題名:巡り巡って

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日付:2004/7/5


那須戦争博物館:栃木県 -Part1(2004/6/19)

2003年の後半から2004年最初にかけて、私はよんどころない事情により栃木県の観光地に関する情報をWebからかき集めていた。そして知ったのである、栃木には日光とか那須とか観光地がいくつもあり、そこには「何じゃこれは」というようなものが山盛りだということを。

その中でも特に目を引いたのが「那須戦争博物館」。しかしいかにも遠い。ここまで日帰りはつらい。ええい、いっそのこと泊まりで栃木県珍スポット巡りの旅でも計画して、とつぶやいては見るがなかなか腰は上がらない。

などともんもんと考えていたある日「明日は来客があるので家を空けているように」という指令が下る。なるほど、命令とあれば仕方がない。ここは一発行ってみるか。

というわけで家を出たのは6時頃。渋谷まで定期で行ってそこから宇都宮まで電車一本で行ける。ここから黒磯までちょっと電車に乗れば、と根拠もなく考えていたのだが、栃木-黒磯間の乗車時間は50分だった。終点近くではなぜか山に登る格好の女性連れが目につく。

よれよれと電車を降りたのが10時43分。バスが出たのが11時25分。バスには乗車券を購入してからお乗り下さい、とあるから目的地を告げたら650円と言われた。なんだその値段は。一体どこまで行くというのか。しかしもう選択肢はない。那須湯元行きのバスに揺られてしばらくすると両脇を木立に囲まれた道に入った。17号とかいう道路らしい。すると両脇にすごい数の看板があるのに気がつく。「3D水族館」「こびとの森」「私の美術館」なんだこれは。いや、それらの名前は確かにWeb情報をかき集めていたときに何度も目にした物なのだが、しかしこうやって看板の山として目の前に現れると驚く。

などと私がきゃーきゃー(内心で)叫んでいようがいまいが、バスは走り続ける。バスの料金表は景気よくあがってくれる。なるほど、これなら650円といってもそう遠くまで行かないのかもしれない。そのうち目的地「下守子」についた。値段は610円。なんだこれは。

とにかく降りるとしばらく辺りを見回す。今日の目的地はどこだ。少し手前に看板があったと思うのだがここには何もない。しょうがないから勝手に決めた方向に歩き出す。すると近くに有るはずの「木の美術館」があった。名前だけ聞くとなんだそれは、と思うような場所だが、正しい方向に進んでいる事を知り私は喜ぶ。さらに進むこと少し。目的地が見えてきた。

これが「日本唯一 戦争博物館」である。(ちょっと待て。ここの正式名称は那須戦争博物ではないのか。ちなみに入場券には「明治昭和・戦争博物館 日本歴史・士・農・工・商の館」となっている。)何が日本唯一か知らないが、見終わった後では確かにそうだと思うことになる。入る前から私はデジカメでばしゃばしゃ写真を撮り出す。看板の後ろにある大きな物はなんだろう。

大分近寄ってみるとはげかけた看板があることに気がつく。これはその昔建造された帝国海軍の海防艦、「志賀」であり、戦争後千葉市稲毛の海洋公民館となっていたものだ。その後解体されたのだが

「その一部を(主たるもの)を購入し栄光○る軍艦志賀の姿を永久に残すべきここに展示しました。」

とかなんとか書いてある。しかしここにある鉄のかたまりが主要部分の何にあたるのかさっぱりわからない。そもそもこれだけさびているのに永久に持つのだろうか。その隣にはジープがあり、看板には

「1942年昭和17年日本と交戦國中国軍が米国軍の援助指導により製造
手造りの軍用ジープ車「重慶工場製」」

と書いてある。ちなみにパンフレット(後述)にある説明は

「世界最初の四駆ジープ(昭和17年)米国より中国に渡ったもの」

重なっているようなずれているような。。そのまた隣では馬がしっぽをぱたぱたしている。

説明書きを信じれば「この馬は乃木大将が日露戦争旅順開城の折ステッセル露軍中将より贈られた名馬の第三十八代目の馬です」なのだそうな。馬小屋の前にはカップに入った人参がおいてあり、いくばくか払うことによって彼にあげることできるのだろう。人を見かけると期待感からか何からかよくわからないがそちらによっていく。

などといつまでも感心している場合ではない。入り口とおぼしきところに向かう。いきなりいろいろな物が全開である。

門の後ろに28cm砲が天を向いている。正直言えばこの大砲を見たとき「あれ?こんなに小さいの?」と思ったのだ。あの穴の直径は本当に28cmあるのかしら。とはいっても他にこの大砲を観たことがあるわけではなし。ちなみにこれは203高地攻撃に使用された28cm砲と書いてあるが、いくつかのサイトにある情報を信じれば映画の撮影に使用された模型とのこと。何を失礼な。本物かもしれないじゃないか、と思われるかもしれないがどちらが正しいかはこの文章全体を読んでから判断していただきたい。

さて、この横にはこんな看板がでている。

「古来より百聞は一見にしかず
建物はボロだし内の方には何が有るか不明だ
見ても全然興味が無と思う方に申し上げます
当館は建物は良く有りませんが資料は正に超一級品が揃えて約十五000点有り明治・大正・昭和の歴史がここに有り子供や婦人も十分理解できます
ここで帰らず
是非内部の二つの展示物を必ず御観賞下さい
日本唯一戦争博物館はここです
館長敬白」

