アラスカ・オーロラ・北極圏<


アラスカ・オーロラ・北極圏
(2011/03/05〜10)

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オーロラ・ウオッチング

アラスカのフェアバンクスに、オーロラを見に行ってきました。

6日間の旅行でした。4回あったチャンスのうち4晩ともオーロラを見ることができました。

剥製の白熊迎う空の旅           

最初の夜はスキーランドというスキー場の頂上小屋で待機していました。サーモンの夕食後、23時ごろ小屋に到着しました。オーロラの淡い光りをみる ため目 を慣らす目的でしょう、部屋はほぼ真っ暗でした。防寒具に身を固めているので、寒くはありません。固い木の椅子に座って俳句など考えていました。でも、そ れをメモをしていなかったので、あらかた忘れてしまいました。

日付が変わって間もなく「出たぞ!」という声で小屋は急に騒がしくなりました。北の空低く、薄い光りの帯が見えました。真北よりやや東寄りが一番明 るく見 えました。そのうちに光りの帯の上に縦長のカーテン状の光りが現れました。そんな大きくはありません。その後も、2〜3回カーテンは現れたり消えたりして いました。やがてガスコンロの炎の形をした光りが、地上から上向きに見えました。時間がたつにつれこういった動きはなくなりましたが、しばらくは、ただ じっと、動かない淡い光りを見ていました。こうして午前2時、予定どおりホテルへ引き上げたのでした。ともかくも、最初の夜からオーロラを見ることができ て大満足でした。


・息をつめオーロラを待つ着膨れて


2日目はチェナ温泉での観察です。夕食はびっしりと身の詰まったおいしい蟹でした。食後、マイナス25度Cの寒気の中、雪原の中にある広い露天風呂に入り ました。この日は、そう暗くもない大きなホールでオーロラを待っていました。添乗員さんたちが、寒い屋外で見張っていてくれるのです。この日もやはり日付 が変わって間もなく声がかかり、ぞろぞろと外へ出ました。北側の低い丘の上に、低い角度で東から西へ、まるで虹のような光りの円弧がかかっていました。光 りは段々明るくなり、始めからあった弧の上に次々に光りの弧が現れ、一時は3重にもなりました。そのほかの動きといえば、丘の稜線の直上が、遠い山火事か と思うように、あちらこちらと場所を変えながら明るくなりまた暗くなっていました。この夜はなにせ寒くて、防寒靴をはいていても足の指が痛くなり、手足の 指を動かし続けていました。まだ少しオーロラは変化を続けていましたが、まあこんなところかと見切りをつけ、暖かいホールに引き上げ、帰りのバスが迎えに 来るのをひたすら待ちました。

さて。このあとホテルを目指して30分ほど走ったとき、雪道が広くなった場所でバスが急に止まりました。外に出ると、天上に、これはもう絵にも描け ない光 りの饗宴が広がっていました。頭上高く、光りの帯ありカーテンあり、それらが激しく動き回るのです。かなりの時間、寒さも忘れて見入っていました。

ホテルへ帰る道々も、バスの運転手さんがときどきヘッドライトを減光してくれました。そのたびにスリムな針葉樹の林の上に、まるで天翔る龍のような 光りの 帯が見えるのでした。今回のオーロラツアーの「見るべきものは見た」、そう思った夜でした。

オーロラ (撮影 鈴木茂三氏)

   

3日目は牧場で見ました。この日の夕食は巨大なビーフステーキでした。例によってロッジに23時頃到着しました。ロッジでは最初に、アラスカ観光の ビデオ のご披露がありました。すぐ外へ出ると、もう北の空にオーロラが光っていました。こんなに早い時間から出るなんて幸先がよいと、皆さんの期待が高まったの でした。「頑張れ」「こっちに来い」と声援が飛びます。この夜はやや強い東風がありました。それで見張り役に託して、ロッジに引きこもった人が多かったの です。ロッジの中は、照明がこうこうと輝き、先住民族イヌイットの恋物語のビデオが流されていました。ときどき「ちょっと変化があるようですよ」と、添乗 員さんが教えてくれ、そのたびに出てみるという感じです。わたしは横着を決め込み広いガラスの窓際に椅子を移し、北の空をときどき眺めていました。最初の 夜の、いわばストイックなオーロラ待ちとは、様変わりの怠惰な有様でした。

