題名:2000年9月12日

五郎の入り口に戻る

日付:2000/9/12

午前4時 | 弘明寺-戸塚-静岡 | 静岡-岡崎 | Short way to home


弘明寺-戸塚-静岡 

まずは弘明寺から戸塚まで横浜市営地下鉄にのる。空気は暑くはないがじっとりとしている。体から汗がふきでてぬめぬめしてくるのがわかる。

始発の電車に乗り込む。始発電車にはおおまかにわけて2種類の人間が乗っている。朝早くから勤めにでるのであろう、どちらかと言えば年輩の人たち。この人達は

「おー。○○さん。今日ははやいねー」

とかなんとか声をかけあっている。

もう一種類は終電にのりすごしてしまい、始発にのった人たちだ。こちらの年齢はバラエティに富んでいる。おっさんあり、金髪のお姉ちゃん(アジア人だが)あり。だいたい体の芯がぐてっとくずれており、なかには椅子に完全に横になって寝ている人もいる。もちろんそれら以外に私のようにスーツなど着込んで妙に緊張した面もちで乗り込んでいる人間もいるのだが。

ぼーっとしている間に戸塚駅に着く。瞬間ダッシュを始めた人が何人かいた。ものすごい勢いで登りのエスカレーターを駆け上がっていく。おもうに走ると間に合い、歩くと間に合わない接続があるのだろう。私も一瞬同じく駆け上がろうかと思ったが、どっちにしたって切符を買わなくてはならない。ゆっくりとエスカレーターに立ったままである。

JRの乗り場とおぼしき場所につくときょろきょろ当たりを見回す。自動販売機は何台もあるが、それ以外に切符を購入できる場所はないようだ。私が今日行こうとしているのは、料金を示す地図からは遙か彼方の場所だ。とはいってもさすがにこんな時間ではみどりの窓口を開ける気もするまい。しょうがない。とりあえず一番高い切符を買って、出口で精算するか。

ホームでは何人かの人がぼんやりと列車を待っている。空は曇ってはいるが雨はふっていない。この天気からすると名古屋の方がえらいことになっている、というのは信じられない気がするが、まあ天候というのはそうしたものである。ほどなく列車がついた。

この電車は通常東海道本線を走っている鈍行とは違い、特急仕様と書いてある。座席は横に長いベンチシートではなく、左右に二人ずつ進行方向をむく形式だ。列車が停止する前からすでにして通路に人が立っていることに気がつく。どうやら満席らしい。

扉が開いて中に乗り込む。瞬間酒臭いことに気がつく。地下鉄のところで考えた概略二分法はこの電車においても正しいようだ。適当な場所を探して立っている。駅に着くたびに人がのったり降りたりする。運がいいと座ることができ、運が悪いとそのまま立っていることになる。この日はあまり幸運に恵まれなかったがだいぶたってから私が立っていた近くの人間が降りた。とりあえず座れると幸運に感謝して、一息つける。

 

となりの座席には私より少し歳がいったと思える男生とその子供らしき二人連れが座っている。子供は元気がいっぱいだ。ほれほれと騒ごうとするのだが、そのたびにお父さんが押しとどめている。そのうち子供の隣の席があいた。子供は横になろうとする。父親は子供をしかりつけ、自分でその位置に座ることにした。

そのうちその親子と前に座った男性の話声が聞こえだした。どうやら昨日の晩のうちに新幹線で帰ろうとしたらしいが、列車の中に閉じこめられたまま動けなくなったらしい。

「ようやく帰れますよ」

とかいう声が聞こえる。その声があきらかに疲労しているが、子供はあくまでも元気だ。正確にいうと時々父親によっかかって寝ているのだが、元気な時にはぴょんぴょんはねまわろうとする。子供というのは実に静と動の状態をうまく切り替えるものだ。動の時には無限とも思えるエネルギーで騒ぎまくる。そして一旦エネルギーが切れると私の姉が言うところの

「突然死」

のように眠りにはいる。寝ている間はぐっすり安らかに眠っている。浅い眠りから何度も目覚め、昼間は眠気と戦っている自分を思うときどうしてあのようにできないのかと考えたりする。

さて、子供のエネルギーは切れて一旦充電のようだ。私はそんな光景を横目で見ながらパソコンを広げ、イヤフォンをかけた。学生のころは当時発売されたばかりのウォークマンという物をもって鈍行の旅にでた。最初は実にご機嫌だったが、そのうちバッテリがきれた。となるとこの箱は単なる重石になってしまうし、音楽を奏でる以外何ができるわけでもない。

それから20年あまりがすぎ、私の膝の上にはノートパソコンが乗っている。パソコンなるものが最初に登場したときは

「一体何につかうのか」

という論議がかまびすしかった。それも当然で、当時の「ワンボードマイコン」なるものができたことといえば、せいぜいLEDを点滅することや、ブザーを鳴らすことくらいだったから。

