中国・太行山脈のジオパークめぐり
(2010/3/13〜21)

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ご覧のような表題を掲げましたが、実はかなり地形地質の勉強が主体の旅だったのです。なにせ旅行を主催したのが東京地学協会なのですから。
私も満80才になりました。昔だったら家の三太夫が「殿、ご乱心」とばかりに駆けつけ「こんな何の役に立たないことに、旅費のご用立てはなりませぬ。殿の 地学道楽も、ほどほどになさいませ。チマタでは、本人は分かったようなツラをしておるが、あの耄碌頭になにほどのことが理解できるものかとこき下ろしてお りますぞ」と意見します。それにたいして「なにを申すか。先日も、この岩石の古さは20億年、地球の誕生は46億年前などと講釈いたしておったら、身ども のことを、きっと長生きなさいましょうと誉めておったぞよ」など能天気に応じている図が展開されていたことでもありましょう。
さて、おおかたの皆様は、地形学、地質学に興味をお持ちとは思いません。それで今回は地学にほとんど触れず、旅行の一般的な印象について述べたいと思った のです。
といっても、中国を見てこられた方は多いのですし、また中国の情報ならば、先刻、沢山伝えられています。今更、紀行文でもありませんから、一応、中国雑感 としてまとめてみました。しかし依然として、本人としては大いに忸怩たるところがあるのです。どんな出来になりますやら。何卒ご勘弁願います。

☆太行山脈・河南省
今度訪ねた地域、太行山脈については、私もつい先日まで知らなかったのですから、まず地図を書いておきます。次ページにつけましたので、開いてご覧くださ い。

まず最初に、今回訪れた河南省について少し触れておきましょう。省の大部分が黄河の南にあるから河南省なのです。人口は9千8百万人、日本の人口の80% です。面積は日本の45%ですから、人口密度は591人/平方kmと日本の1.7倍になります。ちなみにチベットの人口密度は2.2人ですから、同じ中国 といっても様子はまったく違い、同日に論じがたいのです。麦の生産量は中国1位で、平らな土地に畑が拡がり、車で走っていると次々に都市や集落が現れま す。石炭、石灰岩も産出し工業も盛んなのです。私は昔の商売柄から、発電所や送電線が目につきました。1時間半ほど走る間に火力発電所

が8カ所もありました。1カ所の近代的な巨大な発電所以外は、現在日本では動いていいない中小規模の古いものでした。なお、一カ所は人が居る気配がなく廃 止されているようでしたが、あとは稼働中のようでした。電力需要の増加が激しく、古くても退役させる余裕がないのでしょう。近代的なセメント工場もありま した。こうして、中国のあれほどの建設ラッシュを支えているのでしょう。
この豊かな地域は殷の時代の遺跡もあり、中国文化発祥の地ともいわれます。また「中原に鹿を追う」という政権闘争の舞台だともされます。中国歴史上、覇権 を競った国々、諸英雄の活躍の場でもありました。
なんとなく里山が残っている日本とは違い、広大な華北平野は100%人手が入っていて、原始の自然がまったく残っていない点では、アメリカやカナダと同じ ような印象を受けました。

約8億年前に堆積した赤い砂岩の崖


地質学的に中国大陸は日本とは大きさが違うだけではなく、基本的な出来が違います。日本の基礎は海洋プレートが沈み込むとき、プレートの表面に付いた材料 が、こそげ取られて、積み重なった付加体からできています。ところが中国のこのあたりの基盤は、地球の誕生間近いときにできた固い大きな岩の塊で、その底 は地殻に食い込み、根を張っているのです。

九州から西に行くと東シナ海が横たわり、その向こうには中国の華北平野が拡がっています。さらに海岸線から奥へ600kmほど入ると、急に高さが 1000〜2000mほどある崖にぶつかります。(2ページの図参照)
この高まり、山脈が太行山脈なのです。崖の向こう側、西側は緩やかに下っていて、その斜面には、もっと西にあるタクラマカン砂漠、ゴビ砂漠などから西風に 乗って黄砂が飛んできては貯まり、その堆積の深いところでは厚さ500mにもなっているのです。この黄土の堆積地帯一帯は、黄土地帯と呼ばれています。考 えようによっては太行山脈が黄砂のストッパーになっているともいえます。