4日目は北極圏へのバスツアーの帰路で、オーロラを探し探し帰ったのでした。北極圏(アークティック・サークル 北緯 66°33’)の標識のある 駐車場 で、弁当を発熱材(多分 生石灰+水)で暖めて食べました。この夜は走っているバスからオーロラを探すのですから、全員が見張り役です。やはり23時過 ぎ、北東の空から始まりました。オーロラの様子と駐車場所とを睨みながら、途中3カ所車を降りて見物しました。トウヒの森で、雪が付着しモンスターになっ ている場所の寒かったこと、登山に慣れた私は利口ぶって、バスの風下で鑑賞していました。ホテルに帰着したのは午前5時、夜中ずっとオーロラは出ていまし た。でも最後の頃は「まだ出ているな」ぐらいに軽くあしらわれていました。

これで4回見たことになります。今では、空の光りがいくらぼんやりしていても、あれはオーロラだよと断言できる自信がつきました。

旅に出る前に、外国へオーロラを見に行くと言うと、私も行ったけれども見えなかったという話をよく聞かされました。またここへきてからも、現地ガイ ドに、 見える条件は「まず空が晴れていること。次に月が出ていないこと。それに・・・」と予防線を張られました。またあるとき隣のグループの現地ツアリーダーが 「皆さんが見られるか見られないかは、結局のところ日頃の心掛け次第」と引導を渡していました。してみれば私たちの今回のツアーには、だれかよほど心掛け の良い人が参加していたのでしょう。

自分が見たオーロラに、偉そうに順位をつけてみれば、2日目が断トツの一位、4日目が二位、3日目が三位、初日がビリでしょうか。

こんなようにしてオーロラ・ツアーの日課は、21時に夕食、23時から翌日午前2時までオーロラ探索、3時ホテル帰着就寝、正午頃起床&ブランチ、 午後は オプショナルツアー、一日二食という生活でした。日本とアラスカの本来の時差は6時間なのですが、こんなまともでない生活を続けていたせいか、あれやこれ やぐちゃぐちゃになってしまって、時差ボケなどとくに感じませんでした。


・かんじきがホテルの壁を飾りをり

実は、こんなにして真面目なオーロラ旅行記らしく書いていると、本人もちょっと変な気持ちがしているのです。そろそろ、例の蛇足の出番です。

まわりの話を聞いていると、自分の気に入るようなオーロラの写真を撮るのにはテクニックと運が要るらしいのです。それで、もう6回も来たことがある とか話 すレピーターが、実に多かったのです。ところが私といえば、オーロラが綺麗だから、あるいは神秘的だからと思って見に行ったわけではないのです。あくま で、オーロラという現象を見たかったのです。

なぜオーロラという放電現象を見たかったは、末尾で触れることにして、ここでは、今度のオーロラの旅で、気のついたこと2〜3点に触れておきましょ う。

オーロラの光っている場所までの距離感は、とても人間の五感に訴えるものではありません。三角測量、人工衛星からの観察などで、オーロラの高度は地 表から 100〜500kmとされています。ちなみにジェット機が飛んでいる高さは約10kmです。今度しばしば遭遇した、地上20度あたりに見えたオーロラはど んな距離にあるのでしょうか。sin20度は0.34です。オーロラの高さを100kmとしても、100÷0.34=294km、名古屋から見て神戸市の 上、それも100km上空の放電現象になります。ところが感覚的にはとてもそうとは思えず、養老山脈の、つい向こうぐらいに感じられるのでした。

その結果が「オーロラって、寒いときによく出るんですか」という質問になるのです。これは夜、雲がないと放射冷却で気温が下がって、つまり観測点が 寒いと オーロラが見えやすいということなのでしよう。もちろん、その質問をしている人がいる場所の寒暖と、オーロラが光っている遠くの高い場所の温度とに関係が あるわけはありません。

