夏の終わり

日付:1998/10/1

五郎の入り口に戻る

合コン篇+引っ越し準備:1章 2章 3章 4章 5章 6章 

米国旅行篇:7章 8章 9章 10章 11章 12章 13章 14章 15章 16章 17章

引っ越し篇:18章 19章


8章

翌日またもやCincinatiを経由してLas Vegasについた。Cincinatiといえば今年日本でも日本の野球のホームランキング以上に話題になっているかの選手がいる土地だ。時間があればここぞとばかりに土産物を買いあさったのだろうが、こういう目的がある時に限って乗り継ぎが実にスムースに進むと来ている。まもなく私はCincnatiからLas Vegasに向かう飛行機の上にいた。

Cincinatiからしばらくは眼下にずーっとずーっと何かの畑が広がっている。最初は面白いので見ていたが、あまりにずーっと広がっていて全く変化が無くてつまんないのでそのうち寝てしまった。シベリアを鉄道で旅すると、いつまで行ってもどこまで行っても森林ばかりで飽きてしまうと聞いたが、こんな感じだろうか。

さて眠りから覚めると風景は砂漠に変わっている。砂漠といっても日本でちょっと考える砂漠のように砂だけがあるのではない。岩があって、植物も生えている。それらは上空から緑の点々のように見える。

飛行機は東からLas Vegasに近付いたので、Grand Canyonの上を通った。こうやって上空から見ると、観光でおとずれるGrand Canyonが全体のほんの一部であることに気が付く。浸食作用でけずられた広大な渓谷はその前後に渡ってはてしなく(実は「はて」はちゃんとあるのだが、感覚的にはそう思える)広がっている。近くの砂漠は赤い色をしていて、まるで火星の様だ。

ここらへんは下を走っていても火星の風景としか思えないような砂漠が数時間に渡って広がっているエリアである。本物の火星の写真にも大渓谷が写っているがあそこの近くを走り回ったり、見物したりしたらさぞかしおもしろかろう。残念ながらどうも私がこの世に生を受けている間にその夢がかなう可能性はほとんど0に近いようだが。

その果てしなく続く砂漠の中に、、、あら、突然町がでてきたな、と思ったらLas Vegasに到着した。もっともこの町には今回は全く用はない。友達と来てワイワイ言いながら適当に金をするのは結構好きだが、一人で金をすろうという気は毛頭ない。第一私は賭事が嫌いである。理由は簡単。もうからないからだ。

勝負師というのは負けがこんできても「ここぞ」と思ったときにはばんとはれるものらしいが、私は少しでも負けがこむとさっさとやめてしまう。私はとにかく小心者なのだ。しかし普通に会話をしているときには見栄っ張りの私はこういう正直な説明はしない。私が編み出した「賭事嫌いを説明する理論」というのが

「あなたは100円出して、90円もらうというゲームをしたいと思いますか?賭事というのはそういうものですよ」

というヤツだ。確率論的に見ればこれは正しいのだが、世の中には賭事で本当に(長い目で見ても)もうけている人間がいることも事実だ。思うに私のようにたまに賭事をして、適度にする人間が世の中にはたくさんいて、彼らに金を貢いでいる、というのがこの世界の構図ではあるまいか。

 

さてレンタカーを借りると、とうとう私は例のデパートの紙袋をトランクの中に放り込むことができた。ここ数日飛行機に乗るときには必ずぶらさげていた大きなロゴ入り紙袋だ。車というのは実に偉大な代物で、一人で旅行しているときには自走トランクの役割までしてくれる。ぶろろろろん、と発進するとLas Vegasの町だのホテルだのカジノだのに全くめもくれず北に向かった。今日は水曜日。土曜日までにはCaliforniaのStanfordについている必要があるのだ。土曜日にStanfordで何をするかは後述する。

 

LasVegasの中を走るのは私にとってあまり気分のいいものではない。私は運転が下手なので、とにかく混んでいる道は嫌いなのだ。フリーウェイにのると大分道は運転しやすくなる。そうして数分するとたちまち周りは砂漠の様相を呈してくる。

後で無料のNevadaマップを見て知ったことだが、Nevadaにおける数少ない地図に載るような自然の景観(私にとってみればそこら中に広がっている砂漠も見るに値するものなのだが)はだいたいこのLas Vegas近辺に集まっているようだ。ところが当時の私はとにかく早くこの場所から離れることしか頭になかった。だから周りに広がるすごい風景に目もくれずただひたすら北を目指したのである。

