文明の進歩は家事をする時間の削減には役立ったが、、

2009-12-28 07:21

というわけでまとまらない考えだが、一度文字にしてみようのコーナー。きっかけはこのつぶやきである。

白物家電は人間の余暇時間をつくりだすもの。黒物家電はその余暇時間を使うもの。

via: Twitter / Keita Watanabe: 白物家電は人間の余暇時間をつくりだすもの。黒物家電は ...

業務効率化とか使いづらい点の解消といった"負の値を0まで戻すこと"については測定も容易だし、そもそも何をすればよいか見えている。しかし問題はその先だ。どうすれば楽しく豊かになるのか。皮肉なことだが"負を0にする"だけでは楽しく豊かにはならない。

たとえばこういうことだ。私が会社に入った時は、すべてシャープペンシルを使い手で文字を書いていた。グラフのプロットもすべて手書きであった。今から考えれば無駄な休日出勤をたくさんやった。そのあとゴミのようなワープロソフトが来た。印刷時に黒いぼつぼつがでるので、それを白インクで消すためにまた残業をした。

今はそんな苦労とは無縁になっている。PCで文字をうつことは当たり前になり、メモを相手にとどけるため、わざわざ社内便の封筒に宛名をかき、送信箱におくなんてこともない。

じゃあそれだけ会社の労働時間が削減されたか、といえば反対である。iPhone+exchangeのおかげでどこでもメールを読むことができる。おかげでこの週末は10%くらい憂鬱な気分ですごした。そして結局のところ

"長時間残業=真剣に仕事をやっている"

というメンタリティは変化することなく、早寝早起きの人間に向けられる視線は冷たい。

振り返って家事についていえば、ものすごく効率化された。私が子供のころは洗濯板がまだ存在していたと思うが、いまやタイマー起動で起きた時には選択ができあがっている。冷凍食品+電子レンジのおかげで奥さまは自由に調理をバイパスできる(さらにいえば、旦那に弁当を買わせるという手段も存在する)そういえば窓ふきは効率化がなされていない分野だが、そこは旦那にやらせればよい。

かくして奥さまは自由に自分の時間を楽しみそのうえで"あたしには自由時間がない"と旦那をなじることができる。だんだん家庭生活の愚痴のようになってきたので話題を変えよう。

問題は

無駄な時間を省いたことがはたして幸せにつながっているのだろうか、ということである。前にも書いたが、私は満州と日本を往復する途中の軍人の気持ちについて考えることがあるのだ。その間はどうやっても仕事はできない。きっとのんびりした時間をすごしていたに違いないと思う。かたや私は新幹線のなかで寝るか仕事をするかどちらかしかない。

冒頭引用した言葉について"白物家電は余暇時間を作りだすもの"には賛成だが、その時間をどうするかについてどうすればよいのだろう。ふと気がつけば2chを眺めていたり、電子の仮想ブロックを消すことに熱中したりしておよそ

"楽しく豊かに"

なったとは言い難い。

ではどうすれば"楽しく豊かに"なれるというのか。

この

"0から+にする"

というところには単一の正解がない。おまけに人によって方向も異なる。したがって独善的な仮説を置くしかない、と考えている。

今持っているのは

"知見を広げる、気づきを得る"

ことは生活を楽しく、豊かにすることにつながるという仮説だ。自分が知らなかったこと。知っているつもりで知らなかったことに気がつくことは、生活を豊かにする、楽しくする、と仮定するのだ。

ではそのために何ができるのか。どのようなものがあるべきか。

というように考えるとたとえば"生活の中に存在するロボット"についてもいくつかアイディアがわいてくる。

たとえば洗濯物を畳むロボット、窓を拭いてくれるロボット。これらは"作業効率化、代行"のためのロボットである。いずれも"負を0にする"ためのロボットだ。

しかし

これらとは全く異なったロボットがあってもいいと思うのだ。

前にも引用したが再度引用しておく。

ロボットは家電ではないのである。たまに冷えなくなる冷蔵庫やごみを吸引しない掃除機を許容できる人間はいないが、メイドロボについては別だ。ひょっとして、ロボット工学者たちはその認識が甘いのではないだろうか。むしろ、メイドロボがたまにコケたりする機能は必要不可欠であるというのが多くの人にとっての共通認識であり、ロボット工学者は完璧を求めるのではなく、できれば気楽な気持ちで開発を進めていただきたい。

via: エレメンタルノート バックナンバー(141~160)

0を+にする。メイドロボットは何もできなくてもよい。ドジっこでいいのである。さらに付け加えれば

ニュースなどで表情を変えて感情を表現するロボットが紹介されていたりするが、見るたびに不気味である。擬似的な感情を求めるのだったら、ペットを飼えばいい。むしろ、ロボットの醍醐味は抑制された感情(および、そこから何らかの感情を読み取る人間の妄想力)にあり、感情が豊かなロボットがかえってうざったく感じるのは以下の検索結果を見ても明らかである。

via: エレメンタルノート バックナンバー(141~160)

人間のリアルな顔を作っている研究者には彼らの言い分があるのだろうが、平たく言えばロバートゼメキスと同じ間違いをしているとしか思えない。平たく言えば人間というものに対する認識が甘いと思う。

