題名:映画評

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日付:2004/2/9

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キャットウーマン-Cat Woman(2004/11/3)

この映画を作った人間が何歳か知らないが、頭の中身は小学生に違いない。あるいは観客を完全に馬鹿にしているか。

定義によってキャットウーマンになる前のハル・ベリーはさえない女の子である。さて問題です。それを表すのにはどうすればいいでしょう?映画の冒頭ハル・ベリーは人混みの中を歩き、やたら人にぶつかる。そして

「あら、ごめんなさい。あら、失礼。ああ、ごめんなさい」

と言い続ける。ああ、確かに彼女はさえない。なんて解りやすい表現なんだ、、ってこれはギャグですか?

ギャグか人を馬鹿にしているのかわからないが、とにかく全編この調子。彼女がCatwomanになったきっかけというのがよくわからんのだが、理解できた範囲では

「高いところで動けなくなっている(と勝手に思いこんだ)猫を助けるため、自分の危険も省みずビルの窓から外に出た(そして死にかかった)」

ためらしい。彼女が「きゃーおちるー」とか言っている間

「とっとと落ちてしまえ。落ちればこの映画も終わりになるのだ」

と念じ続けるがもちろん落ちたりはしない。ハル・ベリーは確かアカデミー賞女優の筈だが、この映画を観る限りとんでもない大根としか見えない。表現があまりに大げさで幼稚だからだ。

[この後ネタばれがあります、、というかばれて困るほどのネタでもないし、それより以前にハル・ベリー、もしくはシャロン・ストーンの姿さえ拝めれば良い、という人以外には観ることを勧めませんが]

さて、今回の悪役はシャロン・ストーンです。彼女が年をとっても綺麗なのは凶悪な副作用がある化粧品を使っているから。そしてそれを使うと何故か皮膚が硬くなるのでした。でもって彼女はその化粧品を売り出すことに情熱を傾ける。何故かと聞かないで欲しい。悪役は悪いことをするのだ。

というわけで最後はキャットウーマンがシャロン・ストーンを叩いて(皮膚が固くなるとキャット・ウーマンと対等にどつきあいができるのである)突き落として悪は滅びたって、、やっぱりギャグですか?

キャット・ウーマンはそこら中をはねる。そのCGはまあいいとして、格闘シーンはカメラがやたらと切り替わるため何が起こっているかさっぱりわかりません。ハル・ベリーの引き立て役のような女性がいるのだが、映画の最後に唐突にかっこいい彼氏ができているし。。こう書いていくとやっぱり観客を馬鹿にしてるんだろうなあ。


シークレット・ウィンドウ-Secret Window(2004/10/30)

予告編はおもしろかったのになあ 」というかこの映画を使ってあの予告編を作った力量だけには敬服する。

映画の冒頭いきなり作家の元に謎の男が現れ"You stole my story"と言う。身に覚えのない盗作疑惑、一体なぜこんなことが。

ここで、ソファの上で寝ていたジョニー・デップが扉を「どんどん」と叩く音で起きる、というシーンがある。これだけで退屈してしまった。カメラがどうとか演出がどうとかは私には全く解らない事だが、この映画を観ている最中何度か「できの悪いピンク映画」を思い出した。それくらい緊迫感もなにもない映像がだらだら続く。最初に時計を観たのは1時間15分たったところ。まだ先は長いと思うと絶望する。

観客が「?」と思う出来事がいくつか続き、それらが種明かしの瞬間「をを!」と変わる原作なのだろう。映画でもThe Sixth Senseとかユージョアル・サスペクツとか一つの映像、出来事だけでそれまでの見方が全部ひっくりかえる見事な種明かしの瞬間があったように思う。

ではこの映画と言えば「?」があっても「登場人物が馬鹿なのでしょう」としか思えないし、「種明かし」は台詞で親切かつだらだらとなされる。ああ、そうですか。ジョニー・デップという人はエキセントリックな作家を面白く演じているとは思うがこれだけ周りがだらけているとなんともならない。例えばこの作家は過去に一度だけ盗作をしたことがある、という設定なのだが、このストーリーではそれが全く意味を持っていないし。(原作ではそうではないようなのだが)

