題名:巡り巡って

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日付:2005/8/20


石仏の森、石像の里[長い長い道のり編]:富山県(2005/8/15)

[今回前フリがやたらと長いので「読んでられるか」という人はここまで飛んで下さい。]

うれしいことに少しだけ自由な時間をもてることになった。8月14日の夕方から16日の間。出発地は名古屋、帰着は横浜である。さてどこへ行こう。

名古屋-横浜の往復はよくやっているから、その沿線にある珍スポットには割と行っている。この機会に残っているところを洗いざらい、とも考えたがせっかく泊まりがけで行けるのだから別の方面に行きたい。九州にはまだ手がついていないのだが、そこまで行けるほどの時間はない。

となるとやはり北陸回りで名古屋から横浜に行くことにするか。「行きたい珍スポットリスト」を眺めながらあれこれ考える。その中で「石仏の森、石像の里」という場所が特に目を引く。調べてみるといくつかのサイトで言及されている「メジャーな珍スポット」らしいのだが、如何せん行き方が解らない。その場所について書いている人たちはだいたい車で行っているようなのだ。

住所を調べ、それが地図のどこにあるかを知れば最寄り駅がわかるかもしれん。そう思ってあれこれ調べようとするがどうも最近市町村の合併があったらしく、住所をそのまま入力しても場所がでてこない。ええい、どこに行ったのだとあれこれ試すことしばらく。どうやら割と近くにJRの駅があるらしいことがわかる。これなら行けるかも知れない。ただし名古屋から出発したのではどうしても到着が遅くなってしまう。というわけで14日中に米原まで移動することにする。それができれば、翌朝早く出発して11時頃最寄り駅に着けるはずなのだ。

という計算をたてたもののいつもの如く予定通り現実は動いてくれない。まずその日あれやこれやの用事が終わったのが午後の5時である。私はいつもやたらと時間に余裕を持つ人なので午後5時には目的地に着いているのが普通だ、しかし今日はここからスタートである。名古屋駅から新幹線に乗ると米原で降りる。長い通路を歩いて駅の外に出て驚愕すると共に記憶がよみがえる。1998年、失業中だった私は全く同じことを考えたのだった。米原で泊まろうと。そしていつもホテルを紹介してもらう観光案内所がないどころか、歩いていける範囲に宿泊施設が一カ所しかない、ということを知ったのである。

そのかすかな記憶を頼りに歩いていく。そしてこの日は7年前ほど幸運に恵まれてはいなかった。そのホテルは依然として存在していたのだが

「本日定休日」

という看板が掛かっている。未練たらしくもう少しふらふら歩いてみるが宿泊施設がある気配がない。ええい、というわけで米原駅に戻り路線図を観る。少し先に敦賀という名前が見える。なんだか知らないけど私が名前を知っているくらいだからここまで行けば泊まる場所があるだろう。というわけで電車をじっと待つ。蝉が鳴き風景は少し茜がかっている。このように夏の夕暮れをただ見つめるのは久しぶりだ。

電車は結構混んでおり、座ることができない。ぼんやり立っているうちに敦賀に着く。それほど大きな町というわけではないが、駅の構内にも宿泊施設の広告が出ている。これならいけるかもしれない。駅から外に出てみれば何軒かビジネスホテルという看板が見える。その中の一つに泊まった。

翌朝は6時半に朝食をとり(これは無料。チェックアウトもこのレストランでできるのが合理的)駅に向かう。チケットは前日のうちに買っておいたので淡々と乗り淡々と乗り換える。10時頃富山駅に着くとあれこれ買い物に向かう。とはいっても土産物などを買うのではない。

昨日ホテルでTVを観ていたが、どうやら今回は天候に恵まれないようだ。降水確率が70%とか表示されている。しかし今回を逃せばいつここにこれるか分かったものではない。雨が降ろうが何だろうがとにかく前に進むのだ。しかし雨を気合いだけで乗り切ろうとするほど私も若くない。まず必要最小限だけの荷物を入れるバッグを購入する。ショッキングピンクの地に加賀・能登忍忍倶楽部などというキャラクターが描かれたものだが、この際デザインなどにはかまっていられない。小さくて軽いからこれでいいのだ。次にはレインコートを買う。今日行くところはあまり足場がよくないそうなので、両手を自由にしておいた方がよかろう。

JR高山本線の電車に乗り込むと背筋を伸ばして座る。ふふふ。これで雨が降ってもなんとかなる筈。今日はなんとしてもあの場所に行くのだ。心持ち変な笑みを浮かべショッキングピンクのバッグを抱える中年男は変質者以外の何者でもないのないのだろうが、そんなことにかまっては居られない。

ワンマン電車はのんびりと単線を進んでいく。途中速星とかいう駅でナウいギャルが何人か降りたので少しびっくりする。ここには何があるのだろう。そこをすぎると空いてくる。越中○○という大きな駅でまたもや人が降りる。そのとき車内に無線らしき声がかすかに響く。何かを叫んでいるようだが。

何かあったのか、と思っていると電車が動き出さない。間もなく車内アナウンスが「雨量が多いためしばらくこの先に進めません」と告げる。ううむ。こちらがいくら気合いを入れていても電車が進まなくてはいかんともし難いではないか。このまま本日は不通とか言われたらどうしよう。「天は我を見放した」という某映画の台詞が頭を回り続ける。

「しばらく動きませんから皆さん駅の外にでていてもいいですよ」

とか車掌さんが言うから、これは望み薄か。今日泊まって明日またチャレンジか。でも明後日は仕事だからなあ。などと考えてはいるがしばらくはのんびりするしかやることがない。無線で指示がでて、この先急ぐ人、とか車掌さんが聞いて回っているが、私ほど先を急がない人もいないだろう。