↑の文章で指摘されているとおり、どう人工物があがいたところで、受け取り手の妄想力を上回ることなどできはしない。必要なのは感情を表現したり、作り上げたりすることではない。受け取り手の妄想を引き出すことなのだ。

何だそれは、と言われればフェルメールの絵画がなぜこれほどまでに人々の関心を呼ぶか考えてみればよい。あるいはバッハの音楽あるいは古典派の音楽がその抽象的構造からどのように人々の感情をゆさぶるかを(以下32行省略)

したがって

私が考える"0を+にする"ロボットの一つの形態は、その行為、行動によって人間に気づき、あるいは発見を与えるロボットだ。そのために具体的な要素は少なければ少ないほどよい。そのほうが人間は妄想を働かせる余地があるからだ。

役に立たないロボット、しかしそれが目の端にちらちらすることにより何かを感じさせ、考えさせることができればそれは生活を豊かにすることにつながらないか?

-------------------------------
などと何を力説しているのだ>自分

しかしあれですね。このブログというのはすばらしい。こんなことを実生活でいえば頭がくるっているか、あるいはうっとうしい奴と思われるわけだが、ブログに書けばだれにも迷惑はかけない。なんだこれ、と思えば"戻る"ボタンを押せばいいだけだ。


映画評:カールじいさんの空飛ぶ家

2009-12-25 07:20

ううう。本家から転載

--------------
私はアニメーションの作画だのなんだのには関心をよせない人間だが、この映画の映像表現には素直に驚いた。やたらと空をとぶのだ が、下を見下ろしたとき、思わず◯◯が縮んだ。人間の顔も、デフォルメされているにもかかわらずとてもリアルだ。人間の顔をキャプチャすることに命をかけ ている某監督はこの映画を100回みて出直 すとよい。

すべての登場人物がとても生き生きとしている。特に印象深かったのは犬だ。しかられてしょんぼりと立ち去る後ろ姿。喜んで飛びついてく るところ。こう文字で書いてもなんのことかわからないだろうが

あと子供だけでなく大人も最後まで笑い声をあげていたのにも驚いた。子どもが笑うツボというのは確かに存在し、私などが寝かかっている 映画でも、そ のツボが登場すれば子供は笑う。しかしこの映画では大人も思わず吹き出すようなシーンがいくつかあった。というように構成要素には大いに驚かされたのだ が。

冒 険家にあこがれる少年が、廃屋で少女と出会う。そこから二人が結婚し、、、今や老人となった少年がひとりで家に座っているところまでが一切セリフなしで映 し出される。このシーケンスは見事(大人がちゃんと意味を読み取ると、結構つらいのだけど)立ち退きを命ぜられた老人は家ごと"伝説の滝"を目指 す。

2/3くらいまでは"これはどうなってしまうのか"とずっとわくわくさせる素晴らしいストーリーだった。しかし"悪役"がはっき りしてしまってからはは普通のハリウッド映画のようでがっかりした。いや、つまらないというわけではなないのだよ。それまでがあんまりわくわくだったもの だか ら"普通の悪役退治"に失望しただけで。

というわけで満点から少し割り引いてこの値段にするわけだが。

ここで話は少しそれる

今年のアカデミー賞でこの映画とぶつかるであろうポ ニョと の比較は興味深い。かたや3Dでかたやクラシックな手描きの絵で映像表現を極めようとしている。かたやハリウッド流の正統なストーリーを磨き極めようと し、かたやロジックだの思惑だのふっとばして監督個人の妄想全開ストーリーを作る。方向性の異なる二つのアプローチがそれぞれ花開かせるのを見 ることができるのは幸せなことだ。

-------------------------------------

この映画の中ではじいさんのひげが少しずつ伸びていく。それを含め細かい映像の表現には本当に驚かされた。犬もかわいいし。犬を飼っている方にもお勧めの映画です。


audiは侮れない

2009-12-24 07:18

創業100年高級車はやることが違います。

2010年に発売される新型アウディA8のカーナビはなんとグーグルアース採用。グーグルマップじゃないですよ、アースですよ、アース。

via: グーグルアースがカーナビに! 新型Audi A8が世界初採用 : Gizmodo Japan(ギズモード・ジャパン), ガジェット情報満載ブログ

こうでなければならない、と多くの人が数年前に考えたはずだ。しかしそれを本当に製品にするというのはすごい。

BMWがiドライブというハプティクコントローラーを出した。そのあとaudiも同じようなことローラーを出したのだが、両方使った人によるとaudiのほうがよくできているという。

その数年後に...

というわけで今回のGoogle Earthである。知っている人も多いと思うが、今のカーナビにはばかげた値段付けがされている。そのうえ地図交換でもさらに金をとられる。結局誰も地図をアップデートなどせず、車は空を飛び続ける。

そんな問題もこれでおしまいだ。いいなあ。こういう製品を作りたいなあ。


Wiiの間

2009-12-22 06:59

というものがある。ネットにつないだWii上で動画を見ることができる、というものだ。
最初にこの話を聞いた時は

"これでネット配信の動画は決まりか?"

