題名:泣きっ面に店員

五郎の入り口に戻る

日付:2001/5/12


だいたい風邪を引くと気分が滅入るのだが、風邪とは関係無しに鬱になることもある。ずんずんどどどんと気分が落ち込む。理由も猫柳もなしににだ。最近の言い方でいけば

「それは脳内に○○○という化学物質が分泌されるからだ」

と言うことなのかもしれないが、何故その化学物質が分泌されるのだ。

「その時の気分によるのだ」

などと言われた、、言われたら、、泣いちゃうぞ、と本来怒り出す場面でも泣き崩れてしまうのが鬱状態というものである。

この鬱状態というのは定義によって大変楽しくない物だが、それにおいうちをかけてくれる物がある。所謂「泣きっ面にはち」とか「弱り目に祟り目」とかいう奴だ。冷静かつ客観的に状況を省みれば

「なーんでもない」

ことなのである。元気な時であれば。しかし鬱状態の時にはそうした些細なことでも

「ああ。人生なんてラララ」(このラララは嘆きの方)

と思わされてしまう。従ってこういう場合にはおとなしくアパートに引きこもり、ごきぶりであるとかダニであるとか、とにかくアパートに生息して物言わぬ生物と静かに過ごすことになる。ああやだやだ。しばらく布団をかぶって何もせずすごそう。

しかしながらそうやって無為の覚悟を決めたところで、人間である以上どうしてもさけられない事柄が迫ってくる。睡眠。これは一人でできる。おトイレ。これも今のところは一人で大丈夫だ。仕事。これはしょうがないからがんばる。仕事をしなければ生活の糧を得られず、そして遠からず餓死することであろう。自ら餓死を選ぶほどの鬱にはなったことはないし、仕事と割り切れば人との会話もそれなりにこなせる。だてに長い間サラリーマンをやっているわけではないのだ。問題は食事である。

大坪家には基本的に有機物がない。あったとしてもゴキブリとか蜘蛛とかろくな物ではない。従っていかに引きこもりたい気分であっても外に出て、食物を購入する必要があるわけだ。自分で調理する事などないから買うのはできあいの物。この目的を考えたときコンビニであるとかチェーン店の類というのは大変便利である。いつでも開いているし、色々な食べ物があり、結構おいしい。しかし鬱状態の時は注意しなければならない。そこでは弱り目かつ泣きっ面の私にハチ、もしくは祟り目を私にもたらす物、すなわち頑なに営業スマイルを浮かべ、機械的な応答を信条とする店員との会話が待っているのである。

 

以前の職場に勤めていた頃、毎朝の行動パターンは決まっていた。まず中華料理屋で納豆定食を食べる。ここで私はすっかり顔なじみになっており、だまっていても納豆定食が出てくる。次に隣のなんとかコーヒーと言うところに行ってコーヒーを一杯飲む。ここは普通のチェーン店であるから、店の人と顔なじみになるなんてことはない。店員は頻繁に入れ替わり、いつも胸の名札に若葉マークがついている気がする。さて、問題はここからだ。

私が注文するものは決まっている。いつも

「アメリカン。Lサイズ」

である。ここで注意しなければならないのは、この二つの言葉はできるだけ間隔を開けずに発音せねばならない、ということだ。ではこの二つの言葉を、別々に発音するとどうなるか。

私「アメリカン」

店員「アメリカンですね」(と言ったように聞こえる)

私「Lサイズで」

店員(同じ事を聞かせるんじゃねえといった様子をただよわせながら)「こちらでお召し上がりでしょうか。それともお持ち帰りでしょうか」

私(ちょっと変な気がしながら)「ここで。」

 

このやりとりを経て何がでてくるかと言えば「普通の」アメリカンなのである。彼女は自分が

「アメリカンですね」

と聞き返した後は

「こちらでお召し上がり、もしくはお持ち帰り」

といった選択肢しかうけつけないモードになっており、私が発音した「Lサイズで」はエラーとしてはねられてしまったわけだ。これではまるで出来の悪い音声自動応答システムである。

いや、それよりも恐ろしいのは私がためらいがちに「Lサイズをお願いしたんですけど」と言ったときの彼女の反応である。何一つ動揺することなく

「かしこまりました。アメリカンLサイズで」

と復唱したのだ。申し訳ありません、もなければ「ちゃんと発音しろ、この野郎」というこちらに対する非難の感情も無しである。

これが元気な時であれば

「まったくマニュアル通りの反応しかしない店員はなげかわしい」

と世の中に対して(この「世の中」というのが誰だか解らないところがミソだが)しばらく憤りおしまいにになるのだが、「泣きっ面」もしくは「弱り目」の時にはそうはいかない。ああ。みろ、このむちゃくちゃなコミュニケーションを。人と対話するというのはかくも難しいことか。私にはアメリカンLサイズすらオーダーする事ができないのか。などと考えくだんの店員の顔を見上げれば相手はアルカイックスマイルを浮かべ、微塵も動揺を見せず不動の姿勢である。

すると私は新たな不安に襲われる。果たしてこれは人間なのだろうか。たぶんそうに違いない。まだ世間でロボットなどと呼ばれるものは、せいぜいがHONDAのASIMO、SONYのSDR-3X、それに中華人民共和国が誇る先行者程度のレベルのはずだ。そんなことを考え、席についてからも彼女の様子を横目でちらちらと盗み見する。どうも先ほどから表情が変化した気がしない。これは一体何者なのか。いや、もしかするとこれが人間として普通の態度なのだろうか。逆にこんな「些細な」事であれこれ考えている私の方が異常なのだろうか。

