題名:巡り巡って

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日付:2009/5/25


「機動戦士ガンダム」1/1立 像: 東京都(2009/7/19)

さて問題です。なぜ7月には祝日がないのでしょう、というわけで誰かが作ってくれた海の日のおかげで3連休である。

もちろん家族の一員として果たすべき役目はてんこもりである。朝洗濯物をほし、朝食の準備を手伝い、必要な買い物にでかけ子供に本を読 む。しかし3連休は偉大だ。映画を一回見てもまだ自由になる(もちろん子供を一緒に連れて行くという条件つきだが)時間が存在するようなのだ。

この像は正式公開前からネットで話題になっていた。書かれた記事も多いし、写真や動画の類いもたくさんある。それらを見てい るとあることに気がつく。文章にかかれた感動と写真、動画がマッチしないのだ。つまりネット上の写真を見ている限りではなぜそれほど人々の心を動かすのか わからない。あるサイトにはこう書いてある。

この存在感!この重量感!

 これはちょっと熱いですよ!

 公開前にもかかわらず、公園にはけっこうな人が来ていました。スーツ姿のサラリーマンが連れ立って見に来たり、子供連れの親子がいたり。

 「パパ―、ガンダムだー!」

 ってお父さん子供に何を教えてるんすか。でもね、みんなすごく楽しそうなの!笑顔なの!

 サラリーマンが口々に

 「仕事の疲れが消えるわ―」

 だの、

 「こういうのを作らなきゃ駄目なんだよなぁ」

 などと言うんですよ!わかる!わかりますよ!このオブジェには子供の頃に見た夢や技術、憧れ、そういったものが詰まりまくってるんです!本当に圧倒され た!

ろじっくぱらだいす | 日想(2009年6月中旬) から引用

というわけで7/19の日曜日である。どのくらい混むか予想がつかなかったのでブログで調べる。どうも10時半くらいから人がどっと増えるようであ る。であれば早起きせねば。

と いうわけでいつもより一時間くらい早くご飯を終え、さっそく出発。最寄り駅から地下鉄にのる。乗り換えのところで子供がどこかのお母さんに話 しかける。どうやら、息子の友達のお母さんらしい。ガンダム見に行くんだよ、とでもいったのか、お母さん達は”やっぱりみんな行くんだ”と言っている。そ うです。いくんです。ああ、今日一日晴れでもなく雨でもありませんように。

そこからてこてこ電車にゆられ、さらに山手線に乗り換える。子供達はだんだん飽きてくるが

”この次の電車おもしろいから”

といってなだめる。新橋に着けば、ゆりかもめの新橋駅は恐ろしい状況。この写真は帰り(11時半頃?)にとったものだが、10時頃もこんな状況だっ た。

混雑する新橋駅

人 の山である。私はしらなかったのだが、お台場というところには遊ぶ場所がたくさんあるらしい。おまけに夏休みは始まったばかり。どうかこの人たちがみんな ガンダムを見に行きませんように。なんとか人ごみをくぐり抜けホームにたどりつく。すでに一両電車がきているが、人で満杯。次の電車に並ぶ事 にする。

ほどなく次の電車が到着。人が降りたらさあ乗りましょう。しかし子供に機敏な行動を期待するのは無理だ。というか彼は一番先頭に乗 りたいのだが、すでにそこには人がいる。ここで我慢しろ、ととにかく席に座らせる。人がつまったところではい出発。ほらレインボーブリッジをわたるんだ、 と子供に解説をしながらお父さんは遠く遠くを見つめる。方角としてはあそこらへんにあるはずなのだが。

それを見つけた瞬間私は小声で

”あっ、いた”

と叫んでいた。後から考えれば像なのだから”あった”というべきなのだが、”いた”と言ったのだ。この言葉にはこのあと何度か出会う事になる。夢中 でカメラを向けるが、人間の目の解像度には及ばない。とれたのはこんな写真である。

遠景

え えい、もっと近くによらねば。そう考えている間に電車は快走を続ける。次で降りるからね、と子供達にいいきかせしっかり手を握る。どっと人が降りる。階段 も人の波。とはいえ子供が踏んづけられることを危惧するほどではない。改札をくぐり抜けさてどちらだ、と思えばちゃんと

”ガンダム→”

という張り紙がそこかしこに張ってある。

矢印

とにかく張り紙通りに歩く。近くにいた若い人が

”なんだか男性の比率がぐっとあがったと思わない?”

