映画評

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もののけ姫(2020/06/27)

今日の一言:20年以上前に「見た方がいいよ」と言われて

1997年、私はDetroitに幽閉されていた。そこに日本から新たに赴任してきた人がいた。彼がいうには「大坪さんもののけ姫観た?観た方がいいよ」

時は流れそれから23年。世界中にCOVID-19ウィルスが蔓延し、新作映画がさっぱり公開されない。誰が考えたか知らないが、過去のジブリの名作を上映し出す。そういえば「もののけ姫」ってみてなかったな。これを機会に見てみるか。

そこから展開されるのは、架空の日本の物語。歴史に実際にあった要素をばらして再度組み上げ一つの世界を作り上げてしまう手腕には驚く他ない。説明を極限まで省き、鑑賞者の想像力を喚起する。この後千と千尋で更なる大成功を収めたその手腕は監督の老いとともに失われ、「わけがわからない」作品へと変貌してしまったが。

しかしこの作品のすばらしさはそんな「後の運命」を忘れさせてくれる。女性とおそらくは癩病を患っている者ばかりの「たたら場」とはなんなのか。これまたうさんくささを極めたような傘をもった爺さんは誰から命を受けており、どうするつもりなのか。そんなことを観客に考えさせながら、物語はどんどん進む。

23年前、あの人が言ってくれた言葉は正しかった。


フェアウェル:The Farewell(2020/10/03)

今日の一言:何も起こらない映画。でも観終わって幸せな気分に

例によって映画とも呼びたくない邦画の予告編をしばらく観させられた後映画が始まる。

主人公はnew Yorkに住む中国系アメリカ人。仕事はみつからずアパートの賃料も払えない。両親のところにいくと様子がおかしい。問いただせば中国にいる祖母が末期癌で余命3ヶ月と診断されたとのこと。

祖母に会うため、もう一人の孫が結婚式を挙げることにする。みんなで集まるけどあんたは来ちゃダメ。顔に出るから。と主人公は告げられる。

中国では癌になったとき最後まで本人には告げないらしいのだな。アメリカ人の主人公はそんなことは納得できない。しかし彼女は一人中国行きの飛行機に乗るのだった。

この主人公の演技が素晴らしい。見た目だけで相手を幸せにできる美人ではないが、彼女の表情が静かにしかししっかりと変化する様は見事。特に最初に親族と祖母の前に登場するところとか。

そこから家族は食卓を囲み、式の下見をし、祖母が薬を帰るからと病院にいき。

祖母は主人公を溺愛しているが、披露宴の料理に文句をつけ、主人公の母とは関係がいまいち。そういうところもリアルだ。親族はアメリカと日本と中国にちらばっており、それぞれ心配と主張が入り混じっている。主人公の叔父が「西洋では命は一人のものだが、東洋では社会の一部だ。」と語る。主人公は納得できないながらも、その叔父の言葉にちゃんと耳を傾ける。そんな親族の風景がスクリーン上に流れる。韓国に泣き屋がいるのは知っていたが中国にもいるのだな。

エンドロールのサプライズとともに場内が明るくなる。振り返ればこの映画ではびっくりするほど何も起こらなかった。なのにこの幸せな気持ちはなんだろう。そこに描かれていたのは、国、立場、年団は違えどもそれぞれの人が一生懸命に生きている姿だった。

ちなみに、結婚式のお相手は日本人。調べてびっくりした。京大法学部を卒業した後に中国に渡って演劇を学んだとか。それでいて演じるのは「とっても普通の日本人の女の子」あの邦画の予告編にでてきた何が職業なのか分かららない男女の群れとは大違い。こういう人が中国でしか活躍できない、というところに邦画の救いのなさが、、とかは幸せな気持ちなので考えないことにしよう。



アルプススタンドのはしの方(2020/8/1)

今日の一言:こういう映画をもっと見たい

高校演劇で脚本の賞をとったとか。ならば期待できるか。しかし予告編はいつも通りのダメ邦画。とにかく登場人物に叫ばせないと気が済まないのか?