と思ったものだ。なんたってインストール台数は圧倒的だし。無料だし、他の会社に勝ち目はないでしょう。

しかし今のところそういう噂は聞かない。いくつか理由があるのだろうが、私が気付いた点は

"インタフェースが煩雑"

につきる。前にも書いたような気もするし、書いてないかもしれないがとりあえず書いておく。

Wiiのコンテンツ全般に言えることだが、トップのメニューから選んで、なぜもうワンクッションおいてコンテンツが始まるのが理解できない。細かいことだといわれるかもしれないが、こういうつみかさねは大きいよ。

でもって"部屋メタファー"を使った画面に導かれる。私はこの"メタファー"というやつが大嫌いだ。というか"メタファー"をちゃんと使ったものを見たことがないような気がする。

結局お目当ての"動画選択画面"にたどり着くまで何クリックもしなくてはならない。しかしまだ道は遠い。○○の間がいくつもあり、そこを潜り抜けなければならないのだ。

もっと簡単にちらちら見られるようにならんかなあ。全般的に"送り手の都合"が色濃く見えてしまってとても気軽に使うという感じではないのだ。

などと誰も使わない動画インタフェースを提供している人間が書いても説得力ないですね。すいません。


"国民の声"を主語にするとき

2009-12-18 07:03

小沢君の場合は"国民の声"="自分(小沢)の声"という文脈で使っているようだ。

選挙で民主党は大勝した。民主党=自分。Therefore, 自分の声は国民の声である、というロジックなのだろう。

一方鳩山(兄)のほうが"国民の声"というときは、"国民の声"=Not 自分の責任 という意味のようだ。いや、国民の声でございますから公約も硬直的に考えてはいかがなものかと。


少し歴史を思い起こそう。

太平洋戦争前の状況というのはいくら文献を読んでもわからないことが多い。主語がだれだかはっきりしないからだ。軍部独裁といったところで、じゃあ軍部とはだれなのか。細かく見ればその中でも強硬論を吐いていた人が抑えに回ったり、誰がなにやらよくわからん。結局は伊藤正徳いうところの

"率いた者が誰もいなかった"

ということなのだろう。でもって当時世論調査をやれば間違いなく

"米英討つべし"

が圧倒的な支持を得たのではなかろうか。その結果はご存じのとおり。

そこからさかのぼり、日露戦争である。あの時も"国民の声"を聞けば

"賠償金と領土が得られなければ戦争継続"

が圧倒的ではなかったか。しかし当時の政治家は"国民の声"に逆らった。それゆえ悲惨な敗北に陥る前に戦争を終結させることができたのだ。

---------------------
などとつらつら書いたところでなんともならない。実際国民は鳩山君を、小沢君を、そして民主党を支持しているようなのだ。


今朝の妄想

2009-12-17 07:07

NHKでやっていたリーマン予想の番組を途中までみて考えた。

ゼータ関数の0点の間隔を表す式と、原子のほにゃららの間隔を表す式がそっくりの形である、というところで考える。

物理学が必要としている数式が、数学の世界では先行して発見されている、という話がいくつかある、と本で読んだ。

きっと誰かが考えていると思うが、

"類似数式検索エンジン"

とか存在するのだろうか。変数の定義とかは除き、数学的に近い式を探してくる検索エンジンだ。

数学の論文を片っ端から検索すると、

"をを、こんな関係が証明されていたいのか"

と物理学者が喜んだりしないのかな。

妄想なので話はかってに広がり、たとえばポアンカレ予想の証明にペレリマンが用いた数式というか概念がインタラクションシステムに生かせないかと考えたりするわけだが、さすがにこれは妄想の域を出ない。

でもね

妄想でも結構これは興味深い話だと思うのですよ。たとえばインターネット上にあるような全体を把握できないデータに対して、どのような順序で人間に情報を提示すべきなのか。人間の跳躍パターンには何か意味があるのか。それをモデル化する方法は実は数学の世界でとっくに発明されていたりしないのか、とかね。

さて、妄想はこれくらいにして、、


たとえばプレゼンテーション用のシステムを考えるならば

2009-12-15 08:24

そもそもプレゼンテーションとはなんなのか、について考えをめぐらす必要がある。


というわけで今日はつらつらと他のサイトからの引用だけ並べる。

このように、計画の全てを受け入れてもらうことが難しそうな場合、最初から無理に認めさせようとするのではなく、計画を何段階か (フェーズ) に分けた上で、"次の一手の結果を見て判断する" というジャッジに持ち込めないかも検討してみてください。

via: プレゼンを通すために絶対必要な"4つ"のこと - livedoor ディレクターブログ

プレゼンテーションのテクニック(アイコンタクトとか)とは別にはっと思わされた記事。フット・インザ・ドアじゃないけど、とっかかりを低くする、というのは確かに心がけるべき事柄だ。

一般的に、「プレゼン資料を読むだけのプレゼンは駄目」とされますが、私はあえてしゃべりと資料を一致させるよう気をつけておりまして、概ね成功しています。

via: 私が考えるプレゼンを良いものにする「6つの誓い」 - 中小企業診断士 和田伸午のおもしろビジネス放談

書いたことと同じことをしゃべられると理解が妨げられる、という心理学の実験があるのだそうな。それでもこの人は"おおむね成功しています"と主張する。主観はおもしろいものだ。

