題名:YZ姉妹(2章)

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日付:1998/1/25

まえがき  1章 2章 3章 おしまい おしまいの後に 4章 終章 蛇足編 あとがき 追加編 あとがき+登場人物のその後


2章 :  ふぞろいのとんび達

私が渡米中に行われたもう一つのイベントは、誰か主催のバーベキューであった。

このときに参加したのは、私の知る限りでは男はIK、AY、KT、S(♂)、女にはティーチャーYZ、南洋美人、国語教師、あと28歳の年増女 、等がいたはずである。この時の様子はよく知らないし、また何もなかったのだろう。KTとAYがティーチャーYZの正面に座って、スカートの間から見えるかな、見えないかな?とわめいていたこと、ティーチャーYZが「こんな私でもね、大坪さんはわりといいって言ってくれたんだよ」といったので、AYが「あいつは誰にでもそう言うんだよ」と心の中では思ったけれど口にはださなかった、などということ位しか判明していない。(ここで言い訳をすると、私は確かに口は軽いのであるが嘘はいいません。したがってかわいいと思わない娘にかわいいとか、美人と思わない人に美人とはいいません。但し思うと何も考えずに口に出してしまう傾向はあるようである。)

 それはそれとして、この時、後に影響を残す種が密かにまかれていた。ここで女の方の人気を集めていたのが、誰あろうS(♂)であった。彼は途中で28歳年増先生を送っていったのだが、私が後にティーチャーYZに聞いたところでは、28歳年増先生は「あの子(S(♂)のことである)私より年下でなかったら、つきあったっていいと思うわ」という感想を述べていたそうである。また、帰りには国語教師と一緒に車に乗っていたはずである。このことが後日様々な波紋を呼ぶことになる。(本人達(S(♂)と国語教師)に言わせると、この時は別段何もなかったそうだが。)

 

 次のイベントは、7月8日の飲み会であった。この時のメンバは、男:大坪、KT、Mr.A、S(♂)、IK。女:ティーチャーYZ、南洋美人、国語教師、あとは通称酒乱ねえちゃんことみゆきちゃんであった。

 一次会は六本木浪漫亭である。ここは早い時間にはいると結構いい席がとれるのである。この時も奥まったこじんまりとした座敷であった。席の配置としては、この時もおおよそ5対4に別れていたと言ってもいいだろう。入り口のほうから国語教師、反対側がS(♂)、S(♂)のとなりが南洋美人。南洋美人の隣が私。反対側はIK。残りの4人はティーチャーYZ、酒乱ねえちゃん、Mr.A、KTであった。

 この時は始まった瞬間から態度が露骨であった。国語教師とS(♂)はいきなりテーブルのはしっこでなかよしこよしの2ショットである。(私も国語教師と御話しできる位置にいたので、最初一言二言話し掛けたのであるが、まったく取り合ってもらえなかった。) 私は南洋美人と話さざるを得ない状況にあった。理由は単純明快。南洋美人がこっちを向いて話すからである。(実のところ、南洋美人が私に気がありそうだということは、ティーチャーYZから聞いて知っていたのである。「大坪さん、南洋美人なんてどう?」こう言われたとき一体どう答えりゃいいのよ。「ふにゃふにゃ」位しか返す言葉はないじゃない。)私は義務と状況の命ずるままに、南洋美人とにこやかに談笑していたのである。あとのサイドについては私はよく知らない。なんでも聞くところによると、KTかだれかが我々の2ショットを指摘した時、ティーチャーYZは「いいの。今日私達はつけたしなんだから」とかなんとかそれにたぐいするセリフをはいたという。

 2次会は某課ご用達のカラオケスナック「めぐみ」である。この時の模様はあまり明確ではない。 私が、ずーっとスナックのねえちゃん(通称”荻野目洋子”)となかよくして、あまり先生方と御話ししなかったからである。しかしながら 確かなことは以下の通りである。