約5億年前、浅い海にに生物骨格が堆積した石灰岩


太行山脈が、こんな地形になっているのは断層のせいです。東にある華北平野を基準にとれば南北の断層線の西側が約2000m隆起しているのです。隆起を始 めたのは約2000万年前とのことです。この時期はシベリアにくっついていた日本列島が、日本海が拡がったために大陸から離れ始めた時期なのです。
さらには4000万年前からインド亜大陸がユーラシア大陸に衝突し始めたのと、地球学的にはほぼ同時期でもあります。この衝突が、東アジアに起こった様々 な地殻変動の引き金になっているのです。太行山脈の東側に大断層があるのですから、ここでは大地震が発生します。近くは1976年に唐山地震が発生しまし た。そのマグニチュードは7.8、死者24万2千人の大災害となったのでした。
隆起した側の崖の断面では、30億年以前からの地球の歴史が刻まれた岩相を観察することが出来ます。もちろん、その断崖絶壁は観光資源としても貴重で、地 質公園(ジオパーク)に認定され、沢山の人が押しかけています。

☆旅行のメンバー
世間で趣味といえば、音楽、料理、スポーツ、旅行などがメジャーであります。地味な自然学の分野に限っても、植物とか探鳥とかが主な対象でありましょう。 地学、つまり地質や地形を趣味とする人など、存在するとは想像もなされないでしょう。
今回の旅行のメンバーは17人、ほとんどの方は学校で理科の先生をしておられた方のようにお見受けしました。7年前、アメリカ西部の旅をしたときご一緒 だった方も数名おられましたし、首都圏以外にお住まいの方も何人かおられました。ということは、地学に興味を持つ人の世界は狭く、やはり非常に特別な人種 だという証拠だと思われます。
今度の旅行には、立教大学の地形学の教授と九州大学の地質学の教授とが、そしてプロの写真家であるサイエンス・ライター氏がお一人参加され、いろいろと解 説してくださいました。
また一行のなかには、目が不自由なのに参加された熱心な方がお二人おられ、それぞれ付き添いに奥様がついてこられました。
私ほど乞食同然の風体をしている人こそありませんが、皆さん、ファッショブックなど、まるで無関係な服装です。あまり若くもないグループなのですが、歩く 足取りは結構早いのです。そしていったんお目当ての岩石に目がゆくと、たちまち厚いフィールドノートを取り出し、何色かのペンでメモを始めるのです。どこ からかルーペが出てきて、三葉虫の化石などを探します。双眼鏡が出てきて、目の届かない崖の上部に目を走らせます。ポケットから取りだした試薬を石に垂ら して発泡を確かめる人もあります。なんと、野外実験室として必要な設備を体につけて持ち運んでおられるのです。

・韮のぞく我等を華人不審せり

大河村というところでは、おなじホテルに2日連泊しました。2日目の昼食は、なにかの都合で同じ村の中にあったホテルとは別の食堂で食べたのです。団員の 一人が「この食堂の料理の方がホテルより美味しい。今晩の夕食はここにして欲しい」と言い出しました。中国人のガイドさんは逆らわずに、ホテルの夕食は キャンセルしても別にかまわない、みなさんで決めてくださいと応じました。ひとしきりがやがやした挙げ句、ホテルの夕食はキャンセルというムードになりま した。そのとき団員の一人が「お客が多ければそれもよいが、いまはシーズンオフなので、今日のホテルはわれわれだけのために開けてくれている。それなのに キャンセルしたのでは、期待を裏切ることになりはしないか」と提言して下さったのです。まさに理屈はそのとおりなので、予定どおりホテルで夕食しました。 結果的に前夜よりも美味しかったという評判で、ひょっとして昼の議論が聞こえたのではないかと冗談を言い合ったほどでした。
私が現役を退いたのはとっくの昔のこととになり、今は総ての判断を事務方に任せ、自分はどちらでもいいよと無責任になっている自分を反省させられました。 もしもあのままホテルの夕食をキャンセルしていたら、後々まで後悔したに違いありません。
堂々と正論を披露されたのは、さすがに教職にあった方だと尊敬させられました。

考えてみると、私は昔から知識を持った人から教えてもらうことが好きだったように思います。50才代のとき、植物研究会にはかなり熱を上げて通った時期が ありました。また、国内外の山を歩いていても、いつも地質や地形に関心を持って見てはいました。でも、いわば独学でしたから、効率も悪く自信もありません でした。7年前、まったく偶然に、アメリカ西部のデスバレーをネットで探しているうちに、東京地学協会という組織の存在に出会ったのでした。それでに巡見 に連れて行っていただき、その後もネットで巡見の計画をフォローしているのです。
私の小中学校時代は戦争でした。もしも時代がずれていたら、きっと理科クラブに入って、先生について歩いていたと思います。80才の今、子供のときからの 夢が叶えられた気分なのです。長生きして幸せでした。