 もしあなたが何かを「素晴らしい」と思うのなら、それを表現してしまえばいい。聴衆として、われわれは話し手が興奮し、情熱的になり、楽しむことを許している。結局のところ、もし話し手がその話題について情熱的でなければ、どうして聴衆が情熱的になれるというのだろうか。

via: Steve Jobs氏のようにプレゼンテーションをする方法 - builder by ZDNet Japan

これまた根本にかかわる記事。私もこれが一番大事な要素ではないかと思う。仕事では滅多に使うことはないが、裏業務ではこうでなければ発表などしない。

多くの人が勘違いをしているのだが、プレゼンの主役はパワポのスライドではなく、プレゼンをしている本人である。

via: Life is beautiful: スティーブ・ジョブスに学ぶプレゼンのスキル

これも根本にかかわる点。まったく同意。この記事の元エントリーにはこんなことが書かれている。

そんなプレゼンをする際には、相手には出来るだけ私の顔を見て欲しいし、私の話に集中して欲しい。そんな私にとってはプロジェクターは敵以外の何者でもない。プロジェクターのファンのノイズはじゃまだし、薄暗い部屋では相手の表情が読み取れないし、皆で壁の方向を向いていては目と目のコミュニケーションが取れない。

via: Life is beautiful: プレゼン専用、平置き液晶モニター

前にも書いたが最近ではTwitterがプレゼンターの敵になりつつある。仮に話を聞いているにせよ、なぜかみんな下を向いているのだ。

さて、このように"あるべきプレゼンテーションの姿"を考えたとき、それをサポートするシステム、ソフトウェアはどのようにあるべきか?


今月の課題

2009-12-11 07:50

さて、今月の課題です。ICカード専用の改札機と、磁気つき切符をも通せる改札機を区別してユーザに認識させるためにはどのような方式が望ましいでしょう?実際に改札機の前で"しまった。これはICカード専用だった"と戸惑うユーザを観察した上でレポートを作成してください。


という内容をTwitterに書いたが、こちらも同じネタでごまかす。

これはなかなかの難問だと思う。もちろん今でもありとあらゆる表示がなされている。地面には"ICカード専用"という文字がかかれ、頭上には看板がかけられ、改札機自体にも表示がついている。

それでも改札機直前で

"しまったあ。これは切符が通せないタイプのものだった"

と立ちどまるユーザは後を絶たない。なぜか。

ひとつ考えられるのは

"そもそもICカード専用の改札機があることを知らない"

という理由だ。しかし一度痛い目にあっても、何度も同じ目に会う人もいる。であれば他にも理由があるはずだ。

二つ目の理由は

"ユーザが込み合っている場合、ありとあらゆる表示は目に入らない"

というものもある。しかしそれでも注意していれば表示は見えるのかもしれない。
私がもっとも重大、かつ深刻な理由と考えるのは

"通勤時の乗客は何も見ず、何も考えていない"

ではないかと思うのだ。ぼーっとしていて"あや"と驚く。

ではどんなインタフェースが望ましいだろうか?先生にはわからないので、誰か教えてください。


Closer Please

2009-12-10 06:57

↑は、羊たちの沈黙で、レクター博士がクラリスに身分証明書を見せろ、といったときのセリフ。

こんな文章があることを知った。

どんな男性も「チラリズム」が大好きです。見えそうで見えないものがあると反応し、追いかけます。男性誌によくある袋とじ。これもその心理をうまく活用している例です。女性誌にはあまりないですよね。男性を魅了してやまない袋とじですが、実際に開けて見てしまった後はすぐに飽きてしまいます。「なんだ、この程度だったんだ。」と。

ですが、またついだまされて買ってしまいます。それも何度も。女性から見ると「バカじゃないの」と思うかもしれませんが、これが男性特有の心理なのです。

via: 「もっと知りたい」と思われる女性になる(織田隼人) | オトメスゴレン

フェルメールの絵画に私が興味をひかれる理由もこれに近いのだと思う。真珠の耳飾りの少女でも、青いターバンの少女でもどちらでもいいのだが、あの絵を思い返そう。

この絵は描かれている人物について何も確たることは語っていない。しかしチラリズムがちゃんと存在している。それゆえ私などは絵画の前で長い間立ちすくむことになる。

私がクラシックと呼ばれる楽曲のうち、古典派、バロックに興味をひかれるのも同じ理由だと考えている。ロマン派以降は説明が多すぎるのだ。必要なのは受け取り手の想像力を刺激することである。

少し前にも書いた気がするが、想像の中の敵ほど強大で強力なものはない。興味を持つことに関しても、想像の世界はほとんどすべての場合において現実を凌駕している。それゆえチラリズムが有効に機能するわけだ。

新しい物の提案であっても、その存在が何か新しいもの、何か新しい世界の可能性を感じさせてくれるとき、多くの人がそれに興味を持つ。提案するものはそのようでありたい。


WISSの今後

2009-12-09 07:19

さて、親愛なるWISSというワークショップである。その特異性故にガラパゴス化が懸念されつつある、、とここ2年参加できなかった立場から無責任に書いてみる。(ちょっと追記しました:12/9 09:15)