しかし口コミの評判は悪くない。これは一つ見てみるか。

県立高校が甲子園に出場した(らしい。場所はどう見ても甲子園ではないが)生徒は全員応援に強制参加。しかしアルプススタンドの隅の方が居心地がいい人もいる。演劇部の二人はそもそも野球のルールがわかっていない。(タッチアップとは本当に分かりづらい。もうすぐ野球の観戦というのは一部のファンを除いて死滅するだろう)そこに元野球部員がやってくる。後ろには友達の少なそうな秀才女生徒がぽつんとたっている。

彼女たちと彼にどのような事情があるのかが、会話とともに少しずつ明らかになっていく。

それはおしつけがましくなく、ありきたりでなく。いやありきたりの高校生なのだけど。二つの場面それに会話だけで見事に映画として成立させている。観客は映るがグラウンドは一度も映されることがない。これをどうやって舞台の上で演じたのかなと考えながらみるのも楽しい。

邦画の予告編を見るとうんざりする。どれもが漫画かアニメの映画化。そこに顔の整ったなんとか坂とかなんとか46の人間を出演させありきたりのセリフを叫ばせる。こんなもの作っていて面白いか?お前らこれが「売れる」と思ってるから作ってるんだろう。それだけだろう。

この映画にはそうした要素が一つもない。いや、一人だけ美少女が出てくるが彼女とて高校生。周りからみればカーストの頂点にいるかもしれないが、そんなことは関係ない。悩みながらも前を向いている。

スポーツの観戦は楽しいがふと考えることがある。これは誰の感動だ?俺は観客席で無責任に喜んだり悲しんだりしているだけではないか。じゃあ自分が打席に立つにはどうすればいい?

この年頃というのは、自分の本当の感情を出すことを恥とするのだろうか。いや、それはどの年代でも同じか。試合の進行とともに皆の感情があらわになる。そしてそれぞれが観客席から試合場に立つことを考える。

俺はこういう映画が見たいんだよ。「売れるはず」の映画じゃなくて真面目に人間の姿を描いた映画が。



透明人間:The Invisible Man(2020/7/12)

今日の一言:始まって1時間で後悔。

なんて怖いんだ。こんな映画見るんじゃなかった。しかし我慢して見続ける。これRotten Tomatoesで評価よかったし。

映画が終わり場内が明るくなり、コロナの影響でがらがらの客席を眺めながら憤る「なぜこんな面白い映画を皆見ないんだ!」と。

伝統的な透明人間である。体を透明にしたところで、何か食べればみえちゃうよね、とかいう伝統的な問題も最近のテクノロジーを使えば見事解決できるのだな(してません)

男性が透明になったらまず考えることは女性の裸を覗き見ること、なのだが本作はそんなホンワカした話ではない。そもそも主人公は透明人間ではない。主人公たる女性は全てをコントロールしないと気が済まない天才にして大富豪の男からからくも逃げ出す。その男が自殺したと聞きほっと一安心と思えば。

途中まで「本当に透明人間はいるのだろうか?この女性の妄想ではないのか」と観客も迷わされる。だから透明人間が客観的にわかる形で暴力を振い始めたところで、ちょっと安心。ああ、この女性が罪を被せられることはない。画面上では何の罪もない警備員がひどい目にあっているのだけどね。

虚虚実実の駆け引きの末、透明スーツを着た「犯人」を倒して一件落着、とはならない。男はもっと賢い。そしてこの主人公の女性もそれに負けていない。この女性は美形ではないのだがとてもたくましい。

最後主人公の満足げな表情を見て「ちょっと待て、あんな妹を亡くしてるだろう」とも思うが、だからといって残りの人生嘆いて過ごさなければならないわけではない。こういうところは21世紀の映画でありヒロイン。いや、ひょっとするともう一人のサイコパスなのだろうか?

などと考えながら観客である私も満足感とともに映画館を後にする。怖いと思ったが途中退出せずに正解だった。


1917(2020/2/14)

今日の一言:前へ

大まかな筋は予告編で明かされている。二人の青年が任務を言い渡される。明日攻撃を予定しているが、それはドイツの罠にハマりに行くようなものだ。攻撃停止を伝達してほしい。この筋を息子に語ると「携帯電話は偉大だな」と言う。いや、今でも戦場じゃ携帯つながらないから。

というわけで任務を帯びた二人はひたすら前に進む。穴だらけ死体だらけの荒野を抜け、途中で人の家にでくわし、バカなドイツ人パイロットに一人が殺され、そこででてくるのがマーク・ストロング。相変わらずかっこいいなあ。

トラックでちょっと進むがまた歩き始める。川を渡り、ドイツ兵と渡り合い、気がつけば夜。ここで唯一の女性がでてくる。彼らの会話の間中ずっと私はびくびくする。いつドイツ兵がドアを蹴破ってくるか、と。Ju n'cest paがなんどか繰り返される。戦場ではこんなことが無数にあったのだろう。そこを出ると照明弾が飛び交う中をひたすら走り続ける。川に飛び込み死体だらけの堰を上るとそこにようやく目的とする部隊がいる。ここでの歌が長い。しかしこうやって思い返すと、そこは常に動いている映画の中でほんの少しの静かな場面であった。

