたしたちと信頼関係を結んでいないし、家族なども信頼していない」と述べ、ペイリン氏が将来共和党の次期リーダーになると思い込んで振る舞っている、と批判した。

CNN.co.jp:マケイン氏顧問とペイリン氏の間に不協和音 手に負えないと


この記事にあらわされるペイリンの態度は、塩野七生氏が書くところの「女の浅はかさ」という言葉にぴったりだ。洋の東西を問わず、男女の区別を問わず愚かな行動というのは存在するが、こういう「自分に権力があると錯覚する愚かな行動」は女性に多くみられるような気がする。古いところではクレオパトラとかね。あるいは10年ほど前に聞いた話だが


「留学に来ている外務省官僚の奥様」


なんてのもそれに該当するかもしれない。


72歳というマケインの年齢を考えれば、彼が在任期間中に不測の事態に襲われることも十分あり得る。そう考えたときに「ペイリンは大統領として適任か」ととわれれば、多くの人が「No」というのではなかろうか。


ーーー


マケインはおそらくは実力不足を認識しながら、「票集めパンダ」としてペイリンを指名した。そしておそらく米国民はそれほど愚かではなかった。



なぜマケインは正攻法で行かずに、リスクを含んだ賭けにでたのか。確かにオバマ人気の盛り上がりはすごかった。しかし民主党の指名を勝ち取ったところで、一息ついたように思える。そこであくまでも正攻法で、、というのは今だから言えることかな。



パターンを読むこと

2008-10-27 00:00


某キャリアの経営が成り立つのか、という点については、あちこちで目にしたり耳にしたりする。


そもそも先進国のキャリアビジネスとして、彼らのBS自体、到底考えられないものだ。このあたりはエントリをいずれ改めて書こうと思うが、CDS一つとっても、実際同業他社は30-40ポイント程度だ。S&Pの格付けもめでたくBBとなり、ハイイールド債でも出さなければ資金繰りできなかろう。

グッバイ、レバレッジ!(3):クロサカタツヤの情報通信インサイト - CNET Japan


私のような「経営」とかいう言葉と全く無縁の人間の耳にさえはいるのだから、現実がどうなっているか知らないが「危機説」がかなり広まっているのは間違いないだろう。もっとも「○○バンク 破たん」で検索すると数年前の記事がひっかかったりするのも確かだが。


さて、今日書きたいのはそのことではない。



↑で引用した人にとっては、某社のBSを見れば「これはあり得ない」と一目で理解ができるのだろう。私が見てもなんのことやらわからない。


もちろん理屈を理解することも必要だが、それ以前にたくさんの会社のBSを見て、初めてそれが意味することを推察できるようになるのではなかろうか。


つまりは「多くのパターンを学習する」ことが「素人にはわからない事象を一目で見抜く」上で必要なことではないかと思うのだ。



ここで話は飛ぶ。私が愛するFootball(American)である。QBがハーットハットと言って、ボールがスナップされた瞬間22名のプレーヤーが動き出す。


未だに私にはそこで何が起こっているのかさっぱりわからない。しかしこれも「パターンをたくさん学習した」人にとってはどんなプレーか。その中で個々のプレーヤーがどのような動きをしているのかちゃんと把握できるという。



あるいは聞きかじりだが、将棋にも同じような話があるという。どのような流れだったのかをさらさらと再現してみせる。しかし駒をランダムに並べたのではそうした再現はできないと。つまりここの駒の動きではなく「パターン」を覚えているように思うのだ。


こうした様々な分野での「パターン」はどのように学習され、それを学習することでどんなことが可能になるのか、、、とかそんな話はどこかでちゃんと研究されているのだろうな。他にはどんな例があるのかな?



「最適な情報を推薦」などと軽々しくいう人間は

2008-10-24 00:00


考えが浅い(きっぱり)


先日行われた第4回キャズム会議で増井氏がこう発言したと聞く。



チャンネルを変えたときに、どうして変えたのかを入力させれば簡単にリコメンド機能は作れますよ。


「リコメンド機能とかは今の技術でも作れるんでしょうか?」という質問をされたときの回答です。


キャズム会議での増井俊之語録より



私は増井氏の意見に賛成だ。逆の言い方をすれば、


「どうして変えたかを入力させない限り”最適な情報”の提供などできっこない」



先日某学会で 特別企画「インテリジェンスとインタラクションの統合に向けて」なるパネル討論が行われた。私はこのパネル討論の一回目に参加しており、そこでも曖昧に主張したのだが(ああ、、数か月前まではそんなことをしていたのだなあ。。)ここで再度主張しておく。



「情報推薦は、リアルタイムのインタラクションなしには成立しない」



何が「ユーザ」にとって最適かは、コンテキストに依存する。そしてコンテキストは、ユーザに聞く以外の方法で取得することはできない。


であるから「黙って座ればピタッとあたる」なんて情報推薦は絶対にできないのだ。


先日紹介した「珍スポット探訪システム」であるが(例によってFireFoxかSafariでみてね)


ここでは増井氏が言うところの「どうして変えたかを入力させる」というのを次の方法で実現している。


・何かをいいと思った→クリックしたものに「近い」ものを表示する。


・今のも悪くないけど、同じようなのがもう少し見たいと思った。→Moreを押してもらう。


・なんだか知らんが、「別のもの」を見たいと思った。→Otherを押してもらう。


こうやってぽんぽん変えていくと、出てきたものをみてユーザにとって「最適な情報」は変化する。つまり「最適な情報」とはMoving Targetなのだ。Moving targetを狙うのを、リアルタイムのフィードバックなしに行うなんて馬鹿げている。


