題名:2000年の秋休み

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日付:2000/12/2

秋の休み | 旅先


秋の休み

11月の終わりに秋休みがとれることになった。さて、どうしよう。これは一発旅行でも言ってみたいとあれこれ構想だけはうかぶのだが問題が一つ。どれだけの間連続した休みがとれるかわからないのだ。

11月の終わりにいくつか事務手続きをしなければならないのだが、これがNTTソフトウェアの常でいつになるかさっぱりわからない。何から何まででたらめな集団だから、こうした手続きだけスムーズに進めばそちらのほうが驚きである、と2年も勤めれば考えることができるようになるのだが。

最初は海外に行くつもりだった。私は米国には何度か行っているし、ヨーロッパも2度ほど行ったことがあるが、他のところはさっぱりである。何のかんの言ってお隣の国にも行ったことがない。しかし旅行先を選ぶにあたっては気候も考慮に入れる必要がある。30をすぎてから寒さがやたらと応えるようになったので、寒いところには行きたくない。そう考えるとどうも韓国行きというのは魅力的なオプションではないようだ。

それであれば南方はどうだろう?近場、ということでサイパンやらグアムやらと言う名前を聞くと私は太平洋戦争の末期に激戦が行われたところだ、と思う。そこで戦跡巡りをしようか。所詮私にわかることは間接的な知識だけなのだが、その場所をきちんと見ておきたいなどと思う。

そうこう考え居てる間にも日にちはどんどん過ぎていく。なのにその事務手続きがいつになるかはようとしてしれない。そのうち残された日程からすると海外に足を延ばすのは難しかろうと思い出した。となると国内だ。

私はあれやこれやの機会に国内は結構あちこちに行っている。もっとも行った先で大抵の場合ろくな物を見ていないのだが、とにかく足を踏み入れていない「地域」というのは沖縄だけだ。戦跡巡りというのであれば、やはりまず沖縄にいくべきではないか、と考えつく。父の文章を読んでもいろいろと考えることがあるようだ。せっかくだから飛行機で往復というのはもったいない。どちらか片道はフェリーなんぞ使って、船旅というのはどうだろう。これは時間に余裕があるときでなくてはできない事だ。

私は自分の思いつきに満足し、インターネット上であれこれ情報をあさりだした。インターネットの便利な点は宣伝文句以外に、本当にその場に行った人の声が聞けることである。なるほどなるほどとあまたある沖縄旅行記のサイトを読んでみる。かくのごとく私の沖縄行きはちゃくちゃくと頭の中で形を整えて行ったが、一つだけままならないものがあった。事務手続きの日程である。いつになるかは依然として決まってくれない。

こういう場合、前に勤めていた会社であれば、担当部署に自ら文句を言いにいったものだが、この会社ではまずその「担当部署」なるものがはっきりしない。仮にそれを発見したとしても「担当部署での担当者」がよくわからない。苦労したあげくにその人間を発見したとしても、その人間は「なぜ自分がその仕事ができないか」の言い訳に全力を使い果たしてしまうので、結局問題解決には結びつかない。であれば怒鳴りこんだところで、徒労感が増えるだけだ。人間過ちは何度も繰り返すが少しは学ぶということを覚えなくてはならない。

などと考えながらひたすら連絡を待つ間に、「フェリー使用計画」は没になり、そしてついには「沖縄訪問計画」そのものが没になるに至った。最終的に判明した「私の自由になる時間」は27日の午後から29日までの二日半だけである。

 

さてどうしよう、と考える。遠くに行けないのであれば、行き先は近場になる。ただ沖縄行きを考えていたときの

「行き先もさることながら移動方法にちょっと凝ってみる」

という構想はまだ生きていた。そしてふと頭に浮かんだのは、9月12日、大雨でよたよたになった東海道線の普通電車の窓からみた

「寝台特急」

である。電車は一駅刻みではうように進んでいき、やたらと混み合っている。その中でいらいらしながら吊革につかまっていた私の目に、隣の線路に止まっている寝台特急が見えた。そこでは乗客は寝台に座ってのんびりとお菓子など食べている。あれを一度やってみる、というわけにはいくまいか。