いや、歌に聞き惚れている場合じゃないから、ということでまた主人公は前に進む。カンバーバッチはここででてきたか。任務を達成し、相棒の兄に伝言を渡すことができた。そのあと木の根本に腰を下ろす。

この物語を全てワンカットのように見せる技量は見事としかいいようがないし、それがワンカットのためのワンカットではなく、物語を語るのに一番適した方法であることも素晴らしい。たくさんの人が死んだが、攻撃が中止されただけで何も解決されていない。カンバーバッチが言う通り、来週には別の攻撃命令がやってくるだけ。ある海兵隊員が書いた「なんという無駄だ」という言葉が思い返される。ようやく映像と駆け足がとまり、ほっと息をつく。


ジョジョ・ラビット:JOJO Rabbit(2020/1/25)

今日の一言:戦争を、差別をコメディタッチで真面目に描く

敗色濃厚なWW2末期のドイツ。10歳の少年にとってはそんなことはどうでもいいこと。いまいちぱっとしない彼の心の友達はヒトラー。「アドルフ」と呼べば一緒に森を駆け回ってくれる。

主人公達は「楽しい」ヒットラーユゲントの週末キャンプに行く。手榴弾で自分をふっとばしはするが、まあ楽しげな場面が続く。いや、そこであっても「ウサギを殺せ」というシーンがあったか。それができなかった彼はジョジョラビットと呼ばれるようになる。

家に帰ってきて街を歩くと、絞首刑になった人々が広場につるされている。ここはナチが支配する街であった。10歳の少年はその「日常」と「楽しい週末キャンプ」をどう折り合いをつけるのだろう。少年だからその折り合いがつくのかもしれない。そんな彼は誰もいないはずの家で物音がするのに気がつく。そしてユダヤ人の少女(彼にとってはお姉さんだが)がいるのを発見するのであった。

少年の母親はスカーレットヨハンソン。いろいろな映画で彼女をみるが、この役が一番素晴らしい。彼女はドイツ人だが、ナチと戦う人でもある。ドイツ人=ナチなどと短絡してしまうのは間違っている。人は人が思うよりはるかに多様。しかしそれを「ドイツ人」「ユダヤ人」で塗りつぶしてしまうのが戦争であり、偏見であり、差別というもの。

今思い返せば、コメディタッチでありながら真面目に恐ろしい現実を描いていたことに気がつく。これは尋常な技ではない。ゲシュタポの一行は誇張され、漫画化して描かれているがその恐ろしさは画面から伝わってくる。見ているこちらの心拍数も上がる。

こうした名画は端役まで心に残る。一番印象的だったのは、戦傷のため、子供たちのお守りをすることになった大尉。彼はドイツ軍人でありながらおそらくは差別される側であった。大尉の姿、行動を見ていると思う。私はトム・クルーズやロバートダウニーJRが演じるような役にはなれない。しかしこの大尉のようであることはできるのではないかと。

少年にとって美しく年上のユダヤ人少女は姉のようであり、そして初恋の相手でもある。戦争が終わったことを彼女に告げなくてはならない時の子供らしい葛藤が微笑ましい。そして映画は静かなエンディングを迎える。お見事。


スターウォーズ-スカイウォーカーの夜明け:Star Wars-Rise of Skywalker(2019/12/22)

今日の一言:お見事

というわけでスターウォーズ9部作の完結編。とはいっても宣伝で流される「これまでの要約」では1−3がなかったことにされているのは笑える。

仮にスターウォーズ全体を振り返る要約映像が作られるとすれば、エピソード8も消え去るのだろう。おそらくは人種均衡のために導入されたアジア人のお姉ちゃんは見事にいなかったことにされる。あとC3POが記憶を失ったりあっさり取り戻したりとか宇宙船の上を馬で走るとか「もっと削れるんじゃないかな」という部分は多い。

しかしそれはそれとして、JJエイブラムスは見事な仕事をしたと思う。どう作ったところで絶対文句がでるし、今ままでの流れを断ち切ることはできない中で見事に物語に終止符を打ったのだ。「うん、これいらないよね」とか思いながらも最後までずっとスクリーンを見つめていた。

見慣れたはずのライトセーバーでの殴り合い。しかもレンとレイの戦いだから絶対決着がつかないと分かっているのにスクリーンに見入る。これはすごい技である。エピソード1−3に多々存在した「あーはいはい。いつになったら決着つくんすか?」と何が違うかは私のような素人にはわからない。

