政治家に求められるもの

2020-10-08 06:42

政治家に何を求めるのか?清廉さとか真実を語ることとかまあいろいろなものがあろう。バーに行くのはけしからんとかとかく我が国ではいろいろなことを論うのが好きである。うちの奥様は以下のエピソードをうれしそうに語っていた。

菅義偉首相がトランプ米大統領夫妻の新型コロナウイルス感染を受け、ツイッターに投稿したお見舞いメッセージに対し、7日の自民党外交部会で「英文のレベルが低すぎる」と苦言が相次いだ。

引用元:菅首相のツイート、自民から苦言 「英文のレベル低すぎる」 | 共同通信

下手な英文の方が、外務省の役人に丸投げして書かせたものでないことがわかっていいと思うのだが、とにかく我が国ではこうしたことに目くじらを立てる人が多い。

さて

では太平洋を挟んだ彼の国ではどうだろう?

アメリカのトランプ大統領が新型コロナウイルスについてソーシャルメディアに「インフルエンザほど致命的なものではない」と投稿し、フェイスブックは誤った情報だとして削除しました。

引用元:フェイスブック “誤った情報”とトランプ大統領の投稿を削除 | IT・ネット | NHKニュース

英語が稚拙とかそういうレベルではない。国家元首が明らかに誤った情報をSNSで発信しているのだ。無茶苦茶である。

しかも

アメリカの有権者の半数近くはこの人間を支持している。

となるとだ

そもそも政治家に求められるものはなんなのか?がわからなくなってくる。私は個人で稼いか金をどう使うとか、多少の失言とかどうでもいいと思う。これもよく言われることだが、スターリンもヒトラーも個人の生活は質素そのものだったという。スターリンは側近と馬鹿騒ぎをするだけ問題があったか。

じゃあ彼らは偉大な政治家だったのか?いや、別にトランプが偉大な政治家だといっているのではないよ。あと数ヶ月の間に核戦争を起こさない、という条件つきでだが。


ブロック経済再び

2020-10-05 10:09

コロナである。日本はそれなりに「高値安定」の状況だが欧米の状況はあまり芳しくない。一時は再開された映画館も再び前面封鎖の可能性が囁かれている。

この状況において映画産業はどのように生き残るべきか?ディズニーの映画ムーラン はその一つの試みだった。

ディズニーによる実写映画『ムーラン』が、米国のDisney+にて、収入2億6,000万ドル(約272億円)を超える大ヒットとなっていることがわかった。米Yahoo!が報じている。

当初2020年4月17日に公開予定だった『ムーラン』は、度重なる公開延期を経たのちに劇場公開を断念。2020年9月4日から、Disney+のサービスが展開されている国と地域では「プレミアアクセス」として独占配信されている。価格は日本では2,980円(税抜)、米国などでは29.99ドルだ。

米国の調査会社7PARK DATAによると、9月12日までに、米国のDisney+会員の29%近くが『ムーラン』を視聴。

引用元:『ムーラン』米Disney+で大ヒット、収入270億円超え ─ コロナ禍で劇場公開断念、配信リリースの功罪は | THE RIVER

ムーラン は映画館で公開せず、Disneyだけのオンライン配信サービスDesiney+で配信。しかも追加料金2980円である。普通の映画館なら1900円で見られるのに。

誰がこんなもの観るのか?と私などは思った。しかし結果をみればDisney大勝利である。Disney+の会員はなんと3割が三千円払ってムーラン を見たのだ。しかもこの収入は全てDisneyにはいる。映画館と分ける必要はない。ちなみに映画館での成績はどうだったかと言うと

『Mulan』は海外市場で6440万ドル、Top5市場は中国(40Mドル)、中東(5.8Mドル)、ロシア(4.4Mドル)、タイ(2.8Mドル)、台湾(2.4Mドル)となっています。厳しい数字です

引用元:元編集長の映画便りさんはTwitterを使っています

このようにあまり芳しくない。ここから重要な教訓が得られる。DisneyはDisney+に毎月金をはらうようなDisneyに依存した人間だけに映画を公開した方が儲かる。一般向けに宣伝費をかけ予告編を上映し、チラシをおくよりはるかに効率がよい。

Disneyの内部にいるMBA取得者が「ブロック経済」の復活を唱えても驚かない。

ブロック経済(ブロックけいざい、英語: bloc economy)とは、世界恐慌後にイギリス連邦やフランスなどの植民地又は同じ通貨圏を持つ国が、植民地を「ブロック」として、特恵関税を設定するための関税同盟を結び、第三国に対し高率関税や貿易協定などの関税障壁を張り巡らせて、或いは通商条約の破棄を行って、他のブロックへ需要が漏れ出さないようにすることで、経済保護した状態の経済体制。

引用元:ブロック経済 - Wikipedia

ちなみに私の考えでは日本のプロ野球もこの状態だと思う。今や私の子供たちは野球のルールをしらないし球団も知らない。しかし熱心なファンは存在しており、その人たちは球場にきてお金をたくさん落とす。高校野球というプロの下部組織も含め閉じた経済圏での商売がうまく回っている。

Disneyも今後映画の一般公開を取りやめ、より収益性の高いDisney+での配信に全面的に切り替えたところで私は驚かない。Disneyというのはそうした排他的、独善的なメンタリティを持つ企業だ。少なくとも最近の彼らの作品を見る限りそう思える。過去のアニメーション作品をどんどん「実写化」し、Disney+で配信。それで大儲け。Disneyはコロナという不況をブロック経済で乗り切りました、と将来のビジネス書に書かれるようになる、、、のかな?