オーロラの乱舞に合わせて、音が聞こえるという話もあります。しかし、オーロラからの距離、そして途中には音を伝える空気がほとんどないことを考え ると、 どんなものでしょうか。人間には聞こえないが、犬には低周波として聞こえるという説もあります。ともかく、損得に関係ある話ではありませんから、ナチュラ リストたちが「ブナの保水力は凄い」といって幹に耳をあてがって水音を聞いているのと同様、測定装置を持ち出してロマンを奪うなんて、心ない所行でありま しょう。

実際にオーロラに出会ってみると白い色でした。酸素や窒素の放電だったら白い色が出るわけはありません。でも、私だけではなくて、誰でもオーロラを 見た人 は白かったといいます。ところが写真を見ると確かに緑が主体で、ほんの少し赤が認められます。どうしてこんなことになるのでしょうか。

見えるという行為は、目に入ってきた光りが網膜の視細胞で電気信号に換えられ、それが脳に届くからだそうです。人間の視細胞には錐体(cone)と 桿体 (rod)とがあり、錐体は明るいときに働き色を見分けられ、桿体は暗いときに働き光りの有り無ししか感知できないのだそうです。赤でも緑でも、どんな色 でも、光りが弱くなれば白く見えるのです。つまりオーロラは、本来、写真で長い時間露出したときの、緑色とか赤色に光っているのですが、人間にとっては、 色を見分けられないほど淡い光りだということのようです。

オーロラが出ている方向を確認しようとして、北を示す北極星を何度も確かめる機会がありました。北斗七星とかカシオペアから探すのですが、日本だと 一方が 真上だと他方は地平線に近くなるのに、ここでは両星座とも同時に頭上に見えるのが印象的でした。北極点に立てば、360度どちらを向いても全部南でありま す。北極点といわずとも、フェアバンクスでもそんなムードは感ずることができました。北極星に向かって右手の方向は、東というより、「ほとんど南、一寸だ け東」なのですから。また、黄道上にある獅子座、乙女座などが地平線近くに見えるのも、天球儀を廻しているイメージがありました。


北極圏ツアー

オーロラ・ツアーには、正午頃食べるブランチと、夕食との間の時間を利用して、犬ぞり、マッキンリー山遊覧飛行などオプショナル・ツアーがいろいろ 用意さ れています。私は北極圏ツアーというのに参加しました。

朝11時、ホテルから中型バスで出発しました。外見はクラシックなボンネット型ですが、中味は立派なものです。20時頃まで食事はありませんから、 スー パーに寄っておやつを仕入れました。フェアバンクスから一路北上します。フェアバンクスの緯度は北緯64度50分、北極圏は北緯66度33分から北になり ます。緯度にして差の1度43分は、直線距離にしてほぼ190kmになります。さらに北へ進めば、アラスカの北極海沿岸、北緯70度あたりに有名なプルー ドーベイ(ノース スロープ)油田があります。

アラスカ パイプライン


地球の温暖化が進み、北極海航路に熱い眼差しが注がれていますが、まだ現状では海が開くのは夏の2ヶ月程度の話なようです。アメリカ最大のプルー ドーベイ 油田から、アラスカ南岸の不凍港バルディーズまで、原油は1300kmをパイプラインで送られています。パイプの直径は1m20cm、原油はパイプの中を 12日かけて旅するのだそうです。その原油は、アメリカで使われる石油の20%にあたるとのことです。1977年、パイプラインは約3年の日時と2兆3千 億円を費やして建設されました。建設やその後の保守のため平行して道路がつくられ、会社は道路を州に移管しました。ドルトン・ハイウエイと呼ばれる道で す。私たちはその道を走ったのです。

アラスカ第2の都市とはいえ、フェアバンクス自体が人口3万人ほどの小さな町ですから、すぐに人家を見ることのない森の中の道になります。なだらか な丘が 続いています。標高1000mを越すと思われる丘も見えますが、道路は400mほどの峠と、150mほどの谷間を上下しながら走っています。光景はモンゴ ルなどと同様、まことに大陸的なものでした。ただここでは、モンゴルの草原、チベット、オーストラリアの砂漠と比べると、森に覆われているので心がなごみ ます。