かくして本来美形のレイの「超がんばる顔」とその後のおだやかな表情とともに物語は終末を迎える。エピソード8で唯一心に残った「英雄の伝説」とともに。


イエスタディ- Yesterday(2019/10/26)

今日の一言:Beatlesの音楽がある幸せ

理由は全くわからないがある時を境に世界中がビートルズの存在を忘れた。自分を除いては。

主人公は売れないミュージシャン。実際音楽は凡庸(そして身近に感じる)としか言いようがない。彼がYesterdayを初めて歌う場面。この曲を何度聞いたかわからないこちらまでも「はっ」とするような気持ちになる。それほどこの曲は美しい。

そして映画が進むにつれその見事な楽曲が次々流れ続ける。そりゃ確かにあっというまにLong and winding roadを作られたら「君はモーツァルトで僕はサリエリだ」とでも言いたくなる。

この映画ではビートルズの音楽が重要な役割を果たしている。仮に彼らの音楽が今聴いて「なんだこれは」というものだったらこれらのシーンは成立しない。

この映画の前はほとんど出演実績がないインド人が主演。歌も素晴らしいが演技もハマっている。

私は小学校の時、算数でカンニングしたことがある。結果はとてもよかった(今から考えれば隣に座っていたのが成績のよい人だったからなのだが)いままでとったことのないような点数を見て「こんな点とったことがない」と発音した。しかしその時の「うれしくなささ」は今でも覚えている。

この主役の立場は算数のテストどころの話ではない。ビートルズの音楽は無敵だが、周りはそれを自分の功績と思っている。ただのコピーなのに。この「居心地の悪さ」は観客にも伝わってくる。Help の歌詞がぴったり。

彼は名声と引き換えに恋も捨てている。有名になり金持ちになったのにこの苦しみは。この物語にどう決着をつけるのかと思えば、そこは達人の技が炸裂。うん。確かにそうだね。ビートルズがこの世になかったんだから。さすがはリチャードカーチス

映画の最後は体育館で生徒と一緒にオブラディ・オブラダの大合唱。この世界にビートルズがあることは本当に幸せだ。そう思わせる見事な映画でした。


ブレードランナー ファイナルカット版- Blade Runner(2019/9/7)

今日の一言:雨中の涙のように

有名な映画だが未見だった。先に続編たるブレードランナー 2049の方をみて元祖に興味を持ったところ、IMAXで公開されると知る。元祖は2019年が舞台とのこと。2019年と言えば、、今年じゃないか。

というわけで画面を見続ける。日本語を喋る親父が「二つで十分ですよ!」という場面、海外のミュージシャンが「新宿はブレードランナーそのままだった」と感想を述べたそうだが、確かに新宿のよう。

脱走したレプリカントを追うブレードランナーことハリソンフォード。一人一人「引退」させていく。特に大きな盛り上がりがあるわけでもないのに画面に見入る。

今年-2019年-亡くなったRuger Hauerが見せる最後の意外な行動。その後のセリフがTears in rain monologueと呼ばれているのは後で知った。このモノローグの大半は意味が不明だが言わんとしていることは心に残る。そして何度も読んでいるうち暗唱できるようになってしまった。

強力わかもととか、途中で延々と繰り返される「音声認識による画像操作」といいこの映画はわけのわかならい場面に満ちているし、実際わけがわからない。余計な説明は一切なされないのだ。今自分が見たものはなんだったのか。しかしIMAX劇場からでた瞬間、自分があの酸性雨が降り続く暗いLos Angelsから外にでたような心持ちになった。自分の心は完全に映像の中にはいっていたことに今更のように気がつく。


ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド- ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD(2019/9/6)

今日の一言:昔々ハリウッドで

Once upon a timeというのはおとぎ話の出だし。それがハリウッドってどういうこと?

映画が終わり、その意味がわかった時私は泣いていた。

正直言えば、映画の中盤「なんだか盛り上がりにかけるなあ。なんでこんな退屈な日常が続くんだろう」と思っていた。

その意味は最後に明らかになる。この映画の評価は「現実」がどういうものかを知っているか否かで大きく異なるだろう。「現実」を知っている人なら、シャロンテートがどうなったかを知っている。決して歴史に残る大女優ではなく、小さなコメディエンヌ。しかしスクリーンをみつめ、自分の演技に観客が笑う時のうれしそうな、そして誇らしそうな顔。笑顔。そうした小さな幸せな日常。