☆中国雑感

成田を飛び立ち飛行時間2時間50分で上海着、ここで乗り換え、さらに1時間30分飛び、鄭州市に到着しました。鄭州市は河南省の省都です。河南省の人口 は9千8百万人ですから、省とはいえ日本国の人口よりちょっと小振りなだけです。街や道路の広さ、高層ビルの様子など、名古屋市など足下にもおよびませ ん。
上海の空港にある銀行窓口で、中国元に両替をしました。ひったくりの可能性が高い場所ですから警官が見張っていました。我々がわいわいやっていると、その 警官に「タテに、タテに」といわれました。ちゃんと順番通りに、縦に並びなさいといっているのです。なにせ、どこを旅していても、何事につけてもルールを 無視して、われ先にしゃしゃり出るのは中国人だと、もう、長年信じていたのに、その中国人からお行儀よくしろと言われたのです。
我々は仲間同士ですから、人を押しのけて我れ先にということではなくて、「いくら替えるの」「手数料はどうなの」というようなことをいいながら、群れてい たのでした。ともかく、一瞬「おまえがいうな」という感じでした。ともかく、中国人に行儀よくしろといわれたのは大ショックでした。
このとき私には、北京オリンピックを契機にして、中国が世界と価値観を同じくする社会に脱皮しようとしている現実を目の当たりに見たという気がしたので す。そしてこの後も、旅全体を通して、中国を、良い国になろうとしている国であるという先入観で見ることになったことを告白いたします。

もうひとつ、雲台山で観光バスに乗ったときのことです。中国人の青年が、我々の一人のために席を譲ってくれたのです。それが、外国人だったからなのか、老 人だったからなのかは分かりません。ともかくその時、国際的に誇れる国になろうとしている中国の人たちの気概を見たような気がしました。

原則として誰でも、他国とか他人とかがほめられると、不愉快になるものです。そして20世紀においては多くの国で、ほめられる対象が、肌の色が白いという だけで、ほめられても当然のことと受け取られていたのが現実でありましょう。
中国をほめると不愉快に感じられる方がきっといらっしゃるでしょう。でも、ここでは理屈どおりに、良きにつけ悪しきにつけて、私が感じた事実を素直に書い ています。もちろん、中国旅行中に受けた、ほめられないと思われることどもにも触れておきます。
ホテルでの接客業務を改善したいという意欲があることは、あちこちで感じました。ただ、なんとも不釣り合いな感じも受けたのです。
まず、なんと言っても、英語がまったく通じない場所が多いのは意外でした。事実上、現在どの国に行っても英語が国際共通語になっているのですから、英語の 単語を100語ぐらいはわかるようにしておくべきだと思います。中国の教育がどうなっているのかしれません、日本並みの英語教育は一刻も早く取り入れるこ とが必要です。
宿にお客が到着したとき両側に女の子が整列してお出迎えすること、出発するときには支配人まで出てきてバスに手を振るなど、気持ちはわかるのですが、実質 的なサービスの点ではいかがかと思う点が多々ありました。
我々の泊まるフロアに上がっていくと、女性がどの部屋なのかと尋ねました。この部屋だと指さすと、マスターカードをもっているらしく、開けてくれました。 かってロシアのホテルでは、世話する小母さんが各階に見張っていて、なんでも頼むとやってくれたのを思い出しました。この中国のホテルでもそんな人海戦術 的サービスでした。ドアはカードをかざすだけでロックが開く近代設備があるのに、このサービスはなんかちぐはぐな感じでした。
団体客が到着後、一斉に使うからだとはいえ、お湯の温度や湯量が満足ではありませんでした。またあるホテルでは、シャワーのヘッドはついているのですが、 カーテンがありませんでした。案の定、使うと部屋中床が濡れてしまい、トイレに行くにも山靴を履いてゆく始末でした。
あるホテルについたときには、湯船があって、やれ嬉しやと湯に浸かりました。さて湯から上がり、排水の栓を抜き体を拭いていると、お湯がバスタブの下から 床の表面に静かに拡がってきました。配水管との接続が悪いのです。私たちの部屋だけではなく、ほかの部屋も同様の状況だったようです。ある部屋では、上の 部屋の水が漏れて、天井からぽたぽた水滴が落ちてきたそうです。そう聞いて私たちの部屋でも天井を見ると シミがついていました。
田舎では、昔日本にあったオート三輪がまだ活躍しています。荷物を物理的に積めるだけ積んで、人が歩く速さぐらいにノロノロ動いているのを見ると、安全以 前の状態だとしか思えません。そんな運転をしている人、そんな車を作った人、そんなことを許している監督官庁、いずれも日本なら大騒ぎして差し止めになる 事態でありましょう。ところが中国では、国のおかれた現実に即し、一定の問題点を許容しながら経済効率を追求し、将来の豊かさを求めていると見ました。
悪い点を並べるつもりでしたが、多少社会論的ながら、将来を見据えた経済効率追求の礼賛的ストーリーになってしまいました。
衣食足りて礼節を知ると言います。中国が、経済活動面だけではなく、社会倫理面でも、急激に良い方向を目指しているなと感じたことが、ほかにもいろいろあ りました。
自分が世の中の最高だと思いこむことは、それはそれで結構なことです。でも、人のふり見て我がふり直せともいうではありませんか。確かに現時点では経済面 でも社会規律面でも日本のほうが上でしょう。でも、問題はこれからどうなってゆくかです。中国は孔子を生んだ国です。日本が追い越されるのは、GDPだけ ではないかもしれません。