というわけで本編はどうしようもないのだが、一番の驚きは最後に待っていた。そうか。予告編はこことあそこをくっつけてああも関心を引くものを造り上げたのか。というわけで予告編を造り上げた人に感服いたしました。


Around the World in 80 days-80デイズ(2004/10/23)

ジュール・ベルヌの「八十日間世界一周」の2度目の映画化とのこと。とはいっても小説も前作も知りません。19世紀のイギリスで妙な発明ばかりしている男が「世界一周を80日間で成し遂げる」という賭に応じる。その使用人がジャッキー・チェン

他にディズニー映画らしく「美しいが全く色気のないお姉さん」もでてくる。その3人があれこれしながら世界を回るわけなのだが、、正直最初の5分で退屈してしまった。残りの時間同じ台詞が頭の中を駆け回る

「これおもしろいと思ってやってるのか」

ジャッキー・チェンがでてくる映画とはどうも相性が悪いので敬遠していた。(プロジェクトAの最初の格闘シーンだけは面白かった記憶があるのだけど)では何故この映画を観たかと言うと飛行機の中だったから。でもって使ったリモコンには「ボタン一つで8分飛ばし」という機能がついている。後半はそれを使いっぱなし。おまけに字幕無しだから聞き取れないことおびただしい。であるからフェアな評価ではないかもしれないがこの退屈さにはつきあいきれない。最近滅多に観ないような大げさな表情、アクションが観客に受けるとでも思っているのだろうか。

刺客はあらかたアジア人。であるから格闘シーンだけはいつもの如くアジア人同士の殴り合い、けり合いである。チェンの表情はたぶん3パターンくらい。コメディだから演技力がどうの、というのがお門違いなのだろうが

そして最後は話をまとめるためだけに都合良く英国女王が登場する。キャシー・ベイツを出したからどうだというのよ。その頃にはすっかり映画への期待を失ってるから「もう終わるか。よかった」としか思えないのだけど。最近「どうしようもないディズニー映画」を何回か観た気がするけど、これもその一つかな。。


I, robot -アイ・ロボット(2004/9/18)

映画を見終わって外に出る。曇ってはいるが雨が降りそうでもない。気温はそう高くないが妙に湿気を感じる。どうにもすっきりしない不快な気候だ。

それまで見ていた映画もそんな感じだった。未来である。ウィル・スミスである。であるから脳天気なアクション物を想像していったし、実際やっていることはそれに近いのだがこの形容しがたい不快さはどこからくるのだろう。

203Xの米国ではロボットが普及していました。そんなある日、ある人間が謎の死を遂げました。どうも一体のロボットがあやしい、と思っているうちにロボットがみんなおかしくなりました、というお話。「ロボット三原則」に空けたできの悪い穴(Matrixのような)を認めたとしてもここに描かれているロボットの行動は無茶だ。そもそもロボット三原則はハードで組み込まれてるんじゃなかったでしたっけ。。いや、「無茶苦茶な映画だから気にしない」と笑い飛ばすべきなのかもしれないが、それができなくなるこの重苦しく湿った雰囲気はなんなのか。

なんとなく想像するのはこの映画を作った人間の

「全くの馬鹿ではないがDeeply disturbed personality」

だ。結局の所は「どっかん一発ハッピーエンド」のお馬鹿映画なのだけど何か妙な力み方をしたような。。他人を納得させる理屈は構築できなかったけど、雰囲気だけ重くしてみました、とか。そしてそれは面白さに全くつながっていない。

かくして暑く湿った空気の中とぼとぼと家路につく。見終わって30分もすると全部頭の中から消えてくれるはいいところか。


ヴィレッジ- THE VILLAGE(2004/9/12)

The Sixth Sense以来一作ごとにつまらなくなっていくシャマランの作品。この映画が米国で公開されたとき「一週目はすばらしい売り上げ。2週目からは口コミ情報で売り上げ激減」とどこかで読んだ。であるから心の準備をしっかりとして映画館に行ったわけだ。果たして前作「サイン」を下回ることができるか?そしてその「期待」は裏切られることはなかった。