それが全く理不尽な理由で奪われてしまうのが現実世界。

だからこそこの映画のエンディングはとっても美しく、都合がよい。「おとぎ話」だから。それを見て私は改めて「現実」の厳しさ、理不尽さを知る。などと言葉を連ねるより、5chで見つけた以下の言葉を引用する。

死別した人が夢に出てきて 生きてたんだ!死んだの嘘だったんだ!って嬉し泣きしたことない?
 そんで目が覚めたあとにまた泣いたことない?
自分がラストで流した涙ってそういう類いのものなんだわ
引用元:5ch
「退屈だなあ」と思っているシーンを見ている間に、シャロン・テートを身近な人のように感じていたことに後で気がつく。これは監督の恐るべき技。

ディカプリオは落ち目の映画スター。TVシリーズで当てたが、映画への転身はうまくいかない。今や新たなスターの踏み台としての悪役しかやらせてもらえない。しかしその落ち目スターが必死になって悪役を演じ、自分で「よくやった」という充実感を見せる場面。今までディカプリオを大根と思っていたが、この表情には魅せられた。

こうした機会すら与えられずただ消えてく「元スター」がほとんどなのだろう。でもいいのだ、これは「おとぎ話」だから。

見終わって考えればこれは紛れもないタランティーノの映画。10作で引退なんてケチなこと言わずに、もっともっと誰もが見向きもしなくなるまで作ってよ。見るから。


トイストーリー4- Toy Story 4(2019/7/13)

今日の一言:To Infinity and Beyond!

というわけでトイストーリーである。4ともなれば、最初のトイストーリーからはCG技術が比べ物にならないくらい進歩している。しかしこのシリーズの面白さはそこだけにあるわけではない。

前のおもちゃの持ち主は大学に入って家を離れた。もらわれた先で今一つ重用されないウディ。とはいえ持ち主への忠誠心は忘れず、というところに持ち主が新たな「おもちゃ」を作るのであった。という話で終わるかと思えば途中で相手役が変わる。しかしちゃんと話はまとまるから安心して見ていれば良い。

この映画を見ていると思う。米国ではシャイニングが一般教養として扱われているのではなかろうか。あの軽快な音楽が流れる時、「これは何かまずいことが起こる」と観客は身構える。

一作目以来の登場となったウッディの相手は紛れもなく21世紀の女性像。自分の足でちゃんと立ち、行動する。いつかは捨てられる運命にあるおもちゃはどう身を処するべきか。それに対して個々のおもちゃがそれぞれの答えをだす。

人間は様々なサクセスストーリーを思い描きながら(それが明示的に意識されていなくても)日々を送っている。そしてこれはほぼ確実に言えることだが、ほとんどの「想定したサクセスストーリー」は失敗する。現実はその通りにならない。なったかに見えても、おとぎ話はいつかは終わる。

夢は破れた。現実が迫ってくる。どうする?答えはシンプルだが、忘れがちなものだ。歩き続けなさい。迷い、悩み、正解がなくても決断しなさい。

子供達にこの映画を見せようか。彼と彼女にはまだ意味がわからないと思う。しかしいつかこの映画に描かれていたおもちゃたちの物語を実感する時がくると思う。

かくのごとくディズニー/ピクサー流の練り上げられたストーリーが炸裂する。それを支える見事なCG。ぐうの音もでない、とはこのことだ。


スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム- SPIDER-MAN: FAR FROM HOME(2019/6/30)

今日の一言:明るくそしてスパイダーマン

トニースタークが死に、彼から選ばれたスパイダーマン。地球を守らなくちゃ。でも高校生だから間近に迫ったヨーロッパへの修学旅行のことしか頭にない。エッフェル塔でMJに告白するんだ。。

私は還暦が近づいている二人の子持ちである。しかし前半は数十年前の自分を思い出し、当時の思い出でひっくり返りそうになっていた。うん。そうだよね。修学旅行っていうと何かとあるんだよね。

しかしマーベル映画だから、必ず悪い奴が行き先に待ち構えている。突如別の次元の地球から現れたスーパーヒーロー、ミステリオことジェイク・ギレンホール。なんだか見た目がチープだし、そもそもなんで顔隠しながら戦うのか、と思えば。

2chの情報を信じれば、スパイダーマンにおいて彼女たるMJはブスであるのが伝統とのこと。このMJも静止画をよくみれば美形とは言えまい。しかしとてもチャーミング。そういえば中学や高校の時もこういう女の子いたよねえ。ああ、体がむずがゆい。

高校生のスパイダーマンはこうして少しずつスーパーヒーローになっていくのだろう。トニースタークは地球を救いヒーローになったが、それでも厄介で傲慢な人間であったことに変わりはない。今回も結局元をたどれば彼に行き着いてしまう。斯様にすごい能力とかいろいろでてきながらちゃんと人間が描かれる技は相変わらず見事。

スパイダーマンのWTFという叫びで映画はエンディングを迎える。このシリーズはまだ続くのだろう。楽しみだ。


アベンジャーズ/エンドゲーム- AVENGERS: ENDGAME(2019/5/2)

今日の一言:I am Iron Man.

