なぜこんなページを作ることになったか

日付:1998/1/9

更新:1998/3/29

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さて私の体重についてちょっと書いてみましょう。

 

私が大学をでるまでの間、だいたい私の体重は65kg前後で推移していました。そしてその間私は誰が相手であっても「太っている」と言われることはなかったのです。

 

ちなみに高校の時には柔道をやっていました。そして私はぎりぎりで65kg級にでることができたのです。ここでぎりぎりと書きましたが、体重がオーバーしそうになった理由はひたすら「筋肉のつきすぎ」でした。当時は自分のおなかに脂肪が付くことを気にする必要ななかったのです。

 

さて転機がおとずれたのは入社2年目です。当時私は異常に忙しい日々を送っていました。夜中の12時頃にかえって、ゴハンをたらふくたべて寝る、という今から考えれば自殺同然の生活を送っていたのです。

 

さて私が働いていた会社では毎年2月くらいに健康診断があります。私の身長はだいたいとまっています(背伸びをすると177cmになりますが、本当は176cmでしょう)だからこれには問題はないのですが、体重はなんと一気に72kgになり、「太りすぎ」の注意マークがつくようになってしまいました。

 

とはいっても当時はまだ私は若かったのです。生活が正常に戻るにつれて、自然と私の体重は減っていきました。そして27のときまで(すなわち入社5年目まで)私の体重はほぼ69kgで推移しました。

 

さてここでふたたび転機がおとずれます。私は2年間の米国留学生活を送ることになりました。それまで3回(一ヶ月ずつ)の米国出張を経験していた私としては、米国生活がいかに体重に悪影響を与えるか身をもって知っていたのです。

 

米国に来て一年後に両親が私をたずねてきました。日本に帰ってから私の母親が「五郎はどうだった?」という問いに対して答えたのは、次のようなせりふです「ぶーっとふとって、頭をちょんちょこりんに切って中国人みたいだった」

実は母親にこのさんざんな評価を得た後にちょっと旅行にいって、一気に5kgくらい体重を減らしたのです。しかしそのうち私は悟りました。私は中年太りになってきていると。

 

お肉の大陸移動とか世の中では言うようです。要するに大学時代まではなんとか保っていた筋肉が脂肪へと変化し、また不思議なことにつく場所がだんだん下部に移動していく状態です。おまけに同じくらい食べている「はず」なのに、なぜかだんだん体重は増加していく。。そうです。私の体型はまさしく「中年体型」に変化していったのです。帰国後友人と海に行ったときに「大坪さん。中年体型になったね」と言われたときのショックは未だに忘れていません。中年という言葉はずっと自分の反対側にあるという幻想にとらわれていた私は、その幻想が終わったことに気がつかされたのです。

 

そうはいってもなんとか2年のアメリカ生活で私の体重を3kgに納めることに成功したのです。。。しかし本当の危機はその後にやってきました。

 

帰国してからもしばらくは忙しい日々が続きました。入社2年目の経験から、極力夜中にごはんを食べないようにはしたのですが。。。もう一つの敵がいることを忘れていました。それは私のストレスです。

 

ストレスがたまり、仕事がつらくなると、人生が楽しくなくなります。人生が楽しくなくなると、人間はなんとか楽しみをみつけようとします。そして私はそれが「馬鹿食い」のほうにでてくる、という事実を思い知ったのでした。

 

やたら甘いもの(好物なのです)を食べまくる。その甘いものが口の中にある間だけは幸せな気分をあじわうことができる。こんな生活をしていた私の体重は1年後には76kgで安定するようになってしまいました。

 

それから数年は平均76kgで私の体重は推移していたのです。しかしここでまた別の危機が訪れました。

 

何の因果か私は再び米国での生活を余儀なくされました。そして今度の米国生活は以前の生活に比べて「ストレス」を100倍にして、「楽しみ」を1/200にしたようなものだったです。当然のことながら私は太りました。今でもストレスに押しぶつされそうになりながら、「気絶するほど甘い」はずのゼリーをばくばく食べていたことを覚えています。そして例によってそのゼリーを食べている間だけは私の幸せな時間だったのです。

