題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る
日付:2020/12/6


草津中和工場:群馬県(2019/08/29)

気がつくと私は夕暮れ時に木造の門の前に佇んでいる。かすかに硫黄の匂いがするここは草津。なぜこんなところにいるのか聞かないでほしい。とにかく来てしまったのだ。

普段なら一瞥して通り過ぎるような場所だが、門に何か貼ってあるのが見える。ここは河川の水質を中和するための工場で、見学ができますとかなんとか。そしてうれしいことに無料である。午前中の見学会は11時からで9時半から先着順で受付となっている。とは言っても平日だし、絶対枠が埋まることはなかろう。では明日10時半ごろここに来ることにしよう、と決意してその日は宿に帰る。

翌日、朝起きてからなんだかんだと用事を片付けた後昨日と同じ場所に来る。昨日は閉まっていた門が開いている。

門

やれうれしや。これならきっと見学できるに違いない。そう思って門をくぐる。いくつか建物があり、いろいろな展示がある。しかし人気がない。ということはここで受付はしてもらえそうにない。次々と建物を見ているうち、人がいる場所に気がつく。

行ってみると100年石とかいうものの体験について、若い男女が説明を受けている。おとなしく順番を待っていると、別の人が声をかけてくれる。あの、見学に来たのですがというと机から名前を書くシートを取り出してくれる。予想通りとはいえシートには名前が一つもない。苗字と居住の県を書く。11時5分前にここに来てください、と言われる。

こういうこともあろうかと本を持ってきている。しらばらくそれを読むがまだ時間はたくさんある。先ほど見た展示館を見に行こうと思う。地面には丁寧に案内が書いてある。

展示への矢印


ある小屋には草津の歴史を展示されている。そもそもこの草津という温泉はいつ頃からあるのか?「いろいろな人が言及したとかいう説もありますが、確かに存在したのは江戸時代からです」と正直に書いてあるところに好感が持てる。先日伊勢神宮に行った時も思ったが、こうした場所は当時のテーマパーク的な役割を持っていたのだろうな。

次の小屋にはそもそもなぜここで中和をしなければならないかが書いてある。その内容は次に見学で聞いた話と重複するので省略。などと見ているうちにいい時間になる。

指定されたテントの下にぼーっと座っているとメガネをかけた男性が来てくれた。今回は一人ということで。どこからいらっしゃったのですか?と聞かれるから「神奈川県、横浜です」と答える。横浜はここと水系が違うんですよねと言われる。その道の人にとっては、どこがどの川の水系かとが最初の話題になるのだろう。坂を登ると建物に案内される。そこで2階にあげると広い講堂のような部屋に通される。中には長机がふたつあり、実験装置が並べられている。

実験机

これが実験装置。まずレモン汁のPHを調べましょう。ペーハーという言葉を聞いたのは何十年ぶりだろう。次に草津の温泉を調べます。ほらレモン汁よりPHが低い、ということはもっとすっぱいわけです。

次に、ということで石灰を混ぜる。流石になれており、目分量で量を測っただけなのに、温泉水と混合した結果はPH6くらいになった。

PH

確か一番左がレモン水、右から2番目が草津温泉のお湯、一番右が石灰を混ぜたものの実験結果だったように思う。となると左から2番目はなんだったのだろう。

ここの近くの山は硫黄でできており、雨水がしみこむと酸性の水となって流れ出していく。その酸性度合いについては次の部屋で知ることとなる。

というわけで案内されたのがビデオを上映する部屋。以前このへんではあまりに水が酸性なため、橋を作ることができなかった。五寸釘をつければ10日で消滅し、コンクリートをつければ10日でボロボロになる。下の写真にあるようにどんどん腐食していく。

10日でボロボロ

そのため世界に類のない「石灰水を投入することで川の水を中和する」設備が作られたとのこと。

最初に工場が作られたのは昭和39年だから、私が1歳の時。最初は群馬県の事業として始めたが、重要な仕事ということで数年後に国が引き取ったとのこと。よく県がこのような事業を始めましたね、と質問すると「それだけ困っていたんですよ」とのこと。以前は下流で農業をする人は自分たちの手で石灰を撒いて中和していたとのこと。それにしても「前例のないこと」をやるとありとあらゆる抵抗を受ける社会-しかもお役所にあって、これだけ野心的な事業をすることには敬意の念を持つ。

