題名:長い友達(前編)

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日付:1998/1/12


私の母方の祖父は私が物心ついたときからはげていた。母に聞いてみたら30のころからつるっぱげだったそうだ。祖父の家で、母親が少女だったころの写真を見たことがあるが、その写真においてさえも既に祖父ははげていた。母達は祖父の頭のことを「ハエトマルスベル」と言ってからかっていたそうだが。

父の方は、今でも髪の毛がたくさんある人であり、かつ父方の祖父も老年まで髪の毛がたくさんあった。「禿は遺伝する」という言葉がある。それはたぶん幾分の真実を含んでいるのだろうが、私にどちらの系統が遺伝するかは遺伝子の神様だけが知っている。(どうも私は全般的に母方の血を多く受け継いでいるようだが)

私の叔父は昔から「きっと五郎ちゃんははげるよ」と言って私をからかうのが好きだった。「母方のおじさん達はみんなはげていない」と反論すると「隔世遺伝って知ってる?」と言って私をいじめる。そんな会話をしていたのはまだ私が幼かったころだ。

 

「抜け初めてわかる。髪はながーい友達」というのはいにしえの育毛剤のCMのコピーである。このCMをみていたときの私の感想は「なるほど。なかなかいいセリフだ。確かに”髪”という字から点をとっていくと、”長”と”友’が残るな」というもので、間違っても自分がその育毛剤を必要とするとは思わなかったのである。

 

またある日。私は米国で”Married with Children”という30分もののコメディをみていた。それには髪を失いつつあり、かつそれに対して戦っている二人の中年男が描かれていた。彼らはあらゆる育毛剤を試した後で「禿と生きるしかない」という事実に直面する。

そして彼らは「全米禿友の会」のような会合に出席することにある。そこで会長が禿についての演説をひとしきりぶつ。

「今日の議題はこうである。髪の毛。どうしたらそれらがが生えるのを止めることができるか?

認めようではないか。確かに遠い過去においては我々人類は髪の毛を必要とした。もっともそれは当時頭の上を非常に大きな鳥が飛び回っていて、かつ帽子が発明されていなかったからだ。現在においては髪の毛はじゃまなだけだ。禿頭は髪の毛ふさふさの頭よりも、より進化していて、洗練されていてい、Sexyでかつエアロダイナミックなのだ」

この番組を見ていたときは私は28歳だった。そして私はただ笑っていたのである。

 

それから時は流れた。私が30歳になったころのことである。

高校時代から私は髪の毛が多すぎて、かつ固すぎるという事実に直面してきた。そしてどちらかというと私の顔は髪の毛を下になでつけたほうがましに見えたのである。

しかしながら多くて堅すぎる私の髪の毛はほおっておくと上方でまとまろうとする。そこで私は「ヘアリキッド」なるものを使用することを覚えた。これを使用するとなんとなく髪の毛が下の方でまとまることになるである。

そして私はなんの疑問もなくこの「ヘアリキッド」を使用し続けた。

 

そんなある日。私は会社の女の子と話をしていた。彼女に私はたまたま机のなかから見つかった入社直後にとった写真を見せて「ほら昔とあまりかわっていないでしょ」と言った。彼女はじっとその写真を見た後で、ぼそっといった「髪の勢いが違う」

 

私は「えっつ?」と思って再び写真を見直した。確かにそこに写っている私は、上にマイクの先についているカバーを思わせるような髪の毛を所有している。しかもこれは単に入社当時のほうが髪の毛が長かったから、とかそういう理由ではなさそうだ。

 何気ない顔をしながらトイレにいって自分の顔をとくとみてみた。確かに私の頭は入社当時よりも縮んでいる。。。ここではまだ「縮んでいる」という表現しか私には使うことができなかった。いや使うのを畏れていたというのが正しいかもしれない。

 

さてそれはそれとして私はまだヘアリキッドを使っていた。

 

私は洗髪した後、髪の毛をかわかすような面倒なことはしない。いつも自然乾燥である。髪を適当にタオルで拭いて、水気をとって頭頂部にヘアリキッドを振りかけて適当にぱさぱさやっておしまいである。そしてこてっとねる。

その日がいつだったか正確に覚えていない。しかしおそらく自分が30のときだったと思う。そうしてこてっとねた私はしばらくたってなぜか目を覚ました。そして理由はわからないが、自分のつむじのあたりに手をやった。

 