ーーーー


ついでにいえばTVにごちゃごちゃした情報やら、画面部品を表示するのは「根本的」に間違っている。そうしたものが「前のめり」になって使うPCの世界で生まれてきたものであり、どてっと座り、後ろに倒れた姿勢で使うTVの世界には適合しないのだ。


その昔TV本体には「チャンネル」というものがついていた。それを回せば番組が変わる。あれより格段に複雑なものをTVのユーザに触らせよなどというのは「どうしようもなく」間違っている。


その間違いに気がつき、提供するインタフェースがPCの呪縛から解放されない限り、TVは今の形態より進化することはないし、普及することもない。


じゃあどうする?何度も出しているので「またか」と思われるかたもいるかもしれないが、今私がここで主張したことを形にしたのが、この画面だ。



D


これは頭がほれほれになっていても使える、、、と少なくとも私は知っている。



今朝ふと考えたこと

2008-10-23 00:00


スティーブ・ジョブスは痩せすぎだ。見るたびに痩せて行く。


ジョージ・ルーカスは太りすぎだ。見るたびにあごの断層が増えていく。



素人から見た経済の不思議

2008-10-22 00:00


原油の先物取引の価格は、ピーク時の半分程度まで下落しているという。


米国のニュースがこの話題を取り上げているときの会話が面白かった。


なぜこんなに下がるのか?


価格は需要と共有のバランスで決まる。経済の状況が悪化しているから原油の需要が落ち込んだことが原因だ。




いやまあ。理屈はそうなのだろうけど。




それで半値に下がるほど急激に経済は減速したのだろうか?確かに米国の状況はかなり深刻だと聞く。しかしこの数カ月で半値とは?


オバマとクリントンが指名争いをしていたころには、原油高への対策がアピールポイントの一つだった。オバマ対マケインになったころには半額?


原油の価格が上がっていた時も「そもそもなんでこんなに上がるのか?」という議論があった。あれこれ読んだが結論は


「よくわからない」


だった。いや、投機マネーが流れ込んでいるからだよ。でも先物取引での価格が実態の価格に影響を及ぼすなんてへんじゃない?とかそんな論調もあったやに覚えている。


かくのごとく経済の話は何かとわかりにくい。ものすごい論戦があることはわかるのだが、どちらが正しいのか素人にはどうにも理解ができない。そのうち今回のような「誰もが予測していた」恐慌が起こる。素人にはやはりわかりづらい。



昨日みつけた言葉

2008-10-21 00:00


ネットをうろちょろしていて見つけた言葉。


幸運は、いつも試練という名の仮面をかぶって人生の扉を叩く。だから、最初はそれと気付かない。むしろ、嵐のように引っかき回していくので、逃げ出したくなる。しかし、辛抱強く付き合っていると、やがて帰ろうとする段になって、初めてその仮面を脱ぐ。そこでようやく、それが幸運だったということに気付かされるのだ。

幸運とは - ハックルベリーに会いに行く


蒼天航路に引用されていた孟子の言葉に


「天が人に大いなる任を下そうとするとき、まずその人に試練を与え痛めつける」


といったものがあったやに記憶している。


個人的にはこの言葉が正しいのか否かはわからない。試練がたんなる「いやな経験」で終わったとすれば、それは私の辛抱が足りなかったのかな?



映画評-イーグルアイ

2008-10-20 00:00


例によってネタのない日は本家から改変しつつ転載。


ーーー


いい加減に


「ネットに接続できさえすれば、すべての電子機器を自由にコントロールできる」


という映画のお約束はやめてもらえないだろうか。


主人公が家に帰ってみると、なぜか爆発物やら銃器やら偽造パスポートやらが山のように届いている。謎の電話の声に「もしもし?とか言っ ているとFBI に踏み込まれ、テロリストの容疑をかけられる。


この予告編はよくできていたと思う。謎の声はどこまでも追いかけてくる。なぜなら監視カメラという監視カメラの映像は相手によって把握されているからだ。指示は携帯電話で送られてくる。観ながらいろんなことを考える。何丁目何番地に行け、と一度言われただけでちゃんと記憶できる人はどれくらいいるのか。道を間違えて


「間抜け。そっちじゃなくこっちだ」


と言われたり、途中でパンクしたり、自分で事故ったりとかまあそんなことは映画だから起こらないのだけど。他の機器だっ て、ネットを通じて指示だしてもバグって誤動作したりとか、そんなことが起こるに決まっているのだ。


と いうわけで以下ネタバレなのだが、つまるところは「60年代に作られたかの有名作品」の焼き直しである。21世紀という言葉が何の意味も持たなくなった頃 にこのネタをやるとはなあ。


コンピュータが独自の意思をもって反乱を起こすなんてのは未だ夢の夢だ。現在の最高性能のコンピュータとソフトウェアを用いても、人間の声をそれとわからないくらい自然に合成することすらできはしない。これが 60年代に「次の世紀には」と言われれば信じる気にもなったけどね。


きっとこの映画の制作者の中には、「あの映画」のオタクがいるに 違いない。妙に重なる場面とか台詞とかは存在する。しかしその情熱は映画をいいものにしよう、という方面には向かわず、途中から話についていけなくなる。 なんで主人公は急に声に従順になるのか。説明しようとしたのはわかるけど、意味わかんないし。


結末のつき方はじつにいい加減。あのー、トランペットの菅の中にそんなものつめたら、吹いている人間は一発でわかるん ですけど、、とか突っ込む気力もなくなった頃に映画は平和な結末を迎える。 主演はトランスフォーマー やインディ・ジョーンズ/クリスタル・スカ ルの王国の人。回を重ねるにつれ、いい役者さんだということはわかる。相手役の女性は、、、まあ普通の人。