例の健康診断では「血液中の中性脂肪が多い。体重を減らすこと」と毎年かかれるようになっていました。。。だから私は私なりに体重の増加をくいとめようと気はつかったのです。一時は万歩計をつけてできるだけ歩こう、としたこともあります。

さてそんなある日、ファーストフードでハンバーガーとダイエットコークを頼んだ時のことです。店は結構すいていて「アルバイト」と顔に書いてあるような女の子は明らかに暇でした。そして彼女は「なんでダイエットコーク頼むの?あんたやせてるじゃん。」と言ったのです。

私は彼女に、自分がいかに太っていると言われたか。そして自分が歩いた歩数を管理しようという気になったか、を説明しました。(英語で万歩計を説明するのはとても大変でした)

彼女はしばらくだまって私の体を眺め回していましたが、店の奥に向かって彼女の同僚を呼び、「ねえこの人太ってないよね」と聞きました。その同僚は不可思議な顔をして、私の体を眺め回して無言のまま去っていきました。

私がその店をでるとき、そのアルバイトのねえちゃんは店を掃除していました。そして私に向かって「大丈夫よ。あんたやせてるわ。'"Believe me, You are skinny"」といいました。そして私はちょっと安心したのです。それまで米国と日本では「太っている」という言葉の基準が5倍くらい異なることを、いやというほど知っていたにもかかわらずです。

 

さてその米国生活の結果は。。。1$が100円を切ろうとしていたときに、「1$=100円は心理的な限界」とかいう言葉がささやかれていた気がします。私にとっての「心理的な限界」は80kgなのです。。そして事実を直視しましょう。私の体重は79kgになっていたのです。そして同時に私は女の子から「ちょっと太っている人は嫌いじゃないよ」というなぐさめの言葉をうける身になっていたのです。

 

さてこうなるとなんらかのドラスティックな方法をとることが必要になります。さて私にはいくつか信条がありますがその一つに「実事求是(事実に基づいて真理を求める)」というのがあります。。。この言葉の正確に意味するところはともかく、なにはともあれ事実に直面し、それを正確に見つめるところから対策は始まる。と考えたわけです。

 

よし。まず自分の体重が増えているのか減っているのかを正確に把握することとしよう。実はそれまでにも何度か体重を日毎に記録しようと試みたことはありました。しかしこれがなかなか続かないのです。そして続かなくなったときにはほとんど100%の確率で私は太っていたのです。

 

なぜ続かないか?ようするに続けなくてもなんの問題もないからです。人間信賞必罰で律しなければどこまでもだらけていくものですよね。

 

さて。。この主題と直接関係はないのですが、当時私はたまたまインターネット上で自分のホームページを作ろうと格闘していました。そしてある日、突然そのアイディアが頭に浮かんだのです。自分の体重を記録して公表することを私の公約としよう。そうすれば少しは毎日体重を量る励みになるだろう。おまけにひょっとするとこのコーナーは私のホームページの目玉になるかもしれない。(なんといってもほかの内容がつまらないことに関しては結構自信があったものですから)

 

さてこの妙なページの作成経緯は以上の通りです果たしてこのページ作成が功を奏して私の体重の増加にはどめがかるか、、あるいはひたすら増加への道を突き進むのか。それはいずれ明らかになることでしょう。

(1998/1/9)

さてこのページをつくり、自分の体重を克明に記録しだしてから3ヶ月が経ちました。

3ヶ月といえば、まともなダイエットをしていれば、当然効果がでてくる時期のはずです。ところが。。。現実を直視しましょう。私の体重は1月から全く変わっていないのです。

増加に歯止めがかかった、という観点からすれば、これは結構なことかもしれません。しかしながら、本当の目的は「体重を減らす」ことであったはずです。

一週間ほど前に近くにある「ふれあいセンター」に行って体脂肪率を測定してきました。。。その結果は「肥満」と「やや肥満」の境界線上、というのは見栄を張った言い方で、「やや肥満」に近い「肥満」という結果がでたのです。こうして私は「ちょっと太った人」という、オブラートにつつんだ表現から「肥満」という冷徹な現実をつきつけられることになったわけです。

 

ここでちょっと話がそれます。(すぐ戻りますので)

 

