題名:71才のじじい、席を譲る

重遠の入り口に戻る

日付:2001/8/12


実は、この話はしたくはなかったのです。それは、自分の善行を吹聴していると思われたくないからであります。

 

「陰徳あれば陽報あり」という言葉があります。良いことをしたときは、口をつぐみ秘していれば、良い報いがあると言う意味です。

喋って良い気分になったら、その場でもう良い報いは終わってしまうということでもあります。

その点では、私は陰徳を施したなどとは本心から思っていませんから、

来るはずもない陽報など問題にしてはいないのですが。

 

家内の母親が米寿を迎えました。

品川にあるプリンスホテルで、親類一同集まり、お祝いしました。

 

帰りの新幹線は、15時25分発を予約していました。

東京駅に着いたら、14時50分でした。

名古屋の家で愛犬の「あいちゃん」が、小便をこらえて待っていることを思うと、1分でも早く帰ってやりたいと思いました。

窓口へ行き、早い列車に変えて下さいとお願いしました。

15時14分の、真ん中のC席ならありますが、それでいいですか、と教えてくれました。折角、窓際の指定席を持ってるのに、11分早めるために真ん中の席にするんですかと、やや疑問を抱かれ、念押しされたようでした。

なにせ11分でも早いは早いのですから、それにして下さいとお願いし変更してもらいました。

ホームに上がってみると、もう一本前の15時07分発の列車が出かかっていました。

客室を覗いてみると、まだ席が空いているようでした。とっさに飛び乗り、5号車、禁煙車自由席の3人掛けの真ん中の席に座りました。こんなことになるなら、駅員さんに要らない手数を掛けさせるんじゃなかったと、申し訳なく思いました。

 

新橋を過ぎ、浜離宮跡を開発したことも、昔のことになったなと思った辺りまで覚えています。

次ぎに目を覚ましたのは、新横浜を発車するときでした。

米寿祝いでアルコールが入り、ウトウトしたあとのモウロウとした頭に、隣の人がどうぞと席を譲ったのに気がつきました。

見ると老夫婦が、新横浜から乗ってこられたのです。そして私の隣に座っていた人が、そのおじいさんの方に席を譲ったのでした。老夫婦は私よりも一回りほど年上らしく、付き添いの娘さんがついておられました。

 

私は、また、とっさに「どうぞ」と、そのお婆さんに席を譲ったのでした。

お婆さんは両手を合わせて、お礼をして下さいました。

ひかり号ですから、次の停車駅は名古屋なのです。

 

前のとっさの場合に、私の頭の中で回っていた思考は「早い列車に座って行ける」という考えでした。

あとのとっさの時は、「神様の目には,立つべきなのは私、座るのはお婆さんと見えるだろう」と考えたからです。

神様など持ち出しましたので、宗教論議臭くなったのですが、これは父が「神様の目から見たら・・・」とよく言っていた神様のことです。

何でも西洋のことわざに「男と女が2人きりということはあり得ず、必ずもう1人、悪魔が一緒にいることを忘れるな」というのがあるそうです。

父が言っていた神様は、この諺に出てくる悪魔のお友達みたいな神様なのです。

悪魔は誘惑し、神様は罰を当てるだけの違いです。

この神様は、宗教上の絶対者というより「素直に見て」とか「公平に見て」といったぐらいの基準のように思われます。

 

そう言うわけで、老人に席を譲り、ささやかながら良いことをしたような気分ではありました。

デッキに立っていると、やはり席のなかった若いおばさんが来て、名古屋弁で「立タナイカント、エーライねえ」と言いました。そしてバッグから紙を出して床に敷き、腰を下ろされました。

そのとき、新幹線で横浜から名古屋まで1時間45分立ってゆくことなど、私としては、ほとんど大変なことの部類だと思っていないことに気がつきました。

その週の始め、朝、名古屋から尾鷲まで車を飛ばし、高峰山と姫越山に登り、その日の中に帰ってきました。それぞれ登り1時間40分と1時間30分、下り1時間10分と1時間でした。

私がそんなことをしたのを、神様が見ておられたと考えてもよろしいですし,また無神論の立場で見たって、そういう行為があったのは事実なのです。2時間歩くことよりも、2時間じっと立っているほうが苦痛だよ、という議論があるにせよ、私が年上の人に席を譲らないでいる理由にはならないのです。

 

介護手帳を頂いている正札付きの老齢になってから、新幹線の中で他人に席を譲ることが起こるなんて、考えてもいませんでした。

 

乗る予定を何回も変えた列車の、しかも、いつもなら1号車か2号車に乗るのですがその日は急に飛び乗ったので、たまたま5号車だったのです。

新横浜で、自由席に乗ってこられたご老人たちは、どんな事情をお持ちだったのでしょうか。

そして、隣の人が席を譲らなかったら、私も気がつかなかったでしょう。

 

私が席を譲ったことは、このように幾つかの偶然が重なった、まったくの巡り合わせであり、つくずく縁は異なものと思うのであります。

そして同時に、こんな縁に巡り会えて、私に与えられている健康の有り難さに、つくずくと思い至ったのでありました。

 

重遠の入り口に戻る