ーーー


ネットに不正侵入すれば、すべての監視カメラの映像が取得でき、すべての電子機器を自由にコントロールできる、という映画は多い。


まあ映画のお約束ということで気にしなければいいのだが、「ちゃんと設計された」動作ですバグが起こりうるのに、そんな裏口(まあそれがあるとしてだ)からの操作を行おうたってまともに動くわけがない。


監視カメラについてはいろいろな議論があるが、少なくとも今表にでてくる情報からすれば、犯罪の解決には役立っているようだ。大学の講義をインターネットで公開する例も増えてきた。


こうした話を聞くたび、いつか読んだ星新一の作品を思い出す。すべての大学の講義、議会の様子、街角のようすがTVで見ることができる世界の話だ。一日それらを眺めて暮らしていた男を、、というものだが、今はそれが作品ではなくある程度現実になっている。



「ハイビジョンサウンド会議 sponsored by NIRO」に参加した-音編

2008-10-18 00:00


というわけで本日のエントリーは昨日の続きである。まだ読んでいない人はそちらから読んでね。


というわけで中道氏のプレゼンの後は、いよいよお待ちかね。Q:のデモがはじまる。会場の私とはちょうど反対のところに大きな薄型TVがおいてある。パールハーバーの一場面、日本の艦載機が真珠湾に攻撃を始めるところが流される。そういえばパールハーバーにこんな場面あったなあ。ああ、魚雷が着水したというのに、板は外れない、、とか思いながら観る。


次に別のスピーカーで聞く。なるほど迫力が違う。その後がお待ちかねのQ:の音。いよいよ音が聞けるかと思うとちょっとどきどきする。



おわっ。と思う。感想を端的に言えばこうだ。



液晶TVのスピーカー → ああ、何かDVD再生してるな。



Q: → おわっ。飛行機飛んでる。



当日の話題になっていたが、このような音響製品というのは所詮聞いてみないと違いがわからない。それをこのようなブログだのインターネットで伝えるというのは至難の技だ。どう伝えるかあれこれ考える。その間もデモは続く。続いてギャング・オブ・ニューヨークが流れる。



液晶TVのスピーカー → ディカプリオがんばってるな



Q: → おわっ。砲弾が飛んでくる。建物が崩れる。



エネミーラインとかいろいろなものが上映されるが、とにかくその差異は圧倒的だ。中道氏が「いや、このハイビジョンTVもがんばっていると思います」と言うと場内に笑いが広がる。それぐらい差は明白なのだ。


ここで上映されたパールハーバーHeroも私にとっては「金返せ」の映画であることは、ちょっと皮肉なことだ。しかしデモ映えする派手な映像、音楽を使った映画が私にとってのゴミ映画である、という事実には何か意味があるのかもしれないし、ないのかもしれない。


その後も「この圧倒的な音の違いをどうやってブログで伝えればいいのか」という疑問は頭を周り続ける。たどりついた結論が「絵」で表すことだ。



液晶TVの音は(Q:に比較しての話だが)はこんなイメージである。


f:id:grgr56:20081018081054j:image



これに比較するとQ:の音はこれだ。


f:id:grgr56:20081018081055j:image



冗談抜きにこれくらいの差があるのだ。中道氏はプレゼンの中で


「ある音響の専門家に聞いたところ、映画の感動の70%は音から生まれる」


と言った。聞いたときは「ちょっと大げさではないか」と思ったが、これを聞く限り嘘とも思えない。映画館でよいなあと思った映画のDVDを家で再生してもそれほど感動しない事が多い。「もう一度観ているから」という事の他にも音の差が理由かもしれない。


さて、今回の参加者のうち希望者にはこのQ:を2週間無料で貸してもらえ、かつ3本ブログの記事を書けば定価の半額で購入できるとのこと。半額といっても44000円。貧乏な私にとっては大金だ。


しかしデモを聞いた後では、申し込む事に迷いはなかった。これに金を使わず何に金を使うというのか。くだらない宴会に出させられ、1万円撮られることを考えれば、安い物ではないか。


会場ででた質問に対する中道氏の回答の中でこんなものがあった。


「車への搭載を検討してもらい、なかなか良い評価をもらった。しかし既存メーカーが1/3に値段を下げたため、採用されなかった」


まったくなあ。そういう物作りしているから、日本で車が買ってもらえなくなるんだ。売るのは「感動」これに思わず金を払いたい、と思わせなくちゃ。コスト優先とかそんなことばかりしているから、、


と考えながら自宅に帰り着く。家で液晶TVがおいてあるところを改めて見直す。隙間という隙間にはものが充満しており、どこにあのQ:を置けばいいのか。置けたとしても奥様に殺されないだろうか。金は「貴重なへそくりをはたきますから」と言えば許してもらえるか。でも場所が、、会場で感じた感動もどこへやら、私は深く悩み続けるのであった。



「ハイビジョンサウンド会議 sponsored by NIRO」に参加した-音以外

2008-10-17 00:00


というわけで、「ハイビジョンサウンド会議 sponsored by NIRO」に参加した。


主催者の田口氏が話しはじめたとたん、ものすごい数のデジカメやら携帯電話のカメラやらが向けられた。というわけで詳細なレポートはいろいろな人が書くと思うのでいつものごとく省略。私にとって印象深かったことだけを書きたい。今日はまず「音以外」のことについて。


