題名:書評

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日付:1998/3/8

修正:1998/5/29

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中国関係

曹操(2000/1)

講談社学術文庫 竹田晃著

魏の実質的な創始者、曹操について書かれた本。その出生から死までを、時代の背景についても詳しくふれながら解説している。またその後に

「曹操をめぐる人々」

「曹操の文学」

の2章があり、さらに深く曹操について知ることができるようになっている。この中で特に私にとって面白かったのが「曹操の文学」である。

正史などを読めば、或程度曹操の行ったことについて知ることはできる。しかし彼が書いたものについてはこれまで知ることがなかった。本文にもあるが、その詩は

「大きな野心を抱き、困難な事業と取り組みながら、疑い、悩み、恐れ続けていた驚くほどデリケートな神経の持ち主であったこと」

を示しているように思われる。神仙をテーマにした詩であっても、彼の心は幻想の世界にただ遊ぶことはできない。常に現実に引き戻され、夢と現実の間で悩み続ける。

このことは二つの事を物語っているように思える。一つは、彼は決して現実に鈍感であることで心の平穏を得るタイプの人間ではなかった、ということだ。現実は時に痛ましく、目を背けたくなることもしばしばであるし、彼が生きた時代にあってはもっと悲惨なものも多かっただろう。そこで心安らかに生きる為の一つの簡単な方法というのは、神経を鈍らし、自分の願望を現実として見ることである。しかし彼の詩からはそうした態度は見受けられない。彼が大きな業績を残した理由の一つは彼が徹底した現実主義、合理主義者だったからかもしれないが、それは彼にとっても痛ましい現実と正面から向き合うことを要求するものであった。

二つ目は、彼はそうした己の心情を正直に詩に書き表し、残している、という点である。そうした思い悩む己の姿を隠し、美しく化粧して強がることも可能であったかもしれないが、彼はそうしていない。こうした思い悩む事を「弱さ」などとは更々考えなかったか、あるいはそうした事を超越した自信を持っていたからか。あるいは常に現実主義者であった彼はそうした自分の心持ちであっても飾ることなく、そのままに描いたのか。

この本に書かれているとおり、彼は時として非常な残虐性を見せる。それが長年一緒に働いた相手であってもだ。しかし一方敵方にいた人間であってもその才を認め、過去を問わず登用したりもする。こうした行為は一見矛盾しているようだが、私にはなんとなく解る気がする。

彼の心の中にはどこかに一線があったのではないだろうか。その線の外側では、才のみを重んじた人間への接し方、あるいは人を大変思いやる心を見せる。しかし一旦その線の内側に入ってしまうと容赦なく切り捨てる。それがどんな相手であってもだ。この「一線」ができてしまうのは、現実に相対し、色々な事に気をくばることの反作用かな、と思ったりもする。うまく言えないが、現実に相対するのはとても自分の心をも傷つけかねない行為だ。そのために「最後の防御線」を引いてしまうことになるのか、と思うのだが。

このことについてはぼんやりと頭にあるが、まだうまく書き表すことができないのがもどかしいが。

 

孟子(1999/1)

岩波文庫。小林勝人訳注。

孔子に次ぐ「亜聖」(?)と呼ばれる孟子である。とはいっても古本屋で下巻だけ発見したので購入した。

本書についている解説を読むと、孟子は最初さっぱり重要視されていなかったらしい。それが唐、宋の時代になってにわかに重要とされるにいたったとのことである。また前に何かの本で「彼の思想は大変為政者にとって都合がよかった」と評されているのをみたことがある。

今回後編だけであるが読んでみて、「なるほど」と思った。私は結構論語のファンである。墨子や荘子、老子も好きだ。彼らともしはなす機会があれば、いろいろなことを聞いてみたい、と思う。理由を一言で言うとすれば、それぞれ立場は違うが、この人たちの言葉は現実にかれらなりの方法で向き合った結果から導き出されたように思えるからだ。しかしこの本だけは、頭は切れるが誠実みのない会社の上役と話しているような気がしてくる。現実を知らず会社がかかげるたてまえだけをまくしたてる人間のように。従ってもし孟子と話す機会があれば「いや。すばらしい本をお書きで。サインしてください。ではさようなら」と言うだろう。

