題名:学級崩壊は社会崩壊

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日付:1998/10/4


学級崩壊という言葉が賑やかである。

なにせ、生徒が騒いで、先生の言うことを聞かずに走り回ったりして、授業ができないのだそうである。

 

そう言えば、もう15年も前のことだったろうか。

大学の非常勤講師として授業に出たときに、プロの教授が一緒についてきてくれた。

そして、教室中を圧しワンワンと私語している学生たちを一喝して、授業に入らせてくれたことを思い出す。

それが、いつの間にか、昔は先生と聞けば無条件に尊敬していた、幼い小学生までが、先生の手に負えなくなってきているのだという。

 

そんな学級のことであろう。授業参観の日に、先生がまず参観に来ている母親たちに「私語を止めてください」と言わなくてはならない体たらくだとも聞いた。

かっての、大学生たちが今や親になって、子供を育てているのである。なんとも、筋金入りの崩壊世代なのであろうか。

 

つい先日まで、私は次のように考えていた。

 

50年前、敗戦国日本は、道徳とか規範を失ったように思われる。

それまでの指導者は「戦争に勝つために相手をやっつけろ」と言っていたことも事実ではある。だがそれと共に、忠義とか愛国とか、信、孝、他人への尊敬、思いやりなど、社会として必要あるいは良いことも言っていたのである。

 

さて、戦争に負けて占領されるということは、やっつけようとしていた相手の支配下に入ることである。

ましてやその後も長期間、世界を2分して、2つの大国が喧嘩をしていたのである。

どうしても、一方は相手の支配力をなんとしても邪魔しようということになる。

そんなわけで、日本では、戦後はずっと「昔の指導者も駄目、今の指導者も駄目、指導者の言うことなど聞くな、自分の好きなようにやれ」という反体制ポーズをとることが格好良いことであった。

 

それは、基本的に個としての人間の本能でもあり、また、それにうまく乗ったマスコミのとの相乗作用によって、増幅され、振り子の一方の端まで振れ切るに至ったのだと。

 

ところが、最近、その考え方を改めたのである。

そのきっかけとなったのは、あるお葬式に参列したときの体験である。

森々とした葬儀場で、読経の声が流れ焼香が続いている中で、参列者の中にボソボソと私語が始まった。

すると続いてもう一組、合わせて二組の私語が、延々と続いたのであった。

そのどちらも、かなりのお婆さまたちであった。

 

昔流の道徳がなくなってしまったのは、どうも年齢を越えた、普遍的なものであると認めざるを得ないようである。

この時に、学級崩壊は、人格形成の問題よりも、むしろ、社会のルールの変化に原因を求めるべきではないかと思いついたのである。

 

この年頃、公衆の面前で、お化粧をする女性たちが話題になった。

今年春、新幹線で上京したとき、隣の席に座ったお婆さんが、名古屋を出てから東京に着くまでの2時間、自分の顔を鏡に映しては、いじくり廻していた。それには、同行した私の母もたまげたのであった。

もちろん、年寄りよりも若い人の方が流行に敏感であるから、この人は、若い人に負けない、根性お婆さんであった。

また、地下鉄に乗ると、7人掛けですと表示してある座席に、股を広げたり荷物を置いたりして、ちょうどほかの人が掛けられないだけの間隔を空けて、たった5人で占領している人たちもいる。

ドアの近くにたむろして、他人の出入りを、妨害しているグループも珍しくない。

 

どうもこれらの行動は「他人を無視するように装うことが格好良いのだ」というルールが、ファッションとして幅を利かせているのだと解釈すると、統一的に説明できるようである。

 

そもそも人間社会というものは、人間が、自分のほかにも人間がいることを認めたうえで、お互いに生きてゆこうとして構成しているものであろう。

して見れば、他人を無視することは、社会生活の否定にほかならない。

学級崩壊から始めたこの話も、実はもっと広い、社会崩壊と呼ぶべき事態であるように思われるのである。

 

しかし、もっと結論的にいうならば、我が国は世界のどんな国と較べても、異常な事件が少なくて、平和で繁栄している国である。

今のところ、穏和で、真面目で、正直で、セルフコントロールの良く効いた、素晴らしい国民性に恵まれているのは、幸せなことだと言うべきであろう。

おわり

 

 

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