長い間続いたアベンジャーズの1シリーズが終わる。前作の終わりで宇宙人の命が半分消えたけど、まあ生き返るんだろうなと思う。

とはいってもスーパーヒーロー達がとにかくたくさん存在している。いつのまにか別シリーズと思っていたガーディアンズ・オブ・ギャラクシーまで合流してるし話がまとまるんだろうか。と不安もよぎるがいつものことながら(時々ハズレもあるけど)マーベルの映画は安心してみていられる。

前回、シャーロックことカンバーバッチが14万(だったかな?)に一つの可能性をみつけたという。それはとても込み入った話だった。サノスを倒すのは簡単だがそれはなんの意味も持たない。ここでいきなり5年が経つ。人類とか生物の半分がいきなり死滅した後の5年間とはどんな日々だろう。

映画に描かれてはいないが、たとえば小学校の同級生の半分は高校生になっており、復活した人たちはまだ小学生のまま。5年といえば伴侶を失った人が再出発するのに十分な時間である。そこに伴侶が復活したら何が起こるのかな、とか想像が膨らむ。「すべてが元どおりでよかったね」にしないのがマーベルの技か。

そこからあれやこれやがあって、最後はこのシリーズ最初のIron Manの決め台詞に帰ってくる。最初のそれはあくまでも自己中心的な金持ちのセリフだったが、最後にはトニースタークは全く異なる人間になっている。

このシリーズが続いていた間、私にもいろいろなことがあったな。それを経験して少しはマシな人間になっているといいのだが。そんなことを考える。見事な幕引きでした。


運び屋- The Mule(2019/3/30)

今日の一言:やりたい放題

クリントイーストウッドは花を育てる男。メキシコからきた不法移民を使って表彰される。しかしクソと思っていたインターネットに商売を奪われ(と本人は主張し)破産する。

それまでの彼の生きがいは「見事な花を作り、皆に賞賛されること」だから展示会があれば娘の結婚式もすっぽかす。花をつくれなくなり孫娘のところに行けば、そこに居合わせた娘と妻に悪態をつかれる。

そこで「運び屋」にスカウトされる。ガレージに行き、何かを載せられ、指定されたモーテルの駐車場に車を止める。それだけでびっくりするほどの大金が手に入る。一度だけだと言いながら金が必要な理由は次から次へと湧いてくる。それは自分の家と農園を取り戻すためはまだわかる。火災にあった退役軍人クラブの修復は「いい人」と思われたい欲もあるだろうな。

急に金回りが良くなる、とはこのことと思うが誰も90歳のじいさんには聞かない。麻薬カルテルは彼に監視をつけるがいつのまにか仲良くなってしまうのが面白い。パンクで困っている黒人がいれば助けてやり、モーテルの部屋には女を複数呼んでやりたい放題である。麻薬王のご招待にも預かり、さらに二人相手って、君90歳じゃないんか。

しかし気に入られていた麻薬王はクーデターで倒される。後任は命令厳守。仲良くなった監視役の戸惑った演技は見事。We are not friends any more.というが、いつ友達になったのか。かくして厳しい状況で大仕事を課せられ、寄り道もできないところに妻の病状が悪化したことが伝えられる。

彼を追う敏腕エージェントがブラッドリークーパー。これがまたかっこいい。上司のローレンスフィッシュバーン、アシスタントの見慣れたにいちゃん、みなかっこいい。米国の裁判では、冒頭の罪状認知で有罪と言ってしまうと裁判が終わってしまうとは本当だなと思う。

彼の行動は紛れもなく犯罪。しかしこのさっぱり感はどうしたことだろう。彼の行動を見ていて思う。もう存分に生きたと思う人間はこのようであるか、と。別に90にならなくてもこのように生きることができるかもしれぬ。などとやりたい放題ながら観客たる私にいろいろなことを考えさせるのはいつもながら見事だな。



女王陛下のお気に入り- The Favourite(2019/3/24)

