桂林8日間4万9千9百円

桂林8日間4万9千9百円

(2013年1月5日~12日)

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久しぶりの海外旅行です。

また例の老人の繰り言を聞いていだだけますでしょうか。

・お土産店2題

なにせ、お安いツアーですから、噂に聞いていたとおり、早々に桂林市所在の掛け軸屋さんに連れてゆかれました。「この店は値段は少々お高いかもしれませんが、固い商売をしているお店です。お買い上げいただいた商品に問題があれば、交換に応じてくれます」とガイドさんの説明です。

今年の年初は、桂林でも異常な寒さでした。桂林の緯度は北緯25度と尖閣諸島と同じで亜熱帯に属するのです。本来そんなに寒い所ではないようです。

したがって、もともと暖房設備は貧弱なのです。そこにきて、この異常な寒さですから、ホテルのレセプションの女性はダウンを着て働いていました。

でも、さすがお土産店ともなると、女性はスラっと見える制服のままです。多分、下着を重ねて寒さに対抗しているのでしょう。

私も家内も後期高齢者、身の回りの持ち物を増やさず身辺整理に務めている日々なのですから、買い物をするなんて考えてもいないのです。ところが、そのとき店にいたお客は、私たちのグループの5人だけでした。売り子さんたちは手持ち無沙汰の様子でした。そこで私としては、見るだけでも、多少は御愛想になるかとも思ったのです。

陶磁器は好きですから、眺めてみました。ついでに折角ですから、掛け軸も見ました。「見るだけで買わないよ」と宣言したのですが、売り子さんがあんまり盛んに勧めるので「中国の人は字が上手だね」というようなお世辞は申しました。

あっという間に戻り、もう御役目は終わったとばかり、ソファに深々と沈み込みました。ところが売り子さんは熱心でした。私がちょっと長めに眺めていた掛け軸を3点で3万円にするとシツコク勧めるのです。

もちろん、頑として取り合いませんでした。

彼女は方針を変更し、桂林の名物だという木犀の香りを活かした菓子を何種類も持ってきました。そして、例の「全部で千円」が始まります。時間とともに、その「全部」が、5個から6,そして7個と上がってゆきます。

私も世の中にお付き合いのある頃でしたら、お土産にと買ったことでしょう。でも、今の私には、リュックを膨らませ持って帰って、「こんな太りのもとを買ってきて、どうするの」と叱られることを思うと、どうしても首が縦には動かせません。

日中関係がギクシャクし、日本からのお客さんは半年ぶりだとガイドさんは言っていました。売り子さんたちは、砂漠で喉の渇きに苦んでいる人が僅かな水を目の前にしているような思いだろうと想像しました。私は誰かが、ほんの少しでも買ってくれれば、お店の人たちの気持ちが明るくなるだろうと想像しました。でも、その誰かは、私ではないのです。とてもつらい気持ちになりました。

私を捕まえていた売り子さんは、とうとう怒って見せました。「こんなコワイ人、見たことない」、彼女はそう言いました。コワイ人と言われたのは生まれて始めてでした。コワイは「怖い」ではなくて、「強い・強情な」なんでしょうね。

彼女は売り子さんたちの中で一番の美人でしたから、その神通力が通らなかったことが、彼女の自尊心を傷つけたのかもしれません。

私にとっても、この土産店での思い出は、なにかとてもつらいものになってしまいました。

旅行社としては,おみやげ店からのリベートも計算して、今回のツアーを計画したはずです。あちこちで、沢山のおみやげ店に連れてゆかれました。どこも、かっての上客だった日本人が途絶えてしまっているのです。ある店では日本語を使う売り子さんは休んでいると言っていました。そんな店でも韓国や南米のお客さんには、その国の言葉で対応していました。