酒乱ねえちゃんはじつに水割りを倒すこと5回以上、わたしだけでも2回灰皿をぶつけられている。そのほかにも「私全然胸無いの。ほらみてみて」とか言って、服の前の所をパカパカしていたそうである。それを見たい気持ちを押さえて「やめろよ」と言っていたのがMr.Aであり、「やめろよ」といいながらしっかり見ていたのがKTであった。 Mr.Aは結構ティーチャーYZと仲良しこよしでお話ししていたのではないだろうか。何かの曲を「ティーチャーYZちゃんのために歌います」とかなんとか言っていたような気がする。結局その日は1時位まで酒乱ねえちゃんを除いて騒いでいた。(酒乱ねえちゃんは途中で彼氏を呼び出して車で帰っていった。) だいたい女の子が1時まで騒いでいるというのは、私の経験の範囲内では例がない。IKの観察によると、国語教師と南洋美人は朝まででも騒ぎそうな勢いであったが、ティーチャーYZはお疲れぎみだったということである。しかし女の子の中で一番たくさん歌ったのはティーチャーYZであった。

 実はこの時に写したポラロイド写真が存在している。(私が持っているのである。なぜかと言えば、私があまりにも情けない顔で写っているので「めぐみ」においておくと人が見て恥ずかしいからである。)今写真を見ると、酒乱ねえちゃんの隣にはKTがくっついているし、S(♂)の隣には国語教師がいる。IKと南洋美人は隣同士だし、ティーチャーYZの隣にはMr.Aがいる。この配置はあるいは偶然であるかもしれない。しかし私には、何らかの作為が働いた結果としか思えないのである。

 翌日の会社では、昨日の宴会についての話題が花咲いたのである。この前からか後からか忘れたが、IKと私とKTは、3人ともティーチャーYZが良いと言って「ライバルじゃん」と言って遊んでいた。IKに至っては、わざわざ私のまえでタバコの箱を握りつぶしながら、「吸いたい、でも吸わない。愛のため」などとわめいていた。(ティーチャーYZがIKに「タバコやめたほうがいいわよ」とかなんとか言ったそうである)Mr.AもティーチャーYZが気に入った感じであった。S(♂)は特に何も言っていなかった(といって、何もしなかったわけではない)

 私がティーチャーYZに電話をしたのは、その翌日である。「いやーどーも。楽しかったです」ってなもんであるが。この時に幸か不幸か私は南洋美人に愛想をつかされたことが判明するのである。ティーチャーYZの言葉によると「大坪さんもいーんだけれどね、でもね、時々怖い顔をするの」と南洋美人が言ったそうである。いやー残念だといいながら、私が肩の荷を下ろしてほっとしたのは言うまでもない。 この時ティーチャーYZは、上高地のお土産(なんかの植物がはいった、丸いしおりである) を渡し忘れたので、渡したいと言った。私は翌週末に渡米をひかえて忙しいと思ったのだが、せっかくの好意を無にするのもどうかと思い、翌週の水曜日に瀬戸まで行って、会いましょうという話にした。

 翌日私は、この話をみなさんに黙っているのも何かと思ったので、「今度ティーチャーYZと瀬戸で会うんだよ」といいふらしたのである。ここでMr.Aの心中は決して穏やかでは無かっただろう。思えばこのときまだ「とんび」という言葉が一般的でなかったのは幸いであった。もし普及していれば私が「とんび1号」の栄誉を担うところであった。しかしこの時点では既に別の動きも行われていたのである。

 

 水曜日に私は会社を定時でぬけて、ひたすら瀬戸市役所前に向かった。 女の子と2ショットで会えるといって、わくわくしない男がいるであろうか。私はそれなりにわくわくしていたのである。車を止めてぼーっとしていたらティーチャーYZが来た。車にのって、不二家に行って御飯を食べて大騒ぎした。ここで、既にS(♂)がティーチャーYZと2ショットで飲みに行っていたことが判明したのである。私の心の動揺はいかほどのものであっただろうか、あの野郎、黙って一人でいいことしやがって。私の心の中に憤怒の炎が燃え盛ったのである。

 翌日私は会社にいくとS(♂)を締め上げてしまった。「S(♂)ちゃん。君はなにか隠していることはないかい?」そして既にS(♂)にまでだしぬかれていたと知ったMr.Aの落胆ぶりはいかほどであっただろうか。かと言ってこれは私達のみの責任ではない。このころからティーチャーYZは「八方美人」という名称で呼ばれるようになる。まあそれまで多いときには一日に2−3人もティーチャーYZの家に電話をしていた状態が異常といえば異常なのだが