外界から隔絶された小さな村には奇妙なルールがあった。森には「語ってはいけないもの」=怪物がおり、人間が森にはいると村に災いをもたらすと。というわけで映画の6割くらいは小さな村の日常を延々と描写する。もともと静かな村だから其の描写が退屈なのは当たり前、という問題ではないような気がする。考えてみればこの監督描く登場人物から「感情」を感じたことがない(オスメント君は別ね)。この映画ではそれがいっそう顕著なのだが監督が感情を描きたい、と思っている部分はよくわかる。いきなりスローモーションになり、「感動的な音楽」がかかったりするからだ。あと「怖い場面」では大きな音とかね。

主人公のお兄さんが感染症を伴う負傷をしました。というわけで彼のフィアンセたる盲目の女性は一人で禁断の森を越え彼を助けるための薬を手に入れようとする。ここから監督は3段(もしくは2 1/2)のオチを用意したつもりなのだろう。しかし見ている方はすっかり退屈してしまい「もうどうでもいいや」という気分になっているからオチとも思えない。前段で彼らの「愛情」がきちんと描かれていれば少しは感じようも変わったかもしれないけど。最後には監督自ら

「いや、これはちゃんとしたオチであり、デタラメではないんだ」

と蕩々と説明する。

かくしてただ退屈で陰気な映画ができあがった。サインのほうが笑いのネタにできただけマシだったと思う。どうでもよいと思いながらこの2点だけは書いておく。別にあの女の子に行かせなくてもあんたが行けばいいじゃないか、という点とそもそもの動機に同意できないということだ。昔は皆が幸せに平和に暮らしていたと本気で信じているのか?行き当たりばったりの妄想に何故自分達の子供までまきこむ?「彼ら」の狂気がそうと描かれていれば立派なホラーになったのだろうけど。


サンダーバード-Thunderbirds(2004/8/8)

これを作った人間は二つのことだけを考えていたに違いない。

1)対象とする観客は「お子ちゃま」のみ

2)「お子ちゃま」は「お子ちゃま」が登場して活躍しさえすれば喜ぶ

40過ぎの中年親父は、本物の「お子ちゃま」がこの映画を観てどう思うかについて語ることはしまい。しかし前記ポリシーに同意できない人は「これ」の制作者は観客をというものを徹底的になめている、と感じるかもしれない。私のように。

いや、実はオープニングのアニメーションを見たところで「帰ろうか」と思ったのだ。しかしひょっとしたら、、などと考えていたら席を立つタイミングを逸し、最後まで座ってしまった。主人公はサンダーバード一家の一番若い息子。これが2枚目かつ脳みそひとっかけらもありません、という面構えで全体の雰囲気を代表している。登場人物もそろいもそろって人間でありながら人形よりも表情、感情を感じさせない。

えーストーリーはどうでもいいですね。ノリとしては、一部の東宝怪獣映画や「ガメラがんばれー」と子供が叫びまくる昔のガメラ映画と同一だが、それらのほうがましだった気がする(今となっては比較もできないが)内容の薄さは同等だが、怒りを覚える度合いが少ない(「無い」ではない)だけパール・ハーバーよりましか。。


スチームボーイ-Steamboy(2004/7/19)

幼稚なオタクの幼稚な妄想。それ以外にこの126分を形容する言葉は見あたらない。

冒頭老博士が「もっと圧力をあげろ」とかなんとか叫ぶ。無理です。部品が持ちません。「常識を越えねば進歩はない」と圧力をあげたらやっぱり爆発しました。そうねえ。なんならビルの10階から飛び降りてみたら?たぶん死ぬけど常識を超えねば進歩はないんでしょ。確立された物理法則に勢いだけで逆らうのは只の馬鹿だと思うけど。

