夏の終わり

日付:1998/9/11

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


4章

さて、なんだかんだと前述した座席に座った我々はまず最初に(いつもそうだが)注文を決めるという問題に直面した。

知った顔で宴会するときにここを使う場合「コース料理はいかがでしょうか?」という店の人の声につられて「ではそれで」とお願いする事も多々ある。しかし今回私が電話で予約をするときにその言葉を聞いてちょっと考えた。

理由は後述するが、このプータロー生活の間に過去の合コンの記録をまじまじと眺めなおしていて、「過去において自分が合コンでひんしゅくを買っていた度合いというのは、当時私が認識していたよりも遙かに高い」という恐るべき結論に達していた。過去に対する反省とともに私は妙に臆病になってきていたのである。

以前の大坪君だったらここでなにも考えず「んじゃ鍋で」と言ったかも知れないが、ここで仮に私がコース料理の「寄せ鍋」など頼み、女性が表面上「わー、鍋ってめずらしー」と一応の歓声をあげ、その心のなかで「こんな暑いのに、鍋を頼むなんて何を考えてんだ」とひんしゅくを買うことだってあるかもしれないじゃないか。

迷ったあげく「まあ適当にその場で頼みますから」と言って話をその時は切り上げた。しかしその代償として我々はここでメニューを考えるという難題に直面したのである。

何故これが難題なのだろう?理由は簡単で、お互いがお互いをよく知らない状態においては、「こんな物を頼んだら相手のひんしゅくを買わないだろうか」とか妙な事をつらつらと考えるからだ。特に相手が必要以上におくゆかしい方々である場合には問題は深刻になる

しかし結果として私のこの妙な考えが「杞憂」となった。女性方は皆さばけた感じの人達であり、最初こそ若干固かった物の注文は比較的すらすらと決まったからである。最近の宴会では、女性がそろってノンアルコールの飲料を頼むこともままあるが、この日はナナちゃんだけが最初からウーロン茶であった。飲み物がそろうと「まま。とりあえず」といことで乾杯である。

さてこの日はあまりかしこまった自己紹介などはやらなかった。女性の側について書いておくと、ミポリンと宮様が同じ会社でありCOWの奥様とは会社でのお知り合い。ナナちゃんはそれとは違う会社において奥様とお知り合いであったとのことである。

さてこの合コンの手配の時に既に感じていた「彼女たちは私がインターネットにアップロードしている合コン物語についてどこまで知っているか」という話題が語られた。すると判明したことは以下のようである。

COWは私が知る限りにおいて大変仕事が忙しいはずなのだが、何故か会社で休み時間に私のサイトを見つけて読んでいたらしい。(実際私が元いた会社から私のホームページにアクセスがあることは分かっていたのだが)そしてその内容のプリントアウトを自宅に持ち帰り、奥様及びその友達(含むななちゃん)に公開しているらしいのだ。

ミポリンはCOWの奥様から「大坪というのがいて、そいつは合コンで座席の配置まで仕切って決める」と聞いたらしいのである。確かにその時までにサイトに載っていた文章のなかで私が座席を指定した話も一つだけ存在していた。しかし大抵の場合は男女かわりばんこを指定するだけで座席は神と参加者の御心のままにまかせていたはずなのだが。

そこから波及して隣のミポリンが「今インターネットにつなげなーい」と不平を漏らし始めた。話を聞けば彼女が使っているコンピュータは(愚かにも)Windowsマシンであり、Windows95がプレインストールされていた。最初は快調に動いていたのだが、「無料アップグレード」として送られてきたWindows98を(更に愚かにも)何も考えずにインストールした。それ以来以前存在していた「モデム」なるプログラムだか書類だかはどこかへ消え去り、彼女のインターネット生活も中断を余儀なくされたと。

世間で流布しているマイクロソフトの宣伝文句を見れば、彼女の行為を一概に責めるわけにはいかない。Windows95が登場したときは「これでWindowsもMacintoshなみに使いやすくなり、セットアップも簡単」とさんざん言われたものである。ところがその3年後にWindows98が売り出されるときには「さらに性能は安定し、更にセットアップは簡単に」といううたい文句がそこら中に流布された。彼らの言葉が全て真実を語っていれば今頃は「全くMacintoshは使いにくい。セットアップも難しい」ということになるはずだが、私の偏見によれば未だにWindowsのセットアップはMacintoshユーザーからみればあまりにも難物なのである。