これまで田口氏主宰のイベントにはなんどか出席したことがある。進行にはおおまかなパターンがあり、まず会社側から商品の説明、そのあと近くに座っている人同士でアイディア出し、最後に発表、表彰、というものだ。それはそれでなかなか快適だったのだが、今回はそれががらっと変わった。


まず田口氏から全体の説明。ここで


「先日某ブロガー向けイベントに参加して、”イベントの内容でブログを書く”というのがとても難しいことだと知りました」


と発言がある。おそらくその瞬間多くの人が



「お前が言うな」



と突っ込んだと思うが、これは賞賛されるべき態度だと思う。所詮立場が変われば難しいこと、着眼点も変わってくる。それを一参加者の立場から知ろう、というのは素晴らしいことだ。


というわけで、今回は「ブログを書くのに困ったらこんな題で書いてみるといいかも」リストをもらえることになっている。私は写真を撮らなかったので詳細覚えていないが、そのうちメールがくるだろう。


というわけで本日の主役、中道氏登場である。


私よりも年は上だろう。白くなった髪をきれいに整えているのが印象的。なぜかといえば私の頭がぼさぼさだからだ。



ここでいきなり当日印象に残った言葉。




「嘘をつかないのが一番楽」




この言葉にのっとり私も正直に書こうと思う。中道氏のお顔を拝見すると、顔だけ取り出して、手拭いかぶせ、畑を耕していてもなんの違和感もない気がする。しかしそんなことはどうでもよくなる。


中道氏は自分で「説明が上手じゃない」と言っていた。私が思うに、理論整然、とうとうとう、と述べるタイプでは確かにない。しかしこの日のイベントは今までに参加したどの田口氏主催のイベントより短く思えた。


これまで行われていた「グループ会議」の時間をほぼプレゼン、デモ、質疑応答についやしているのだから、参加者としては聞いている時間が長くなる。退屈な話なら体感時間が長くなってもおかしくないのだが、「もう時間」と言われた時


「へっ?もう終わりっすか?」


と思ったのは確かだ。


言われてみればNakamichiというブランドは私でも聞いたことがある。しかしそこから新たに会社を興し、資本金�16億円を準備。最初の数年は全く製品を販売せず、R&Dだけを行う。そうした道筋はとても興味深いものだが、やはりここは中道氏の言葉


「嘘をつかないのが一番楽」


を再掲しよう。そうした生き方は中道氏にとって一番「嘘をつかない」生き方なのではないかと思えてくる。よい音を届けたい。よい音とは?聴きやすい音。ショールームとかで聞かせるためには、高音をキンキン聞かせなくちゃ、と言われてもそれでは映画を2時間みることはでいない、といって拒否する。


自分なりの良い音を求める心に嘘をつかない。そんな姿勢が中道氏の言葉の端々からうかがえた。それゆえ時間が短く感じられたのではなかろうか。


中道氏のプレゼンとデモの後は質疑応答の時間となる。会場をマイクが回り、一人一つ質問を投げかける。残りの時間でそれにできるだけ回答するという仕組み。質問の中には


「(購入を)家族に納得してもらうためにはどうすればいいか」


とか


「狭い部屋で、他の部屋への音漏れが気になる」


とか


「(今日は5.1chでデモしたが)PCとかiPodで使いたいができるか」


といったいわば参加者にとっての切実なものが含まれていた。これらの質問に対して、中道氏は


「いや、アナログでこそ使ってほしい。5.1chでなくても2chでもいい音が聴ける」


と自信を持って回答していく。ちなみにサウンドシステムだからスピーカ+アンプなのだけど、ユーザは四畳半とか六畳の部屋で使っている人が多いんだとか。


ーーー


さて、今回の参加者にはモニタープログラムが提供されている。希望者にQ:というサウンドシステムを送り、2週間使ってもらう。気に入らなければ、送料Niroもちで返送してください。気に入って、かつ2週間以内にブログを3本書けば半額でご提供です、というやつだ。


私はこのイベントに参加するまで5.1chとかには全く興味がなかった。それどころか、オーディオマニアというのは半分オカルトの世界だと思っていたのだ。たとえばケーブルが300万円とかそりゃいったいなんのことだ、というわけである。だから今回のイベントも「あまり興味のない分野だが、まあ出てみるか」くらいの気持ちだった。



しかーし



そろそろ時間です、という頃には「モニタープログラム申込用紙」に一生懸命あれこれ書いていた。「これに金を使わなかったらなんに使うんだ」と考えたのである。


それにはもちろんQ:の音の圧倒的な力(これについては後日書く)によるところもある。しかし中道氏のプレゼンを聞いて「これは買わなきゃ」と思ったのも確かである。


中道氏は当日参加したわれわれにQ:を買ってほしい、あるいは売りつけたいとはカケラも考えていなかっただろう。自分に嘘をつかず、つくりあげたこの製品の音を聞いてほしい、よさを分かってほしい。その気持ちだけが私のような貧乏で音に興味がない人間にも


「モニタープログラム参加しまーす」


と言わせるのだ。あるいは心から自分たちが素晴らしい製品を作っている、という気持ちが伝わってくるプレゼン、という意味ではSteve Jobsのそれにも相通ずるところがあるのかもしれない。


