題名:書庫案内記

五郎の入り口に戻る

日付:2000/12/2


確たる目標も無しに作り始めた大坪家の書庫だが、いつしか自然と形ができてきた、というのは真っ赤な嘘で、その内容の発散ぶりは作者にとっても

「一体ここは何のサイトだったか」

と途方に暮れさせる程になってしまった。

そうした途方に暮れる日々にも救いの手はさしのべられる。ある人が

「初めて来た人が、「とりあえずここから読めば雰囲気がつかめる」ような項目を作っては」

というSuggestionをくれたのである。とうわけで作り始めたのがこのページ。トピック一覧よりは少し膨らまして、サイト内の関連項目をまとめてみようと考えてはいるのだが。

ちなみに「案内記」とは「ガイドブック」の辞書に載っている和訳である。

運命の出会い

合コンの記録

IT革命

健康な生活

父の文章-私にはかけないこと

I can speak Jangulish

気楽な立場

Artの時間

I travel alone

雑文の試み

リンクすること

というわけで

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運命の出会い

乗り物に乗りました。隣にはCuteな女性が座っています。さてあなたは何をしますか?

こんな事を聞くと「そんなうれしい目に遭ったことがないのでわからない」という人もいるだろう。しかし私はこの面では強運の星の元に生まれているのかもしれない。

東京出張の帰りに新幹線で隣に座った女性。私にとってはともかく、彼女にとってはこれは確かに運命の出会いであった。その数年後米国から帰る飛行機で隣に女性が座る。がんばって話しかけると幸いな事に話しもはずむ。大丈夫。そんなに話はうまく進まない。ちゃんと「起承転結」の「転」は待っている。そして一年後同じく米国から帰る飛行機で隣に座った女性との会話はとても楽しかった。そしてその事実はあれこれ私に物を考えさせることになった。ある人は運命の出会いを求め、ある人は単に遊び相手を捜しに、またある人は桜かもしれないのがネルトンパーテーというものだが、これは一生に一度行けば十分だ。

私がその出会いの場に居合わせようと居合わせまいと、運命の出会いを経た友達が結婚式で幸せそうにしているのを見るのはうれしいことである。私と何度も合コンをともにしたYDの結婚式の2次会は彼を取り巻く友人との出会いも含め心に残る物だったし、Stanford時代の友人の結婚式の後、なによりも睡眠を愛している私が「まだ寝るのはもったいない」と思ったというのは本当のことだが。

 

合コンの記録

一時は「趣味は合コン」と公言してはばからないような生活を送っていた私だがさすがに最近はそうしたことも無くなった。しかしその記録だけは膨大な量となって残っている。合コンで起こった事を事細かに書いて何がうれしいのか。「何故合コンについて書くのか」と聞かれれば「そこに合コンがあるからだ」と開き直る。ここではそれらのうち特徴的な物だけを書いてみよう。

そう思うとまず最初に来るのが「史上最低の合コン」であるのが悲しいところだ。しかしそのリターンマッチは大いなる可能性を示した、というのはこの世の面白いところ。かくのごとく合コンというのは大抵の場合ろくでもない結果に終わるのだが、それでも行ってしまうのはパンドラの箱に残って人を惑わし続ける「希望」があるから。その「希望」に目がくらんだ私は合コンと聞けばどこへでもいく。大阪遠征の一度目は偉大な結果を生み、2度目は後で思い返してへそをかむような後悔をすることになった。

合コンと言ってもつまるところ人との出会いであるから、自分と違う世代の人間の行動様式を目の当たりにし、感嘆することもあり、「不敗の立場」に立った人との会話は会社だけで十分だ、とうんざりすることもある。女教師+看護婦と合コンといって何を想像するか?職業がなんであれ、そこにいるのは人間と人間であり、特別な事があるわけではない。そして相手と縁があれば、お話は何度か続くことになる。しかし双方の気合いだけでは事がうまくいくとは限らない

男同士、何度か合コンにご一緒させてもらうと宴の席で「大坪様は新郎の合コン友達とのことです」と紹介されたりもする。そのきっかけ逆襲、それに結婚式の2次会にご一緒できるのはやはり人の縁というものだろう。

 

IT革命

この言葉がどれだけ生き延びるか定かでないので解説しておくが、西暦2000年において、日本では携帯とPHSの区別も付かないような総理大臣までがこの意味不明の言葉を口にしていたのである。しかしながら情報処理の技術の必要性、というのはそんな言葉があろうと無かろうとだんだん増大してきており、

「適当に知ったフリをしてごまかす」

ことが何よりも得意な私であっても少しは真面目に勉強せねばならん、という気になる。偶然オフィスで見つけた本をベースに半分自分向けに書いた「暗号について」は最初の目的とは全然違って本サイトのKiller Contentsになった。その好評ぶりに気をよくして柳の下のドジョウをねらったのが「ネットワークについて」こちらのほうのベースはほぼ10年前に大学で受けたComputer Networkの講義なのだが、それほど手直しせずとも使えるのが面白いところ。

