題名:映画評

五郎の入り口に戻る

日付:2002/5/20

1800円

1080円

950円

560円

-1800円

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バッドボーイズ2バッド-Bad boys 2(2003/12/7)

ウィルスミスともう一人の刑事が拳銃を撃ちまくり、車をとばしまくり、犯人を追いまくる映画と思って見に行った。疲れたときはこういうのに限る。チケットを買った後ふと看板を観る。「何?上映時間146分?アクション映画なのに?」今から思えばあそこで感じた疑問についてもう少し考えを巡らすべきだったのだろう。

前半では二人がマイアミを舞台に麻薬王を追っかけ回す。やっていることはきわめて単純なのだが、この映画を作った人間は何かの理由でできるだけ上映時間を引き延ばそうとしたに違いない。二人が相手を必要以上にののしるのはまあいいとしても、時間つぶし以外に存在意義を見いだせないシーンやら台詞の連続である。こっそり盗聴器をしかけているときにねずみの雄と雌の実況中継を始める。うっかり麻薬を口にして意味のない行動をとりまくる。そしてそれらは話を面白くするのに何の役にも立たない。いや、悪いところばかりではない。高速道路上で車をごろごろ落としながら走るトレーラーを追跡するところなど一瞬いいとは思う。しかし画面が切り替わりすぎて何が起こっているのかよくわからないのであった。

でもって後半は「即席USAチームのキューバ侵攻作戦」になる。いろんな人間がいきなり意気投合しヘリでキューバに飛ぶと戦闘が始まる。をを、これはBlack hawk downの世界かと思えば基本的に戦争はすぐ終わり、最後には蛇足としか言いようのないシーンが流れる。

前半のアイディアだけで規定時間(それが何か知らないが)を満足しようとめいっぱい引き延ばしたがまだ足りない。しょうがないから後半全く別の展開をつけくわえてはみたが、それをきちんと語るには時間がたりない。私の想像が及ばない何らかの理由によってそんなことが行われていたのではないか、と真面目に考えてしまう。80分にまとめれば観られる作品になったかもしれないが、146分も上映してしまうのは冗談であってほしい。


ハルク-Hulk(2003/8/6)

この映画を観て感じたのは二つのこと。気持ち悪さと退屈さである。

おそらく制作者は「父と子の葛藤」とか「男女の愛」とかを盛り込もうとしたのだろう。しかし登場人物は皆ぺらぺらで、なにやら台詞を言ってもそれは感情に訴えることなくただどこかに消えていく。なにやらあやしげな研究室がでてくればきっと「不慮の事故」がおこるに決まってるじゃないか。ほらおこった。ああ、気持ち悪い。

いや、もともとHulkの映像を楽しむ映画なのだよ、と思いこもうとする。しかし緑色のハルク君が何をやっても大きさも力強さも感じられない。雄大な大自然を背景にぴょんぴょん動かれてもねえ。唯一おもしろかったのは戦車を振り回すシーン。でもこれはもう予告編で観ちゃったし。をを。大統領にまで報告し、民間人を避難させて「最終手段」というからには核兵器か、と思えばヘリコプターがぶんぶん飛んできました。えーっと。

かくして見所はジェニファー・コネリー の美しい顔だけになってしまう。まあ、きれいだし、これだけでいいとしよう。。と考えている間にも映画は同じ調子で延々と続く。唯一の美点も「ちょっと憂いを含んだ美人顔」の一種類だから飽きてくる。彼女がでてくるといきなりハルクがいい子になるのはまるで大魔神のよう。でも大魔神のほうが迫力あったなあ。あのー、まだ終わらないんですか?

最後の「父と子の会話」あたりでは話のつじつまも感情もどうでもいいやという気分になる。見終わってぼんやりと考える。これがこの監督の実力で、グリーン・デスティニーはただ目新しさでアカデミーを受賞したにすぎない、と。何を意識して何をねらったのか知らないが画面をやたら分割したりとか。。


トゥー・ウィークス・ノーティス -TWO WEEKS NOTICE (2003/5/31)

ポスターにでっかくサンドラ・ブロックとヒュー・グラントがでている。ラブコメである。見る前からCheapでShallowな映画だろうと心の準備。しかしBoringというのは予想外だった。

大きな会社の外向け社長がヒュー・グラントの役。サンドラ・ブロックは人権派弁護士で彼に雇われ、、、などという話はどうでもよい。途中までは「980円かな、560円かな」と考えていた。

