題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2005/5/28


百尺観音-福島県(2005/5/14)

13日の夕方「ではおじさんは逃げる」といって会社を後にする。向かうのは家とは反対の方向、上野である。

この週私は久々に一人で暮らすことになっていた。これは千載一遇のチャンス。泊まりでなければ行けない所に行きましょう、と考え真っ先に頭に浮かんだのがこの場所だった。

福島県だからそれほど遠いはずはないのだが、行き方を調べてみるとどうも日帰りではつらい場所にある。おまけにそこまで行ったのならば近くにある他のスポットにもよりたい(福島県にはいろいろな場所があることを最近になって知ったのだ)では金曜会社の後に出発することにしてと時刻を調べると最寄り駅の相馬市まで行くのにはちょっと遠いようだ。よし、とちゅうの「いわき」というところで止まろう。

というわけで上野からスーパー日立に乗りいわきについたのが午後7時過ぎ。電車から降りて思わず身を縮める。なんだこの寒さは。確かにここ数日気温が低かったけどこれではまるで冬ではないか。やはりここは東北と呼ばれるだけのことはあるのか。

さむいよーさむいよーとつぶやきながら予約しておいたホテルにチェックインする。さて、ご飯だと駅前で見つけた中華料理屋にはいる。その瞬間変な匂いがする事に気がつく。今までの経験から行くとこういう匂いがする場所でろくな食べ物がでてきた試しがない。そして今日もその経験則は正しかった。スタミナ炒めとかいうのを頼んだのだが、これほど脂身の多い肉を食べたのは久しぶりだ。まあこういうこともあらあな、とホテルに返ってくればすぐ近くに遙かにましと思しき食べ物屋が。ええい、きっとあの食べ物屋はすっぱいに違いない。

翌朝は早くホテルを立つ。引き続き常磐線に揺られることしばらく。日立木という駅で降りる。周りには田んぼしかないし、人もいない。さて、ここからどこに行けばいいのだ。

最初に百尺観音への行き方を調べたとき、相馬市からバスがでていることを知った。これはラッキー。しかしバスの時刻を調べて驚いた。一日に数本しかないのだ。しかし幸運な事に私はここで止まらなかった。最初に出てきたのは平日の時刻表。土日祝日はと観てみると一本もない。

うげげげ、これはどうしたことかと更にネット上で情報を漁る。すると「日立木が最寄り駅」という記述が見つかる。地図で調べてみると2kmあまり、ということは歩くこともできよう。

というわけでここまで来たわけだ。呆然としていてもしょうがないからこちら、と思った方向に歩き出す。辺りは一面の田んぼ。そのうち前方に自動車が行き交う車が見えてきた。あそこまで行けばなんとかなるだろう。歩き続けて道路を左に曲がる。これが国道6号。さて、ここで問題です。地図を信じれば目的地はここを左に少しはいったところにあるのだが、どこで曲がれば良いのか。ガソリンスタンドが近くにあるらしいのだが。

今から考えてみれば、私はこの日以前行った「甘楽町の摩崖仏」のイメージをひきずりすぎていた。きっと標識も何もないにちがいないときめつけていたのである。というわけでガソリンスタンド手前の道を左に入る。何の確証もないのだが、足はそろそろよれよれ。引き返すのは避けたい。どうかここにあるように、と祈りながら歩くことしばらく、左手になにやらちらちら見えてきた。

やれうれしや、あれに違いない。少し先に行き交差点を右折。しばらく歩くと広い駐車場が見える。どうやら私が思ったよりもはるかにちゃんとした場所のようだ。間もなく正面にその姿が見えてくる。

これが今日の目的地百尺観音である。近くによっていくと私と同じくらいの年の男性(本当は私より多少年上と観たのだが、たぶん私は自分を実態より若く見えるものと誤解しているだろう)が鐘を鳴らし、観音に向かってなにやら唱えている。私とすれ違うときに挨拶してくれた。全くの想像だが彼が3代目なのではないだろうか。近くに歩み寄った私は改めてその姿を見る。

左手の看板にこの観音の由来が書いてある。大きな看板一杯に書いてある力作だから全てをここに書くことはできない。勝手に要約すると

「明治35年生まれの荒嘉明氏は23才の年家出て6年間全国の古社寺、史跡を訪ねあるいた。そして千体の仏像を作るよりも生涯一仏一体の超巨大製作をなし、ながく後世にこれを残そうと決意した。 時に昭和6年、荒嘉明氏29才。以来三十余年、あらゆる困苦欠乏に耐え製作に専念したが、昭和38年、完成を見ずして62才で逝去した。その後2代目が継ぎひとりつるはしをとって彫刻を行っていたが昭和53年、53才にて逝去。現在は三代目が事業の継続中」

ということらしい。

周りの山との位置関係を観ると相当山肌を削り込んだところに観音が有ることが解る。初代はこれを一人で掘り進めたのだろうか。手が少し変な形だが、別の「素人作」の像で観たことがあるような形でもある。素人が彫るとこうなるのだろうか。そこから蓮の花とおぼしき茎が肩口に伸びている。

あたりはあくまで静かであり、ようやく濃くなりはじめた緑の中に静かに観音は座っている。正確に言うと腰から下はまだ岩のままだ。あるいは佐和山遊園のように、つるはしをもち彫刻している人に出会えるかと思ったがそうした気配もない。想像だがこれが完成することはないのだろう。完成すれば118尺になり、日本一の大きさになる、というのも作り始めたときは真実だったのかもしれないが、100mを超える観音がいくつもある現在に置いてはなし得ることではない。

しかしその像を観ているとこう考えるのだ。像に対する時そこに観るのはなによりもそれを造り、そして守ってきた人たちだと言うことを。狂信者は盲信する「神の言葉」と称する人の言葉により、それを破壊したがる。しかしそこにあるのは神ではなく人の行為の結果なのだと。

そんなことを考えながらしばらくそこにたたずむ。観音の前には水がたまるエリアが彫ってあり、あたりの緑とあいまってとても静かな空間を作っている。その雰囲気がとても気に入った私は50円だしお線香をあげ、さらに50円払っておみくじを引いた。普通紙にコピーしましたという感じの紙がほほえましい。

しばしの後にそこを立ち去る。駐車場前の道を進んでいく。すると国道6号との交差点にこんな立派な看板があった。

ええい、妙な事を考えずにこちらから来れば楽であった、と思うがあの木々の間にちらちら見えた観音様もなかなか風情があってよかったではないか。再び国道6号に添ってあるき、田んぼの中を歩く。今日はもう一カ所行くところがあるのだ。

前の章 | 次の章  | 一覧に戻る | 県別Index


注釈