さて、そんなややこしい事を考えなくても今やパソコンは私にとって無くてはならないものとなっており、私にとってパーソナルなコンピューターとはMacintoshのことなのである。1984年に初めてMacintoshを見てから16年。自分でMacintoshを所有するようになってから10年。今やあやしげな"Twin Power Mac"などというものの作成に熱を上げたりもするのだが。そうはいっても私は本来ハードには手を出さず(不器用だからだ)ソフト作成に血道をあげる人であった。そうした人間が失業して暇になるといきなりJavaなど勉強し始めるのである。あげくのはてにフリーウェアなどを世の中に向かって公開するに至るのであった。

 

健康な生活

体重を毎日記録している人、というのは結構多いのだろうが、それを実際にWebで公開している人も私が考えるより多く存在しているようだ。

何故そんなことまではじめたかといえばちゃんと理由がある。この体重超過というものは色々な面で私の人生に陰を落としてくれるし、つまるところ宇宙飛行士の選抜1次試験で敗退したのも体重超過に伴う高血圧が原因ではなかったか?男に向けられた

着やせする

という言葉は「単なるデブ」という意味ではないのか?

かといって体重超過との戦いはここ数年分が悪い。より強力な管理を、ということで、毎日食べた物までWebで公開するようにしたのはいいのだが、

「野菜が少ない」とか

甘い物が多い」とか

愛情あふれるコメントをたくさんいただくようになったのは意外だった。

 

父の文章-私には書けないこと

父の文章私の文章を読み「同じ様な人間が違う時代に生きた」という人もいれば「お父さんの文章のほうが断然よい」という感想をくれる人もいる。

人の好みというのは様々だが、私が読んで「今の私では絶対にこの文章はかけない」と思えるものがいくつかある。父は山が好きだ。今でも暇があれば登っているようだが、日本百名山を完登したのと父が会社を辞めたのはほぼ同じ時期だった。私も転職をしたのだから、当然会社を辞めたわけだが、父とは全然意味合いが違うし、抱く感情も違う。

そうでなくても私には山に登る趣味はない。であるから、父が世界各地の「山」に登っている話を聞くと「そんなところに山があったのか」と思うばかりだ。ヒット数を見ると「メキシコ」と「アンデス」の話がよく読まれているようだが。

父は戦前生まれである。そして私が本や映像でしかしらない戦争を実際に体験した世代である。私も沖縄に行ったが、父と同じ感情を抱くことはない。

では同じ状況に直面したときは?2000年の9月12日、東海地方は豪雨に見舞われ、その結果として交通機関は麻痺した。そこでが何をしたか、そして息子が何をしたか、を比べるのも一興かと。

 

I can speak Jangulish

さて、父も今は悠々自適の身で、あちこち世界中を旅行している。どこにいっても大して困らないのは旅行慣れしていることもあるだろうが、英語がかなり自由にしゃべれるためでもある。若い頃自分であれこれ努力したようだが。

さてその息子の方はと言えばグータラである。英語を学びたい、とは思うが腰をあげることはなく、留学は単なる夢だったのが何故かは知らないが留学に行くことになり、「英語苦手なんでお願いしますよー」とは言えない身の上になってしまった。そして何を考えたか「学校で習わない英単語」などというものを書き出したりする。では英語をしょぼしょぼ聞き取れるようになってサイトに書くネタが増えたこと以外に何が良かったかと言えば宇宙飛行士選抜試験の書類審査に通るのに役だった(と思っている)ことくらいなのだろうか。

 

気楽な立場

なんのかんのいって、自分が論評される立場に回ることのない分野の論評ほど気楽なものはない。私が映画を作ることなどまあ絶対ないだろうから、それについて好き勝手に感想を書いたりするわけだ。本を出版することもないから本や漫画について書いたりもする。素晴らしいWebサイトがあれば、紹介文とともにリンクさせてもらったりし、そして選挙民として以外政治の世界などに関わり合いをもつことはないし、ましてや米国の大統領になることもないから、彼らについて好き勝手に書くのも好きだ。

唯一の懸念は「Webサイト評論」なるものがはやり、投げた石が自分の頭に命中することだが、まあそんなものがはやっても星ほどあるサイトの中から私のサイトについて何か書こう、という物好きな人もいるまい。

 

Artの時間

では自分が評価される立場になることは?私ほど「歌なんて下手でもいいんですよ」とか「歌は上手じゃないけど好きなんだなと思いました」となぐさめられるボーカル(素人バンドであっても)もいないのではないか。それは単に歌が下手なだけではなく、その事実に気がつきながら歌うことを止めないからである。

この世にたくさん存在している名曲を歌うとき、こうした曲を作ってくれた人がいること、そしてそれを一緒に演奏する友達がいてくれることに無限の感謝をささげたくなるのだ。かといって人前でドラムを叩くがごとく手をふりまわしたり「くひーん」などとギターの旋律を音色までまねて口ずさんでいいことにはならない。

このバンドは20代の終わりの頃からやっているが、40を前にして、最近他にもあまた存在しているあれこれのArtというものに思いをはせるようになった。とはいっても底が浅いものだから「ハンニバル」に影響されてフェルメールを見に行ったり、行き当たりばったりにたどり着いた東北の祭りに喜び翌年もまた行ってみたり、あるいはRiver Danceを見に行って見事な芸に驚嘆したり、はてまた中年ハゲおやじがベースを弾く漫画を読んで感じ入ったりしているのだが。