孟子と言えば一番有名なのは告子編にでてくる性善説であるかもしれない。ここに乗っている議論は一見相手の言葉尻をとらえて巧みである。しかし相手の質問は全く答えていない。言葉尻をとらえて、相手の気をそいで、根拠も理屈もへったくれもなく「人間の本性は善だ」と断言する。こうした論法というのは口答の議論では結構威力をはっきするが、文章にするとぼろがでてしまう。それをわざわざ書物にしてしまうあたり、孟子というのはあまり(私からみれば)おもしろい人間ではなかったようだ。

しかしこうした素質はまさに平穏な今の大企業の管理職に求められるものである。部下が何か不満や改善意見を述べる。するとその言葉尻をとらえて適当に反論し、最後には「いや。会社のやっていることは正しい」と相手が言ったことを全部無視して断言する。実際私が話した「日本の大企業の切れる上役」の受け答えというのはみなこのようであった。おそらくこうした誠実みのない、明確な受け答えができることが、組織で出世するための一つの資質なのであろう。孟子が為政者にとってもてはやされたのも宜なるかな、というところである。

従って私としては前編を買って読んでみよう、などという気はさらさら起きない。しかし彼が蕩々と自説を述べるところ以外の断片的な言葉には結構おもしろいものがある。いくつか引用してみよう。(いずれも巻第7からの引用)

「全く思いも寄らぬ事で誉められることがある。万全を期して立派な事をしているのに、かえって非難を受けることがある。世間の評判はあてにならぬものだ」

「世間の人の口が軽いのは[自分の言葉に対して]責任感がないからだ」

「世間の人の悪い癖は[それほどでもないのに]とかく他人の先生になりたがることだ」

こうした「いいことを言う」からといってその人が深みのある人物である、ということにはならない。私が観察したところによれば「人間、言うこととやることは全く別」なのである。実際2番目と3番目は孟子自身に当てはまる言葉ではないか、と思うがたぶん当人にその自覚はあるまい。しかしそれでこそ本書が日本の企業で出世する事を望む人にとって必読の書、といえるわけだ。

 

史記(1998?) (参考文献に戻る

平凡社出版。中国の古典シリーズ。全3巻。司馬遷著。野口定男、近藤光男、頼惟勤、吉田光邦訳。

誰もが名前だけは聞いたことがあるだろう中国の古典。これはそれのうれしい全訳である。こうした本が全訳で読めるというのは実にありがたいことだと思う。

人の世の中には変化したと思えるところと、変化しないところが混在している。そしてこの本を読むと、人の性根、そしてその人が作り上げる社会というものがその装いやスローガンを別にすればほとんど変わりがないという事実に気が付かされる。この書物が不朽の古典となったのは、人の世の中を(多少の脚色はあるにせよ)良いと言われることも、悪いと言われることもそのままに描こうとしたことにあるのではないか。特に従来の歴史書では触れられなかった市井の人々の生活が描かれているのは大変ありがたい。こうした一見冷めたような、澄み切った社会を見る目はおそらく司馬遷の境遇と無縁では無かっただろう。

これにくらべると愛すべき我が国の日本書紀だの古事記だのはやはり今一つだ。この本の中で好きな言葉はいくつもあるが、ここでは「士は己を知る者のために死す」をあげておこうか。

 

墨子:(1998/5/?)

講談社学術文庫、浅野裕一著中国古代の思想の一派であった墨家の思想を示す本であるところの墨子の現代語訳及び解説。訳は主要な箇所のみであるが、解説とともにポイントが押さえられており、非常に読みやすい。

墨子の思想はこれまで「非攻」だけを倫理社会の授業でならった覚えがある。未だにだれも明確に答えることのできない「人を一人殺せば殺人となるのに、戦争で的を100人殺せば英雄となるのは何故か」という問いである。

今回全体を見回してみて、なるほど諸子百家とはいうものの、それぞれの学派でずいぶん雰囲気が違う物だなと感じた。町の長老と行った感じの論語、これまたちょっと意地悪爺さんといった感じの老子、こうるさい教師といった感じの孟子、自由奔放な荘子などと異なり、非常にまじめで理屈っぽい説教師といった趣がある。

今回発見した興味深い点はいくつかある。一つは墨子の鬼神の扱いである。理を持って教えを説こうとした墨子はおそらくどこかの時点で「従わせることはできても、その理由をしらせることはできない」民衆という壁につきあたったのだろう。所詮理を持って教えを説こうとしてもその対象となる世の中は合理的にできていないのだ。

