題名:巡り巡って

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日付:2004/7/4


那須戦争博物館:栃木県-Part2(2004/6/19)

入り口付近にガラスのケースがあり、中に模型飛行機がかざってある。

飛行機の下には説明のつもりか何かのページのコピーが置いてあるのだが、模型と説明がことごとく食い違っているのは何かのギャグなのだろうか。おまけに米軍機にはこんなキャプションをつけられている。

よくよく見るとその壊し方にも結構念が入っている。この熱意はどこから、などと考えながら「海軍館」にはいる。するといきなり懐かしの「ウォーターラインシリーズ」が登場だ。

よくも作った物だと思えるくらい、日本海軍だけではなく米国からドイツの軍艦まで並んでいる。ぐるっと回ると戦艦大和の模型がある。

巨大は巨大なのだが、艦橋は崩れ落ちようとしているしおまけに副砲が見たこともないような位置についている。その隣にあるのは軽巡矢作の「独創的模型」である。

「独創的」確かにそうだ。何かのキャップやらとにかくなんでもくっつけてある。壁際には例によって小銃やらなにやらごろごろなんらんでいるのだが

旧ソ連の短機関銃にはこんな説明がつけられている。

「この銃こそ日本人にとっては限りないうらみの戦闘銃です 昭和20年この銃を持ったソ連軍に満州樺太など北方でどのくらい苦しめられたか更に捕虜収容所でも数々のうらみの銃である」

この館長さんは満州開拓団に行き、ずいぶんと苦労した人だとのこと。この銃にもきっといろいろな思い出があるのだろうな。

ぐるっと回っていくとまた別の物が出てくる。私の世代の人は横井庄一という名前と小野田という名前を覚えていると思うが、その横井氏が洞窟の中に立っている。

そういえば彼らが出てきた後に「他にもいる」とかいう情報が流れ、メッセージを書いたアドバルーンを上げたり、みそ汁の匂いを流したりとかいうニュースを聞いたように思うがあれはなんだったのかなあ。だいたいみそ汁の匂いを流すってどうするんだ。

その奥には「シベリア抑留、満州開拓」のコーナーがあり、こんなマネキンがあり壁際にいくつかの資料が飾ってある。

手前の人はいかにも、といった厚着をしているが後ろの人は上半身裸である。そこに飾ってある満州事変の意義をとなえたポスターに曰く

「満州事変の眞の意義は、日本が日本のために戦ふことは、同時に満州のために戦ふことであり、全アジヤのために戦ふことであるといふアジヤの連帯性を再び強く自覚したことである。そして、この自覚を不退転の決意をもつて行動化したことである。」

大変勇ましい文章だが、その実態、それにその後に訪れた運命を考え合わせると気が滅入ってくる。又近くにある別の紙に曰く

「満蒙開拓青少年義勇軍とは
昭和十三年より当時國策により大陸(中国)に若い青少年を送り、開拓と北の防衛の為に志願により募集した集団です。当時十四才の少年がほとんどでした。
合計八萬五千名の方が活動されましあたが、二十年の敗戦で、その半数はソ連軍に殺され現地民に襲撃され更にはシベリヤ大陸に送られ最大の悲劇で終わりました。
ここの館長も九死に一生を得て帰らられた一人です。」

いつの時代も調子のよいスローガンには注意せねばならんなあ、と年を取ってくるとだんだん用心深くなる物だ。などと「ちゃんとした」展示も多いのだが、片隅にはやはりこんなものがある。

左上のテレビ、その下にある冷蔵庫らしきものはいいとして、右側にあるのは説明書きによれば

「珍品
日本で最初の自動販売機
一銭入れればお菓子がでてきました。(昭和七年頃)」

なのだが表面に書いてある説明書きは「常設活動写真館」である。もうこの辺りになると何がどう食い違っていても気にしなくなる。

といったところで那須戦争博物館見物はおしまい。帰りのバスの中もらったパンフレットを見ると、それは「第二十一回帝国陸海軍軍楽隊大演奏会軍装会」というイベントのパンフレットだった。ここの館長とおぼしき人が明治時代の軍服を着て写っている。後半は那須戦争博物館の案内となっており、その文章に曰く

「只今、皆様の手許に有る戦争に関する資料(軍服、勲章、写真、軍刀)其の他書籍などあらゆるものが有りますが、私達もこの先長くく(ママ)は有りません。子や孫の代と成るとこれら貴重な資料は「ゴミ」と成りますのでこの機会に私の博物館に寄贈でも有料でも申し受けますのでお譲り下さい。大切に永久に展示保管します。

善は急げと申しますよろしく」

「軍隊用品

どんなものでも引き取ります。私の方で永久保存します。是非、ご提供下さい。戦車・大砲地下に埋まっているならば掘りに行きます。」

収集に関する熱意は伝わってくるが、果たして「永久保存」が可能なものだろうか。こうした施設は個人の異常な熱意無しには成り立たないと思うのだが。

おまけ:館内にあった色紙。乃木将軍が作った漢詩はわかるが一番右はなんなのか、、と思ってパンフレットを見たらここの館長は芭蕉の格好をして歩き回ることもあるのだそうな。

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注釈