ところが後半になると二人がいちゃつくシーンを長々見せられることになる。今時上空から見たNew Yorkを長々見せられてもねえ。お約束の「いつもはあんながさつな格好のあなたがこんなに美しくドレスアップ!」の場面もやたら間延びする。途中で退席したおじさん。私にはあなたの気持ちがよくわかります。

路上で長々とキスする二人を周囲を回るカメラから長々と写す。。これはいったいいつの映画だ。主役の二人はいつも通りの演技だがどうしようもないのは脚本と監督か。安っぽい少女漫画しか読んでいない日本人女性が監督しているのか、とまじめに考えてしまいました。(日本限定ギャグもでてくるし)

かくして映画はどうでもいいエンディングを迎える。能なし、浪費癖、浮気性の男が給料とStock Option取り上げられたら生活できるわけがないけど、、まあいいや。


アナライズ・ユー-Analyze that(2003/3/30)

映画本編が終わった瞬間考える。560円か-1800円か。その後NGシーンが延々と流れる。別にNG集が悪いとはいわない。しかし金を払っているのは観客なのだからそのことを忘れてもらっては困る。

画面からは出演者、スタッフの笑い声が響く。こちらにはその笑いは伝わってこない。それを観ているうちに決心が付く。-1800円だ。

全作Analyze thisの脚本が仮に3ヶ月で書かれたとすれば、これは3日で書かれたのではなかろうか。刑務所で異常になったロバートデニーロを

「何かあったらおまえの責任だ」

といってFBIが精神科医であるビリー・クリスタルに押しつけるところからして話はめちゃくちゃである。その後は(たぶん)業界内輪受けネタが延々と続き、「家族によるトラウマ」ネタが混じる。たった96分の映画がこんなにも長く感じるとは。えーっとどんな話だっったっけ、ともう忘れているがそれを惜しいとも思わない。感じとしては「アメリカン・スィートハート」に似ているかな。

同じ顔ぶれ、同じ構想で作っても全作と比べるとできは天と地。何事もお金をもらおうってんならきちんとやらなくちゃなあ、、と妙に殊勝なことを考えさせてくれる映画ではありましたが。


赤毛のアンーアンの結婚-ANNE OF GREEN GABLES: THE CONTINUING STORY(2002/9/23)

これがシリーズ第3作とのこと。1作目、2作目は良かったそうだし、有名なお話であるので見に行った。とはいっても内容は何も知りません。たぶん赤い髪の毛のアンという女の子がでてくるのでしょう。

さて、映画の冒頭から大人になったアンがあれこれやりだす。自分が育った家が他の人の手に渡り、荒れ果てている。まあ、大切な百合がと突っかかるとそこにいた犬に吠えられ追いかけられる。全編彼女の行動はそんな調子で、つまるところ感情の赴くままに暴走し続ける。旦那が戦場に行き、3流スパイ映画のようになる。そこで二人ばかり観客が席を立った。トイレにでもいったのかな。

映画はだらだら続く。ストーリーは、スターウォーズエピソード2からCGとスターウォーズという名前を取り去ったような感じ。やたらにエピソードがでてくるがどれも印象的ではない。そのうち長い長い物語の総集編をかけあしで観させられているような気分になる。まあ原作のある作品を映画に詰めこもうとするとこうなるのかな。2時間を過ぎて腰が痛くなってもまだ映画は続く。ロビーに出ようかと思ったところでようやく終わりとなった。

その後知ったところではこれは原作とは全く異なるストーリーとの事。となると途中で席を立ったあの二人はそれを知り帰ってしまったのか。しかしオリジナルストーリーでありながらこのつまらなさは何なのだ。アン役の女優がどう見てもAttractiveとは言えないのはその容姿のせいばかりとは言えない。カナダでテレビ用に作られた作品、ということを聞けば、作りの安っぽさも頷けるという物である。

私が原作、それにこれまで映画化された2本を全く知らなかったことは幸運だったかもしれない。もしそれらのファンだったとすれば、この映画に怒りを覚えたとしても不思議ではない。


イングリッシュ・ペイシェント-The English patient(2002/8/19)

映画の後半、英軍の機密情報である地図をドイツ軍に渡し、多くの人間に不幸をもたらした男がこう言う。

「彼女だけが大切で他のことはどうでもよかった。」(かなりうろ覚え)

この台詞に「そうだよ。愛って素敵だよね」とうなずくことができればこの映画は面白いのだろう。実際アカデミー賞を9部門も取っているのだ。(それを言えばタイタニックは11も受賞したが)

