題名:2000年のゴールデンウィーク

五郎の入り口に戻る

日付:2000/5/22

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前編

5月4日の朝、私は新幹線にのって大阪に向かっていた。

4月の何日か忘れたが私はハンニバル」という作品を狂ったように読んでいた。その中に次のような一節がある。

「あなたの望みは何なの?バーニー?」

「死ぬ前に、世界中に散らばっているフェルメールの絵を残らずみることでしょうか」

「あなたをフェルメールにのめりこませたのはだれか、訊くまでもないわね?」

「自分と博士は真夜中にいろいろなことを話しあいました。」

殺人鬼であり、「怪物」以外の形容の言葉をもたないハンニバル・レクター博士とその博士と6年つきあって生き延びた看護人バーニー。その会話にでてきた「フェルメール」という名前を私は全く知らなかった。だからそこで立ち止まることなく先を読み進めたのだが。

 

さて、毎日私は電車で品川まで通勤する。わざと普通電車に乗っているからその間は自由ないろいろな事ができる時間だ。気力があれば本を読んだり、PB2400に向かってこのホームページに載せる文章を書いたり、あるいはプログラムを書いたりする。寝覚めが異常に悪くてそれらが不可能な時はぼんやりと窓の外を眺める風景を見る。この時間電車にのっていると冬は日の出が見えるし、最近はすでに上った太陽からの光が容赦なく照りつける。春の、そして初夏の訪れは待ち遠しい物だが、それはまた日が過ぎてしまっている事の証明でもある。日が過ぎるのは古来変わらないことなのだが、それを迎える私の心持ちのほうはあれやこれやと変化し、そして最近の私にはその早くなった日の出が妙にこたえる。

「次は終点品川」

というアナウンスがながれる。この平和な時間ももうお終いだ。ケツを上げろ。歩き出せ大坪。金がほしけりゃ歩いて会社に行くんだよ。

 

いつもこの時間電車からおりると制服をきた小学生の女の子二人連れとすれ違う。彼女たちは元気良く階段を上ってくることもあるし、心なしか眉間にしわが寄っているようにみえることもある。今日は彼女たちはちょっと遅れているようだ。姿が見えない。

そんなことを考えながら階段を下りるときにふと踊り場にあるポスターに気がついた。

「フェルメールとその時代:大阪市美術館」

ポスターには(これは後で知ったのだが)「青いターバンの少女」が描かれている。そのポスターを観たとき私の頭の中にしまわれていた「ハンニバル」の中の「フェルメール」という言葉がふと表に出てきた。

そう思ってその絵(本当はポスターだが)を観てみる。暗いバックに浮き上がる少女の姿を観る。ハンニバルが教えたのはこの絵であったか。

 

私はゴールデンウィークは毎年放浪の旅にでる、と宣言するのだが、その放浪が成功するかどうかはそのときの気分と体調による。精神的だか身体的だかわからないのだが、疲れていると放浪もうまくいかないようだ。

今年も「放浪の旅にでる」と宣言はしていたが、行くあてもなかった。東北の方にいってみようか、とも思ったのだが(何故かと言えばせっかく日本の真ん中よりは東の方にいるからだ)なんとなく気力がわかない。どうしようかと思っていたところにこの美術展だ。よし決めた。大阪に行こう。

実はもう一つこのゴールデンウィークに大阪に行く理由が存在していた。昨年から始まったユーザー主催のMacintoshのイベント、iWeekである。それ単独では大阪まで行く気にならないが、この絵を見に行くのであればついでに行きたいというものだ。

 

そうなるとインターネットであれこれ調査である。美術館が開館するのは朝の9時から。iWeekは朝の11時からである。どちらに先に行くかはその日目覚めた時間で決めようと思っていた。ここ数週間私は早朝(というか深夜)に目が覚めてかつなかなか眠れなくなる、という状況に悩まされている。朝の5時頃目が覚めればいいのだが、3時に目が覚め、6時ぐらいまで眠れないとこんどま間違いなく昼間で寝てしまう。その日私は朝の6時頃目覚めた。これで最初にフェルメール展にいくことになった。そしてこれは予想以上に正しい選択だったのである。(当時は全く気がついていなかたのだが)

 

フェルメール展をやっている大阪市美術館の最寄りの駅が天王寺という駅であるところまで調べていた。しかしその天王寺にどうやっていけばまでは考えていなかった。新大阪で新幹線を降りたのはいいのだが、ここからどうしたものやら。

とりあえずぶらぶらと歩いていくと簡単な乗り換え案内のような図がでていた。どうやら環状線なる丸い路線にのればなんとかなるようだ。

一駅のると環状線の大阪である。環状線とは丸くなっているから環状線なのであって、理論的にはどちらからまわっていっても目的の駅にたどり着くことができる。ただし下手をすると一駅いくか、環状線をほぼ一周するかの差異が生じることにはなる。さて、ここで問題。目的の天王寺駅に行くには「外回り」と「内回り」のどちらにのればいいでしょう?