かっこいいメカをたくさん描きたかったの。よかったね。

世間知らずのわがまま美少女を登場させたかったの。よかったね。

かっこいい台詞をたくさん言わせたかったの。よかったね。でもちょと説明的で長すぎたかな。声優さん、舌が回らずに苦労してたみたいだよ。

あと台詞で全部説明がつくから目を閉じてかっこいい画面を見なくてもお話はちゃんと理解できたよ。いや、あんまり暇だからいろいろ試してたんだ。

CASSHERN,オネアミスの翼、Star Wars Episode2と並べて語るべき作品だろう。それらに感動する人には良いかもしれませんが私にはあいません。メカ・アニメ好きの中学生が書きつづった創作小説の世界が延々とスクリーンに映し出される。ストーリー?細かい事はいいっこなし。だってかっこいいメカに、世間知らずの美少女に(中略)うんうん。わかった。わかったからあっち行って。いや、こんなのに2時間も費やしたのは僕だったね。はは、一番の馬鹿は僕か。1800円あげるからあっち行って。


コールドマウンテン-Cold Mountain(2004/5/22)

この映画を作った人間は三つの目標を立てたにちがいない。脇役を徹底的にいためつけ観客にいやな思いをさせること。ニコール・キッドマン、ジュード・ロウ、レニー・ゼルウィガーといったそうそうたる俳優をNOT attractiveに見せること。そして2時間35分の映画を可能な限り長く感じさせること。

その目標は見事に達成されたと言って善いだろう。舞台は南北戦争。ちょっとの間だけニコール・キッドマン知り合ったジュード・ロウは戦場に行きました。そして脱走兵になって帰ってきました、というお話。その間戦争が引き起こす残虐行為をいや、というほど映し出す。病気の赤ん坊まで痛めつければどんな観客だって嫌悪感を催す、そしてそれが嫌悪感のままで終わり、映画の感動にも観客に物事を考えさせることにもつながっていない。純粋な嫌悪感を達成したのだ。

そのように痛めつけられるのはすべて脇役で、主人公達は最後まで綺麗なまま。いや、綺麗すぎる。主役の二人が出てくるシーンのそらぞらしさはどうたことだろう。この二人はまるでStar Wars Episode IIのアナキン君とアミダラ女王(ポートマンは別の役柄ででているが)のよう。なぜお互い気に入ったかといえば二人とも面食いだったんでしょう。だってそれ以外の理由は思いつかないんだもん。全ての感情はペラペラの台詞で説明され、それが観客の感情に届くことはない。それどころかキッドマンの脳天気な演技(前半はそういう役柄だとしても、お嬢様から脱却したはずの最後までそうした調子だ)を観ていると、映画の途中でゼルビガーがやった行為をキッドマンに対してしたくなるのは私だけだろうか。鶏の首をひねる、というやつである。いや、キッドマンだけでなくジュード・ロウそれにこの映画を作った人間に対しても。

かくして映画の体感時間は軽く10時間を超えていたと思う。全く機能していない登場人物、エピソードがてんこもり。途中で半分居眠りモードにはいったがそれでもなんど退出しようと思ったことか。最後に痛めつけらる番が主人公に回ってきた、と思ったらあっというまにけりがついてしまった。南北戦争を扱っているから米国人がみたら別の感想があるのかもしれないけど。


キャシャーン-CASSHERN (2004/4/24)

さて問題です。あなたの旦那が極め付きのクズ映画を作ってしまいました。有名な歌手であり妻であるあなたは何をすべきでしょう?

報道によれば、この映画の完成披露試写会に宇多田某は胸部を強調したドレスで現れ、主題歌を提供したことにつき「責任重大です」と答えたと言う。ああ、旦那を支えるこの態度は実に見上げた物だ。ゴミ映画に客を呼ぼうと思えば体を張って話題を集めるしかないではないか。観客を最後まで席に座らせ、その後振りまく悪評を少しでも和らげようと思えば思わず聞き惚れる曲を最後に流すしかないではないか。(ちなみに私は曲を聴かずにトイレにいきました)

どんな映画かと言えば、まあビデオクリップの後ろに流れるような訳のわからない映像に、ぺらぺらした説明調の台詞を組み合わせた代物。あるいは中学生が書いた創作小説と馬鹿ポエム(イラスト入り)をごちゃまぜにしたもの、とでも言おうか。

