題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/8/23


但馬大仏:兵庫県-tale of two temples 前編(2003/8/12)

新幹線にのって京都に着く。さて、特急でものるべえかと思い時刻表を見れば鈍行電車がまさに出発する時間。これに乗った方が特急を待つよりはやかろう。そう思うとひたすらはしる。終点の福知山という駅で反対側のホームにとまっている電車に飛び乗る。八鹿という駅でおりバス乗り場に向かう。案内所の女性に

「ここに行きたいんですけどどれにのればいいですか」

と聞けば、いまエンジンをかけ発進しようとしているバスにのれという。乗り換え方法を聞き紙に書き留めるとあわててバスに飛び乗る。かくして私は予定よりもかなり早く目的地である川会というバス停に降り立つことになった。

お盆の時期に何をしているかと言えばちゃんとした(他人が聞いてどうかは知らないが)理由がある。ふと

「よし、今年の盆は北陸地方の珍スポットを巡ろう」

と思いついた。まず福井にある越前大仏なるところに行こう情報収集。Googleで検索をかけると、結果の中に一つだけ妙なタイトルを持つページがある。なんだこれは、と見てみればなんと越前大仏を作り上げたタクシー屋の社長は一つだけではあきたらずもう一つほとんど同じ寺を作り上げていたとのこと。ああ、なんと珍妙な話であろうか。そして考える。兵庫と福井にある双子の大仏殿を続けて巡るというのはまさにぴったりの(何にぴったりかは知らないが)テーマではないか。そう思い行き方を調べるとどうにも遠そう。一日丸つぶれになってしまう気配である。そうまでして巡る意味があるのだろうか、きっと同じ物があるだけだし。うだうだうだ、と考えていたが思いつきだけで行動するのがいつもの旅行スタイル。朝6時前に目覚めるとまよわず京都行き新幹線に乗ったのである。

かくして私は今遠くに見える大仏殿と五重塔に相対している。

緑なす山の中にそびえ立つその姿はなかなか印象的である。しかし問題が一つみてとれる。これほど見事に全体が見えるのはその建物が山の上にあるからであり、私は今日徒歩で来ているのだ。ええい。坂ひたすら上りまくりは珍スポット巡りにつきものではないか。気合いを入れると自分で勝手に決めた方向に歩き出す。そのうち「入り口だよん」という看板および電光掲示板が見えてきた。有り難い配慮だがだからといって坂を登るのが楽になるわけでもない。

ぜいぜい、はあはあ。やっぱり体重減らさなくちゃ。10kg体重減らせばそれだけ楽になるはず。さあ、今日からダイエットだ、と坂を登っている間だけは固く決心する。帰りにはさっぱり忘れるのだが、とりあえず決心だけはする。そのうち坂道も終わりに近づいたようだ。お寺が近くに見えてきた。こんな看板が迎えてくれる。

これしきの看板で脱力していては珍スポット巡りはできぬぞ、と自分に言い聞かせる。さて、と大きな門をくぐる。両脇に仁王像がいる。大きくはあるがさほど面白い姿やら顔をしているわけではない。

お金を払うと先にすすむ。日本で2番目の高さを誇る、と称する五重塔がある。中にはいってみると仏様がうじゃうじゃいる。

その脇に階段があるから反射的に登り始める。歩きながら考える。さっききつい坂を登ってきたばかりではないか。なんで登るんだ。きっと上に行ってもろくなものはないに違いない。やがて2階にたどりつくのだが、一階とおなじような仏様達がいる。違うのは金色の像がないこと。3階には金色の像があり、4階にはない。(たぶん。足が疲れていたので記憶も曖昧だが)

ああ、俺は何をやっているんだ。こんなことしてなんになる。もう膝が笑っているじゃないか。しかしここまできて引き返すのも惜しい。とにかく5階にたどり着く。すると仏像が三体ならんでいる。なるほど、5階はアクセントをつけたわけね。柱には張り紙がしてあり

