題名:巡り巡って

五 郎の 入り口に戻る

日付:2006/12/20


高野山:和歌山県(2007/1/4)

姫路から東海道本線にのり大阪駅に到着する。ここから環状線に乗り新今宮という場所を目指すのだ。さて、どこから乗った物やら。
な どときょろきょろしていたら「この電車は和歌山行きますか?」と聞かれた。みれば子供連れの母親である。いや、私もわかんないですけど、この図からするにきっといくんじゃないでしょう かと答える。これでもし間違っていれば私は一家の恨みを買うところであったが、姫路モノレールの神様の加護により私の勘は正しかったよ うだ。お母さんからありがとうと言われる。こちらも一安心である。
といったわけで新今宮駅で南海に乗り換える。昨日までが初詣シーズンだったので 人はそう多くない。しかし「高野山行きはこの電車です」という時刻表がちゃんと存在している。それを見ると次の高野山行きまでほぼ50分待たねばならぬ勘 定だ。うっぎゃあなどといってもいかんともしがたい。
20分ほど待ったところで途中駅の橋本行き急行がくる。あれ、時刻表見ると終点でなんとかに 接続になっている。とりあえず、ということで乗ってしまう。ぼーっとしているうちに橋本駅に着く。さて、乗り継ぎはと見ると途中の「高野下」というところ までしか行かない。電車の終点極楽橋駅はそのはるか彼方だ。やはりここで次の電車を待たねばならぬのか。
というわけで再び待つこと数十分。急行電 車が到着する。わらわらと人が乗り込むが白人の観光客が多い。確かにこれからいく場所はそうした訪問に値するところなのかもしれない。私の近くに座った カップルが持っていたガイドブックにはGで始まる日本の名前が書いてあった。何語なのだろう。
などと考えている間電車はことこと山の中を進んでい く。一眠りして目が覚めたがまだ山の中を走っている。さすが修行を積む場所だけのことはある。ここまでくれば「人里離れた」という形容詞を用いても誰も文 句をつけまい。などと感心したがまだ着かない。明るく晴れた穏やかな日だがもう眠ることもできなくらい寝てしまった。となりでは白人の女性が完全に前屈み になった体勢で寝ている。
とか考えているうちに極楽橋駅に着いた。どこが極楽橋なのだ、と考える前もなくケーブルカーに急ぐ。動き出すと車内アナ ウンスが流れる。世界遺産にも登録された高野山。、、、と続くのだがあまり聞いちゃいない。あれこれ見るべき場所はあるらしいのだが、私が見たい場所はた だ一カ所だ。
山頂にたどり着くと今度はバスに乗る。チケット売り場があり「一日券800円。奥の院まで片道400円です」と書いてある。これを読むと一日券を買いたくなるが、冷静に考えると損をすることが確定しているのだ。しかし寝ぼけた頭ではそこまで考えが及ばない。一日券を買う とバスに乗り込む。
極楽橋から女人院(?)までの間はバス専用道路で歩いたりはできないことになっている。つまりここからは南海バスを使うしか高 野山に行く方法はないのだ。地図でそのことを知ったときは「せこいなあ」と思ったが、狭くて曲がりくねった道だからここを人間が歩くと確かにあれこれ 問題がおこるかもしれん。
そ のうち道の両側に建物が見え始めた。ケーブルカーの中で聞いた説明によれば人口4000人の宗教都市とのこと。途中「スナック」があったのには笑ってし まった。そりゃ4000人もいれば宗教都市でもスナックの一件くらいあってもよかろう。そもそも坊主がスナックに行って何が悪い、という気もするし。
などと考えているうち目的地である奥の院に到着する。時間は午後1時半。橋本駅を出てからここまで一時間半以上かかったことになる。帰りもある。先を急ごう。
というわけで奥の院とかかれた方向に歩き出す。最初は灯籠がならんだおとなしい道が続く。灯籠の列が切れ墓地エリアになったと思った瞬間こんな墓が目に入る。
アポロ11
新 明和工業の慰霊碑である。それはいいとしてなぜこのロケットなのだ。石碑にかかれた文字を見れば「航空宇宙産業に連なる当社はとしてアポロ11号を模しこ の碑を制作した」と書いてある。航空宇宙産業にかかわっていれば何でもありか。もう少し最近作られたとしたらスペースシャトルかH-2になっていたかもし れん。近くに はこんな墓がある。
しろあり
つくったのは「社団法人 日本しろあり対策協会」駆除しておいて安らかに眠れ、もあったものではないと思うが、殺しっぱなしで何も しないよりましかもしれん。周りをみればこうやって墓の写真などとって(内心きゃーきゃー言いながら)ふらふらしているのは私くらい。たいていの人はまっすぐ前を向いて歩いている。しか しこれだけ興味深い場所をどうやってまっすぐ歩けというのか。こちらは福助である。
福助