私は「たばこを吸わない人間であってありがたかった」と思います。これほど百害あって一利なし、が証明されていてもはびこるものはそうたくさんはないでしょう。

お金は使う。健康は損なう。さらには自分の健康だけでなく周りの人の健康まで損なう。(最近は幼児突然死の原因らしい、という報告もあります)禁煙エリアの中で仕事をしていれば、休憩時間には喫煙エリアにとびこんで、背中をまるめて急いでたばこをすう。周りの人から「たばこのにおいが服についてしまう」と嫌われる。なのにやめることができない。

具体的な光景を説明してみましょう。

私が前働いていた職場には、「喫煙ルーム」がありました。その部屋はガラスで仕切られていましたが、壁といい、ガラスといい、脂で黄色くそまっていました。その黄色い部屋にいい年をした大人が何人もはいって、たばこを吹かしている光景は少なくとも私の目から見れば哀れさをさそうものでした。

 

さて私は「たばこが止めたいと思いながら止められないと嘆く人」をちょっと嫌悪していました。理由はこうです。

 

前提その1:その人にとって「喫煙」は「是正すべき問題」であるか?→これに関しては上記のようにいくらでも理由をあげることができます。そしてなによりもたばこの箱には「健康のため、吸いすぎに注しましょう」と記載されているのです。

 

前提その2:「喫煙」を「是正すること」は論理的に可能か?→これまた明白です。世の中に喫煙を強制している法律もなければ社会的状況も存在しません。(その逆ならばいくらでもありますが)基本的にたばこをすわなければ、たばこは止められる(はず)ですし、ニコチン中毒にかかって、禁断症状が出る人には、それを緩和するための数多くの医薬品が存在します。

 

結論:問題が存在することを知り、かつそれを是正することが可能でありながら、その問題を放置し、解決できないと嘆くのは愚か者である。というのが私の信条だ。従って「たばこが止めたいと思いながら止められないと嘆く人」は私から観れば愚か者である。

 

ああ。なんて完璧な論理。あまり口にだすことは無かったのですが、私は自分が構築したこの怪しげな論理に酔いしれていたのです。

 

ところがある日、自分の3ヶ月に及ぶ体重グラフをみていた私は、ある(これまた自分で作った)信条を思い出しました。

人への批判はまず自分に向けること」というのがそれです。そして信条と事実をつきあわせた私は恐るべき結論に到達したのです。先ほどと同じ推論で、「喫煙」を「肥満」に変更すると結論はどのようになるでしょう?

 

前提その1:その人にとって「肥満」は「是正すべき問題」であるか?→これに関しても明白な事実が多く存在します。そして何よりも私は毎年の健康診断で「中性脂肪が多い、血圧が高い。体重をへらすように」と勧告をうける身分だったのです。

 

前提その2:「肥満」を「是正すること」は論理的に可能か?→いくつか細かい注意点がありますが、肥満の原因は極めて明快で「摂取するカロリーが消費するカロリーより上回っているため」です。従って摂取するカロリーを削減するか、消費するカロリーを増加させることが肥満の解消に「必ず」つながります。

 

結論:問題が存在することを知り、かつそれを是正することが可能でありながら、その問題を放置し、解決できないと嘆くのは愚か者である。従って「肥満を是正したい(痩せたい)と思いながら、痩せない、と嘆く人」は愚か者である。

すなわち「私は”たばこを止めたい、止めたい、と嘆く人”と同程度に愚か者である」

 

この結論に唖然とした後に、少しだけ自分の「肥満の論理」のほうに部を見いだしました。肥満は他人に(あまり)迷惑をかけませんが、喫煙のほうは明白に周りの人間に迷惑を及ぼすのです。。。。しかしこれだけでは前述の恐ろしい結論をくつがえすのに十分ではありません。

 

またある日NHKの番組の予告編を観ていた私はこの問題が長期に渡っての私の「老後の計画」にも影をなげかけていることを知りました。

私はプータローをしていて、この生活が妙に自分の性にあっていることを発見しました。そして老後には金と健康をためて、世界を旅行しよう。そして今よりももっと駄文を書きつづってWebに載せよう、と妙な計画を立てていたのです。そしていくつか「老後の楽しみ」と称する課題も発見していたのです。