もう一件だけ、おみやげ店のことを書いておきましょう。

お茶を売る店です。小部屋に通され、閉じ込められました。そこのおばさんが渡してくれたパンフレットには、実に13種類ものお茶が記載されています。そしてそれぞれが疲労回復、視力減退、電磁波予防、美容美顔、胃腸癌の予防、高血圧、喘息、アレルギー、糖尿病、ダイエット、前立腺、不眠症、更年期障害など、ありとあらゆる体の障害に対応し、薬効があるというのです。お茶の店というより漢方薬屋といった感じじゃありませんか。おまけに、成分や医師の所見などの思考過程は抜きにして、断定的に、これを飲めば、即、この病気が治ると薬効ばかりを記載してあります。おばさんは、われわれの一人ひとりに、あなたはどれにしますかと尋ね、各種のお茶をそれぞれの勿体ぶった方法で煎じて飲ませました。そして茶菓子として木犀の花を使ったクッキーを食べさせました。

「いまから値段を言いますから、どれを買うか考えるのですよ」と宣言しました。私は、勝手に連れ込まれ、彼女が勝手に飲ませたんで、買わなくちゃならん義理はないと、仏頂面をしていました。わがグループは決して無口な人ばかりではないのですが、みんな黙って下を向いているのです。おばさんは可成り焦りました。「よく考えるのですよ」と声のトーンが上がってゆきます。

その様子が、昔、小学校で音楽の女の先生に叱られた記憶と重なりました。あれから何十年たったことだろう、いまこうして日本の老人たちが、叱られた小学生みたいに下を向いていると思うと、心の中で可笑しくて可笑しくて吹き出しそうになりました。

結局、無事に解放されたのですが、このお店には中国人の観光客が沢山訪れていて、それなりに勧誘に乗っているようだったので、救われる思いでした。

要するに、いまどき日本から中国に観光に行くのは、旅慣れた年配の人ばかりだと言ったら、ちょっと自賛が過ぎるでしょうか。終末期高齢者の人というべきかもしれません、ともかく物など買ってみようという人種ではないのです。


・15パーセント

インターネットの掲示板には、無責任な意見開陳が満ちあふれているものです。

先日、ある掲示板で、こんな書き込みが目につきました。

「尖閣問題以降、日本から中国を訪ねる観光客は85パーセント減ったそうだ。でもオレとしては、まだ行く奴がいるのに驚く。その15パーセントの奴らの顔が見たい」。これには私も同意見でした。もっとも、鏡を見ると、そのひとりが映っているわけですが。

今回のツアーは総勢、たった5人でした。ご夫婦1組と男3人です。

こんな少人数で、ツアーがよく成立したものです。旅行社は赤字だったことでしょう。中国観光が途切れるのをなんとか避けようと、泣く泣く催行したのだろうと想像します。

ガイドさんはあちこちで、あんな大きなバスにたった5人か、といわれていました。名古屋からは私ひとり、あとは皆さん、岐阜からの方たちでした。バラバラの日で申し込んだのに、ツアー会社が、偶然私の申込期間の時期に集めたようでした。

こんな時期に中国を訪ねるなんて、鳩山由紀夫のようなルーピーじゃないかと思はれるかも知れません。でも、彼が行ったのは1月15日、私が行ったのが1月5日、この私が彼の真似なんかするはずがありませんよね。

私たちのグループでは、食事の時に「北朝鮮に対しては、戦争も辞さないつもりじゃないと、主張が通らないよ」などとおっしゃる、左翼の反対みたい方もおられ、15パーセント組には政治色などまったくないと判断してもよいと思いました。

旅が終わったあと、いま振り返ってみると、全員、非常に旅慣れていることが共通点だったといえると思います。桂林についても、5人のうち始めて訪問したのは、私ともうひとりの2名だけだったのです。

こんな発言もありました。「朝、喫茶店に行ったら、コーヒーが一杯400円、中国も割安感がなくなりましたね」、ひとりでなにげに喫茶店にいってくるなど、旅慣れた人じゃなくちゃしませんね。