というわけで、肝心の「音がどうだったのか」については以下次号。



挙国一致

2008-10-16 00:00


まずはこの見出しを読もう。


WBC星野監督誕生へ!挙国一致で援護

WBC星野監督誕生へ!挙国一致で援護(野球) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース


「平成の牟田口」再登場。しかも「挙国一致で援護」である。ああ、帝国陸軍。



しかし



「日本の野球」という芸を究めるという意味ではこの人選は適当だと思う。もはや「日本の野球」は「試合の勝ち負け」を超越したレベルにまで達しているのだ。


故障続きで出場はほんのわずか。試合の勝利には何一つ貢献せず、言動は幼稚としかいいようのなに選手に対するこの讃辞。


1日に京セラドーム大阪で行われた、オリックス・清原和博内野手(41)の引退試合で、“盟友”長渕剛(51)が魂の歌で花道を飾った。試合後の引退セレモニーで清原の入場テーマ曲「とんぼ」を生で熱唱。感涙の清原と熱い抱擁を交わした。球場には女優・藤原紀香(37)ら芸能人も駆けつけ、最後を見届けた。

デイリースポーツonline/清原のために…長渕剛「とんぼ」魂の熱唱/芸能・社会


国際試合などという「無粋な」舞台ではそりゃ米国の大学生、2Aにも負けるが、あくまでもBaseballの勝負であって野球の勝負ではない。


ーーー


いや、真面目に。


こうした人選は教育上とてもいいものではないかと思うのだ。


大事なのは「野球の試合に勝つこと」などという表面的なものではなく、「大衆の人気を得ること」でもなく、「力を持っている人間とのコネクション。政治力」これは世間にあまりにも多くみられることではないだろうか。


世の中というのはこうした仕組みでできているんだよ。表面上勝つための努力をするばかりが道じゃないよ、と皆が学べるよい機会ではなかろうか。



個を消すことでなりたつコミュニケーション

2008-10-15 00:00


最近リグレトというサイトをよく見ている。


みんなで「ヘコむ」を楽しもう!というフレーズの通り、弱音を吐き、それに対するなぐさめ、というか言葉を登録できる。


ここで面白いと思うのは、このサイトにおいては、個人を特定するということが徹底的に排除されているという点。


誰が何度弱音を吐いたのかは本人にしかわからない。またなぐさめるのが上手な人がいるのか、そうでないのかも他人にはわからない。


弱音を吐いた人は、なぐさめにたいして「ありがとう」をつけることができる。たくさん「ありがとう」をもらった人は「リグレトの母」(古いか)としてカリスマ化する、、なんてこともない。



しかし考えてみればこれは一種の割り切りだと思う。個を消したがゆえにこのサイトのコミュニケーションは上手に成り立っているのではないか。もし個を(それが仮に匿名であっても)を特定できれば


「いつも同じぐちばかりはいてるね」


とか


「もうちょっと役に立つなぐさめが言えないの?」


とか摩擦が生じることは間違いない。


このサイトは「個」を隠すことにより、そうした摩擦を防いでいる。インターネットならではの面白い試みだと思う。



米国における「芸」の奥深さ

2008-10-14 00:00


毎度毎度痛感することではあるが



D


英語はどうでもよいので、4分あたりからの「オバマの熱唱」を聞いてほしい。


そのあとのマイクを外すところがあるのだが、そこからちゃんとセリフにつながる。ということはこれは吹き替えではなく、このコメディアンが歌っているのだ。



このうまさ!



いつかラスベガスでショーを見たときにも実感したが、これくらの「芸」を持っている人間はごろごろしている、ということなのだろうな。。


もちろん日本にも芸の道でイチローのような人はいるに違いない。しかしこの層の厚さには驚かされる。


ーーー


「洋画」といえば「米国映画」のことであり、なんだかんだ言っても世界中で多くの金を稼いでいる。


この「米国映画」が米国という国のイメージに与える影響は、どれくらいのものになるのだろう。国家安全保障という観点からみて、その効果は無視できないと思う。


ひょっとして、宮崎アニメも同じような役割を(もちろん桁は違うだろうが)になっているのかな?



任天堂はゲームメーカーではない。AppleはAppleだ

2008-10-10 00:00


何度かこのブログでも取り上げたことだが、昨日あるブログを読んでいて合点がいった。


任天堂は捨ててきたのだ。花札を捨ててゲーム会社になったし、今はまたゲームを捨てて、まだ何も呼び方はないけれども、「Wii Fit」といった人に面白さを提供する会社になろうとしている。任天堂をゲーム会社だととらえようとすれば、それは本質を大きく見誤ることになる。

任天堂が勝っている理由はただ一点「宮本システム」にしかない - ハックルベリーに会いに行く


岩田氏は「私は一人のゲーマーです」と言っているが、それにだまされてはいけない。彼にとって「ゲーム」とは面白さ、楽しさを提供する「何か」なのだ。そしてまだそれに呼び名はない。


前にも書いたが、Wii Fitのおかげで、体脂肪率などをはかる健康器具メーカーの売上は大きな打撃を受けたと聞く。今や任天堂が作り出す製品はどの「業界」のどの「製品」の競合になるかわからないのだ。


ではAppleは何の会社だろう?(何でもやっているが、何もできない、という意味ではないよ)彼らがComputerを社名から外したのはその当時の私が認識していたことよりもっと意味のある行動だったのだ。PCメーカーではない。携帯電話メーカーではない。素晴らしいサービス。それを実現するための製品を作り出して利益を上げている会社としかいいようがない。



彼らの前では「業界」などという言葉は意味を持たないのだ。



「業界のジョーシキ」がどうのこうのと言っている間に彼らはどこにでも進んでいく。唯一必要なのは「顧客にこれがほしい。これが楽しい」と思わせること。それだけが彼らのフォーカスである。もちろん企業である以上儲けることとか他にもいろいろあるのだが、それはすべて補助的な要素でしかない。



だから「ソフトウェア業界」のMicrosoftは彼らに勝てない。「家電業界」の日本メーカーも手も足もでない。「自動車業界」の会社は利益だけ生み出しているが、日本の消費者からはそっぽを向かれている。


ーーー


So, what shall I do ?



