題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2026/01/03


福岡県筑前町立大刀洗平和記念館:福岡県(2025/9/27)

一年前、鹿児島に仕事で行く機会があった。その時はただ往復してしまったのだが、後で気がつく。なんという勿体無いことを。私は九州に行っていたのではないか。なのに素通りしてしまうとは。もしまた機会があれば、あそこにいってここにいってと構想をねりだす。

ところが年が変わり、年度が変わっても鹿児島の仕事は音沙汰がない。全部自費で行くには鹿児島はあまりにも遠い。しかたない。まあ来るかどうかわからない次の機会ということで、と諦めたころいきなり仕事が決まる。よし今度はただ往復することはしないぞ。

というわけで、少し端折るが仕事は無事に終わる。というわけで帰り道の検討。鹿児島から門司(帰りの船にのる場所)の間、とりあえず2箇所行きたい場所がある。夕方までに門司につけばいいのだから、なんとかなるだろうとタカをくくっていた。

出発の二日前、ではちゃんと日程を調べようとして愕然とする。どうやってもその2箇所を巡るのは無理だ。私は九州新幹線というイノベーションの威力を過大評価していた。九州は南北に長いのだ。ええいどうしてくれよう。よし。行くのは1箇所だけにしよう。時間をつめれば2箇所いけないこともないが、常に船に乗り遅れる恐怖と戦うのもいやである。というわけで鹿児島の仕事が終わると、軟骨入りカレーライスを食べ鹿児島を後にする。向かうのは鳥栖という場所。名前だけは知っていたが、まさか自分がそこに宿を撮ることになるとは思わなかった。その日はホテルにたどり着くとくてっと寝てしまう。

さて翌日である。幸いなことに気温はだいぶ下がり、これなら外を歩いても蒸し焼きになることはあるまい。電車にのりかたこんと目的地に向かう。途中一両の列車に乗り換える。結構人がのりおりする。外を眺めていて、最近たてられらと思しき、物流を扱う建物があるのに驚いた。昨日調べて知ったのだが、鳥栖は近年人口が増えている。何が起こっているのだろうかと興味を持つ。そのうち目的の駅についた。ワンマンの運転手さんに料金を支払う。考えてみれば電車から降りる時現金を支払うのは久しぶりである。

さて本日の目的地は、とあたりを見回すまでもなかった。駅舎をでると巨大な目的地が目に入る。

全景

入り口に古い門柱がある。説明を読めば別の場所から移築されたものだとのこと。入場料をはらって中にはいる。すると男性が「お荷物がありましたらあちらでどうぞ」と言ってくれる。百円払うが出す時戻ってくる。ああ、なんて良心的。

その男性が最初に館内の説明をしてくれる。10時から映画がありますからぜひどうぞ。順路はこのようになっており、飛行機だけ撮影が可能です、とのこと。というわけで展示を見ながら館内を回る。

かつてここには陸軍の大規模な飛行場並びに航空兵養成機関があったとのこと。人が集まり鉄道がひかれ大きな街になっていく様子が描かれる。その頃どんなにたくさんの物語がこの地にあったのだろう、と思いながら歩いているといきなりこれに出くわす。

震電
震電
震電

震電である。第二次世界大戦時、従来の戦闘機とは違う形の戦闘機がいろいろ試作された(いろいろな国でだ)それぞれに理屈はあったのだが、最終的に得られた結論は

「普通の形で十分」

だったのは皮肉とも深遠な真理を表しているようにも思える。というわけで日本で行われた「違った形がいいんではなかろうか」の結果の一つがこの戦闘機。普通機体のお尻にある尾翼が前にある。ゴジラ-1.0では大活躍していた。そりゃ小学4年生が考えればこの機体を活躍させるよね。映画自体は私の中でその年ワースト1だったが、そのおかげでこの機体の模型と対面できるわけだ。

その隣には零戦32型がある。

零戦

なぜこの写真を出すかといえば、翼端が角張っているから。これについては長い話があれこれあるのだが、まだ学んでいる途中なのでここでは語らない。サイパンからもってきた機体で、そもそも機体を日本に持ってくることに住民の反対があったりとかいろいろな物語があったとのこと。日本に来てからも何度か展示場所が変わっているようだ。よく見ると胴体上面は凸凹になっており、相当補修したのだろうなと思わせる。

零戦

もう一機、陸軍の97式戦闘機も展示されているが写真を撮るのを忘れていた。しかし最終的に、この機体について最も詳細な説明を聞くことになろうとは予想だにしていなかった。

2階には特別展示として震電と九州飛行機についてあれこれ展示されている。大戦中日本にたくさん存在していた飛行機製造会社がその後どうなたっかについては、さまざまな物語があるのだろう。九州飛行機は形を変え今だに存続しているらしい。さらにその上の天井にはB-29と屠龍(日本の双発戦闘機)のシルエットが示されている。それを見るとB-29は本当に大きい。戦後に皇族の誰かが書いた

「悔しいけれどB29は立派です」

という言葉を思い出す。

そのあと1階に戻り十六分の映画を見る。この地の歴史と昭和20年にうけた空襲の物語が語られる。小学生の一団が「こちらにくると危ない」と言われ、森に逃げ込んだ。爆弾がそこに着弾し34名が亡くなったとのこと。

B29とて何もないはずの森を狙って爆弾を投下はしないだろう。つまり外れ弾ということになる。しかしそれが小学生がいる場所に落ちてしまうというのもなんともならないこと。自分が子供を持つ親になるとこういう話を聞くのは辛い。入り口近くに2歳で被曝し12歳で白血病で死亡した少女が作った鶴が置いてあった。その少女の苦しみもさることながら、少女のご両親のことを考えると心が塞ぐ。

などと考えながらそこを出て駅に戻る。果たしてこの場所のことを「めぐり巡って」に書いていいものだろうか。あまりにも隙がない。

などと考えているうち駅に近づく。先ほどから存在には気がついていたこの建物に何か変化があったようだ。

レトロ

男性が私の横をとおって入っていく。どうする?ここに入るか?

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注釈