私は「いやー、すいませんねえ。あたしゃMacintoshユーザーなものでねえ。お手伝いできません。はははっは」と言った。すると彼女は「何でMacintoshなんて使ってるんですか?」と聞いた。私は「何でWindowsなんて使ってるんですか?」と言い返した。

 

さて私はここでMacintoshとWindowsの優越論争を始めるつもりはない。実際データを信じるならばこのサイトを訪れる人の85%はWindowsユーザーなのだし、昔のDOSとMacintoshの論争だったら結論は明白だったが、MacintoshとWindowsでは結論はそれほど明白ではないのだ。

ここで言いたいのは一般的にはお互いに固さの残る合コンの始まりにおいてでさえ、こうした軽口がたたけるほどお互いの雰囲気がリラックスしていたということなのである。今回の参加者の女性はそれぞれ容姿の点でも今まで私が参加した2桁の上の方に達する合コン(後に参加したSBYは私が参加した合コンの数は100を超えているはずだ、と力説していたが)の上から5番を下ることがないと思われる。それに加えて皆様方と気軽に楽しく会話できることでも上から3番を下ることはなかったのである。(これはこのホームページがいずれCOW経由彼女たちの目に触れるであろうことを予想して書いているのではない。)

さてこんな調子で会話は大変楽しく進んでいった。この合コンで席の配置の関係から私は宮様とはほとんどしゃべることができなかった。従って前を向いてななちゃんと話すか、あるいは横を向いてミポリンと話すかしていたわけだ。そしてこの二人との会話には大変面白い点があった。

それは彼女達が私に聞いた質問に、非常に共通の物が多かったと言うことである。ここでそれを列挙してみよう。

1)何故サスペンダーをしているか?

2)何故五郎という名前か?

3)(私が去年デトロイトというところに幽閉されていて大変不幸だった。デトロイトは冬は悲しくなるほど寒く、夏は暑くて、蚊がたくさんでる、という話をしたのに答えて)アメリカの蚊というのはやはり大きいのか?

4)私発の「あなたって会社でもてるでしょ」という質問に対して、「あたしもてない」と答える。更に私が追求すると「そういえばアプローチがなかったこともないかな」と答える。

 

何故彼女たちの質問がここまで重複するかについて、ここで私は何ら明確な答えを持っていない。しかし1)2)については私が隣にいれば誰もが疑問に思うことであること、さらには彼女たちは気軽に話せる相手であったので、それを遠慮なく口にしたということ、が理由なのではないだろうか。

さてここで取り上げてみたいのは4)である。合コンで素敵な女性にこの質問を発すると大抵の同じ問答が行われるのである。私は多数合コンに参加したり、あるいは人の話を聞いたり漫画を読んだりして、この問題について深くて長くて、そして無意味な考察をした。それについてちょっと書いてみたいと思う。

これは合コンでままある風景である。隣、あるいは正面に座っている女性が大変魅力的であり、かつ彼女に「いやー、もてるでしょう」と質問を発したとしよう。すると彼女は大抵の場合(例外は結構あるが)「いえ。あたし全然もてないんですよ」と答える。

すると質問を発した男性の方はいくつかの可能性について考察することになる。

1)彼女は大変魅力的だが、何の因果か本当に男がよってこないのかも知れない。おっ。これはラッキーかもしれない。いわゆる「いつも彼氏がいると思われる」というやつだろうか。となると自分にもチャンスがあるかもしれない。

2)彼女は大変魅力的だ。従って「もてない」はずがない。つまり彼女は私に向かって真実を語ってはいない。彼女は故意に事実をねじまげて、私をだまそうとしているのかもしれない。従って彼女には注意して応対せねばならない。彼女は嘘つきなのだ。

3)彼女は大変魅力的だ。しかしなおかつ彼女が正直に答えていることも疑いようがない。では何がおかしいのだろうか?