すごくがんばったのはわかるが。。

2008-10-09 00:00


ニコンは10月7日、ヘッドフォンとウェアラブルディスプレイ、携帯プレーヤーなどが一体化した新製品「UP」(ユー・ピー)を発表した。米Appleの「iTunes+iPod」のように、ハードとソフト、コンテンツを組み合わせた事業モデルを描き、「ネット時代のニコン」の新しいイメージを構築する構えだ。

「ネット時代のニコン」へ ウェアラブル端末「UP」に映像配信 - ITmedia News


こういうものがでてくれないかと願ってはいた。私は皆がうつむき加減になり、親指をせわしなく動かしている姿が嫌いだ。ではどうする?少なくとも見る部分はHMDにできるのではないだろうか。


そこでHMDである。使ってみるとわかるが、あれは一見かっこいいがケーブルがどうしようもなく鬱陶しい。ケーブルをなくすことはできないか?


そう考えれば今回の製品はそこらへんをちゃんとクリアしていることがわかる。すべては頭の上に乗っかっているのだ。あとこれだと人に見られて恥ずかしいコンテンツも街中で見放題だ。いや、私が行っているのは初値ミクのPVのことですよ。


しかーし




Internet Explorer 6.0相当のWebブラウザを搭載し、ネット閲覧も可能だ。



実際にそのインタフェースに触れてみないとわからないが、これには疑問符が付く。ブラウザ搭載しただけでは「ネット閲覧は可能」だろうが誰もやりはしないのだ。今までと機器の形をまったく変えるのなら、その操作インタフェースも新しくしなくちゃ。満足なインタフェースが提供できないなら、割り切らなくちゃ。すっぱりと落とすのだ。


かといって




上位版はモーションセンサーを内蔵し、頭を上下左右に動かすことで音量コントロールなどが行える。



も使ってみないとわからないが、ちゃんと作らないととても鬱陶しい、カタログ上だけの機能になってしまうよ、と他人事ながら危惧する。



もうひとつ議論があっただろうと思うことは、ハード、ソフト、コンテンツすべてを自前で供給しようとしている点だ。


これをやりたい気持ちはとてもよくわかる。ハードだけ供給していても未来はない。特にコンテンツ、それにその流通を押さえなくてはだめなのだ。。


しかーし


ニコンという会社にそれを行うだけの力はあるのだろうか?いやAppleがオンラインの音楽ストアを開くと聞いた時も「なんのことだ」と思ったことを思い返せば、2年後には



「大変失礼いたしました」


となっているかもしれない。


しかし今の「予想」はこうだ。ニコンがこのような勇気あるチャレンジをしたことは賞賛に値する。しかしこれから試されるのはそれが


「やりたいこと、できることを並べてみました」


ではなく


「本気で素晴らしいものを作りました」


と言い切れるだけの覚悟を持って作られたサービスか否かという点だと。



映画評-ウォンテッド

2008-10-08 00:00


ネタがない雨の日は本家から改変しつつ引用、、、というかそこまでしないのであった。


<見る前>


「またまた出ました。平凡な僕にある日突然謎の組織から誘いが。そして車が走り弾丸が飛び交い美女がでてきてドンパチドンパチ」だろう。



<見たあと>


get the control of your life. しなければならない事をしている限り殴られ続けるだけ。したい事をするのがControl of your lifeか。自分が何者かを定義するのは所詮自分だ。ふってきたようなうまい話が自分を変えてくれるなんてことはあり得ない。やっぱり自分で努力しなくちゃ、とか映画の帰り道にあれこれ考える。


他の人はどんな感想を持ったのかな。Rotten Tomatoesのこの感想などよいなあ。



"How can a movie about assassins be so... inspiring?"


暗殺団の映画なのに何故こんなに、、考えさせるんだろう?




"What we've got here is the ultraviolent version of Harry Potter."


これは超バイオレンスバージョンのハリー・ポッターだ。


ーーーーー


主人公は無一文になったところから、自分の身につけた技量を使い自分の道を歩きだす。


自分の道を歩き出す。



副大統領のディベートを見て思ったこと

2008-10-07 00:00


就業時間中だったので、音を消してみていた。したがって彼と彼女の表情しかわからなかったのだが。


ペイリンが「有事の際の大統領にふさわしいか」と問われれば多くの人が戸惑うのではなかろうか。好感と安心、信頼感は別の話だ。最高司令官としてはヒラリーのほうがはるかに好ましく思える。あの顔を見るのはいやだけどね。


先日レーガンに関するドキュメンタリーを見た。彼は圧倒的な指示で再選されたわけだが、そのときすでにアルツハイマーの症状が始まっていたと。ディベートで質問に対して立ち往生する場面が全米放映されたのだ。


それでもそのあとにでてきたユーモアあふれるコメントは、レーガンに投票したい、と思っていた米国人にアピールするのに十分だったと。


とはいえ、病状は進行し、彼は大統領の執務に関心を抱かなくなっていったという。それでも優秀なスタッフがいれば国はまわるものだ。



同じように考えれば、仮にペイリンが大統領になっても米国は沈没しない、、、かもしれない。問題はアルツハイマーの大統領は側近のいいなりになるだけだが、下手に騒ぐ大統領はそれより始末が悪い、ということだ。


ーーーー


などと隣国の政治状況についてあれこれ考えていてもしかたがない。このディベートで一番印象的な場面はディベート終了直後にあった。


それまで論戦を交わしていた両者が握手をする。そこまでは予想通りだった。そのあと両方の家族がわらわらと壇上に上がりお互い握手を交わしたりハグしたりとにこやかな交流が続いたのだ。



