香港ジオパーク
(2015/11/8〜13)

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今回の旅行は東京地学協会の「香港ジオパーク巡検」でした。

地理のことをジオグラフィーといいます。ジオパークは、地学公園とでもいうようなものです。
日本では洞爺湖、糸魚川など9箇所が「世界ジオパーク」として認定されています。
このほかに「日本ジオパーク」が約40箇所もあります。
ジオパークを認定する目的は、貴著な地質遺産の保護、地球の科学知識の普及、ジオツーリズムを通じた地域社会の発展であります。

香港と聞けば、高層ビルが林立している街、経済活動の中心地、観光都市というイメージが浮かぶのが普通でしょう。
その一面、実はこの中国大陸から突き出した香港地域の半島と散在する島々は、地形・地質の面でも興味深い地域なのです。イギリス人から経済的繁栄と理性的思考を受け継いでいる香港の人たちが、この貴重な地球のジオ資源を世界ジオパークの認定に導いたのです。
香港地区の東北部には堆積岩地帯、そして東部には火山岩地域があります。
私は香港まで行って、岩の珍品探しをした訳ではありません。 日本にだって同じような堆積岩や火山岩の地質構造はあります。
でも、その岩石が、まったく同じであれば、何故そこに同じものがあるのかの理由を知りたくなります。また、微妙に違えば何故違うのかと興味をそそられるのです。
興味の種は一杯あります。
その上、なんと今回は地質の大先生が案内してくださったのです。私以外の同行の方々も皆さん地質の専門家だったのです。そんなグループに入れていただき、日本のものとは岩の出来た時代が違い、またその生成過程が同じだったり違ったり、その辺りのメカニズムを観察し推理しながら過ごす時間がが楽しくないはずはありません。
私は小学生のころから理科が好きでした。太陽から来る光が、プリズムで7色に分かれるのを見た時には、すっかり感激したものです。その後、何歳になっても、地質について、先生に教えて貰いながら歩けたらどんなに楽しいことかと思い続けていたのです。今、その願いが叶ったのです。


東平洲(トンピンチャウ)
香港地区の東北のはずれ、東平洲を訪ねました。大埔の港から舟で2時間ほどの位置にある小さな島なのです。途中、わざわざ寄り道をして、小さな港町に寄りました。ここで昼飯のチャーハンを受け取りました。ジオパークの目的のひとつとして、ツーリズムによる地域振興が挙げられています。これはその一環なのでしょう。
東平洲は巾200m,長さ600mほどの三日月型をした島です。一番高いところでも海抜50m弱ですから、まさに平らな島なのです。
かっては漁業で生計を立てていた部落が、今は、ほぼ廃村になっています。

東平洲の墓地

東平洲の墓地


墓地には、お墓が沢山ありました。 それらのお墓や祠の様子には、沖縄に近いものを感じさせられました。国家などややこしいことを言い出す前の時代から、海を通路にした共通の文化圏だったのでしょう。 現在では典型的な過疎の島といった趣ですが、それでもジオパーク指定にあたって、水、電気,交通手段の提供を当局に要求し、反対運動があったようです。現在もまだ3人だけ頑張っているとのことでした。

この島は6000万年ほど前に堆積した砂岩や泥岩が主体になっています。6000万年といえば、恐竜が絶滅してから間もない頃のことです。
海岸を歩きながら、大先生が教えて下さいます。「この島には、この方向に力がかかってます。だから岩の割れ目の多くは45度に斜行するこの2方向に走っています」。
「ここでは波打ち際に転がっている小石が、殆ど明るい黄土色をしていますね。でも、ほら、こんな黒っぽいのも混じっているでしょう。黒っぽい色は、成分に含まれている磁鉄鉱なのです。原岩が砕かれて、空気に触れて磁鉄鉱が酸化されると黒さが失われるのです。御覧なさい、ここの潮の流れは右からきています。右の方へ行けば、きっと今崩れつつある黒い露岩が見つかりますよ」。
こんな様にして、もう全員、下ばかり見て歩き回っています。
ところがひとりだけそうじゃない人がいました。私なのです。私は山屋ですから、ときどき遠くを見渡し、東西南北を確かめ、自分がどんな場所にいるのかを意識するのが習慣になっているのです。
対岸、北から東にかけて山が連なって見えます。中国本土なはずです。

