題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/8/28


越前大仏:福井県-tale of two temples 後編(2003/8/13)

京都から福井に向かう特急列車を待つ。サンダーバード1号。この名前を聞いた時から私の頭の中では

サンダー バードー ちゃかちゃんちゃ ちゃんちゃかちゃかちゃかちゃん

ほにゃらら ほにゃららーら

というメロディが鳴り響いている。さて、到着とみればデッキにまで人があふれている。ううむ。せっかく早く来て並んでいたのに。

立つこと一時間あまり、福井に到着する。まだ9時前。さて、と京福電鉄を探すがみつからない。しばらくうろちょろしたあげく、名前が変わりえちぜん電鉄になっていたことを発見する。で終点の勝山まで切符を買うと、

「まだ全線開通していません。途中の永平寺入り口でバスに乗り換えてください。ちなみに待ち時間が30分くらいあります」

とのこと。ううむ、いつものことながら珍スポット巡りの道は遠いなあ。まもなく来た列車に揺られること30分。永平寺入り口という駅でバスをまつこと30分。とても日本の夏とは思えないような天候で日差しは暑いが日陰にはいると涼しくなる。この天候はありがたい。

まもなくバスが来た。かたこんかたこんと揺られているうちに眠くなってしまった。目が覚めるとどうやら終点に近づいているよう。サンプラザ前という停留所であらかた人が降りる。私は終点勝山駅まで乗る。バスを降りてさて、と思う。確かここからバスがでているはずなのだが。

しかしいくら見てもそれらしきバス停は見あたらない。ええい、もう待つのはたくさんじゃ、と駅前に止まっていたタクシーに乗る。1000円ちょっとでついた。おりぎわに

「ここも車しか交通手段がなくなっちゃったんですよねー。帰りはまた電話いただければ迎えに来ますから」

とビジネスカードを渡してくれる。ううむ、あるサイトには「バスで8分」となっていたのにそのバスすらなくなったか。

すぐそこに門前町らしき風景が広がっているのだが、人の気配が全くない。進んでいくとそこはまさにゴーストタウン。店はたくさん並んでいるが営業しているのはほんの数軒。しかもそのうちの何軒かは「ご用の方は中国物産展にご連絡ください」とだけ書いてある。それも宜なるかな。今は盆休みというのに人がほとんどいない。看板を見ると大仏と関係がありそうな店が多かったようだが、こんな店もある。

ホテル製のケーキ屋。レースと提灯の取り合わせが素敵。大仏を見に来て、さあ、ケーキを食べようと言う人はどれくらいいたのだろうか。

お店ばかり見ていてもしょうがないので先に進む。数少ない営業しているお店の人が「お茶をどうぞ」と進めてくれる。「歩いてきたんですか?」と聞かれるがタクシーを使ったとは言いにくいから笑ってごまかす。某サイトには入場料1000円と書いてあったが800円でOKだった。荷物を預かりましょうか?と聞いてくれる。すこぶる親切である。

まずでてくるのは大門と仁王像である。特に変わってもいないのでそのまま通り過ぎる。中門もあるのだがここもただ通り過ぎる。順路に従って歩いていくと何故か中央の広いところではなく左右の通路を通ることになる。まあ素直に矢印に従ってみる。てくてくしているうちに大仏殿に近づいてきた。説明の看板がでてくる。

中国洛陽の云々はともかく、この奇妙な空白が気になる。規則性もあるような無いような。しかし

「奈良大仏は四十九尺で  越前大仏より七尺低いのであって」

素直に越前大仏は奈良大仏よりでかいんだよーんと書けばいいものを、と思うがやはりそこには何か理由があるのだろうか。

と考えているうちに大仏とご対面である。

昨日の但馬大仏に比べると柱の細工とか照明とか細かいところに金がかかっている気がする。大仏様は一人(?)だが両脇には左右二人づつの何かがいる。

ううむ。3大仏のジェットストリームアタックもいいが、戦隊4人が蹴散らされた後にずしんずしんと大仏が登場と言うのもいいかもしれぬ。などと考えながら像の周りを歩いてみる。壁には例によって小さな(比較的小さいという意味で一体一体は結構でかいのだが)仏でうめつくされているが、手をおみくじでしばられることもないようだ。