この方法の弱点は、プロ野球と同じでいずれブロック経済の中身が縮小していく、というところにある。しかし一定数のマニアを捕まえることさえできれば、持続可能なビジネスモデルになる、、、のか?



多様性への信仰

2020-10-02 07:28

今回の文章は年内公開を目指して鋭意執筆中の「デザイン思考ではなくアート思考を推す理由」の原稿から。

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例えば「デザイン思考」ではこういうことがよく言われる。
「デザイン思考を実践するメンバーには多様性が必要である」そしてよく以下の図が引用される。

多様性の効果

この図を引用したWebページの文章を以下引用する。

SDMでも20代から60代までの年代の人が集い、ビジネス経験のある方はその業界がメーカー、サービス業、シンクタンク、金融、建築、マスコミ、コンサル、省庁、教育、経営者だったりと多岐にわたっています。医者の方や、お笑い芸人の方もいらっしゃいますね。また国内外の大学問わずに連携を強め、院生は海外の教授のもとで研究を行う人もいるほどです。いろんな人が一緒になって学ぶという、非常に楽しく刺激的な場ができています。こうした多様性が新しさを生むんですね。でも大事なのは、多様性のある人が集まるほど意見も幅が広く、受け入れられる余地もあるということです。

引用元:【第3回イベントレポート】「イノベーションを起こすために必要な学びとは」慶應SDM 前野隆司氏 – 一般社団法人21世紀学び研究所 – OS21プログラム

多彩なバックグラウンドを持つ人間が一緒に楽しく頑張ればイノベーションが生まれます!と慶應大学の教授が言っている。

いつも思うのだが、こういう人は「イノベーションを生む(はずの)方法」については語ってくれるが、自分たちが実際に生み出したイノベーションについては語ってくれない。ここで前野教授は「多様性が新しさを生む」と楽観的に言い切っている。

すごい。じゃあいろいろな部門から人を集めてブレストをしよう!と「デザイン思考」を売りたい立場の人-私の考えでは前野氏はその一人だ-は主張する。私はそういう主張を聞くたび

「じゃあうちの近くにある保育園と老人ホームから人をつれていきましょう。多様性に富む人を集めればイノベーションが起こるんでしょ?」

と心の中でつぶやく。

かけてもいいがそう主張する人の多くはこの図の元ネタ-論文を読んでいないと思う。(実は私が見つけられたのもその要約版だが)図を説明抜きに読めば、チームメンバーが異なるフィールドから来ている場合、平均してアウトウプットの質は落ちる。しかしごくまれにすばらしいアイディアがでることがある。

では「すばらしいアイディア」とは何か?元論文で挙げられているのは「行動経済学」。古典的な経済学では人間は合理的に判断し行動するものと想定していた(だからよくみる需要と供給のカーブが交わるところで価格がきまる)心理学者は人間は認知バイアスのために完全に合理的な判断などできないと考える。

この二つの異分野のアイディアを結合することにより人間は合理的な判断をしない場合が多いという前提からスタートする行動経済学が生まれた。そしてこの新たな学問領域はノーベル賞の受賞に輝いた。これは確かに「異なる分野の人間が強調することで生まれた素晴らしいイノベーション」。よしじゃあさっそく近所の老人ホームと保育園に相談に、とはならない。

ではどうすれば成功の確率を上げることができるのか?ここからが肝心なところだ。

(勝手な訳)研究によれば、失敗の確率を減らす方法はそれぞれの専門-それがどれだけ離れていようとも-において「広い」よりも「深い」専門知識を持っている人間を集めることである。そうした専門家は分野を超えて協力するのに消極的なことが多い。しかし創造的シナジーの可能性に気が付くことができる人たちでもある。なぜならそれぞれの分野が立脚している仮定や現象についてよく理解しているからだ。

Another way to reduce the chance of failures, my research suggests, is to bring together people with deep, rather than broad, expertise in their respective disciplines—no matter how distantly related their fields. Such experts are often the most reluctant to collaborate across disciplines, but they’re also the most capable of seeing potentially valuable creative synergies between fields because of their thorough understanding of the assumptions and phenomena in their areas of expertise.

引用元:Perfecting Cross-Pollination

世の中にはたくさんの「専門家」がいる。しかしそれぞれの分野について深く知っているともに、「そもそも自分の専門分野ってどんなもの?」と他人に対して平易に説明ができる人は滅多にいない。しかし異分野の人間を集めて創造的な力を発揮させるためには、そうした自分野に対する深い知識、客観的な視点が必要とされるのだ。

先ほどの「行動経済学」を(勝手に想像して)例に取ろう。凡庸なそれぞれの分野の研究者は
「ああそうですか。(心の中で:なんなんだこいつらは)」
でおしまいである。

そもそも(古典的)経済学とはどういう仮定に立脚しているか。それゆえの限界はないのか。そうした問題意識を普段から持っている「専門家」だけが「心理学」との協力から新しい可能性を見出すことができる。

そうした「事実」を抜きにしてグラフだけ引用し

「多様性があればイノベーションが生まれます!」

と主張する態度は不誠実だと思う。雑多な人間を集めた集団を日本語では「烏合の衆」と呼ぶ。烏合の衆からイノベーションが生まれる?私はそんな意見には賛成しない。

多様なバックグラウンドを持った人との議論は確かに楽しく、かつ有益な場合がある。しかしそれには条件がつく。Flemingが主張したように、そうした人たちが自分の専門分野に深く精通しており、かつその分野のどこに限界があり、どういう仮定に立脚しているかまで考えが及ぶ人でなければならない。それでこそ異なる分野の専門家から学び、新しい着想を得ることができるのだ。