中国本土の発電所遠望

中国本土の発電所遠望


送電線が見えました。巨大な鉄塔は赤と白に塗り分けられています。
そして送電線は左手から来て、白い巨大なドームがいくつか見える場所で途切れています。まさしく大発電所です。一瞬、原子力発電所ではないかと思いました。(煙突が目立たないのでそう推測したのですが、実はLNG発電所とタンクだと思います。)
原子力発電所は、現在、世論にとっては微妙な存在です。私は、ガイドさんがグループから離れた時を見計らって「あれ、原子力発電所じゃありませんか」と小声で問いかけました。
彼女は「違います。あれは違います。原発は山の向こう側で、ここからは見えません。「チャイナが作った」と不本意そうに答えました。

ガイドさんは「本土で電気が足らなくなった時でも、香港にだけはちゃんと送ってくれて有り難かった」とも言っていました。実際あれだけ高層ビルが林立する香港のことですから電気なしでは想像もつかない混乱に陥るでしょうから。

香港では水も電力も、その一部を中國に頼っています。過密な都市の宿命です。
香港を旅していてあちこちにダム、貯水池が目につきました。また西貢の柱状節理の巡検では、かって海に浮かんでいた島々を堤防で結び淡水化し嵩上げして、巨大な貯水池として運用しているのを見ました。しかし所詮、香港は小さな地域ですから必要とする水の80%まで中國に頼っているのだとのことです。
電気についても、20%を中國深圳の大亜湾原子力発電所からから購入受電しているのだそうです。

昨年のTPP交渉に際して、安価なゆえに外国から農作物が入ってきて、日本古来の田園風景がなくてしまっていいのかという声に共感する人は多かったのです。
また、地産地消という言葉に、あれこれ考えるまえに、ホンワカとしたした温かさを感ずるのは自然なことです。
現実には鉄鉱石も石炭もガソリンも輸入し、工業地帯で作られた自動車に乗り回すという、いわばアンチ地産地消の生活を送りながら、地産地消を叫ぶのはおかしいといえばおかしいのかもしれません。

でも考えてみれば、我々、人類の一種であるホモサピエンスの世界では、文明の誕生、交易の拡大が始まったのはせいぜい5千年ほど前の時代のことです。
発見されたホモサピエンスの最も古い骨格化石は、20万年前のものだといわれます。してみれば人類の歴史の97.5%の時間は狩猟採集の生活であって、素直に地産地消こそが最適の暮らし方だったのです。自然界の生存競争の中で、人類は地産地消を実践して生き残ってきたのです。脳の回路が、地産地消をまず優先的に検討の対象とするよう構成されているのはうなずけます。
こんなように、本当ははっきりしない遠い過去のことを、まるで見てきたように言い立てるのも、百万年、ミリオン・イヤーを単位として論じている地学屋さんの思考体型が感染ったのかもしれませんね。