みちしるべ
・大学を示す氷の道標 (大学博物館)


もっとも、アラスカ大学の博物館の展示によれば、アラスカの南岸は、太平洋プレートが北米プレートに潜り込んでいる、つまり日本と似たような地殻の 動きを しています。北米最高峰マッキンリー(6194m)を主峰とするアラスカ山脈は、その作用によって立ち上がったものでしょう。とくにアンカレジあたりは、 伊豆半島同様、島嶼がぶつかってきている状況のようです。しかし600km以上も北方のこのドルトン・ハイウエイ周辺は、大陸が、ただ緩い侵食を受けてい る地形に見えました。雪が一面に積もって岩や土が見えないので、地質がわからないのは残念でした。                      

見渡す限りすべて永久凍土で、夏の間だけ表面が融けるのです。その土壌の浅いところはスプルース(トウヒ)林、土壌の深いところは白樺林になってい るとの 話でした。

走った道路の半分以上は、地図上でgravel road つまり砂利道と表示されています。走っていて、外観も乗り心地も舗装道路とまったく区別つきません。舗装などせず大気に冷やさせ、永久凍土のままに保った ほうがよいとのことです。とはいいながら、フェアバンクス付近を始めあちこち、舗装してあるところも結構あるのでした。

・かりかりと樹氷も乾く寒さかな


100kmほど走ったところで、スプルースの木に雪が凍りつき、有名な蔵王のモンスターの様になっていました。バスを降りて写真を撮ったり、橇で 滑ったり しました。そこは、まもなくユーコン川という場所でした。ユーコン川に近く、湿度が高いのでモンスターになるという説明がありましたが、真相は、ここが強 い風の通り道であるためだと思われます。ユーコン川は年間7ヶ月凍結しています。だから、まわり一体の雪原とくらべて、とくに湿気を沢山供給するとは考え られないからです。帰路にはオーロラ観察のために、この場所で停車し車外に出ましたが、それこそ寒風吹きすさぶ場所でした。面白いことにモンスターの雪は 樹の東側に伸びていました。それは風が日本とは逆に、東から吹いていることを示しています。日本は偏西風地域で、年間を通じての風向きは西風が卓越してい ます。ところが赤道付近の山に登ったとき、常時、東寄りの風、いわゆる貿易風が吹いているのを実感しました。そしていま、高緯度特有の極東風の圏内にいる ことを思い知ったのです。


まもなくユーコン川を渡りました。ユーコン川は全長3700km、我々が渡った橋が、この川に架けられた唯一の橋なのだそうです。石油パイプラインがなけ れば、人類と無関係の不毛に地なのです。この地点は河口のベーリング海から1000kmほど上流になると思いますが、GPSの高度は87mを示していまし た。考えられないほど平坦な土地なのですね。

ユーコン川  ・餌ねだる鴉あめつち凍るうち


河原に下りてみました。河幅は200mほどでしょうか、写真、映画で見る北極のように、大きくいえば平らな氷原ですが、犬ぞりで進もうとすれば邪魔 な凸凹 があるといった風景でした。

バスに戻ってくると鴉がいました。カナディアンロッキーのコロンビア氷河のときも鴉が印象的でした。鴉君はどうも我々一行に餌をねだっている様子で す。こ んな極寒の雪の世界で、普段はどうして生きているのでしょうか。資材運搬のトラック運転手が何か与えるのでしょうか。こんな最果てのドルトン・ハイウエイ ですが、走っていた16時間の間に20台ほどは巨大なトレイラーとすれ違いました。

日も暮れかかる頃、いよいよツンドラ地帯に入ってきました。ツンドラというのは、木のない平原を意味する北国の人の言葉なのだそうです。極低温のた め植物 の成長期間が短く、木が生えず、草や苔しかないのです。北極圏もほど近く、赤い太陽が低く力なく照らす荒涼たるツンドラ地帯を走りながら「はるばる来ぬる 旅をしぞ思う」の心境でした。道路脇のアークティク・サークル66°33’と書かれた丸いモニュメントの前にバスは止まり、その前でまるで女優さんのよう なポーズをとって、つぎつぎと記念撮影が始まりました。