そう思って、「みどりの窓口」に行き時刻表などめくってみる。どうやら横浜を夜出発し、朝に中国、九州方面につく列車がいくつかありそうだ。今回の目的はのんびりと寝台車にのることなのだから、深夜に乗車し、朝早く下車してしまうようなものは避けなければならない。帰りは新幹線でも使えば一発だろうからあまり気にする必要はない。

そう思ってみるとあれやこれやの列車がありそうだ。その日はなんとなく「大分行き」の列車に乗るつもりでいた。大分というのは一度行ったことがあるのだが、どんなところであったかさっぱり覚えていない。それだけ印象の薄い場所だった、ということなのかもしれないが、電車には夕方の7時頃乗車し、翌朝もそう早く着くわけではない。寝台車でのんびりという目的にはぴったりだ。

 

さて、月曜日の午前中は待望の事務処理である。ものの30分ほどで終わると(もちろん「今担当者がいません。いつ帰るかわかりません」とお役所的に先送りになった事項もあるのだが)また帰りにJRの駅による。再び時刻表を見ると、特急券購入の為の紙に記入し出す。時刻表をめくりながらぱらぱらと考える。

そこで突然私は行き先を出雲に変更した。なんだか知らないが出雲大社にでもおまいりしようか、という気分になったのである。出雲大社には、社会人になってから一度行っている。何故もう一度生きたくなったかは自分でもよくわからない。しかし私はさらさらっと紙にかくと窓口のお兄さんに提出した。

プロというのはすごいもので私が書いたみみずがのたくったような文字を苦もなく解読する。正直言えばここで

「ああ。満席ですね」

と言われるかとかなり恐れていたのだが、あれやこれやとつっついたりしたあげくすんなりと券がでてきた。次に値段を言った。再び正直言えば

「Oh my God ! そんなに高いの!」

となるのを恐れていたのだが、それほどでもなかった。A1とかいうデラックス個室をとってもらったのだが、どうやら新幹線代よりもちょっと高いくらいでおさまっているようだ。

 

さて、切符も購入したし、あとはおうちに帰ってお昼寝するだけだ。私はお昼寝が何よりも好きなのである。おまけに今晩乗る「出雲号」が出発するのは午後9時34分。そして私は普段午後9時半に眠る男なのであった。昼寝でもしておかなければ

「旅行はやめ。もう寝る」

とか言い出しかねないではないか。

 

ふと目覚めると夕方の5時である。思わぬほどよく寝てしまった。午前中のたった30分の事務処理がそれほど疲れるものであったとでもいうのだろうか。まあいい。気分がすっきりしているからご機嫌である。

さて、と考える。まだ出発までには4時間半もある。夕方とか夜とかひとくくりにすると5時から9時半ってのはまあひとまとまりのような気がするけど、朝にしてみれば、昼に出発するのに朝の7時半に家をでるようなもので、これはかなりなことである。しかしこのアパートでうじうじしていてもあまり良いことはなさそうだ。横浜駅から乗るわけだからまあ映画でもみればよかろう。あとそういえば買わなきゃいけないCDもあったし。

などということを考えながらのこのこ家を出る。外はもう真っ暗だ。秋の日はつるべ落とし、とは母の好きな言葉だが夏のこの時間であれば日差しと熱気と戦っていた頃だというのに、今は寒気と戦うことになる。

などと考えていると忘れ物に気がついた。旅行の間に読む本を持ってこなかったのである。最近買った上下巻の大作があり、おまけにこれは異常に読みにくい文体であったから、旅行中でもなければ読む気力がおこるまい。ああ、ちょうどよかった、などと思っていたのだが寝ぼけ眼で家をでてきてしまったがために、すっかり忘れてしまったのだ。

これはいけない、と思い家のほうに戻り始めた。しかし、と自問自答する。たったそれだけのために100mも離れた家まで帰るというのはあまりに馬鹿馬鹿しくないか。本など途中で買えばいいではないか。おまけにそんなにはりきって本など買い込んでもいざ電車にのると

