題名:

五郎の入り口に戻る

日付:2001/5/29


(その2) (その1へ

春過ぎて 夏きにけらし 白妙の衣ほすてふ 天の橋立。

てりかえし 暑いところに てりかえし どぼじて夏は 暑いけるかも。

もしもしし あなたはなにを いっとるの 熱気にほうけて くるったのやら。

らんらららん 歌って踊って はつらつと はしゃぎもしなけりゃ たまりませぬ。

額田の君 ところで額田って なんのこと ぬでおわりとは 卑怯だわ。

悪かった 早期の謝罪は 嘘なのよ 本とはちっとも 気にしてない。

 

イカンガーとは少し前のマラソンの選手の名前であるのだが、甲府出身の或男はこれは名古屋弁がそのまま人名になったものであると主張し、彼のライバルには「えーがねー」がいると主張したのであるが、これは全くでたらめであり名古屋弁を侮辱すること甚だしいなどと憤ってみるのだが、これを読んでいてくれる奇特な人もそろそろこのだらだら続く文章を読むのにも飽きが来ている頃だと言う恐怖心を拭うことはできず、これも今回の雑文祭の特色であり、とにかく句点をうつとその前後でしりとりをせねばならぬのだから、それを避けようと思えば読みにくかろうと何だろうと読点を挟み文を続けねばならぬわけであるのだが、こうした場合には使う言葉に格別の注意を払う必要があり、危険な言葉というのも存在するわけだったりするわけで、たとえばモーニング娘。

めいっぱい頑張って着たのにこういう妙なグループ名など使うとそこで句点を使わざるを得ない。如何ともしがたいことがこの世の中には存在するのであるからして、ここでやけになるべきではなく、とりあえず背景の説明をすれば、冒頭の二人の会話が何をしながらかわされたものであるかと言えばオイチョカブ。 

舞台は完全に固定されてしまっていた。頼むよ、なんとか動いてくれよ、という懇願の言葉も生命をもたない、あるいはもっていたとしても耳を持たない舞台のあずかりしらぬこと。

時として神はこうした試練をお与えになるのですなどと本気であるか冗談であるかよくわからない言葉を発した男は次の瞬間鼻血を吹いて後ろに倒れた。大変だなどと誰かが叫ぶがそれでもその男に心から同情する奴などいない。いかに彼が自分を弁護しようとこの蒸し暑い空調の利いていない講堂でそんなことを聞けば逆上しない方がおかしいというもの。

のんびりと原因を調べ、そして対処することもあるいは可能であったかもしれない。如何せん熱気はそうした冷静な行動を許さないのである。るんるるるんと頭が切れたようにはしゃぐやつはいるは、オイチョカブなどやって遊び出すやつはいるは、それをやっている奴らは5.7.5というしばりであやしげなしりとりをやっているは、怒鳴り出す奴はいるは、いずれにしても情勢はあまり良好とは言い難くなっており、何らかの突破口が今ほど必要とされている時は無い。

怒りに燃えた目をしてある男がすくっと立ち上がる、などと書くとこの男が何かをしてくれるのかと思うだろうが、「主人公不在」という縛りの為にそんなことはおこり得ないのであって、次の瞬間それまで頑なに回ろうとしなかった舞台はいきなり周り出すことによって一人のヒーローの誕生を阻むのであった。

立ち上がった男はこれから述べようとしていた口上のやりばに困ったが、とりあえず舞台が動き出したことを喜ぶ人の波に隠れて見えなくなり、代わりに踊り子の一団が入ってきた。大変だ、もう時間がないぞと誰かが叫ぶが、そんなことにお構いなしに踊り子は回る舞台の上にのって踊り出す。

すぐに観客も入ってきて舞台をとりまき踊り出し、何が始まるかと言えば夏祭りなのであった。楽しい楽しい夏祭りと書いたところで「回る舞台の上で踊り子が踊る夏祭りとはなんのことだ」という疑問は厳然として迫ってこようが、浮かれた人たちにはそんなことはきにならないようであり、そもそも祭りというものは馬鹿馬鹿しいもの。ノリまくった人たちの燃え上がる熱気の中何かの夏祭りはまだまだ続く。

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本作品は「赤ずきんちゃんオーバードライブ」の20000ヒット記念に開催された「ここだけ雑文祭」参加作品その2である。縛り等については前作を観てもらうとして、書いて何が解ったかと言えば、日本語で文末にくる文字というのはやたらと限定されているということだ。「語尾砂漠」が意図しているところがようやく理解できた、というのは私にとってめっけものであった。

もう一つ書いてみて何が解ったかと言えば、自分の想像力の貧困さである。私が敬愛する「それだけは聞かんとってくれ」の作者であれば、もっと自由な形態で笑える文を書くのであろうななどと思うのだが、そんなことをいくら考えたところでなんともなるわけではない。しかし例によって書いたものは公開するのだよーんだ。

 

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注釈