題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/7/11


石手寺-後編(2003/6/28)

角を曲がると道の両脇に何かがあることに気がつく。何かを描いた巨大な絵だ。しばらく何の維持もされていないのだろうそれらは朽ちかけかけている。

最初の方には坊主が頭をそっているところとか、遣隋使がどうとかいう絵が並んでいるのだが、坂を上りきる近くになるとこんな絵が出てくる。

説明文もないのでわからないが、これは大和朝廷とかそんな類の絵ではなかろうか。なぜ寺にこんなものがある。

その先は墓地になっているようだが、これ以上絵はないようだ。坂を下る。サイケなじい様像を通り過ぎ、金色のなにやらを通りすぎ、洞窟の出口を通りすぎる。しかしまだここは終わったわけではない。少し先にこんなものが見えているのだ。

楽器を持った像ならいくつもあるのだろうが、このギターらしき楽器の細かさはどうしたことであろう。しかしそこに行く前にも何かがある。五百羅漢という矢印があり、さびかけたショベルカーとか車とかがおいてある広場に行く。しかし五百羅漢は見つからない。(あるいはさっきのマントラ塔の中にあったのがそれだったのか)遠く山の上には何かの像が見える。

ここは一体なんなのだろう。広場からまた車道に戻る。そこに何かあることに気がつく。

「たのしい石像達」と刻まれた文字。好ましい事ではないか。看板には

「こんなおおきなもの たべたことがない うめぼし、ふりかけ ごましおがともだち」

と書いてある。なるほど。これはきっと幼稚園児達が作ったかあるいは彼らに読ませるために作った詩とおにぎりの像?なのだろう。それまでさらされていた狂気から少し解放された気分になる。「ごましおがともだち」がかわいいじゃないか。しかしそんな気分も次の像を観るまでだった。

あるくのおそいが およぐのはじょうず

おおきなおくちをして おにくがだいすき」

そもそもこれは何なのか。亀なのかそれともワニなのか。存在しているのは口のように開いた二枚の石だけだから判断のしようがない。しかし最後の「おにくがだいすき」がなんとも言えぬ恐怖をあおり立てる。ひらがなで書かれているのがまたいやだ。

また少し先にはこんなものがある。

ここに何を再建しようとしたのか。その塔はまさに崩れ落ちようとしているが取り壊そうという気もないようだ。写真を撮りながらふと気がつけば危うく溝に落ちそうになっている。こんなところで溝に落ちて死ぬのだけはいやだ。

道にそってしばらく歩く。先ほどの幼稚園児向けとおぼしき石像がいくつかあるのが見て取れるが、これ以上読む気にならない。足早に坂を下りる。

再び寺に入りトイレに行った後「宝物殿」という矢印があるので行ってみる。200円払えということだが、もう小銭がない。入り口から中をちらっとみると格段変わったところもないので、入り口だけで失礼する。しかしそこに立っている像の後ろ姿は又奇妙だ。

下の人も大変だな、などと言っている場合ではない。サーカス状態である。なぜ後ろ姿しか撮っていないかと言えば、この像の正面は全て木の枝に覆われているからだ。普通ならそれを奇異と思うところかもしれないが、すでに「ああ、この寺だから」と慣れ始めている自分がいやだ。

三重の塔の脇を通り門に戻る。アメリカにいたときMad TVという番組を観ていた。CMの前後にジングルというやつがはいる。

"You are watching Mad TV,, MAD!"

さっきから私の頭の中ではこのジングルが回り続けている。最後のMAD!!が巨大な音で響きながら。入り口近くのやぐらにはまだ猫が寝ている。門を出たところのバス停にぼんやり立っていると観光バスに戻るお遍路さん達とすれ違う。じゃまにならぬようによけながら彼らと彼女たちの様子を眺める。自分たちがどんなところに来ているか気がついているのだろうか。それとも八十八カ所廻ることに一生懸命でそんなことはどうでもいいことなのだろうか。

前の章 | 次の章   | 一覧に戻る


注釈