今日の一言:生きるための戦い

英国の女王としてアンは君臨しているが、権力を掌握しているのは彼女の盟友であるレイチェルワイズ。そこに親戚のエマ・ストーンが転がり込んでくる。彼女は父親のギャンブルのおかげでドイツ人に売り飛ばされた境遇から這い上がろうとしている。

この映画で印象的なのは、アン女王の孤独。うやうやしくお辞儀をされても自室に戻れば痛風に苦しむ一人の老女。部屋にいるのは子供がわりのうさぎだけ。王が孤独というのは文字で読んだことがあるように思うが、映像で実感させられたのは初めてだ。女王は傲慢な顔、うろたえる顔、弱々しい顔、自分を巡って周りが争うのを楽しむ顔を自在に切り替えてみせる。

さて、女中として潜り込んだエマ・ストーンは石田三成ばりの手段でのし上がりワイズは彼女を脅威として捉え出す。その二人の争いを煽り面白がるアン。仁義なき戦いと言うこともできるが、じゃあ仁義とはなにか。エマのセリフが心に残る

「性病持ちの兵士に差し出される時、道徳は意味を持たない」

神秘チンチンニコニコ園で見た梅毒で顔が崩れた売春婦の像はそう昔のものではない。そうした運命を受け入れたくなければ持っている武器で戦うしかない。

最後にエマは「勝利」を得る。とはいえ勝ち得たのは王女の「娼婦」としての地位。命ぜられるままに使え、自由な発言も許されない。

エマの胸部を拝むことができるが、変な色気が皆無なのがすごい。この映画にはそうした要素がはいる余地がない。ウォーボーイことニコラスも厚い化粧顔で怪演。誰も無条件の幸せにならないまま映画は観客に何かを残し唐突に終わる。


スパイダーマン:スパイダーバース- SPIDER-MAN: INTO THE SPIDER-VERSE(2019/3/17)

今日の一言:想像力の爆発

今やなんでも3DCGで作ることができる時代。では何を作ろう?どう表現するのがいいのか?この映画がその問いに対する一つの回答。

古典的な2Dアニメを元にしたキャラクター、実写と見まごうばかりの映像、それに抽象的な色と動きのアニメーションを見事に組み合わせる。異常な能力をもつに至った3DCGを絵筆にしてスクリーン上で製作者の想像力が爆発する。

いや、映像ばかりではない。スーパーヒーローは定義によってむちゃくちゃ強い。ではそれで問題解決なのか。選ばれることは本当にいいことなのか。そうした骨太の物語をしっかりと語る。スパイダーマンは伝統的に暗いトーンだが、それを尊重した上でちゃんと爽快感を得られる物語なっている。予告編を見た時「主人公が黒人の少年?まったくこれだから人種均衡ばかり考えて」と思った。映画の途中から誰がの肌の色がどうとか全く気にならなくなった。

日本の美少女ロボットアニメも「一要素」として取り入れられる。それを喜ぶべきではない。日本人が勝手に「お約束」を作りそれを守ることに汲々としているうちに、海の向こうではそれを部品として使い見事な作品を作り上げたのだ。この創作力の差異はどうしたことか。エンドロールをみながらかすかな敗北感を味わい、ベイマックス を見た時のことを思い出す。



キャプテン・マーベル- CAPTAIN MARVEL(2019/3/16)

今日の一言:強い。かっこいい。

というわけで、今や終焉が近づいているマーベルコミックの映画化世界。サノスの指パッチンによって生命が半分殺された世界がどうなるのか、という結末編の前に公開されたのがこの「むちゃくちゃ強い」キャプテン・マーベル。

映画の冒頭地球ではない星でジュードロウ、とマーベル姉さんが武術の訓練をしている。なんだか悪いやつがいる、とかいっていきなりミサイルの雨降らせてるけどそんなことしていいのか、とか思っているうち舞台が地球になる。

このお姉さん美人だけど顎がはってるよなと予告編をみて思う。映画を見だすとあっというまにそんなことが気にならなくなる。恋愛要素と無駄な色気が皆無。ひたすらかっこいい。不気味な容姿をした宇宙人に対して

「こいつらはテロリストよ!」

と叫ぶ。それは宗教や人種によってテロリストと決めつける人を表しているようにも思え。

ヒーローは試練を経て覚醒する。いや、それはお話だから。ほとんどの人は何度も何度も倒され、そして惨めに諦める。そうした現実を知っていても、マーベルが覚醒し、むちゃくちゃ強くなる姿をみて爽快感を感じるのはなぜだろう。覚醒をするわけもない自分もそんなに悪くないと思えるのはなぜだろう。アカデミー賞をとる演技力を持つ人がスーパーヒーローになるとこういう物語ができるのか。

