題名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る
日付:2011/10/21


みちのく伊達政宗歴史館:宮城県(2011/9/17)

というわけで私は松島駅の改札をくぐり抜ける。切符を買った後に気がついたのだが、ここはJR東日本の管轄内。だから、いつも使ってい る PASMOが使える。というわけで改札機もいつもくぐっている物と同様である。しかし確かにここは宮城県松島。駅前にある看板を見る。

松島

さっきから私の頭の中では「三景艦」という言葉がぐるんぐるんしている。30cm砲連装2基を備えた鎮遠・定遠に対抗するため、 32cm砲一門を無理矢理のせた松島、橋立、あと一隻なんだっけ。とにかく松島といえば日清戦争の巡洋艦なのだ。

しかし今はそんなことを云々している場合ではない。肩にはずっしりと重い荷物がのしかかっているがそれを気にしては負けである。おそら くこちらだろう、と思う方向に歩き出す。川に沿って歩いて行くと車がたくさん通る道にでる。そこを右手に曲がる。

てくてく歩くと、小学校が見えてきた。校庭ではおそらく一年生が運動会の練習している。体育館の窓にはス ローガンが張り出されており、その中に復興という文字がある。ここはまさしく津波の被害を受けた地域である。

いや、今は感慨に耽っている時ではない。近くに地図があるので自分の居場所を確認する。まだ目的地までは距離があるようだ。もうすぐ彼 岸というのに まだ暑い。普段住んでいる場所からかなり北に来ているのに暑い。しかしそんなことを考えても何の役にも立たぬ。とにかく進むのだ。そのう ち左前方にこんな物が見えてくる。

オルゲール

今日の目的地の一つ、ベルギーオルゲールミュージアムである。しかし何か様子がおかしい。よく見ればなんと閉鎖されているではないか。 来るのが遅かったか。いや、ここでめげている場合ではない。目的地その1はこのすぐ先の筈。そう思って進み続けるとこんなものが見えてく る。

看板

きっとこれだ。肩にくいこむ荷物の重さも忘れ足が速まる。少しカーブを曲がった先に、こんな立派な門がある。

門

ここだここ。受付で、一般一枚御願いします、とチケットを購入する。左手の自動ドアからお入り下さい、と言われる。見ると確かに 自動ドアがある。くぐると受付にいた女性がでてきて

「お荷物をおあずかりしましょうか?」

と聞いてくれる。ありがたい。この重い荷物を抱えて見て回るのはいやだなぁと思っていたところだった。帰る時気がついたのだ が、ここには有料のコインロッカーが存在している。だから「短期的収益最大」を目指すのであれば、「荷物は表のコインロッッカーをご利用 ください」と言ってもよかった筈なのだ。私は心から感謝して荷物を預ける。

さて、というわけで見回り始める。まずでてくるのがNHK大河ドラマのポスターである。

ポスター

見て気がついたのだが、主役はかつての渡辺謙である。若いなあ。そう思ってみて行けば「いかりや長介」はまだ元気だったし、今は遠いと ころで行ってしまった桜田淳子まででている。これ何年前だったのだろう。

その先からは人形エリア。伊達政宗の生涯を、人形を用いた展示で解説してくれる。人感センサーが設置されているらしく、近づくと解説音 声が 流れる。5歳の時に天然痘を患い、命はとりとめたが片目を失ったとのこと。伊達政宗という名前は知っているが、どんな人かしらなかった私は神妙 に解説を聞き、人形達に見入る。豊臣秀吉には3度殺されそうになり、そのうち2度は白装束で現れることでなんとか回避したのだそうな。こ れは1回目。

一階目

2度目には、金ぱくをはった十字架をかついでいく「演出」ぶりである。

二回目

十字架かつぐだけならともかく、金ぱくはろう、って誰が言い出したのやら。この時代の武将は「演技、演出」もできなくては生き延びる事 ができ なかった、ということか。

全般的に私のような不心得者がつけいる隙のない展示なのだが、そこかしこに注目する点がある。

人形

これは伊達政宗が居並ぶ家臣になにやら説明する場面。この家臣達のリアルな表情に注目しよう。人形の表情がマネキンのような画一的かつ現実離れした顔では なく、妙にリアルである。それは男女共通の特長なのだが、女性の表情に味わ い深い物が多い。