などと考えながらしばらく待っていたら運転再開がアナウンスされる。やれうれしや。時速が30kmに制限されているそうなのでのろのろ動く。まあ多少遅いがこのスピードなら脱線して沿線のマンションに突っ込むこともあるまい。そもそもここらへんにマンションなどないのだ。下車駅の笹津はそこから二つ。

降りると幸いな事に雨が上がっているようだ。あら、これならレインコートは無駄だったか。などと考えて居られたのはほんの短い間だった。雨がぽつぽつと降ってきたなあと思うまもなく本降りとなる。レインコートを着ると「ふふふふ」とほくそ笑む。これでこそ買ったかいがあるというもの。頭の中の地図と照合し「こっちに違いない」と思った方向に歩き続ける。そのうち国道41号線と道が交差する。この41号というのは私が知っている限り富山と名古屋を結んでいる幹線道路だ。名古屋側の端はその昔通勤に使っていた。今日はその反対側の端を横切ることになる。などと余計なことを考えているのはなかなか車がとぎれないからだ。しかしここは慎重にならなければ。頭が少し濡れてもかまわん、とフードを外し首を振り回し続ける。

しばらく待った後隙間を狙って道を横切る。そこからは41号と川の反対側を走る県道を歩くことになる。そこで私は「天は完全に我を見放したわけではない」理由を二つばかり考えつくことになる。

良い点その1.気温は幸いにかなり低いようだ。炎天下の中を長時間歩いているうちに日干しになるというのが計画段階で抱いていた恐怖の一つだったがその心配はなさそうだ。良い点その2。この県道は立派な道だが交通量は極端に少ない。この日見かけた車は2台だけだった。交通量の多い道路の脇をとぼとぼ歩くのは今までに何度かやったことがある。幸いにして事故には遭ってはいないが、あまり愉快な事ではない。そうだ、良いことだってあるではないかと自分に言い聞かせるのは雨が依然として景気よく降り続けているからだ。(これにも良い点があったことを後で知ることになるが)そのうち眼鏡が水滴だらけになり前方視界が不良になってきた。一度拭かなくては、と思うが雨宿りする場所もない。はて、困ったと思ったところで前方に何かが見えてきた。

やれうれしや。これが今日の目的地その1,石像の森である。近づいてみると「無料休憩所」も存在しているらしい。そこで雨を避けることができれば眼鏡も拭けるだろう。喜び勇んで歩を進める。すると「おおざわの石仏の森」という看板(石製だが)の裏にあるこの文字が見えてきた。

「一連託生」正確な意味は知らないけど、この文字が持つ迫力は何だ。などと考えている暇があればとにかく眼鏡を拭くためあの休憩所に。

実はネットであれこれ調べた際、ここに「無料休憩所」があるということは知っていた。しかしあまり人も訪れない場所だから休憩所といっても無人の小屋があるだけだろうと予想していたのだ。しかし正面に回ってみるとちゃんと扉が閉まっており「冷房中」という文字まで見える。中に入ってみればあらびっくり。そこらへんのドライブインが裸足で逃げ出すほどしっかりとした室内に驚愕する。

中には初老の男性が一人おり、私は挨拶もそこそこにレインコートを脱ぎ、バッグを下ろし眼鏡を拭く。窓からはダムの貯水湖が見えている。空は暗く雨は止む気配を見せない。私はしばらくその風景を見続ける。男性は黙って新しい茶碗を置いてくれた。自分で茶をついで飲むと実にほっとする。ああ、乾いた部屋ってなんて素敵。「無料休憩所というから小屋があるだけかと思ったらこんなに立派な場所で驚きました」とか声を掛け少しこの場所について聞いた。

ここは寺か何かですか?と聞いたところ、いや、仏教の施設とは何の関係もないのです、と答えが返ってくる。では何故?と聞くとパンフレットを手渡して説明してくれた。おそらくその答えに一番近いと思われるパンフレットの一節を引用する。

「発願者 古川睦雄の信念と願い

熱烈仏教徒・人類文化は石を刻むことから・中国文化への憧れ・盧進端橋先生への傾倒 日中友好の願い・大沢野の名所になればとの願いもこめて。」

断片的なキーワードが並んでいるが、なんでもこの古川氏が盧進端橋先生と関係がどうたら(すいません、聞き落としました)で、では作りますかということで作り始めたのだそうな。ここの仏像は全てその先生の作、ということでMade in Chinaである。この少し先に石像の里もあるそうですね、そうです。これがその絵ですが(と壁に掛かっている絵を指さす)ここから800mほど先です。

こう聞いて私は抱いていた恐怖がまた一つ消えた事を知った。石仏の森が駅から数百mということは解っていたのだが、そこから石像の里までの距離がわからなかったのである。車で行った人の文章を読むと「そこから数分」となっているからそう遠くはないのだろうけど、自動車の走行能力を見くびってはいけない。人間がひーこら言って歩く距離を瞬く間に移動してしまうのだ。しかし800mなら大したことはない。男性の話はまだ続いている。

人の写真を送るとそれから想像して像を彫って送ってくるのです。やはり皆さん自分の像ができると見に来ますか?そうですね。あと像がある人のうち亡くなられた方が4名(?)ほどいらっしゃるのですが、その家族の方が「おじいちゃんに会いに来た」と見えることもあります。

そこまで聞いたところで礼を言って私はその快適な空間を後にした。ここは乾燥しているし、この男性との会話も一方的でなくなかなか快適だ。しかし私が目標とする物はあの湿って雨が降り続く屋外に存在しているのだ。

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注釈