旅慣れているということは、外国人をメディアの目でなく、自分自身で判断しているということだと私は思います。中国人はこうだと断定的に決めつけるのではなく、中国にも色々の人がいる、そしてその主体は世界中どこでも同じ、つまり自分とあまり変わらない人たちだという認識を抱いているといったらよいかもしれません。

旅慣れているということは、衝動的にお土産を買い込んだりしないことです。また、地元民のダンスといった夜のオプショナルツアーなどに参加しないことです。ガイドさんは僕の誘い方が下手なのかしらと悩んでいました。悪いのはお客さんなのです。旅行社にはまったく可哀想なことをしました。

でも、私がなぜこの時期に桂林へ行ったのか、まだご説明していませんね。

実は最初この時期、香港へ行って山へ登ろうと計画していたのです。費用は九州の山へ行くのと変わらないのですから。泊まるユースホステルまで調べたのでした。でも、この情勢下、もしも何かあったら、馬鹿な老人が単独で行って、周りに迷惑をかけたと非難されるのは確実に思えました。それで、いずれ一度は行ってみたいと思っていた桂林のパックツアーを選んだのです。

でも、香港にせよ桂林にせよ、なぜ中国を対象にしたのかといえば、なんといっても近くて費用が安いからなのです。


・安い旅

昨年春、南米にゆきました。そのあと、急に懐に冷たい風が吹き込む感じがし始めたのです。長年、自社株投資会で営々と貯蓄してきた電力株が、枝野大臣が「電力会社を分離」あるいは「風力発電の高価買い入れ」など、口を開くたびに株価を下げました。糊口を凌ぐのに事欠くわけではありませんが、老後の蓄えが減るのは、気分的に滅入るものです。

ついつい「桂林8日間4万9千9百円」というキャッチフレーズが目に焼き付きました。もともと私は、登山や地質・地形、そして歴史など、なにかテーマのある旅が好きなのです。そういう旅は、帰ってきた後で、なにか達成感のようなものが感じられるからです。

そうだ、こんどはどれぐらい安い旅ができるか、チャレンジしてみよう、そんなシミッタレなことを考えました。

というわけで、今回は金額がポイントですから、正確にあげてみましょう。

パンフレットトップの旅費  49,900円
海外出入国税       1,260円
燃料サーチャージ      13,000円
国内空港施設使用料    2,500円
一人部屋追加料金  30,000円


中国国内線空港税   1,538円  (100元)
中国国内燃料サーチャージ   3,998円  (260元)


終日自由行動日のオプショナルツアー  6,500円
名鉄電車 金山ーセントレア往復  1,580円 
特急券 帰路のみ (セントレア着陸21:05) 300円
タクシー         
帰路のみ (名鉄金山着 22:01) 
 1,780円
市内交通 敬老パス使用   0円


合計     112,356円

                                             
満足感との比較では、とても安く上がったと思っています。



・1月の桂林

桂林は北緯25度、亜熱帯です。1月の気温の平均値は最低5度、最高12度と,名古屋より4〜5度高いことになっています。でも、私たちがいたあいだは、最高が6〜7度で寒かったのです。なにより太陽を見たのは8日の間、3時間しかありませんでした。ホテルの窓から例の尖った山の写真を撮ろうとしましたが、ぼやっとしか撮れませんでした。最後の朝など雨の大降りで、なにも見えませんでした。

広域の天気図で見ると、大陸の大きな高気圧の南の部分になるわけですから、東風が多かろうと想像していました。ガイドさんに一年中の風向きを聞いてみました。「ここは山が多いから、風吹かない」という返事でした。滞在中まったく風がないわけではありませんでしたが、そんなに強くはなく、風向きはランダムでしたから、地形による局地風だと思います。何と言ってもどんよりとして視程が短く、私のように地形を見たい男にとっては不利な条件でした。ちょうど、北京で大気汚染のグレードが高いと報道されていました。桂林は汚染物質のせいではありませんでしたが、神経質な人なら、毎日毎日、深刻なスモッグだと思える状況でした。