更に数分走るとさすがに道も空いてきた。これで余裕を持ってマイペースで走れるというものだ。適当な出口でフリーウェイを降りて、ケンタッキーフライドチキンにはいってお昼にした。おそらくこのフライドチキンなる食品が私のダイエットという観点からすれば最低に近い食品であることはうすうす感づいてはいるのである。手にしたときにべっとりとつく脂をみればそれは明らかだ。しかしどういうわけだがしらないが私はこのフライドチキンが、しかもアメリカで食べるのが好きなのである。

さて、鳥をばりばり食べて、人心地着いたところでやおら地図を広げて本日の予定の検討を始めた。とにかくこの二日間位はNevadaの中を走り回るということしか考えていなかったので、今日どこで泊まるかすら考えていなかったのである。

 

ここでちょっと私が理解しているNevadaの地理について説明しておこう。米国の州は独立時の13州はどうだか知らないが、だいたい縦と横の線で区切ったような四角い形をしている。Nevadaもその例にもれないが、左下の角はCaliforniaで削られて斜めになっている。右下にあるのが今抜けてきたLas Vegasで、左上にあるのがこれまたカジノで有名なRenoだ。数年前にNevadaを走り回ったとき、この州で日本の基準において「都市」といえるのはこの二つだけである、という事実を発見して愕然とした。あとの町は日本で言うところの「村」かあるいは「集落」ってなかんじである。

今回の大まかな行路はこうだ。右下にあるLasVegasからひたすら北に向かう。Nevadaの上の方には東から西まで"The lonliest highway in US"なる名前が書いてあるフリーウェイが走っている。その道にたどり着いたら左折して今度はひたすら左に(西に)走ってReno、LakeTahoeを目指す。その先はもうCaliforniaだ。

さてこう走ると決めたものの、正直今日のうちにどこまで走れるか検討がつかない。しかし特に今回通ろうと思っている道沿いには町が-従って宿もレストランもガソリンスタンドも-滅多にないことを勘定に入れておく必要がある。さもないと、「もうちょっと走ったところで泊まればいいや」なんて考て、とんでもないところで行き倒れになる可能性がある。さてどのようなスケジュールで行けばよかろう。ここからここの距離はこうだから、、

などとうだうだ考えていたがそのうち面倒になった。よし。細かい事を考えずに適当に走って、まあ早めに宿を探せば問題なかろう、と考えをまとめて(結局地図を広げて何を考えたのか、と自分で書いていて疑問に思うが)再び走り始めた。外は明るい日差しでまだまだ暑い。

 

さてしばらくは快調に走った。なんといっても道は空いている。追い越し車線はないが、だいたい追い越しする相手がいないからそんなことは気にならない。しかしそのうちほとんど忘れていた問題がだんだんと頭をもたげ始めてきた。

私はいつも西から東に旅行するときは一週間近くひどい時差ボケに悩まされる。反対方向に旅行する時はあっと言う間に直る。私はこれを

「人間、遅寝遅起に適応する方が、早寝早起きに適応するより楽だからだ」

と勝手な理屈をつけて説明しているが、まあそんなことはどうでもよい。とにかく日本から米国に来たときは、いつも昼間自分がゾンビになったような気がする。あたりは昼で、一応自分は目を開けているのだが、体は完全に寝ているという状態だ。

今回は最初の二日間が忙しかったためか、さして時差ボケを感じずに過ぎた。「ふっつふっつふっつ。私もとうとう時差ボケを克服したか」などという妙な満足感にひたっていたのはいいのだが、やはり自然と体の摂理から逃れることはできなかった。ハンドルを握って砂漠の中を疾走しながら私は睡魔と壮絶な戦いを繰り広げることになったのである。

時間は午後の2時、日本時間は朝の6時である。つまり一睡もせず夜を明かした場合に一番つらい明け方の時間になったわけだ。私はこの眠気に「睡魔」すなわち悪魔の魔の字を当てた人間の着想のすばらしさに感嘆していた。ふりはらってもふりはらっても眠気は悪魔のようにおそってくる。

さてこうした事態に陥った時にどうするか。一番確実なのは車をどこか安全なところにとめて寝ることである。しかしここは米国だ。はたして「安全なところ」なんていうのが存在するのだろうか?確かに走っているのは砂漠の真ん中だが、強奪者にとってみれば誰にも目撃されず私の頭をふっとばすことくらい朝飯前ではないか。

私の頭にはいつか読んだ「レンタカーの安全の手引き」の文章がよみがえっていた。こちらでレンタカーを借りて、ちょっと時間が空いたときに読んだものだが、その文面がすばらしい。

1)ヒッチハイカーが指をあげている。どうするか?