私の個人的な経験について書いてみると、大体女性としゃべる機会が増えるにつれて1)から2)、そして3)へと考える内容は変化してきた気がする。最初はおろかにも女性の発言を真に受ける。あるいは正確に言うと「彼女と私は同じ”もてない”という言葉を同じ意味で使っている」と思いこむ。そしてこれは千載一隅のチャンスだ、とばかり鼻の下を伸ばして口説きにかかる。

すると起こることは「さらさら」と彼女のとても上手な「かわし」に会って面食らうという事態である。おかしい。彼女は「もてる」ことに慣れていないのではないかと思ったが、どうもそうとは思えない。。。

すると次には女性全般に関して疑心暗鬼に陥る。「女なんてみんなうそつきだー。彼女はもてないんじゃなくて、今までさんざんもてて、男の突進の交わし方もずいぶん練習をつんでるじゃないかー」と夕日に向かって叫びたい衝動に駆られる。(もちろん実際に叫んだことはないが)

そして次にはくだを巻き出す。そこで女性に向かって「ぼかあ女の子ってみんなうそつきだと思うんだ」などと言おうものなら「何いってんのよ。男の方がひどいうそつきよ。この前もね、、、」と長くて深刻な例を2ダースほど挙げられて反撃に会うだろう。ここであなたが素直な性格であるとすれば「そうか。男も女も人間ってみんなうそつきなんだ」といって人間不信に陥らないとも限らない。

しかしながら隣に座っているのが米国の大統領で無い限り、なかなか日常生活で根っからの嘘つきにでくわすことというのは多くないのである。では何が起こっているのか?

 

そこで得られる仮説というのはこうである。

すなわち、男性と女性で”もてる”という言葉の定義は異なる、というやつである。何故か?女性はたいていの場合「自分がぜんぜん気に入っていない相手」からアプローチをうけても数にいれないのだ。従って仮にはたからみて如何に「もてる」女性であっても「あたしもてないの」と本気で主張することができるのである。ところが男性の場合は仮にそれが全く意に染まない相手からのアプローチであったとしてもちゃんと「もてる度合い」を評価する際のカウントにいれるのである。従って彼女の定義を使えば、「もてない」でかつ「男性の突進をかわすのが上手になる」ことは両立しうるのである。

この状況を男性の側から見ればこのような結論を導き出すことができる。「「あたしもてないの」という言葉は「絶対」信じてはいけない」しかし同時に相手の誠実さについて、このことだけから疑いを持つというのも馬鹿げたことである。あなたがどう思おうと、向こうは別に嘘をついているわけではない。単に言葉の定義が違うだけだ。(これまた米国の大統領ではないが。)

 

さて私は「もてないですよ」と答えたナナちゃんとミポリンに対して上記の理論を述べ(多少短縮版で述べたが)「いいですか。あなたが会社で全くアプローチを受けなかったとは言わせませんよ」とつめよった。

自分でこうしてしらふで記述していると「何をそんなに血相変えてつめよってんだ」と思うが、まあそこは楽しい宴会でちょっと図に乗ってしまった、ということで丸く収めてしまおう(誰をだ)聞くところに寄るとナナちゃんが以前勤めていた会社はメーカーだそうだ。メーカーの男女比と社内の雰囲気については私はいやというほどよく知っている。ミポリンはなんだか固い名前の職場に勤めているそうである。メーカーではないがとうてい男女比が大幅に女性多数に傾いているとは思えない。それどころか二人とも仮に職場に一人でも独身男性がいれば、必ずすりすりと寄ってくるであろう、というattractiveな女性だったのである。

すると彼女たちは記憶を新たにしたか、あるいは「こんな変な奴にこんな話題でからまれるのはごめんだ。とりあえず適当に答えよう」と思ったのか知らないが、「そういえば2人くらいはそういう人もいたかな、、」と答えた。

さて完全にからむ酔っぱらいと化していた私は更に「私最近信条を開発しました。ごきぶりを一匹見つけたら10匹いると思えというでしょ。女性が”2人くらいからアプローチを受けた”と言ったら”彼女は認識していないが、男性にとってみればアプローチしたつもりの奴が20人はいる”と思うようにしました」とわめき散らしたのである。彼女たちにすれば「何がごきぶりよ」ってな感じだったかも知れないが、そこはそれ。大人の彼女たちはにっこりと笑って小首をかしげてさらさらと交わしてくれたのである。しかしながら私には彼女たちの背後に、彼女たちに「アプローチしている」と認識されずに討ち死にした男達の陰が山のようにつみかさなって見えたのである。