例の新中国の交通信号で、「あと○○秒」と表示されるシステムは、鄭州市や作 市ではもう完全に実用になっていました。一昨年、チベットのラサでは、表示が狂っていてもそのまま放置され、やや持て余されていたことと思い合わせると、 新技術というものは、やはり受け入れ側の民度にも影響されるものだと感じました。信号が青くなっても一呼吸は発進せず、赤くなっても何時までもズルズル交 差点に進入する運転をしている沖縄のおばさまたちが、この信号システムにどう反応するかは興味があるところです。

田舎ではどの道路も立派というわけではありません。そして乗用車より大型トラックが多く、日本よりは産業道路としての性格が強いのです。センターラインと か車線キープ以前の、走りよいところをぶつからずに走るということを原則にしています。考えてみれば鉄道の駅のコンコースなど、歩行者はこの原則で歩いて いて、とくにぶつかったりするわけではないのと似ています。
車がぶんぶん走っている道路の端の方を、人が箒で掃いて掃除していました。これも日本では想像できない中国独特の風景だと思いました。


中国毒ギョーザ事件は、最近犯人が特定されました。中国国内で犯人がメタミドフォスを注射針で注入したという、当初から予想された結論に落ち着くようで す。中国産の食品に日本は大きく依存していますから、その安全性は重大事です。はっきりいって中国産の食品について、日本では、農薬の過剰使用ほかのネガ ティブな印象が継続的に抱かれています。とはいえ毒ギョーザ事件はまさに炎上という事態になりました。
でも、考えてみれば日本でもスーパーで買ったパンに針が入っていたという事件はたびたび報じられます。ジュースに農薬が入れられていたという事件も記憶に あります。これは確か迷宮入りだったと思います。念のため「毒入り」とググリましたら餃子のほか、チョコレート、カレー、ケーキ、コーラ、オレンジ、ク リーム、パンプキンパイ、ワインと出てきました。私は面倒ですから記事の内容までは見ませんが、興味がある方はどうぞご覧ください。
ともかく、こういうふうに世論が炎上しているような事態になってしまうと、醒めた理屈、つまり、なにも悪人がいるのは中国に限ったことではない、日本に だっているじゃないか、中国の人口は日本の10倍なのだから、美人の数も10倍、不美人の数も10倍、悪人も10倍、善人も10倍というような理屈をこね ることは、燃えさかる世論の前には無用なのです。世論が炎上しているさなかには、数字などを示して冷静な判断を呼びかけることは何の効果もありません。た だ、面白半分に報道され、世論の袋だたきにあうだけです。
広島だか岡山だかにあった会社は「中国食品」という社名のゆえに、あっという間に倒産に追い込まれたそうです。
さて、今回の旅行で面白いと思ったのは、団員の皆さんのお買い物です。衛生的にいかがかと思うような田舎の汚い屋台で、食べ物をどんどん買っては、仲間に までふるまってくださるのです。