「ぐうぐう」

と寝てばかりいて本など読まないではないか。

なるほど、もっともな理屈だ、と私は一人で納得するとまた進行方向を180度反転させた。とりあえず行ってしまおう。

さて、それから私は8時頃までひたすら本屋をもとめて徘徊し、みつけては立ち読みし、そして都合3冊の本を買い込むことになった。

最初映画館にいったのだが、私がみたかった映画はどうやら不人気らしく、朝の11時半から一回しか上映してくれない。ええい。そんな時間に誰が見るというのだと怒ったところでなんともならない。次には本屋に向かう。ところが横浜のどこに本屋があるか思い出せない。

最初はとにかくダイエーの上でもいけばあるんべと思っていったのだが、予想通りというかなんというか私が求めている字がたくさん書いてあってしかも安い文庫本はあまりおいていないのである。ダイエーにあれこれ買い物にきたあげく、文庫本をしこたま買い込む人などあまりいないであろうか。本棚の前を数回往復して数冊立ち読みしたあげく、私は一冊の小説を買い込んだ。私が読む数少ないフィクション作家T・ハリスの「ブラックサンデー」である。

まだ時間は山ほどあるし、この一冊では心許ない。本当に横浜に本屋はないのか、と思い記憶の底をさぐってみると、一度待ち合わせ場所で時間つぶしに(私はいつも異常に早く待ち合わせ場所に行くものと決まっているのだ)本屋に入ったことがある。ええと。待ち合わせ場所がここだったから、とさまようこと数分。私はなんとか目的とする

「大きな本屋」

にたどり着いた。中に入ってみると私が求めていた

「文庫本がたくさんならんだ大きな本棚」

があるではないか。私はご機嫌になって歩いていく。

そこから起こることは前に入った本屋で起こることとほとんど同等である。私は一体何が読みたいのだろう、と思い一冊の本を手に取る。ぱらぱらとめくるとやたらと活字が大きいことに気がつく。そのうちもっと年を取ると

「ああ。活字が大きい。ありがたい」

と思うこともあるのだろうが、まだそこまでの年にはなっていないようだ。字が大きくてページの余白が大きい本というのは読んでいるうちになんとなく悲しくなってくるから(その内容に関わらず)嫌いだ。というわけで本棚に戻してしまう。

次には背表紙の題名をずっとおっていく。どうも精神的に疲れている気味もあり、あまり難しい話は読みたくないようだ。昨今自分の文章力の不足なるものが

「きちんとした文学作品」

を読んだ量の不足に起因しているのではないか、と思っている。ではそうした本を読もうかと思えば「ドストエフスキー」とか作者の名前を見ただけでびびってしまい手が伸びない。自分がだらだらした文章を書きながら言うのもなんだが、どうもあまり長い文章を読みたくはないようだ。となると自然といくつかのトピックスを羅列したような本に手が伸びることになる。

店内2カ所に別れている本棚を往復すること数度。私は結局

「続ハッブル宇宙望遠鏡がみた宇宙」と

「ドイツの傑作兵器、駄作兵器」

という本を手にとってレジに向かった。前者は「続」でない方を以前に読んだことがあり、その内容に感嘆していたからである。もう一冊は「気楽にぱらぱらと読めるのかな」と思ったから。しかし、結局5ページも読む気がおこらずへそをかむような後悔することになるのだが、それはまだ明日のことである。

 

さて、首尾良く本を手に入れると今日初めてみつけたカレー専門店で「ローストチキンカレー」を食べる。実は昼もカレーだったのだが、まあかまうものか。ご機嫌になると今度はコーヒーの専門店で時間をつぶす。周りはどうやらOLだらけ。私は買ったばかりの本を読み始める。どれにしようかと迷ったあげくにピックしたのは「ブラックサンデー」だ。これがまたとても面白い。

ずんずんと読み進めてふと気がつくと周りはだいぶ静かになっている。時計をみれば9時すぎ。考えてみれば今日は月曜日だ。名古屋に比べれば東京エリアの夜は遅いが、それでも週の初めからいきなり夜更かししようという人はいないのだろう。