 それから私は再び1箇月渡米した。この間には、7月の終わりにIK主催のキャンプがあった筈である。私はこのキャンプの様子についてはなにも知らない。米国から一度ティーチャーYZに電話をした時に聞いた話は、「南洋美人とIKさんが2ショットだった」であるが、後にIKに聞いたところでは、「一緒の車に乗ったけれど、たいしてしゃべることも無かった」そうである。このときのメンバは、男:IK、AY、Mr.A、あと知らない。女:ティーチャーYZ、南洋美人であった。

 8月の盆休みに私は帰国した。某課のキャンプ は1週間後に迫っていた。キャンプの前の水曜日に、キャンプの打ち合わせと称して飲み会が行われた。出席者はIK、Big E、Mr.Aあとは知らない。女の子はティーチャーYZ、AYAとその1団 であった。この席上での様子は詳しくはわからない。但し誰の目にも明白だったことは、ほとんど宴会の最初から最後までティーチャーYZとBig Eが2ショットだったということである。Big Eに言わせると、真面目にキャンプファイアの打ち合わせをしていた とのことであるが、仮にそれが事実としても、同席していたMr.Aの心中はいかばかりであったろう。しかしMr.Aの悩める日々はこれだけでは終わらないのである。

 金曜日に、Big EはティーチャーYZとキャンプファイヤの準備をすると称して、二人でおでかけであった。当時ティーチャーYZの家には彼女の学生時代の友人が東京から来ていた。通称東京娘である。私が木曜日にティーチャーYZに電話したときに少ししゃべった感じでは、なかなかいい子であると思った。うん。金曜日にティーチャーYZがBig Eとおでかけなので、東京娘はヒマになってしまう。そこでティーチャーYZが考えたんだかなんだか知らないが、Mr.Aが東京娘とおデートすることになったのである。金曜日の会社でのMr.Aの様子を私は良く覚えている。ティーチャーYZに関してロクなことがなかったMr.Aも、こんどこそはいい目が見れるのである。彼には心中期するところがあったのだろう。うきうきした彼の後ろ姿からは、めらめらと燃える炎が感じられたのである。

 某課キャンプに、私は仕事の都合で参加できなかった。Cの語るところによると「何も考えずに参加するべきでしたよ。青春が10倍位になったのに」という位楽しかったらしい。 このキャンプについては様々なエピソードが知られている(OSの悪事は特に有名である)しかしここではその全てに言及している余裕はない。ティーチャーYZに関してのできごとにのみ触れることにしよう。キャンプの最中はティーチャーYZは何も目立った動きはしていない。問題はその前後にあった。まずキャンプ前日の金曜日のできごとから述べることにしよう。

 キャンプから帰ってくるとMr.Aが妙に暗い。話を聞くと以下の通りであった。

Mr.Aは妙に燃えながら、待ち合わせ場所であるなんたら銀行前に向かっていたのである。銀行前に女の子の姿を認めて、その輪郭がはっきりした瞬間にMr.Aはそのまま前を通り過ぎて、しらんふりをしようという衝動にかられたそうである。そして彼はあやうくそれを実行するところであった。しかし一抹の良心とか理性とかいうものが残っていたのだろう。いったん通り過ぎたあとに、振り返ってあいさつしたそうである。私が初めてこの話を聞いたときは、はっきりいってMr.Aは贅沢な奴だと思った。しかしながらMr.Aは容姿に関するスタンダードが異常に高いのである。その後については特に言及しない。

 しかしMr.Aの災難はこれだけに留まらないのである。

 Big Eは金曜日、用事をすませた後にティーチャーYZと、東山公園のなんたらタワーに昇っている。(ちなみに同日、Mr.Aもそこに行っていた)その後ティーチャーYZを車で送ったBig Eは、ティーチャーYZのアパートに上がり込んでいるのである。一方キャンプからの帰り、Mr.AはティーチャーYZと東京娘を車に乗せて送っていった。しかし彼は部屋に上げてもらえなかった

 後にこの時の事情をBig Eに聞いたところでは、以下のような話であった。すなわち最初にBig Eを部屋に上げたときは、東京娘が部屋にいるであろうことを知っていた。ふたりきりにはならないことを知っていたので、かまわないと思ったというのである。ところがその後ティーチャーYZは東京娘から「独り暮らしなんだから、あんなに気安く男の子を部屋にあげちゃだめ」と諭されたそうである。なるほどと反省したティーチャーYZは、次に送ってくれたMr.Aを部屋に上げなかったと。