かくのごとく会社関係で笑える慰霊碑もあるが、こんなのもある。
観音像
道 のそばにひときわ高くそびえる観音像。傍らにかかれた石碑を見れば、南米横断旅行を成し遂げたが、四国一周旅行中に「道の聞き方が悪い」というだけの理 由で殺されてしまった男の母親がたてた観音像であった。自分が親となった今であればそういう話を聞くのはつらい。この後も何度か考え たことだが、人が死んだ後に行われるあれこれ、葬式だの慰霊だのというものは基本的には生きている人間の為に行われるものだと思う。息子を失った母親の悲 しみがこの観音像によりほんの少しでも安らいだことを祈るのみである。
かと思うとやはりこんな墓が出てくる。
日産

日産の慰霊碑らしい。石に刻まれたのは昔のロゴマークであろう。その手前には銀色に最近のロゴマークが光っている。カルロスゴーンはここに来たことがあるのだろうか。
写真
こ れは写真業界に貢献した人達の写真を並べたものらしい。最近の写真はカラーになっている。その中にひときわ若い女性の写真が一枚混じっている。40代で亡 くなった人のようだが、この写真はそれより前に撮られた物ではなかろうか。その隣には「落書きOK」のこんなものがある。
落書き塚
では何が書かれているかと言えば、それはやはり格調高い物からどうでもいいものまでそろっているのだった。よくわからないのがこれに「丸善石油株式会社」が協賛していることなのだが、何か理由があるのだろう。
そこから道は左に折れる。それとともにあたりは鬱蒼とした林-木と墓石の群れ-の中に入っていく。苔むす紀州徳川家とかなんとか家とかの墓があるが私のような罰当たりの人間にはあまり興味がない。その先、小さな川に橋が架かっている。
川
こ こから先は撮影、録音禁止である。大きな建物の中に灯籠がたくさんぶら下がっていた。昭和25年昭和天皇が世界の平和を祈って二つ灯籠を納めたとかあれこ れ書いてあるが真面目に読んじゃいない。その後ろに弘法大師の御廟があるらしいのだが、そこにも行かずすたこらさっさと回れ右する。今度は先ほどとは違う 道をたどって戻っていく。周りはずっと木と墓石の林である。有名な殿様シリーズもいくつかあるのだが、私の目を引いたのはこの殿様。
浅野内匠頭
忠 臣蔵で有名な浅野内匠頭である。墓が妙に質素だが、まあ殿様本人もこんなものだったのかもしれん。忠臣蔵さえなければ今日に名前が残ることもなかったろ う。(吉良の殿様はそうではないが)こうした重量級のお墓に混じっていくつか小さい像もある。このお地蔵様は化粧をしている。
地蔵
この化粧をした人のことを考えると胸が痛くなってくる。その先にはビルマ戦線で亡くなった人達を慰霊する塔がある。
ビルマ
そ の隣にある塔はインパール作戦に参加した医療隊が作ったものとのこと。地獄のような戦線で死んだ者もいれば生き残った者もいた。生き残った者にできるのはこうし た慰霊碑を作ることだったのかもしれぬ。人間は3人よればけんかを始める動物だが、殺し合ってはいけない。老子だか孫子にもそんな記述があったことを思い 出す。ボルネオ戦線での慰霊碑には複数の国旗がかかっている。
国旗
そのほかにも旗が駆けられた慰霊碑はいくつかあるが、私は見た範囲では軍艦旗ばかりだった。陸軍の人はあまり旗をかけないのだろうか。
その隣にはこんなのがある。
消防
ものすごく写真が撮りたいのだが、丁度近くにお坊さんがいる。
「拝むこともせず、写真をとって喜ぶとは不届き千万」
と怒られやしないかと心配になる。通り過ぎるまでじっと待ちシャッターを切る。
とか歩いているうち、出口(というか入り口)近くにインパクトのある慰霊碑があった。
千手観音
戦局日に非だったころに招集された学生達の慰霊碑。千手観音をモチーフにしているらしいが、手だけがこちらを向いているその様はどこか不気味で何かを訴えかけてきているようだ。首をふりながら墓地を出ると道にそって進み続ける。

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注釈