そこで彼は(おそらく)鬼神を持ち出した。理屈を解さない人々を脅しつけるには神様を持ち出すに限る

しかしながら墨子の論理性こそが「鬼神」の一番の敵であったのだ。理をもたずして人を脅しつけようとするならば、必然的にある程度「理」から離れなくてはならない。しかし根が論理的な墨子は論理的に「鬼神」の存在を弁護しようとして、ますます苦しい立場に追い込まれる。そして最後には(ここから本文引用)

「およそいかなる宗教にせよ、その神格への信仰を説いた後にもし神が実際にはいないとしても、祭祀に使う費用はたいした額ではないし、それに宴会で親睦も深まるのだから全部が無駄になるわけではない」と言わざるをえなくなるのだ。ここに理を持って不合理な世の中に相対し苦闘している「まじめな」墨子の姿が見えるような気がして、一種親近感を持ってしまう。

 

しかしながら、これは勝手な想像だが、例によって例のごとく墨子自身がどのような人間であったにせよ、後世に残ったのはその本質ではなくて形式だったのではなかろうか。墨家集団は「合理性を重んじる」集団から、おそらく苦行とボランティア活動を旨とするような宗教集団へと変質したのだ。墨子自身には弟子から議論をふっかけられることもあったのだろう。不遜と言えば不遜、自由闊達といえば自由闊達である。しかし後世になりおそらくは「墨家集団の内部の法に従うこと」が強力に要求されるようになったのだ。この本の作者は「真に思想集団と呼ぶにふさわしい成長を遂げることが可能となったのである」と称している。作者が「思想集団」と言う言葉をどういう意味で使っているか不明だが、私は「宗教集団」と化したのだと思う。自由闊達な論議を許さぬ集団が「思想集団」でなくて「宗教集団」でなくてなんであろう。

そしておそらく独自の法律を持ち、独自の世界を作り上げていた墨家集団は統一国家秦の建国と共に徹底的に破壊されただろう。法家の理念を旨とし、法により国土を統一しようとした秦が「異なる法」をもつ集団を放置しておくはずがない。

墨子の思想のみならず、それがたどった道の解説も大変にInspireされる内容だった。

 

正史、三国志参考文献に戻る

ちくま学芸文庫。ISBN4-480-08041-4。カバーによれば「正史「三国志」の我が国唯一の完訳である」全8冊。読むのに非常な努力を要するが、おもしろいことこの上ない。三国志の時代に関してかかれた現代の本が、ほとんどこの正史を元にしていることを考えれば、この本を読まないで現代の「解説本」ばかりを読んでいるのは、片手落ちのようなものだ。

特にあまり紹介されない人たちの記述は興味深い。たとえば蜀の劉禅に関する記述は、ほとんど年表のようであり、劉禅自身が何かをしたか、という記述はほとんどない。ここに彼がいかに凡庸な君主であったかが無言のうちに示されている。。。とか全文を眺めながらいろいろ考える材料にはことかなない。

ちなみに「邪馬台国」の記述もこの中に出てくる。昔「魏志倭人伝」と習った覚えがあるが、この本の構成をみると「魏書、東夷伝の中の倭人に関するところ」というのが正解のような気がする。三国志全体のなかでここの記述だけを観ていると、これだけの簡略な記述に関して「九州だ、大和だ」と論議をするのはどうも馬鹿げているような気がしてくる。

 

老子参考文献に戻る

中央公論社、小川環樹訳注。荘子とならび「道家」と分類されることが多い老子だが、その内容の差異はある意味はっきりしているように思える。

一見神秘的な教えを説いているようでありながら、その内容はどこまでも人間社会から離れることがない。そしてその言葉はこの本が長い歴史を経て今に伝えられたことからもわかるように言葉の上でどう響こうと人間社会に対するある意味の真実を伝えている。

たとえば一見逆説的な

「何もしないことによってこそ、すべてのことがなしとげられるのだ」

という言葉がある。ちょっと聞くと「おお。なるほどこれが東洋の神秘的な英知というやつか」と誰かが言いそうな言葉ではある。

ではこの言葉はどうだろうか?