すると妙にたよりない感触が残った。かつてであれば、「これでもか、これでもか」というくらいたくさんの髪の毛の感触が残るはずであったが、そこにあったのは「地肌」の感触であった。

 

それは恐ろしい瞬間であった。私の血液は逆流した。そして自分が線を踏み越えて反対側に足を踏み入れかかっていることに気がついたのだ。いままで他人事として考えきた「禿」という文字がにわかに自分の身にふりかかってきていることに気がついた。そう。それはまさしく「中年という言葉が自分とは反対側にあるという幻想の終わり」の瞬間だったのだ。

 

それからまず私はヘアリキッドを使用することをやめた。そうだ。なにもこれが自分がはげることの前兆だと限ったわけじゃないじゃないか。長年ヘアリキッドを集中的に頭頂部に振りかけたことによって一時的に髪の毛が窒息しただけかもしれない。

さて、ヘアリキッドの使用をやめた後は頭頂部の地肌を意識せずにしばらくの間暮らすことができた。しかし私が現実に直面させられるのもそう遠いことではなかった。

 

私は高校時代からだいたい月に一回床屋に行くのを習慣としている。だいたい床屋にいく直前には私の髪の毛はとても長くなり、髪の毛を洗うのはとても面倒で疲れる仕事になり、目にかかってくる髪の毛をかきあげるのはとても面倒で、うっとうしいことになるのが常であった。

1993年のある日、ちょうど私がヘアリキッドが自分の毛髪に与える影響について深刻な思索を始めたころ。。床屋に行くのが適当な時期であった。そして私はいつもの調子で目にかかる前髪をかきあげていた。。。そして何かが違うのに気がついた。手に残る感触が何かたよりないのだ。

それから私は何度も髪の毛をかきあげていた。周りからみればきっとかなり奇妙に思えたことだろう。(ちなみに、それから私も他人のこういったしぐさに敏感になった。やたら自分の髪の毛や地肌に触っている人間のことである。)

OK認めようじゃないか。確かに私の髪の毛は減少しつつあるんだ。今のところ別にめだった変化はないが確かに微分係数は負の値になっている。

しかしまだ私は岸のこちらの側にいるつもりだった。微分係数は負の値かもしれないが、それは今のところなにも具体的な問題を起こしていなかった。逆にヘアリキッドを使用する必要はなくなったし(確かにそれは自分の髪の毛の勢いが失われてきたことを意味するものだが)髪の毛を洗うのも前よりは楽になった。だからなんだと言うんだ?

次の兆候に私が気がつくのはおよそ1年後のことになる。

 

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注釈

遺伝子の神様:トピック一覧参照)この神様はそのうち電子顕微鏡で見えるようになるかもしれない。本文に戻る

 

コピー:そういえば「コピーライター」なる職業がやたらもてはやされたこともあった。。。あれはいったい何だったのだろう。コピーで思い出すのは、昭和63年に東京で高校の同窓会があったときのことである。だいたいの男の子は製造業、銀行、証券などで働いていたが、ひとりだけ芸能関係の会社で働いている男がいた。その男に「具体的にどういう仕事をしているんだ?」と聞いたら、「○○をしたり、××をしたり、コピーを書いたり」と少し誇りをこめて「自分がコピーを書いている」ということを強調していたことである。戻る

 

30分もののコメディ:日本においても過去においては「奥さまは魔女」とか米国で人気のあるこの形態のTV番組が紹介されていたようだが、なぜか最近ははやらないようである。しかし米国ではこの形態のTV番組は健在だ。そして私が大好きなCheers(参考文献一覧へ)という番組もこの形態である。戻る

 

エアロダイナミック:空力的に洗練されている。くらいの意味か。これは確かでなぜ水泳選手が全員頭をそらないのか不思議なくらいだ。帽子をかぶるよりも多少抵抗は低減すると思うのだが。戻る

 

ましに見える:小学校時代に私が好きだった女の子に、大学の時にこういわれた。たまたまみんなで自動車免許書のみせあいっこをしていたとき、彼女が「こっちのほうがいいわ」と言ったのである。たまたまその免許をとりに行ったときは雨が降っていて、私の髪の毛は下方におとなしくまとまっていたのである。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので小学校時代に好きな女の子のいうことでも私の心に深くつきささったのである。戻る

 

中年という言葉が自分とは反対側にあるという幻想の終わり(トピック一覧へ) 戻る