「お金は必要なものだが、それにこだわっていると必ず不幸が迫ってくる」

はあ、左様でございますねえ。予想したこととはいえこの脱力はなんともつらい。外の景色を眺めてみる。大仏殿の屋根の向こうに棚になった田圃が見える。

をを。なかなかよい景色ではないか。この景色を見ることができたからよいとしよう、と自分に言い聞かせる。もう登ってしまったのだからとにかくポジティブに考えるしかない。別の方角には妙なものが見える。

台形というかとにかく石垣はくまれているのだが上に何もない。これの正体がわかったのは少し後のこと。

さて、五重塔一階には開眼法要の時の写真が飾られている。坊主の群れに向かって高野山高校の聖(?)歌隊がなにやら歌っている。とてもはではでしい儀式であったことだけはわかる。相互不動産社長とやらの写真が何枚か有り、この人が中心人物らしいのだが、普通の紳士のよう。巨大大仏エリアを二つ作ってしまうような人には見えない。

その後ここの成り立ちについて書かれた看板を読み合点がいった。ここを元々作りだしたのは先代の社長だったとのこと。しかし彼は不幸にして完成前に他界してしまった。あの写真に写っていたのは2代目だったわけだ。その先代はちゃんと銅像として敷地内におわす。

うむ。この迫力。この人が大仏を作ると言い出せば誰も止められなかったのかもしれない。などと考えながら大仏殿に入る。

正面にはいきなり大仏三連発である。

金色大仏が三体もそろうとさすがに壮観である。いつまでも昔のアニメなどにとらわれている場合ではない、と思いながらも

ジェットストリームアタック」

なる言葉が頭の中を回り続ける。この大仏達がゆっくり立ち上がり大仏殿を破壊して外に出る。そして全国の大仏と共に侵略者(なんだかよくわからんけど)と戦う、、ってのは今のCG技術だったら映像化できるんじゃないかな。筋なんかどうでもいいからそういう映画ができぬものか。

などと考えながら中をゆっくり廻る。壁には仏像がうじゃうじゃいる。

小さく見えるのは全体のスケールが巨大だからであって、一つ一つの仏像はちゃんとした大きさだ。一番下の列にある仏像はおみくじを結ぶために使われている。寺の人が外さないから問題はないのだろうが、それでもこんな像をみると少し気の毒になる。

両手をしばられてしまってはなんだか大変そうではないか。頭がかゆくなったらどうするのだ。

大仏殿の裏手には本堂たる薬師堂があるが特に変わったところもなさそうなのでじろじろ見たりはしない。これで見るべき物は見たということか。大門の外にあるお店によってみる。お茶or甘酒が無料で飲めるというのでお茶を頼みつつそこの女性にあれこれ聞いてみる。

「なんでこんなところに大仏ができたんですかね」

「社長さんが225億寄付したんですよ」

「ほえー。ところであっちのほうになんだか石垣が見えたんですけどあれはなんですか?」

彼女の答えを要約すれば以下の通りである。なんでもお城を造るつもりで天守閣の骨組みまで作ったのだそうである。ところがそこで

「見栄えがしない」

ということになり工事は中断。ではどうする、とやっているうちに社長が亡くなってしまった。かくして石垣だけが残されたとのこと。

225億の大仏殿にはりあう城を造ろうと思えば300億くらい追加投資が必要だったのではなかろうか。二つ大仏殿を作った勢いでとんでもないものを作ってもらいたかった気もする。しかしなあ。こうした巨大宗教的構造物を見るたびに思うのだ。果たしてこの225億は世のため人のため有効に使われたと言えるのだろうか。駐車場には何台か車が止まっているから多少の観光収入はあるのだろうけど。さきほどの女性は

「ここは檀家が村おこしでやっている店だから消費税もなしだよ」

と言った。芋の甘納豆など買っては見たが、これで村おこしに貢献したと言えるのだろうか。

帰りは下り坂だかららくちん。振り返ってみれば大仏殿は相変わらず緑の中にその偉容を示している。それはどこか周りから浮いているようにも見えるのだが。

前の章 | 次の章   | 一覧に戻る


注釈