・北極圏空気凍て果つ夕茜、


なんとそのパフォーマンスの一番乗りは、たった一組しかいない中国人の若いカップルさんでした。フェアバンクスのオーロラ・ツアーは、まだ、ほとん ど日本 人の独占といってもよい状態です。でもいずれは韓国・中国人が主なお客さんになってくるのでしょう。

前述のように、バスの中で弁当を食べ、オーロラを見ながらホテルまで帰ったのです。午前11時から翌朝の5時まで、18時間のバスツアーでした。我 々お客 は眠たくなればウトウトすれはよいのですが、凍りついた雪道を運転する運転手は終始たったひとり、それも女性だったのです。じつに慎重な運転をしていまし た。ホテルに帰り着いたとき、彼女に「本当に慎重・安全な素晴らしい運転でしたね。私はニューヨークで雪道の運転を習ったので、よくわかりますよ」と讃辞 を呈しました。彼女は「えーっ。ニューヨークのどこ?私はフィンガーレイクスからきたのよ」。「僕はスケネクタディにいたんだ」と妙なところで話が合った のでした。


・目を伏せてオーロラ恋うや雪女


アラスカ

アラスカは1959年1月、アメリカ合衆国の49番目の州になりました。ちなみにハワイは半年遅れで編入され、50番目の州になったのです。アラス カ州の 面積は日本の4倍、合衆国全体の面積の5分の1で、米国一広い州です。人口はわずか70万人ほどです。

ご承知のように、ロシアはクリミア戦争後、財政難におちいり、1867年、米国にアラスカを720万ドル(1km2たり5ド ル・計約100億円)で 売ったのでした。フェアバンクスは極寒不毛の地ですが、1896年、金鉱が見つかり、一時期、ゴールドラッシュに沸きました。第二次大戦、冷戦時代には軍 事上の重要地点として活況を呈しました。確かにこの地方は、世界の頂点を自称するように、北半球全体を睨む位置にあります。アンカレジから東京へは 5500km、ニューヨークへは5400km、ロンドンへは7200kmなのです。その後デタントの時代には、基地の意義は薄れ、また冷や飯の時を迎えま した。1970年ごろからは、アラスカ油田の時代がきます。今度は自然保護、先住民族イヌイットやインディアンの権利主張と時代は変わっていました。資源 開発の代償として、石油収益の25%を地元に投下する条件を獲得したのです。労働と関係のない金で潤うことの弊害も噂されますが、ともかく現在のフェアバ ンクスには、アメリカらしく清潔な活力があるのは事実です。何事にも束縛があり閉塞感の漂う日本より、若者たちは魅力を感ずるべきだと客観的には思うので す。

日本にもアイヌの問題があります。神様がアダムを造ったとき、地球はアダムのものでした。イブに子供が生まれたとき、アダム家のものになりました。 いまや アダムの子孫、つまり全人類が平等な土地権利を持っているような気もします。ところが、国境は戦争で決めるものだ、実力で住んでしまったものが勝ちだと言 わんばかりの現実もあります。考えるだけならば無料ですから、いろいろ空論を回らしていると、暇つぶしにはなります。


・氷像の眼差しなにを語るらん


アラスカは緯度が高く、太陽のエネルギーを斜めにしか受けられません。気温が低いのです。月間の平均温度がプラスになるのは、5月から9月までの 5ヶ月だ けです。私たちが行った3月は、平均気温がマイナス11.6度です。氷の彫刻選手権世界大会が開かれていました。3月とはいえ。まだ、融けるという言葉を 忘れていてもよいのでしょう。

毎日、空はすっきりと晴れていました。そしてほとんど無風でした。日さえ照っていれば、数字のわりに寒くは感じません。屋外でも、名古屋の普段の服 装で、 どうということはありませんでした。ましてや屋内は、私のあばら屋よりよっぽど快適でした。