不幸にして私は「さっさと死んでしまえ。この野郎」と思ってしまった。従って-1800円の部に入れてしまうわけだ。美しい女優。後先考えず、他人の迷惑も顧みない本能に従った行動の連続。いい男、女がいればとにかくつきあおう。一番大切なのは、その時々の自分の気持ちさ。戦争というのはこうした人間の狂気を引き出す物だ、という見方もできるのかもしれないが、2時間42分は実に長かった。

主人公とおぼしき男が死体と砂漠の上を飛ぶシーンがある。砂漠の洞窟にかなりの間放置されたという設定だから死体はかなりすさまじい状態と思うのだが、その女性の映像ははあくまでも美しく、まるで眠っているかのよう。聞くところによれば原作では死体はミイラ化している設定とのこと。ミイラを見せてそれでも観客の感動を呼べるようで有れば「ここまで徹底すればすごい」と感動するものを。

かくのごとく映像美と絢爛たる雰囲気で押し切る映画と思うのだが、その雰囲気に乗り損ねるとこれほどなんともならない映画もない。


スター・ウォーズ エピソード2 クローンの攻撃 -STAR WARS EPISODE 2: ATTACK OF THE CLONES (2002/7/9)

[今覚えているEpisode 1のあらすじ]アナキン君はレースをやっったり宇宙船にのったりして悪い奴をやっつけました。でもって平和がもたらされました。

というくらいに前作は覚えていない。さてこの作品はと思いあちこちの映画評を観ると「前作よりはまし」というものが多い。最後に面白いシーンがあるとのことだが。

話は予告編の通りに進んでいく。登場人物の感情、ストーリーは全てペラペラの台詞で説明される。皆とにかくよくしゃべる。映像が大変凝っており、CGにものすごく力を注いだことはよくわかる。しかしそれは話を面白くするのに何のプラスにもなっていない。そうした

「作品の質を上げるのに何の役にも立っていない細かい設定」

を観ていると日本のアニメを思い出す。数年前にビデオで観たオネアミスの何たら、という作品だ。をを。とうとうStar Warsも日本のアニメに肩を並べるところまで来たのか。

Queenを2期つとめた後アミダラちゃんは元老院の議員になったらしい。Queenって任期制なのだろうか。まあいいや。これは地球の話じゃないんだし。そのうち彼女とアナキン君とがいちゃつき出す。ところでこの二人はなんで好き合ってるんでしょうかねえ。とにかく本能のままに好き放題行動するところが共感できるのか。アナキンはアミダラちゃんと離れたくない、といった翌朝にはいきなり任務も何も捨ててお母さんを助けに行くと言い出す。お母さんが死んじゃった後アミダラちゃんはこれまた唐突にオビ=ワンを助けに行こうと言い出す(そして何の役にも立たない)あるいは二人とも面食いで顔さえよければどうでもいいのか。そんなことしか思いつかないほど話の底が浅い。アナキンがアミダラに向かって

「何でもするよ」

とか言うと「じゃあ今すぐ死んでくれ」と心の中でつぶやく。

ええい我慢だ。クライマックスの笑えるシーンはと思い観ているとヨーダが悪者とちゃんちゃんばらばら剣舞を見せてくれる。でもねえ、Full CGだからなんでもできるんでしょ。いや、きっとこの先に笑えるシーンがあるのだ、と思っているうちにエンドクレジットが流れ出した。おーい。

CG命の人。Star Warsシリーズでおなじみの設定、キャラクターがでればご機嫌な人。そうした人たちならばきっと楽しめるとは思うのだが、私にとってこの映画は悪い冗談としか思えない。役に立たない絢爛豪華なCGと底の浅い人間の描き方という点ではパール・ハーバーに匹敵するのではないか。とはいってもきっとEpisode 3も観るのだろうな。そしてこの映画も「たくさん稼いだからいい映画」という評価を得るのだろうか。


パニックルーム-Panic Room(2002/6/23)

映画が始まるのをロビーで待つ。すると扉が開いて人がぞろぞろでてくる。中を覗けばまだエンドロールが始まったばかりのようだ。どうやらエンドロールを観ながら余韻に浸る、というたぐいの作品ではないらしい。

私はNew Yorkを舞台にした映画をみるといつもいらいらする。この映画も冒頭から快調に私をいらつかせてくれる。べらべらしゃべってばかりいる女性(一生懸命背景を説明してくれるのだが)部屋の中でもローラーブレードを乗り回しエレベーターで上下を続ける子供。その家には危機の時の避難場所パニックルームが設置されていた。強盗が来たらここに逃げ込みましょう。まあ素敵、この家にするわ。