独自のチャットシステムを運用しているがゆえに、参加できなかった人間との情報共有ができない。もちろん論文は公開されるのだが、それについてどんな議論がなされたか参加しなかった人間が知る由がない。

最近の楽曲などにも言えることだが、情報そのものへのアクセスは無料もしくは低価格でできるようにして、ライブで金をかせぐ、というのが世の中一般の傾向だと思う。WISSの参加費は決して安くない。しかしチャットのログと論文だけでは得られない価値-参加費と時間に見合う-を提供できる場でなければ所詮存在意義はないのだ。

いや、もちろん"情報公開はしません"と言い切るのも一つのあり方だと思うけどね。

また発表に関してこんなつぶやきもある。

どの研究も手をかけて作ってあるけど、単に自分が歳をとったのか、驚きが少ないな

via: FewZio (fewzio) on Twitter

今年の論文、デモを見る限り私も同感だ。(文句をいうなら自分で出せ、というのはごもっともだが)しかしこれに関していえば

"そもそも驚くような発表は多くない"

というのが事実に近いのだと思う。こうした研究について興味を持ち始めたころは"PC内に人格が存在し、サービスを提案してくれる"という言葉に胸をときめかせる。そのうちそうした研究はほとんどすべて行き詰まりになることを知る。

知識が増えれば、行き詰まりになった道が山ほどあることに気がつく。そして驚きは減る。

しかし

依然として(ほんの時たまではあるが)思いもしなかったような新しい提案、発表は存在するものだと信じたいし、実際時々は存在する。面白いね、だけではすまされないような提案を知りたいと思うし、自分でも出したいと思う。

インタフェース関連の研究というものを調べだしてから、、7年くらいにはなるかな。振り返ってみてそうした研究が実生活にどれくらいの影響を与えたかということを考えるとなかなか興味深い。答えは簡単明瞭で



ほとんど影響を与えていない



ということになる。学会とは離れたところにあるAppleや任天堂、Googleが与えた影響に比べれば、学会のそれはほとんど誤差の範囲だ。

これはどういうことだろうか?

いくつか思いつくまま挙げてみる。

・"立派な論文"というのは行き詰まりの道においてもっとも生成されやすい。なぜならその部分は昔からあるので問題定義について文句を言われることが少ない。先行研究が存在するので新規性も主張しやすい。そして行き詰まりなので、"Probelm solved"と言われることもない。

・前にも述べたことだが、誰もがアクセスできるWeb上に公開されている研究成果の評価は、誰がそれを使っているか、ということでしか測れないと思う。いかに理論整然としていようが、誰も使わないということはそれに実用的な価値がない、ということなのだ(ああ、耳がちぎれるように痛い)

今年の論文賞をとったRerankEverythingについて、複雑な感慨を持つのは私だけだろうか?これって誰が継続して使ってるんでしょうか?こうした問いには意味があるのかないのか。

ちょっと話はずれるが、先日こんな記事を読んだ

世界のユーザー同士で母語を教え合う添削SNS「Lang-8」で世界を狙う25歳社長
この記事を複雑な心境で見ている。

というのは、2007年のNPO法人ETIC.さん主催の
「東京ビジネスアイデアコンテスト」に同じコンセプトで
エントリーしてたから。こういうのあとの祭りで書くの
かっこわるいんだけど。実行したもん勝ちだから。

via: きっと俺はミュージシャン : サービス天国

Webサービスに関していえば、賞だの表彰だのはあまり意味を持っているとは思えない。(きざしさんにいただいたチロルチョコと紅茶は大変ありがたく思っておりますが)

じゃあ多くの人が使っていれば"良い研究"ということなのか、といえばそうとは限らない。そうであれば、Amebaブログに論文賞を挙げなければならないが、そりゃ冗談だろう、ということになる。

先程ヒューマンインタフェースの研究は実生活にほとんど影響を与えていない、と書いた。しかしこれは少しせっかちなものの見方だと思う。

学会、あるいは先駆的なヒューマンインタフェースの研究の意義のうちには

"将来のビジョンをしめす"

というものがあっていいように思うのだ。今は誰もそのニーズに気がついてもいない。しかし実はここにニーズを生み出せるんだよ、こんなことをすればもっと面白くなるんだよ。現状分析からは決して生まれてこないビジョンの提示。これは学会でなければできないことだと思うのだ。

(企業でやると、つぶす圧力が強いからね)あるいは新しく示されたビジョンが行き詰まりになるかもしれない。しかしそれは新しい方向性を示したという価値を認められるべきだ。

五十嵐氏のTeddyはニーズとかシーズとか言う言葉と関係ないところに生まれた素晴らしい研究であり技術である。仮に五十嵐氏が日本の大企業付属の研究所でこれを作ったとしてもまず間違いなくお蔵入りになったと思う。日の目をみず、特許だけ出願され、何十年後かにDysonが商品化したときその特許が表にでてくるのだ。