東京の山手線も所謂環状線である。そしてこちらも「外回り」と「内回り」なる名称が用いられているが、東京生活ももうすぐ6年になる私なのだが、どっちがどっちだがさっぱりわからない。そんな事を悩まなくても大抵の場合は「新宿方面」とか書いてあるほうに乗ればいいのだが、東京駅から渋谷に行くのには一体どちらを使うべきなのか未だに釈然としない。6年も住んでいる場所でそうなのだから、生まれて数度目にきたこの大阪で的確な判断ができるわけもない。数分間まよったあげく、ひょっとすると天王寺は大阪のちょうど反対側にあり、どちらに乗っても大差がないのではないか、という結論に達した。となるととにかく早く来た電車にのればいい。内だか外だか知らないが私は私が呼ぶところの西回りの電車に乗った。

 

こうして電車にのって車窓を流れる風景を見るのはいつものことながら興味深い。正確に言えば去年の年末も仕事でこの環状線に乗ったのだがあのときはとにかく待ち合わせの時間に遅れてはならない、と泡を食っていて風景を眺めるどころではなかった。

街並みをぼんやりとみる。東京、山手線から見える街ほどごみごみと混み合っていない。ところどころ妙な看板などあり庶民的なんだかなんだかわからない妙な雰囲気を持っている。本でも読もうかと一度鞄から出した本をしまってずっと流れる風景を眺める。

ほどなくして天王寺駅についた。さて、ここからどうしよう。

理論的には私は朝ご飯をちゃんと食べてきたはずなのだが、何故かそのとき妙に「駅の立ち食いそばがたべたい」という衝動に駆られていた(実のところ今まで立ち食いそばなどそう食べたこともないのだが)そしてこうして立ち食いそばを探していると絶対にそれは見つからない。もうちょっとちゃんとしたレストランはいくつもあるのだが、

しょうがない、と思い歩き出す。さて、大阪市美術館はどこだんべ、と思って見回してみるが改札をでたところの看板には書いていない。どうしたものやら、と思うとちょっと離れたところに巨大なフェルメール展の看板があった。どうやらなんとかいう公園の中にその大阪市美術館は存在しているようである。

 

矢印に従ってだらだらと歩いていく。天気はよく、気温はちょうど心地よいほどだが、私はこの

「気持ちのいい風」

に当たっていると60%くらいの割合で風邪をひいてしまうというのも事実だ。いかに私が愚かとはいえ、この事実に気がついたのは私が22のときだから少しは警戒するようになっている。ちょっと暑いか、寒いかでないとあのつらいつらい風邪の日々がまっているのだ。私は「これは快適な気候ではない。ちょっと寒いのだ」と自分に言い聞かせる。そのうち

「フェルメール展はこちら」

という看板が見えるようなってきた。入り口のゲートはどうやら公園と共通のようである。

さてゲートをくぐるとこれまた看板をさがしてその矢印に従って歩いていく。途中ある道路の下をくぐる地下道のようなところを通る。そこをくぐるとちょっと静かな感じのエリアにはいる。しかしそこで妙なことに気がついた。どこからともなく演歌が、しかもどう考えてもプロの演歌歌手が歌っているのではない下手な歌が流れてくるのである。これはいったいいかなることか。私は美術館に向かっているのではないのか。

しかし今はその疑問を探求している場合ではない。足早に美術館とおぼしき方向に歩を進める。人間急ぎ足になるとどうしても視線は下を向く。何かにけっつまずいて転ぶことを考えればこれは何かの自衛措置といえるのかもしれない。いけない、こんなに泡食って急ぐほどのことではないでないか、とそう思いふと顔をあげると目に飛び込んできたのは彼方にそびえる通天閣である。私は腰を抜かしそうになった。