今膝の上にあるパソコンに接続したイヤフォンからはMP3で「記録」した音楽が流れてくる。ただの音楽にあきれば、映画や音楽のビデオクリップを眺める。(いつものことながらモーニング娘のビデオクリップを見るときには周りの目を気にする必要があるが)そしてメールを読んだり返事を書いたり、あるいはこのホームページに載せる文章を書いたりする。

「一体何に使うのか」

と聞かれれば、今や実にたくさんの答えがあることに気がつく。

 

などと感慨に耽っていると、例の父親から話しかけられた。イヤフォンをはずせば

「あの。もう少し静かに打ってくれませんか」

とのこと。どうやら私がキーボードを叩く音がうるさい、ということらしい。私は

「どうもすいません。」

と言って手を休めた。

タイプする速度が早い、と言ってもらったことは何度かある。しかし大抵の人は私が叩いているキーの2割強はミスタイプを修正するためのDeleteキーであることを知らない。

しかし考えてみれば

「キーを打つのが早いですね」

というのを他人が知る、ということはつまるところ私がたてているキータイピングの音を聞いてそう判断するわけだ。もし画面をみているのであれば、私が轟音をたてていても実はカーソルは言ったり来たりしているだけで、あまり前に進んでいないことに気がつくはずだから。と考えると私がタイプしている時は周りに騒音をまきちらしている、ということか。今まで気がつかなかったが。

しかし、と私は再び考える。確かに静かな図書館などでキータイプの音がうるさく響く、ということは確かにあるのだろう。どっかの図書館では

「ノートパソコンはこの部屋でお使いください」

と書いた部屋を見たことがある。しかし今私がいるのはいわば騒音の巣であるところの電車の中であり、彼は私と通路を隔てた座席に座っているのだ。

となれば、彼は圧倒的な騒音の中から、かすかなキータイプの音を聞き分け、精神を乱ししていることになる。何故彼はそれほどキータイプの音に固執するのだろう。

これには色々な理由が考えられる。たとえば彼は仕事で、キーボードの耐久試験を命ぜられているのかもしれない。まあ普通は機械がそうした試験を行うのだが、期限が迫っており、なぜか機械が故障したとしよう。となれば、

「おまえがやれ」

と誰かが命ぜられても無理はない。彼は朝から晩まで無意味な文章をうち続ける。それに対して何がおこるわけでもない。ただただキーをうち続ける。静かな部屋にはコンピューターのファンの音とキータイプの音だけが響く。もう何時間たっただろうか。今は朝なのだろうか、それとも夜なのだろうか。確かしばらく前に食事をしたような気がするがあれは何飯だったのだろうか。そして今自分は腹が減っているのだろうか、減っていないのだろうか。そして部屋の中にはただ音が響く

ぶぉーん(これはファンの音)

カタカタカタ(これはキーボードの音)

 

こんな仕事をしていればキータイプの音に敏感になっても無理はない。しかし自分で考えておいてなんだが、この想定にはどう考えても無理がある。そうだ。彼は昨日新幹線に閉じこめられた人であった。であればこんなのはどうだ。

昨日新幹線の中に閉じこめられた時に、近くに巨大なキータイプの音を響かせる白人がいて、その音に悩まされたのだ。(何だこの断言した語尾は)相手が白人であれば、大抵の場合我々は英語で話さなければならない、という強迫観念に悩まされる。そして

「あの、申し訳ないんですが、キータイプをもう少し静かにお願いできないでしょうか」

を英語で言おうとする。

えーっと申し訳ない、というのはI'm sorryじゃなくて、Excuse meだな。日本人はI'm sorryを使いすぎるっていうからな。気をつけないと。もう少し静かってのはなんて言うんだろう。more silentかな?そういえば比較級には確かerをつけるんだった気がする。となるとSilenterかな。サイレンター。サイイレンター。こんな単語あったっけ。サイレンサーってのはちょっと違うし。どうもうまくいかない。silentっていうのが問題だな。では同じ意味の言葉でquietというのはどうだろう。あれquietだっけ、それともquiteだっけ。クワイトって何の意味だっけ。

などと言うことをいつ動くかわからない新幹線の中で考えていればそれだけで憂鬱は倍増されることであろう。となればその翌日

「こいつはどう考えても日本語を理解するぜ」

という男がアホ面をさらしてタイプなどしていれば文句を言いたくなっても無理はない。

 

などと考えてしばらく暇をつぶしていたが、そろそろ彼の動機について思いを巡らすのにも飽きた。そのうち眠気が訪れた。考えてみれば朝異常に早く起きているのだ。そろそろ寝ることにしよう。

それからしばらく起きたり寝たりを繰り返す。そのうち前に私と同じ歳くらいの男性が座った。いきなりプレゼン資料らしきものを出して眺めている。ふと周りを見ると、何人か私と同じ様な年頃の会社員らしき人が座っている。彼らは皆カジュアルな格好をしているが、おもえらく会社員であろう。彼らはみな三島で降りていった。三島に何か大きな企業でもあるのだろうか。