ジュードロウというのはハンサムだがどこかうさんくさい雰囲気を漂わせている。まさにはまり役。マーベルに素手の勝負を一生懸命挑むところとか予測通りの結末で笑わせてくれる。いや、これは正しい使い方だ。

映画の最後にはアベンジャースへの橋渡しもきっちり描かれる。というかそもそもなぜアベンジャーズなのかもちゃんと説明される。さて、今年の夏が楽しみだ。


ファースト・マン- First Man(2019/2/15)

今日の一言:生と死

私が小学生の頃、アポロのプラモデルがたくさん販売されていた。それくらい月面に到達することは偉業と思われていたのだ。13号でトラブルが起こった以外は皆無事にミッションを達成した。だからそれはアメリカの技術力を持ってすれば容易なことなのだろう、となんとなく思っていた。

それは大間違いだと知ったのは社会人になってしばらくたってからである。映画を見ながら考える。

子供は「宇宙飛行士すごいなあ。僕も大きくなったら宇宙飛行士になるんだ」と思う。

大人は「爆発物の塊にくくりつけられ、地球から離れた極寒、極暑、死の空間に放り出されるとか冗談じゃない。TVでみれば十分」と思う。

映画の冒頭X-15のミッションにアームストロングが挑む。そこから緊張感が途切れることはない。そして愛しい娘の死。小さな娘が放射線治療の副作用で苦しんでいる姿を見るのはどれだけ苦しいだろう。その時だけ無表情なアームストロングの顔が歪む。

実際のアームストロングはWikipediaの記述を信じれば「決して冷静さを失わない退屈な男」とのこと。ライアンゴズリングはその男を見事に演じる。冷静さだけではなく、その裏に透けて見える激情も。

「アポロ1号のクルーに選ばれたんだ」とうれしそうに告げる同僚。その運命を知っているこちらには寒気が走る。テストパイロットは常に死と隣り合わせ。それが仕事だが、だからといって悲しみが癒えるわけではない。

偉業は静かに冷静に描かれる。一面灰色、生命のかけらもない死の月面に唐突に挿入される地上の平和な光景。娘を失ったことは悲しみであったとしても、その生の輝きは確かに存在したのだ。次のアームストロングの行動と合わせ、その感情はスクリーンを通して伝わって来る。

そして映画は静かなエンディングを迎える。セリフは必要ない。お見事。


セッション-Whiplash(2019/2/3)

今日の一言:クズsのMadness

公開から4年たってネットで鑑賞。いろいろなところで言及されていることに気がついていたが、なんだか怖いというし。しかしAmazon Primeで見放題がもうすぐ終了。これは観なくては。

ちょっとヌボっとした容姿の主人公。ひたすらドラムを叩いているところを鬼軍曹教授に声をかけられる。練習に行ってみれば。

教授が入ってくる前の楽団員の緊張は観客たる私にも伝わってくる。それから行われることはハートマン軍曹の世界。それが延々と続く。一瞬本音を語り合い和解のシーンがあったかと思えば。

この映画では何かがぶつかっている。それはなんなのか?日本でよくある「衝突していたが、思いっきり殴り合ったあとに笑って肩を組む」なんてことはない。個人としての怨嗟、エゴとも言えるが何かが違う。それは「素晴らしい音楽への信仰」のようなものなのか。なぜ信仰かといえば証明されていないから。しかしそれを強烈に求め続ける。

対する主人公。こちらもろくなものではない。自分から声をかけた女の子に「これから忙しくなるから別れよう」とトラブルが起こってもいないうちに告げる。親戚づきあいでもお世辞を言ったり適当に受け流すこともできない。彼も何かを強烈に求め続けている。良い音楽かと言えばそれだけではないような気がする。Greatness。それだけを追い求めているのか。

観客たる私は妥協しない2本の線がぶつかり続けるのをひたすら見続ける。ソファに座っている私の後ろで息子がちらちら見ている。隣で見ないかとさそっても来ない。じゃあ立ち去るかというとじっと見ている。

不愉快、怖い、とんでもない。なのに見続けてしまう。そんな映画。なぜ人はこの映画を見てしまうんだろうね。

クズsが持っているものを仮に「狂気」と呼ぶとすれば。それを極めたものでなければみることができない世界を描いている点でラ・ラ・ランドとあい通じるものがある。ラ・ラ・ランドは往年のハリウッドミューズカル映画の皮をかぶせたセッションだったのか。

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注釈