この部屋の机には、封筒が置かれている。中をあけると各種チラシなどがはいっているのだが、「ダムカード」なるカードもはいっている。どうやら全国のダムそれぞれにカードがあるらしい。昔は仮面ライダーカードだったがなあ。ここのダムカードの売りは、全国で唯一「水質改善」と漢字で記載されているところのこと。こればっかりは他のダムカードを見てみないことにはありがたみがわからない。

そこを出ると今度は工場の見学移る。


国債

ここに石灰を積んだ車がやってきて、石灰を供給するとのこと。以前はこの場所で石灰を砕いていたいが粉塵がでるため苦情が出、細かくなった石灰を購入することとしたのこと。

そこから降りていき、建物の中にはいる。さきほどの石灰供給口からはいった石灰はここを通るのだろう。

石灰の通り道


そしてその下にあるこれが石灰と温泉水を混ぜている部分。

国債


この写真の中央のパイプから出ている白いものが上方から落ちてきた石灰。周りにあるのが川からくみとった温泉水である。このように3箇所の石灰タンクに応じて3箇所で混合し、その結果を川に混ぜている。この石灰をどの程度の細かさにするかについても、細かくした方が早く溶けるのだがコストが上がる。そうしたトレードオフで現在の仕様に落ち着いているとのこと。この「コストと性能のトレードオフ」という言葉はこの日何度か聞いた。コストの妥当性を説明しろ、とかいう要求がしょっちゅうきてるんだろうなとその苦労をぼんやり想像する。

ちなみにこの配管にはどうしても石灰が付着し詰まるとのこと。その対策として現在は一本の配管に3箇所のタンクを接続しているが、一つのタンクごとに配管を分けるような検討しているとのこと。

その建物を出るところでずっと疑問に思っていたことを質問する。ここが重要な役割をしているのはわかったが、もし施設が止まったらどうするのか。下流の農業が全滅し、橋が破壊されるようなことにならないのか、と。ここは自家発電の設備を備えており、燃料は3日持つとのこと。しかしいかに栄えた観光地と言え山の中であることに変わりはない。交通が寸断され、3日より長い間燃料の供給が途絶えることだってあるだろう。

それに対する回答はこうである。ここで混ぜられた温泉水はそのまま下流に流されるわけではない。一旦ダムに貯められる。そこには溶けきれなかった石灰がたくさん沈殿している。またそこまでの水路にも石灰が存在している。だから例えばメンテナンスのために施設を止めた時にはそうしたダム、水路上にある石灰が中和の役割をするため、そう簡単に酸性の水に戻ることはないと。なるほど、ダムに到達するまでに加えた石灰のうち2割程度は使われずに残ると聞いていたが、それは単なる無駄ではなくそうした効能があったか。工場を出た後に見た川の底は確かに白くなっている。この大量の石灰がしばらくはなんとかしてくれるということか。

川底


ちなみに温泉水と石灰を混ぜると中和生成物ができる。現在ダムは9割がたその生成物で埋まっているため、一生懸命掘って取り除いているらしい。最初にこのシステムを作った時は「生成物は下流に流せばよろしい。無害だから」という計画だったのだが、生成物は鉄分が含まれており黒い。見た目がよろしくない。無害だからといって黒いものを流すのは昨今ではうるさくてできないですよね、とのこと。

そこで説明は終わりになる。私は礼を言ってその場を立ち去る。案内をしてくれる人にも言ったが、ここのPRに対する努力は感嘆すべきものだ。受付で見た100年石というのは、石灰岩の石に油性の塗料で何かを書き、それを草津の温泉につけると塗料が塗られていない部分が溶ける。結果として塗料の部分が浮き出るというものなのだが、送料以外は無料で体験できる。最初に覗き込んだ小屋を見てみると数人がなにやら作っていた。これもPRの一環とのこと。

世の中に「悪者」を探しそれを非難することに熱中する人がいる。一時はそれは公共事業に向けられていた。だからこそのPRの努力なのだと思うが、ここは特に工夫がされ充実しているように思う。こういう地道な公共事業のPR施設だけ回っても随分いろいろな体験ができそうだなと思いながらその場を後にする。少し離れたところから先ほどの石灰岩と温泉水をまぜたものを散布しているところの写真を撮る。

国債



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注釈