というが、私にはそうは思えない。いろいろな人が矢印に従って歩く。あの立像に対面するのだ、と思えば思わず足が速まる。しかし今日は子供の手を引 いていることを忘れてはならない。逸る心を抑え着実に歩を進める。

そのうちガンダムプロジェクトの看板が見え始める。しかし何も見えない。人が進む方にむかってひたすら歩く。ショートカットがありそうなので、木の 間を通る道にはいる。そのうち木の向こうに何かが見える。歩を進める。間もなく後ろ姿を見る。

後ろ姿

思わず”ほー。ひょー”と声を上げる。こうやって文字にすると阿呆としか思えないが実際そう言ったのである。何人も立ち止まりカメラを向けている。

カメラを向ける人たち

少し進むと全体像が見える。また立ち止まってカメラを向けている人たちがいる。

カメラを向ける人たち2


か くいう私もやたらとカメラのシャッターを押している。広々としたところにガンダムが立っている。大きすぎず小さすぎず。計算したわけではないだろうが、 18mというのに適度に巨大さを感じられる大きさなのだろう。後ろから近づいていくとカメラを向けているたくさんの人たちの姿が。

カメラを向ける人たち3

私たちは側面からだんだん正面に回っていく。

側面

たくさんの人達が立ち止まって携帯電話とかデジカメとかとにかく撮影するものを向けている。それはとても静かで幸せな時間と空間。

立ち姿

大 きいねえ、すごいねえ、と阿呆のような感想を述べつつ私は既にして右脳全開である。この前見たビデオを信じれば、左脳はロジカルに過去と未来を司り、右脳 はイメージ中心で現在を捕らえる。高校時代にガンダムを知ったとか、当時学園祭でガンダムをメインに据えようと言った男の先見の明とか、それから30年と かそんなことはどうでもよい。目の前に立つその姿に私はただ子供と一緒にはしゃいでいる。

しかし左脳も完全に麻痺した訳ではない。子供はさすがにそろそろお腹一杯のようだ。じゃあちょっと座ってお茶を飲もう。周りには露店のようなものが ならび、椅子と机が並ぶ。子供がみかんをたべお茶を飲んでいる間私はぼんやりとガンダムを眺める。

正面

ふ と辺りを見回せばそうやってぼんやりガンダムを眺めている男性は多い。そのうち、大仏というものはこのような存在ではなかったかと 思い始める。人工の建造物が少なかった当時にあっては、その巨大な姿は今以上のインパクトを与えたに違いない。しかし高層ビルが建ち並ぶ今にあって も、この18mの人形ロボットの姿は人を集め、そして一種畏怖の気持ちを起こさせずにはいられない。宗教的なものから遠ざかっていても

”巨大な人間”

を目にしたときのこの気持ちはおそらくもっと遺伝子の奥深く刻まれているものではなかろうか。

足下

賭けてもいいが、あそこに賽銭箱を置けば、相当量のお金が放り込まれるにちがいない。そしていつしか鳥居ができ、ここは巡礼の地になるのであった。 そう考えれば当時大仏の周りにもこのように店が建ち並んでいたような気がしてくる。

露天

さ あ帰ろうかということで子供をつれ歩き出す。木がある辺りには子供が好きなカナブンやらアオスジアゲハやらが飛び回っている。ううむ、東京の真ん中なの に、我が家の近くよりずっとたくさん虫がいるではないか。子供は大喜び。私も一緒になってわーわー走り回る。ひとしきりおいかけまわすとガンダム見物はお しまい。帰ろうと駅に向かうと人の勢いはますます激しく、台場に向かう電車は満員だ。

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注釈