題 名:巡り巡って

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日付:2007/2/9


丹八山公園:愛知県(2007/1/5)

おうちの前からバスに乗り金山という駅へ。そこでJRに乗り換え笠寺という駅で降りる。ここには大きなホールがあり、コンサートの時などとても偏った層の人間でごったがえす。今日はそうしたこともないようだ。
駅を出るとホールとは反対方向に歩き出す。だいたいこっちだろう、と見当をつけてくてく歩き続ける。幸いに晴れて穏やかな日であるからして歩くのに何の苦労もない。目印にしていた中学校も見つかり、ひたすら道を南下する。すると前方に何かが見えてきた。
看板
期待がもてる看板ではないか。右前方には小さな山が見えている。この上に何かがあるはずなのだ。下には平和な滑り台などがならんでいるが私の得た情報が正しければこれは世を欺く仮の姿でしかないはずだ。
その先から続く坂をてくてく上る。のぼりきったところでこんな光景が広がる。
全景
ここが本日の目的地丹八山の頂上、というほどたいした山ではないのだが、とにかく頂上である。いきなり石碑が全開だ。はて何が書いてあるのだろう。まずは私が読み取れたものだけ見ていく。
将門
いきなりこれである。ここには平将門の首が埋まっているのだそうな。京都に持って行く途中腐ったのでここに埋めた。京都に行ったのは髪の毛だけだとか。山の山頂、というか真ん中には、さらにコンクリートで盛り上げられた場所があり、石碑がさらにいっぱいたっている。
山頂
その中心近くにたっている石碑にはこんなことが書いてある。

浦島太郎
浦島太郎(玉手箱の蓋を開けぬ)の生誕地もここらしい。しかし玉手箱を開けない浦島太郎って何のことだ。しかしその答えはここの制作者にしか分からないことであろう。
布哇
ここに書いてあることはよく分からない。最初から読んでいくと
「世界中ノ公園ノ内ニ丹八山ダケガ社ヲ祀ル 之ハ此碑表裏記ニ因テ名古屋市長小林橘○(一時不明)ガ許ス
丹八山ト布哇真珠湾トハ同土ナレバ」
この次にいきなり「布哇国王ノ娘ノ養子」と書いてあり、その後にまたよくわからない文章が続く。そして最後に書いてあることがいかにも「安物の予言書」といった趣だ。曰く
「太古前大昔ヤワ大國ガ大爆発シ○アジヤ○アメリカ○太平洋○布哇○日本ト分裂シタ」
そのほかにも日本だか名古屋3大なんとか、という石碑がたくさんある。
三名山
あ るのはいいのだが、尾張限定としたところで、3大山にこの丹八山がはいる、というのはどう考えてもいかがなものであろうか。このうち犬山は
「桃太郎 鬼ヶ島より寶ひく」
だそうで、桃太郎神社の事を語っているかのようだ。ちなみに丹八山のところには
「浦島太郎 蓋を開けない 玉手箱」
だそうで、よっぽど浦島太郎が玉手箱を開けてしまったのがくやしかったのだろうか。
私は読み取ることができな かったが、ある記事によれば「壬申の乱ではここから出兵し、熱田神宮に奉られてる草薙の剣が盗まれた時のゆかりの地」だそうである。
石碑にも新旧があるようで、古いものはいつたてられたかもよくわからないように表面が風化している。しかしここを作った人- 石川丹八氏とのことだが-は石碑を建てればそれが真実になると思ったのだろうか。仮に今あるものがすべて埋められ、何かの機会にここが発掘されたとしても、太陽公園ほどのインパクトもあるまいに。
先ほどの石碑にかかれていたとおり、ここには小さな社がある。
書き初め
中を見ると近くの小学生が書いたとおぼしき書き初めが飾ってある。ここもこの周りにすむ人にとってはちゃんとした神社なのだろうか。石碑をある程度見たのでその場を後にする。坂をだらだら下っていくとこちらが入り口らしきことに気がつく。
入り口
近くには易の大きな看板もあるのだが、占って貰おうとは思わない。写真だけを撮るとその場所を後にする。

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注釈