しかしながらその番組の予告編は「糖尿病が増えている。肥満は糖尿病につながる」ということを示唆していました。もし私が体質の改善に成功し、肥満を解消することができないと、私の「楽天的な老後の計画」は崩壊する可能性が高いのです。(もっともそれ以前にそこまで「金をためる」というもっと重要な問題があるのですが)

 

さてこれほどの明確な事実によって示された結論を私がどのように受け止めることができるか。。。それは今後数ヶ月の体重の推移によって示されることでしょう。

(1998/3/29)

 


注釈

米国留学:トピック一覧へ)平成2年7月から平成4年7月の2年間である。本文に戻る

 

頭をちょんちょこりんに切って:アメリカの床屋は異常にへたくそです。もっともしかるべき金をはらって美容院(英語でなんて言うか知らないけど)にいけばいいのかもしれないけど。それでもチップをちゃんと払わなくちゃいけないのが情けないところです。戻る

 

お肉の大陸移動:女性の場合にはもっと深刻な事態かもしれません。戻る

 

中年という言葉はずっと自分の反対側トピック一覧へ):この言葉は多くの事象に当てはまり、おまけにほとんどすべての人に適用できるというメリットがあります。戻る

 

幻想が終わった:「それは危機のように見えるかもしれないが、実は幻想の終わりにすぎない」(トピック一覧へ)というのは「コンサルタントの秘密」(参考文献一覧へ)に載っている「ロンダの第一法則」である。「何のことだ?」と思われた方は是非この本を読むことを進める。私は難しいことをユーモアを交えながら平易に書くことができる人は頭がよい人である(トピック一覧参照)、という仮説を有しているが、もしこの仮説が正しければワインバーグ氏はとんでもなく頭がいい人だ。戻る

 

血液中の中性脂肪:トピック一覧へ)もっともうちの父親に言わせると「俺も若いときから基準値をオーバーしているけど、問題ないよ」だそうだが。本文に戻る

 

ダイエットコーク:米国ではカロリー0のダイエットコークしか売っていないけど、日本ではなぜかCoca-Cola Lightのほうがメジャーですね。(Diet Cokeも売っているようだけど)なぜでしょう?戻る

 

実事求是(トピック一覧へ:元はカールマルクスの言葉。(参考文献一覧へ)そして中国語に訳したこの言葉は毛沢東が好んだ言葉だそうです。カールマルクスが理論的基礎を与えた共産主義、社会主義。そして毛沢東が引き起こした「大きな災害をもたらした内乱」であったところの文化大革命がこの言葉と正反対の性質をもつものだったことは、どことなく皮肉であるとともに、何かを物語ってはいないでしょうか?(もっともこの「何か」が何か私にはわからないけど)

あるいは、この言葉を振り回している私が、実は現実から目をそらして観念の世界に生きている観念主義者である、ということを暗示しているのかもしれません。戻る

 

たばこを吸わない人間であってありがたかった(トピック一覧へ:ちなみに私は生まれて一度もたばこを口にしたことがありません。「どうも禁煙というのは大変なことなようだ。最初からたばこをすわなければ、禁煙する必要もあるまい」というのが理由でした。私は自分のこの妙なロジックに感謝することしきりです。

ちなみにここは以前「たばこを吸う人はかわいそうだ」となっていた。しかしある人から「かわいそうかどうかは、その人の勝手だし何かその人にとってたばこを吸うメリットがあるのかもしれない」と指摘を受け、変更した物である。本文に戻る

 

肥満を是正したい(痩せたい)と思いながら、痩せない、と嘆く人:アメリカには「体重を減らしたい」人向けに、星の数ほど「ダイエットプログラム」が存在する。その一方でレストランでだされる料理は、優に日本でだされる料理の3倍の量と5倍のカロリー(やたら肉が多い)があるようなものばかりである。この点において、私はアメリカ人を小馬鹿にしていた

「動物愛護だ、自然保護だと偉そうなことをぶったり、ダイエットプログラムに金を払う前に、食べるものを半分に減らせ」

というわけである。 

またいつかアメリカで聞いたダイエットプログラムのラジオのCMも忘れられない

「本当の狂気とはどういうことか知っているか?うまくいかないことを何度も何度も何度も繰り返すことだ。」もちろん「うまくいかないこと」とは「当社が提供している”以外”のダイエットプログラム」を指しているのである。本文に戻る