さて彼女たちは現時点で特定の彼氏がいない-あるいは彼女たちがもてないと主張する-についてちゃんと説明を持っていた。ナナちゃんが言うには「最近って女の子からアプローチしたりもするでしょ。でもって男の子ってなかなかアプローチしてこないのよ」と言ったし、ミポリンは「ずいぶんとまわりくどいアプローチがあったような。。。」と言った。

私はそう長く生きているわけではないし、そんなにそういった話しに詳しいわけでもないのでナナちゃんの言う「最近の男と女」に関する主張に同調することも否定することもできない。ただ彼女たちにそう簡単にアプローチできない男性達の心持ちを思ったときに、次の言葉を発せずにはいられなかった。

「彼氏がいると思われてるんじゃない?」

実際彼女たちと合コン以外の場所で会えばそう思うだろう。個人的には「大抵のものは求めなければ手に入らない」というのも事実だと最近気が付き始めてはいるのだが。相手がAttractiveな人であれば、彼氏がいようがなんだろうが、アタックすべきであると。

 

さてそうやって彼女たちに「もてたでしょう」としつこく聞いていれば、必ず同じ質問が返ってくるのである。私はそこでため息をついて「そういうこともあったけどね。。。しかし最近私は反省することが多い」と答えたのである。確かに女性から気に入ってもらえたことは何度かあった。しかしそれ以上に女性に不愉快な印象を与えたことがある、という思いにつきあたったとき私はため息をついたのである。

なぜそんなことを考えたか?事のおこりはこのホームページだ。今まで書き散らしていた合コンドキュメンタリーを整理したり、あるいは人から「昔話」を聞いたりして、合コンで何度かでくわした女性のリアクションが、私に向かって「あんたなんかあっちいきなさいよ」を意味していることを発見したからである。

具体的に書こう。このホームページにアップした分も、そうでない分にもままでてくるのが「合コンでこちらの問いかけに答えず、女性同士で楽しげに話している相手にいらつく私の姿」である。そういう相手にでくわした場合の全てとは言わない。確かに合コンというコミュニケーションを計るばに来ていながら、女性同士でしゃべるのが得意な女性が存在することは確かである。しかしながら、時としてそのリアクションは「うるさいわね、この男」という意図を隠した物であることにようやく気が付いたのである。

個人的には仮に相手がどんなに自分の神経を破壊する人間であろうが、その人と会話をすることにしている。合コンとはそういうものだし、いくら相手が気に入らなかろうが、それは私の主観的な評価であり、同性同士でしゃべるのはよほどの場合を除いて相手に失礼だ。

しかしながらそれは私の考えであって、相手にそんなものを期待するのは間違っている。そして大抵の場合女性はそれほど優しくない。あるいは私が相手に与える印象はその「よほどの場合」にあたることがあるらしい。

今さらこんなことに気が付いてもAfter Festivalというやつである。もう合コンの盛りは過ぎてしまったし、さすがにこの年になればもうこれからそうたくさん登場機会は無いだろう。従ってせっかくの教訓を生かすチャンスもないというわけだ。

しかしこんなにわかりやすい(多分私以外の人にとってはそうなのだろう)教訓さえ何年たたないとわからないということは。つまり現在においてもこういった間抜けな事を山のようにやっているかもしれない、ということではないか。そして何年後か何十年後か知らないが「ああ。なんて馬鹿なことをやっていたんだ」とへそをかむような思いをして今のことを思い出し、のたうちまわることがあるかもしれないというわけだ。

 

さて、一瞬のうちにこんな事を考えて、私が晩秋のような目つきをして遠くを見ていようが見ていまいが女性達の質問は続く。これまた定番の「そんなにたくさん合コンをやっていてなんで相手がみつからなかったんですか」という奴だ。

この質問をされると私の表情は晩秋から真冬へと変化してしまう。

この質問に対する答えは私が最近開発したいくつかの信条があたはまると思う。

まずその一。「私は理想が高いとは言えないが、了見は狭い」というやつである。自分でよくわからないのだが、過去において好きになった相手を並べてみれば自分の理想が高いと結論づけることには無理がある。しかしながらその人数が極めて少ないという事実を合わせて考えれば私は大変了見が狭い人間なのである。

もう一つこの説明に当てはまる信条をあげておこう。「無我になったときにしか良いことは起こらない」これがどのように先ほどの質問に対しての解答になるのか?