・交通事情

桂林市の交通信号は、後発の利点を十分に活かして、矢印とフリッカーを多用した優れたシステムで運用されています。ガイドさんも「中国で変わったこと、信号を守るようになりました」と誇らしげに宣言しました。

とくに変わったのは、黄色信号で減速/停止に入るアクションで、監視カメラで黄色信号で減速しない運転者を見つけ次第、厳しく罰金を徴収することにしてから、よく守られるようになったとのことでした。確かに停止を前提にした減速は、日本とは比べものにならないほど厳守されていました。日本では、「黄色は急げのサイン。横からの車が青信号で交差点に入る前に通り過ぎちゃえ」という大勢の声で、横の信号が青くなるのを遅らせ、両方向とも赤信号とする時間を設けた方式をとっています。大国である中国は、小国日本に追随するのを、潔しとしたくなかったのでしょう。欧米流の「黄色すなわち減速」方式を固執する気のようです。

そういったわけで、都市部はよいのですが、町外れになると信号はない、車は多いで、大変な状態です。両側ともぎっしり車が詰まっています。脇道から入ろうとする車は、気長に待つより仕方ありません。そして目の前に少しでも隙間ができれば、車の頭を突っ込みます。そしてさらに、センターラインの向こうの車線にまで入ろうとしたりします。向こうの車線では、そんな車を入れてやろうなんて思いもしません。それで、手前の車線の流れはその割り込んだ車のせいで、何時までも止まったままというわけです。

それを見ていて、尖閣諸島のことを思い起こしました。一生涯、こんな暮らしをしている人たちなのだから、ルーピーが隙間を作ったら、すかさず頭を突っ込んでくるのは日常茶飯事、当たり前のことなのだろうと。

交通事情には、車だけではなく歩行者の分野もあります。

ゼブラ柄の横断歩道が設けられてはいます。そして、横断歩道での人身事故は、間違いなく車の運転手が罰せられると聞きました。でも、実際には横断歩道など殆ど無視されていました。横断歩道が少ないというより、道路を横断する人の数があまりにも膨大というべきなのです。市街地では、道路上に車と歩行者があまりにもゴチャゴチャと混在しているので、日本での概念を持ってすれば、よくも事故が起こらない、またはきっと事故が多発しているに違いないと思うことでしょう。

でも、見ているうちに、ちゃんとそれなりのルールがあるのが分かってきました。

センターラインが安全地帯になっているのです。そして車線を分けている線が、次のランクの安全地帯なのです。ですから、ちょっと隙間があれば、1車線分向こうの線まで辿り着き、次のチャンスを待つのです。こうすれば、広い道路に切れ間なく車が走っているように見えても、案外横断するチャンスを掴むことができるのです。

線の上に立っていて危なくないか、と仰るかもしれません。でも日本でだって、片側1車線の歩道のない道路では、路肩を歩いている横を車が走っているではありませんか。多少、詭弁っぽくはありますが、間違いではないでしょう。日本でも中国でも、車は原則、線の上は走らないのです、とくに中国ではそういうことになっています。車線変更は、人がいないところ、あるいは人をどかせてすればよいのです。なんといっても、日本でも中国でも、大原則は「事故を起こさない」ことなのですから。


・テレビのチャンネルから

ホテルのテレビにはケーブル・テレビが入っていて、50チャンネルほど見ることができます。

スポーツ・チャンネル、お子様チャンネル、経済チャンネルなど、日本と同様、いろいろ流れています。 ニュース・チャンネルでは、「 最もタカ派の人物が日本の首相になった」と、日本の某有力紙と同様、非難がましい論説を流していました。