この通天閣というのは実に奇妙な格好をしている。時々高いタワーに上ると「世界のタワーあれこれ」みたいな写真が飾ってあることがあるが、この通天閣のような形の物をみたことがない。妙に頭でっかちで、また理由は知らないが左右に張り出した部分が何とも言えぬ風情を醸し出している。かといって「世界唯一無二」と威張る気には(少なくとも私は)ならない。名古屋港を遊覧している金の鯱の形をした遊覧船(大坪家では「しゃっちー」と呼ばれている)と同じで、世界に並ぶ物がない、というのは必ずしも世界に誇ることとは同義語ではないのである。

いけない。今日の目的はフェルメールだ、と思いさらに歩を進める。そうするとようやく美術館の入り口らしきところにきた。「青いターバンの少女」がいたるところにかかっている。そこではいかにも「係員でございます」といった風のおにいさんがハンドマイクをもって叫んでいる。

「フェルメール展。大変混み合っております。中では入場規制を実施させていただいております。ご協力をお願いします」

うむ。時間はまだ9時半。開場したばかりだというのにそんなに混んでいるのか。先ほどより少し大きく、明瞭に見えるようになった通天閣の姿を横目に私は美術館にはいった。

デイパックをロッカーに放り込みずんずんと進んでいくと、まもなく大きな広い部屋にでた。そこまではなんの障害もなく進んでこれたがどうやらここでそれもお終いのようだ。部屋には人があふれ、そして東京デニーズランドの人気アトラクションのように部屋を何往復もする列ができている。

 

しばし唖然としたが、なんとか最後尾を見つけて列に加わった。私が並んだ時は不幸にして、列をもう一回折り返そうか、というところであり、明らかにバイトと思われる人たちの行動は必ずしも整然としていなかったから

「せっかく並んだのに、また並び直しか」

とくってかかっている人がいる。そして列の折り目を利用して少しでも前に割り込もうとする人もいる。私はそういう人たちの像を目でとらえながらも極力それから心を離すようにした。これから絵を観ようというのにそんなことで心を乱されては損ではないか。

一旦列ができてしまえばそれは粛々と進んでいく。気がつくと部屋の壁にはフェルメールの活躍した土地に関する写真、あるいは史料、それに数台のTVからはVTRが流されている。長い行列に並んでいる人たちを飽きさせないように、というのは結構ありがたい心遣いだ。

正直言えば私はそのときまでフェルメールがどこの国の人かもしれなかった。事前にこの美術展の情報をWebで集めたとき「35点しか作品が残っておらず、そららは世界中に分散しているので一同に会することがない」と知ったことくらいである。

壁に掛かったオランダの写真を見ていると、そのうち「世界中に存在するフェルメールの絵」という説明図があることに気がついた。しかしその瞬間私は反対側の壁をむくはめになった。列が進んで私は折り返し点をまわったわけだ。

列を一往復進んで再びその図を観ることができるまで、何分並んでいたか覚えていない。そして、待ちに待った「説明図を詳細に眺めることができる」位置に近づいた瞬間、列が大幅に前に進のもこの世の常という奴なのだが。

従って詳細に内容を観ることはできなかったが、一つだけ確かめたかったことは確認できた。

「世界中にちらばっている」

というフェルメールの絵だが、この「世界中」というのはヨーロッパと北米のことなのだ。となれば「ハンニバル」にでてきた

「バーニーがついに見ずに終わった唯一のフェルメールは、ブエノス・アイレスの美術館に展示されている作品である」

はT・ハリスの創作であるわけだ。

ふむと思いながらも列は進む。今度はTVで流されているVTRに目がいく。フェルメールがいかに正確な透視画法を用いるため絵のまんなかにくぎをさし糸を引いた、とかあるいは青いターバンの少女を美術館に運び入れるさいの厳重な取り扱い(温度、湿度にならすため丸一日開梱しないで寝かせて置くのだ)にも感心したが、映し出された「青いターバンの少女」には説明がなくても惹かれたと思う。

その部分部分が、実に巧みに-という言葉すらもがなんとなく俗っぽく響くほど-描かれている様が紹介される。唇の光、耳飾りの光、そららは拡大すればしただけもっと近くによって見たくなるほど

「光をはなっている」

列に並んでいる間そのVTRは何度も繰り返された。どうやらわざわざ5枚の絵を観るために大阪まできたかいはあったのかもしれない。

 

ほどなく最後の折り返し地点を曲がった。あとは入り口まで一直線である。

 

次の章


注釈

ハンニバル:(参考文献一覧)どうにも未だに"Silence of the lambs"の「ハニバル」のほうが私の頭にしみついている気もするのだが。本文に戻る

放浪が成功する:今まで記憶に残る成功した放浪は、1998年求職中のものと、学生の時の金沢への旅だが。本文に戻る