そりゃまあ入り口で大砲に出くわせば大抵の人はびびるわねえ。しかし私は異常な罰当たりなのだった。喜び勇んで入り口で1000円払うとなにやらチケットと厚い冊子を渡される。あら、ずいぶんと気合いの入ったパンフレット、と思うがその正体を知るのは帰りのバスに乗るときまで待たなければならない。

とにかく言われたとおり矢印にそって進み出す。船の艦首があるから何かと思えば海防館志賀のものだった。なるほど、ここは確かに主要部という気がする。そこで知ったのだが先ほどのさびた巨大な構造物は志賀の主舵とのこと。その先には戦車らしきものが登場する。

説明を読めばこれは

「九〇年式改良戦車
昭和六年満州事変が始まり当時に製作した改良型でエンジンは「いすず」のジーゼル 
三十五ミリ戦車砲と機関銃を持つ」

とのことなのだが、帝国陸軍に関するあらゆる本を読んでも九〇年式改良戦車なんて文字も、ここにあるような立てに細長い砲塔をもった戦車の写真も見つからない。(パンフレットには九二式中型戦車となっている。がそんな名称の戦車も存在しない。)それもそのはずで、これは2.26事件を扱った映画に使用された戦車の模型なのである。模型とは行ってもちゃんと走行するのではないか、と思わせるような質感はある。しかし砲塔を前に向けた状態では車体後面から随分はみ出してしまうのだった。

その先には飛行機関係の展示があれこれあるが、やはり気を張っている必要がある。「一00式重爆飛龍の燃料タンク」と称する物がおいてあるが、一00式重爆機は呑龍であり、飛龍は四式重爆、、などと細かい所を気にしてはいけない。その先にあるのは「陸軍95式戦闘機」である。

ちなみにGoogleで「陸軍95式戦闘機」として検索してでてくるのは、これとは似ても似つかぬ物の姿である。そもそも本物は複葉機だ。しかしここにはちゃんとそれを意識した説明書きがある。曰く

「従木は復羽機なれど一枚」(原文のママ)

そんなこと言ったって95式は液冷エンジンではないかと思い某サイトをみれば、これはどうやら「ボーイング社製ステアマンA75/450練習機」らしい。さらに調べればちょっと昔は確かに複葉機だったらしいのだ。いつのまにか上の翼が落ちたらしい。かくして前述の説明書きが添えられたのだろう。

その脇にはエンジンがごろごろ置いてある。B-29のエンジンと称する物の真偽については判断を差し控えるが、その脇に置いてある「零式戦闘機のエンジン」というのは信じがたい。星形に配置されたシリンダーが9本。そして一列だけなのだが、零戦のエンジンは最初から最後まで7本のシリンダーが前後2列になったものだったのだ。

ここまでくるとなんとなく調子がつかめてくる。そばに「海軍艦上攻撃機九八式(昭和十二年)補助タンク」なるものがおいてあるのだが、そのタンクについているプレートには「使用機体:九五式艦上戦闘機」と書いてある。

さて、ここまで辛抱強く読んでくれた方ならうすうす気がついていると思うが私は兵器とか飛行機とか軍艦の元オタクである。従ってこの後も

「あ、ここが間違っている」

とかそんなことばかり探して駆け回っていた。おかげで本来だったら気がつく物をぼそぼそ見落としている。たとえば「動物園 B級スポット大好き」には雅子様が幼少のみぎりに書かれた作文なんかがあることが示されている、、、が私は全く気がつかなかった。というわけでここに書くことができるのはあの戦争博物館にうずたかく堆積している資料のごく偏った一部だけである。

さて、などと長々と前置きを書いてようやく二つある建物のうちの一つに入ることができるわけだ。するといきなり飛行機のプロペラが飾ってあるがそれらは気にせずまずこの写真を撮る。

そこから館内をゆっくり回る。ものすごい量の「なんだか古い物」が堆積している。そんな中で写真を撮ると言えばこんなものである。

最近の子供は観たことがないであろうレコードの山だ。貴重なのか貴重でないのかわからないがこんなに積んでしまってはとけてくっついてしまうのではなかろうか。古い雑誌が並んでいるところにいきなり最近(比較的)のものがあるから何かと思えば、創刊何十周年とかで本博物館に寄贈されたとかなんとか。

などといいながらも元軍事オタクとしてはやはりその方面に興味が向くのである。たとえばこの銃だ。

一つの銃に「96式軽機関銃」と「三八式歩兵銃」(右の白い紙にはそう書いてある)という二つの説明書きがついているが、これは何なのだろう。別の場所にあった「三八式歩兵銃」とも形が違うようだし。。そして九六式軽機関銃はそのすぐ近くに存在しているのだがそこには説明書きがついていないのであった。

軍服を着たマネキンさんたちも並んでいる。

皆妙にアジア人からかけ離れた顔立ちでしかも憂いを含んだ顔をしている。紳士服だったらこの表情で良いのかもしれないが、軍服を着ていると観ているほうまで陰気になる。

おわっ、九二式重機、これはその前のホ式ではないかと一人で喜びながらあれこれ観るが、なーにそれだって本物と決まったわけではない。兵隊さんの漫画を書いた葉書大の絵がずらっとならんでいる。絵の中で兵隊さん達は

「時間ヲマチガヘナイヤウ シッカリヤラウゼ」(旧仮名遣いはたぶん間違ってます)

とか言っているがそこから本物の兵隊さん達の生活を感じることはできない。展示の種類、量は膨大だが必ずしも私のような素人にとってわかりやすいものばかりとは言えない。

軍艦と綺麗な女性の写真が並べてあるのは何故だろう、などと考えながらそこを出てもう一つの建物に向かう。 [Part2へ]

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注釈