それら見事な芸を見ていると、そこに人間の姿があり、その魂が声を上げ、あるいは爆発するこに思いを馳せたりする。それが鍛えられた技を通して現れるとき私は感動したりするのではないかと思っているが、その後に我が身を振り返り髀肉の嘆をかこつ事になる危険性は覚悟しておかなくてはならない。

 

I travel alone

さて、私は「ボートの3人男」なる小説を大変愛している。これは男が3人ボートでテムズ川を降る、という物語なのだが私はいつも一人旅だ。これがわがままな性格のせいか、あるいは友達が少ないせいか、はてまたいつまでも結婚できなかったせいかと言えばたぶんその全部なのだろう。

アメリカの砂漠を一人で走りまくるのは好きだが、睡魔は文字通り魔となって私に襲いかかる。日本国内の旅は電車だから居眠りしても大丈夫。居眠りどころか場合によっては寝台車で横になることもできる。普通車で居眠りしながらであっても東北地方を祭りから祭りへと回ってみたり三内丸山遺跡に行き「縄文人の憂鬱」に思いを馳せたりするわけだ。あるいは、東北の城跡で「下っ端侍の憂鬱」を思ったり。この「名所旧跡にいってその時代の人の憂鬱を思う」というのは最近よくおそってくる脅迫観念なのだが、沖縄の首里城でとりつかれるのは琉球王国役人の憂鬱よりも帝国陸軍下級将校の憂鬱である。

かくのごとく長期休みにはたいてい旅行に行くのだが、それが楽しいものとなるかどうかはそのときの体調による

 

雑文の試み

そうした一人旅しかしないうちは「ボートの3人男」のような見事な文章を書くことはできないのかもしれない。(他の人と旅行したからといって書けるという気もしないが)そこまで行かなくてもインターネット上には数々の見事な雑文と呼ばれる文章がある。雑文とは何か、という明確な定義などあるわけもないのだが、それでもそれらは興味深く一つのカテゴリーをなしているように思える。

そうした文章を読めば自分でも書いてみたい、と思うのも自然の成り行きだ。ふとした機会に思いついた言葉がネタになる。模造紙とは妙な言葉だなぁとか女性の好みに無理矢理大統一理論をこじつけてみたりカラオケで騒ぎロック魂に思いをはせている時、いきなり孔子の生涯に思いをはせたり、はてまた「事実しか書かない」という方針をかなぐり捨て、バレンタインデーの起源クリスマスシーズンについて大嘘を書いたりするのだが。

しかしやはり私にはこうした文章を書くためには何かが欠けているようだ。他の人と同じ制約条件の下で書いた雑文祭参加作品はそれを思い知らせてくれるのだが、何が欠けているのか私にはわからない。

 

リンクすること

サイトによっては自分がリンクをすること、されることに関するポリシーを表記している場合がある。それを読むのは結構興味深く、「世の中にはいろいろな考え方があるのだなあ」と思ったり、あるいはそこからもサイトを作った人の事がなんとなく想像できたり。

さて、私は普段「ポリシー」なる言葉は滅多に使わない。何故かと言えばほとんどの場合それを持っていないから。であるから「当サイトのリンクポリシーは猫柳」と書こうかとも一瞬思うのだが、それではあまりにも猫柳。ということで

「当サイトにリンクを張るのはご自由に。ただ、もしそのことを事後にでもお知らせいただけるとほとんど全ての場合3回まわって”あぉーん”と吠えます

と書いておこう。

では当サイトからリンクを張ることに関してのポリシーはといえば、これが花丸木なのだが、無理に言葉にすれば

「リンク先のポリシー及び意向を尊重した上で、私がリンクを張りたいと思ったサイトに張らせていただきます」

となる。これでは何も言っていないのと同じではないかと言われればその通り。

 

というわけで

少しでも興味を持っていただければ他にもあれこれ書き散らしている文章を読んでいただければ私はぴょんぴょんとはね回って喜ぶだろう。はねまわっているのはどんな奴だ?と思った方は「著者近影」を見ていただいてもいいし、私に関していつも聞かれることとその回答を読んで戴くのもいいかもしれないし「100の質問」に対する回答を見てもらってもいいかもしれない。しかしながらそれらは数だけ合って結局大変曖昧である。ほぼ毎日日記のような文章を更新することにしているが、はたしてそれを読んだからといって私の生活がかいま見えるかどうかは別の問題である。ただし少なくとも私が何を食べたかは解ることになっている。

「いーや。時間の無駄だった」と思う方は私がいつも徘徊している個人のサイトに飛んでいただければと思う。私が興味を持ったサイト(複数形)だが、このページを読んでいただけた人にとっても興味深いものであれば、と願う物だが。

 

 


注釈

Jangulish:Japanese Englishのことだ、と高校2年の時英語教師が言ったのだが、考えてみればそれからこの言葉を聞いたことがないなあ。本文に戻る