気温が半端じゃなく低いことを、もっとも端的に感じたのは、雪道が滑らないことでした。雪で滑るのは、多少水分があるか、または靴裏の圧力がかかっ て氷が 溶けて水になるか、そのいずれかで存在する水分が潤滑剤となるからです。雪の粒が、踏んでも融けないほど冷えていると、まるで砂と同じなのです。

角張ったスノータイヤを履いた大型バスは、雪道を、おそらく百キロはあろうというスピードで走ります。もちろん無謀ではなくて、どんなときに滑り、 どんな ところは大丈夫なのかの判断が、経験で身に付いているに相違ありません。もちろん人間の靴だって、ほとんど滑りません。唯一、町の中心部の駐車場で、車が 頻繁に出入りする所がテカテカに光っていました。ここは滑るかもと思っているうちに、私はツルンと滑って転びました。これが今度の旅行中に見た、ただひと りの転んだ人でした。

最後にもうひとつ。

日本に帰ってきてから「なにせひどいところさ。フェアバンクスは年間平均気温がマイナス2.9度、雨量が年間たったの276ミリ(名古屋は1500 ミ リ)、いくら走っても人家などない。人が生きてゆくのに難しいところさ。今まで訪ねた場所で人がウジャウジャいたのは、世界ではインド、日本では瀬戸内 海、やっぱり暖かなほうが人間には生活しやすいんだ。歴史を見ても温暖な時期に人類は繁栄してる」と持論を展開したところ「人がいないのも素敵じゃないで すか」と言われてしまいました。確かに現在では、アメリカの国立公園の3分の2がアラスカにあるのだそうです。他人は生活 できなくて無人地帯、そして自分はレジャーで遊びにゆけるというのが最高です。他人と自分とを、うまく分離して考えられるのが、現生人ホモサピエンスの長 所でありましょう。それにつけても3万年前まで一緒に住んでいたネアンデルタール人は、どんな思考体系をもった人たちだったのかなと、この暇人は考えるの です。


追憶

オーロラの光りは、放電現象なのだそうです。太陽の表面から、太陽風と呼ばれるプラズマが、宇宙に流れ出しています。そのプラズマが地球の 磁気に捉えられ、大気に突入し、空気を構成する窒素、酸素と衝突し、電子が乖離、再結合する、その放電エネルギーが光りになるのだそうです。

どうです、ここではわざと難しい言葉を使いました。というのは、私は卒業研究に「気体中の放電」というテーマを選びました。だから歳をとった今で も、プラ ズマとか再結合のエネルギーなどと聞くと、うずうずしてくるのです。60年前、真っ暗な暗室の中で放電の実験をしていました。平板と針を数センチ離して配 置し、その間に電圧をかけ、電圧調整器でだんだん電圧を上げてゆくのです。針の電圧がプラスかマイナスかで、放電の様子が違うのです。針がプラスの場合 は、針の先端から細い枝のような光りが、チョロチョロと、盛んに出たり消えたりしています。電圧が高くなり、光りの枝の先端が平板に届くと、パチンと主放 電になります。一方、針がマイナスの場合は、針の先端の周りがボーッと静に光り、さらに電圧を上げるといきなりパチンと主放電になります。ここで述べた各 種の放電現象に伴う光りは、全部プラズマ、つまり電子とプラスイオンがウジャウジャ混じり合い、離れたりくっついたりしている状態なのです。

オーロラを待っている暗闇のなかで、実験を指導してくださったS先生、K先生のお顔が、しきりに思い出されるのでした。お二人とも日本電気学会の会 長を務 められました。そして、社会人になった私をずっと可愛がり見守って下さいました。もう亡くなられましたが、いつか、私を暖かく迎えて下さる気がしていま す。

私もお迎えが近い歳になりました。先日、信仰の山シリーズの登山を完登しました。いまこうして青春の日の夢、天空の放電現象オーロラも見ることがで きまし た。なんという幸せかと思わずにはいられません。


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