それからしばらくページをめくるといい時間になったようだ。私は店をでてホームに向かった。

 

寝台特急だから別のホームかと思えば、そんなことはなく、とにかく東海道線の下りはこのホームなのである。この時間であっても東海道線は次々と入線してくる。そのたびにものすごい数の人が出たり入ったりする。何度か人の流れに流されそうになりながら、私はホームにある販売機の陰に身を隠すという技を学んだ。

そのうちようやく待ち望んでいた寝台列車がきたようだ。今まで入線してきた電車と何かが違うと思えば、ディーゼル車なのである。先頭車両だけが機関車かと思えばその後ろに続く車両の窓からはとんでもない機械がかいま見えている。私が阿呆のごとく感心していると電車が止まり扉が開いた。どうやら横浜駅から乗り込むのは私くらいのもののようだ。

中に入ると片側に個室が並んでいる。先頭車両だけがA1寝台車で14室ある。そのうち乗客がいるのは4室だけ。6号室を覗いてみると畳一畳あまりのようなこぢんまりとした部屋でなかなか私の趣味にあっている。さらに壁を見るとありがたいことにコンセントもある。これでパソコンを使ってインターネットからダウンロードしておいた文章を読みあさるなり、駄文を書くなり、音楽を聴くなりやりたい放題である。

とにかく荷物をおいてほっとする。次にやることは、車内の売店を見つけることだ。私は外泊するとき

「寝ている最中のどの乾きに悩まされるのではないか」

という脅迫観念と

「あまり水分をとるとやたらとトイレに行きたくなるのではないか」

という強迫観念のはざまで揺れ動く。大抵の場合前者の脅迫観念のほうがつよく、夜中に何度もトイレにいくことになるのだが、最悪なのが

「ああ。のどが渇いてきた。なのに飲むものがない。このまま朝まで我慢せねばならんのか」

という苦しみである。飲む飲まないは別としてとにかく枕元に水分をおいておけば、この苦しみからだけは逃れられるわけだ。

ちょっとまて。部屋をでるからには鍵をしなければならない。しかし鍵はどこにあるんだ?と思ってきょろきょろしていると向こうから車掌さんが歩いてきて切符にスタンプをしてくれた。丁寧に

「よし」

の指差呼称つきである。そして鍵の場所も教えてくれた。

社内アナウンスによると5号車に自動販売機があるらしい。車両をつれつれと通っていくと普通の寝台車を通っていく。あまりじろじろ見るのも何だと思うのだが色々な人がいることに気がつく。よっぱらってご機嫌に話しているおじさんたち。旅行だろうか、若いお兄ちゃん達。年輩の女性は椅子のうえにきちんと正座して座っている。訓練とは偉大なもので、彼女たちには椅子に腰掛けるよりもああして正座している方が楽なのだろう。一日の終わりだからみんなどこかのんびりしている。浴衣を着ている人が多いこともあって、どこか風呂上がりの雰囲気だ。もちろんこの寝台車にお風呂などはついていないのだが。

5号車は食堂車のようだ。すみに自動販売機があり、テーブルの上にはお菓子をひろげて若いお兄さんふたりに年輩の男性が笑いながら話している。その会話の様子からして彼らはこの列車の中で出会ったのだろうか、などとも思える。

 

さて、私はと言えば、個室ですっかりご機嫌モードだ。以前に一度だけ寝台車を利用したことがあり、そのときはおろかにも腕時計をもっておらず

「乗り過ごしたのではないか」

という強迫観念のおかげでたぶん20分以上連続して睡眠しなかったのではないか。しかし今日は終点までのるのだし、ここは個室だし。ご機嫌になって、ズボンなんぞ脱いでしまう。パソコンをとりだしてごそごそしたり、音楽を聴いたりしていると、電車はほどなくして熱海に停車した。うげげげと思っているとホームを歩いている人とご対面である。こちらはまあ別にかまわないのだが、向こうは中年男の下着姿など見たくはあるまい。泡食って浴衣など着込んでみるが、着終わった頃には電車は熱海を出発していた。