かくのごとく鬱の時は勝手に妄想を膨らまし自ら掘った穴にはまりこんでいくのだが、ここでぐっとそうした気分を振り払い、背筋を伸ばしこの世の中というものに雄々しく立ち向かう決意を固めたとしよう。今日も私は珈琲屋に向かう。相手は知らない顔。胸には若葉マークがきらきらと光る。私は多少の不安に襲われるが、自分に言い聞かせる。大丈夫。今や私は経験から教訓を得たのだ。もうちゃんとオーダーできる。

「アメリカン。Lサイズで」

ほっ。ちゃんと切れ目無く発音できた。するとつかの間の安堵感に包まれた私に相手はこう問うのだ。

「お召上がりでしょうか」

私は変わり者であると言われることは多々ある。それは認めよう。しかしだからと言ってコーヒーを注文して、その後どうしろというのであろうか。召し上がるのでなければ、この場で自分の顔にぶちまけ

「ああ。さすがにカフェインはすごい。きっちり目が覚めました」

とやれというのであろうか。ええい、彼女は何を聞こうとしているのだ。

その言葉に曖昧にうなずくこと数日、私はようやく彼女が聞きたいのは

「こちらでお召し上がりですか、それともお持ち帰りですか」

という言葉の省略形だということに気がついた。うむ。いくらなんでもこの二つの文章をいきなり「お召上がりでしょうか」に略するのは乱暴すぎやせぬか。彼女はこうした言葉を私に投げつけ混乱させようとしているのか。一体何のために。ああ。宙に歯車がくるくるしている。

 

さて、月日は流れいつしか私は別の場所に勤務することになった。であるからして出勤前に立ち寄る珈琲屋も変わるのである。今度の店でもオーダーの内容は毎日一緒。すなわち

「持ち帰りでアメリカンお願いします」

である。こう発音すべきだということはわかっている。しかしふと意識が薄れると以前かよっていた定食屋で言っていたせりふがぽろっと出そうになるのだ。

「納豆定食」

しかしそれをぐっとこらえる。駄目だ。ここはコーヒー屋なのだ。

払うのは168円。もう財布から小銭をちゃらちゃらと集めてあるからお釣りも要らない。店にいるのはいずれも美しく若い女性達。彼女たちは決して私の手から硬貨はうけとらない。相手の手が差し出される事を予期し硬貨を差し出そうとも、彼女たちは黙って小銭を乗せる皿を差し出す。私が出した手は宙に浮いたまま。

それが彼女たちの文化-もしくは接客マニュアルに書いてあるやり方-であり、それ以上でもそれ以下でも無い、という悟りを得たのは数日後である。それからというものこの珈琲屋は私にとって誠にご機嫌な存在となった。毎日毎日平和のうちに全く同じやりとりが繰り返される。その中に私の妄想をかきたてる言葉は含まれていない。

しかしまだ油断してはならない。珈琲屋を出ると今度は昼飯-おにぎり一個だが-を買うためコンビニ立ち寄る。金曜の朝を除いて買う物は決まっている。ノンカロリー飲料のペットボトルとおにぎりだ。

「お願いしまーす」

と毎朝それらをカウンターに置いて言う私に対し、その店員は毎朝おにぎりをにぎりしめこう聞くのだ。

「暖めますか」

落ち着け。落ち着くんだ大坪。冷静に考えれば確かにほかほかのおにぎりは冷たいものよりもおいしいかもしれないではないか。おにぎりといえば遠足の弁当。それがいつも冷た物であったからと言ってそれを暖めるのが異常な行為とは誰も言えない。そう理屈では理解できるのだ。今だかってこのコンビニ以外でおにぎりを暖める事について聞かれなかったことも気にしないことにしよう。しかし何故この店員は毎回私に同じ事を聞くのか。世の中には

「おにぎりを暖めたかがっている顔」

というものが存在し、それが私の顔だと言うのか。

 

ええい。暖まったおにぎりごときに負けてコンビニを変えるわけにはいかない。お昼ご飯をかわなくちゃ、と今日も私はコンビニに向かう。レジを打ってくれるのは昨日とは別の店員。彼はなかなかフレンドリーである。「暖めますか」という問いに一度

「そのままでいいです」

と言えば2度と私に同じ質問をしない。それどころかいいかげんな恰好をして出勤する私に

「私服でいいんですか。いい会社ですね。うらやましい」

とにこやかに言ってくる。人が忙しく行き交う都会でこうしたちょっとした会話というのは大いに歓迎するところ。

「いや、いいかげんな会社ですからね」

と答えつつにっこり笑って相手の顔を見る。すると気がつく。そのお兄さんはレゲエというかとにかくそういう髪型なのだ。純和風の顔に口ひげがまったく似合っていないのは問わないとしよう。しかし頭の上に太く何本にもまとめられている髪の毛は私が何よりも苦手な芋虫毛虫の類を思い出させる。ああ。あなたは何故そんな髪型をしているのか。私に心の安まるときはないのか。

 

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注釈

 先行者:このロボットについては「侍魂」参照の事。本文に戻る