映画の冒頭、やけに説明調で短期記憶をはみ出すような長いナレーションでまずうんざりする。それからしばらくしてストーリーを追うのをやめる。中学生の小説だもんね。作り手も「何だかわからないものを作っておけば高級に見える」とでも思っているようだし。アクションシーンなんかスタイリッシュすぎて何が写っているのかさっぱりわかりません。都合に応じて時空を移動もずいぶん行われるが(特に寺尾某はどこにでも登場する)気にしない。作り手が静かと思うシーンではクラシック。激しいと思っているシーンではうるさいギター。その選曲には「幼稚」という言葉しか思い浮かばない。怒りにまかせて自分の父親を殺したCASSHERNがその直後に

「僕たちに必要なのは許し合うこと。お互いの存在を認め合うことだったんだ。そしてそれは難しいことではない」

などと言うのも、まあ中学生が「人は何故戦うのか」なんて難しいテーマに取り組んだんだからその志だけで良しとせねばならない。

そもそも私はこの映画がゴミだ、ということを八割方確信しながら見に行ったのだから作り手ばかりを責めるのはフェアではない。では何故そんなことをしたか?

この映画の元になったアニメが放映されたのは1973年。当時の私は10才、こういう類のアニメが大好きな頃である。ヤルッツェ・ブラッキンとか、やられキャラのロボットにも好き嫌いがあったとか、後ろの席に座っていたいじめっ子が「きゃしゃーん!」と叫びながら私の背中をどついていたこととか。とにかく幼少の頃の思い出と結びついている題名の映画を観ずにいられるだろうか。だから1800円払ってしまった事をちっとも後悔していないのさ、、とは言う物の。作り手の礼儀として

「面白い映画を作れなかったら、せめて短くする」

位はお願いできないですかねえ。2時間21分は中学生の独り言にはちょっと長すぎるような。。


ハリウッド的殺人事件-HOLLYWOOD HOMICIDE (2004/2/8)

見終わってから上映時間を確認する-2時間5分。ということはたぶんこれはTV用として作られたのではないのだな。

というわけで私にとって謎は解けないままだ。何を考えてこの映画を作ったのか。ハリソン・フォードとハンサムだが一点の魅力もない若い男(パールハーバーに出ていたらしい)がコンビを作って殺人事件を追う。ストーリーはないも同然。何の証拠もないうちから犯人は逃げだし、警察が近くにきただけでばんばん拳銃まで撃ってくれる。出番が短い綺麗な女性がやたらいた気がするけど、彼女たちの失業対策だったのでしょうか。刑事が二人とも副業を持っているので仕事中にやたら携帯が鳴りますがそれがおもしろいですかぁ。こういう内容だったら90分くらいにまとめていただけるとうれしいのですが。

これがTVドラマだったらなあ、と思う。つけておいてその間に他の事をすればいいからだ。時々画面を見れば話の進行はわかるし、見逃したところで何の問題もない。一方映画館でできることは限られる。観客が退屈しきったところで、Los Angelsつながりのターミネーター(初代のやつね)が登場。それまでうだうだくだらない演技をしていた登場人物全員、それに監督、脚本家、プロデューサーを皆殺しにしていく、、、などというストーリーを頭に思い描いていました。

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注釈

描写が退屈:もっともこの「退屈な描写」にも気づくべき点があることを後で知った。m@stervisionに書かれていた「村にキリスト教の要素が何一つない」点に。 本文に戻る


責任重大です:報道によればこの言葉の後に「最後に変な曲が出てきてぶち壊しになったらやだなーっ」と言ったとのことなのだが、もともと壊れている映画だから、この台詞は「小粋なアメリカンジョーク」ととるべきなのだろう。 本文に戻る


馬鹿ポエム:「それだけは聞かんとってくれ」の第58回「困惑させる人」参照のこと 本文に戻る


必要なのは許し合うこと:思えばガミラス星を破壊し尽くし、殺しまくった後に「僕たちに必要なのは愛し合うことだったんだ」と言った古代某の台詞にも小学校の時は違和感感じなかったなあ。 本文に戻る