西貢(サイクン)の柱状節理

柱状節理の崖

柱状節理の崖


香港ジオツパークに関するパンフレットで、最初にもっとも目を引き付けるのは柱を束ねたように見える柱状節理の岩でできた崖の写真です。
柱状節理の崖

私が小学生の頃、山陰地方に玄武洞という六角形をした岩の柱が並んだ不思議な洞窟があると教えられたように思います。玄武洞は国の天然記念物に指定されていますし、ここの岩をもって玄武岩と命名されたのですから、昔は大変珍しいものだと巷間で認識されていたのでしょう。
でも実のところは、噴火にともなってできた玄武岩とか流紋岩の岩体が、上部から冷やされ収縮するとき、冷却面に垂直の方向に割れ目が入り、多くの場合六角形の岩の柱になるのは非常に普遍的な現象なのです。
なにも岩だけでなく、干上がった沼の底や田んぼの泥などが乾燥して縮む時だって乾燥面に垂直に六角形の割れ目が入っているのに気がついた人も多いことでしょう。
きれいな六角形だけではなく、歪んだ五角形だったり、条件によってはいびつな格好になることだってあります。
そういう次第ですから、柱状節理の岩は、火山に関係した地方では決して珍しい存在ではないのです。
日本では 誰でも知っている層雲峡、華厳の滝、東尋坊、高千穂峡などのほか、 例えば伊豆半島だけでも浄蓮の滝、城ヶ崎海岸、爪木崎など、柱状節理が有名な観光資源になっている場所は枚挙に暇がありません。

世界的に見ても、北アイルランドにはジャイアンツ・コーズウェイ、アメリカのデビルズ・タワー、済州島大浦海岸などの多数の有名な観光地は、柱状節理が造り出した景観なのです。火山でできた島、アイスランドではまさに柱状節理だらけといった有様です。

さて、それなのになぜ香港ジオパークの柱状節理なのでしょうか。

柱状節理の崖

柱状節理の崖


地球上殆どの柱状節理は、溶岩である玄武岩でできていて、外見的には黒っぽい色をしているのです。ところが香港のものは、火山灰が堆積し、自己の高温で溶結した流紋岩でできていて、石英を沢山含むため明るい色なのです。それが海の藍色に映え、とても美しい光景を醸し出すのです。またその規模の大きさも際立っています。それは観光客を引き付けるのにもってこいなのであります。

香港ジオパークの南部にあたるこの柱状節理の部分は、1億4千万年前頃に火山活動によって作られた地形です。
1億4千年前になにが起こったのか、一つの説をご紹介しましょう
まず地下からマグマが上がってきてマグマ溜まりを作り、割れ目など何らかの理由でできた通路を通り地上に達し噴火が始まりました。溶岩の噴出があまりにも多かったのでマグマ溜まりの圧力が重力に負けて、上の地面がドスンと落ち込んでしまいました。こうして大きなすり鉢状の凹地ができました。この凹地をカルデラといいます。ここではそのカルデラの直径が約40kmでした。落ち込むときにできた地殻の割れ目を通じて、マグマが噴出を続けます。これが外輪山の噴火です。こうして凹地の中に半端じゃない量の火山灰が積み重なります。 厚く積もった 火山灰はまだ高温ですから再溶結して流紋岩になりました。
やがて火山活動は終わり、その岩体は上部を大気で冷やされ膨大な柱状節理の地帯となったのです。また、下に位置し、溶岩の供給源となっていたマグマ溜まりは、冷えて花崗岩になりました。
香港島は花崗岩なのです。そして出来た年代を調べてみると柱状節理とほぼ同じ時代だとわかりました。すると現実には、柱状節理地帯の下にあるべき花崗岩が、10km強も南東の海面上に頭を出しているのです。なぜでしょうか。

マグマの上に浮かんだカルデラ部分という構成全体が、長い時代の間に傾いたのだという説明があります。(次図参照)
1億4千年前といえば、南の海で生まれた日本列島の本体が、イサナギプレートに乗って北上し、シベリア辺りに付加された頃です。その後、地底からマグマが上昇、拡大し、現在の日本海になり、日本の本州部分がシベリアから引き離されたとされます。香港でマグマの鍋が傾くぐらいはびっくりするほどのことではありません。