「ときにより、ところによっては、目立った変化がおこることもある-特に人がそのためにがんばっていないときには。」

実はこの言葉は次の言葉と対になっている。

「たいていのとき、世界のたいていの部分では人がどれほどがんばろうとも意味のあることは何も起こらない」

これらの言葉は先に挙げた老子の言葉と重ならないだろうか?実はこの言葉はG・M・ワインバーグの「コンサルタントの秘密」という本に載っている「ワインバーグのふたごの法則」およびその転置型である。

コンサルタントというのは、クライアントのところに行って何かの変化をもたらすように依頼される職業である。そして代金及び名声はその「理論」ではなく「結果」に対してもたらされる。となれば仮に彼がどんな高邁な理論を述べようが、複雑なシステム挙動を論理的に説明しようが実際に「システム」に変化が起こらなければ無意味なわけだ。彼はおそらく実際に人間を含んだ「システム」というものに「現実的な立場」から長年対面し、それが実際上どのように動くか、ということを身を持って知った上でこの「ふたごの法則」をうち立てたのだろう。

洋の東西の違い、1000年以上の時の違いを経た二人の言葉が同じ事を述べていることにこそ、私は「老子」が現実に深く根ざし、現実とかかわりあうことから生まれた書物であることを示しているのだと思う。

この本を読みながら、心に残ったフレーズがあるページの端を折っていくと、しまいにはおれたページばかりになってしまう。だから全てをここで書いてみようとは思わない。多分この本は私が長年に渡って側に置いておく本の中の一冊になるのではないか。

 

毛沢東語録(平凡社、毛沢東著、竹内実訳)

文化大革命が恐ろしい厄災-人災-であったことは今日では広く知られている。自らの行為を正当化し、他の国を非難するのに全く躊躇の無いあの国では少し前、よくわからない理由により国民はお互いに殺しあい、苦しめあっていたのだ。

そのときの中国のイメージは、人民服にうちふられる赤い冊子であった。それが毛沢東語録であることを知ったのはずいぶんと幼少の時だが。

肝心の中身についてはついぞお目にかかれず、古本屋で「毛沢東語録」を見つけたとき迷わず購入した。

 

人民服の群がこの冊子をうちふっている姿、それはとても印象的なものであった。そしてこの本はそうやって扱われるのが一番似合っているのかもしれない。

正直言ってこの本を読むのは苦労した。この冊子をうち振っていた人たち。彼らはこの本に宗教的な幻想を抱いていたのだろうか。宗教的な幻想を抱くのに、内容は全く関係ないのだろうか。ほとんどの部分はあまりにも一般的だったり、教条的だったり(もちろん教条主義をいましめる内容もあるのだが)退屈なだけで、思わずとばして読みたくなる。そしていくつかの言葉は、彼らがこの本をうち振りながら行っていたことを考え合わせるとき、「皮肉」ともとれる。

「しかし、われわれは謙虚でなければならない。現在ばかりでなく、45年後もそうでなければならず、永遠にそうでなければならない。中国人は国際的交際の面では、断固として、徹底的に、残らず、完全に大国主義を消滅しなければならない」

ここで「謙虚」とは何を意味しているのだろうか。中国は外交にあたって「謙虚」という定評を勝ち得ているのだろうか。チベットの人は中国を謙虚と思っているのだろうか。それとも毛語録をうちふる人にとって「謙虚」という意味なのだろうか。

「世の中では観念論と形而上学がもっとも安直だ。なぜなら、口からでまかせをならべればよく、客観的実際にもとづく必要もなければ、客観的実際によって点検されることもないからである。唯物論と弁証法は気力を要する。それは客観的実際にもとづかねばならず、かつ客観的実際に酔って点検されなければならない」

ここで「客観的実際」とは何を意味しているのだろうか。「大躍進」は現実を全く無視した農業の集団化、鉄鋼生産(と呼べるものかどうかは別として)により恐ろしい数の餓死者を生み出した。それを指導した指導者達は客観的実際に基づいていたのだろうか。そして千五百万人を越える人たちは観念論によって殺されたというのだろうか。

 

しかしながらほんのいくつかであるが、学ぶことのできる言葉もある。

「革命は、客をよんで宴会をひらくことではない。文章をつくることではない。絵をかいたり、刺繍をすることではない。(中略)そんなふうに温、良、恭、謙、譲ではありえない。革命は暴動である。ひとつの階級がひとつの階級をくつがえす激烈な行動である。」

