題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2016/6/11


Winchester Mystery House(庭めぐり編):U.S.A. San Jose(2016/5/08)

ライフル展示エリアには山ほどライフルが展示してあり、詳しい人には感涙ものなのだろう。私には

「ああ、これがボルトアクションね」

くらいのことしかわからない。というわけでさっさと出てしまう。先にはこんなエリアがある。

外に出た

さて、問題です。ここで写真を撮っていいものでしょうか。よくわからないが、お土産売り場から直接来たわけだし、お金を払って回るエリアじゃないから多分大丈夫だろう。というわけで今まで写真をとれなかった反動もあり、ばしゃばしゃ写真をとる。

どうもここらへんは本宅の周りの家とかそういうものらしい。少し先に行くと、先ほどの本宅を外から見ることができる。

外観

あそこが外を眺めていたエリアだろう。

外を見るテラス

Mansion Tourの最中にも見たが、ヘルメットをかぶって巡る別のツアーもある。その人たちが前を歩いている。

マグカップ

私はまだ「ここで写真をとっていいのか」どうか不安に感じている。しかし同じエリアに先ほどのツアーで一緒だった韓国人家族がおり、ばしゃばしゃ写真を撮っている。ヘルメットツアーの案内人から当然目に入るはずなのだが、何も言っていないから多分大丈夫だろう。というわけで安心してばしゃばしゃ写真をとる。

ちなみにこの韓国人一族はおそらく息子夫婦がこちらに住んでいるらしい。子供達は英語しか喋らない。逆にじいちゃん、ばあちゃんと思しき人たちは韓国語しか喋らない。他にはインド人の一団、アメリカ人家族の一団がいた。アメリカ人家族には三人子供がおり、一番小さい子は推定年齢1歳くらい。途中で100万馬力の力で泣き出す。しばらくしてその一行はツアーから離脱した。子供の泣き声とは実に偉大なもので、体は小さいのにガイドさんの声をかき消すほどの音量がある。第2次大戦時の映画で、隠れている時子供が泣き出しそうになるのがあったなと思い出す。確かにこればかりはなんともならない。

話を戻そう。これが正面から撮ったもの。

正面から見る

左右対象のようで、微妙にずれている。そのズレ具合がなんとも言えず不安を誘うが、これはVictoria調の建物では普通のことらしい。しかしながらこのように「開けて外に出ると落ちるドア」というのはここにしかないとのこと。

どこにも通じないドア

下に"DOOR TO NOWHERE"と書いてある。ドアをあけて一歩踏み出すと下に何もない、というのは映画ではよくある。ここはそれを地で行っている。少し引いてその周りの構造を見よう。

奇妙な構造

なんともいえず奇妙かつ複雑な構造に見える。これがVictoria調では珍しくないなのか、何らかの異常を示しているのかは私は判断がつかない。

黒いところは、彼女が死んだ時に改装中だった場所なんだそうな。そう思ってみると、外に黒い壁のエリアが結構あることに気がつき驚く。

黒く塗った場所

といったところでここの見物はおしまい。最後土産物屋をでるとき、こんな表示に気がつく。

Warning

警告

このエリアには胎児、もしくは出産に悪影響があるとカリフォルニア州で認定されている物質が存在しています。


そりゃ古い建物だから、今の基準なら「健康上このましくない」部材もやたら使われているんだろうな。これを掲示しておかないと訴えられるとかそういうことがあるんだろうか。あるいは掲示しておいても訴える人がいるとか。

いや、そんなことを考えている場合ではない。さあ帰ってばりばり文章を書こう(なんせ内部の写真がないから記憶に頼るしかない)と思ったが例によって話は簡単に進まない。

来る時に「帰りはあそこから乗ればいいや」と思ったバス停にたどり着くにはまたもや大通りを横切らねばならない。こちらでは人などはねた時にはものすごい賠償額を取られるから皆異常によく止まると知ってはいるのだが、車がびゅんびゅん走っている道を渡るのはやっぱり怖い。例によって小走りで渡り切るとほっと一息。ところがバス停はまだ遠くなのにバスが止まっている。

「うぎゃあ」

今から走っても到底間に合いそうにない。しかしよく番号を見れば私が使うのとは別のバスだった。ほっと一安心。次のバスはまだかいな、と座っているがなかなかこない。時間は過ぎていくが目の前を行き過ぎる車を眺めるしかやることがない。(本など読んでいてバスを乗り過ごしたら目も当てられない)すると、今の日本ではまず見かけないような古い日本車が走っていることに気がつく。最近日本でシビックを再販売することにしたらしいが、あんなのシビックではない。私が好きなシビックはこれだ、というのを何台も見かけうれしくなる。

それとともに今日見てきた家のことを考える。ウィンチェスター氏を突き動かしたものはなんだったのだろう。案内の説明がそうなっていたからかもしれないが、私が感じたのは奇妙さより、

「とにかく新しいことを取り入れよう」

という夫人の姿勢だった。エレベーターとか工夫された室内植物園とか洗濯場とか。言い伝えによれば週7日、1日24時間改築作業をしていたそうだからそこになんらかの異常性はあるのだが、私が日本で巡った数々の珍物件と比較すると、狂気よりは普通の理性を感じる。となると最初に挙げられた二つの説のうち、真実に近いのは

「彼女は建築の教育を受けていない素人だった」

となるんじゃなかろうか。悪霊を追い払うだけが建築の動機だとすれば、あそこにはもっと変なものがうじゃうじゃあってもよかったと思うのだ。公式サイトの記述によれば結局本当の動機についてはなんの記録もないらしい。彼女の死後40年以上も生きた関係者もいたらしいのだが、少なくとも彼らと彼女たちの言葉は残っていない。それは単にインターネットがなかったからなのか、あるいは使用人が彼女のプライバシーを尊重しようとしたからなのか。もし後者だとすれば彼女と使用人の関係は良好だったことになる。(少なくともある意味において)

とかなんとか考えているうちに、とうとう目当ての25番のバスがやって来る。やれうれしや、と立ち上がる。ところがバスは私を無視して走り去る。これはどういうことか。すぐ先の交差点を右折(アメリカだから小回りだ)しようとしている。反射的に追いかける。

そのすぐ先に別のバス停があることに気がつく。しまった。この路線のバスがとまるのはあっちだったか。幸いにもそのバス停で降りようとしている人がいるらしい。バスは停車している。なんとか間に合ってくれと走り続ける。

私を救ったのはその乗客がバスの前に自転車をくくりつけていた、という事実だった。彼がゆっくり自転車を下す間にバスに追いつき事なきを得る。バスは停車したり、くるくる回ったりゆっくり進む。あとで時計をみれば30分近く乗っていた。周りがメキシカンな雰囲気に包まれたところで下車。さあ、部屋に戻って何か食べよう。

  Tour編へ| 次の章  | 一覧に戻る | 県別Index


注釈