さて、引っ越してきたその晩、さっそく賊が押し入る。これから最後の場面まで画面には二つの色しかでてこない。緑と灰色だ。知恵比べがあるわけでもなく、格別の勇気、愛があるわけでもなく、どんでん返しや驚きや笑いがあるわけでもなく淡々と一本調子に映画は進む。ただ退屈。私が愛するJodie Fosterは一種類の表情しか見せない。これでは誰がやっても同じではないか。

特に後半「何だこれは」と思うようなシーンが散見されるが、別にそれをあげつらう気も起きない。それでも最後の場面では、お母さん、娘が心配なのは解るけど延々と質問している暇があったら賊にとどめをさせよ、とため息まじりにつっこんでみる。

エンドロールが流れ始めた瞬間話が終わったのを知り外に出る。ああ、やっと終わった。早く帰ろう。私と同じ帰りのエレベーターに乗った人の数は決して少なくなかったと思う。


復活の日(2002/5/21)

1980年公開。当時「角川映画」なる言葉が存在していた。小説を豪華キャストで映画化し、やたらと宣伝しまくる。ではその結果はと言えばおおむね酷評だったように覚えている。

この映画も存在は知っていたし、当時の代表的2枚目俳優草刈なんとかがよれよれのホームレスのような姿で立っているポスターはよく目にした。しかし当時私は滅多に映画を見に行かない少年だったのである。

さて時は流れて22年。友達から借りたDVDでようやくこの映画を観ることになった。冒頭「原子力潜水艦」とテロップがつけられた潜水艦がどうみても第2次対戦中に建造されたとおぼしき中古潜水艦であるのに

「がたっ」

となる。そりゃまあ映画のために原潜をレンタルするのは難しかろう。気にしないことにしよう、と思って見続けるのだが、2時間半の長い映画を1時間ちょっとで見終わってしまった。ああ、章ごとにとばしながら観られるDVDって素敵。

映画公開当時から観れば未来の一九八二年に、米国原産の細菌兵器が持ち出され人類が死滅する。生き残ったのは細菌の活動を妨げる低温に守られた南極にすむ人たちだけ。さて、どうしましょう、というストーリーなのだが冗談としか思えないシーンが続出する。細菌をだましとった男達は飛行機で逃げようとするのだが、あれこれ言っている間に素直に山に激突する。米国の統合参謀議長とおぼしき男は新兵のごとく直立不動で戦闘準備を進言し続ける。ウィルスが蔓延して人がばたばた死んでいくのだが、必要な登場人物(前述の統合参謀議長もその一人だが)はなぜか元気である。(登場シーンが終わると死ぬらしいのだが)

圧巻なのは、昭和基地にいる人たちがニューメキシコにいる少年からの通信を傍受するシーン。少年は自分の境遇を切々と語る。父も母も返事をしてくれない。一人で寂しい。ここに銃がある。昭和基地では人々が叫び続ける。送信スイッチをオフにしろと。そうしないとこちらの声が聞こえないのだと。そんなことを無線で言っても無駄なのに。

そのうち銃の発射音が響く。(送信スイッチ押したままで引き金をどうやって引いたかは問わないとして)一同沈鬱な気分になるところで誰かが言う

「きっと空に向かって撃ったんだ」

それまで涙ながらに交信を試みていた男は怒ってつかみかかり乱闘となる。こうやって文字にすると悲劇のようにも思えるが画面を見ていると唖然とするのはやはり役者が大根なせいか。他にも日本人の稚拙な演技は目立つが。

私でも知っている米国人俳優、有名な日本人俳優を起用し、日本人にめいっぱい英語をしゃべらせ大金はたいて潜水艦をレンタルすれば「世界に通用する」大作ができるとでも思ったのだろうか。結局後に残るのは赤ん坊をかかえた母を観たときの悲痛な気持ちと、「風邪」に対する過度の恐怖感だけなのだが。

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注釈

Star Warsシリーズでおなじみ:私はその昔エピソード4をリアルタイムで観た。またリメイクされたエピソード4,5,6を米国で観た。だから多少はそうしたメンタリティを共有しているのかもしれない。本文に戻る

あげつらう:と書きっぱなしもなんなので、とりあえず書いてみる。ネタバレを含んでおります。

・モニターを壊してもいいのならさっさと壊せばよかったではないか。また賊はなぜそれを黙って見過ごすのか。警察を呼ばれてもわからんではないか。少し前には警察を呼ぶと娘を殺すと言っていたのに。

・警察が「何かの事情で合図ができないのなら、安全な方法で教えてください」と言うがなぜここで素直に合図をしないのか。そもそも、音声は賊に聞こえないのだからしゃべってもかまわないではないか。本文に戻る