・旅先の屋台冷やかす日永かな

団員は中国の食品について、日本で伝えられている報道だけではなくて、現実に雲霞の如き膨大な数の中国人が食べて暮らしているのを見ていいるので、それが どれぐらい危険なのか、判断し行動していたのでした。
ごく最近、アメリカでプリウスの急加速疑惑問題が炎上しました。プリウスの販売台数は100万台を超えたといいます。沢山の人たちが現実に運転しているの です。ほかの車と較べて、どれほど危険か、または安全なのかを身をもって知っているのです。
過去にも狂牛病、三菱自動車、沖縄の米軍の不祥事などのケースで、世論の炎上現象は起こっています。しかし、身をもって知ることができる問題は、いずれは 炎上の事態を脱し、あるべきところに戻ってくるように思います。
ところが、遺伝子とか放射能とか身をもって知ることができないことは、大衆が視聴する情報だけが、判断材料になり世論の終着駅になるのです。

まさに山水画の世界


3月半ばの太行山脈の旅では、ある時は池がカンカンに凍りついた寒い谷間で震え上がりました。またある時は、国宝のお寺を肌着一枚で汗をかきながら拝観し ました。
でも、なんといっても春です。家族総出で畑仕事をしている風景をよく見かけました。鍬(くわ)で畑を打っているのを珍しく眺めたのです。
また懐かしくも、天秤棒(てんびんぼう)で荷物を運んでいる農夫もいました。鍬も天秤棒も、日本では使われなくなってから、もう久しくなりました。私の孫 たちは、天秤棒など見たこともないでしょう。

・黄土の地華人夫婦が畑を打つ

私と同年代の人ならば、北支派遣軍とか石家荘や八路軍などの言葉を覚えておられるかもしれません。今度の旅は、そんな言葉が使われた中国との戦争と関係が ある地域だったのです。河南省の華北平野から山西省の高地に入ってゆく道は、川が刻み込んだ、両岸が絶壁になった底に作られた曲がりくねった細い道でし た。戦いがあった70年ほど前は、もっとひどい道だったに違いありません。常行洞窟という日本軍の進攻を妨げた洞窟が、史跡として保存されているようでし た。
過去の日中戦争の悲劇、例えば南京大虐殺事件などについて、ことさらに対立感情を増幅しようとする動きがあります。こういった、憎悪を掻き立てる傾向は、 双方の将来のためには好ましくないと日頃感じていたのでした。
しかし、この過去に戦争があった場所にきて、改めて、私がここの住民だったとしたら、外国の軍隊が武器を持って入ってきたらどんなに嫌だったろうかと思わ ずにはいられませんでした。沖縄駐留のアメリカ軍は、いつも邪悪な存在として取り上げられます。しかし公平に見ればアメリカ軍は世界の軍隊の中でも規律正 しい方だといえましょう。そもそも豊かな国ですし、ましてや今は平和なのです。
伝統的に東洋の軍隊は食料は現地調達でした。そして戦いの最中、自分の命も危ういときに紳士的に振る舞うなど、とても思えません。地元住民に迷惑だったこ とは論を待たないでしょう。攻め入った日本軍の兵士にしても、命令に従ったまでで、自国で平和に暮らしていたかったに違いありません。所詮は戦争がいけな いのです。もしも今後、日本が戦争に巻き込まれ、他国の軍隊に入ってこられたらたまらないのです。そんな感慨にふけりながら、21世紀のいま、バスに揺ら れていました。

 ☆飛行機のこと
私の若いころは、スチュワーデスさんは憧れの職業でした。美人で教養があるとされ、友人はスチュワーデスさんと結婚したことを自慢していました。
今でもよく訓練され素敵な人が多いのです。
欧米系の航空会社の客室乗務員には、力の強そうな小母さんが多い気がします。かなり肉体労働をこなすことを要求される職業だと割り切っているからでしょう か。
そういう目で見ると、現在の中国航空会社の客室乗務員さんたちは、まだそれが憧れの職業段階であるように見受けられます。まだまだ国が若く、発展する力が 感じられます。
機内サービスのスナックなどにも、上り調子の国であることが感じられました。老大国では、ビールはもとよりコーヒーやトイレまでも有料にしようという動き さえあるなかで、中国東方航空では、反対に、クッキーをもう一品おまけにしようというムードが感じられたのです。
飛行機は中国東方航空でした。往復4回のフライトでしたが、気流の乱れによる揺れは特に平常と異なるとは思いませんでした。気がついたのは、気流の悪いと ころを通過するからシートベルトを締め、トイレも我慢しろというアナウンスが頻繁に出されたことでした。機内サービスを一時中断しますという文言がついた のと、それがつかないのと2種類のアナウンスが事前に吹き込まれているのでした。こんなことは初めてでした。いままでこの警告は、機長が肉声でアナウンス していたはずです。例の聞き取りにくい音域のマイクを使うので「タービュランス」「ファッスン シートベルト」しか聞き取れないやつです。こんどのは吹き 込まれたテープですから、緊迫感がない代わりに聞き取りやすく、英語の勉強になります。
乱気流で怪我が報道されるたびに、あれだけシートベルトを常時締めているようにいわれているのに、やっていない人が多いのに驚かされます。ま、車のシート ベルトの場合も実体は同じでしょうが。それなのに、マスメディアにかかると、むしろアナウンスのタイミングについて批判的に取り上げられます。こうして責 任逃れが進み、何時の日か離陸してから着陸するまで絶え間なしに放送されるような日がこないことを祈ったのでした。