地学では、目の前にある現実の地形地質が、どうしてこうなっているのかを、いま人類が持っている膨大、緻密なデータを源にして推理、仮説を建てるのです。いろいろの角度から眺め、一番合理性が高く、反論の少ない仮説を競うのです。新しい情報が出てくれば、仮説の確度が高ま ったり、ケースによっては修正を迫られます。学問の楽しみに限りはありません。私のような付け焼き刃の野次馬にとって面白くないわけがないのはご理解いただけるでしょう。

Ancient Caldera

引用元:引用元

      

香港アルプス
香港アルプスなんて、どうせ碌な山歩きではあるまいと、胡散臭そうな顔をなさってますね。
今回のジオツアーでは、前述のとおり東平洲島へ外海を船で渡りました。で、海が荒れて欠航になった時のことを考え、予備日が設けられていました。その空いた一日の過ごし方のオプションとして、①香港乗り物観光とショッピング、②海鮮ディナーショーと夜景鑑賞、③香港アルプス・ウイルソントレール・トレッキングとあげられると、私はやはりトレッキングに手が挙がってしまうのです。
なに、長い話ではありませんから、我慢して読んでください。

ガイドさんは日本人女性、香港アルプスガイドの第一人者森Q女史でした。なんと彼女は、この日歩くトレールの地図を持ってきていないのです。通常なら、香港に観光に来て、ちょっと歩いてみたいという日本人がお客さんなんでしょうね。われわれみたいに地質図と首っ引き人種が来るなんて思ってもいなかったようでした。多少不満気な顔をしている我々に「地図、持ってくればよかったですね。でも道は全部知っていますから大丈夫です」と安心させてくれました。

香港アルプス(対岸左手は旧啓徳空港)

香港アルプス(対岸左手は旧啓徳空港)

出発点は、さる峠(名前不詳)、舗装道路とウイルソントレールの交差点、私の高度計の指示は270mでした。 午前9時から4時間ほど歩きました。通過した最高点の標高は430m.この日の登り比高の累積は390mでした。幾つかの少ピークのアップダウンを繰り返していたことが分かります。ちなみに香港島の最高峰はビクトリア・ピーク(552m)で観光地になっています。
香港地区には、英領時代に造られた4つのトレールがあります。最もハードなマクリホース・トレールは全長100km,登りを足し合わせるとエベレスト(8848m)に近いのだそうです。われわれは南北に長いウイルソン・トレール(全長78km)の一部分を歩いたのです。あちこちで、眼下に高層ビルが林立しているのが目に入ります。

自然いっぱいの道なのですが、日本と比べれば九十九折よりも、石の階段を設けた直登が多用されていました。

初めは年長でもあり足の遅い私がトップで登っていました。でも、ときどき先生の講義が始まり、引っ返しては拝聴していたのです。そのうちに先生にトップをお願いしたらという声が上がりました。ツアーコンダクターは「先生をトップにすると進まなくなっちゃうからな」とこぼしました。
でも結局は、先生がトップになり、行く先々、気のお付きになった所で講義が始まります。
「この花崗岩のブロックは、山の上の方から落ちてきたのか、それとも元からここにあったのが、周りが風化で消失し取り残されたものでしょうか?
何となく四角ぽいでしょう。そしてこの縁が、ほら、向こうのブロックと同じ向きですね、上面と下面も水平に近いですね。これは大きな岩体が冷えるときに規則的な割れ目が入り、風化のときに取り残されたのです。」
次から次へとこんなお話が続きます。
私の最も身近な三河の猿投山は、花崗岩の山です。ここと同じような岩や土から構成されています。もっと以前から地学の知識を持っていたら、猿投山でどんなに楽しかったことだろうと、先生の説明を一言も聞き漏らすまいとしていたのはいうまでもありません。
一行の中に蜘蛛の専門家がいらっしゃいました。体長5cmほどの大きな真っ黒な蜘蛛を見つけ、オオジョロウグモだと教えて下さいました。