---------------

などとあれこれ私のようなチンピラに言わせたままでは終わらないのが、WISSのいいところだ。来年のPC委員長は後藤氏。あの"ぼかりす"の後藤氏だ。数少ないTwtterのログによれば彼はこう宣言したという。

一つ目、未来ビジョンを書く。論文末尾に、未来をどう切り開くのか?を書く。 二つ目、パネルディスカッションをする。 三つ目、評価実験は査読の対象外とする。

ううむ。すばらしい。改革とはこれだけの思い切りがあってこそ断行できるもの。この言葉を聞き

"評価実験をしない研究に何の意味がある"

と思う人は他に発表する学会がたくさんある。私のようなヘタレは"来年こそは"と考えるのだ。ええと(ネタ帳をぱらぱらめくる)

後藤氏の改革宣言の意図を反映した論文がどれだけ投稿されるかはわからない。しかし"これならチャレンジしたいかも"と思わせるだけの力が後藤氏の言葉にはある。吹っ飛んだビジョンを持った研究が飛び交う場。それはなかなか素敵ではなかろうか。

しかし仮に論文かけたとしても、出席がなあ。。お客さんからの電話一本ですべて吹っ飛ぶからなあ。。


twitterについて#wiss2009と#webgakkaiを斜め読みしながら考えた

2009-12-07 17:00

というわけで猫も杓子もTwitterである。しかしなんですね。今だにインタフェースをドラスティックに変えたアプリケーションがでてこないのはどうしてなんでしょうかね。

などということはどうでもよい。最近考えたことを断片的に書いていく。

#Wiss2009というハッシュタグがある。WISSというワークショップで付けられたものだ。前にも書いたが今年も参加できなかった。気がつけば3日とも脳死会議が入っていたのだ。

しかたがない。Twitterで#wiss2009でも見ておこう

そう思っていたのだが、情報がほとんど#wiss2009に流れない。これには理由がある。WISSでは会議中にチャットをすることは数年前からデフォルトになっていたのだ。それゆえ参加者の声はすべてそちらに流れ、誰もTwitterに重複投稿などしなかったわけだ。

この"会議中にチャット"というのはWISSが新しい取り組みをしていて面白い、といわれる所以の一つだったのだが、世の中にあっというまに追い越されてしまった。チャットのインタフェース自体毎年新しいものが試されるのだが、結局Time Line的に並ぶものしか残っていかない。

加えて、Twitterの持つ解放性が失われることになった。参加できなかった人間がハッシュタグをたどり、情報を得ることが不可能になったのだ。


というわけで(これはある人の意見の受け売りだが)


twitterをチャットシステムの基盤として用い、外部の人でも最低限の情報は得られるようにする。それに加え、会場参加者(あるいは専用インタフェースを用いた人)にはより面白いインタフェースが提供される、というのが正しいやり方ではなかろうか。

先進性という評判の上に胡坐をかいているうちに時代遅れに、、ならないのがWISSというワークショップの面白いところ。来年のPC委員長は"あの"後藤氏なのだ。後藤氏が最後に熱く語った言葉、それに対して私が何を考えているか(あるいは嘆息したか)はまた別の機会に。




さて日が変わって第一回Web学会である。すばらしい人たちの講演。これにも行けない、、いや、泣いている場合ではない。

こちらは最初からちゃんとハッシュタグが定義されており、かつ"質問はTwitterのみで"という宣言がなされるなどTwitterをコミュニケーションの基盤として扱っている。

結果として、TimeLineにはものすごい数の発言があふれることになった。それを横目で眺めながらこんなことを考えた。


・電源がないのは痛い。。会場の電源容量の問題らしいですが。。

・最初に設定されたのは一つのハッシュタグだけだった。結果として、Time Lineには雑多な発言が混在することになった。

賛否両論あるだろうが、2ch実況の知恵はすばらしいと感じた。つまり最初からスレッドをわけておくのだ。

-猛烈にTsudaるスレ
-web学会マターリ実況スレ
-質問スレ
-アンチMIAUスレ
-重鎮お断り。修士、学部生専用スレ

とかやっておけば、それぞれの人はそれぞれのスレッドで平和に会話や発言を楽しめると思うのだ。

それでもってこんなインタフェースはどうかと考えた。すべての発言にはデフォルトで#webgakkai というタグが付与される。それに加え専用インタフェースを利用した場合はスレッドを分けるキーが付与される。(その分発言短くなるけど気にしない)

このスレッドは誰もが自由に作ったり、統合したりできるようにしておく。いや、統合は物議を醸すから、クライアント操作によって個別に統合できるようにする。

私がTwitterをみていて一番嫌いなのが他人の発言のそのままの繰り返しだ。こんなものは折りたたんでしまう。

誰か作りません?来年のWISS Challengeに出そうと思っている学生さん。

妄想はもう少しひろがる。たとえばスポーツのTV中継などでは、カメラを切り替えたり、解説をいれたり、というのは専門職の仕事だ(腕の見せ所でもある)

Twitterでもそんなことができないかな。無秩序になされる発言を、整理し、おもしろいタイムラインにまとめあげるのだ。その腕が競われることがあったらもっとおもしろい。