・搭乗機春の日浴びて待ち居たり

☆ジオパーク
ここで少しジオパークのお話をしましょう。ジオというのは「地球」を意味します。
太行山脈の断層でできた崖は、隆起運動が一段落してからこの200万年ほどのあいだ、川で削られ彫り込まれ、深い峡谷になっています。その峡谷と断崖絶壁 の織りなす風景が「雲台山国際地質公園」という名のジオパークになっています。
さて、日本でジオパークとしてユネスコに認められたのは、洞爺湖・有珠山、糸魚川、島原半島の3カ所だけです。これとは別に、日本の地質学的にみて貴重な 自然資源を選定した地質百選があり、名古屋付近では根尾谷断層、鳳来寺山などが選ばれています。中国ではここ雲台山を含めてユネスコに認められたジオパー クが12カ所もあるようです。中国が国内的に認めたジオパークは138カ所もあります。日本とは桁違いに大きい国としては、少ないともいえましょう。ちな みにジオパークに熱心なのはヨーロッパで、アメリカはひとつもないとのことです。当然のこと、申請しなければ認定されないのです。
ジオパークの選定基準と役目は、地球科学的に見て貴重な特徴がある地域を指定し、保全や科学教育、ツーリズムに利用しながら地域の持続的な経済発展を目指 すこととされています。
ここ雲台山はその輝かしい成功例で、2004年に訪れた観光客は805万人、観光業の雇用は3万人、間接的な雇用の増加は22 万人に達すると報告されています。観光の面が華々しいのと較べると、地球科学の面の展示・解説の面は淋しいものです。今回、ほかのジオパークも見ました が、中国では一般の観光客に対するサービスがよいというか、小難しい解説よりは、関係があるとも思えない各地から奇石、珍石、美石の類を持ってきて展示し ている感がありました。もっとも商売優先の風潮は、日本の世界遺産でも感ずることなのですが。

絶壁に囲まれている寒さかな

我々が訪ねたのはシーズンオフでしたが、駐車場を埋め尽くした膨大な台数のバス、乗客整理用のジグザグの柵など、最盛期の大混雑はさぞ やと思われました。また、あるジオパークでは、スノーマシンとリフト、ホテルがあり、観光にかける期待の大きさや、人口の多い中国の今後の発展に思いを致 されました。
学術的価値と観光的価値のウエイトの置き方は、日本のジオパーク、たとえば糸魚川などの対極にあるといえましょう。

・春の日にプレカンブリア赤き岩


☆黄砂を土産に
3月20日帰る日の明け方、ジェット機のような轟音がしました。思わず空港が近くにあるのかと思ったほどでした。カーテンを引くと強い風が太い木の枝を揺 らし、黄砂が立ちこめていました。テレビでは黄砂で大変だと騒いでいました。物凄い砂嵐で、太陽は黄砂の層を通し、直接、肉眼で見られるのです。黄砂は地 表部分が濃いのでしょう。雲と違って、日食の観測のように太陽が丸く観察できました。それでも市民たちはナニゲに出勤です。年に平均4回ぐらいはこんな黄 砂の日があるといっていました。まるでお土産みたいに、この時の黄砂は一日遅れで日本でも大騒ぎされました。

三太夫が殿様の書き付けを見ながら、顔をシカめて申し上げます。「ほら、言わぬことじゃありませんか。こんな支離滅裂な戯言を世人の目に晒し、かつは迷惑 をかけ、またかつはシニア・ルーピーなどと軽蔑される羽目に・・」。「余の不徳じゃ。許せ」。

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