→絶対止まるな。州によってはヒッチハイクは違法だ。

 

2)道路に車がとまっていて、誰かが助けを求めていたらどうするか?

→絶対止まるな。安全なところまで行って、警察に連絡をしろ。

 

3)他の車にぶつかられたらどうするか?

→絶対止まるな。安全なところまで行ってから止まれ。

 

4)信号待ちであなたが止まっているとしよう。隣の車から何か話しかけているようだがどうするか?

→無視しろ。すぐに発進しろ。

 

こういう国で果たして道ばたに車を止めて寝る、なんてことが賢明な判断だろうか?

さて一番確実な「寝る」という手段がとれない以上、行けるところまで行くしかないのである。。私は大声で歌を歌い始めた。昔バンドでやった曲など山ほどあるので、レパートリーには不自由しない。声を出している間に寝たヤツはあまりいないに違いない。

しかしそのうちだんだん頭の働きが鈍ってきて、歌詞を考えるのもおっくうになってきた。おまけにいったん思い出すために歌詞がとぎれると、まばたきの時間が異様に長くなってきているのである。これはいけない。そのうち高級な歌ではなく、私はひたすら叫び始めた。もうこうなっては見栄も外聞もない。なんとも形容しがたいが、とにかく頭に響く声をまき散らしながら私が運転する車は砂漠の中を爆走していった。

それまで私はとにかく遠くに早く行くことにこだわっていた。とにかく早く移動できれば、観光などする余裕も生まれるではないか。しかしここにきてにわかに弱気になりだした。もしこれからもこういう時差ボケの状態が続くとすると、土曜日までにSan Fransiscoに到達するなんてのは夢のまた夢ではないか。

 

妙な弱気にとらわれ、かつ睡魔の側が最終的な勝利を収めようか、という形勢になったときに救いが現れた。ここらへんでは滅多にお目にかかれないRest Area(休憩所) が現れたのである。

日本語にすれば休憩所なのだが、ここはその言葉から想像される場所からはほど遠い代物である。ちょっと未舗装の脇道ができていて、そこに車を自由に止められるようになっている。木が何本か生えているから日陰はできている。そんだけである。トイレもなければ自動販売機の一台も置いてあるわけではない。しかし当時の私にはまるで神からの贈り物のように思われた。その"Rest Area"には一応数台の車も止まっており、彼らが全て悪人でない以上、多分頭をふきとばされる心配も無かろう。。それよりもこのまま運転を続けていけば確実にどっかでクラッシュすることに。。。。

などと考えている間に眠りに落ちていた。しばらくたって目が覚めれば、およそ1時間近く眠っていたようだ。こうした状況で1時間の仮眠はずいぶんと効果がある。私は再び元気に北上を開始した。

私はいつも旅行に行くと、異常に先を急ごうとする。今日の飛行機は1時過ぎについた。あわよくばそこから4時間45分かかる(とドライブマップには書いてある)Elyという町まで行こうか、と思っていたのだが、睡魔にたたきのめされそうになってあっさりとその考えを捨てた。もう午後の3時か4時過ぎについた町で適当にとまることにした。とにかくゆっくり走っていても事故さえおこさなければいつかは目的地に着く。しかし無理して走って居眠りでもして砂漠の中でひっくり返れば永遠に目的地に着くことはない。いつも私はこのポリシーでのんびり走る人なのだが、何故か旅に出るとこのことを忘れてしまう。

さてこの辺は地図で見るとおおよそ40マイルごとに地名がぽつぽつと記載されている。この州ではこの記載は文字通り受け取る必要がある。途中にも小さな町があるが、縮尺が大きい地図であるため省略していあるのではない。(ちなみに私が使っていた地図は約1/200万の縮尺である)実際何も書いてない場所にあるのは砂漠だけなのだ。従ってここらへんではガソリンスタンドを見つけたら、躊躇無く止まって給油する必要がある。

「まだ半分あるからいいや」

などと思って見送ると必ず後悔することになる。幸いにも私はいままで砂漠の真ん中でガス欠になったことはないが、燃料計の針がだんだんとEに近付いていくのを見るのは相当心臓に悪い経験である。