 この理屈はそれなりに筋の通ったものである。まったく正当なものであろう。しかしそんなことは当時のMr.Aにとっては意味のないことである。彼はBig Eを「とんび」と命名した。油揚げ(ここでは勿論ティーチャーYZ)のことを思いっきりさらって行ったからである。私とMr.Aが休み時間にこの話をしていたとき、前をBig Eが平和そうな顔をして歩いていった。私達は「とんびちゃん」と呼んだのであるが、当然のごとく彼は知らない顔をして悠々と歩いていった。

 キャンプが終わった次の週は、ティーチャーYZ達よりも、別の話題で某課はもちきりであった。昼休みに写真が出来る度に、誰かの悪事が発覚し歓声が上がるのである。当時話題の中心になっていたのは、この話ではすでにその役目を終えているOS である。しかし私とMr.Aは、「それはそれとして」という感じで、Big Eを「とんび」と呼んでいじけていた。

 ところが「とんび」は一人ではなかったのである。

 一週間程した土曜日、私が寮の部屋に戻ってみるとAYが何かの都合で遊びに来ていた。そして何かの拍子に「あした、ティーチャーYZとスキー用品を見にいくけれど」と言った。実にこれで通算6人目である。私はティーチャーYZへのアメリカみやげ をAYに渡して、あした彼女に渡してくれと頼んだ。

 AYのスキー用品買いの話は月曜日には某課中に広まっていた。そしてAYは「とんび2号」と呼ばれることになったのである。そしてこの時同時にとんび1号ことBig Eが肩の荷を下ろしてほっとしていたのも事実である。

以上が某課の一部で使用されていた「とんび」という言葉の語源である。ティーチャーYZは実に比類無い実績を残した。某課の男の子6人(順番に、KT、OS、S(♂)、大坪、Big E、AY)と2ショットでおデートしたのである。 空前にしておそらく絶後であろう。しかしこのことを指摘されてティーチャーYZ自身は結構悩んでいたそうである。「私は八方美人なのかしら」と一時期暗かったのである。私がキャンプのあとしばらくして電話をしたとき、BGMからして暗い曲をかけながら、なんだかんだと言っていた。私はティーチャーYZが八方美人であると言うことは、表面的にはあたっている面もあるが、正しくないと思う。

 また我々は、ここで従来見落としがちであった事実 にも目を向けなければならない。YZ一族を仮にYZ3姉妹、国語教師、南洋美人の5人とすると、そのうち3人と(実に打率6割!)2ショットでおデートするという実績を残しているのが、S(♂)である。ティーチャーYZを八方美人と呼ぶならば、S(♂)を好色一代男と言っても差しつかえないのではないだろうか。(S(♂)の行動については、3章で詳しく述べることになる)

 

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注釈

ふぞろいのとんび達:「ふぞろいの林檎達」なるTVどらまがはやったのは。。。1984年だっただろうか。。本文に戻る

 

28歳の年増女:この文章を最初に書いた時は私が26歳だったことに注意。いまだったら28歳といえば私にとっては若くて調度いいくらいの歳ということになる。というか最近歳がどうのこうの(女性に関して)がばかばかしくなってきた。本文に戻る

 

つけたしなんだから: この言葉から察するに、この宴会の成り行きについては、事前にある程度話がついていたのではないか、などとつい考えてしまう。本文に戻る

 

めぐみ:某課だけでなく、某部ご用達の、中日ビルの裏の方にあるカラオケスナック、ボトルについているポラロイド写真には、某主管やら某主査までが写っている。平目顔のママさんがいる。本文に戻る

 

見ていたのがKT: 本人の弁によると、結構飲んでいたので、何が見えたか覚えていないそうである。もっとも白面で見たとしても、何も見えなかったのかもしれない。(見えるべきものが、無かったのかもしれない)酒乱ねえちゃんは、このほかにも、そこらでいきなり座り込むわ、わめくわ、大暴れであった。本文に戻る

 

車で帰っていった:酒乱ねえちゃんは、一次会では白々しく、「えー、彼氏なんかいないですよー」などと言っていたのだが、暴れ回った挙げ句、いきなり「めぐみ」から電話をして彼氏を呼び出し、あっさり帰っていった。本文に戻る