この言葉は「革命」を「変化」としても正しいのだと思う。私が知る限り会社において

「われわれは変化しなければならない。やり方を変えなくてはならない」

と言っている人間(この数は実に多いが)の99%は

「変化とは温、良、恭、謙、譲でありえる」と思っている人である。少なくとも私の観察によればそうだ。彼らは今持っている物を何も失わず、何のリスクも伴わない「変化」を望んでいるのだが、そんなものは世の中に存在しないのである。(と少なくとも私はそう思っている)

 「敵と闘争するため、われわれは、長い時間をかけてこのような概念を形成した。それは戦略的にはすべての敵を軽視し、戦術的にはすべての敵を重視せよということである」

戦略的に敵を重視すれば、おじけづき、とれる戦術もとれない。戦略的に敵を軽視し、思い上がって戦術的にも敵を軽視すれば、必ず痛い目に遭う。自分が勤めている会社にN○○という3文字があるだけで自分が特別だと信じている人間に囲まれている今の境遇では、後者の人間をたくさんみかけるのだが。しかし私自身はといえば後者の誤りをすることも、またおびえきって手がでない前者の誤りも多いように思える。

 

この赤い冊子はおそらく人類の歴史の中で一番多く印刷された書物だろうと言われている。しかしそれより印象的なのは熱狂の盛り上がりと、それが捨てられた早さである。「訳者前書き」によるとこの本はいまでは旅行者向けの本屋でしかみかけないとのこと。人口が三十数億だった中国でなぜこの本は五十億冊以上も印刷され、そして今ではそれがみられないのだろうか。

この事実が、この語録に全く内容がないことを示しているように思えるのだが。

ちなみにこの本の巻末にのっている二つの解説文書-特に後者のほう-はたぶん著者が意図したのとは別の意味で興味深い。何か言葉が並んでいるがたぶん書いている本人も自分が何を書いているのかさっぱりわからないのだろう、という文章は久しく見なかった気がする。

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注釈

曹操:(トピック一覧)この人物についてはあちこちで引用している。本文に戻る

 

人間、言うこととやることは全く別:(トピック一覧)このことに関しては「論語」にも孔子が反省を込めて述べた言葉がある。そしてこの言葉は私にも等しく当てはまる。本文に戻る

 

人の世の中には変化したと思えるところと、変化しないところが混在している:(トピック一覧)実はあまり変わっていない、と観ることもできる。本文に戻る

 

士は己を知る者のために死す:(トピック一覧)この言葉は私のいろいろな考えを刺激してくれる。トピック一覧経由関連部分を参照してほしい。本文に戻る

 

世の中は合理的にできていない:トピック一覧)合理的にできいないものを合理的に計ろうとすることは大抵の場合失敗に終わる。巨人の長島が監督でいられるのは、この信条をサポートする事実かもしれない。本文に戻る

 

理屈を解さない人々を脅しつけるには神様を持ち出すに限る:(トピック一覧)たいていの宗教では信賞必罰、天国と地獄はワンセットである。本文に戻る

 

後世に残ったのはその本質ではなくて形式だった:本質は理解しがたく、形式はわかりやすい。創始者は本質を理解できて説くほど聡明だったとしても、そういう人は多くはいないし、教えが広まるにつれて、形式しか理解できない人達に多く遭遇するようになる。結局残るのは形式だけだ。本文に戻る

 

コンサルタントの秘密:(参考文献一覧)私が知っている限りで実際の世界ででくわすさまざまな「システム」に関するすばらしい本。ワインバーグ氏の著書はどれも一読の価値がある。本文に戻る

 

二人の言葉が同じ事を述べている:実はワインバーグは別の著書「システムづくりの人間学」(参考文献一覧)でこうも述べている。「だが自分自身をしはいするにはどうしたらよいだろうか?いつの世にも、東洋の哲人達はそれを知っていた。だが彼らの解答は、筆者自身を含む西欧人にとって何とも及びがたいという感じを与える物である。自分を支配する道は支配しようとする企てをやめることにあるというのだ。面接に対してそれを絶対的に支配することはできない、という態度で接することによって、人は最大級の支配を成し遂げるのである」

ここでワインバーグは一応表面的に「何とも及びがたい」と書いているが、内心は「東洋の哲人」に同意しているのではないかと思う。そうでなければわざわざここに長々と引用したりしないはずだ。本文に戻る