菅直人の想い出

菅直人の想い出

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2012年12月2日、中央道笹子トンネルの天井板が110mにわたって突然落下した。走行中の車が巻き込まれ、9名の死者を出した。


昔、総理大臣をしていた菅直人という男がいた。

トンネル事故を聞いたとき、もしも今、彼が総理の座にあったら、日本中のすべてのトンネルを閉鎖、通行止めにしたことでもあろうと私は感じた。

彼は思い込みの人であっった。

彼は東日本大震災のあと「1億分の1でも1回で地球が崩壊するようなリスクは取れない」と断じ、当時なんとも実態の分かっていなかったストレステストなどいうものに独断で飛びついて、日本中の原発を停止に追い込んだ。

当時、周りから見捨てられていた彼が、人類にとって不倶戴天の敵、原発を止めた英雄として国民の人気を取り戻し、政権を維持したかったからだという声も聞かれた。


ともかく,ストレステストなどいう言葉が忘れられた現在でも、原発は関西電力大飯発電所2台だけの運転にとどまる。この2台だけは、電力の供給のため背に腹は変えられず、すったもんだの議論の後、運転に入った。

大量の原発停止のため、日本では増分燃料費として毎日800億円もの金がが海外に流れ続け、どんな形にせよ、それを国民が負担せざるを得ない事態を招いている。

菅は「ひとりの人の命は、地球よりも重い」そんな言葉が好きな性格で、扇情的なアジ文句を叫び、デモ隊の先頭に立つことに生き甲斐を感じるようなタイプの男だった。


実際には、今回のトンネル事故に関しては、物理的に通行ができなくなった笹子トンネルを除いて、日本中のほかのトンネルでは問題を抱え緊急点検を行いながらも、閉鎖は避けられた。

菅直人が総理だったら閉鎖しかねかったのに、野田幸彦がその職にあったこともひとつの原因ではあるが、やはり大きな原因はトンネルというものと原子力発電所というものの違いであろう。


トンネルと原発の違いを、構成要素、安全度を判断する手がかり、設備閉鎖の影響の3点から考えてみた。


まず、構成要素の面で見てみよう。

トンネルの場合は、重さ約1トンのコンクリート製の天井板、それを吊り下げる鋼鉄製のボルト、それを岩盤に接合している接着剤ぐらいが構成要素であり、専門的知識のない人にも分かりよい。


原発の場合は、その構成要素の種類や数量を、一体どう説明したらよいかで途方に暮れてしまう。

ボルト一つをとっても、使われる場所や用途によって、直径数センチのものから何ミリという太さまで、多種多様のボルトが何億個と使われている。

電気のスイッチにしても、家庭で使っていると同様の電灯用のものから、送電線用には何万アンペアもの大電流を0.05秒というような短時間で遮断するものまで多種多様なスイッチが大量に使われている。

このように原子力発電所の構成要素は、もう普通の人では、その理解能力と使える時間との制約から理解できない領域に広がり、その記述は専門家の集団にまかせるよりしかたがないと考えざるを得ない。


つぎに安全度を判断する手がかり考えてみよう。

トンネルの安全度はどのように判断しているのだろうか。

トンネルのうち道路トンネルは、全国で6000箇所、2000kmもあるといわれる。

報道されるかどうかは別として、道路や鉄道のトンネルの事故は、ないわけではない。

鉄やコンクリートのような素姓の知れた人工物のほかに、人間でコントロールすることができない岩の強度や化学組成、地下水の量と性状、破砕帯や断層の活動の程度などの問題がある。日本の岩盤には、太平洋プレートの沈み込みや火山活動により圧力がかかり、大なり小なり歪が蓄積されているのが普通である。

2008年、北海道の豊浜トンネルの岩盤落下事故では、バス1台と乗用車2台が巻き込まれ20人が全員死亡した。

ただ、国民がトンネルの安全度を判断する場合、何事もなく通過するケースの数が圧倒的に多く、かつ、そのことを自身の体験として判断できる。

したがって、絶対に安全だとこそは思わないが、通るのをやめようと思うほどは危険でないと判断している。つまり気にしないでトンネルを通っているのである。

排気ガスの健康被害はどうだろうか。自動車の排気ガスには一酸化炭素(CO2)、炭化水素(Co)、窒素酸化物(NO)あるいは粒子状物質(PM)などの有害物質が含まれる。長いトンネルでは 、対策として強制的に換気が行われているが、ともかく、トンネル内の有害物質の濃度が、トンネルの外よりも高いことはいうまでもない。それぞれの有害物質については、許容範囲や現地の実測値などがあるが、これに関心がある人に出会ったことはない。これも 実際上の問題がないことを 自身の体験として判断しているからである。


さて、トンネルとの比較において、国民は放射能について安全性をどのように判断しているのだろうか。

原発として取り上げる場合、その不安の主なものは、放射能による健康被害といってよかろう。

当然、放射能についても許容範囲や現地の実測値などがある。ところが排気ガスとちがって、その許容範囲内の環境で生活していて、実際上の問題がないことを自身で体験していながら、不安を抱き続けている。それは、いま被害がなくても、将来は被害がないと言い切れないと告げられるからである。

現実には、放射線医学の専門家からは、下記のような正確な情報も提供されている。

ふだんでも放射性カリウム40は人体の中に4000ベクレルあるのだから、プラス数十ベクレル、何百ベクレル入ったところで4000ベクレルに比べれば少なく、そんなに心配する量ではない。

あるいは、病気の治療には、はるかに莫大な放射線が使われている。バセドウ氏病では3億ベクレル程度で、アメリカのブッシュ元大統領もバセドウ氏病になり,ヨウ素131治療を受けたと聞いている。

現実に不安を抱いている人の様子を見ていると、放射能は遺伝子とかダイオキシンとかと同様、普通の人とは相性が悪いとしか言いようがない。その実態を説明して安心が得られるものではなくて、報道されなくなり忘れ去られることだけが心配除去の道であるように思われる。やはりトンネルとは違うのだ。


設備閉鎖の影響


日本中のトンネルがすべて通行禁止になったらどんなに困るか、それはクドクドと説明しなくても、国民は立ちどころに理解する。

それとの比較において、日本中の原発が停止したらどんなに困るかについての理解はどうだろうか。

原発停止によって起こる問題には、供給制限、突発的広域停電の問題、料金の問題などいろいろあるが、その影響のひとつ、電気価格の上昇の面について考えてみよう。

いろいろの考え方の国民がいる。

一方には、街頭でマイクを向けられ「生活に影響します。電気料金値上げ、絶対反対です」と絶叫するような、ほとんどものを考えることをしない国民もいる。

他方には、原発停止のため火力発電が増加する。追加に要する化石燃料輸入額は年間3兆円、これはどのみち国民が負担するより手段はない。エネルギー価格の上昇は産業界の国際競争力を低下させる。やがては産業の停滞、失業の増加につながろう。それもこれも菅直人の独断から起こったことで、それも元を糺せば軽率にも素人の寄せ集めである民主党に投票した報いである、と考える国民もいる。

どんな考えの人が、どんな割合なのであろうか。これは国の将来のために、本当は大事なことなのだ。

トンネル閉鎖の場合、国民が事態を見誤ることは考え難い。

原発停止の場合も、事態を正確に把握して、判断すべきことはいうまでもないが、この場合、国民が事態を把握できるのは、マスメディアを通じてしかない。

マスメディアには、原発についての事態を正確に理解し報道する能力はない。

それが原子力発電の本質的な体質であると思わざるをえない。


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