・しゃべる側にとって、Tiwtterへの書き込みというのは実に楽しくない。みんな下を向いている。つまらないのか、書き込んでいるのかわからない。(もちろんつまらない可能性が高いのは分かっています)なぜこんなことを書くかといえば、発表者のうち中村さんのこんな書き込みを見つけたからだ。

とりあえず色々詰め込んでみました.少しみんな顔を上げてくれましたが,やっぱり下を見ている人が多く,顔が見えないとプレゼンするの難しいですね

via: Satoshi Nakamura (nakamura) on Twitter

これは#sigwi2で私が発表したときにも感じた。もちろん私の発表がつまらなかった可能性の方が高いのだが。。顔をあげるのと、チャットに打ち込むのを両立するインタフェースってできないかしらね。本来HMDはそういう用途に役立つはずなのだが、、某教授も実際に使っているの見たことないし。


富士ソフトは日本のGoogleである(タイトルは釣りです)

2009-12-07 07:48

なぜそんなことを考えたかといえば、Google日本語入力がリリースされたのをみたからである。

Google日本語入力の辞書はWebから収集したデータだとのこと。それに加え、無料で提供することにより膨大な数のユーザ入力データを集めることができる。それにより精度をさらに向上させることができる。

(追記:この部分は本当ではありません。

入力した文字や文章がGoogle に送信されることはありません。

via: よくある質問 - Google 日本語入力 ヘルプ

つまりGoogleは日本語入力システで金をとろうとせず、そこは無料にし、ユーザのデータを集めることに価値を見出したわけだ。

Googleのサービスん全般に言えることだが、正しく分析すれば、宝の山となるデータが集まっているに違いない。ユーザが検索窓に何を入力するか。その結果何をクリックするか。GoogleMapでどこを見るか等々。つまるところ価値があるのはサービスそれ自体ではなく、それを提供することにより集められるデータなのだ。そしてサービスが無料で提供され普及すれば、同じだけのデータを集めることは他の誰にとっても不可能になる。

GmailのSPAMフィルタには、ユーザが何をSPAMと判定したかのデータが生かされているとどこかで聞いた。こうした方法のSPAMフィルタは膨大な数のユーザを持つサービス事業者にしかなしえないことである。

---------------------------
さて、こちらは富士ソフトである。普通の人はあまり聞いたことがない社名だと思うが、IT業に少しでも関わっている人ならば多分聞いた事があるだろう。Intel insideどころの話ではない。ITあるところ富士ソフトの社員がいる。名刺を持っていない、あるいはメールアドレスが社員とおぼしき人とは少し違う、そんなことがあったら仲良くなったあとに社名を聞いてみるとよい。

もちろんそれは富士ソフトのエンジニアが素晴らしい能力・価格比を誇っているからに他ならない。しかし時々思うのだ

日本の製造業について一番深く、広く知っているのは実は富士ソフトの社長ではないか、と。

もちろん守秘契約の範囲はきちんと守られているのだと思う。しかしそれを守った上でも富士ソフトには日本中のソフトに関する製造業の現場の実態が集まっているのではなかろうか。各社がだす大本営発表は省庁でも集められるだろうが、本当のところ何が起こっているかはわかるまい。

そこから妄想を膨らますと

ある時点から、価値は情報になるのではなかろうか。つまり富士ソフトが他の会社ではなしえないことは何かをいえば、集まる情報にあるのではないかと思うのだ。

などと考え 富士ソフトは日本のGoogleと唱えてみたのだが、、、自分で考えてもちょっと無理がありますね。すいません。


映画評:イングロリアス・バスターズ

2009-12-04 07:41

人生がすっかりいやになった日は本家から転載。

------------------

"面白い映画とは"ただそれだけをつきつめた結果がこの作品なのだと思う。

冒頭、フランスの農家にドイツの軍人が訪れる。あくまでもにこやかで丁寧なJew Hunter.彼と農夫の会話はあくまでも静か。しかし柔かな言葉の裏にあるいやらしさ、恐ろしさ、緊張感に思わず前のめりになる。

おそらく多くの人の印象に残るのがこのランダ大佐だ。フランス語、ドイツ語、イタリア語、英語を自由に操り、粘着質の笑顔ですいすいと泳ぎ続 ける。嫌悪感を通り越し強烈な存在を意識させられる。

さ て、ブラピはアメリカ軍の中尉。ナチを残虐な方法で殺す事だけを任務にしたユダヤ人部隊を率いる。1944年、彼らにある任務が課せられ る。ドイツの英雄を描いた映画のプレミア上映会。そこにナチの高官が集まる。彼らを映画館ごとの爆殺せよ、と。しかし彼らを殺そうとしているのはブラピ達だ けではなかった。

ゲーリング、ゲッベルス、ボアマン、ヒトラーが一つの映画館に集まっている。戦争が終わるのは翌年だから暗殺計画は、、と私のような人 間は暗 黙裏にストーリを型にはめて考える。しかしタランティーノにはそんなことはどうでもいいことなのだ。そこからの展開に唖然とする私を尻目にブラピのテ ネシーなまり?の英語(米語か)が響き続ける。