途中あったAlamoという町に(といってもあるのはいくつかの民家と、ガソリンスタンド件よろずやだけなのであるが)止まって給油をした。まだ日は高いし、宿を探すような時間でもない。おまけにこの町は小さすぎて、まともな宿がある気もしない。普通アメリカを走っているときには、20マイル位行く間に必ずExitがあり、その手前には「次のExitには、ガソリンスタンドがあって、こういう全国チェーンのモーテルがあって、マクドナルドがあって。。」という標識がある。しかしこの町には、そうした全国区モーテルどころか、ファーストフードすらないのである。

ダイエットコークを一本買うと、私は更に北上を続けた。

しばらく行くと、別の道との交差点があったが、全く気にも懸けないで更に北上した。そこから数十マイルいったところに別の町があった。Calienteという名前で、さっき通ったAlamoよりは町らしい。しかし依然としてファーストフードもなければ、全国チェーンのモーテルもないのである。

しかしそこにはおそらく貨物用と思うが古い駅があった。あまりにいい感じをだしていたので、わざわざそこに立ち寄って写真を撮った。これは私にしては極めて珍しい出来事なのだ。昔は写真をぱしゃぱしゃ撮っていたものだが、どうも写真に写った風景というのは実物と違うことに気が付いてから撮らなくなったのである。実際にその場所で「なんという雄大な風景だ」と思っても、写真にすると、なんだか小さなこじんまりとした風景になってしまう。そしていったん写真をみたが最後、記憶の中に残っていた「雄大な風景」はあとかたもなく消え失せ、写真のなかのこじんまりとした風景だけが頭に残ることになる。

さてまだ日は高い。おまけに地図を見るとここから10マイルほど行ったところに別のフリーウェイトの交差点があり、そこに地名がある。またそこから10マイル行ったところに別の地名がある。二つも町があれば泊まるところ位あるだろう。

そう思ってひたすら進み始めた。

さてほどなくして、最初の町の標識がある場所についた。確かに地図でいけばここがそのPanacaのはずだ。他のフリーウェイとも交差しているし。しかしそこにあるのは、相当きたないガソリンスタンド兼万屋が一軒だけである。

実は先ほど買ったダイエットコークが効いていて、私はトイレに行きたくなっていた。しかしその万屋に入ったのはいいが、どこにトイレがあるかわからないのである。店の人に聞いてようやくほっと一息ついたのはいいが、私は先ほどの見込みが甘かった事を思い知らされた。ここには店が一軒あるだけなのだ。今晩野宿するのでなければとりあえず前に進むしかない。

さてそこから約10マイル進んで次の目的地、Piocheに近付くと、道が二股に分かれている。フリーウェイ自体は町を外れて通っていて、町に行くには細い細い道をしばらく走らなくてはならない。

まもなく砂漠となんだかよくわからない植物の向こうに何か見えてきた。近寄ってみればそれはアメリカ映画にでてきそうな、おそらく破棄された炭坑のようであった。これは観光用にしてはどう考えても汚すぎるし、人が見物するようにもできていない。ということはこれは本物なのだ。

何だこの町は?と思っているとそのうちだんだん家が増えてきた。これが出てくる家でてくる家、全部きれいではない。むかーしにできたのだろうが、それから改築もされていないようなものばかりだ。私は米国で家がきれいでないエリアに行ったら、そこは治安が悪いと思え、という信条を抱いて生きてきた。しかし別にこのエリアを歩いている人達を見た限りでは、そんなに治安が悪そうなエリアにも見えない。

Las Vegasを出てからここまで出会った町の例にもれず全国チェーンのファーストフードや、宿やらは全然見えない。そのうち一軒Hotelと表示した宿屋が見つかった。これがまた一階にレストランがはいっているような兼用宿である。要するにこのままでは私はここに泊まるしかないのである。

果たしてこのHotelらしきものの駐車場はどこだ。。。と思ってうろちょろしてるうちに建物の周りを一回りしてしまった。そしてつくづくと考えた。果たして私は今日ここに泊まるのだろうか。。。

まずだいたいあのレストランがあやしい。おまけに建物の周りもきれいとは言えない。更に私が気にしていたことがあった。アメリカに旅行しているとはいえ、今回は頻繁にメールやらこのホームページをチェックしよう、と心に誓っていたのである。そのためにはかついできたコンピュータを部屋から電話線につなぐ必要がある。しかしあのホテルではどう考えても部屋に電話がある気がしない。。(モーテルにはRoom Phoneなどと宣伝文句として看板に書いているところがあるようなエリアなのだ)