しばらく本を読み続ける。この本は実に面白くなかなかやめることができない。時計を見ると12時だ。もう寝ることにしよう。明日の朝は寝坊できるとはいえ、ちゃんと寝ておかないとつらい一日になる。

 

体を横にしてみる。この椅子件寝台には、転落防止用の柵がついているのだが、どうもその柵だけにたよるものいやだ。となると必要以上に背もたれの側に体をよせることになる。そんな状況では眠りというのは必然的に浅くなる。しかし通常の就寝時間を3時間半もすぎている威力はありがたく、私は眠りに落ちた。

 

ふと気がつく。まだ外は暗い。とはいってもこの季節朝6時くらいまで外は暗いからそれだけでは何時か見当もつかない。時計をみるとまだ午前2時だ。今はどこを走っているのかはわからない。

窓の外には夜の街が流れていく。空を見上げれば、オリオンがかかっている。もう冬だ。いつものことながら夜空を見上げる度にそのにぎやかさに驚かされる。いろいろな色、明るさの星、地上に視線をやれば、淡い夜の光が流れていく。その光景をしばらく眺めながら考えていた。寝台料金は安いものだったと。

 

いつ眠りに落ちたのだろう。再び目が覚めると今度は外が明るくなっている。しかし日が見えるわけではない。見ていると窓にぽつぽつと雨があたっている。まずい。私は旅行に行くといつも雨という物の危険性を全く頭から追い出してしまう。デイパックをあさってみるがやはり傘は入っていない。

そのうち車内にアナウンスが流れる。5号車でお弁当を販売するらしい。いきなり行っても混んでるだろうから、のんびりいくべえかと思っていたら

「お弁当の販売は隣の鳥取駅までです」

と言われて泡をくって個室を出る。昨日と同じ寝台車を通って5号車に向かうがもう下車した人も結構いるようだ。髭を剃っている人。ぼんやりとしている人。朝のぼけっとした雰囲気とこれから仕事だという雰囲気がいりまじっている。

食堂についてみると人は全然いない。弁当は2種類で蟹すしと幕の内である。いつも思うのだが、この幕の内弁当というのはどうにも中途半端な気がする。確かにあれこれはいっているのだが、これといったものがない。となればすしを買うしかない。

部屋に帰ってさっそく食べようとする。一番外にはボール紙の外装があるが、これをとった瞬間大きさは30%以上縮小した。私は残った中身を手に取り少しため息をつく。こうした事は中身の味に期待を持たせてくれるものではない。箸をつけるとやはりおいしくない。しかし一緒に買ったお茶が暖かいのはなによりもありがたい。

食べながら窓の外をぼんやりと見ると、紅葉の始まった山々が流れていく。理論的にはこの光景は普通に電車に乗っている時と変わらないはずである。しかしこうして椅子に座って眺めているとホテルの窓から見える風景が流れていくように見える。これはなかなかご機嫌なことだ。

雨は途中はげしくなったたがそれからしばらくして今度は日差しがさしてきた。今は西に移動しているのだから天気の変化と反対方向に走っている。ということはこの気象変化は実に好ましい。この先はずっと好天かもしれないではないか。そう思っているとまた雲が広がり屋根に当たる音が聞こえるほど雨が降る。どうやら西に行くと晴れるとかそういった次元の問題ではなさそうだ。

途中鳥取、松江などをすぎるとほとんどの人はおりてしまったようだ。トイレにいくとどうやらこの1号車に乗っているのは私だけらしい。そろそろ私も降りる用意をしなければ。この

「外の風景が動くホテル」

生活もどうやらおしまいのようだ。

次の章


注釈

 9月12日:このときの様子、また何故こんな日に東海道線に乗っていたかは「2000年9月12日」を参照のこと。本文に戻る

「続」でない方:ハッブル宇宙望遠鏡が見た宇宙(参考文献参照)であり、「続」のほうと同じく大変すばらしい写真と文章が読める。本文に戻る