こういう光景はいいよなあと思う。それまでキーキー言い合ったとしても、それはあくまでも「ディベート」というリングの範疇でしかない。主義主張は異なっていていもそれが終われば家族を含めてみんなで談笑。こんな光景が、たとえば「衆議院予算委員会後の質疑後」に起こるとはとても思えない。



というか日本の政治屋の通念からすれば、こんなことは許されないと思う。徹底抗戦といったからには家族も含めて握手などしてはいかんのだ。でもねえ。論戦は論戦。プライベートな家族は家族。そういう風に割り切ってこそ何がなんでも


「皇国の興廃この一戦にあり」


という余裕のなさから解き放たれるのではなかろうか、と。



CEATEC2008を少しだけ見て回った

2008-10-06 00:00


コンパニオンの群れ、特に彼女たちの職業的な笑顔に恐怖感を感じる私だが、CEATECに少しだけ行ってあちこち見た。


Microsoftのブースではものすごい行列ができていた。何かのプレゼントがあったのかな?それ以外で人がたかっていたのは村田製作所のブースだった。


毎年話題を集めている村田製作所の「ロボット」。今年は、自転車上手の人気キャラ「ムラタセイサク君」に続き、一輪車ロボット「ムラタセイコちゃん」が登場した。セイサク君を前座に追いやった“アイドルロボット”の華麗な一輪車さばきを、ご覧あれ。

CEATEC JAPAN 2008:「ムラタセイコ」ちゃん、CEATECのアイドルに - ITmedia 製品NAVI


仮に「ブースへの集客」だけを考えるのであれば、配るグッズやコンパニオンに払う給料や内装に金をかけるのはどう考えても馬鹿げている。ムラタセイコちゃんに集まる人の数はものすごい。そしてそれは、CEATECでほとんど唯一「新しいもの」と思えるものであるために他ならない。


私の考えでは世界は「新しいもの。新しい方向性を感じさせてくれるもの」に飢えていると思う。液晶が薄くなっただの、携帯が二つに分かれただの、今までの線を延長する話には飽き飽きしている。


話は少し飛ぶが、小泉元首相に日本人の支持が集まった現象に似ているのではないかと思う。とにかく郵政民営化と叫び続ける変人に日本人は「今までの政治屋とは違う何か」を見たのだ。であるから彼が何を目指しているかを理解する前に指示をした。(政治家の人気とはそんなものだ。レーガンなんかアルツハイマーの初期状態でありながら、圧倒的な指示で再選された)



私はそういうものを作りたいし、作れると思っている。階層メニューのユーザビリティを向上させましたではない。適当に選んでいくうちになんとかなる。階層を持たないインタフェース。そういうものを作りたいし作れる。対象となる選択肢が1000を超えていても、適当に見続け満足できる。メニューという言葉をどこにも出さないインタフェース。そうしたものを作りたいし作ることができる。


「何かないかな」という漠然とした目的だけをもっているユーザがなんとなく使ってなんとなく満足できる。そういうものを作りたいし、作ることができる。



問題は



村田製作所に集まった人の数が売り上げに関連しないのと同じように、「ネタへの飢餓感」を金に結び付ける方法がわからないことだ。


だから「社内で合理的な議論」を重ねていくと、いままでの線を延ばす製品しか生まれないことになる。今までの政治屋の行動を延長することしかできなくなる。


どこかに出口はないか、と考えじたばたしているのが最近の私である。



米国の副大統領になろうとすること

2008-10-03 00:00


なぜか今回は大統領候補のディベートより注目を集めている副大統領候補のディベートまであと3時間弱。


いつも思うことだが、米国の大統領というのは、実質的に「世界に影響を及ぼす大統領」でもある。そして副大統領は、大統領に万一のことがあればその大統領になる人間である。


したがって中東から、パキスタンから、北朝鮮から、ベネズエラからグルジア(英語で聞くとジョージアだが)から何を聞かれてもそれなりの答えをしなくてはならない。ついこないだまで、アラスカのことだけに集中していればよかった立場から数週間でディベートまでさせられる、というのは実に大変だろう。子供の世話もあるしね。


ここ数日ペイリンは缶詰になって特訓を受けていたとのことだが、それでもカバーできないエリアというのは絶対に存在するだろう。そこを突かれたときの受け答えの仕方というのもきっと習っているのだろうか。困ったときには原則論かな。


「話し合いを通じて平和的な解決を目指すことが望ましいと考えます」


とか。あるいはミス・アメリカを扱った映画デンジャラス・ビューティーのように



なんでもWorld Peaceでごまかすことか。いや、日本の政治屋はこれでよくても米国の副大統領候補はこれではすまないような気がする。


さて、結果に注目である。そういえば日本の総理も変わったんだっけ?