現首相の"友愛"思想を賞賛するお子様はこの映画を見るべきではない。不愉快になるだけだと思うよ。2012でもみてな。

しかし

どんな分野に従事している人でも良い。"面白い"とはどういうことかを少しでもまじめに考えたことがある人はこの映画を見るべきだ。

この映画の登場人物達は"型通り"なんてことは勿論"一筋縄では行かない"をも通り越している。映画のお約束、あるいはお約束に対する 反抗、コメディ、史実への批判、主張、そんなものは"面白い"じゃない。タランティーノの"面白い"への追求はそんなところでは止まらない。キル・ビルの時も思ったが映画の"嘘"をさら け出し、使える物は何でも使いバラバラにしたあげく再構成。ヒトラーですらもこの映画では"一つの駒"でしかない。

しかし最後にはすべて脱ぎ去った

"面白い"

という感情だけが残る。凄い。

最後に関係ない話を一つ。今度ドイツ人にあったら

"3って指でどうやるの"

と聞いてみよう。

---------------------

他にも

"聞くだけ無駄だと思うけど、あんたたちアメリカ人は他に何か言葉しゃべれるの?"

という愉快なセリフもあった。ゲッベルスづきの通訳がゲッベルスと何をしているか想像したあとの、凍りつくような微笑。とか。

細かいところまで実にねられた、そして全体が完全にすっとびながら面白いという素晴らしい映画であった。

新しい物を創造することを志している人は誰でもこの映画を観るべきだ。ユーザビリティ原理主義者とかユニバーサルデザイン原理主義者にはこの映画の面白さはわかるまい。

本当に素晴らしい製品、使いたい製品はそうしたくだらない原理主義、くだらない原理主義への批判を超えたところにある。そんなことを考えた。


歴史に学ぶということ

2009-12-03 08:20

池田氏特有の表現が散見される文章ではあるが、内容については全く同意する。

ところが政府は、温室効果ガスの25%削減の家計への影響を検討したタスクフォースの試算を「非公表」扱いとしました。それは産経新聞によれば、試算結果が「国民にネガティブなイメージを与えてしまう」からだそうです。

アゴラ : 鳩山内閣が「東條内閣」になるとき - 池田信夫 から引用


しかり。無茶苦茶である。客観的な分析を放棄し、自分たちに迎合している人間だけを集め"解析"を行わせるなど気が狂っているとしか言いようが無い。数十年前にそれをやった結果について我々はもっと知っているべきだ。

正しい国家戦略の前提は、正しい現状認識です。太平洋戦争の開戦前夜にも、陸軍省整備局の報告では、日米の戦力や補給力に大きな差があり、2年以上は戦えないとされていたが、東條英機内閣はそれを無視し、企画院に生産力を誇大に見積もった報告を出し直させて御前会議を強行突破しました。このように客観情勢を無視して「大和魂があれば何とかなる」とする日本軍の主観主義が、民主党政権にも受け継がれているようです。

アゴラ : 鳩山内閣が「東條内閣」になるとき - 池田信夫 から引用

何よりも気がめいるのは、この内閣の支持率が依然として高いことだ。つまるところ

"政治家が何をしたか、何を言ったか"

ではなく

"TVが何を報道したか"

によって日本の世論は左右されるのだ。

ただでさえ景気の悪いメディアは政権に迎合することで生き残りをはかり、"仕分け"でダメージを受けた研究者達も政権に迎合することで生き延びようとする。そうした

"現実から遊離した幸福な関係"

がどのような結果を招くか、誰も気にしないというのだろうか。


プログラムを教えるのだ

2009-12-01 07:38

我が家はとっても貧乏である。

というわけで(本当は奥さまの意見なのだが)子どもにゲームの類は一切買ってやらない。そのおかげで、彼と彼女は友達の家に行ったときゲームを堪能できるわけだ。家にいつでもあると結構やらないものだよ。

などと思っていたのだが、子供がダンボールでDSを作り始めた。スタイラスを入れるところ、ソフトを入れるところもちゃんとついている。ソフト(の名前を書いた段ボール)も量産し、ソフト入れまで作っている。こうなるとちょっとかわいそうになる。

そのうち

"自分で作れないかな"

と言いだした。そうだねえ。DSはちょっと大変だけど、iPhoneならパソコンの上で作ったものを動かすことができるよ。じゃあ教えて。

しかし

いくらなんでも幼稚園児にいきなりJavaを見せるのは無理だ。ではどういう選択肢があるか。

まず最初に行ったのはビスケットのサイトである。未踏でお世話になった原田さんの力作だ。

力作なのだが、使い方が全くわからない。初級の"遊び方"のページをみてげんなりしてしまった。原田さーん。お忙しいのはわかりますが、これでは初心者に敷居が高いです。

というわけで次の選択肢、Scratchを使うことにする。そういえばWashington D.C.でこれの講演を聞いたこともあったなあぁ(遠い目)

こちらはよりプログラムっぽさが全面にでている。うちの子供はピッケでマウスで絵を描くのには慣れているので、さらさらと書きあげる。それをお父さんが簡単なプログラムで動かす。

といったところで昨日は終了。




子供の興味を引くやり方でプログラムを教えるためにはどうすればいいか。そんなことを考えながら親父の方があれこれ学んでいる気もする。