オオジョロウグモ

オオジョロウグモ

こんなにして過ごした半日が、どんなに楽しいトレッキングであったかをお伝えしたいために、ついつい長くなってしまい申し訳ありません。

不覚にも私は、旅行の直前になってやっと、香港では中國の通貨である元が通用せず、香港ドルが必要だと知ったのです。
 香港が中國に返還されてから18年、もうかなり中国化されているだろうと勝手に思っていたは私の不勉強でした。
そして滞在中ずっと、ここは中國とは違うようだと、なにかにつけて感じさせられ続けていたのでした。
まず、案内してくださった香港の地質学者の方たちが、ヨーロッパ的な雰囲気を持っておられるのに気がつきました。
文字には、本土で使われている簡字体ではなく、伝統的な漢字が使われていました。
泊まったのは4つ星のホテルでした。エレベーターは、部屋のキーカードをかざさないと階の指定を受け付けてくれません。また、部屋は真っ暗にして眠り、トイレに行こうと動き出すと、自動的にぼんやりと照明が灯ります。これなど田舎者の私にとっては、その最新技術にただ感心させられるばかりでした。
そのくせ電気のコンセントは、頑なにイギリス式プラグしか受け付けてくれません。
1997年に中國に返還されるに際して、外交と軍事は中國に委ねるが、その他は50年間現状通りと決められました。いわゆる一国二制度です。
自主から強権へ、そして非常にリッチな国が、発展途上国に帰属される構図でした。
中國の人がどう考えているか知りませんが、香港の人は自分は中國人じゃないと強く考えている人が多いと思います。

香港地区の北に隣接する中國広東省深圳市の都市的人口は1500万人、香港の人がチャイナと見做しているのは、主にそこの人たちではないかと思います。
こんなパワーフルな深圳地区の存在は、東京に隣り合う川崎市、横浜市を思わせます。それなのに現在では、香港と深圳との行き来に出入国管理が行われているのです。私のような無責任な局外者からみれば不自然、非効率に見えます。

成長著しい中國沿岸部のなかでも、 深圳は経済特区にも指定され 特に経済発展の著しい地域です。住民の一人当たりのGDP が中國で1位ともいわれます。
また、 香港側でも2009年に学制を、かってのイギリス式のものから中國の制度に変えました。

所詮、私たちは、過去から変わり続けて来て、将来も変わり続けて行く歴史の一時点を見ているに過ぎません。
 お互いに他人の立場を理解し、思慮深く、平安に歩み続けることを祈らずにはいられません。

ともかく今回の旅で、一国二制度というものの存在と、その現実に改めて考えさせられたのでした。
香港の行政上の正式な呼び名は「中華人民共和国香港特別行政区」です。
広大な国土、膨大な人口、多くの民族を抱える中國では、自治区、自治州などを設け、民族の文字・言語を使用する権利、一定の財産の管理権、一定規模の警察・民兵部隊の組織権、区域内で通用する単行法令の制定権を認めています。
また世界を見渡せば、たとえば大英帝国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから構成されています。そしてスコットランド独立の可否をめぐって投票が行われたのは記憶に新しいところです。
自分たちの所は、自分たちに任せてほしいという気持ちは人類に普遍的なものです。日本だって地方選挙に際しては、地方自治の拡大が、立候補者にとっての錦の御旗にされないことはありません。
大きな全体組織と個々の組織との関係を、あんまりガチに考えず、ナアナアで済ますのは、人間社会の知恵であります。
 これも我々人類ホモサピエンスが20万年生き伸びてきたうちに獲得した遺産なのでしょう。ひょっとすると2億年前から哺乳類が生き延びてくる間に獲得した脳のクセなのかもしれません。

日本では、周りの海によって他国から隔てられ、 長期間、 琉球を除いて 日本国イコール日本人の状態が続いてきました。
それゆえに、私のような一国二制度オンチが生まれたのだといえば、言い逃れになりますでしょうか。

外国を旅していると、国内にいては気付かない発見が何時もあるものなのです。

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