 

建物の周りをもう一回りして、私は決心した。さっきの町-駅のある-Calienteまで戻ろう。

決心すれば帰り道は結構早い。いつでもそうだが、先が見えないときは道はとても長く感じられる。しかし一度きて、先が見えている道であればあっと言う間だ。

Calienteに着くと、贅沢をいわず、一番まともそうなモーテルに入ってチェックインした。駐車場にはサンドバギーなどを荷台につんだ連中がわいわいやっているが、気にするもんか。とりあえずここはまともそうなモーテルで、ちゃんと電話もあるのである。

しばらくベッドの上にひっくり返って。。。。そのまま寝てしまいたい誘惑に駆られたがごはんはちゃんと食べないと後で後悔する。それよりも何よりもここで欲望の赴くままに眠ってしまっては時差ボケは永遠に直らない。時差ボケの治療法にはいろいろ説はあるが、とにかく無理矢理にでも生活時間をねじまげることが第一だ。

しばらくして起きて外に出た。せっかくだからあちこち写真を撮っておこう。先ほどの駅に行ってまた何枚か写真をとった。次に私の米国における水とも言えるダイエットコークを買い込んだ。そこで何か異様な事に気が付いた。

米国に来ると、場所に非常に依存するのだが、あまり通りを歩く人を見なくなる。完全な車社会のデトロイトなどではなおさらだ。そうでなくても学校の登下校というのは黄色いスクールバスでやるもんだ、と思っていた。ところが私が見たのは、小学生らしい学校から帰ってくる子供達がそこらへんの通りをてれてれと歩いてくる姿だった。日本ではなんでもないことでも、今まで米国では見たことがなかったのである。彼らは一人呆然と立っているのアジア人をちろちろ見ながら家路についている。

さて、そんな感動もそこそこに私はご飯を食べなければならない。しかし町を見渡しても(実際ここは顔を振り回すだけで全ての店を見ることができる)あまりきれいな店はないのである。しかし小学生が歩いて帰るくらいの場所であるからあまり神経質になることもなかろう。とりあえず一番看板がでかい「ハンバーガー屋」にはいった。

 

 さて中に入ってみると、カウンターがあり、天井にはファンが回っており、おまけにカウボーイハットをかぶったおじさんとおばさんまでいて店の人となにやら馬の話をしている。まるで映画にでてくるような西部の田舎のレストランである。

そこでハンバーガーとダイエットコークを食べながら、のんびりと店の中を見回したり、外を見たり。。ここは万屋も兼ねているらしく、どこかの奥さんが赤ちゃんづれで何かを買いにきたりしている。

ハンバーガーは脂がしたたりおちるようなハンバーグに、これまた脂肪のかたまりのようなベーコンが載っている。私の健康とダイエットからみればこれほどよくない食事もないのだがそれがどうした、という気分になっていた。確かにこれはAmerican Foodだ。

 

その日は帰って早く寝た。明日早く出発したかったからでもあるが他に何もすることがなかったからでもある。このモーテルには当初の私のもくろみ通り室内電話はあった。しかしなんと無料のローカルコール以外は、クレジットカードを使わないと長距離がかけられないのである。こんな田舎町にコンピュータのアクセスポイントがあるわけがない。メールのチェックは明日以降にもちこしだ。

TVを見ると親愛なるclintonの不倫疑惑をあいもかわらずやっている。その合間には時々経済がどうのこうのと言っている。さあ、早く寝よう。よく寝ないと明日またあの睡魔との怖ろしい戦いが始まってしまう。

 

次の章


注釈

日本の野球のホームランキング以上に話題:日本のNHKでは少なくともあまり話題になっていないことだが、米国では「何故白人選手のとりあげかたが、黒人選手のとりあげかたよりも大きいのだ?」と例によって問題になってきている。単に白人選手の方がホームランをたくさん打ったから、という理屈ではすまないのが人種問題というやつだ。

話し変わってあの二人のホームランをさんざんTVで見た人達が、日本のホームランキング争いに全く興味がなるなるのも無理は無いと思う。日本のピッチャーは大リーグで結構活躍をしているが、ことホームランに関しては、プロ野球と草野球以上の差がある。へろへろのホームランをたかだが30何本か打っただけで「キング」などとはおこがましいと誰もが思っているのだろう。本文に戻る

 

ダイエットコーク:何故ここで買うのが通常のコークでなくてダイエットコークかについては、「五郎に関するFAQ」参照のこと本文に戻る