まず私は了見が狭いために、なかなか「おお。これは」と思える女性に出会うことはない。しかしそれに対して合コンの回数も異常なものになっていたため、確率的に小さくても時々「わお」と思うことがあるのである。しかしながら大抵の場合後で「うーむ。見誤りであったか」と思うことになる。そうして目ばかり厳しくなってしまう。

そういった生活を送っているとだんだん目が血走ってくる。そして目が血走れば一層女性から縁遠くなり、するとまたもや目が血走り、、、、男女間のデフレスパイラルにはまるわけだ。こうした目の血走っている状態になっているときは絶対にいいことは起きない。「なるほど。これが人生という奴なのだ」と全ての望みをすてることができる心境に達するまで幸運がほほえむことはないのである。そう、私が俗世との縁を絶とう、と出家の決意を固めるまで。

しかしここにももう一つの問題が存在している。修行僧になったときに素敵な(しかもその時において彼氏がいない)女性に巡り会ったとしても「いやー。そなたにも素敵な男性との出会いが訪れますように。大丈夫。そなたのような素敵な女性には必ず素敵な出会いがあるものじゃ。」と祝福の言葉をかけてしまうのである。そしてにっこりと笑って手をふってさようならをする。翌日か翌々日に元の凡人に戻って「待てよ。おれは大変なチャンスを逃したのではないだろうか」などと思っても後の祭りだ。よし、今度はチャンスがあったら逃がしはしないぞ、などと意気込むと目は血走ってしまう。そうすると、、また頭に戻ってはいおしまい。まあ世の中は大抵の場合うまくいかないようにできているのだ。

「これは神が我々をためしているのだ」とか「こうやって人間鍛えられる」なんて思えるのは結構楽観的な人かもしれない。あるいはそうではないと分かっても気を奮い立たせるために言っているのかもしれない。試されたからといってどうなるわけでもなく、ろくな目にあわないからといって人間必ずしも鍛えられるわけではない。とにかく大抵の場合事はうまく運ばない。

などということを結構な早口でしゃべっている間にとうとうSBYの登場となった。彼は「いやー。すいませーん」と言いながら先ほどの示したナナちゃんと宮様の間に座った。

 

次の章


注釈

問題は深刻になる:この実例はYD合コン3章を参照のこと。本文に戻る

 

米国の大統領:ここではもちろん親愛なるBill Clintonを念頭に置いて書いている。彼に関する私の感想についてはClintonを参照のこと。本文に戻る

 

これまた米国の大統領:彼の言い方によれば、女性のドレスに「体液」がつくような行為であってもSexual relationshipではなく、Inappropriate Relationshipなのだそうだ。これも言葉の定義の違いと言えるのだろうが、しかし米国の大統領の誠実さは疑っても問題なかろう。本文に戻る

 

「あたしもてないの」という言葉は「絶対」信じてはいけない:(トピック一覧)トピック一覧経由、リンク先を見ると私がどのようにこの信条を応用したかが参照できる。本文に戻る

 

大抵のものは求めなければ手に入らない:(トピック一覧)なんでこんな当たり前のことを信条にするか?特に男女関係を扱った妄想のような漫画をみるとよくわかる。男にしろ女にしろ、そのよくある身勝手な願望というのは「何の取り柄もない私が、何もしないでうじうじていていも、かっこいい、すばらしくもてる異性が目の前にいきなり現れて”I love you”と言ってくれる」というパターンなのである。本文に戻る

 

あんたなんかあっちいきなさいよ:(トピック一覧)要するに時によっては私は合コンで「結構な嫌われ者」になるわけだ。本文に戻る

 

私は理想が高いとは言えないが、了見は狭い:(トピック一覧)この言葉は名言だとあちこちでほめてもらえるが、残念ながら私のオリジナルではない。OL進化論(参考文献参照)からのパクリである。本文に戻る

 

無我になったときにしか良いことは起こらない:(トピック一覧)これは他の人間からも聞いたことがある信条である。本文に戻る

 

男女間のデフレスパイラル:(トピック一覧)この現象に関するより詳しい説明は「黒鍵白鍵」の中に書いている。トピック一覧経由で参照できる。本文に戻る