 

一番たくさん歌った: 記憶に残っている曲としては、「木枯しに抱かれて」(小泉今日子)「駅」(竹内まりや)等。これは冗談抜きで上手である。ちなみにこの時のIKの観察結果を、後にティーチャーYZに確認したところ、大当たりであった。本文に戻る

 

肩の荷を降ろして: その他にも、IKが「大坪さん、キャンプこれなくて残念だね」と南洋美人に言ったたそうであるが、後にティーチャーY崎に「あーゆーふーに言われると、なんだか気がそげちゃうのよね」とかなんとか言っていたそうである。本文に戻る

 

既に別の動き:つまり、私は「とんび1号」ではなくて、「2号」にしかなれない筈だったということである。本文に戻る

 

会社を定時でぬけて: 毎度のことながら、退社時の皆の声援はすごかった。「大坪さん明日きっと同じ服着てくるんだぜ」等々本文に戻る

 

異常なのだが:ティーチャーYZと電話中に、キャッチホンがはいってくれば、それは大抵某課の男の子、という具合であった。本文に戻る

 

某課のキャンプ: 実に参加人数30名以上。おそらく某部始まって以来のBig Projectであっただろう。誰かドキュメント「某課キャンプ」を書いてくれませんか?本文に戻る

 

打ち合わせをしていた: キャンプファイヤ係りに任命されていたのが、私、Big E、ティーチャーYZであった。もっとも私は仕事の都合で参加できないことがわかっていたので、なんにもしていない。本文に戻る

 

通称東京娘: ティーチャーYZの学生時代からの親友。キャンプの案内に、ただ一人だけ本名が記載されていなかった人物。この「東京」という言葉の響きも、Mr.Aの期待を不必要に高めてしまった一因であったろう。本文に戻る

 

少ししゃべった: ティーチャーYZに、「キャンプ行けなくて、もめんなさい」などと言っていたら、いきなり電話を替わられてびっくりした。「大坪さんはYZ先生のことどう思いますか」と聞かれたので「いやー、神々しいですねえ」などと答えたような気がする。本文に戻る

 

青春が10倍位:このセリフ自体は、キャサリンは否定している。しかし彼のキャンプ直後の状態を思い返せば、きっとこれくらいのセリフははいただろうと思われるのである。本文に戻る

 

OSの悪事: 某女性とずーっと2ショットだったことを指す。おまけに花火の時には、別の女の子に話しかけて、「OSさんて冷たい人なのかしら(彼女をほっぽっといて別の女の子のところに行くなんて)」と思われたという噂もある。本文に戻る

 

上げてもらえなかった: ちなみに、私が瀬戸でティーチャーYZと会ったときも、家の前まで車で送っていたのだが、もちろん部屋などには上げてもらえなかった。おまけにこの時は、「家の場所を男の人に教えたことなんか無かったのに。」と言われてしまった。(市役所前で降ろして頂戴、と言われたが、遠慮してるんだろうと思って、半ば強引に家の前まで行ってしまったから)本文に戻る

 

部屋にあげちゃだめ:ここで一言書いておくと、ティーチャーYZは、バリバリのクリスチャンだけあって本当に固いのである。以前、KTが会社の慰安旅行で韓国に行くというので、みんなで、「すっけべー」と言っていたとき、「わかんなーい」と言っていた。このことを「かまとと」と言う人もいるだろうが、色々話を聞いていみると本当に分からないらしい。「生徒と話していても時々びっくりする」などとおっしゃっているので、「微笑」でも読んで少し勉強しないさい、と言ってしまった。

 「東京娘」は、このティーチャーYZから見ても、純情可憐な方なのである。こういうセリフが出ていることも、もっともなところがある。本文に戻る

 

役目を終えているOS:OSと某女性が2ショットで写っている写真が、総計11枚あったらしい。本文に戻る

 

アメリカみやげ: 小さいブローチである。最初は勿論自分で渡すつもりだった。本文に戻る

 

おデートしたのである:多分あと1-2人つけたすべきだろう。本文に戻る

 

事実: ここの一節は、S(♂)自身が言いだしたことである。(私の最初の原稿には含まれていなかった)本文に戻る