かくのごとく周りの人はだんだん入れ替わっていく。何度目かに目が覚めたときには、例の父子はいなくなっていた。となりにはスーツを着込んだ男性二人連れがなにやら会社の話をしている。しきりに

「リクルートしてきたんですけどね。すぐやめちゃうんですよ」

と言っている。それに資格試験がどうのこうのと言っている。二人は何の仕事だろうと考えたがどうやら生命保険の会社に勤めているらしい。別に会社の苦労話など聞きたいなどとも思わないが、車内は大変混み合っており、彼らの上半身は通路から半ばはみでて、私の頭上にせまってきている。この位置関係では彼らの会話を頭から閉め出すのは容易ではない。

なんとか別の事に意識を集中せねば、と思っていると、前に座った二人が入れ替わった。今度座ったのは若い女性二人である。思わず我を忘れるような美人ではないが、とにかく頭上を飛び交う仕事の話から意識をそらしたい。その一心で彼女たちを見つめていると、しばらく会話した後、同時に手鏡を取り出した。何をするのかと思えば、二人そろってメイクアップである。

私は幼少の頃からこの女性のメイクアップなるものには多大の敬意を払っている。たとえば漫画には

「これは頭で覚えてるんじゃなくて、体で覚えているのよ」

というセリフがあるが、それでもあれだけ多数ある、その用途すら想像がつかない数々の「薬品」を順番に間違えず(だと思うのだが)塗布していく、というのは何度みても印象深い光景だ。

さて、私が感嘆していようが居まいが彼女たちはそんなことはおかまいなしに化粧を終え、そして今度は二人そろって眠りについた。こうなると私としてはやることがなくなる。私の友人(女性)にはすごい2枚目の男性に会うと

「あなたは植物のような人だ。何時間でも見ていたい」

と言ってしまう人がいる。このセリフ自体はあまり一般的なものではないかもしれないが、時々美しい女性を見ると私の脳裏にこのセリフが横切るのも事実である。たとえば私の目の前に

「峰富士子」(ルパン3世にでてくる)

が座っていたとしよう。正直言えばこのTV番組が初めて放映されたとき、私は掛け値なしの少年であった。そして峰富士子をみるたび

「なんて胸の部分が不自然にでっぱってるんだろう」

と思い、そしていつも富士子に欺かれるルパンをみて

「なんてアホなんだろう。だまされるってわかってるのに。ええい、いまいましい」

と思った物だ。しかしながらおそらく自分がルパンよりも年長になった今となれば、裏切られるのを承知で「富士子ちゃん」にだまされるルパンの心情がわかったりもするのだが。

これは本題ではない。話をもどそう。仮に彼女が前の座席に座っていたとしよう。するとたぶん私は

"Wao!"

と心の中でさけぶ。なんと素晴らしいプロポーション、なんと美しい顔立ち、と心の中でつぶやくかあるいはそんな言葉も忘れてアホ面をさらして見つめることであろう。

しかしながら、そこからどうかしよう、という気持ちが起こらないことにも自信がある。富士子ちゃんは私の友人が言うところの

「植物のような人」

になってしまうからである。(別に彼女が植物人間というわけではない)桜の花をめで、それにみとれることはあっても、木に向かって

「Hey,彼女。茶しばかへんか」

とか誘ったりはしない。何故と聞かれてもこまるがそうなのである。しかしそうした

「アホ面さらしてみとれる時間」

というのはそんなに悪い物ではない。

しかし今目の前に座っている女性二人をみてもさっぱりそうした感情が生まれない。となると眠るしかないか。

 

さて、時計など全く見ないが、とにかく時間は過ぎ列車は西に進み、いつしか静岡に近づいたようだ。何故そんなことが解るかといえば、今とまった駅が

「東静岡」

だからである。私は車内のアナウンスに注意を払い始めた。ここまではとにかく心をむなしくして座っていればよかったが、今度はその先を考えねばならない。

家をでるときのTVは

「新幹線は運転の見込みがたっておりません」

だった。この電車にのってしばらくして(たぶん小田原近くだったと思うのだが)のアナウンスは

「新幹線は豊橋、岐阜羽島間で運転を見合わせております」

だった。私はこれを聞き、自分の判断がそう間違っていなかったと思った。たった2時間で見込みなし、から一部不通になったじゃないか。あと2時間もすれば前面開通になってもおかしくはない。さて、普通電車はといえば当初のアナウンスは

「浜松までは通常通り運転しております。静岡からは1分の待ち合わせで浜松行きに連絡しております」

だった。ところがどうやら「新しい情報」がはいったらしい。今車内に流れるアナウンスはだいたい以下の通り。

「静岡から先、浜松までは雨量が警戒値を超えましたため、現在運転を見合わせております。従って接続についてはご案内できないような状況になっております」

 

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注釈