どうも二日続けて同じのりの大仏を見せられても新鮮味に乏しいようだ。というわけで今日は大仏殿を後ろから撮ってみました。

順路に従って歩き続ける。順路は五重塔に進んでいくようなのだがその手前にこんなものがある。

とんがった屋根がどことなく中国風。なんだこれは、と思っているとちゃんと説明の看板がある。中国にある九龍壁というものであり、日本で作ろうと有田焼、九谷焼、瀬戸焼などと訪ねて歩いたがこんな美しい物はできないと言う。最終的には中国に製作を依頼、政府の輸出許可を得て設置されたという。

なるほど、苦労をして作られた物だというのはわかったのだが、なぜその説明看板が五重塔の前にあるのだろう。階段を挟んで反対側には五重塔自体の説明があるのだが

「この五重の塔の高さは  七五米もあって我が国第一の高い五重の塔であり   また  第二の五重の塔は但馬長楽寺の五重の塔が六八米で我が国第二の五重の塔であります」

一つの文に五回も「五重の塔」がでてくるがようするに自分が作った寺に日本第一と第二の高さを持った五重塔があると言いたいわけだ。さて、今日も気合いを入れて登るかと覚悟して中に入れば登り専門のエレベーターがあるのだった。ああ、ありがたやと思い四回まで登り残り一階は歩いて登る。頂上には仏が三体並んでいるが一瞥をくれただけ。あたりの風景を見回す。勝山の町が眼下に見え風が涼しい。そのうちある物に気がつく。

昨日見た石垣だけの城跡が思い出される。さては、この大仏を作った男が、、と思うが確証はない。勢いで行ってみようかとも思うが冷静に距離を推測すればあそこにたどりつくまでに日干しになりそうだ。

エレベーターは上り専用だから帰りは階段をてくてく歩く。これで越前大仏の見物はほぼおしまい。また門前町に戻る。

「相互タクシー(株) ペンティングカー展示」何事かと思うが店内には何も残っていない。ううむ。きっと脱力を誘う何かがあったはずなのに。

といったところで越前大仏見物はおしまい。駅まで歩こうとは考えもせず素直にタクシーに乗ろう。すぐ前には「相互タクシー本社」と書かれた建物が存在している。ここでお願いできるか、と見回してみれば人気はなく、入り口には

「ご用の方は」

ということで電話番号が書かれているだけ。しょうがないからさっきもらったカードの番号に電話をする。運転手さんに聞けばやはりあの城は例の社長が作ったのだそうな。(内部は博物館)なぜここに大仏殿ができたかと言えば、社長が三歳まで住んでいたからとの事。彼にとって大仏殿と城はセットだったのか。しかし何故但馬の城は破棄したのだろう。ただ大きさが足りなかっただけではないのか。

勝山は夏の昼下がりで人通り、車の数も少なく大変静かな様子。その中で越前大仏のエリアはただ静まりかえっている。門前にあるホテルも閉鎖されてからだいぶ日がたっているようだ。ここは、あるいは二つの大仏と城は今後どうなっていくのだろう。

おまけ:勝山駅にあるイグアノドン(和名:ふくい竜)の人形。かたわらに説明の看板があるのだが、最後にこんな一文がある。

どうしろといいたいのか。

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注釈

サンプラザ前:あとで気がついたのだが、ここで降りていればあるいはタクシーを使わなくても大仏まで歩いて行けたかもしれない。(確証はない) 本文に戻る

バスすらなくなった:後でバス停を見つけた。未だに運行されているかどうかわからないが、時刻表には一日二本バスが来ることが示されていた。 本文に戻る

800円でOK:オープン当初は入場料3000円、駐車場代1000円だったという情報もある。本文に戻る