題名:

五郎の入り口に戻る

日付:2001/5/29


(その1)(その2へ

夏の暑い日。日差しが容赦なく照りつけているが、とびちる水しぶきはしばしそれを忘れさせてくれる。

ルビーって何色だっけ、と誰かが聞く。くぬやろう、何を寝ぼけた事をぬかしているのか。体が真っ黒に日焼けした別の男が怒鳴り返す。すいか割でもしようか、とさっきの男が言う。うるさい、ここはプールだということを少しは考えろ、もう一人の男が再び怒鳴り、すいかわりを提案した男はようやく静かになった。

太陽は少し傾きながらも200万馬力で照りつけているような気がするのだが、そんな単位でこの熱気を計ることができないことくらい解っていた。楽しい楽しいと各自が言い聞かせるしかない今日は夏休みの出校日なのだ。

誰もが知っていながら口に出そうとしない。いんちきなのだ、生徒が元気にやっているか知りたいが為にこの日を設定したなどというのは。はるか昔、もっと幼い頃はそうしたでっちあげの理由を信じたこともあったかもしれない。いや、あったと思いたいのだが今となってはそんなことはどうでもいいことだ。だいたい、今日が教師の給料日である、というだけの理由で出校日になっているのだーと叫んだところで何が改善されるわけでもない。

いいかげん泳ぐのも飽きてきた、そろそろ終わりにならないかと誰もが思いだしたとき笛の音が響く。首からかけた笛を吹いているのは英語の教師。しがない中年であるこの教師にとってもこの日はそれほど楽しい物ではないのだろう。

うへぇ、ようやく水泳も終わりだなどと言いながら皆がプールから出た。大変だ、とその時誰かが叫ぶ。ぶくぶくぶくとプールから泡が立ち上り、そこから何かが浮かび上がった。

立っている人間はその姿を見て腰を抜かし、プールサイドに座っていた人間は姿勢はそのままで密かに腰を抜かす。水面に浮かび上がったのは巨大な

「やかん」だ。

誰だ、こんなでっかいやかんを持ち込んだのは。発狂しかかったような英語教師の叫び声が虚ろに響く。苦悩しようが、いかに頭をひねろうがこんなところに巨大なやかんがある理由を説明することは不可能だ。誰もかれもの頭の中に一つの、ただ一つの言葉を浮かべているんや。

やかん。

んがっつ。つまらないことを書いているうちにしりとりに負けてしまったではないか。かーっつ。つらくなってきて無理矢理関西弁まで持ち出したというのにっ。月並みな縛りではないことは認めよう。うまくかけないのはしかたがないか。かといってこんな無理な落ちがあっていいのか、いいのか、本当にいいのかと言ったところでプールに浮かんだこの巨大なやかんをどうすればいいのだろう。うすら馬鹿のように口をあけていたその場にいた全員が思ったに違いない。いんちき、まさにその言葉がふさわしい。忌まわしいこの日にもこの雑文にも。

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本作品は「赤ずきんちゃんオーバードライブ」の20000ヒット記念に開催された「ここだけ雑文祭」参加作品である。前回は多岐にして多数の縛りが設定されていたが、今回はなんと縛りを掲示板で公募したのである。いくつか提案があったなかから選ばれたのが

・句点(。)で区切られた一文でしりとり。

・主人公不在。

・舞台固定。

・テーマは夏

である。ちなみに「主人公が不在」は私の提案。縛りを提案したからには参加せねばなるまい。などと意気込みは良いのだが、なんだこれは。しりとりという縛りから「ん」で落ちをつけようとしたのはいいとして、「ん」で終わる言葉が「やかん」しか思いつかなかったというのか。そのためには語尾に怪しげな関西弁を使うことも辞さないというのか。ええい。私の想像力が及ぶ範囲はこんなものであろうかなどと嘆いて見せたところで私は書いた物は公開してしまうのであった。促音と普通の音のつなぎはゆるしてね。発音すれば「わ」の「は」と、普通の「は」のつなぎもゆるしてね。ゆるしてねったらゆるしてね。

さて、この文を書いた後に

「もっと別の形態がとれないだろうか」

などと分不相応にも考えだし、書いてしまったのが次の作品。これを書いて何がわかったかは以下次号。

 

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注釈