文は人なり

2008-10-02 00:00


よく聞く言葉にはそれだけの正当性があると思ってはいる。しかし中にはどうしても同意しかねるものもありたとえば


「天は二物を与えず」



いや、持っている人は二物も三物ももってるんですけど。世の中には「才色兼備の姉妹」が結構存在しているように思う。


それと同じくらい信用していないのが


「文は人なり」


である。



ブログでもサイトでもそうなのだが、書いた文を読んでいると


「をを、なかなか立派な人ではないか」


と思う。ところが合ってみると、これはどうしたとこか、と思うことはよくある。というか最近は「文と人は違う」と最初から心構えをして会うことにしている。


これにはいくつか理由があると思う。まず人間は自分の都合のよいように妄想を膨らせる傾向があること。そしていったん妄想が作られてしまうと、仮に相手がその妄想と合致しないことを書いても目に入らなくなること。カエサルが喝破したとおり、人間は自分に都合のよい「現実」しかみないものなのだ。


そしてもうひとつ大きな要素は、文は基本的に一方通行であること。もちろん現実からのフィードバックを受け入れなければ多くの場合人をうならせる文はかけないと思うのだが、それでも実際に人間として対話している時ほどの双方向性は要求されない。つまり


「人の話を聞かず、自分のことばかりしゃべる人」


でも文の上ではなかなか「良い人」に見えるかもしれないのだ。


ーーー


なぜこんなことを書きだしたかといえば、カエサルの「ガリア戦記」をちょっと読んだからである。キケロの言葉にもあるが、装飾を脱ぎ捨てた裸体の文章がこれほどまでに人を引き付ける、というのは実に興味深いことだ。



カエサルに「文は人なり」が適用できるかどうかはしらない。どちらにしても大昔にしんでしまった人なので、私にとって確かめようはない。



映画評-アイアンマン

2008-10-01 00:00


例によってネタがないときは、本家から改変しつつ転載。


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基本的に米国映画によくある「ヒーロー物」であり「どっかん一発ハッピーエンド」ではある。とはいえ2008年夏に「スピードレーサー」を軽く吹き飛ばしたのだから、ただそれだけの映画でもない。


軍需企業の総帥、ロバートダウニーJr.がアフガンの「無国籍ゲリラ」に捕らえられる。お前の会社の兵器を作れと言われるが、作り上げたのはパワードスーツだった。なんとか帰国した彼を待っていたのは、、、、


最初設定を聞き「軍需企業の総帥がスーパーヒーローになる?そんなんで映画になるのか」と思った。しかし例えばゲリラを「イスラム原理主義者」ではなく、無国籍にするとかそこらへんをうまくかわしている。


ま たロバートダウニーJr.がなかなか興味深い演技を見せる。最初は「しわの多い顔だなあ」と思ったが、そのうちなかなかハンサムで奥深い顔と思え てくる。時々「はっ」とさせられる子供のような表情をする。観ていて飽きる事がない。


彼を支える「地味な秘書」は結構いいなあ、誰だろうと思っていたらグウィネス・パルトロウだった。地味に徹した服装が妙にマッチしている。結局ダウニーとはキスすらし ないところもなかなかよろしい。


などと良い点を挙げていくと、やはり筋の薄さが残念になってくる。元がヒーロー物だからあまり期待していないとはいえ。特に後半。決着のつきかたも「どっかん」でおしまいか、と少し残念になる。それだけ登場人物の演技が面白かったということなのだが。


エンドロールが始まるところで「エンドク レジットの後にもシーンがあります」と字幕がでる。確かにエンドロール観ながら余韻に浸るような映画でもない。さて何がでてくるかと思えば堂々た る「続編の宣言」だった。よくある「ちょっとだけ続編に未練を見せてみました」どころの話ではない。これで続編作らなければ詐欺だが、さて自作はMore Better になるだろうか。出演者の演技力に見合った脚本にしてほしいものだが。


ーーー


ロバート・ダウニー・Jrはドラッグで何度か逮捕されているようだが、この映画を見る限り復活する理由がわかる気がする。人づてに聞いた話だが、彼がドラッグ問題でAlly McBealを降板し際、誰かがこうコメントしたそうだ。


「社会は彼を必要としている」


この映画での演技を見る限り確かにそうだ、と考えざるを得ない。芸人はただその「芸」で評価されるべきだ。良い人だったりする必要はない。


それとは対極にあるのが、日本のプロ野球。


1死1塁の場面で投手はマイケル。真っすぐを2球続けてカウント1-1となった後、カットボール連投で連続の空振りを奪われた。「あと数打席で辞めていく人間に後ろから切りつけるようなもん。こっちはセコイヒットを打とうなんて思ってない。がっかりです」と無念の表情。

痛いニュース(ノ∀`):清原「今のオレに変化球投げるなんて、辞めていく人間に後ろから切りつけるようなもん。がっかり」


本来の「芸」であるべきプレーで見せられないのだから、こういう奇妙な観点の芸を持ち出す、というのもまあわからないではない。驚くのはこの選手の引退試合が大入り満員ということ。


日本のプロ野球にはこうした本来の「芸」以外の観点が満ち溢れている。


いうまでもなく、日本シリーズにもっとも多く出場してもっとも多く勝ったのは、川上哲治監督で11勝0敗だ。森祗晶監督が6勝2敗でそれに次ぐ。しかし、彼らの野球は“管理野球”といわれ、勝てば勝つほど面白くないと批判されてきたのである。3勝1敗の広岡達朗監督なども、その中に含めてもいいかもしれない。そしてその反対の監督たち、現役時代にスターだったという理由だけで監督になり、奇妙な采配をして奇妙な負け方をする奇妙な監督たちが持ち上げられてきた。

[スポーツの正しい見方


その結果本来の「芸」はアメリカの2A,大学生チームに完敗するまでに退化してしまった。


こう書いてみると、関東軍に対して誰かが評した言葉


「うわべの見せかけばかりにこだわり、戦力としては中国軍以下」


を思い出す。


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今のプロ野球に、ロバート・ダウニー・Jrのような才能があれば、それはMLBに行ってしまう。今日本の映画界にロバート・ダウニー・Jrのような役者がいるか、と問われれば、、いるんですか?それよりもTVスポンサー受けするとか事務所の力が強い方が重要ですか?