花見の付き合い

これは武将達が花見をしながら和歌なぞ作っているときの様子なのだが、この女性の表情はどうだろう。素直に武将達の様子を微笑みつつ見 ているようにはみえない。

「あー、オヤジたちウゼー。だけどとりあえずスマイルスマイル」

という心の声が聞こえてくる、というのは言い過ぎか。というか今写真を見直して気がついたのだが、女性の顔がみんな似通っている気がす る。

花嫁

これは11歳で嫁入りした正宗の正室。全く同じとはいわないがどこか似通った顔立ちだ。

他にはこんな場面もある。

授乳

ここにはおそらく小学校高学年とか中学1−2年生も来るのだろう。男子はここで大喜びだったり、「なんでもないんだよー」という顔をし ながらしっかりと見ていたりするのではなかろうか。

少し先に行くと、見学した中学生、小学生からの心温まる手紙が張ってある。読んでいるとどうにも定型的でいかにも「手紙の書き方を学び ましょう」という国語の成果が伺えなんだか不自然であ る。他にも「戦国BASARA」なるポスターやら関係者の寄せ書きのようなものがあるのだが、そもそもそれはなんなのだ。

さて、話は伊達政宗の生涯であった。10代から20代は戦に明け暮れたが、徳川時代になってからは東北の産業振興に尽力したとのこ と。地元で人気が高いのは武将としてより、そうした平和時の統治能力によるものなのだそうな。展示の最後には黒々とした鎧を身に着けた伊達政宗 の人形が座っている。しかし私の目を引いたのはそこではない。

世界水準

いや、そう堂々と言い切られても。またこんなコーナーもある。

再現された顔

2種類の方法で復元された伊達政宗の顔なのだそうな。顔の輪郭だけは似ているのだが、顔つきは似ているような、、似ていないような。ボ タンを押すとコンピューターが再現した声で和歌など読みあげてくれるのだが、そもそもどちらの顔で再現したのだ。どっちでも同じなのだろ うか。

といったところで展示が終わりとなる。なぜそれがわかるかといえば土産物屋にでるからだ。先ほど荷物を預けた入り口に行こうと思えば、 一旦外に出る必要がある。では、と出ようとしたところで気がついた。出口付近に震災時及びその後の様子を示す写真が貼ってある。

松島は他の地域に比べ被害が少なかったと聞いた。それは松島があるためだ、とかなんとかの理屈はともかく、それは「比較的少なかった」 のであり、「少なかった」のではないことを知る。今は津波の後を思わせるものは何もないが、

「ここまで津波がきました」

と書いてある線の高さは尋常ではない。下の写真中の赤い→である。

津波

一階には本来「東北出身の有名人達」というコーナーがあるのだが閉鎖されたままである。先ほどみてきた伊達政宗の生涯は二階。これは幸 運なことであった。もし一階二階が逆だったら被害は甚大なものになっていただろう。

などと考えながら外にでる。先ほど荷物を預かってくれた女性がおり、荷物を出してくれる。目の前にはこんな建物がある。

伊達カフェ

私は滅多にお菓子の類いを食べないのだが、ここの親切さにご機嫌となったのと

「ずんだらソフトクリーム」

という文字の力に負け、ソフトクリームを食べる。値段は300円。IKEAにいけば、バニラのソフトクリームが50円で、などと考えて は負けである。外にでてぼんやりとしながらぱくぱく食べる。何とも言えぬ味だが、悪い感じはしない。遠くにはぼんやりと城のような物が見 える。

次の目的地

ここが次の目的地だ。ソフトクリームを食べ終えると荷物をもって立ち上がる。

前の章| 次の章   | 一覧に戻る | 県 別Index


注釈