そんななかで、 常時、 反日専門チャンネルが3本流れているようでした。

ひとつのチャネルは、中国軍の武勇談です。イケメンの隊長さんが、日本兵の不寝番がうたた寝をした隙に、後ろから声も立てさせずに刺し殺し、忍者もどきに塀を乗り越え、部下たちを引き入れるというような活動ぶりです。この隊長さん、まるで必要でもないシーンで、とんぼ返りをして見せたりもするのですが、 日本兵に殺された子供に復讐を誓う場面も出てきます。

この物語の演出では、戦っている日本兵が鉄兜じゃなくて、観兵式の晴れ着ともいうべき丸くて赤い帯の入った帽子を被っているのです。言ってみれば、フロックコートをきてサッカーをしているようなもので、笑えました。

ほかのチャンネルでは、日本軍が国際法で禁じられた生物兵器を扱っています。その厳重な秘密倉庫に、中国の若き男女がアメリカ人と協力して忍び込もうとしていました。

〈テレビから 日本の漢字ならば多分、我2架軍機対日軍機実施査証監視〉


このほか、毛沢東と蒋介石が、ある時は協力し、またある時は反発しながら、ともに日本軍と戦っている劇を流しているチャンネルもありました。

某観光地の、お土産店の店先でのことです。紺の布に白字を染め抜いたノレンを売っていました。そのあるものは「釣魚島是中国固有領土」と、読めました。

繁華街を歩いてい て、お店の中のテレビから「キャー」という声が聞こえたら、日本軍の残虐行為のシーンが流れているのではないかというような気分になりました。 多分、間違ってはいないでしょう。

ガイドさんによれば、昨年夏、桂林でも反日運動はあったのだそうです。「なんにも知らない若い人が騒いだ。でも、警察が抑えたので大したことなかった」そうです。

もう八十余年、世の流れを眺めてきた私には、こんな社会現象が「中国における反日運動」という特別なものには思えないのです。

メディアがこれでもかこれでもかと煽りたて、事実を体験したことがなく、考えるよりも感じるタイプの一部の人たちが燃え上がり、それが、まるで国民一人残らずが、そのように思っているかのように喧伝され、政治に利用される現象は、たとえそのテーマがどんなものであっても、またどこの国であっても、何時の時代でも起こっていると考えます。

遠くは、ヨーロッパ諸国で、聖地奪回の声を掲げた十字軍もそうだったのでしょう。そして近くの日本でも、大東亜共栄圏、鬼畜英米と騒ぎ立て、負ける戦争に突入した反省は、日本の後期高齢者の心には通ずるはずです。こんど訪ねた中国でも、40年前に吹き荒れた文化大革命・紅衛兵の狂乱があったことを思い出す人もあるでしよう。

公害、いじめ、体罰、沖縄駐留米軍、オスプレイ、地球温暖化、反原発など、テーマはなんであれ、こうした社会の行動はワンパターンであります。この現象は、ホモサピエンスの作る社会が持つ根源的な特性なのでありましょう。


・占領軍

いつも、中國を訪ねて静かな田舎の景色に出あうと、60年前、日本兵たちがドヤドヤと押しかけてきたとき、どんなに嫌だっただろうと、申し訳ない気持ちになります。

いまも沖縄で「またもや駐留米軍の不祥事発生」とめくじらを立てていますが、アメリカほど質の良い軍隊は、史上初のものでありましよう。なにせ沖縄戦では、捕虜が出ると予想し、そのため6万人分の食料を持ってきたというのですから。それ以前、人類は長いあいだ戦闘時の食料は、現地で調達するのが常識だったのです。

日本軍が中國に攻め込み、中國の人に迷惑をかけたのは日本が強かったからで、中國が強かったら逆になっていたのでしょう。

とはいっても、今、700年前の元による壱岐・対馬侵攻時の惨状など持ちだしても仕方ありません。わたしは今の中國の村人たちに、素直にお詫びしているのです。