題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2004/1/10


貝がら公園-白山五色竜神社:愛知県(2004/1/4)

初春のお喜びなどといってうれしいことと言えば会社が休みであることくらいだ。そして休みとなると私はごそごそと動き出すのである。

1月3日、名古屋駅から名鉄にのり、知多半島をつれつれと南に進む。河和というところで降りてバスにのって揺られることしばらく。豊浜というバス停で降りる。さて問題です。ここからどうしましょう。あちらの方角にあるはずだが、と丘を見上げれば何かがある。きっとあれだと思うのだが、どうやったらあそこ(写真中の円内)に近づけるのやら。

いくつかのサイトを見たところ、どうも今日の目的地への入り口はわかりにくい場所にあるらしい。広い道から入って崖というか丘の裾野にそって歩く。するとこんな看板が見えてきた。

ここからは珍スポット巡りにつきものの坂道登りである。勾配は急だがそれほど長くはない。しかし正月休みを食べることと寝ることで過ごした身にはなかなかきびしく感じる。ひえひえいいながら登ることしばらく、貝殻を埋め込んだ街灯のようなものが見えてきた。その先には草に埋もれかけた「児童遊園地」がある。

奥のほうにはブランコとおぼしきものが一部見えているが、ほとんどの部分は草に埋まっている。この公園全体が埋もれるまであとどれくらいかかるのだろう。初春という言葉がぴったりするほど静かで穏やかな日を浴びながらそんなことを考える。

さて、貝殻が見えてきたからもう終点かというとそんなことはないのであって、坂道はまだ続く。坂をおりてきた女性に

「今日は暖かくていいねえ」

と声を掛けられる。こちらの息があがっていたので返答がろくにできなかったのが残念である。そのうち広い場所に出た。

これが本日の目的地、貝がら公園および白山五色竜神社である。昨日の晩「明日はこんなところに行くんだよ」と話していたところ、私は幼い頃家族と一緒にここに来ていたらしいことが判明した。(幼稚園の年少組まで私は知多半島に居たのである)姉は貝殻がたくさん埋め込まれた「物」を断片的に記憶していると言う。父は「あそこはあんまりたいしたところではなかった」と言う。私は全く覚えていない。来てみれば少しは記憶がよみがえるかと思ったがさっぱりだ。

てくてくと歩いていくと貝がたくさん埋め込まれた鳥居がでてくる。その奥にはお社があり、男性が参拝客(らしきもの)に何か語りかけている。私はお賽銭を放り込むと、記帳ノートを手にとって眺める。

「水温が下がり、冷凍網が豊漁になりますように」

「海苔が豊漁になりますように」

といった文字が目に入る。ここは漁港の町であった。どっかの大学生が書いたとおぼしき文章には

「卒業と就職できますように。転職できますように」

と書いてある。お兄さん、いきなり転職かとつっこんでみるが、その前に「卒行」できるかどうかをまず心配したほうがいいのかもしれない。

ノートをおき立ち去ろうとすると、男性が

「右手に行って...を観て行きなさい」

といきなり声を掛ける。私は右手ですね、といって右に回る。すると看板に

「苦労して造り上げた造形物が有ります。記念に観て行って下さい」

とあった通りの力作が存在している。貝を埋め込んだ柱には個人名、あるいは会社の名前が貝で書かれているからスポンサーがついているのかもしれない。

少し先には明治一〇〇年記念の大砲が海に向かっている。

書いてあるのは「若人よ 明治につづ○(不明)ど根性」明治に続けとうことは、また中国やらロシア相手に戦争しろ、ということでしょうか。そこを通り過ぎるとなにやら櫓のような物が見える。近づいていくと大きな船の上に櫓が建てられているのであった。先ほど下から見えた物の正体はこれだったか。

櫓はどうもお城に見える。尾張名古屋は城で持つってなもんで、名古屋人の心の奥底にはエビフリャーと同じくらいの強さで城としゃちほこが刻み込まれているのかもしれぬ。その近くにここを作った方の碑とおぼしきものがある。

ここは親子二代にわたる「おやじが突然独力で作り上げちゃった系」の場所らしい。社には古い新聞記事ともう一つ張り紙がしてあり、それを読むとここに刻まれている山本祐一氏は六一歳の時に龍神様のお告げを受け、

「世界に類のないものを造れとのお告げにより、何を造ろうかと、毎夜海辺に出て考えてばかり、ある時はノイローゼ気味になり精神病院に行けとまで、町の人に言われました。」

そして貝を埋め込むことに思い当たったと言う。碑文によれば

「世人の驚嘆と羨望交々の中に翁は耳を閉じ凡そ二十年の歳月を経て...」

とある。それだけの長い年月、ここにあるように材料をかつぎながら山道を上り下りしたのだろうか。その光景を想像すると、誰が読むともしれないサイトやら誰が使うともしれないソフトウェアを延々作り続けている自分の姿に少し重なることに思い当たる。

先ほどの櫓に登ってみると春の海(そう書きたくなるような気候なのだ)がきれいだ。考えてみればこれは初詣ではないか。珍スポット巡りに血道を上げているものにとってこれ以上初詣にふさわしい神社があるだろうか、などというのは後で考えた理屈にすぎない。坂道を降りると先ほどの入り口に戻る。さっきは気がつかなかったが、ここにも貝はしっかり埋め込まれていたのだった。

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注釈

わかりにくい場所:後で気がついたのだが、豊浜の交差点から二四七号を北に少し行ったところ右手に円増寺という大きな寺がある。その寺の右手少し奥、というのが一番わかり易い説明方法かもしれない。一応二四七号沿いにこんな看板もあるのだが、道が狭いため見落とし易いだろう。

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